- Trauma -
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 昔から僕は蠅と蛆が大っ嫌いだった。

 

 いや、好きなやつなんて学者とか物好きなヤツ以外いないだろう。何なんだあれは、腐肉や汚物に群がり、いやらしく前足を擦り合わせて摂食を行う。時にはそこに卵を産みつけ、孵化した蛆虫がぬめぬめと粘膜に塗れたその体を這い回す――ああ、想像しただけで吐き気がする。

 

 その嫌悪が殊更強くなったのは小学四年の時だ。叔父に誘われて海に行き、潮風の心地良さに走り回っていた俺は、砂浜に埋もれたようにある、黒ずんだぼろ雑巾のようなものを見つけた。子供心を刺激されてそれに興味を持った俺は思い切り握り締めた。

 

「ひっ――! うわああぁぁああああぁああああぁぁ――っ!!」

 

 ぼろ雑巾だと思っていたものは粘着質な音と感触を発しながらぼろぼろと崩れ、どろりと白濁の液体が溢れる。その中で身をくねらせる白い芋虫のような物体が無数に姿を現す。

 

 その気味の悪い光景に叫び、慌てて手を離す。砂浜に崩れ落ちる腐肉の塊から次々と湧き出る蛆虫が汚らわしく蠢いている。

 

 直接触ったせいで手には腐臭が染み付き、鼻に触れた途端に勢いよく胃の中の物をぶち撒ける。呼吸を荒げながら海水で清めるが、どんなに擦って臭いが落ちたと思っても生々しい感触は消えず、それを思い出しただけで臭いも甦り、何回も吐き戻しを繰り返した。

 

 いっそ意識が途切れればいいのにと苦しんでいる俺の視界の端にはどこから腐敗臭を嗅ぎつけたのか、一匹、また一匹と背筋の凍る羽音を立てながら蝿が“ぼろ雑巾”へと群がっていく。残った体力を振り絞り、俺はその場から逃げた……。

 

 その経験から当時は酷いトラウマとなり、蝿一匹見かけただけでその時の記憶と握り締めた感触と臭いが甦り、気を緩めたら戻してしまうということを何回かあり、学生生活にも支障を及ぼしてしまった。

 

 精神科の先生によるカウンセリングと精神安定剤を服用したおかげで一月ほど経つ頃には身体を強張らせる程度に落ち着き、その状態で今に至る。

 

  ○

 

 ──夢を見た。

 

 夢の中の俺は休日で仕事に追われることから解放されて睡眠を貪ったり適当にテレビを見たりと、自由に過ごしていた。

 

 かさ……。

 

「?」

 

 部屋の隅から聞こえた音に首を傾げる。何だろう……音のしたところを覗いてみるが虫の姿もなく、変わったところもない。気のせいかと思った時、再び音が今度は反対側から聞こえる。多少の苛立ちを覚えながら今度は周辺を含めて徹底的に探ってみるが、音の正体を突き止めることはできなかった。

 

 ただ、床の一部に濡れた部分があり、指で掬ってみると粘着性があり、太い糸を引いた。薄気味が悪くなった俺はティッシュでそれを拭い、液体に触れた指も入念に洗う。けれど不快感は消えず、もしかしたらこの部屋には『何か』がいるんじゃないかとありもしない幻想が頭の中に広がり、そんな馬鹿なことがあるかと頭を振る。

 

 ぐじゅ……。

 

「――っ!」

 

 見えないところからまた音が聞こえてくる。けれど、それは先程とは違う、まるで粘液に塗れた身体を蠢かせているかのような、そんな音が耳朶を打つ。変な虫でも入り込んだのか、正体のわからないものに胃をむかむかさせながら殺虫剤を片手に俺は部屋の中央に立ち気配を探る。こんなもののためにせっかくの休日を無駄にして堪るか。

 

 にちゃぁ……ぐ、じゅ……。

 

 音のするほうに片っ端から殺虫剤を振り撒く。もうもうと立ち込める薬煙に息苦しくなりながらそれでも撒き続ける。やがて薬は尽き、部屋中を満たしていた煙も次第に晴れていく。

 

「はぁ、はぁ……あ……はは、あはははは……」

 

 肩で息をしながら辺りを見回す。音は聞こえない。やっと静かになった。そう思うと笑いが込み上げてきた。ふと、視界の端に小さなものが映り、目をやる。醜く太った白濁した芋虫のような生き物が数匹纏った死骸となってそこにあった。

 

 薄気味悪いそれに顔を歪ませ、ティッシュを使いそれらを摘み取る。重ねているとはいえ薄紙越しから伝わる感触は柔らかくそれがより一層不快感を煽る。思わず力を入れてしまい、醜い蛆虫の身体は潰れ、体液がティッシュと指を汚す。

 

「ひっ――」

 

 耐え切れず、潰れた蛆虫を取り落とした俺の思考は今すぐに汚れてしまった手を綺麗にしなければいけないという思考に埋め尽くされていた。けれど洗っても洗っても不快感は拭えず、苛立ちは次第に恐怖へと変わっていく。

 

 ぶぢゅ……。

 

 その折に聞こえた音に緊張の糸が切れ、涙が一気に溢れ出る。

 

「い、嫌だ……来るな、来るな来るな来るな――っ!」

 

 くちゅり……ぐ、じゅぅ……。

 

 耳を塞ぎ頭を振るが、粘着いた音は消えず、それどころかあちらこちらから増えて俺を追い込んでいく。少しずつ俺に近づいてくるたくさんの気配。音の大きさから一つ一つは小さいものだと判断するが、それが何なのか確かめるために目を開いたら俺の中で何かが終わるだろう。

 

「ひぃっ!」

 

 近づいてくるもの、その一つが足先に触れる。ぬるっとした液体とその先にあるぶよぶよと膨らんだ感触に全身の毛穴が開き、脂汗が噴き出す。

 

「ひっ、ひひ……止め、止めろ……」

 

 引きつった声を上げるが、群がる『それら』は足や床についた手からどんどんと俺の身体を這い上がってくる。恐怖で立ち上がることはできず、股間から暖かい液体が床に広がっていく。

 

 じゅぐ、りぃぃ……。

 

 とうとう我慢の限界に達し、開けまいとキツく閉じていた目蓋を開く。

 

「うっ――! あ、あぁ、ああ……」

 

 その瞬間、卵の腐ったような臭いが一気に鼻をつく。異臭に顰めながら見下ろし、その光景に言葉を失う。全身の到るところを這い回る蛆虫によって粘液に塗れ、皮膚を啄まれて知らぬ間に血液の流れ出る自分の姿を認めたと同時、俺は意識を手放した……。

 

 …………

 ………………

 ……………………

 

 目が覚めた俺は真っ直ぐに洗面所に向かい、胃に残ったものを全て吐き戻した。全部出しても吐き気は収まらず、黄色く濁った胃液も限界まで出した。ようやく収まった頃には洗面所はつんと、酸っぱい臭いで満たされ、その臭いが再び胃を刺激しだしたため、慌てて逃げた俺は台所で蛇口から流れる水をそのまま口に運ぶ。

 

「ぐ、ぁ――げほ……っつ……! はぁ、はぁ……う、ぐぅ……」

 

 涙や鼻水に塗れた顔も洗い、ようやく息を整えることができたが、また切っ掛けさえあれば今と同じようなことになるのではないかと漠然と感じ取っていた。

 

 できれば今日は仕事に行かずに家で大人しくしていたかったが、他の社員に迷惑は掛けられない。それに都合良く明日が休みになっているから今日のうちに病院に予約を取って職場で戻さないように気をつければいい。

 

 そう自分に言い聞かせて何とかその日を過ごし終えた俺は翌日、病院の内科医に幼少時の出来事と昨日の吐き戻したことを伝えた。

 

 当初は疲労によるストレスが過去の出来事と混ざり合ったことからの不調かも知れないと三日後に胃カメラによる検査を行うので、これから約一週間の間は念のために仕事を休むようにと先生に診断された俺は、この不況下で休みを取ってしまうことに申し訳ないと思いながら会社に電話を入れる。

 

 上司に状況を説明すると、声音は優しく、心配しているようにも聞こえるが、返ってきた言葉は無慈悲なものだ。要約すると『残っている有給を全て消化、それがなくなり次第クビにするから』『この仕事が合わないから体調を崩したんじゃないか? なら回復しても同じことになるかもしれないからこの機会に違う仕事を探せ』というものだった。

 

 通話が終了した携帯電話の真っ暗な画面を見つめながら、このまま死んでしまえたら楽なのにと絶望に打ちひしがれる。

 

 けれど、そんな望みを実現するような強い意志のない俺はテレビに映るバラエティー番組に虚ろな視線を向けて時間を潰していた。現金なもので数時間前までは死にたいなんて思っていたのに、空腹に耐え切れなくなった俺はカップ麺を食べてわずかに満たされた幸福感を楽しんでいた。どん底まで沈んでいた思考もまともに働くようになり、今後のためにも今は早く治るように安静にし、求人誌を買って次の仕事を探そうとできる限り前向きに考え続けた。

 

 ……けれど、立ち直ろうとしていた俺を嘲笑うかのように現実は甘くはなかった。

 

 検査が行われるまでの三日間、安定剤を飲みながら動けそうな時は散歩に出て前述のとおりコンビニで求人誌を買いに行ったりと無理せずに過ごそうと思っていた。だが、安定剤の副作用が想像していたよりもかなりキツく、服用後は思考がぼんやりとなる上、身体は重く、外に出ようと試みるも太陽の光を浴びただけで気分が悪くなり部屋に引き篭もる。気付けば一昼夜を布団から一歩も出ずに過ごしてしまった。

 

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 そして、悪夢は再び訪れる。

 

 夜、寝苦しさに襲われた俺は目が覚め、中途半端な睡眠で頭痛に顔を顰める。水でも飲もう……気分転換をしようと身体を起こそうとしたところで初めて異常に気づく。首から下にかけて、動かそうとするがまるで石像にでもなったとでもいうかのように指一本わずかも動かすことができなかった。心なしか呼吸も上手くできないのか、酸素が得られず先とは違う頭痛に苛まれる。

 

 助けを求める声を出そうにも必死になって溢れる言葉もか細い。それに一人暮らしだから誰かが異変に気付いて様子を見ることもない。静かな空間で俺は必死にもがいていた。

 

 そんな俺のところにぶぅぅん……と一匹の蝿が現れた。息を呑む俺の周囲を旋回し、様子を窺っている。しばらく飛び続けていた蝿は、俺が追い払うことをしないことに気づいたのか右手首にぴとりと止まる。瞬間、右手から脳へと不快感が伝わり、すぐに全身へと広がっていく。動くことができないとはいえ、身体の感覚は残っている。毛に覆われた足で右腕をかさかさと這い回るため、その度に背筋に冷たいものが走り、気持ち悪さに涙が溢れる。そんな俺を嘲笑うかのように二匹が現れ、狙ったかのように腰元の素肌の部分に止まる。手首とは違ったおぞましさに声にならない叫びを上げる。抵抗されないことを知ってか知らずか、二匹目の蝿はそのままシャツの中に潜り、真っ直ぐにへその穴へと入っていく。窪みの中にすっぽりと納まった蝿の足や翅がシワをなぞり、その感触に意識が危うくなるが、ぎりぎりのところで踏み止まってしまう。

 

 この悪夢から解放されるチャンスを失った俺はぶぶぶ……、と小さく嗤う蝿に身体を弄られる。気がつけば二匹だった奴らは十数匹になり、手足や脇の下、耳の中だけでなく、恐怖で縮こまった男性器の先端、その割れ目に小さな身体が潜り込み、短く尖った触角や口吻を擦りつけられる。堪らず胃から逆流したものを吐くが、それすらも奴らに取っては餌と見なされるためか、全身を蹂躙していた蝿共はいっせいに俺の口の中へと飛び込んできた。胃液に塗れた歯肉に口吻を押しつけ、じゅるじゅると吸いつく音、消化しきれなかった食物が引っかかった歯と歯の間をじゃり、じゃりと、擦るおぞましい音が直に伝わってくる。

 

 もっと食させろと、口腔よりもさらに奥に侵入され、食道や肺の中、胃の中を掻き回される。呼吸が遮られた俺はひゅーひゅーと喘ぐが戻らず、徐々に視界が暗転する中、意識が落ちる最後の一瞬まで体内を侵す蝿の感触が生々しく感じ続けられた。

 

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「…………」

 

 眠り過ぎで痛む頭を抑えながら、布団から這い出て洗面台に立つ。鏡に映るのはたったの一晩なのに目は虚ろでげっそりとしている。まだ三十歳にもなっていないが、その姿は五、六十歳にも見えた。

 

 こんな調子が今日明日まで続くのかと思い、気分が再び沈み込んでいく。しばらくするとマナーモードにしっぱなしだった携帯がぶるぶると震え、着信を告げた。重い身体を起こして画面を開くと、交際している彼女から返事が来ないことに心配しているメールだった。履歴を見ると確かに昨日の夜からほんの十分前までいくつか電話やメールが来ていた。薬で感覚が鈍っていたから気づかなかったんだな……。

 

 電話をするとすぐに繋がり、受話器の向こうから今まで繋がらなかったことを心配してか捲くし立てる声が耳朶を打つ。気遣ってくれる彼女には申し訳ないが疲弊した身体には大切な彼女の声も煩わしいため、早く会話を切るためにただただ謝る。けれど、自分が納得するまで徹底的に追及する性格の彼女の追求の言葉はまだ終わりそうにない。それは今の俺にとって優しさではなくストレスを与える騒音でしかなかった。

 

 ――これ以上……俺に話しかけないでくれ……っ!

 

 傷つけたくないという俺の意志は、けれど何も知らない彼女の善意からの言葉によって削られていく。そして――、

 

「――さい……」

 

 俺のぽつりと漏らした言葉に電話口の彼女から問いかける言葉が返る。

 

「五月蝿いって言ってんだよ!! さっきから体調崩して寝込んでたって言ってただろ! なのに……何なんだよお前は……俺を気遣ってくれるんならこれ以上話しかけんなよ!!」

 

 今まで発したことのない罵倒の言葉。それをよりにもよって大切な彼女に吐いた俺は勢いのままに携帯電話を壁に投げつける。

 

 息を荒げながら音のない携帯電話を睨みつける。しん、と静まり返る室内で俺は自己嫌悪も含めたイライラで頭を抱える。何も知らない彼女を一方的に傷つけて……。

 

 それから彼女からの電話やメールはなく、俺もどう謝ればいいのかわからなず掛けることはなかった。

 

 そして、三日目。今日を乗り越えれば病院での検査が行われ、今よりマシな状態にしてくれるだろう。だから、どんなに吐き戻しても耐えるんだ。そう自分に言い聞かせながら過ごしていく一分一秒が、これまでの人生の中で一番長く感じられる。最低限のものを口にして後は布団の中で過ごそうと思ったが用を足しに起き上がったり、汗や脂の不快感に耐え切れずにシャワーを浴びたりと、ろくに栄養の摂れてない状態で重い身体を動かすものだから、シャワーから出た時には視界はテレビの砂嵐のようにざらつきながらぐらぐらと揺れる。加え、壁についた手や床を踏みしめる足の感覚も鈍く、現実なのか夢なのかぐちゃぐちゃだ。

 

「ぁ──は、っ……うぅ…………くそ……!」

 

 熱でもあるのかもしれない。ふわふわとしながらも重いという奇妙な感覚の身体を無理矢理に動かし、頼りない足取りでベッドに向かって歩いていたが、ぐぎっと嫌な音がしたと同時にバランスを崩し、抵抗する間もなく床に倒れ込んだ。

 

「つぅ……い、ってぇ…………」

 

 思いっきり打ちつけたせいで全身が悲鳴を上げるが、転げ回るほどの気力がない。起き上がるのも面倒くさく思い、天井を仰ぎ見て体力の回復を図る。

 

 何やってんだろうな俺……。

 

 ほんの一週間前までは何の問題なく普通に過ごせていた。身体を壊し、職を失い、あまつさえ恋人も失って……。ああ、駄目だ。こんなことばっか考えてたら何にもできなくなっちまう。ネガティブな思考が次々と湧き、その度にそれを振り払って自分を保つ。そうしてある程度気分が落ち着いたのを確認し、立ち上がる。

 

 ぶぢゅり――。

 

 身体を支えるためについた壁、けれど、壁と手の間に柔らかいものがありそれを今俺は潰した。今までに感じたことのない感触だが、それは一瞬で俺の思考を奪い去るほどに気色悪いものだった。

 

 得体の知れない恐怖に歯がガチガチと噛み合う。荒れる息を無理やりに整え、ゆっくりと壁から手を離す。ねちゃぁ……、とどろどろとした半透明の液体が糸を引く。その中に混じり、液体よりもやや白に近い小さな物体がぴくぴくと震えるものがあった。

 

「ひぃ――っ!」

 

 何でこんな“モノ”がいるんだ!?

 

 目の前の異物に混乱する俺の視界の端にチラリと何かが動く。

 

「違う……あり、えない、ありえないありえないありえない――!!」

 

 夢じゃない、これは現実だ。あんなことが実際に起こるわけがない。早鐘を打つ胸を抑えながら油の切れた人形のようにぎこちなく辺りを見回す。

 

 ──ハンガーに掛けているジャケットの不自然に膨らんだ胸ポケットで蠢く“何か”。

 

 ──天井の蛍光灯の熱に焦げ、異臭を放ちながらぼとりぼとりと落ちてくる塊。

 

 ──机に広げられたノートの上を這い回る“白い文字”。

 

 ──カサ、カサとごみ箱の中の生ゴミを漁る無数の物音。

 

 ──披露と恐怖で湧き出る汗でへばりついたシャツと肌の間でもぞもぞと動く――蛆虫の群れ。

 

「ぎゃぁぁあああぁぁあああああああぁぁあぁああ――っ!!」

 

 夢では到底ありえない感触の生々しさが脳が認識したと同時、絶叫が迸る。ぶよぶよとした蛆虫たちから逃れるために服を慌てて脱ごうとするが恐慌状態に陥った俺は勢いのあまり床に倒れこんでしまう。

 

 ぶちゅ――ぐ、じゅ……。

 

 服と肌の間で潰れるいくつもの音、ぬるぬるとした液体が肌に触れ、それは俺の正気を一気に削り取っていく。

 

「ひ、ぎぃ……っ!!」

 

 ──気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い来るな来るな気持ち悪い寄ルな来ルナ気持ち悪い気持ち悪イ触るな触るな触ルナ触るな気持ち悪い気持チ悪イ来るナ来ルナ来ルナ――ッ!!

 

 胃の中のものが一気に込み上げ、床に内容物をぶちまける。咳き込みながら顔を上げると、尋常じゃない数の“蛆虫”と“蝿”が部屋を満たしていた。這い回る“蛆虫”はビデオを早送りしているかのように、あっという間に“蝿”へと成長する。蝿共はゴミ箱やトイレへと飛び、そこで何かを行う。次の瞬間にはそこから蝿が群れとなって溢れ出て、その繰り返しで部屋が黒と白の二色に染まっていく。

 

 羽音と粘液の音に脳髄を犯され、揺れる視界の中で玄関に目を向けるが、すでに蛆虫と蝿が扉全体に群がっていた。粘液塗れのドアノブを握ることを想像しただけで嘔吐感に襲われる。慌てて思考を振り払った俺は他に何かないかと辺りを見回し、台所に目がいく。茶碗に調理器具、調味料それらの中で調理用の油に目が止まる。

 

 ――こいつら全部燃やしてしまえばこの苦しみから逃れられる。

 

 それがどういう結果に繋がるか今の俺に考える余裕はない。ただただ目の前の害虫を駆除しなければならないという本能に従い、コンロに火を点ける。コンロ上にいた蛆虫はすぐに焼け、胸糞の悪い臭いを発する。それに耐えながら手にした新聞紙やチラシなどを燃やし、布団や書棚、燃えやすい場所にばら撒く。最初は火の勢いが弱かったが、重ねて投下することで徐々に強まり、白と黒の世界をだんだんと深紅が舐め回していく。

 

 熱にやられ、動きを止めていく虫たちを炎が包み込んでいく。その光景を前に心が安らいでいくのを感じ、恐怖で支配されていた身体から力が抜ける。床にへたり込む俺の周りも火に囲まれるが熱さも痛みも感じない。ここにきて俺は現実だと思っていたこれらは夢の世界なんだと認識した。

 

 そうだ。さっきは焦っていたけど、現実に部屋中に虫が溢れかえるなんてありえないだろう。それに夢じゃなければ今俺の身体を包んでいく炎もこんなに心地良いはずがない。

 

 目を閉じよう。そうして次に目を開けた時にはもう蝿や蛆に対する恐怖心はなくなってるだろう。さっきまでの精神的な疲労が溜まっていたのか、意識はすぐに霧散し暗闇に溶けていった。

 

説明
以前に、小学校の時の経験を元に書いた作品を書き直したもの。いやぁ、当時の自分病んでたなぁー(笑)
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