晩夏
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 橋の欄干から身を乗り出して眺めてみれば、物言わぬ提灯の行列が、町へと続く国道に沿って延々と伸びている。

 静かな初秋の夜だった。眼下に流れるはずのせせらぎも、宵闇に隔てられて、その音さえ届いてこない。

 青竹に吊るされた提灯には寄進者名と家紋が入れられ、風に揺らされるたびに墨書きの部分が明かりを遮って、遠目には海ほたるの燐光のように思えた。

 あたりに民家はない。四方を囲む田圃のまだ青い稲穂を揺する風の音だけが、わがもの顔で闊歩していた。

「あんた、こんなとこで何しとるかね」

 その風を男の声が断ち割った。

「人待ちでね」

 振り返ってみれば、声を掛けてきたのは四十絡みと思しい頭に手拭いを巻いた中年男だった。

「ああ、海軍さんか、こんな時間に白い姿がぼうっと立ってるから、またてっきり狐が悪さでもしとるんかと」

 その時の私の格好は上着だけを脱いだ制服姿だったから、確かに闇夜には薄気味悪く浮かんでいたかもしれない。

「このあたりも狐が?」

「たまにですがね。一昨年にも若いもんが誑かされて、一日歩きまわされよりました」

 言葉こそ荒っぽいが、ランニング姿の朴訥とした気のよさそうな親父だった。リヤカーを引っ張り、荷台には氷を浮かべた水を張って、ニッキ水の瓶などを沈めている。町の祭りで商うのだろう。

「丁度今時分でしたな。同じような気味の悪い風が吹きよって」

「そんなにだめな風かい」

「さいでしょう。まといつくようで、べたべたとして」

「生憎、俺達は年中こんな風ばかりを相手にしているからなあ」

 提灯が先導する先は港町で、そこから吹き上げてくる潮の香を含んだ風は、私にとってみれば肌に馴染んだものだった。

 別段いやみのつもりでもなかったが、話の接ぎ穂を失ったらしい親父は狐の話を切り上げてしまった。もっとも、まだ立ち去る気配はない。

「海軍さん、人待ちとうかがいましたが、お相手は?」

「すぐそこさ。ちょっと気分を悪くしたらしくてね」

 川上の方を指さしてみても、愛想程度にそちらに顔を向けるが、さして詮索する気もないようで、

「コレで?」

 小指を立ててうかがう笑い顔も、好色さは薄く飄々としている。おそらく、今度は私が狐に引っかかっているのではと心配してくれていたのだろう。

「そういうことにしておいてくれ」

 私も苦笑を小さく浮かべるだけで、別段腹も立たなかった。

「そいじゃ、野暮天はこれでおいとまいたしましょ。失礼様でした。こいつ、飲んでやってくだせえ」

 いって男は荷台から二本取り出して、冷水を拭うこともなく私の手に握らせてきた。差し詰め迷惑料のつもりなのだろう。遠慮なく受け取っておくことにした。

「ありがとう。でも、馬の小便じゃないだろうね」

「へへ、あっしは見ての通りのたぬきですよ」

「どちらにせよ、人を化かすだろう」

「さてさて、でしたらどうします?」

「そうだなあ、ひとまずは山狩りかな」

「海軍さんの山狩りですか。そいつは眼福だ。そのために少々がんばってみたっていいかもしれませんや」

 そこでお互いに吹き出してしまって、私達は笑って別れた。

 男は慣れた足取りで、リヤカーを引き引き街に向かっていく。提灯の燈明がその背中を照らしていたが、やがて暗がりに入ると、もう目では追えなくなってしまった。

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 それからしばらくして、かたわらの茂みが音をたてたかと思うと、

「お待たせ」

 加賀さんが姿を現した。

 いつもの胴衣と袴の姿と異なり、白地に杜若が染め抜かれた浴衣に薄紅の帯を締めたたたずまいは涼やかで、凛とした暑気を寄せつけない風情をまとっている。

 ただ、正面の合わせがわずかに崩れ、襦袢の下の肌に汗がにじんでいるのが、他の着つけが隙のないだけに余計に目立つ。よくよく観察すれば、顔色も白みを帯び、調子が万全でないことがうかがえた。

「大丈夫ですか?」

「ええ、もちろんよ」

 私と目を合わそうともせずに、加賀さんはぽっくりを鳴らしながら先を歩きだした。

 軽く肩をすくめて後を追う。つっけんどんな調子は今にはじまったことでもないし、慣れてはいるが、こんな態度は初めてだった。

 提督として着任して以来、最も長く秘書官を務めてもらっている加賀さんは、職務をそつなくこなして、先輩後輩といった年次の区別なく面倒見もよく、鎮守府内でも最も頼りにされている一人だった。

 本人もそれにある程度自覚的で、自らの行動思想に矜持をもって、会話の際に視線をそらすことなど絶対になかった。

 裏を返せば、それだけこの時の加賀さんが弱っていたということだ。

 すると、にわかにむくむくと、私の中にいたずら心がきざしてきた。

「しかし、まさか加賀さんがバスに弱いとは思いませんでした。俺らも機関学校でさんざん鍛えられましたしね」

 海軍は名前こそ厳めしいが、基本は船乗りだ。だから、学生の頃から、不安定な足場に慣れるために様々な慣習に付き合わせられる。休憩中も壁によりかかったり、しゃがみ込んだりしてはいけないというのもその一つだろう。私達は免れたものの、なかには教室での授業も全て椅子を取っ払って直立の姿勢で受けさせられた学生もあると聞く。

 公私ともにそうして習慣づけられることで、やがて船酔いとは縁が切れるのだが。

「船とバスは違うでしょ」

 まだ前を向いたままの加賀さんだったが、耳が薄く朱がかってきている。もうひと押し必要なようだ。

「いや、でも、あそこまでとは、ね。いきなり停止ブザーを押すなり、大股で走りだした時にはびっくりしましたよ。まして、両手で口を抑えて……」

「やめていただけますか」

 足を止めるなり、即座に踵を返して、加賀さんは私の目をのぞきこんできた。

 わずかに栗色の混じった瞳には、軽薄そうにニヤニヤと笑う私の顔が映り込んでいる。

「わかりました。ごめんなさい」

 私は両手をあげて、全面的降伏を態度で示した。

 口調を変えて言葉づかいが丁寧になった時は、加賀さんがかなり頭にきている証拠だった。

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 夏祭りの話を持ちかけてきたのは加賀さんからだった。

 山一つ隔てた隣町の住吉社で、盂蘭盆会を兼ねた夏送りとして以前は毎年行われていたらしい祭事が、何年かぶりに催されるにあたり、鎮守府にも招待状が届いたのだという。

「へえ、ずいぶんがんばったもんだ。このご時世に花火まで準備しているとはね」

 素直に感嘆の声をあげると、脇から加賀さんが小さくため息をついた。

「まったく困ったものよ。みんな話を聞くなり浮足立ってしまって。駆逐艦だけならまだしも……」

「ははあ、巡洋艦にもその気な子がいますか」

 なるほど、軽重含めて心当たりが二、三人、四人、五人、六人……。

「それどころか」

 もう一度、さらに大きなためいきがもれたかと思うと、

「玄海乱れ撃ちだー! ひゃっはー!」

「オーゥ、かーにばるえくすとりーむネ!」

 秋まだきのまばゆい陽射しとともに、窓外から演習中のものらしい空母と戦艦の掛け声が洩れ入ってきた。空砲もその日に限ってはえらく派手めいていた。

「ま、まあ、職務に張り合いがあるのはよいことでしょう」

「本当に職務に没頭していると思っているの」

 そういわれると言葉に詰まる。あれはどう聞いたって、勤務後に心がいってしまっている。

「いいじゃないですか、たまの機会なんだし、加賀さんも、こんな時くらいは羽を伸ばして」

「私は当日夜番です」

 打てば響くとはこのことだろう。悪い意味でだが。

「じゃ、じゃあ、羽目を外し過ぎている子がいないか、こっそりと監視にいくとか。これだって夜番の仕事の一つでしょう。なんて……」

「そうね、それは悪くないアイデアね」

 私としては苦しまぎれの冗談のつもりだった。

「え?」

「当日は監督をお願いするわ。まさか、提督を差し置いて、私一人がでしゃばるわけにもいかないでしょ」

 だから、意外な成り行きに、用件だけ告げて足早に去っていく加賀さんの後ろ姿を見送るほかなかった。

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 あの時見送った日の光を斜めに受けた加賀さんの背中と、提灯の火に傍らから照らされる背中とでは、似ているようで大きな違いがあった。

 だから、先ほどの親父からもらったまま所在なさげにしているものを、少々活用させてもらうことにした。

「加賀さん」

「ひやあああああああああああ」

 襟元からのぞく加賀さんのうなじはほっそり長く、ほのかに弧を帯びて、まるで誘っているみたいだった。

 氷水に浸されてキンキンに冷えたガラス瓶をその誘いにのって押し当てると、加賀さんは世にも頓狂な声をあげて、その場にへたりこんでしまった。

「大丈夫ですか? まだ気分がすぐれないようでしたら、コレを……」

 ラムネだった。

 水色のガラス瓶がいかにもさわやかだが、加賀さんは中腰の姿勢で驚きと戸惑いといくらかの艶やかさをまじえて紅潮した顔で、突き出された私の手の中のものを見ていた。

 察しのいい加賀さんだから、からかわれていたと知るのも早かった。すぐに親の仇でも見るような目に変わって、ラムネ越しに私をにらみつけてきた。

 すると、やにわに立ち上がると、私が差し出している瓶を、ひったくるようにしてつかみ取った。ポンと小気味よい音をたてて栓が押し込まれると、背を反らせて美事なラッパ飲みを披露する。

 やがて飲み口から唇が離れると、カラカラとビー玉が音をたてて駆けまわっているほか、瓶の中には一滴のラムネ水も残ってはいなかった。

 しばらく無言の空気が二人の間を漂った。聞こえるものといえば、足下のせせらぎの音か遠くから運ばれてくるこおろぎの鳴き声だけだった。

 そうして先に音をあげたのは加賀さんだった。

「ありがとう」

 そういう顔には笑みが浮かんでいる。最前までの張った気が緩まった、屈託ないやわらかなものだった。

「ずいぶんと緊張していたのね。子供みたいに意固地になってしまって」

 形はどうあれ、祭りに加賀さんがおもむくのは事実だ。

 あれだけ苦言を呈していた場への参加、普段の自分のイメージとのギャップ……。

 本人が意識するしないにかかわらず、そうしたもろもろを気に留めるあまり、バスでの椿事に発展したのだろう。

「少しはほぐれましたか」

「おかげさまで」

 ジロリと横目でにらみつけてくる眼差しは、既にいつもの厳めしさを取り戻していたが、まだ笑いの余韻は完全に引いてはおらず、唇やまなじりがわずかに綻んでいた。

「そんなに感謝していただけるなら、もう一度くらい……」

「お礼はグーでいきますよ」

 私は手の中に残された自分の分のもう一本のラムネをすんでのところで引っ込めることができた。

 

 もうバスを待つ気分でもなく、国道を西へ向けて歩んだ。途中、停留所の前を通り過ぎるたびに提灯の数は増していく。通りに車はもとより人の往来もないのをいいことに、舗装された道のまんなかを行けば、前後と両脇にかけられた提灯の灯を同時に浴び、影が四方にペケの字を描いて伸びた。

 隣り合って歩く二人の影の交錯する一際暗くなった個所を、何気なくながめていると、加賀さんが口を開いた。

「虫の音が聞こえだしたわね」

 いわれてみれば、先ほどまではあるかなきかだったこおろぎの音が、いつの間にかぐるりを取り巻くようになっていた。

「少し前までは蛙がゲロゲロ鳴いていましたよ。あれはウシガエルかな」

 いった途端、向う脛を思い切りぽっくりで蹴飛ばされた。

 目の前を星が舞ったかと思ったのも束の間、夜空の向こうで花火が開いた。

「急ぎましょ。みんな待っているわよ」

 まだ距離があるからか花火の音は聞こえてこない。けれども、そのかわりではないだろうが、気が急いた加賀さんが私の手をとって早足で歩きはじめた途端、どこからか太鼓や鉦の音の織りなす祭囃子が聞こえだした。

 

説明
夏の終わりというには少々時期がずれましたが
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