フェイタルルーラー 第四話・滅びゆく種族
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一 ・ 滅びゆく種族

 

 血だ。

 膨大な屍を山と成し、村があった場所には焼け落ちた残骸だけが横たわる。

 くすぶる煙は死臭を煽り、男は耐え難い吐き気に膝をついた。

 

 数日前まであった彼の全ては、すでに何もかも消え失せていた。そこにあるのはただ死と血と狂気だ。

 老人から幼子まで、果ては男女すら問わず、生きていた者は等しく死を与えられている。

 

 或いは胸を突かれ、或いは腹を掻っ捌かれて絶命している様は、地獄絵図としか例えようが無い。

 大地を濡らす赤い筋は大河のようにうねり、どくどくと音を立てて辺りを染め上げた。

 

 男が族長となるために村を離れ、留守にしたほんの数日の出来事だった。

 民が失われた今、長の証である太刀など何の意味があろうか。

 

 失意の中、男は独り土を掘り返し一族の墓を建てた。それぞれに木の墓標を作り、死者の名前を彫り込む。

 何日もかけて全ての民を埋葬し終えると、ようやく彼は奇妙な事に気がついた。

 

 一人足りない。

 

 男は旅立つ前に、族長不在の村を護る者を指名していた。

 誰よりも豪腕で心優しい親友。白狐族に生まれながらただ一人黒い個体であったが、それを気にするでも無く誰からも慕われる存在だった。

 

 ――コクはどうしたのか。生きているのだろうか。

 

 親友の安否が判らないまま、彼は何も残されていない村跡を探し回った。

 だが集会場から水車、田畑に至るまで焼き尽くされ、手掛かりは何も無い。

 

 あらかた見回り、最後に立ち寄った御堂の石段に男は腰を下ろした。

 堂を護るように茂っていた森も今はもう無い。初夏の日差しは容赦なく照りつけ、彼の蒼い装束をじりじりと焼いた。

 

 熱気に耐えかね、男は立ち上がると足早に石段を昇り切った。

 灯篭は全て倒壊しているものの、周囲を覆っていた森が防波堤となったのか、御堂は焼けずに在りし日の姿で残っている。

 

 古びた堂の扉を押すとそれは音も無く開いた。日の当たらない堂内はカビの臭いが充満しており、誰かが隠れていた形跡は無い。

 不意に内部が気になって、男は御堂の奥まで進んだ。きしむ床板も昔のままだ。

 

 神聖な堂には立ち入ってならないと、よく先代の族長から叱られていた子供の頃を思い出し、男は目を細めた。

 悪戯をする時はいつでも親友が隣にいて、一緒に悪巧みをしていたものだ。

 何かあった時は、御堂に隠れればいい。そんな話をした記憶が彼の脳裏をかすめた。

 

 結局内部で何も見つけられず、男はその場から立ち去ろうとした。

 その時彼の目に飛び込んで来たのは、癖の強い文字で書かれた書付だった。その字に見覚えがあり駆け寄ると、留めてある柱から書付を破り取りそれを読んだ。

 

 ――ソウ。お前がこれを目にする頃には、俺はもう人ではないだろう。

 

 よく知る親友の置手紙に、彼は動揺した。はやる心を抑え、目を書付へとはしらせる。

 

 ――お前から一族を預かりながら、俺は何もしなかった。むしろこの惨状を望んでいたのかもしれない。これは俺が招いた災厄だ。海の向こう、西の大陸にて待つ。

 

 そこまで読むと文字は途切れ、最後にコクの名が記されていた。

 災厄を招いたとはどういう意味なのか。まさか彼が一族を死に至らしめたとでも言うのだろうか。

 

 思いも寄らぬ文面に、ソウは混乱した。

 ぐるぐる巡る思考を落ち着かせ冷静さを取り戻すと、書付を懐へと仕舞い込む。

 

 本人に会い直接顛末を聞かなければ、到底納得出来る話では無い。もし納得のいく回答が得られなければ――。

 

 ソウは太刀の柄を強く握り締めた。

 親友が罪を犯したのであれば、最後の長としてその断罪をしなくてはならないだろう。

 そう心を決め、彼は愛した故郷、そして今は亡き一族に別れを告げた。

 

 白狐族最後の長が旅立ち、誰もいなくなった小さな村は人々の記憶から消え失せ、ついには東アドナ大陸からもその姿を消した。

 

 

 

 貴族の城から解放され、エレナスとセレスは見知らぬ森の中を彷徨った。

 

 あっさり解放されるのかと思いきや、彼らは再び武装馬車に詰め込まれ、何処とも判らない場所へと放り出されたのだ。

 王都からは一刻以上走っただろうか。街の灯りなど全く見えず、星と月の位置で方角を把握する始末だった。

 

 交渉通り、確かに貴族は物資や情報を与えてはくれた。だがよほど勘ぐられるのが嫌なのか、最後まで自らの素性を明かそうとはしなかった。

 

「何だよあいつ。信用出来ない」

 

 いつになくいらいらしているセレスは、歩きながらぶつぶつと文句を口にした。

 無理もないだろう。こちらの素性は知られているのに、相手の事が何一つ判らないのは気味が悪いものだ。

 

 どれだけ歩いても一向に外へ出られない森が、いらつきに拍車を掛けていた。

 程なく二人は諦め、この日は森で夜を明かす事にした。

 

 管理されている王家の森とは違い、どんな野獣がいるとも知れない中、二人は開けた空き地で枯れ木を集め火をおこした。

 炎の柔らかい温もりに、ようやく彼らは一息つく事が出来た。

 

「……早く大人になりたい」

 

 ぼんやりと火を見つめながらセレスは呟いた。

 普段あまり心の内を明かさない少年の言葉に、エレナスは驚いて彼を見た。

 

「十年も経てば立派な大人になるさ。急ぐ必要も無いだろう」

「そんなに待てないよ。ぼくが大人だったら、皆を護れたかもしれないのに」

 

 膝を抱え俯くセレスの体躯は更に小さく見えた。

 焚火から照らし出されるセレスの影だけが大きく伸び、今にも彼を喰らい尽くしそうにすら思える。

 

「大人でも出来ない事は多い。大人だから可能だとか、子供だから不可能だという考え方は正しくはないよ」

「そうなのかな。大人は子供より長く生きてるから、何でも出来そうに見えるんだ。……そういえば、お兄ちゃんっていくつなの? 精霊人ってすごく長生きなんでしょ」

 

 不意の質問にエレナスは一瞬戸惑い、ぽつりと答えた。

 

「今年で五十三になるかな。長寿な分、年齢はあまり意味を持たない気がしているんだ。長ければ三百年以上生きるからね」

「ぼくのおじい様とそんなに変わらないんだね。不思議だなあ」

 

 まじまじと顔を見てくるセレスにエレナスは小さく笑った。

 

「君はおじい様が好きなんだね。仲がいいのかい」

「……うん。おじい様と父上は口もきかないほど仲が悪いけど、ぼくには優しいおじい様だよ」

 

 セレスは俯きながらそう答えた。よほど複雑な事情でもあるのだろうか。セレスが必死に背伸びをしているのは、そういった環境によるものが大きいのだろう。

 望もうと望むまいと、大人同士の諍いに巻き込まれるのはいつでも子供だ。王族についてセレスに訊こうと思っていたエレナスだったが、そのまま触れないでおく事にした。

 

「もう寝た方がいい。見張りは俺がしておくから、先に休んでいてくれ」

 

 そう言いセレスを先に寝かせると、エレナスはぼんやりと焚火を見つめた。

 彼らの背後に迫る気配には、未だ気付く由もなかった。

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二 ・ 神の眷属

 

 故郷を発ち、交易船の船底に身を潜めてから何日経っただろうか。

 

 ソウが生まれ育った大陸を、西大陸の者たちは東アドナと呼ぶ。

 彼らの神にもとづいているらしいが、東大陸には自らが名付けた夜万斗という名がある。

 

 これまでも夜万斗の民はその種族に関係なく和を保ち、力を合わせて生きて来た。

 いつ頃からか西大陸との交易が始まり、互いに特産物などを売買する事によって夜万斗の経済は発展していった。

 

 交易相手はレニレウス国という比較的規模の大きい王国で、夜万斗が望む物は何でも揃えてみせた。

 牛馬から農耕鉄器、果ては毛織物や装飾品など、どれも目を見張る物ばかりだった。交易船はそれらの荷を降ろすと、代わりに夜万斗で生産される生糸や銀、葛などを大量に仕入れて帰った。

 

 時が経つにつれ、いつしか交易船はその役割を変え始めた。

 正規の交易船を隠れ蓑にし、人を攫う船が出現したのだ。初めはガレーの漕ぎ手をさせる若者だけだったが、次第にその矛先は子供や若い娘へと変貌していった。

 

 そうして西大陸が言うところの東アドナは、奴隷の産地へと変わり果てた。

 交易自体は機能していたが、夜万斗を統べる女王の抗議は聞き入られず、人々は船の入港に恐れおののいた。

 

 そのさなか、ソウは一隻の交易船へと潜り込んだ。

 コクを追うためには西大陸へ渡らなければならない。互いの大陸を結ぶ港は一港しかない分、捜し出すのもそれほど手間では無いと彼は考えていた。

 

 程なくレニレウス国へ入港した合図が頭上で響き、続いて碇が下ろされる鈍い振動が船底を伝わった。

 ソウは乗組員に見つからないよう慎重に船を降り、港の物陰へと身を隠す。

 

 明け方近い時間帯が幸いし、誰にも気取られる事無くソウは港町を後にした。コクはどこにいるのだろうか。巨漢といえるあの体躯では、目立たないはずがない。

 コクを捜し求めて、ソウは街から近い森へと足を踏み入れた。獣人族特有の耳と尾を持ち、夜万斗の衣装に身を包んだ姿では、ソウもまた人目を引いてしまうのだ。

 

 暗い森の中を進んでいると、向こうに人影が見えた気がしてソウは足を止めた。

 音を立てないよう注意深く近付くと、それは白い衣装を纏った人間の集団だ。

 未明の森に人の集団などいる訳がない。その不可思議さがソウの意識を集団へと向けさせ、背後にいる何者かの気配に気付くのが遅れた。

 

「これは珍しい。獣人族なんて久しぶりに見たよ」

 

 背後からの声に、ソウは振り向き身構えた。咄嗟に愛用の打刀に手を掛け、声の主を探る。

 

「誰だ。姿を現せ。さもなければ……」

「さもなければ、どうする? 斬り捨てるとでも言うのかい」

 

 姿の見えぬ男の声は、からかうように笑い声をあげた。

 ソウにはこの男が只者では無い事がよく分かっていた。男の発する気配に空気が緊張し、それがぴりぴりと肌へ伝わってくる。相当な手練のはずだ。人であれば。

 

「有限生命の身の上で、僕に刃向かうのは賢明では無いよ。そうでなくても今や有角族は滅び去り、獣人族も同じ道を辿ろうとしている」

「……貴様、何者だ。何故そんな事を知っている」

 

 二振りの打刀を抜き放ち、ソウはじりじりとにじり寄った。

 その様子に興が乗ったのか、暗闇から男がその姿を見せる。

 

 日も昇りきらぬ暗がりから現れたのは、二十二、三歳くらいの男だ。長い黒髪を編んで垂らし、同じ色のコートを羽織っている。

 スミレ色の双眸は背筋が凍るほど老成しており、とても年相応には見えない。

 

 この男は人間ではないと、ソウは直感で判断した。

 柄を握る手が汗ばみ滑り落ちてしまいそうな感覚に、彼は必死に握り締める。

 

「そうだよ。キミが思っている通りだ。僕の名はマルファス。この大陸に起こる歴史を見定める代行者の一人だ」

「代行者だと……? 何だそれは」

「異国人のキミは知らないだろうが、この大陸には創世の神話があるのさ。我々代行者は創世神が目覚めるまで、この大陸と運命を共にする役目がある」

 

 マルファスと名乗る男はそう言い、不敵な笑みを見せた。歴史を見定め、運命を共にすると言うのなら、それは神の眷属なのだろう。

 得体の知れない不気味さに、ソウは身じろぎすら出来ず睨み付けた。

 

「その代行者が何故こんな場所にいる。神の眷属なら山奥にでも引っ込んでいればいい」

「人を捜しているのさ。数十年前、ある娘に助力を仰いだ事があってね。彼女の消息を追っていたらこの森まで来てしまった訳だ。もっとも、いつの間にか所有者が変わっていたのだけれど」

 

 森の奥に見える集団へちらりと目をやりながら、マルファスは続けた。

 

「約束の証として、僕は少女に一振りの短剣を渡した。様々な術に抵抗する護符でもあり、彼女を捜し出す道標となるものだ」

「それを追ってここまで来たと言うのか。だがこの国は女子供が一人で来るような場所では無い。現にあそこにいる集団もかなり異質だ」

 

 ソウは先ほど見かけた人間の集団を指した。

 彼らは一様に白い衣装を纏い、青白い表情で何かを話している。数は十人を下らないだろう。未明の森にこれだけの人数が集まるのは異様な光景だ。

 

「あれは最近勃興した新興教団の連中だよ。司教の崇める神が唯一にして至高の存在。いわゆる狂信者という奴だ。彼らは人間と唯一神以外の存在を認めない。有角族などの亜人種が急激に数を減らしたのも、連中の仕業だろう」

「どういう意味だ」

 

 マルファスの言う言葉の意味が分からず、ソウは訊き直した。

 

「十年くらい前から至高教団と呼ばれる者たちが、浄罪の名のもとに亜人種を殺害して回っているのさ。それが彼らの教義ならおぞましい限りだね」

「亜人種を殺害……。まさか」

 

 ソウの脳裏に、今はもう亡き村の風景が甦った。川辺で楽しそうに遊ぶ子供たち。御堂へ参拝をする老人たち。田畑の手入れをする男女。何もかも、全てが死に絶えた。

 

「まさか私の村が滅ぼされたのは……あの連中の仕業なのか」

「それは分からない。連中の神とやらは、この大陸にいるようだからね。キミの故郷まで『浄罪』をしに行くとは思えない。それより見てごらん。あの連中を」

 

 マルファスに促され集団に目を向けると、彼らは手に手に凶器を持っているように見えた。

 

「どうやら浄罪をするつもりのようだね。連中の標的は『偶然』森に迷い込んでしまった子供二人で、そのうち一人は精霊人だ。奴らにとっては生かしておく理由が無い」

「あの連中が子供を殺そうとしていると言うのか? ……そんな真似はさせない」

 

 汗でぬめる柄を握り直し、ソウは狂信者たちへ進もうとした。

 その背にマルファスが声をかける。

 

「村を滅ぼした男を捜しているなら、子供たちの後を追ってみるといい。彼らがキミの望む場所まで連れて行ってくれるだろう」

 

 その言葉にはっとしてソウは振り向いたが、すでにマルファスの姿は無い。

 じりじりと子供たちへ迫る狂信者たちへ向かい、彼は二刀を手に躍り込んだ。

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三 ・ 護り手

 

 疲れ切ったセレスを寝かせ、エレナスは一晩中見張りを続けた。

 深夜の森は焚火があってもなお暗く、不気味な枝々を頭上に張り巡らせている。

 

 火の番をしながら、エレナスは貴族の城での遣り取りを振り返った。

 何故あの貴族は神器の剣を知っていたのだろうか。

 

 銀貨についての情報を訊いた時、明らかに貴族は驚いていた。

 それは言い換えれば彼にとって想定外であり、銀貨の本当の意味を熟知しているに他ならない。

 

 貴族が言うには銀貨が符丁であるとの話だったが、それ以上は何も知らないと口をつぐんだ。

 符丁であると知りながら口をつぐむのは、何かの核心に迫っているのではないか。

 

 そこまで考えると、思考の全てが霧掛かったようにぼんやりとし、エレナスはかぶりを振った。

 ノアの術がまだ抜け切っていないのだろうか。ひどく頭が朦朧とする。だが何があるか分からない森で、眠り込んでしまうのは非常に危険だ。

 意識を覚醒させようとエレナスが立ち上がろうとした時。懐から何かが滑り落ちた。

 

 見ればそれは、王家の狩猟場で発見した姉の短剣だ。

 拾い上げ鞘を抜くと、暗闇の中それは青白く光を放っている。

 

 清浄なる淡い輝きにエレナスの心は安らいだ。

 思考がはっきりしてくるにつれ、それまで不明瞭だった周囲の気配に彼は気付いた。

 

 何かがいる。

 

 肉食獣の類だろうか。異国の森では何が起こってもおかしくはない。

 短剣を鞘に収め懐に仕舞い込むと、傍に置いておいた剣を鞘ごと掴み、エレナスは眠っているセレスの横へと寄った。

 

 眠り続けるセレスを起こそうと揺さぶったが、深く寝入っているのか反応は全く無い。

 セレスを護るように大木の幹を背にし、エレナスは剣を抜いた。

 

 短剣とは比較にならないほど輝く刃は美しく、辺りを柔らかく照らし出した。

 陰になっている茂みの中からは囁きが聞こえ、それはいつしか教義の詠唱のように木霊し始める。

 

 不気味な詠唱が響く中、声の主たちは徐々に姿を現した。彼らは一様に白い衣を纏い、手に手にナタや斧などを持っている。

 空いた手には紙切れを握り締め、会話をするでも無くただ詠唱の文言を繰り返した。

 

「何だ、効いてはおらぬではないか」

 

 集団が左右に割れ、彼らの背後から一人の老人が進み出て来た。

 他の白装束たちとは異なり、右手には杖を、左手には鐘の形をした鈴を携えている。

 

 ぼうっと青白く光る鈴をエレナスは見逃さなかった。それは神器の剣と同じ色に輝き、暗がりの中まるでカンテラのように辺りを青白く染め上げた。

 

「それは神器……」

 

 エレナスの言葉に老人はにやりと笑った。

 

「教団の敷地に迷い込んだ者がおると聞いて見に来たが、まさか神器を持っていようとはな。術で昏倒させようと思ったが、精霊人が相手では歯が立たぬ」

 

 ぞっとする笑みを見せ、老人は信者たちに命令を下した。ひたすら教義を唱え続ける者たちはエレナスとセレスを取り囲み、それぞれ右手の武器を突きつけた。

 

「我らの司教が神器を欲しておる。人間が苦しみも悲しみも無い上位種となるには、神器が必要なのじゃ」

 

 言葉の意味が理解出来ず、エレナスは眠り続けるセレスをかばうように引き寄せる。

 

「信じられぬか? 人が皆平等であれば、他人と比較する事すらなくなる。押し並べて均一にし、全てを等しくするのが我らが教義」

「平等と神器がどう関係すると言うんだ」

 

 その言葉を待っていたかのように、老人はにこやかに微笑んだ。

 

「人より優れ、力ある者は唯一神だけでなくてはならぬ。人間より優れる亜人種は全て殺し、神の力を秘める神器は教団にて管理するのが最適解じゃ」

 

 老人の言い分にエレナスは動揺した。明らかに正気の沙汰では無い。

 狂気に支配された者たちを相手にした経験はエレナスには無く、また十人以上にも及ぶ包囲網を突破する方法も、すぐには見つけられなかった。

 

 姉ほど熱心に符術の研鑽をしていない彼に出来る事は限られている。

 

 エレナスは懐から素早く術符を引き出すと、早口に古代語を呟いた。

 瞬きよりも速く、エレナスとセレスの姿はその場から掻き消える。

 

 狂信者たちに一瞬の動揺が広がり、教義の詠唱がはたと止んだ。

 それと同時に怒り狂った老人の檄が飛び、鈴の音が響いた。ぼうっと光る鈴は更に鳴り続けたが、すでに人間の耳に感知出来る域を超えている。

 

「探し出せ! まだ遠くには行っておらぬ」

 

 老人の叱咤に、信者たちは慌てて散開した。

 めいめい手探りで捜索する中、エレナスは音を立てないようセレスを担いで場を逃れる。

 

 老人が持つ神器の鈴は、恐らく高振動の音波を発生させる物なのだろう。

 人間の耳では聞き取れないが、亜人種であるエレナスの耳には頭痛を起こさせるほどがんがんと響き渡った。

 

 精霊人や獣人族は人間よりも感覚が優れているが故に、五感に直接影響を与えられると消耗が激しくなる。老人が鈴を携えて来たのは、エレナスにとってあまりにも巡り合せが悪すぎた。

 このままではエレナスに勝ち目は無い。吐き気を堪えながら、彼は突破口を探した。

 

 不意に、鈴の音が鳴り止んだ。

 どさりと何かが落ちる音と共に、老人の絶叫が耳に届く。

 

 見ればそこには蒼い衣装の男が一人いた。

 東アドナ大陸で見られる、ゆったりとした装束に二振りの白刃。その刃は血に濡れ、草の上に落ちた老人の左腕を映し出している。

 銀色に輝く男の髪からは獣のような耳が覗き、彼が今では珍しくなった獣人族である事を物語っている。

 

 痛みにうめく老人は一言、殺せと命じた。その言葉に信者たちは一斉に男へと襲い掛かる。

 揺らめく炎の向こうで、男は鮮やかに刀を振るった。暗闇の中できらめく刀身は月光を反射し、さながら幻燈のようにエレナスの目に映る。

 

 いつの間にか狂信者たちは全て倒され、その場に立っているのは男一人となった。

 エレナスが放った隠匿の術もすでに効力を失い、二人の姿が男の目に触れる。

 

 男はちらりと二人を見たが、何も言わずその場を立ち去った。

 後に残されたのは、うめき声をあげる狂信者たちと神器の鈴だけだった。

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四 ・ 独りじゃない

 

 アレリアから急ぎ帰国したフラスニエルは、ネリアへ戻るやいなや重臣会議を開いた。

 ダルダンとレニレウスがどのように打って出るか判らない今は、迅速に対応する必要に迫られていたからだ。

 

 セトラ将軍を筆頭とした重臣たちは、早速防衛策や物資の補給について意見を交換し合った。

 備蓄が比較的多いために当座は凌げるが、長期に渡ると補給路が断たれて危険であるというのが重臣たちの見解だった。

 

 せわしく指示や意見が飛び交う中、独りクルゴスだけは苦々しい表情でそこにいた。

 彼にとっては王の労いの言葉も思いやりですら、何もかもが気に入らなかったのだ。

 

 フラスニエルの曽祖父時代から仕えるクルゴスは、自らが一番の忠臣と言いはばからなかった。

 周りの臣下はそんなクルゴスに対し、腫れ物に触るような扱いをしていたが、フラスニエルとリザルだけは祖父をいたわるように優しく接していた。

 それだけの恩を受けながらクルゴスは日々増長し、次第に誰も近寄らなくなっていった。

 

 幾日にも渡って会議を重ね、王から意見を求められる事すら無くなったある日、クルゴスは城内の図書室へと入る王を見かけた。

 何気なく図書室の扉へ近付くと、内部からは王と女の話し声が聞こえて来る。

 

 内容までは聞き取れないが、今後についての相談をしているように聞こえる。

 その様子にクルゴスに残っていた最後のタガがはずれた。自分を差し置いて他の者に相談をするなど、到底許せる所業ではなかったのだ。

 

 王はすでに老いた臣下など必要としていないのだろう。ならばどれだけ有用であったか、この身をもって知らしめる他ない。

 そう思ったクルゴスはその夜、誰にも気付かれず城を抜け出した。そしてそのまま、二度と戻る事は無かった。

 

 

 

 アレリアで女王を診てからというもの、シェイローエは独りふさぎ込むようになった。

 女王の左胸にはくっきりと従属の印が浮かび、シェイローエの知識をもってしても、それを解く事が出来なかったのだ。

 

 誰にも心の内を明かせず、エレナスも傍にいない今、彼女はただひたすら悩み続けた。双子の弟がしでかした罪の償いをするには、どうすればよいのか。

 城の図書室を借り、様々な文献を読み漁っても、一向に答えは出なかった。日に日に焦燥感と罪の意識は膨れ上がり、眠りに落ちても大きな闇が彼女を喰らい尽くす夢をみるほどだった。

 

 その日も独り図書室に篭り、今後の動向を模索した。神器の剣はエレナスが所持している上に、短剣まで失っている。まずはエレナスを捜し出すのが先決だろうと彼女は心に決めた。

 これまでシェイローエがシェイルードの術にかからずに逃げ延びて来れたのも、あの短剣があっての話だ。それを失ってしまった今、身を護るすべすら無い。

 

 不意に図書室の扉がノックされ、シェイローエは我に返った。

 開けられた扉からはフラスニエルの姿が見える。

 

 シェイローエの身の上を知ってから、フラスニエルは彼女を気にかけるようになった。

 彼女自身は一国の王が自らするような事では無いと思っていたが、忙しい合間を縫うように様子を見に来るフラスニエルに、次第に打ち解けていく感覚があった。

 

 ――このままここに留まるのはよくない。

 

 シェイローエはそう感じ、思い切って旅立つ旨を伝える事にした。

 

「お加減はいかがですか」

 

 シェイローエが立ち上がろうとするのを制止し、フラスニエルはいつものように屈託無く話しかける。

 彼はまさに臣民に愛される王という言葉が合うだろう。温厚で柔和、そして素直な性格は、誰の目から見ても非の打ち所が無い。

 優しさを弱さだと言う者もいるかもしれないが、その優しさの下に王族として生きる強い意志があるのをシェイローエは知っていた。

 

「傷も塞がって、もう問題無いと医師から言われました。……いつまでもここにお世話になる訳にも参りませんので、すぐにでも弟を捜しに発とうと思っています」

 

 シェイローエの言葉に、フラスニエルはふと表情を曇らせる。

 

「どちらにおいでになるのです?」

「弟と約束したのがレニレウス国の王都ですから、そちらに向かうつもりです」

「それは……出来ません」

 

 フラスニエルは俯きながらそう答えた。

 

「アレリアの王冠が奪われた以上、ネリアはアレリアの盾となり護らなければならない。ダルダンとレニレウスが王冠の不在を知れば、すぐにでも軍を出して来るでしょう。そうなる前に国境を封鎖します」

「では王のお力添えで、わたしがネリアを出た後に国境を封鎖して下さい」

「……最早あの国は、女性が一人で歩けるような所ではありません。どうか思い留まって下さい」

 

 シェイローエは目の前が真っ暗になる感覚に襲われた。

 

「あの子は……エレナスは独りで異国にいるというのに……。わたしだけが安全な場所にいる訳には参りません」

「弟御は独りではありません。リザル従兄上の子息と一緒にいるところを確認しています。今ここで彼らの救出に向かえば、レニレウスに動向を悟られてしまいます」

 

 フラスニエルの説得に、シェイローエはようやく落ち着きを取り戻した。

 青ざめた王の顔を見れば、彼自身すぐさま救出に行きたいのがありありと分かる。

 

 だが王は私情を挟まず、ただ国と臣民のために生きなくてはならない。

 シェイローエはそれを理解し俯いた。

 

「解りました。こうなった以上、わたしはここに残ります。出来る限りのお手伝いをしながら、弟を待つ事にします」

 

 身を硬くし、顔を上げる事も出来ずにシェイローエはそう呟いた。

 震える彼女の手を取り、フラスニエルは自らの手を重ねた。王の手は暖かく、シェイローエは顔を上げて彼の顔を見た。

 

「私も一緒に待ちましょう。あなたも独りじゃない」

 

 その言葉に、シェイローエの頬を一筋の涙が伝わり落ちた。

説明
創作神話を元にした、ダークファンタジー小説です。流血描写あり。10900字。

あらすじ・貴族の城から解放され、見知らぬ森へ放り出されたエレナスとセレス。
そこに現れたのは白い装束を纏った不気味な集団だった。
第三話http://www.tinami.com/view/551992
第五話http://www.tinami.com/view/560201
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オリジナル ファンタジー ダークファンタジー エルフ耳 獣耳 R-15 残酷描写 

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