とある武術の対抗手段《カウンターメジャー》 第一章 脳髄盗取:二
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脳髄盗取:二

 

 警備員《アンチスキル》への状況説明はすぐに終わり、開放された廷兼郎《ていけんろう》は一旦第二学区の訓練施設へ私物を取りに戻り、その後、風紀委員《ジャッジメント》の支部で報告書を作成していた。

「それにしても、まさか死体を見つけてしまうとは、思いもよりませんでしたわ。学園都市では何が起きても不思議ではないとはいえ、ああいうことがあるなんて思いませんでしたわ」

 白井が冗談めかして言っても、廷兼郎は黙ってパソコンをにらみ付けている。やはり先ほどのことが堪えているのだろう。神妙な面持ちをして、報告書の作成もはかどらない様子だ。

 

「警備員から連絡が来ましたよ」

 オペレーターをしていた初春飾利が呼びかけると、廷兼郎はすぐに彼女のパソコンへと向かった。その画面には、被害にあった女子学生のパーソナルデータが映し出されていた。

 名前は公咲明之《こうさきあけの》。中学二年生。十四歳。

 さっと目を通してから、廷兼郎はぐっと目を瞑った。

「死因は何でしたか?」

「はい。脳組織の喪失によるショック死だそうです」

 やはり脳が無くなっていたことに、廷兼郎は難しい顔で頷いた。

「欠損や傷害ではなく、喪失ですの?」

 初春の報告に、白井が疑問を投げかけた。

「はい。大脳皮質や脳幹まで、ごっそり無くなってるって……」

「外傷は……、恐らくありませんわよね」

 現場で被害者の様子を見ていた白井は、諦めるように言った。

「外傷は倒れた際に出来た顔の傷だけだそうです。犯人は、空間移動《テレポート》能力者の可能性が高いそうです」

 外傷が無いと言う事は、外科的な手段で被害者の脳を取り出したわけではないということであり、それを可能とするのは、物体を任意の場所へ転送させる空間移動能力者であるということは、自明の理だろう。

「人間の脳だけを空間移動させるなんて。間違いなく、高レベルの空間移動能力者ですわね」

「白井さん、参考までにお聞きしたいんですが、本当に空間移動能力者にこのような犯行が可能なのでしょうか?」

「本当に、とは、どういうことですの?」

 

「今回のように、脳を体外へ空間移動させるというのは、とてつもないストレスになるんじゃないですか?」

 直接相手の死傷に繋がる能力使用は、良心や常識といった観念に阻害される。それでも無理に行うことは能力者に多大なストレスを与えることになる。場合によっては心的外傷後ストレス障害を患い、その後の能力使用が制限、あるいは不可能となるケースも存在する。

「確かに、ものすごいストレスですわ。私には正直、出来る確信はありません。ですが仮に、そうしたストレスを感じない精神状態なら、可能であるとも考えていますの」

「他人の脳みそを取り出して、平気でいられる精神、か。十中八九、病気ですな」

「ええ。同じ空間移動能力者としては、犯人を早急に拘束して精神病院にブチ込みたくて仕方ありませんわ」

「でもこの事件、警備員の管轄になるから、僕らはもう関われないでしょう」

 廷兼郎の言葉に、白井も勢いを削がれてしまった。

 風紀委員に対して、警備員はその上に位置する。危険な事件や任務の際には、警備員のみで対応するのが常である。これには風紀委員の生徒を危険に晒さないことと、より強大な能力の行使を未然に防ぐという目的がある。

「それが、そうでも無いんです」

「どういうことですの? 初春」

 

「警備員は第二学区から脱走して行方不明になった患者の捜索に当たっているため、それが終了するまでは、第一発見者の字緒さんが所属する第一七七支部の風紀委員が、捜査を行うようにとの要請がありました」

「何だと!?」

 廷兼郎は初春のパソコン画面に映る警備員からの報告書を読み、愕然とした。

「人が一人死んでるんだぞ。そんなに患者が大事なのか? ふざけやがって……」

 捜索が終わるまでの間とはいえ、殺人事件の初動捜査を学生に任せるとはどういう了見か。廷兼郎は無機質な文字の羅列に今にも食って掛からんばかりの敵意を向けていた。

 その脱走した患者、安治並甲佐《あじなみこうさ》がどのような立場の人間か、廷兼郎には分からない。もしかすれば、やんごとない身分を持つVIPなのかもしれないし、一刻も早く見つけねば命に関わる病を患っているのかもしれない。そうした已むに止まれぬ事情があり、警備員も上層部からの指示を受けて仕事をしているだけということは十分に想像できるし、理解もする。

 それでも、廷兼郎はやるせない気持ちでいっぱいだった。

 このような仕打ちは被害者である公咲に対して、あまりにも無情である。

 

「やりましょう。捜査」

 廷兼郎は覚悟を決め、白井と初春に顔を向けた。

 被害にあった公咲の無念は、風紀委員が汲み取る。患者探しで忙しい警備員になど、一指たりとも触れさせはしない。

 その決意を表すように、廷兼郎はぐっと拳を握り締めた。

「警備員が患者を探し出す前に、僕らで犯人を捕まえましょう」

「勿論ですわ。警備員の対応は腹に据えかねますが、正直なところ、渡りに船ですわね」

 白井も握った拳を突き出し、廷兼郎の拳にトンと押し当てた。白井は白井で、同じ空間移動能力者を捕まえたいという意志があるのだろう。

 初春だけは、そんな二人のやり取りを冷めた目で見つめていた。

「もう、女の熱血なんて流行りませんよ」

 カタカタと小気味よくキーボードを叩いて、ひたすらパソコンの操作に集中している。

「初春、ここは空気を読むべきですのよ。一人で斜に構えるのがカッコイイとか言って、和を乱さないでほしいですわね」

「分かりました、分かりましたから、お花いじくるのやめてください!」

 頭の花を取ろうとする白井の手を避けている間も、初春の手はキーボードから離れなかった。

 

「既に事件の概要と警備員からの要請を、支部の風紀委員の皆さんに送信しました。これから方針を決めるため、ミーティングを行うようにも伝えてあります」

「ミーティング? 皆ここに来るんですか?」

「いいえ。そんな必要はありません。何故ならここは学園都市ですから!」

 どうだとばかりに胸を張る初春に、廷兼朗は少し気圧された。

「集まらないなら、どうやって会議するので?」

「携帯端末を利用して、ボイスチャットによる会議を行います」

 初春の説明に、廷兼郎はぐぐぐっと大きく首を傾げた。どんなに頭を回そうと、携帯端末で会議する仕組みが彼には分からなかった。

 そうこうしている間に、廷兼郎が覗き込んだパソコンの画面に、固法美偉《このりみい》の顔が小さなウィンドウで表示された。

「今何人ぐらい集まってるかしら?」

「まだ私たちと固法先輩だけです」

「そう。あと七、八人集まったら始めてしまいましょう」

 そして間を置かず、次々と第一七七支部のメンバーの顔が表示される。その様子に、廷兼朗はこれでもかというほど目を真ん丸く見開いていた。

 

「すごい。これが初春さんの能力だったのか」

「いや、これは能力じゃありませんわよ。パソコンと携帯電話を繋げただけですの」

「だから、そういう能力じゃないんですか?」

 白井は目を細めて、横ではしゃいでいる無邪気な男子高校生を見つめていた。彼のように、最先端科学を驚いてみせる反応は、学園都市に慣れ親しんだ白井にとって新鮮に映った。そして同時に、科学に囲まれた都市における彼の生活が、非常に不安だとも感じた。

「集まったみたいなので、会議を始めますよ。字緒さん、そこのホワイトボードを持ってきてください」

「え? ホワイトボードをですか?」

「はい。このカメラでホワイトボードを映しながら会議をするんです」

 廷兼朗が今までに輪をかけて驚き、本当に映せるのか早く確かめたくて、急いでホワイトボードを移動させた。

「それじゃ字緒さん、進行、お願いします」

「あ、はい。それでは、まず今回の事件と、その後の経緯について確認します」

 おう、だの、はい、だのという声が返ってくるたび、廷兼郎は「ホントに会議が出来てる!」と感動したが、事件に対する責任感でそれを押さえ込んだ。

「既に資料が送られているので省略しますが、私が遭遇した殺人事件の捜査が、警備員ではなく我々第一七七支部の風紀委員に委ねられたということで、その捜査方針を話し合いたいと思います」

 廷兼郎は、巨大なうねりのようなものへと抗う感覚をひしひしと感じながら、会議を進行していった。

 

 会議の結果、固法《このり》率いる数人で被害者の友人知人関係を調べ、白井は他のメンバーと共に殺害現場の引き継ぎを担当し、初春は参加可能な風紀委員のシフト作成や、捜査情報の整理などの裏方を引き受けることになった。

 現場に遭遇した廷兼郎は、一番事件に詳しいとして『脳髄盗取《ブレインスティール》』事件統括本部長なる肩書きを初春から拝命仕ったが、「柄じゃない」の一言でバッサリと返上し、検死結果を確認するついでに、学園都市の医師に質問したいことがあったため、被害者の運ばれた病院へ向かった。

 そして個人的に、事件の調査を風紀委員《ジャッジメント》が担うことになったと、被害者である公咲《こうさき》に面と向かって伝えたかった。

「本部長、勝手に行動されては困ります」

 すっかりその気の初春は、廷兼郎に電話で支部へ戻るよう伝えたが、彼にその気は全く無かった。

「統括するのは初春さんに任せますよ。僕はもう一度、被害者の検死結果を確認してきます」

「確認って、データはもう届いてますよ」

「データだけではなく、直接会って分かることもあると思うんです」

「読心《サイコメトリー》でもするんですか?」

 初春の的外れな言葉に、くすりと廷兼朗が表情を綻ばせた。「そんなところです」と曖昧に返答し、病院へ向かうバスに乗り込んだ。

 

 病院のカウンターに用件を伝えると、カエル顔をした初老の医師が出迎えてくれた。

「君が例の風紀委員さんだね。話は聞いてるよ?」

「はい。よろしくおねがいします」

「うむ。こっちだ」

 薄暗い階段を下りると、検死室に通された。

「親御さんや友人への連絡は?」

「両親には伝えたよ。だが遠地に住んでいてね。電車を乗り継いで、こちらに着くのは夜になるだろうね。そのころには霊安室に移せるだろう。友人との面会も、その後ということになるかな?」

 今ごろ公咲の両親は、仕事を休んで取るものも取りあえず電車に乗り込んだことだろう。嘘であって欲しいと、呪文のように繰り返しながら。

 じくりと胸が痛む。肉親を失くしたことで被る苦しみは、一年ほど前に両親が他界した廷兼郎にとって他人事ではなかった。

 今回の場合は、腹を痛めて生んだ子供が先に亡くなってしまったのだから、世の無情を痛感せずにはいられない。

 程なく通された検死室は、えもいわれぬ匂いが立ち込めていた。強力な洗剤で隅々まで清潔に保っているからこそ、『死』の芳香がこれでもかと浮き彫りにされていた。

 医師が壁に取り付けられた取っ手を引くと、あの女子学生、公咲明之の体がするすると滑り出てきた。

 発見当初よりも血の気が失せているものの、体には傷らしい傷が見られず、死体であると伝えてもらわねば、睡眠中だと誤解しかねない。

「死んでいるとは、とても思えません」

「ああ。とても綺麗だね」

 廷兼郎は公咲の姿を見ていると、おもむろに手を合わせて祈り始めた。

「警備員《アンチスキル》ではなく、風紀委員があなたを殺した犯人の捜査を担当します。非才の身ながら全力で捜査し、必ず犯人を見つけ出しますので、どうか安らかに眠ってください」

 力むあまり、祈りを上げる両手は震えていた。その震えが止まると、廷兼郎は大きく息を吐きながら手を下ろした。

 ようやく伝えるべきことを、伝えるべき相手に伝えられた。ここから本当の意味で、廷兼郎は犯人探しを始めることが出来る。

「先生。検死結果について、もう一度詳しく教えていただけませんか?」

 強い決意を込めた瞳を、医師は笑顔で歓迎した。

「ああ。いいとも。聞きたいことは何でも聞きたまえ」

 公咲の死体を元の場所へ戻し、医師は廷兼郎を資料室に案内した。

 

「まず、直接の死因である脳組織の喪失は、どのように行われたのでしょうか?」

「非常に正確に行われているね。くも膜の内側にある脳組織と脳幹が見事に喪失している。ほぼ即死だろうね?」

 くも膜の内側、大脳皮質や小脳だけを狙いすましたような正確さで体外へ空間移動《テレポート》したらしい。

「このような事例というのは、過去にあるんでしょうか?」

「人体の空間移動は、空間移動《テレポート》能力者にとってはそう難しいことではないと言えるが、今回のように相手を死亡させる意図があったと思われる事例は少ない。そして、脳組織のみを空間移動するというのは、今回が初の事例だね?」

 専門家の意見に、廷兼郎は大きく頷いて納得した。脳を体外に空間移動させるなんて、やはり尋常の事態ではないようだ。

「知り合いの空間移動能力者の方が、仮にこのような犯行を行うとすれば、能力で相手を殺してもかまわないという、ある種の倒錯した精神が必要だと言っていたのです」

「ふむ。確かに、モラルや常識などを無視することが必要だね?」

「能力者がそうした精神状態に陥るには、どんな条件が必要なんでしょうか?」

 医師は口を潤すための緑茶を淹れながら、諭すように説明した。

「能力者とはいえ、人間だよ。常識や良識の観念は一般人と何ら変わらない。生まれつきそのような精神構造をしていたり、トラウマを受けるような体験をしたり、精神的に追い詰められたり、何らかの洗脳を受けたり、精神に影響を与える薬物を服用したりするなど、原因はいくらでもあるね?」

「原因、か」

 

 素人考えを晒すのは恥ずかしいが、そんな体裁など、先ほど誓った決意の前には取るに足らないものだった。

「先生。これは僕の推測なんですが、犯人は彼女を殺したかったのではなく、脳組織が欲しかったのではないでしょうか?」

「なるほど。能力者の脳が目的であり、死亡したのはその過程に過ぎないというわけだね? だとすれば、まさか外の研究機関の仕業かな?」

「それも可能性がありますけど、外の研究機関とか、とにかく能力者について研究したい連中だとしたら、脳を取り出すというのは迂遠な手段だと思います」

 能力者を研究するために脳を取り出す。確かに能力者は自分だけの現実《パーソナルリアリティ》に基づく脳内の演算によって超能力を発揮しているのだから、脳を調べればそれが分かると考えるのは自然である。だからといって、本当に脳を奪うと言うのは、ナンセンスと言うほか無い。

「今回の場合、脳は取り出したが、被害者の体は残っています。つまり現場に証拠を残している。あえて超能力を使って、高い精度で脳組織を取り出す苦労をするよりは、能力者自身を拉致したほうが遥かに容易だと、僕は思います」

「確かにそうだね。ならば、どうして犯人は脳を取り出したんだろうね?」

 ここまでは既に、支部の会議で話された、というよりは廷兼郎が話したことであった。外の研究機関の仕業だというゴシップめいた意見に、廷兼郎はそうして苦言を呈した。

 それでは何故、脳だけが取り出されたのか、という疑問が当然なされたが、それについて廷兼朗からは答えようとしなかった。彼自身、自分なりの推測は持っていたが、それが合ってるかどうかの保障は何処にも無い。そして、敢えて能力者の前で話すことでもないと判断していた。

 能力者のいないこの環境にならないと、廷兼朗は打ち明ける気にならなかった。

説明
東京西部の大部分を占める学園都市では、超能力を開発するための特殊なカリキュラムを実施している。

総人口約230万人。その八割を学生が占める一大教育機構に、一人の男が転入してきた。
男の名は字緒廷兼郎(あざおていけんろう)。彼が学園都市に来た目的は超能力ではなく、武術だった。

科学と魔術と武術が交差するとき、物語は始まる
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