捧ぐ光
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   捧ぐ光

              雨泉 洋悠

 

 この世界を埋め尽くす、儚い花びら、静かに、静かに、夜の闇に、その身を刻む。

 

 ああ、マリア様、マリア様。私は貴女の敬虔な、下僕でしょうか?

 それとも、自らのために、貴女の深く、安らかな愛を利用する、罰を受けるべき背教者でありましょうか?

 

「先輩、魚、好きでしたっけ?」

 もさもさした先輩の髪、今日はじっと動かずに、主の意図に従う。

 視線は私に向けられること無く、その先の一点に注がれている。

 その一点の周囲が、時折緩やかに跳ね、天井と壁との隙間から入り込む光を、取り込んで行く。

「うん、特に観るのが好き、金魚とか、こいとか」

 先輩は視線を変えること無く、答える。先輩のもさもさ髪も、射し込む光を取り込んでキラキラしている。

 六角に囲われた水面、その一辺に私と先輩は隣合わせで座っている。

「それとね」

 そう言いながら、先輩は両手を振り上げる。先輩の髪がふわりと晴れやかに舞う。

「こうやって釣れる瞬間が好き」

 先輩が釣り上げた赤色と共に、こちらに笑顔を向ける。

 その顔は、満面の笑顔。先輩が好きなものに対してのみ見せる顔。

「あ、ひいてる」

 私に向けていた視線を少しだけずらして、水面に落とす。それに反応して、私は視線を自分の手の先に戻して、先ほどの先輩と同じように両手を振り上げる。

釣り上げられた赤色は、光を浴びて涼やかに跳ねる。

「ね、釣れる瞬間が素敵でしょう?」

 更に嬉しそうにする先輩の顔が、真冬の中の一筋の静かな暖かさを感じさせてくれる。先輩に似合うのは、いつだって光だ。

そして、この場所はその光に満ち溢れている。その六角形の空間は、あの場所の、祈りの空間にも似ている。

「この場所はさ、子供の頃からよく来ていたんだよね」

 先輩にとっては、つまりはここもまたあの場所と同じく、お気に入りの空間なのだ。

「だからさ、近いうちに一緒に来たいと思っていたんだよね」

 そう言って、また釣り上げた赤色を自分の場所に納めていく。

最近の先輩は、とても積極的に私を連れまわす。かつては知ることの出来なかった、その強引さや素直さが、私の中に心地よく染み込んでくる。

「楽しんでくれてる?」

 自分が一番楽しそうな顔で、そんな風に私に聞いてくる先輩。私が答える言葉はただ一つ。

「はい、楽しいです」

 私もまた、再度釣り上げて、赤色がキラキラと窓から漏れてくる光を反射した。

 

 二人ともそれぞれ50匹ずつぐらい釣ったところで、時間終了。

 受付のおじさんが、魚を持って帰るか聞いてくれたけど、先輩はいつも通りという感じで断っていた。

「また来ますから、もちろん彼女も一緒に」

 先輩の口からさらっと漏れる言葉の一つ一つが、私の心に静かなさざ波を立てて消えていく。

「先輩は本当に釣った後には拘らないんですね」

 受付のおじさんに、いつもと同じという感じでひらひら手を振る先輩。

「うん、釣れる瞬間のきれいな色を観れたらそれで充分。加えて魚を返す時に水色バケツの中で動く赤い魚達を観れたらもう満足」

 ヘラヘラ笑う、先輩。揺れるもさもさ髪が可愛らしい。

「うん、それにやっぱり一緒に来れたのが嬉しい」

 ここ最近の先輩は終始、そんな感じ。ある意味どっかの何かがとんでしまった感じが、くすぐったくて心地良い。

 さらさらと、昨夜の間に敷き詰められた、白きかけらの上を、先輩と二人流れるように歩く。

 私達が歩く後ろに、刻まれていく二人分の軌跡、まっさらな絨毯の上に、残されるのは私達だけの、確かな轍。

「今日はさ、どうしても一緒に歩きたかったんだよね」

 先輩が、その長いもさもさ髪を、揺らしながら私の隣で跳ねる。

 先輩の心の踊るがままに、その白色の足跡は、不規則なリズムを刻む。

「どうしてですか?」

 私は、その足跡を規則正しいリズムのままに、先輩に答えを促す。

「今日の景色はさ、どう頑張っても今日しか見れないでしょう?

 もちろん、どんな一日だって全てがその日だけの特別な日だけど、今日に限っては本当にこの先生涯見ることが出来ないかもしれない、この街がここまで見事な白銀の世界に包まれることなんて、私が生まれてからも、さらにそのずーっと前からも無かったわけだから」

 先輩は、その長いもさもさ髪を、より一層爽涼な空気の中に舞わせながら続ける。

「そんな奇跡みたいな今日と言う日を、今の私は貴女を当たり前のように誘えて、何の気兼ねもすること無く、貴女と一緒に楽しむことが出来る。その事が私はとても嬉しいし、感謝せずにはいられない。その喜びを、全力で貴女に伝えずにはいられないの」

 私の横で、跳ね回りながら言葉を紡ぐ先輩の姿は、私にとってとても愛おしい。

 私はそっと、先輩の左手に右手を重ねた。

「それじゃあ、次は何を見せてくれますか?

 先輩が子供の頃から行っていたさっきの秘密の遊び場も、とても素敵でしたけど、今日はきっとそれだけじゃないんですよね?」

 そう言って、私は先輩の心により一層寄り添うことを望む。

 今日は、先輩がずっと一人で大切にしてきたものを、私が一緒に分かち合うことを赦された、きっとそんな特別な日なのだ。

 先輩は、少しだけ恥ずかしそうに微笑んで、私の右手を引いて、歩みを速める。

「もちろん!今日は私が貴女に見せたかったものを、今日しか味わえない特別な姿で見せてあげる!今日はまだまだ始まったばかりなの!」

 私は今日初めて、今の先輩を形作ってきた、先輩の心の内にそっとしまわれている、大切な欠片たちに、心を手向けることを赦されたのだ。

 

「さっきのお店はね、幼稚園ぐらいの時に、始めてお父さんに連れて行ってもらったんだよね。釣りなんて始めてだったんだけど、ほらあの釣り堀って簡単に釣れるでしょ?それで、釣れるのは綺麗な赤い金魚だし、釣り上げると今日みたいに射し込む太陽の光を浴びてキラキラしてるし、直ぐに虜になっちゃった。毎週のようにお父さんにねだって連れて行ってもらって、おじさんにも可愛がってもらって、小さい女の子が毎週のようにやってきて釣りしているものだから常連の皆さんとかとも仲良くなって、中学二年生辺りからは一人でも行くようになって、私の子供時代の想い出が、一番詰まっている遊び場が、実はあの釣り堀なんだ」

 そこにいるのは、まるで母親に話す子供のような、心の底からの純粋さを、私に投げかけてくれている、愛らしい乙女の姿。

 私が、ずっと長い間、探し求めていた本能から突き上げてくる、愛おしさの全て。

 踏み締める白き絨毯の上、はしゃぎ回る先輩の姿、その横に並ぶことを、唯一人赦された、自分という存在に感じる、心地良さを伴った不思議な感覚。

 跳ね回る陽射しは眩くて、足から伝わる感触は解けるような、繊細な滑らかさ。

 一歩一歩進むごとに、隣を跳ねる先輩の想いが、優しい音色となって、積み重なる。

 今日は擦れ違う人も殆ど無く、隣を歩く時間は私だけのもの。

「あの釣り堀は、とても光に溢れていて、先輩の好きな色も溢れていて、不思議と先輩に近い暖かさを感じました。すごく素敵な場所でした。正に、先輩の隠れ家ですね」

 先輩はふと立ち止まり、後ろを少し振り返りながら言葉を接ぐ。

「隠れ家、そうだね。私の、心の根っこの部分を形作った場所の一つであり、最初に心惹かれた場所」

 その空間を、外から見る景色もまた、白き欠片たちに注ぐ静かな陽射しの元で、その白さを慈愛とするかのようで、私の心のなかに、自らを残す。

 この場所が、先輩に対して持っているものは、包容力、優しさ。

 振り返り、再び私の手を導き出す。

「次に行く場所もね、貴女に見てもらいたかったの。私が、私のために、必要としている場所」

 私達の歩いた後に、刻まれる轍、白きかけらの上に、しばしの存在を残す。

 

 釣り堀から、歩くこと数分。釣り堀の直ぐ近く。ここもまた、かつての先輩の家から近いと言う事だ。

 石橋を前に置いた、古めかしい和風の門。今日はそこもまた、白きかけらで飾られている。

「先輩はこう言う所には来てはいけないのかなと思っていました」

 私達の目の前にあるそれは、明らかに日本固有の祈りの場。

 私の、先輩との想い出の中の、大切な方から数えて三番目ぐらいまでの中に、僅かにも見当たらない、そんな場所だ。

 正直私は、正に面食らっている状態、と言う奴だ。

「来てはいけない、って事は無いかな。祈りの場に対する敬意は宗派に関係なく私は持っているし。それに、神様は自分の心の中にいるからね。そこは、貴女にもこれからは覚えていて欲しいかな」

 そう言いながら、こちらに顔を向け、右の瞳と同じ高さの左胸に、右手を添えた。

 先輩の瞳に見えるのは、引き込まれそうな透明感。

 その瞳の奥と、先輩の左手に感じられているであろう、その奥ゆかしい膨らみの奥の、信仰を思った。

 石橋の上に撒かれた、白いかけらを踏み締める。石橋の下は、川がある訳ではなく、水に見立てた、白い玉石が敷き詰められた上に、同じく白いかけらが積もっている。

 そして、古めかしい門を潜ると、そこは光に満ちていた。

 一面に敷き詰められている、白きかけらの絨毯。ここに来るまでの道程よりも、ここの光は遥かに強い。

 しかし、それでいてその光は、不思議と暖かい。

 この場所に満ちているものは、静かなる潔さと、緩やかな包容力。

 その景色に心奪われている私を、繋いだ手で導いてくれる先輩。

「こっちへ来て、特別な場所があるの」

 そう言った先輩の視線の先、門から見て少し左の位置に、小さな休憩所があった。

 先輩は、まるで自分の部屋とでも言わんばかりに、気楽にそのガラスの引き戸を開く。

 私の思っていたよりも遥かに滑らかに、扉は動き、私達をその奥に招き入れてくれる。

 

 後手に扉を閉めれば、そこに漂うのは、一滴の沈黙。

 五人も入れば、その狭さに心を砕く必要に迫られそうな、憩いの場。

 二人で占有するその狭さが、今はむしろ落ち着きを、二人の心の表層に落とす。

 二人手を繋いだまま、真ん中に置いてある質素な木製テーブルの向こう、窓と壁を回り込んで作り付けられた腰掛けに、角を挟んで腰を落とす。

 衣擦れの音が途切れると同時に、木々のしなる乾いた音が辺りに響く。

 そして再び、音の切れ目が訪れる。先輩は、無言で扉のガラスの向こう側を見詰める。

 しばし無音の後、響く白きかけらの落ちる音、微かに足元に響くその重み。

「雪が、屋根から地面に落ちる音も、良いよね。昨日の夜にも、ベッドの中で聴いていたけど、昼間にそれが起きるのを今日は観たかったの」

 そう呟くと、私の方を向いて笑う。

「これも、今日しか観れない風景」

 繋いだ手に、感じる滑らかさ、少しだけ、深みを増した。

「もちろん、それがここのメインと言う訳じゃなくて、今のは偶然。上手いこと観れて良かった」

 先輩の、熱を帯びた言葉たちが、二人だけの空間に、余韻を残す。

「このお寺はさ、植わっている木が全部桜なの。春には一面に桜が咲いて、それが一斉に散っていく時の、辺り一面にピンクの花びらが敷き詰められた光景が、物凄く綺麗なんだよ。今日は桜の花びらの代わりに一面の雪、これもいつだって観れる訳じゃない、今日しか観れない風景」

 白きかけらが陽射しに照らされて、輝きを強める窓の外に、視線を戻す、先輩。

「そんな春先には特にそうなんだけど、ここで勉強したり、宿題するのが好き。練習とかもしたりね」

 かつての日々の記憶が、蘇る。僅かばかりの想い出の中の、先輩の姿。

「ここって元々小学校があったんだって、だからかな、妙に勉強が捗る気がするんだよね」

 視線が移った部屋の隅に、先輩が見ているのはきっと、ここで日々を過ごしていた、自分の姿。

「ここは友達にも仲間にも話してない、私だけの秘密の場所。たまに住職さんとか、近所のおじいさんやおばあさんが来て、色々教えて貰ったりしたんだよ」

 先輩の幸せな記憶、大切な場所にしまってある想い出。限りのない無償の優しさに囲まれていた、子供の頃から、今ここに居るその姿までの、全ての先輩を思う。

 私は握った手に、心に流れ込んできた思いのままに、気持ちを込める。

「先輩がこの場所で感じて来た、優しさとか暖かさとか、先輩の心の大切な部分、伝わって来ます」

 先輩がこちらに向き直り、瞳と瞳が繋がり合う。

「ありがとう、貴女に、私がここで手に入れた宝物。知って欲しかったの」

 私は、先輩が今までに感じてきた、ありとあらゆる思いを、教えて欲しいと思う。今まで、長く一緒に居れた外なのに、居れなかった時間の分も、取り返したい。

 今、私の心の、一番近い場所に居てくれる先輩の、全てを感じ取りたい。

 

 二人で、ガラス戸を開ける、この空間の今日の役割は、これで終わり。

「春になったら、桜の季節にまた一緒に来よう。桜の花びらに包まれたこの場所を、貴女に見せたい」

 降り積もった白いかけらの上を、一歩一歩踏みしめながら、入ってきた門を抜ける。

 まだ蕾すら持たない、頭上の木々を見上げながら、まだ少し先の、二人で過ごすピンク色の季節を思った。

 

 青い空と、白い雲、程々に暖められた大気、敷き詰められた白いかけら。

 今日一日を彩る色彩、包み込む空気。

 ここまで来た道を、少しだけ戻り、大きな公園を右手に見ながら歩く。

 広い広い敷地の中で、小さな子達が白いかけらと思い思いに戯れている。

「この公園も、子供の頃に何度も遊んだよ。家から一番近い公園だったし」

 小さな女の子が二人、手を繋いで歩いているのが見えた。

 私の知らない、先輩がその子達と同じぐらい小さかった頃の、その幼い温もりを思う。

 公園が途切れると、左手に生け垣を見ながら、十字路へと近付いていく。

 十字路に辿り着くと、先輩は周囲をぐるりと見渡す。

 その瞳に宿るのは、遠い記憶の向こうを見詰める感傷的な光。

 繋いだ手に込めた力を、少しだけ増して、先輩は左前の、まっさらな雪に覆われた空き地に向かって、歩いて行く。

 空き地の正面に立ち、その足あと一つ無い氷雪の空白地を見つめながら、先輩は言葉を紡ぎ始めた。

「ここが私の、本当の意味での原点。取り壊しが決まってからも、実は何度もここに戻って来て、眺めてた。何でだか不思議と涙は出なかったけど、取り壊しが完全に終わった時、何だか堪らなく切ない気分になって、それで、貴女にまた会いたい。そう思うようになったの」

 その横顔から、伝わってくる、その時の先輩の思い、寂しさ。

 私の中に、流れ込んで来る。

 先輩は、滲んだ微笑みを浮かべながら、こちらを向く。

「あの日泣けなかった私の代わりに、貴女が今日、泣いてくれるのね」

 そう言って、先輩は私の頬に手を触れる。

「先輩の手、冷たいです。冷え冷えです」

 私も空いている方の手を、先輩の手の上に重ねる。

「ごめんね、私は体温、そんなに高い方じゃないの。貴女の手は、暖かいね。貴女の心がそこに表れているみたい」

 貴女の心を暖めるのは、私です。私がいつでも貴女に寄り添っていること、忘れないで下さい。

 私は瞳を閉じて、その滴を流れるがままに任せた。

 

 先輩と共に歩く、光溢れる道。私達の原点へと、辿る道。

 照り付ける太陽。少しだけ、雲間に隠れる機会を増す。

 細く、曲がりくねった、住宅街の間を通り抜ける。

 どの道にも満たされている、白きかけら。

「うわっと」

 珍しく足を滑らせる先輩。でも繋がれた手が離れない限り、私が先輩を支える。

 私の腕にしがみつきながら、先輩は私を見上げる。

「今日初めて足を滑らせた」

 恥ずかしそうに笑う。

「大丈夫です、先輩が足を滑らせたなら私が支えます」

 先輩は、更に恥ずかしそうにしている。先輩の傍らに、これからもずっと、寄り添い続ける自分で、ありたいと思う。

 先輩と共に歩く日々は、いつだって今日のように、光に溢れているに違いない。

 何度目かの細い路地を通り抜けると、それまでとは雰囲気がまるで違う、広くて大きな道路に出る。駅から海へと繋がっている、一本の大きな道路。

 この道路の周りだけ、他の場所と雰囲気と色彩が違う。この道路の周辺だけは、緑と今日を埋め尽くす白きかけらの色とはまた違う白達でも、彩られている。

 白い道路、空の白、海の白、砂の白。そして、信仰の白。

 その最も純粋な白を、今日は白きかけらで埋め尽くす。私達の、心の在処。

 常に全ての人に対して開かれている、私達の背にも届くことのない、石質の門を抜け、純白に染められ、白きかけらに埋もれた階段を、一段一段、二人その感触を確かめ、踏み締める。

 そして私達は、そのこちら側とあちら側を隔てる、無垢なる木目を晒す扉に、二人手をかける。

 

 その身を私達は晒す、その心の大元を、純然たる想いの欠片を、その方の照らす場所へと。

 天井の六角形から、今日の柔らかな陽射しが差し込んで、この空間はいつも以上に優しい。

 私以上にこの場所を特別な場所としている先輩が、その陽射しの中に、一人その身を晒す。

 解かれた右手に残る、温もりの、残り香。いま、この瞬間においてのみは、先輩は私の手よりも、空間の温度に沈み込む。

 そこに今いるのは、私が、この私ですら入り込むことが未だ出来ていないであろう、純血の信心を抱えた、祈り人。

 私が今も、その手に届かせようと、もがき苦しむ、切なさの輝石。

 今私の頬を伝う滴は、何故にこの神々しさの中で、その意味を問うのか。

 今の私が出せうる答え如きでは、何も掬い取れない、全て零れ落ちる。

 そのことにこそ、今の私はその意味を聞こうとしている。

 先輩の、その真実の口から、漏れる呟きの祈り。

「ああ、マリア様。永遠の愛を捧げし我が女神。我が愛、全てを受け取り給え。我が身に、その光を授け給え。我が心、捧げし想い、赦しを与え給え」

 先輩の祈り、そこに、私は居ない。この瞬間のみ、先輩は私に背中を向ける。私が唯一つ、手に入れることの出來ない、その白さ。

 先輩が捧げる相手は、私ではない、この空間の主でもない。

 この世界に唯一人の、先輩の女神。私の女神を奪う、この世で唯一人の、私の越えられない嘆き。その崇高なる壁面に、今私は遮られている。

 その白さは、私の心に、想いに強く、深く突き刺さり、抜けずにここにある。

 長い、長い時の中、先輩は合わせられた両手と共に、その純白を捧げていた。

 

「告白します」

 そして、その時の終わりを、先輩が自らの、私の予測の外にある、言葉で告げる。

 私の、思考の外にしか無かった言葉を、先輩は続ける。

 今の私に、その予測はつかない。

「ああ、マリア様、マリア様。私は真の信仰の下僕でありましょうか。もしくは、マリア様とイエズス様の教えを、自らの心のために利用する、罪深き背教者でありましょうか」

 先輩の心は、本来捧げるべき方ではなく、ただ女神のみに捧げられている。

 それが、彼女の信心においては、罪。

「そして、その貴方様への背教の信心すら、私にとって、真実の愛を手に入れるための手段でしかありませんでした」

 そして、先輩は頬に滴の流れるままに、こちらを振り返る。重ねられた両手は下げられ、そのまま腰の辺りへと置かれる。

 光を従え、女神に背を向ける、我が女神。

「私の全ての愛は、今や私だけの、唯一人の女神に、捧げられています。私は永遠の咎を背負うべき、罪人です」

 その白さは、余りにも美しく、尊い。

「私は、赦されるでしょうか」

 その瞳は、真っ直ぐに私に向けられている。私は、先輩の信仰が、こんなにも深き白であることを、私は知らずにいた。知り得る場所にいながら、私はそれに想いが至らずにいたのだ。

 私は、壁を踏み越える。先輩のその白さを、受け止めるべきは私なのだ。それを、先輩は女神にすら背信しながら、捧げてくれたのだ。

 それに答えることの出来ない私など、この世界に必要ない、踏み越えて、不安定な彼女の心を抱きとめることが、これからの、私の義務なのだ。

 私は、先輩を、その信仰ごと抱き留める。

「赦されます、貴女の女神が、貴女の全ての信仰を抱きしめましょう。それが、私の貴女への永遠の誓いであり、愛です」

 先輩が、合わせていた両手を、私の背中へと結ぶ。

 その涙に濡れた瞳を、頬とともに私の胸へと捧げてくれる。

「ありがとう。私の涙は、マリア様へと、そして私の笑顔は全て貴女に」

 そう言って、顔を上げた先輩は、その一点の曇りもない瞳で、私を見つめる。私はその言葉に、生涯最後の否定をする。

「違います」

「えっ」

 先輩の瞳は、驚きと戸惑いと、思いも寄らなかったであろう言葉への、空白の心を私の瞳に届ける。

「貴女の涙も笑顔も、怒りも哀しみも喜びも、全てを私が受け止めましょう。貴女が捧げるものの全ては、私が残すこと無く受け取りましょう。この先、生き続ける限り、いえ例え死してこの世界と別れようと、私は、貴女と解れません。死しても尚、私と貴女は永遠です」

 そして、先輩の笑顔は、瞳の滴と交わる。

「それならば、私はもう何も恐れない。私の信仰は、全てが貴女に捧げられましょう。永遠に」

 今日と言う日の全ては、マリア様ではなく、唯一人、我が女神のために。

 

「ああ、また今日も雪が降るのね」

 先輩と二人、祈りの空間を出ると、陽射しに照らされる白きかけらの上に、白き花びらが舞い降り始めていた。

 結ばれた私と先輩の手にも、白き花びらが降り積もり、そして、僅かの瞬間で消えていく。

「不思議な日ね、晴れているのに雪が降る。マリア様からの、祝福と受け取って良いのかな」

 私は、その言葉に微笑み、答える。

「当然です、私と先輩は、今日マリア様に永遠の誓いを立て、永遠の祝福を受けました」

 先輩が返す微笑みと、満ちる光と、降り積もった白きかけら。そして、祝福の白き花びら、私の隣に居る、永遠の女神。

 貴女が泣かないなら、私が代わりに泣きましょう。貴女が泣くのなら、私がそっと傍らに寄り添いましょう。

 貴女と同じものを見て、同じものを感じて、私は生きます。

 

 

BGM

There is a light feat. KAT/DAISHI DANCE

Beautiful This Earth (EXTENDED PIANO mix) feat. 麻衣/DAISHI DANCE

 

説明
1年以上ぶりですが「想いの在処」の続きです。
終わりそうな雰囲気を出しつつも終わりません。
続きます。
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