境界線は38度
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境界線は38度

                           

 

 

 

 

 春が遅い。ここ、雛見沢ではいまだ名残りの冬が舞う。

 TVでは桜前線がわき目も振らずに北上中だという。今は秋田や盛岡のあたりだそうだ。

 雛見沢を取り残して、春は北へと向かう。

 

 

 

「沙都子」と便箋に書き物をしながら梨花が言った。

「今日は沙都子が買い物の番なのですよ。ボクはお雑炊が食べたいのです」

 

 ああ、そうだった。今日は学校が休みだから忘れかけていた。せっかくだから買い物は早めに済ませて、裏山の探索にでも向かおう、と考える。

 

「沙都子、買い物はいつも通り興宮なのですね? なら、ついでにこれも買ってきてほしいのです」

 

 梨花が私に紙片を渡す。相変わらずちゃっかりしていますわね、と私は苦笑する。梨花ならば雛見沢で買い物をしてもオマケしてもらえるからいいが、私の場合はそうはいかない。わざわざ興宮のスーパーまで出向いて、安売りを狙わなければならない。そんな時、梨花は私に買い物を頼むことがある。まぁ、手間は一緒だ。

 

 私は紙片を確認する。

「えーと……あれと、これと……常備薬の風邪薬に……栄養ドリンク? なんですの、これ?」

 

 私の問いには答えず、梨花は今まで書いていた便箋を切り取り、丁寧に折りたたむと封筒に入れた。

「それとこの手紙を、帰りに圭一に直接手渡してきて欲しいのです。いいですか、必ず、圭一に手渡しするのですよ」

 

「はぁ」と我ながら気の抜けた返事をする。内緒の用事があるなら、明日学校で直接言えば済むことなのに。遠回りになるが、まぁ、いいか。

 1時のニュースの声を聞きながら、私は家を出た。

 休日に圭一さんに会えるのが、少しだけ、嬉しい。

 

 

 

 興宮で買い物を済ませた私は、前原屋敷こと圭一さんの家へ向かう。ぬかるんだ遅い春の泥道が何度も自転車の足をすくうが、私は持ち前のバランス感覚でそれを乗り切る。何せ買い物の荷物の中には卵が入っているのだ。コケたら色々な意味でタダではすまない。

恨みますわよ、梨花。

 

 四苦八苦しながら圭一さんの家の前までたどり着く。

「……相変わらず広いお家ですわねぇ……」

 

 門から玄関までの敷地の中に、一体何人の私と梨花が住めるのだろうか、とつまらない空想をする。失礼して、玄関の前まで自転車で行こう。

 

 チャイムを押す前はいつだって緊張する。まぁ、梨花から託された手紙を渡すだけなのだから緊張する必要はないのだが、圭一さんの機嫌がいいのならそれに越したことはない。機嫌が悪いと、いつも通りの売り言葉に買い言葉になってしまう。まぁ、半分は私が悪いというのは自覚している。

 でも、残りの半分は絶対に圭一さんに非がある。

 ありゃ、想像の中でも口ゲンカですわ。

 

 チャイムを押しても、インターフォンから返事はない。三度押しても返事はない。

 

「やれやれ、ご不在ですわ」

 かなりがっかりしたような、少し安心したような気分で自転車に戻ろうとすると。

 

 ――インターフォンから圭一さんのうめき声が聞こえた。

 

「け、圭一さん? 北条です。北条沙都子です!どうかなさいましたか?」

 

「……あー、さとこかぁ。今、あけるぅ」

 

 地を這うような声の後、地獄の扉めいた重々しく分厚いドアが開く。

 

 そこには。

 

「ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!」

 もしかしたら私は声を上げていたかもしれない。

 玄関には、かつて圭一さんだったかもしれないモノが薄ぼんやりと立っていた。

 うつろな眼差し。異常なまでに赤い顔。ぼさぼさの髪とぐしゃぐしゃに寝乱れたパジャマ。かたっぽだけ突っかけたスリッパ。

 はっきり言って、一瞬引いた。

 

「……あー。さとこぉ。どーしたぁ」

 

「どうしたはこっちの台詞です! 圭一さんこそどうなさったんですか!」

 

 見れば分かる。風邪だ。いつもの、はつらつとした、あの無駄なまでにはつらつとした圭一さんではなく、熱に浮かされた病人がふらふらと視線をさ迷わせている。

 

「……あー、ゆうべから具合悪くてなぁー……両親、今いねーし……」

 

「昨夜、って。お、お熱は?」

 

「……38度こしてるぅ」

 

「阿呆ですか圭一さんは! さっさと布団にお戻りくださいまし!」

 

「……いや、今メシ食ってたし」

 

「お食事って……何をお召し上がりに……?」

 

「……かっぷらーめん」

 

 ああああああああああ、これだから男の方はぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!

 

「とりあえず、お部屋に戻ってくださいまし!お食事はわたくしが作ります!」

 キレそうになる自分を必死で抑えながら、自転車へ向かう。かごの中にはちょうどいいことに、病人向けの食材がたんと、ある。

 

 

 

 ぐずる圭一さんをいつもの倍の剣幕で怒鳴り散らして部屋に追いやり、私は勝手知ったるキッチンへと向かう。

 テーブルの上には、冷めてのびきったとんこつ味のカップラーメンが所在なげにうずくまっている。そりゃ熱のある身体にこってりとんこつ味はキツかろう。

 雑炊の材料を多めに買っておいて良かった。雑炊を食べてもらったら、買ってきた風邪薬もある。栄養ドリンクも飲んでもらえば、少しは……

 そこで、ふと気付く。

 あまりに、あまりに都合良すぎはしないか?

 なぜ、梨花はわざわざ興宮で風邪薬を買わせたのか?

 なぜ、梨花は普段飲まない栄養ドリンクを頼んだのか?

 なぜ、梨花は今日に限って雑炊を食べたいと言い出したのか?

 なぜ、梨花は……

 

 いや、悩むのも考えるのも後だ。

 今、なすべきことは圭一さんの食事を作ること。

 私は猛然と長ネギと生姜を刻み始める。

 

 

 

「あー……うまい。うまかった」

 

 出来上がった雑炊を圭一さんの部屋に運び込んでから10分も経っていない。よほどお腹を空かせていたのだろう。

 さて、次は……

「お薬と栄養ドリンクを飲んだら、パジャマを着替えてくださいな! あ、下着も替えてくださいましね!」

 

「いやん、えっち」

 

「莫迦言ってないでさっさとお着替えなさいませ! そしてさっさと寝るがいいですわ!」

 ああ、どうして圭一さんといい、にーにーといい、私の身近な殿方は生活能力が希薄な方ばかりなのでしょう……

 

 

 

 洗濯を済ませたあと、ふと、梨花から託された手紙を思い出した。手紙を持って圭一さんの部屋へ行く。そっとドアを開けたつもりだったが、どうやら圭一さんは目を覚ましてしまったようだ。

 

「ああ、すまんな、沙都子。かなり楽になった気が、する」

 薬を飲んで少し寝たせいだろうか。多少は元気が出たようだが、顔色はまだ病人のそれだ。熱が下がらないのだろう。

 

「梨花からの手紙ですわ」と封筒を差し出す。

 圭一さんは最初はぼんやりと、しかしだんだんと真面目な表情になりながら文面を読んでいる。

 

「あは、は。あはははは。まったく梨花ちゃんにはかなわないなぁ。沙都子、これ読んでみろよ」

 不審な気持ちで手紙を受け取ると、私も目を通す。そこには丁寧で几帳面な梨花の文字が踊っていた。

 

 

 

 圭一へ。

 今ごろ、風邪で苦しんでいると思うのです。ボクは圭一のことだから、「心配かけるのは嫌だ」と魅ぃにもレナにも連絡していないと思うのです(このバカタレが!)

 ボクはこんな時こそ仲間を頼るべきだと思うのです。

 だから独断で沙都子を派遣します。夕方までメイド代わりにこき使うのです。

 ただし、メイドさんに手を触れてはいけないのですよ。にぱ〜☆

                                梨花

 

 

 

 絶句した。文字通り絶句した。

 なぜ、梨花が圭一さんの病気を知っていたのか、なぜ圭一さんのご両親が不在なのを知っているのか。もうそんなことはどうでもいい!

 恨みますわよぉぉぉぉぉぉぉぉ!

 りぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!

 

「すまんな、メイドさん。夕方まで頼むよ。俺、また寝るから」

 圭一さんが苦笑する。

 ああ、やりますとも、家事全般なんだってやりますとも!夕方まで圭一さん専属メイドさんの覚悟ですわ!

 ちょっと浮かれている自分が可愛い。

 

 

 

 なぜ男の方が一人でいると、こんなに部屋が散らかるのか。世界七不思議のひとつに数えてもいい、と私は思う。

 夕食の仕度まで終えるともう夕方である。せっかくの休みが家事に追われて終わってしまった。が、不思議と充実感はある。

 ふう、と一息つくと、圭一さんがダイニングに姿を見せた。

 

「ああ、圭一さん。お水なら持っていきますのに」

 

「あ、いや。そうじゃないんだ。沙都子」

 圭一さんはソファに座り込むとぼそりと言った。

「今日はすまなかった。せっかくの休みにすまなかった。ありがとう。今度、礼はする」

 

 素直に驚く。

 あの強気でいぢわるで、いつも私をからかってばかりいて、いつだって不敵で。

 その圭一さんが素直に、いや、弱気になっている。

 熱が下がらないのだろう。

 私は両手でそっと圭一さんの頬に触れる。まだ熱い。38度の熱。

 

「おいおい。俺はメイドさんに手を触れちゃいけないんじゃなかったのか」

 

「その通りですわ。でもわたくしが圭一さんに触れるぶんには構いませんですのよ」

 

「あ……手が冷たくて……気持ちいい」

 圭一さんの瞳が遠く潤んでいる。

 

 私は。

 私はなぜこんなことをしたのだろう。

 気が付けば、圭一さんの頭を私の胸に預けさせていた。

 

「お、おい、沙……」

 

「病人はお静かに」

 自分でもそう言うのが精一杯だった。

 

 

 

 ――愛おしかった。

 多分、恋とかそんなんじゃぁない。にーにーとして、でもない。

 ただ、ぼんやりと陽炎のような、初めて見る儚い圭一さんが――寂しくて愛おしかった。

 ただそれだけ。

 まだ幼くて薄い私の胸でも、弱気な圭一さんが安らぐことができるのなら……

 ただそれだけ。

 

 それは一年後か、数年後になるのか。

 それともただ、たまさか今一瞬の出来事でしかないのか。

 私が泣きそうな圭一さんを抱きとめることができるのなら。

 私の胸で抱きとめることができるのなら。

 そして。

 それで弱気な圭一さんが楽になるのならば。

 それで弱気な圭一さんの元気が出るのならば。

 

 私はこのひとのそばにいたい、と思ってもいいのかもしれない。

 

「もう少し……もう少しだけ、このままで、いいか、沙都子……」

 圭一さんが言う。

 私は黙っている。

 私は黙って圭一さんの頭を抱いている。力を込めて抱いている。

 夕暮れ。長い影。胸に刻む疼痛。

 儚い圭一さん。

 38度の熱が見せる、私の夢想。

 

 

説明
「ひぐらしのなく頃に」より、沙都子と圭一のある春の日のお話です。
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ひぐらしのなく頃に 北条沙都子 前原圭一 古手梨花 

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