今宵少女は透明思想
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 空から少女以外の全てが降ってきたのは、闇も寝入った午前三時のことだった。

 僕はそのとき、ひそひそと月明かりから逃げるような足取りで校内を歩いていた。澄川高校科学部伝統の《監視カメラ回避ルート図》はすっかり頭に入っており、この時間は見回りの警備員もいない。だからといって肩をいからせて歩くような度胸は、平均身長に満たない僕の体には残念ながら宿っておらず、正門前の大通りを肛門が破裂したような音でかっ飛ばしているバイクの存在にびくりと体を震わせながら、部室へのルートを急いでいた。

 ごつん、といきなり僕の頭に何か堅いものが当たった。

「いてえっ」

 僕は頭を抱えてうずくまり、涙目になりながら事態の理解に努めた。何かが頭に当たったのだ。そこは裏門から部室棟へ続く見通しのよい通路で、木が生えているわけでもなければサッカー部や野球部が使う物干し竿があるわけでもない。僕はすぐに、何かが落ちてきて頭に当たったのだと思い当たった。立ち上がろうとした矢先、ばさりと頭の上に何かが落ちてきた。

「うひゃっ」

 僕は、去年の文化祭で僕のクラスがやったお化け屋敷を思い出した。僕はお客さんの頭の上から湿ったワイシャツを落とす役をやっていたのだ。副校長が呼び込みの女子生徒に根負けして入ってきたので、僕は意気揚々とワイシャツを落とした。そのとき副校長があげた声と、今僕があげた声はそっくりだった。

 その後、お化け屋敷から出てきた副校長が、髪の毛を失うという大事件があったものの、それはたぶん僕のせいではないだろう、断じて。

 僕は冷静だった。僕がまだ一年生だった頃、科学部伝統の《監視カメラ回避ルート図》に従って下を向いて、歩いていた僕の頭に、よく科学部の先輩たちがトラップとして仕掛けたコンニャクや毛布が落とされることがあったからだ。

 頭に被さったものをどけて上を見るが、何もない。

 僕は頭の上に落ちてきたものを掴んで目の前に掲げた。非常灯と月明かりを頼りにそれが何なのかを目を懲らしてみる。

「……なんだこれ」

 ワンピースだった。色は暗くて判別できないが、たぶん、オレンジとかピンクとか、そんな色だった。ふりふりの奴じゃなくて、大人しい女の子が着てそうなやつ。カーディガンも一緒だった。僕は下を見ると、地面には女ものの靴が転がっていた。ヒール部分が少し高くなってて、……こういう靴をなんて言うのか僕は知らないけれど、ハイじゃないヒール、とでも呼べばいいのだろうか。なんかまあ、足の甲が見えるかわいらしい奴である。それが落ちてた。

 たぶん、その靴が僕の大切な頭を攻撃したのだろう。

 僕は首を傾げた。

 一体何のイタズラだろうか。女物の服と靴。そして、よく調べてみたところ、なんとなんと、パンツやブラジャーまで、まるまる一セットが落ちてきたのだということが分かった。

 中身は、どこを見ても見つからない。

 少女を描き出すためのギミックのみが僕の手の中にあり、肝心の少女そのものは、どこにもいない。

 どうしたことだろう、と思いながらも、僕は一セットを放置して立ち去るのもなんだか気持ち悪いと思い、それらの衣服を抱えて、文化部の部室棟を目指して再び歩き出したのだった。

 

 

 

 

風に煽られるたび、僕は後ろめたさを抱き締めて歩いた。

昔から、風はあんまり好きじゃなかった。

上着を捲られるたびに、周囲の人に僕の内面を盗み見られるような気がしていたから。

それはなんだかとても後ろめたいことだった。

心の中と表に出す部分というのは誰でも違っているものだろうけれど、僕は誰かれ構わず内面を見られるのがあまり好きではなかった。

その、しかつめらしい感情を隠しながら歩くという行為は、幼い頃からとても後ろめたいものだという感じがしていた。

だから、力任せに僕をさらけ出そうとする風が、嫌いだった。

 

今日の風はそこまで強くはなかった。

けれど、僕が抱えていた女性ものの下着を奪う可能性は十分に秘めていた。

いま誰かに見つかったら大変まずいことになるな、と思いながら、僕はそそくさと部室へ向かうのだった。

 僕は旧校舎へ向かっていた。旧校舎と言っても建物が新旧独立しているわけではない。継ぎ足すように建てられた新校舎に対して、古くからある建屋の方をみんな旧校舎と呼んでいるのだ。

 旧校舎の方は、主に音楽室や理科実験室などの専門教室と、文化部の部室棟として使われている。僕は慣れた手つきで男子トイレの窓からよじ登って中に入入った。そして、科学部の部室へと向かった。扉を開けて中に入りながら僕は呟く。

「ただいまー」

 部屋の中には、一人だけ先客がいた。僕と同じ、三年生で部長の木戸彰だ。筋肉バカの木戸は、握力を鍛えながら、パソコン雑誌を読んでいるところだった。

「おう、おかえり、……って、なんだそれ」

「降ってきた」

「降ってきたあ?」

 僕が部屋の中央にある机の上に少女以外の全てを置く。木戸が雑誌を置いて駆け寄ってきた。科学部の部室は、教室を半分に割ったくらいの大きさだ。そこには机以外にもロッカーやホワイトボード、工作用の机にパソコンなど、様々なものが置いてある。何をする部活なのかとよく聞かれるのだが、決まって「何って、科学する部活だよ」と返答するのが僕らの美学だ。

 なぜ午前三時過ぎに忍び込んでまで集まっているのか。

それは、僕と木戸とで作戦会議をするためだった。

 僕と木戸を含む僕ら科学部三年生は、卒業を前に何かでかいことをしてやりたいと考えていた。受験勉強しろよと言いたくなるかもしれないが、こう見えて科学部は成績優秀な人間が集まっている。校内の進入ルートを確保している隙のなさと同様にして、試験勉強や大学入試への対策も、伝統的にばっちりなのだった。

 本来ならば春休み中に計画を立ててしまわなければならなかったのだ。しかし、木戸が「自転車旅行に行こうぜ!?」と言い出したせいで、僕らの春休みはまるまる全て、本州自転車一筆書き旅行に費やされてしまった。そのせいで、でかいことをしようというでかい口を叩きながら、僕らはろくな計画を立てることができなかったのである。そんなわけだから、部長の木戸と副部長の僕は、でかい口を叩いた手前、寝る間も惜しんで作戦会議をしなければならないという段に至ったのである。

「どっから盗んできたんだ」

「いや、盗んでねえよ」

 木戸はワンピースの襟首のタグを見る。「LLかよ、でけえな」とか、「うお、生ブラジャーじゃん!」とか、「靴もでけえ。お前よりでかいんじゃない?」とか言っていた。木戸の太い指につままれた靴を受け取る。実際に自分の足と比べてみると、僕のほうがぎりぎり大きいくらいだった。僕は、男子にしては足の小さい方だ。それにしてもワンピースのサイズといい、小柄な女の子ではなさそうだった。

 木戸はいかにも科学部らしいチェックシャツとジーンズ姿で唸った。木戸は、服装だけなら引きこもりのオタクぽい。それなのに、内側から太い筋肉が張り出ているため、運動部が無理してオタクのコスプレをしているようにしか見えない。僕らの学校は私服校なので、僕もTシャツの上に薄手のジャケットを羽織っただけというラフな恰好だ。二人して眼鏡をかけているのも、二人して理系の例に漏れずド近眼だからである。

「お前、こんなでかい女の姉か妹、いたっけ」

「いや、いないけど」

「じゃあ、お母さんの?」

「いやだから盗んだわけじゃなくて、空から降ってきたんだって」

「空からこんなもんが降ってきてたまるか!」

「僕に言うなよ! 僕だって意味わかんねえんだから!」

 そのとき――がたんっ、と音がした。

 

 

 

 

僕と木戸はびくりと飛び上がった。

 音の方を見た。僅かに、扉が開いていた。

 僕は駆け寄って廊下を見る。けれど、誰もいない。

 木戸が僕の背中に尋ねた。

「な、なんだよ。お前、ちゃんと閉めなかったの?」

「引き戸が勝手に動くわけないだろ」

「この旧校舎、建て付け悪いんじゃねえの」

「引き戸が勝手に動くほど悪いわけねえだろ」

 僕と木戸は顔を見合わせる。

 今までにも先輩や同級生にいたずらをされたことはあったけれど、今回もそれと同じ類いなのだろうか。

 木戸も同じことを考えたらしく、「四谷に電話してみるか」と携帯で同級生のアドレスを探し始める。

 そのとき――かたっ、と背後で音がした。

 僕と木戸は、もう、科学原理主義者にあるまじき恐怖心を抱え込んで、首を動かすことすらままならなかった。

 かたっ、かたっ、かたっ――背後で音がする。聞き慣れた音だ。

「な、なあ。最近の幽霊は、キーボード打つのかな」

 木戸があほなことを呟く。

そのせいで、僕はかえって冷静になった。

「幽霊なんて、んなもんいるわけ、」

 振り返り、そして僕は見た。

 机の上に置いてあるデスクトップパソコンに接続しているメカニカルキーボード――そのキーが、ひとりでに押し込まれていく。

 僕は木戸の腕を掴んで尋ねた。

「な、なんだよ」

「お前、キーボードになんか仕込んだ?」

「そういうギミックは四谷の仕業だろ」

「ちょっと四谷に電話してみてよ。俺、調べる」

「マジ? お前、度胸あんなー」

 喋っていると、二人ともだんだん冷静になってきた。

目の前でキーボードがひとりでに動いているのも、何か仕掛けがあるに違いないという気になってきている。

 僕はキーボードに近づく。

 木戸が背後で「あ、もしもし。四谷、今、大丈夫?」なんて言ってる。

「うん、いやいま部室なんだけどさ。お前、キーボードになんか細工した? うん、知らない? おい、すっとぼけんなよ。お前らなんかイタズラして俺らを驚かせようと、……ほんとに知らないの?」

 僕はディスプレイを見て、固まった。

「おい、四谷知らないって。おい、……どした?」

 木戸が、僕の背後からディスプレイをのぞき込む。

 キーボードの動きは止まっていた。

 ディスプレイには、こう、書いてあった。

『助けてください。とうめい人間になってしまいました』

 僕と木戸は、顔を見合わせる。木戸が呟いた。

「これ、イタズラ、だよな」

 かたかたっ、とキーボードが動く。

 一つ一つキーを押していく拙さに若干いらっとしたものの、僕らの視線はディスプレイに表示されているテキストエディタに吸い込まれる。

『イタズラじゃありません。私はあの服の持ち主です』

 僕は思い切って、部室の空気に向かって声を投げる。

「あなたの名前を教えてください」

 数秒、間があった。

 僕はなんとなく、その透明人間とやらが、ためらったのかもしれないと思った。

 その矢先、キーボードがかたかたと動きだし、そして文字が刻まれた。

『私は一年生の、佐々木英美里です』

 僕と木戸は、再び顔を見合わせる。

「お前、知ってる?」

 僕の問いかけに、木戸は首を横に振った。

「ごめん、俺たち君のことを知らないんだけど、えっと、……マジで言ってんの?」

『マジです』

「な、なんで透明に?」

『私、』

 そこで、五秒くらいキーボードの動きが止まった。

 そしてまた、動き始める。

『自殺しようと思ったんです』

「どうして」

 まだ入学して二週間くらいしか経っていないだろうに。

 突然出てきた物騒な言葉に僕は小さく身震いした。

『中学のとき、ずっと、いじめられてました。保健室登校で頑張って勉強して、この学校に入って、やっと救われると思ったら、私をいじめてた奴も、同じ学校だって、分かったんです』

 木戸が椅子を持ってきて、座った。

 僕は目の前のパソコンを使う専用の椅子に座る。

 完全に、二人して恐怖心はどこかに吹っ飛んでしまっていた。

「それで、自殺しようと?」

『はい。この入学してからの二週間が、地獄の続きだって分かったとき、もう耐えられないって、思いました』

「それで、どうして、」

『今日、屋上から飛び降りようと思って、下校時刻になってからトイレにこもって、屋上の鍵をピッキングして、忍び込みました。でも、勇気が出ませんでした。どうしても飛び降りられなくて、そしたら、』

「そしたら?」

『消えちゃいたいって思った瞬間、風が吹いたんです。そうしたら、私の服も靴も、風にあおられて落ちていきました。そして、下を歩いていた先輩の上に』

 消えてしまいたいと願い――透明人間になってしまった。

 本当に、消えてしまった。

 そうして少女以外の全てが、僕の頭上に落ちてきた。

 僕は、どうしていいか分からなかった。

 科学部同士でイタズラをするのはよくあることではあるが、それにも限度というものがある。

例えばこんな時間に部室に忍び込んでいることが学校にバレれば、部の存続に関わる。

 だから、脅かすことはあっても騒ぎになるようなことはしない。

 それが、僕らの中での暗黙のルールだった。

 わざわざ下着を用意して、キーボードに細工をして、そしてこんな凝った人物設定をする。

 そんな面倒なことをする人間が、部内にいるというのは想像しにくかった。

 ただ単に身内を笑わせるためだけに、ここまで頭をひねるというのは、ちょっと僕ら科学部の嗜好からは考えられないのだった。

 木戸が呟いた。

「戻りたい?」

『いいえ』

 その反応は、早かった。

 用意していたみたいにキーが動いた。

 さらに、木戸が続けざまに問いかける。

「後悔はないんだ」

『はい』

「でも、助けて欲しい」

『はい』

「どうすればいいか分からない」

『はい』

 木戸は立ち上がった。

 携帯を取り出して、電話をかけ始める。

「もしもし、あ、四谷? ああ、わりいわりい何度も。あのさ、……本当にイタズラしてないんだな? ……ああ、うっせえな、嘘だったら牛丼おごれよ。ああ、分かったよ、本当だったら牛丼おごってやるよ。おう、おう、じゃあな」

 木戸が電話を切る。

 なんで牛丼だよとか思うのが半分、木戸と四谷は本当に牛丼好きだなと呆れるのが半分。

「決まったな」

 木戸が、立ったまま僕に言った。

「は?」

「でかいことだよ」

 でかいこと――今年が高校最後である僕ら科学部がやらなければならない、でかいこと。

「まさか、」

 僕は、木戸のバカ面を見て、唖然とした。

木戸が分厚い胸を張って言った。

「俺たち科学部の力で、英美里ちゃんを救おう」

 

 

 

 

 放課後の科学部室に、三年生の三人が集まった。

 僕と木戸、そして四谷だ。

どうして共学校の部活なのに女子がいないのかという問題は、大変ゆゆしき事態ではある。

弁解させてもらうならば、全く入っていないわけではない。

 僕らの代にたまたま恵まれなかっただけだ。

 この場に三年生の三人以外を呼ばなかった理由は一つだ。

僕と木戸とで話し合った結果、不用意に他言していい内容ではないという結論に達したのだった。

「それで」

 四谷が呟いた。

ことのあらましは大体説明し終えていた。

 四谷はぼさぼさのロン毛男で、身長も三人の中で最も高く、テーラードジャケットなんていうおしゃれなものを着ている。

顔も悪くないし、頭もいい。

そして現科学部内で唯一眼鏡じゃないのも四谷だけだ。

部内で一番ゲームやアニメが大好きで、夜通し遊び倒しているくせに全く目が悪くならない化け物男である。

「透明人間を救う方法を、三人で考えようってわけか」

「そうだ」

 木戸が自信ありげに頷いた。

「一年生担当の教員に聞いたところ、確かに名簿には佐々木英美里という少女の名前があるし、入学式から一週間くらい経って、ぱったりと来なくなったそうだ。いじめに関しては認知していなかった。すっとぼけているのか、バレないようにいじめが行われていたのかは分からん」

『たぶん、先生は知らないと思います』

 かたかたとキーボードが動き、プロジェクターを通して部室の壁に文字が刻まれた。

 四谷はその奇怪な現象を初めて見るはずなのに驚かない。

それどころか「へえ、すげえ! 本当に動いた! どうやって打ってんの!?」と興味津々である。

こういうとき――ああ、だから科学部ってだけで皆に一歩距離を置かれるんだろうな、と僕は思う。

木戸が言う。

「英美里ちゃんは元に戻りたくないが、しかし消えてしまいたいわけではないと言っている。つまり、今回の事件が今までの自分から脱却する良い機会だと考えているというわけだ。しかしながら、我々は今まで透明人間という存在を認知しておらず、その存在が社会に溶け込める姿も想像しきれん。一年かけて、英美里ちゃんの理想とする透明人生を作り上げるための手助けをすることが、未知への挑戦を飽くなき使命とする科学部員としての宿命だと考えるわけである!」

 使命なのか宿命はっきりしろよ、と言いたくなるのを堪えて、僕は頷いた。

 四谷が、ホワイトボードの前に立っている木戸に向かって尋ねる。

「一ついいか」

「なんだ、四谷」

「一年でいいのか?」

 僕と木戸は、四谷を見た。

「人生を支えるってのがどれだけ大変なことか、お前も、俺たちも、理解しきれているとは思えないんだが」

「いい質問だ。それに対して、こういうのはどうかと考えているんだが」

 木戸が机に手をついて、身を乗り出した。

「佐々木英美里ちゃんを、今日から、澄川高校科学部の幽霊部員とする」

 なるほど、と僕は思った。

「科学部員の鉄則はなんだ?」

 木戸の問いかけに、四谷が答えた。

「現部員、卒業生、分け隔てなく、その人生における協力を惜しまないこと」

「そうだ。先ほどあげたテーマそのものは、一年間で一つの結論まで達することを目的としている。がしかし、その後も我々は英美里ちゃんの人生のための協力を惜しまない。なぜなら、彼女は俺たちの同窓生になるのだから」

 木戸は僕と四谷を見て言った。

「異論はあるか」

「ない。英美里ちゃんに異論がないならな」

 四谷の返事は早かった。そしてキーボードが動き、

『ありません』

 と文字が打たれた。

 

「しかし、」

 四谷が背もたれに体重を預けて言う。

「一体どうすればいいんだろうな。英美里ちゃんの頭の中に明確な目標や想像ができているなら話は別だが、さっきの話を聞いた感じだと、どうすればいいのか分からない状態なんじゃないか」

 木戸が、太い両手を広げて言った。

「一つずつ考えていくしかないさ。腹が減ったら飯を食う。金がなくなったら働く。透明人現になっちまったら、困ったことから解決していくしかないだろう」

 四谷が手を挙げる。

 木戸が顔を上げて、四谷に聞いた。

「なんだ、四谷」

「ちょっとした提案がある。その、なんだ、……俺たち、情報が少なすぎると思わないか」

 僕と木戸が顔を見合わせ、四谷を見た。

 四谷は、頬をかきながら言った。

「まず情報収集が先だろう。つまり、その……透明人間のスペックを、俺たちは知るべきじゃないか」

 僕と木戸は、頷き合う。

 確かにそうだ。僕らは科学の一番大事なプロセスである――観察をするのを忘れていたのだ。

 かたかたという音が響き、プロジェクターで文字が投射される。

『あの、スペックって、なんですか』

 

 

 

 

「思ったんだけど服が全部脱げたってことは、今、英美里ちゃんは全裸なんだよな」

 僕は四谷をぶん殴っていた。

「なんで殴るんだよ!」

「お前はそこからどう続けるつもりだったんだ!」

「いや、透明人間って何がどうなって透明なのかなって考えたら、とりあえずいま全裸なのかなって思考に行き着いて、さ」

 僕はもう一発ぶん殴った。

「お前はちょっと黙ってろ」

 僕は四谷を押しのける。

 木戸が分銅を片付けた。

 机の上には秤が用意されている。

「おっし、校正終わったぞ。英美里ちゃん、……ちょっと恥ずかしいかもしれないけど、よろしく」

 そう――彼女はこれから体重を計るのだ。

 まあ確かにそういう意味では今彼女は一糸まとわぬ姿にあるわけで、女っ気のない科学部男子としては嫌がおうにも興奮してしまうというのもやぶさかではないのだけれど。

 

 けれど、僕らは独りでに荷重のかかり始めた秤を見て、唖然としてしまった。

「……すげえ」

 僕と木戸、そして四谷は三人で同時に呟いていた。

『あの、何がすごいんですか』

 僕らが一番最初に知りたいと思ったのが、体重だったのだ。

しかし女の子にそれを聞くのはどうなのだろうという感情はあった。

 そう、スペックとは、性能のことだ。

 英美里ちゃんがどんな状態なのかを知らなければ、何ができるのか、何ができないのかを考えることもできない。

というわけで、部長の木戸が代表して、英美里ちゃんに種々の計測がしたいと申し出たところ、英美里ちゃんは快くそれを承諾してくれたのだった。

 そしてまず最初に、体重を測定することとなった。

やましい理由なんてものはない。

単純に興味があったのだ。

 そしてその計測結果に、僕ら三人は息を飲んだ。

 木戸が言う。

「二十一グラムとはな、いや、恐れ入った」

 そして、四谷も毒気の抜けたような声で言った。

「全裸っていうか、魂、か」

 英美里ちゃんが、おどおどとした声で言った。

『あの、これが何か』

 僕は、プロジェクターの方を見て言う。

そこに彼女がいるという保証はないが、文字が表示される方をつい見てしまう。

僕は記憶が乱雑に散らばった頭の中をまさぐりながら言う。

「魂の重さは二十一グラムだって、よく言うんだよ。アメリカ人の、ええっと、誰だっけ」

「ダンカン・マクドゥーガル」四谷が即答。

「そう。その博士が、」

「正確には医者だ」四谷の注釈。

「その医者が、死ぬ間際の人と、その人が死んだ後の体重を量ったら、二十一グラムの損失があったっていう実験結果があるんだ」

「正確には四分の三オンス。二十一・二六二グラムだな」四谷の、

「細けえよ!」

 僕は思わずツッコミを入れる。

 僕らが見たとき、電子天秤は二十一・三四グラムを指し示し、それよりも小さな桁は値が振れてしまって計れなかった。

 木戸が、ぶつぶつ言いながら表計算ソフトで作った表に値を打ち込んでいく。

「英美里ちゃんが持ち上げることができた重さは五十三グラムまでか。なるほど、衣服を落とすわけだ」

 四谷が興奮気味に言う。

「分光計とか透過率も測定したいよなあ、流石に普通高校じゃあそんな設備はないなあ。先輩に聞いてみるか。っていうか魂って酸性なのかな、アルカリ性なのかな。粘度測定とかしたくねえ? ねえねえ、魂にこう、粘度測定用の棒をさ、」

 僕は四谷をぶん殴る――お前はいちいち言い方がやらしいんだよ!

 どうしてこいつは検証段階では冷静なのに実験になると急に息が荒くなるんだ。

 そして、木戸が冷静に英美里ちゃんに尋ねる。

「腹減らないの? っていうか視覚とか聴覚とかは。物を押せるってことは触覚はあるの?」

『物を見たりはできません。そこに何かあるな、とかそういうのがなんとなく分かるくらいで』

 木戸が、ここまでの情報をまとめた。

「つまりこういうことか? 透明で限りなく空気に近い二十一グラムの物質で構成されている。透明だから物を見ることができないのは自明だ。空気のように振動するから、音は聞こえるし物に触れることもできる」

 僕は頷いて言った。

「そういうことだろうな、たぶん。運動エネルギーの発生源が分からんが」

 その後ろから、四谷がめげずに叫ぶ。

「ていうか、飯食わずに五十三グラム動かせるって、永久機関になれるんじゃないのか? うっわあそれすっげえ作りたくねえ!? 透明人間永久機関! 俺たちノーベル賞取れるかもよ!?」

 木戸が四谷を押さえ込んだ。流石の四谷も筋肉バカの木戸に押さえ込まれては身動きが取れない。

「待て待て英美里ちゃんの自主性を尊重しろ! っていうかそんな公にしたらやばい、だろ」

 木戸が、言葉を飲み込んだ。

「どうした?」

 四谷が尋ねる。木戸は椅子に座って、真面目な顔をして言った。

「今更だけどさ、これ、もしかしたらすっげえやばい事態かもしれねえんだなって、思った」

「なんでだよ」

 四谷がひょうひょうと尋ねる。

それに対して、木戸の目は厳しかった。

「あのさ、今から言うこと、落ち着いて、冷静になって聞いて欲しいんだけど。……もしも俺がすっげえ悪い奴だったら、まず間違いなく軍事利用する」

 僕らは、ごくりと息を飲んだ。

 

 

 

 

 もしも透明人間を軍事利用できたら。

 考えただけでもワクワク――いや、冷や汗をかくような話だ。

 そんな重大な秘密を僕らは部室で抱え込んでしまった。

四谷が腕を組んで、真剣な表情の木戸を見ながら言った。

その声は心なしか楽しそうだった――最早これは理系の性と言うほかない。

「え、なに、俺らFBIとかCIAに命狙われちゃうわけ?」

「それならまだマシじゃね? ロシアとか、北朝鮮とか、イスラム原理主義者とか、軍事利用したがる奴なんてうじゃうじゃいるだろ」

 僕は、四谷と木戸の言葉を黙って見つめることしかできなかった。木戸が言う。

「で、ここで一つ。この場にいる全員に聞きたいんだけどさ。……どうする」

「どうするって、」

僕の迷った声に対して、木戸が言った。

「全てのスペックを測定する前に、今この場で決めておかなきゃいけないことが発生したと、俺は思うんだ。つまり、英美里ちゃんの存在を、ここにいる俺たち以外の誰かに漏らすか、漏らさないか」

 四谷が笑みを消して言った。

「漏らせば軍事。漏らさないならお友達、ってわけか」

 木戸が頷く。

 僕は、二人の表情を恐いと思った。

 僕はこの部室に三人で集まって英美里ちゃんの話をしているとき、なんだってできる気分だった。

 つまり、女の子一人を守るということを、この三人でなら簡単にやってのけることができるに違いないと思っていたのだ。

「そんなの、」

 僕の言葉を、木戸が遮った。

「英美里ちゃんはどうしたい。……もしもばらさないで欲しいというのであれば、俺たちは絶対にばらさない。口が裂けても、拷問されたってばらさない。ただし、俺たちが英美里ちゃんのことをばらさないようにするということはつまり、英美里ちゃんの交友関係だとか、人生、行動に大きな制限が発生することになる。それが嫌だと言うのなら俺たちは止めない。ただし、俺たち以外の人間に英美里ちゃんの存在がバレたとき、俺は十中八九、まず間違いなく軍事介入が発生すると思う。英美里ちゃんを捕まえることができなかったとしても、英美里ちゃんを原因とした戦争やテロが起きる可能性を、俺は否定できないよ」

 部室内の空気が凍り付く。

「考えすぎじゃないか」

 四谷が言う。けれど僕は、その四谷に対して窘めるような視線を送ってしまう。

 木戸が考えすぎて、四谷がどうにかなるさと高をくくって、僕がその周りでおろおろしているというのはよくあることではあった。

 そういう意味で、僕は比較的保守的であり、だからこそ今回は木戸の慎重さについていこうと思った。

「僕は四谷の言うことは正しいと思う。例えばさ、言うことを聞かなきゃ俺たちが殺される、みたいな方法で、英美里ちゃんに命令することだってできるだろ。英美里ちゃん一人の問題じゃないよ、これ」

 そのとき、かたっ、とキーボードが動いた。

『ごめんなさい』

 僕らは目配せする。木戸が言った。

「どうして謝る」

『皆さんに、ご迷惑をかけて』

「とんでもない」

『でも、こんなことになるなんて、』

 木戸の前に出てきて遮ったのは、四谷だった。

「わかった、はっきりさせよう」

 四谷が、柔らかく微笑んだ。その笑顔に、ときどき女の子がころっと騙されるのだ。そして四谷がゲームやアニメや理系廃人であることを知って、逃げていく。英美里ちゃんはどうなのだろうか。ひょうひょうと我が道をいく四谷のようなタイプがいいのか、それとも硬派な木戸か。姿が見えないため、その表情は窺えない。

 四谷が優しく問いかけた。

「英美里ちゃん、君はどうしたい。自分の力で生きていけると思う?」

 恐れるように、キーが押される。

『いいえ』

「軍人、あるいは兵器になりたい?」

『いいえ』

「たぶん、木戸の説が正しければ、今の英美里ちゃんだったら最強の諜報員になれると思うけど」

『なりたくありません』

「俺たち以外の人に、今の自分を知って欲しいと思う?」

『思いません』

 即答だった。

 その返答に、驚かされたのは僕たちの方だった。

 僕たちは何でもできると思っていた。

 そして今――もしかしたら僕たちは、自分たちの手に負えないものを抱えてしまったのではないかと恐れを成していたところだったのだ。

 しかし――それは杞憂だったのかもしれない。

 英美里ちゃんもまた、僕らとならなんでもできると、思ってくれていたのだ。

「決まりだな」

 四谷が、僕と木戸を見る。

 こいつは本当に――自分の手柄にするのがうまい奴だな、と思う。

 決まりだ――その言葉一つで、まるでこの流れを四谷が作ったように見えるじゃないか。

 木戸はやれやれと肩をすくめて、言った。

「そうだな。俺たち三人で英美里ちゃんを守る。この世界に透明人間がいるということは、絶対に明かしてはいけない。これが、絶対に守られなければならない最上級のルールだ」

 僕らは頷いた。三人が三人とも、かつてないほどの決然とした表情だった。

「でさ」

 四谷が手を挙げる。

「腹減ったんだけど、購買になんか買いに行かねえ?」

 木戸と僕は、四谷のマイペースさにあきれかえった。

 木戸が唸るように呟いた。

「お前、……ほんと緊張感ない奴だな」

 

 

 

 

 天才とは、無自覚に転機を引き寄せるもののことを言うのかもしれない。

 四谷を見るたびに僕はそう思う。

 四谷のマイペースな空腹によって、僕らは初めてその問題に気がついた。

 英美里ちゃんと会話するには、現状、パソコンがなくてはならないのである。

 木戸がぼそりと呟く。

「別にパソコン持ち歩けばよくね?」

「お前みたいな体力バカと一緒にするな」

 僕は言い放ち、木戸を小突いて睨んだ。

それでは英美里ちゃんは始終木戸と一緒にデートしなくてはいけないということだ。

 そんなのは拷問に等しい。

 なにせ木戸と言ったら、鉄オタで旅行オタで筋肉オタなのだ。

 鍛え上げられた大臀筋は一日中電車に乗るためにあり、鍛え上げられた上腕筋はパソコンやその他デバイスを持ち歩くためにあるのだ。

 木戸がスマートホンを握ると、たまごっちを持ったマウンテンゴリラの子供にしか見えなくて、それだけで初見なら二時間は笑い転げられる。

四谷はマイペースだけれど、鋭いところがある。

確かに緊張したあとだったので甘いものでもと考えた僕らは、英美里ちゃんを部室に置いて購買部へと足を運んだ。

英美里ちゃんがついてきているのかどうかは、パソコンがないので分からない。

英美里ちゃんは自分の意思をパソコンを通してしか発信、出力することができないのだ。

これは人生における重大な制限だと言える。

 長身の四谷と、骨太で筋肉の鎧を持つ木戸。

そして小柄な僕。

科学部の現三年生三人で、揃って歩きながら頭を捻る。

「あのさ」

 四谷が呟き、僕らは四谷の顔を見た。

「ちょっと、思いついた。何日か待ってくんねえ?」

 

 

 高校三年生とはいえ僕らはまだ子供だ。

例えば選挙権がないし酒は飲めないし、何かあるとすぐに親の許可が必要になる。

 けれど僕らなりに突き当たった問題に解決する方法は知っているつもりだし、そうやって壁を乗り越えて行くことが大人になる最短ルートなのだということは知っている。

だから僕らは僕らなりに、問題を解決しようと頑張った。

「どうよ」

 四谷が胸を張る。

 それを囲んでいた僕と木戸から、おおっ、という声が科学部室に上がった。

時間は定例の、午前三時だ。

英美里ちゃん関係の話を放課後にしていると、時々後輩の科学部員が入ってきたりして肝を冷やすので、僕らはこの時間にここに集まることが増えるようになった。

 自慢げに胸を張ったのは四谷だ。

ある意味、四谷は僕らの中で最も科学部らしい頭と腕を持っていると言えるかもしれない。

暇さえあれば電車で二時間以上かけて秋葉原に行ってパーツを漁ったり、ネットで安いハードディスクを買ったりしている。

かと思えば、卒業生が通っている大学に行って研究室を覗かせてもらったり、論文を送ってもらったりということもしており、僕ら三人の中では一番の期待株である。

 四谷が机の上に出したのは、古い携帯電話端末だった。

0から9までのボタンと、リダイヤル機能とかがついてるやつ。

僕らが持っている携帯電話は皆揃ってスマートフォンだったり、眼鏡型のウェアラブルコンピュータだったりだ。

けれど四谷が持ってきたその古い携帯電話は、僕らのためのものじゃない。

 英美里ちゃんのためのものだ。

「箱とボタンはそのまんまだけど、中身は完全改造のオリジナル。アンドロイドOS搭載で電池も最近の長持ちする奴に替えてある。さ、英美里ちゃん、この画面で文章を打ってみて」

 四谷が開いたのは、見た目にはただのメール作成画面だった。

 英美里ちゃんがボタンを押し、『てすと』と打ち込んだ。

僕らはそれを見てにやっとする。

なんともありがちな文章だ。

英美里ちゃんが、文字を変換せずに決定ボタンを押した瞬間だった。

「テスト」

 部室に、声が響いた。

古い携帯電話端末からだ。

声そのものはいかにもぶつ切りな機械音声だったけれど、それは確かに、英美里ちゃんが作り上げた文章であり、声だった。

 

説明
――空から少女以外の全てが降ってきた。
オリジナル短編小説です。ライブドアブログ主催の『ライトなラノベコンテスト』応募作品です。
最新話はこちら→(http://koyoi-mizumaru.blog.jp/archives/1256186.html)
表紙はふしぇさんに、タイトルデザインはtwotonepandaさんにも協力して頂きました。
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