長江は蒼に満ち満ちて ―黄蓋の後日―
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 一人生き残ってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

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 初夏。

 江南の空は、太陽へ届けとばかりに、突き抜けて、蒼い。

 

 その青空の下で、黄蓋こと祭は畦の原っぱに尻を敷き、ぼんやりと地平の向こうを眺めていた。

 南の果てに、入道雲が湧きつつある。

 

「……こりゃ、夕立が来るかも知れんのう」

 

 独り言を言うが、その口調に深刻さは感じられない。降るなら降れということか。

 祭の頭上には空があったが、逆に眼下には田畑が限りなく広がっている。田植えの時期を迎えた水田には全面に水が満ち、まるでよく磨かれた鏡のように空の蒼を映していた。

 

 その水田の平らかな鏡面を、広がる波紋が騒がせた。田に入り、手足をばたつかせている子供がいたのだ。

 

 子供は泥だらけの手を振りつつ、祭へ向けて精一杯の大声で呼ばわる。

 

「かあしゃま!どじょう、どじょうーーッ!」

 

 祭によく似た銀色の髪をもつ幼児は、見るとその手にたしかに沼魚のドジョウを握っている。しかし肌がぬめって逃げ上手な その魚は、乱暴な子供の手からスルスル逃げて、水田の中へと逃げ帰っていくのである。ポチャンと。

 

「あ〜」

 

「ははは、ホレ黄柄きばれ きばれ、沢山獲れたら晩飯は泥鰌鍋じゃぞ!」

 

「うーん!」

 

 黄柄と呼ばれた女の子は、母親の応援に俄然やる気を出して、まだ田植えの行われてない水田をバシャバシャと掻き分け進む。

 生まれて初めての泥や砂の感覚に触れるだけでも楽しいという様子だった。

 

「…やれやれ、偏将軍の娘をわざわざ農地に連れてきてドロ遊びさせるとは、まったく突拍子もない旦那様じゃ」

 

 祭は呆れているのか感心しているかも わからない苦笑を浮かべると、脇に置いてあった竹製の水筒をガプガプあおいだ。酒ではない、中身は牛乳だった。

 

 天下の趨勢を決めた 赤壁の戦いから去ること余年。

 

 かつて呉の猛将と恐れられた黄蓋公覆も、永く続こうとしている平穏の日々に、少し、その烈気を落ち着かせだしている。

 

 今日は久々に休みを貰って、家族揃って遠出の行楽にいそしんでいた。

 時々こういうのが許されるのである。

 あの あちこちに気の多い、今やみんなの共有財産みたいな趣のある旦那様を一人独占し、娘と一緒に家族サービスをしてもらえる特別な日。

 

「あ、おーい!いたいた、祭、こんなところで何やってるんだよ!」

 

 畦道から、麦藁帽子に袖裾まくり、苗入りのザルを小脇に抱えた精悍そうな青年が降りてくる。

 

 いまや呉の丞相となった北郷一刀だった。

 別名『呉の父』、将来を嘱望される名門の子供たちは、そのほとんどが彼と乱世を戦い抜いた英傑たちとの間に授かったものだ。

 そんな彼が、何処から見ても農夫そのものの格好で、

 

「もう、サボらないでくれよ祭。今日は黄柄に農業の大変さを知ってもらうための社会見学だって言ったじゃないか。お母さんの祭が働かなくてどうするんだよ?」

 

「阿呆め、これでもワシは土いじりの大変さは他の小娘どもより理解しておるつもりじゃぞ。そんな大変な仕事を、たまの休みにワザワザやる気になれるかい」

 

 祭はキッパリと言い切る。

 

「それにホレ、黄柄だってドジョウやカエルを追い掛け回しておる方が楽しいようではないか。もうかれこれ一刻は ああしておるが、まったく飽きる気配はないぞえ?」

 

「くっそう、この母子は二人揃って……」

 

 一刀はガックリと、祭のとなりへ腰を下ろした。

 

 将来 呉を背負って立つ自分の娘たちは、よい為政者となるためにも下々の生活をしっかり知ってもらう必要がある。そんな持論を振りかざして一刀は、暇を見つけると我が子たちを母親とともに農地へ連れて行く。

 それは無論 祭と黄柄だけでなく、蓮華と孫登、思春と甘述、穏と陸延なども同じだった。

 彼が生まれた時代より18世紀も昔の古代中国でも、王都で生まれ育っては うっかりしてると都会暮らしに慣れ、自然との触れ合いを失ってしまう。

 それでは民を分け隔てなく愛する名君にはなれない、一刀はそう断言するのだった。

 

「幼少から土に触れさせておかないと、情緒豊かな子には育たないって宮崎駿先生が言ってたしね」

 

「誰じゃ それは?」

 

「どんな文明を作ろうと大地から離れて人は生きていけないってラピュタでも言ってたし」

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「だからソレはなんじゃ?」

 

 祭は苦笑しながら一刀の横顔を眺めた。

 

 彼女を初めとし、呉の主だった女傑にポコポコ子供を生ませてから、一刀は予想外にも大変な教育パパとなった。

 子供たちの健やかな成長のためにも内政に力を注ぎ、教育や治安を向上させて、それだけに飽き足らず黄柄たちがよい子に育つためならと珍策奇策を思いつく。

 祭が今さっき喉を潤した『牛乳』だってそうだ。

 一刀は これが「子供たちの成長にいいから」という理由だけで長城を越えて北伐し、そこの騎馬民族と国交を結んで よい乳を出すウシやヒツジを大量輸入してきたのだ。

 それと一緒に羊毛やラム肉も国内に入り、呉の文化に華やかさを一つ添える結果となる。

 

 そんなこんなで天下二分の計を構成する呉国は 今や黄金期ともいうべき繁栄を迎えていた。

 

「まさか おぬしが、こんな風に呉に影響を与えるようになろうとは、おぬしを拾った当時は夢にも思わなんだがの」

 

 そして祭は再び竹筒に入った牛乳をがぶ飲み。

 

「いや、あんま飲むなよ祭、それは元々黄柄のなんだから」

 

「いいではないか、城でコレを飲むと明命が『祭様!これ以上まだ おっぱいを大きくする気ですか!』と煩いんじゃ」

 

「祭はさ、ホントに牛乳よく飲むよな。……かわりに酒を飲まなくなった」

 

「……今は、飲みすぎても怒るヤツがおらんくなったからの」

 

 祭はポツリと言った。

 

「一緒に飲んで、一緒に酔いつぶれる相手もおらん」

 

 祭と一刀の脳裏に、二人の人物の影が浮かび、そして通り過ぎていった。

 しばし無言。

 二人の座る畦に風が吹き、生い茂る草木を撫でていく。

 

「……のう一刀」

 

「ん?」

 

「穏やかじゃな」

 

「………ああ」

 

 それに対し、あの頃は熱く激しかった。

 亡き主たちと駆け抜けた乱世の激動。初代孫堅に従って いくさの旗揚げをした彼女は、その後を継いだ雪蓮の勇猛、その友である冥琳の智謀を もっとも近い場所から見守り続けてきた。

 

「今でも思い出すときがある、あの時の血を沸かせる熱さ、己がいくさ場を駆け抜ける夢を見、坐臥から飛び起きる朝もある」

 

 彼女の半生は、まったく戦争のためにあるといってもよい。そしてそれは同時に、雪蓮や冥琳のいた孫呉に捧げた半生でもあった。

 しかしその二人は今はいない。

 自分よりも若かったのに、自分を残して、まったく先に逝ってしまったのである。

 

「きっとあの二人は、自分の引き際を知っておったのじゃな」

 

 人間には、己が果たすべき天命がある。

 雪蓮や冥琳は、己が天命を読み取り、それを果たし終えると すみやかに世を去ったのだ。事後のことは蓮華たちが必ず遣り遂げてくれると確信して。

 

「それに比べてワシはしくじったよ、ワシより若い二人が去った今でも こうして生き恥を晒しておる」

 

 彼女の最初の主である孫堅が死に、さらに雪蓮が死に、冥琳が死んだ。

 それなのに自分は生き残っている。なんというタイミングを外した恥さらしなのだろう。

 

 思えば、自分の天命がどこにあったかと問われれば、きっとあの赤壁の戦いにあったのだ。

 孫呉の命運を救うために打った一世一代の大芝居。思えばアレが、祭が生涯で成し遂げた最大最高の仕事だった。

 どうせ いくさ以外に役に立たぬ この身、平和の世に生き残って何になろう。

 ならばいっそ、アレを成し遂げた時、華々しく散ってもよかったのである。

 雪蓮や冥琳と同じように。

 

 あの赤壁の戦いでの、赤く燃え盛る長江が、

 

「ワシの真の死に場所ではなかったと、そう思えてならぬのじゃ………」

 

 ……と、以前 言ったとき。

 

「おぬしは髪を逆立てて怒ったな、一刀」

 

「え?そうだっけ?」

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 いきなり話を振られて一刀 大いに戸惑う。

 

「そうじゃとも、アレは今から三年ほど前であったかな?」

 

 祭はなんだか嬉しそうに回顧した。

 自分は赤壁で天命をまっとうすべきではなかったのか、そう酒の席で語った途端、一緒に飲んでいた一刀が烈火のごとく怒り出した。

 アレだけ激しく叱られたのは祭の人生にもないことだった。冥琳ですら あれだけ怒り狂ったことはなかった。

 かほどの感情を、一刀は祭にぶつけてきたのである。

 

「それだけではないぞ、おぬし、そのままの勢いでワシのことを手篭めにしてくれての」

 

「う…」

 

 一刀はバツが悪そうに呻く。

 

「今思えばはっきり確信できる、ワシが黄柄を授かったのは、まさにあの晩じゃ」

 

「そ、そうなの?」

 

「そうじゃとも」

 

 祭は自信たっぷりに頷いた。

 そして ここぞとばかりに体を傾け、一刀にもたれかかる。

 

「お、おい祭…」

 

「よいではないか、たまには年下の男に甘えさせておくれ」

 

 祭は自分の頬っぺたを一刀の肩に乗せて言った。

 なんだか子供を生んでから、たまに人肌が恋しくなってしょうがない。こうして一刀の肌に触れるのは大変な至福であった。

 しかし ちょうど折り悪しく、下の方からバシャバシャと水音が。

 

「とうしゃま、かあしゃまーッ!」

 

 黄柄が水田を駆け登る足音だった。

 

「フフ、やはり そっとしておいてはくれんの」

 

 祭は苦笑しつつ、一刀の肩から頭を離す。

 

「おおっ、どうした柄?」

 

「どじょう、どじょう!」

 

「おおーッ、これは見事、沢山取ったのう黄柄!」

 

「ホントだ、よく捕まえたもんだな、柄はドジョウ獲り名人だ」

 

「へっへー」

 

 父母に褒められて、黄柄は誇らしげに鼻の頭を擦った。手に付いた泥が移って、そこだけ黒くなる。

 

「ホレホレ顔が汚れておる、黄柄動くなよ、今 母が拭いてやるからの」

 

「ふぁい」

 

 祭が手拭いで娘の顔を力任せにゴシゴシ擦る。あの辺の加減具合、やっぱり祭だなあと一刀は眺めて苦笑するが、黄柄はそれでも母の触れる手を嬉しそうに受け止めるのだった。

 

「よし綺麗になった、黄柄は三国一の別嬪じゃ」

 

「ほんと、ほんと?」

 

「ああ母はウソは言わん。ドジョウもたくさん獲ってきてくれたしの。今宵はこれで泥鰌鍋にし、熱燗でキュウと行くとするか」

 

「え?祭、酒は辞めたんじゃないの?」

 

「阿呆!酒は我が人生の友じゃ!辞めるわけがなかろう!とりわけ今日は一刀が付き合ってくれるんじゃから、久々にいい酒が飲めるわい!」

 

「ああもう、……黄柄、母さんのこういうところマネしちゃ めっ、だからな」

 

「ふぁいー」

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 ―――幽境におわす堅殿、策殿、冥琳よ。

 引き際 鮮やかな ぬしらとは違い、ワシはブザマに生き残ってしまった。

 その報いは思った以上に過酷なものじゃ、ワシは小娘どもに混じって腹を大きくし、年甲斐もなく母親なんてものをやっておる。

 曹魏80万の軍勢より なお手強い我が子に翻弄されながら、それでも多少は上手くやっておるよ。

 

 たしかにワシの天命は、赤壁にあった。

 

 だから いくさを終えて新たに始まったコレは、ワシの新たな天命であるのだろう。

 

 赤く燃え盛る長江は今はなく、その雄大な流れは、水面を静かに蒼く輝かせている。

 

 

 帰り道、一刀がふと呟いた。

 

「……今日は、川の流れが優しいな」

 

「長江のご機嫌を伺えるようになったのなら、おぬしも立派な江南の民じゃ」

 

 家族三人、長江の優しさに包まれながら、今日を歩んでゆく。

 

 終劇

説明
祭りも終わったのにまた性懲りもなく短編載せます。

今回の主役は祭さん、ちなみにギャグなしです、そこを期待の方々はゴメンなさい。

もうここまで来たら呉のキャラ全員の主役の話を書こうかな?とも思ったり
そしたら残るのは明命と穏か…、どうしようかな?
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コメント
gmailさま>ありがとうございます!(のぼり銚子)
呉√は、こういう話が出来るから一番好きな√ですね。穏やかな気持ちになれる良い作品だと思います。(gmail)
andou kiyohiko様>ありがとうございます、励みになるお言葉です!(のぼり銚子)
零壱式軽対選手誘導弾様>感動してもらえるだけで充分ありがたいです!(のぼり銚子)
GJ!!いい話だな・・・(atuantui)
(感動して)何も言えねぇ(零壱式軽対選手誘導弾)
izuruggg様>はい!祭さんですよ!(のぼり銚子)
祭(izuruggg)
ビスカス様>涙を拭いて…!(のぼり銚子)
感動して涙が・・・ToT(ビスカス)
アイン様>頑張ります、これからも頑張ります!(のぼり銚子)
F905i様>穏…、ただいま構想を練ってる最中ですが、どう考えてもエロイ話にしかなりません(汗(のぼり銚子)
G-on様>祭さんらしい…、キャラものを書くときの最高の褒め言葉です!(のぼり銚子)
THE10様>ありがとうございます、でも普段ギャグを書いてる身だと、たまにこういうの書くとむずがゆくてしょうがりあませんw(のぼり銚子)
良かったです!……これからもがんばってください!(アイン)
GJ。まさにこの一言に尽きるでしょう。祭さんらしさが見事に表現された一作だと思います。(G-on)
いいお話でした。こういった後に余韻が残る作品も大好きです。(THE10)
@@様>前の作品が投げっ放しで終わっただけに、ありがたいお言葉です(のぼり銚子)
yosi様>この一刀はかっこよすぎる気もするんです(汗(のぼり銚子)
maaa様>総出演ですかッ?が、がんばります!(のぼり銚子)
水質測量班員様>ホレホレ、もっとワシの魅力に酔ってもいいんじゃぞ、とも言われそうです(のぼり銚子)
回天様>じゃあ次は明命いきます、ハイ (のぼり銚子)
MiTi様>3人だけじゃなく雪蓮や冥琳の存在も欠かせませんね(のぼり銚子)
美鷹鏡羽様>心で感じてお楽しみください(のぼり銚子)
灰猫様>全員…、書く意欲はありますが、…きっとギャグですよ?(のぼり銚子)
超級覇王様>黄家三人家族です、でも城に帰るともっとたくさんいます(のぼり銚子)
ブリューナク様>最後のやり取りは結構頭を絞りました。気に入っていただけてよかったです(のぼり銚子)
ヒギィ様>とてもありがとうございます!(のぼり銚子)
nemesis様>ありがとうございます!(のぼり銚子)
全裸魔術使い様>ありがとうございます(のぼり銚子)
タタリ大佐様>こちらこそ、この作品に暖かさを感じてくれたことを ありがとうございます(のぼり銚子)
きりゅーのすけ様>いえいえ、自分などまだまだでございます、これからも精進いたします(のぼり銚子)
穏やかで良いお話です、お父さん一刀も素敵(yosi)
実にいい話でした。明命と穏、そして総出演も待っています。(maaa)
うむ。おぬしもワシの魅力にやっと気づいたか といわれそうです(水質測量班員)
とても良い作品で、感動しました。個人的には明命の話を見てみたいです。(回天)
祭とその子供、そして一刀…たった3人の登場人物でこれほどの作品を書くとは…見事です!(MiTi)
何とも言葉に出来ないくらい 良い作品でした(美鷹鏡羽)
これは全員分書いていただけるものと期待させてくださいw(猫)
3人の姿が鮮明に頭に浮かんできます。こういうの良いなぁ〜(超級覇王)
とても穏やかな気持ちになりました。最後のやり取りにぐっときました。(ブリューナク)
とても感動しました(ヒギィ)
感動した(nemesis)
御見事(全裸魔術使い)
ああ、良いなぁ…しんみりくる内容だけじゃなくてそれをうまく文章で表現できてます。とても温かい作品をありがとうございました。(タタリ大佐)
こーゆー文章を書ける人を、私は尊敬します。・・・良かったです!(きりゅーのすけ)
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