GIOGAME 19
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第十九話 チョココロネ誘拐

 

嘗て軍事強国であった中華人民共和国。

 

世界の工場と言われ、世界中から富が集まり、その成長は世界を牽引していた世界最大の共産主義国家。

 

軍事を増大させる隣国と海を隔てながらも、その小ささを笑えていた大国。

 

全ての民はその国では等しく平らであったと教科書は語る。

 

そして、あの大戦で侵略者達から国土は守られたのだと大人達は語っている。

 

もう誰もその当時の事を本当に知る人間はいない。

 

それなのにそこまでして己を大きく見せようとする国は本当に大きいのだろうか?

 

自分達は大陸に覇を唱えられる大国で、あの小日本は今も我々の軍靴の音にビクビクしているのだと笑う大人達の戯言は好きになれない。

 

それは人として当たり前の感情だと思う。

 

事実と乖離した言葉は雲よりも軽いものだ。

 

無論、今も国家は偉大だ。

 

されど、国土の大半が砂漠化していく最中、無策に滅びゆく大人達の姿はいっそ哀れと言えた。

物事の本質が見えていない。

 

歴史がどうあれ、過去がどうあれ、今現在の大陸と日本は掛け離れている。

 

真に国を憂う者がいれば、その絶望的な距離に目を覆うだろう。

 

ずっと昔、我が国は偉大だと言った先生を思い出せば「では、我々よりも彼の国は更に偉大なのですか先生」と聞いてみたい感慨に囚われる。

 

「・・・・・・・・・」

 

小日本に来る前まではそれでも少しは希望があった。

 

そう、小さいと心の何処かでまだ侮っていた。

 

見上げれば摩天楼(スカイスクレーパー)。

 

見渡せば巨大都市群(メガロポリス)。

 

過去の遥か彼方に置きざられたはずの大中華。

 

心の奥にあったそのままの威容。

 

初めて知った真実は絶望的だった。

 

どちらが優れているのか。

 

その光景を見て解らないものはいない。

 

真実を心に刻まれない限り、己の心にある虚栄は全てを盲目としてくれるだろう。

 

国家の中にいる大半の国民は真実を知る事は無い。

 

それは国が盲目であるのと大差ないのではないかと感じた。

 

「・・・・・・・・・」

 

もしも、そんな事を言えば、すぐさま処刑されるか迫害されて当然だろう思考は留まってはくれない。

 

国民の大半は知っているのだろうか。

 

小さな国と馬鹿にしてきた国の道には痰が無く、塵が無く、糞も無く、ゴミ箱も無く、乞食は在らず、転んで起き上がろうとしたら無償の助けの手がある事を。

 

大丈夫?と聞かれて何も答えられなかった。

 

持ち歩く銃器の重さが想定外だっただけの話。

 

大人達が転んだこちらを射殺すような視線で睨んでいたにも関わらず、少し怖がりながらも手を差し出してくれた小さな手。

 

きっと、苦労なんてした事が無いのだろう柔らかで白い手。

 

薄汚れた移民に成りすましていたはずの自分にそんな手を差し出す子供なんて在り得ない。

 

どんな国でも移民は嫌われている。

 

そんな事すら知らないのか。

 

小さくとも男だというのに、膝まで折って他国の人間を助けようというのか。

 

男の子は差し出した手を掴むと引っ張り上げてニッコリと笑った。

 

「・・・・・・・・・」

 

小日本の日本鬼子が何を偉そうに。

 

助けの手などいるものか。

 

そんな、大人達からの小さな呟きが聞こえてきた時、咄嗟にその手を払い除けていた。

 

もしかしたら、大人達がその手に何かしてしまうのではないかと怖くて。

 

男の子が呆然とする中、背を向けて大人達の中に混じって道を急いだ。

 

急いで、思い知った。

 

道を歩けば秩序があった。

 

車が走れば秩序があった。

 

人が居れば秩序があった。

 

誰も見ていないのに。

 

「・・・・・・・・・」

 

如何にも移民姿の大勢にホテルのフロントで笑顔を浮かべる女性。

 

その職業意識はどれ程なのだろう。

 

良く思っていなくとも決して不快な顔などしない。

 

蛇口を捻れば出てくる水やお湯。

 

しかも、飲めてしまう程に清いもの。

 

その蛇口を目前にこれは魔法かと涙が浮かんだのは当たり前の話ではないか。

 

たった一分蛇口を開けて出た水を持っていけば、大陸で今正に渇き果てようという赤子が何人助かるだろうか。

 

口々にまったく平和ボケした国だと嗤いを浮かべて嘲りの言葉を吐く大人達の誰もそんな事は口にしない。

 

初めて湯船というものを見た。

 

お湯を張り、その中に身を浸す。

 

本国の誰がそんな贅沢を許すというのか。

 

大人達はその時だけは嬉しそうに笑いながら狭い浴室で騒がしかった。

 

自分の体がようやく収まる小さな浴槽で始めての快楽を得ながら、心は晴れなかった。

 

初めて自分がどれだけ汚れていたのか出た浴槽を覗いて解った。

 

初めて自分がどれだけ何も知らなかったのか蛇口から苦しい程に水を飲みながら思った。

 

こんなにも近くて遠い世界。

 

海を隔てただけの世界が哀しかった。

 

「・・・・・・・・・」

 

微酔んでいた顔を上げる。

 

何度も世界が眩んだ。

 

いつの間にか緊張の糸が切れてしまったのか。

 

周りの仲間達も見張り以外は気も漫ろな様子で静かに浅い眠りに身を浸している。

 

【黒星(ヘイシン)】

 

中国裏社会において星の数程もある幇(そしき)の一つ。

 

過去に名を馳せたトカレフと呼ばれる密造拳銃を売り捌いたところから付いた名だと幇の幹部は言う。

 

どうでもいい事だったが、そんなものに拘らなければ幹部にはなれないらしい。

 

幹部達はいつだって手下を殴って蹴って金で黙らせる。

 

己の美学と遣り方が最高だと派閥を創る。

 

けれども、そんな派閥にさえ入れてもらえない下っ端はやはり使い捨ての駒にしか過ぎない。

 

それが女ならば尚更だろう。

 

男の為に働け。

 

そう育てられてきた。

 

大きな荷物を運ばされれば死体だったし、小さな荷物を運ばされれば首だった。

 

殴られなければ殺される場所で、教育だけは受けられた事を感謝するべきかは解らない。

 

ただ、娼婦にされなかっただけマシだとそれだけは解る。

 

人殺しの方がマシだ。

 

病気の末に一人苦しみながら死ぬよりは誰かに銃弾の一つも貰って死んだ方が良い。

 

少なくとも幇の男達はそういう生き方をしていて、そういう死に方をする。

 

そんな普通の死に方が良いと聞いた男達は何やらこちらを見てから変な顔をするけれど。

 

「・・・・・・・・・」

 

ゆっくりと起き上がる。

 

腕の安物の時計は四時を指している。

 

交代の時間だった。

 

廃ビルの一角。

 

未だ通電している場所。

 

電子錠が取り付けられた部屋の前まで行くと大人の一人が待っていた。

 

遅いと怒鳴られ殴られる。

 

ただ頭を下げてから部屋の中に入ると鍵が掛けられる音。

 

たぶん、閉じ込められた。

 

次に移動するまではそのままなのだろうと悟って拳銃の安全装置を外す。

 

上からぶら下がった青白いライトに照らし出されて、その部屋の主が不思議そうな顔でこちらを見ていた。

 

 

布深朱憐にとって世界は謎に満ちている。

 

それは別に世界が滅ばなかった理由とか、見知らぬ少女がいつの間にか恋敵になっているとか、そういう事ではない。

 

謎とは常に男と女の深い溝に付いてだ。

 

ちゃんと連絡手段を渡したにも関わらず一回も掛かってこない連絡。

 

掛かってくる番号に一喜一憂させられ続ける空回りな自分。

 

いつも朝食や夕食を作りに行っているのに時折何の連絡も無くいなくなる愛しい男(ひと)。

 

正に自分は「都合の良い女」なのかと思ってしまう辺り、まだ外字久重という青年と自分は絆的な意味で結ばれていないと思う。

 

別に絆的な意味じゃなくても結ばれているべきとは思うものの、中々難しい

 

「・・・・・・」

 

そんな朱憐は自分程にお嬢様をしているお嬢様も珍しいという自覚がある。

 

日本でも中堅に位置する財閥の令嬢でそれなりに裕福な人間。

 

更にはありがちな誘拐や誘拐未遂もそれなりに経験が有ったり無かったりする。

 

その経験の中でも現在進行形で続いている誘拐は妙なものだと朱憐には解っていた。

 

朝、偶然寝坊した朱憐を送る車に待っていましたとばかりに黒いバンが横付けされ、車で四方を囲まれたあげくに、それぞれ防弾リムジンを安々と打ち砕くだろう武装が窓からニョッキリ生えた。

 

それだけでも日本では有り得ない事態と言えた。

 

日本に武器を持ち込むのは難しい。

 

兵器に関する輸出入の原則が此処数十年で大幅に緩和されたとはいえ、正規のルートを通らない武器弾薬兵器の類は殆どが水際で取り締まられている。

 

特に危ない地域からの船には注意が払われるし、十数年前から続く厳しい海上保安庁の臨検で小型艇などで運ばれる銃器、薬ともに上陸は阻止している感がある。

 

そんな日本にまとまった兵器類を密輸入するとなれば、無駄に足が付くのは避けられない。

 

更に言えば、大財閥ならまだしも、小さな財閥を細々と続けている家を脅したところで取れる身代金も少ないのは自明の理。

 

数十人規模で綿密な連携が必要だろう営利誘拐としては兵器や人数から言っても不審過ぎた。

 

最も解らないのは犯人達が日本人ではなく中国人というところだった。

 

訛りなどを聞けば内陸出身者も多い。

 

話している内容は何やらキナ臭くて「止められるのか」「いや、まずは取引の窓口をどこにするか」等々と何やら計画性が疑われるような話も出ていた。

 

そして、何よりも疑問なのは・・・目の前の十五歳前後の少女だった。

 

真夏だと言うのに茶褐色のトレンチコートを羽織った少女。

 

その姿が自分の知る少女達と何処か被って、朱憐はマジマジと少女を見つめた。

 

浅黒い肌に蒼い瞳。

 

胸元には鋭利な輝きを宿すナイフ形のアクセが一つ。

 

その目付きは鋭く尖った顎や細い体と相まって猛禽類を思わせる。

 

細められた視線。

 

銃の安全装置を外す動作。

 

どれもこれも苛烈な環境で生きてこなければ身に付かないものだろうと朱憐には思えた。

 

『熱くないですか?』

 

近頃予習をサボっていた広東語で話しかけてみる。

 

「!?」

 

ビックリした様子で何やら警戒されてしまった。

 

『コートを脱がないと脱水症状になるかもしれません』

 

「・・・・・・いい」

 

日本語で返されて逆に驚く。

 

誘拐犯達は殆ど日本語が話せないと解っていた。

 

誘拐後の相談で日本語の出来る代理人を立てようと何故か今更な話をしていたから間違いない。

 

「日本語、解りますか?」

 

コクンと頷かれて、胸に少し安堵が広がる。

 

日本語が解らないままの誘拐犯達にトイレは何処かと話しかけるのは躊躇われていたところだった。

少なくとも同じ年代の少女とコミュニケーションが取れるだけでも精神的に違った。

 

「貴女は中国の人みたいですけれど、何処の生まれかしら?」

 

「・・・無い」

 

「え?」

 

「生まれは無い。知らない」

 

「知らない?」

 

コクリと頷かれてそれ以上訊くかどうか迷った。

 

「幇(バン)は孤児を育てるから」

 

その独特の言い回しにやはり誘拐犯達が中国裏社会の人間なのだと確信する。

 

不意に今まで青白いライトのせいで気付かなかった事に気付く。

 

少女の頬が腫れていた。

 

「そこ、どうしたんですか?」

 

朱憐に指された頬を僅かに撫ぜてトレンチコートの少女は言った。

 

殴られたと。

 

「ど、どうして?」

 

無言で目を逸らされて何も言えなくなる。

 

組織の内情を悟られるのは良くないと思われたのかもしれない。

 

「大丈夫?」

 

触れようとすれば警告され撃たれるかもしれず、そっと尋ねる。

 

「・・・・・・」

 

無言で頷かれて、僅かに緊張が解れる。

 

相手がコミュニケーションが取れる人間だと解ったから。

 

「そう言えば自己紹介がまだでした。私の名前は布深朱憐」

 

「ふみ・・・しゅれん?」

 

「そう、朱憐。貴女は?」

 

「・・・虎(フウ)」

 

「ふー?」

 

「とら」

 

「虎・・・ああ、虎(フウ)?」

 

小さな首肯。

 

「随分と可愛いらしい虎さんです」

 

朱憐の顔に笑みが零れた。

 

「・・・どうして、怖くない?」

 

ジッと虎が朱憐を見つめる。

 

「貴女が悪い人には見えないから」

 

「・・・・・・」

 

虎の視線が銃に向いてから朱憐に戻る。

 

言いたい事は朱憐にも解った。

 

「家の父がよく言っていますわ。この世には貧富の差や資質の差を持って生まれてくる人間はいても、善悪や功罪を持って生まれてくる者はいないと」

 

朱憐の言葉を噛み砕いている最中なのか。

 

虎は考え込んだ様子で俯いた。

 

「どんな子も生まれた時には善くも悪くも無い。罪も無ければ功も無い。そういう事です」

 

「銃、ある」

 

「そうしなければならないから、ではありませんか?」

 

虎が朱憐の瞳を上目遣いに見つめる。

 

「撃たれれば、死ぬ」

 

「でも、貴女は貴女の決定で私を殺さない」

 

朱憐の瞳が揺らいでいない事に虎は内心で驚く。

 

銃を持ってすぐ横にいる人間が撃つという単語を使って未だ微塵も揺るがない瞳は普通ではない。

 

「撃たれたら、痛い。血が出る」

 

「ええ」

 

「どうして、怖くない?」

 

再びの問いに朱憐は微笑む。

 

「貴女が私を脅かさないからですわ」

 

「?」

 

「今も貴女は銃口をこちらに向ける事が出来る。でも、貴女はそうしなかった」

 

虎は未だに自分が持つ銃が下げられたままである事に気付く。

 

でも、それはただ単に必要ないからという、それだけの理由でしかない。

 

もしも、怪しい素振りを見せれば、躊躇い無く威嚇射撃を行い、必要であれば体に銃弾を掠らせる事も平気で行う自分にそんな言葉を投げ掛けてくる方がどうかしていると思う。

 

「そうして、ないだけ」

 

「でも、こういう時にそういう事をする人間が沢山いる事を思えば、貴女は良心的です」

 

もう何を言えばいいのか解らなくなった虎はただ朱憐を見つめるしかなかった。

 

「痛みを知らない人間は人を傷付ける事を厭わない。だけど、貴女は傷つく事を知っている。だから、私を無闇に傷つけない。そんな貴女に私は自分を傷つけさせないし、自ら傷つく選択もしません」

 

二人の間に沈黙が流れる。

 

先に折れたのは虎だった。

 

「・・・好きに、したらいい」

 

目を逸らして壁に寄り掛かる虎に対し、朱憐が笑顔で頷いた。

 

「はい。そうさせて頂きますわ」

 

誘拐されている方と誘拐している方。

 

その関係は変わっていない。

 

にも関わらず、何故か虎は不可解な敗北感を感じて、情けない気分になっていた。

 

 

永橋家は基本的に朝の挨拶など皆無な世界だ。

 

それは間違いない。

 

そんな日々にピリオドが打たれたのは極最近。

 

移民の家出少女セキが居ついてからの話だ。

 

朝に弱い永橋家家長永橋風御は基本的に朝の挨拶などしないし、するような人間を家に泊めた事もない。

 

だからこそ、風御はその挨拶を受けるようになってからというもの、殆ど毎日のように困る事となっていた。

 

おはようございます。

 

そんな風習はもう要らないと思う日本人にあるまじき怠惰で風御は完璧な作り笑顔なセキに手をヒラヒラと振るのがやっと。しかし、そんなもので誤魔化されない真面目家出少女は「挨拶も出来ないなんて風御さんは本当にロクデナシです。あはは」と皮肉を忘れない。

 

朝から何故か和食が出てくるようになった永橋家の台所事情は改善されている。

 

毎日、朝早くから朝食を作ってくれている少女に「挨拶なんて要らないじゃん」とも言えず、風御は半笑いでシャワー室に逃げ込んで熱いお湯を浴びるのが日課になっている。

 

風呂場から出たらダラダラといつもの如くバスローブ姿でいたい気持ちになる風御だったが、そんな事を許してくれる程居候少女セキは甘くない。

 

一緒に生活し始めてから一週間目でセキは「風御さんは女の子にフルチンを見せても平気かもしれませんけど、あたしはまったく平気じゃないですから(ニッコリ)」と風御に釘を刺した。

 

風御的には色々あった後「アナタ」から「風御さん」にクラスチェンジした呼び名をそれなりに重く受け止めていたりする。

 

だからというわけでもないが、とりあえず大人の玩具や大人のBD(ブルーレイディスク)や大人の漫画や大人の小説や大人にしか必要無いだろう諸々を隠しておく大サービスを行っていたりする。

 

が、それを公言するのも躊躇われた。

 

公言したらボコボコにされる程度で済むとは思えない。

 

とどのつまり、永橋風御は家出少女セキの尻に敷かれつつある現状をとりあえず黙認している。

 

どこかで何か言わないとガチガチな常識人にされかねないと思いつつも、備え付けてある全然使った事の無い洗濯機を回す少女の背中の健気さにちょっと絆(ほだ)されていたりする。

 

そんなあやふやな距離感で今日も風御はセキの作った温かい朝食を頬張っていた。

 

「うん。マジ美味い」

 

「お世辞よりも食費を下さい」

 

「アレ? 何か立場逆転してない? 此処僕ん家だよね?」

 

「どうしてこの家には酒と肴とパスタしかないんですか?」

 

「だって、作れるのソレしかないから。ほら、酒の肴にする奴って結構塩辛いよね? アンチョビとかニンニクとかオリーブの実とか鷹の爪とか。香草やそういうのを具にするとあら不思議。いつの間にか本格パスタのできあが―――」

 

ビキッとセキの持っていた茶碗に罅が入り、風御は押し黙った。

 

「食費と食費と食費を下さいませんか。家主の風御さん?」

 

「はい。コレ・・・」

 

サクッと女の怖さに降参した風御がカードを一枚どこからともなく出すとセキの前に置いた。

 

「それとあんまり塩辛いものばかり食べてると高血圧になります。野菜と魚は定期的に取ってもらいますから」

 

「僕のお母さんか何かなのかな。セキちゃんは」

 

「ちゃん付けは止めて下さい。それとお母さんとか年頃の女の子に言う事じゃありません」

 

半眼のセキの視線に責められながら風御は涼しい顔で朝食を完食した。

 

食器を片付け始める背中をぼんやり見つめながら風御はこれからどうしたものかとしばし思案する。

 

「・・・そうだ。今日はカジノに行こう」

 

ガシャンと台所から皿が甲高い音を立てた。

 

後ろを振り向くセキの形相はもはや鬼娘と言ったところ。

 

氷の微笑を浮かべたセキがスタスタ風御の前まで歩いてくる。

 

「今、何て言いましたか?」

 

「え? セキちゃんて結構耳悪い?」

 

ビキィッとセキの額に青筋が浮かぶ。

 

「風御さんがどんなにお金持ちでも、この間から言ってる通り、少しは働いたらどうです?」

 

「冗談まで上手いなんてセキちゃんといつか結婚する人は幸せものだなぁ〜〜〜〜」

 

ヘラッと返した風御に思い切りグーを叩き込みそうになったセキが何とか思い留まった。

 

「カジノに行ってお金を擦るなんてアホみたいだと思います」

 

「カジノなんてATMと変わらないよ?」

 

額を手を当てて頭痛を抑えるような仕草をしたセキが反論する。

 

「バカラだろうがポーカーだろうがブラックジャックだろうがルーレットだろうがスロットだろうが負けない賭け事なんてありません」

 

「え・・・賭け事で勝った事ないの?」

 

意外そうな風御の顔にセキの頭の何処かで何かが切れた。

 

「少しは反省してください!」

 

「・・・今日のランキング一位はえっと」

 

風御はいつの間にやら端末で動画サイトに接続していた。

 

ヒョイッと端末を振って風御が壁掛け型のディスプレイに動画を投げる。

 

すぐさま接続されたディスプレイが起動、動画を写し始めた。

 

「〜〜〜〜〜!!!」

 

まったく人の言う事を聞いていない家主の横暴ぶりに思い切りセキが拳を振り上げようとした時だった。

 

リンゴーンとベルが鳴り、玄関の来客を知らせる。

 

玄関脇のカメラの映像を端末で見た風御は微妙に顔を顰めた後、チョイチョイとセキを指を曲げて呼ぶ。

 

「?」

 

不機嫌なセキが傍まで来ると風御がそっと人差し指を唇の前に立ててから、風呂場を指した。

 

セキは目の前の男が実はそれなりに何やら普通な世界の人間ではないと漠然と知っていた為、渋々音を立てないようバスルームへと入って扉を閉めた。

 

そのまましばらくの間は静寂が辺りを支配したものの、突如としてドアが内側へと弾け飛んだ。

 

轟音を立てて飛んだドアを踏み越えるように男が一人室内へと入ってくる。

 

ラテン系の男は黒い肌に赤い髪、痩身で三十代も半ばという、如何にも日本の堅気には見えない。

 

目に悪そうな赤いスーツに赤いネクタイ。

 

物腰は柔らかそうな面持ちだったが、している事は強盗そのものだった。

 

そのスーツから覗く左腕は人間の形を模しているものの鋼色の光沢を放っている。

 

「あ〜〜ら。居たのね」

 

しんなりと体をくねらせてラテン系の男が微笑む。

 

所謂オネェ系な人種だった。

 

「家の玄関結構高いんだけど」

 

風御が半眼で溜息を吐く。

 

「あんたの資産に比べりゃぁどうでもいい事よ」

 

男の言葉に風御が肩を竦めた。

 

「それで【ADET】の大幹部様が何用。暇なの?」

 

「年がら年中暇なわけじゃぁないわ。というか、また何処かのアバズレ匿ってるの? 随分と良いもん食べてんじゃない」

 

男が台所でまだ湯気を立てている味噌汁の鍋を見て辺りを見回した。

 

「あ〜はいはい愚痴は今度聞いてやるから。それで本題は『BAI(バイ)・AR(アール)』」

 

「ちょ〜〜っと気になるけど、ま・・・いいわよ。今度また来るから」

 

「いやいや、来るなよ。もう足洗った人間のところに」

 

「別にいいじゃないのよぉ。あんたとあたしの仲じゃない」

 

「誤解が発生する言い方は断固拒否らせてもらう」

 

げんなりした風御にBAI・ARと呼ばれたラテン系の男はニヤリとしつつも、本題に入る。

 

「ま、今回は簡単に言うと二つ程お使いを頼まれて欲しいの」

 

「内容に拠るよ」

 

「一つはちょっとそこら辺でやんちゃしてる連中を黙らせてきて欲しいっていう簡単なのだから大丈夫大丈夫」

 

「自分の兵隊使ったら?」

 

「それがねぇ。今回はGIOが噛んでて、あたしんとこの兵隊使うとファッキン官憲ちゃんがお出ましになっちゃうかもしれなくて面倒臭いわけ」

 

「何処の尖兵?」

 

「ん〜〜あたしも詳しいとこは知らないんだけど、どうやらお隣の国の幇(バン)みたい」

 

「華僑系とか。何かしたら命狙われまくるんですけど」

 

「そこら辺のイザコザはこっちでどうにかするって【FADO(ファド)】が言ってたわ」

 

「ぶっちゃけるけど、それって僕じゃなきゃダメなわけ?」

 

「ぜ〜んぜん。別に他のとこ雇ってもいいっちゃいいのよ? でも、あなただって自分の家の近くで勝手にドンパチされたくないんじゃない?」

 

「・・・何処?」

 

「んもぉ!? 相変わらずのツンデレさんなんだから♪ 期限は明日までよ」

 

グッタリした風御の前にBAI・ARが左ポケットから取り出した紙切れを一つ置いた。

 

「方法はこっちに任せてもらえるわけ?」

 

「煮るなり薬なり殺すなり、お好きにどうぞ」

 

「それでもう一つは?」

 

「これよ」

 

右ポケットから紙切れを一つ取り出したBAI・ARが今度は風御の手に直接渡した。

 

「・・・報酬ってわけじゃないのはいいとして、どうしろと?」

 

渡されたのは高額の小切手だった。

 

その中に書き込まれている金額に風御はBAI・ARを睨む。

 

「別にロンダリングして欲しいとかじゃないわよ? ちょっと、それで遊んできて欲しいんだって【BOSS】が」

 

「あの男まだくたばってなかったのか」

 

毒づく風御にBAI・ARが苦笑した。

 

「【BOSS】の事を悪し様に罵って生きてられるなんてホントあんたも恵まれてるわよねぇ」

 

「何処で遊んでこいって?」

 

「GIOでいつものレースが土曜からあるんだけど【BOSS】は今回の参加を見送りたいらしいの。でも、それで関係悪くしたくもないじゃない? だから、名代としてあんたがそのお金でパァ〜〜〜ッと遊んできてくれれば、あっちの面子もこっちの義理も通るってわけ」

 

「全部使っていいの?」

 

「ええ、勿論。でも、レースは一ヶ月ぶっ通しだから基本的に全レースへ賭ける事。こっちとしては賭け金そのものは返ってこなくてもいいし、スっちゃっても全然OK。勝った分に関しても懐にいれていいそうよ。ホント、羨ましい夏休みだわ〜〜」

 

まるで夢見る乙女のように頬を染めてBAI・ARが自分も行きたかったと溜息を吐いた。

 

「最初の件と何か絡んでたりするわけ?」

 

「そこはあたしノータッチだから解らないわ。でも、この頃大陸への本格的な参入で色々忙しい時期だから、そこら辺が絡んでるのかもね。あ、いっけない!? もうこんな時間。あたしもこの頃は忙しいのよ。じゃあね?」

 

腕時計を確認してヒラヒラと掌を振ったBAIが来た時同様スタスタと歩き去っていった。

 

後に残された風御が二枚の紙を見てポケットにしまう。

 

「もう出てきていいよ。セキちゃん」

 

おずおずとバスルームのドアが開く。

 

室内に転がっている玄関のドアを目を丸くしながら、セキは微妙な顔で風御を見た。

 

「お友達?」

 

「アレとお友達にされたら自殺ものでしょ」

 

「でも、親しそうでした」

 

「まぁ、昔の同僚だからね」

 

「何を話してたんですか?」

 

しばらく無言でセキを見つめていた風御は埃を払って椅子から立ち上がる。

 

「ろくでもない話、かな」

 

その日、業者によって深夜まで掛かった永橋家の玄関修理が終わっても風御は帰ってこなかった。

 

一人残されたセキは久しぶりに寂寞とした心地になり、風御が今まで自分を寂しがらせないよう極力傍にいてくれたのだと初めて理解した。

 

眠りこけたセキの点けていたテレビが風御家に近しい廃ビルで爆発があったと報じたのは午前零時過ぎ。

 

隣の国で不穏な動きがあると報道したのは翌日。

 

戦争の影は少しずつ日常へと迫り出し始めていた。

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チョココロネが誘拐される。
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