『記憶録』「MISFIT」@
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 白く覆われた施設が一つ。周囲を囲む木々よりも倍近く巨大なそれは城砦にも要塞にも見えるが、郊外にポツンと建つこの場所はそんな印象とは真逆のための建物――病院である。大きいのは施設だけでなく、その敷地も広い。芝が敷き詰められた公園では少女たちが読書や軽食に勤しむものがいて、リハビリも兼ねられる運動場で老人が汗を掻き、敷地をぐるりと囲う整えられた二本の車道をトラック代わりにランニングする男女がいる。

 自然のささやきと小鳥のさえずりに包まれたそこは、一括りに病院と表現するには似合わない。むしろ自然公園の中に病院を立て、どちらかを損なうことなく共存している。現代医学における最新の医療機材と西洋医学だけでなく、東洋医学における人間独自の治癒力も高めることを目的としている。

 国立ディアン・ケヒト自然病院。

 英国屈指の、生命と医療の神の名を冠した病院である。

「な、なんだとーーーー!!」

 そこに、静寂を叩き壊す如く響いた怒声。

「に、兄さん、落ち着いて。病院なんだからもう少し静かに……」

「落ち付けだとっ! 大事な妹が誘惑されかかっているというのに、病院も落ち着けもクソもないだろっ!!」

「誘惑じゃないわ。ただラブレターをもらっただけで――」

「それが誘惑じゃなくて何だと言うんだ!」

「相手は子供よ!」

「なんてマセたガキだ! ちょっくらシメてくる!」

「兄さんやめてーー!」

 ニーナ・マッカートニーと書かれた表札の病室で騒がしく声が飛んでいる。病院という落ち着きと平穏の空間が、たった一箇所のためにぶち壊されようとしていた。

 中にいるのは二人。

 病院服に身を包み、ベッドの上で起きているのが、この病室に入院している表札の名の少女――ニーナだ。本来なら可憐で美しいと誰もが言うだろう、伸ばしたブロンドの髪に透き通った青み掛かった瞳だが、今は乱れに乱れていた。

 原因は、その彼女が必死に袖を握って止めようとしている軍服姿の男が一人。

「ええい止めるな!」

 同じブロンドの髪は短く切り揃え、筋骨隆々な身体は二メートルに達する。軍服に似合うかと言われれば頷くが、ニーナと同じ親から生まれ、血を受け継いでいるとは到底思えない。傍から見ればまさに美女と野獣そのものだ。

 ルイス・マッカートニー。

 英国陸軍に所属する軍人で、厳つさ満点で完全叩き上げの一等准尉である。

「お前を惑わせようとした奴にニーナがどれだけ稀少で儚く、どんな名女優よりも美しく愛おしい存在で、それがどんな罪深いことか知らしめてこなければ気がすまん! 何より、死んだ親に見せられん!」

 引っ張られた袖が、ふと軽くなった。元々力関係を考えればすぐに振り解くことはできた。それをしなかったのは妹に暴力的なことをしたくなかったのと、もう少しこの状況を楽しもうとしていたからだ。

 その袖が解かれた。

 振り返れば、ニーナは俯いていた。怪我が痛み出したのかと思ったが、どうやら違うようだ。

「ごめんね。あたしが怪我なんてしなければ兄さんが軍に入隊することもなかったのに」

 ニーナが怪我をしたのは五年も昔のことだ。

 世界合併現象による混乱と紛争は、二五〇〇年に差しかかろうとする今も終わってはいなかった。大概の国連所属の軍隊や外勢力調査機関によって解決されているが、問題は一つ終われば三つ増えるというもの。それは英国でも同様だった。

 アイルランドは消滅し、代わりに出現したのは大西洋に伸びる三日月状の大陸。跳ばされてきた大陸には一つの国家が存在していた。バルトフェルツと呼ばれる、近代化が始まったばかりの国家は交渉もままならぬまま、グレートブリテン島と陸続きとなったことで大陸の統治を掛けた戦争へと発展した。

 なかには前線をすり抜けて、市街地に飛び火することもあった。

 両親が死に、ニーナが両足をなくしたのも戦渦に巻き込まれたのが原因であった。

「心配する必要はない。今は義足の技術も進んでいるし、いざとなれば魔術による再生も可能だ。お前はまた歩けるようになる」

 それでも先立つのは金である。

 その資金を集め、よりよい福利厚生を得るためにルイスは軍に入った。それ以外に手段がなかったわけではないが、当時はこれが最善だと選んだ道だ。後悔はない。むしろ、妹がまた昔のように歩けるという希望がある分、やりがいさえある。

 ニーナの頭を、冷たい右手で撫でる。

「だから、お前は足の治療に専念しろ」

 うん、と微笑んでニーナは頷いた。

「だがレターの話は別だ! お前は確かに可愛い! 可愛すぎる! かのミネルヴァすらも見劣りするほど! そういう意味ではそのガキは褒め称えていい。だからと言ってそうホイホイと、会ったこともないそこらの有象無象に引っ掛かっていいものではない! 死んだ親以上にこの俺が望んではいない!」

「だから、レターを貰っただけで、相手は子供だってば」

「ナンセンスだ! 受け取っただけで奴らは舞い上がって何を仕出かすか分からない! しかもそれがガキだ! ここでそれを許し、増長させたら今後が危険だ! ここでガツンと懲らしめてやらないとまたニーナに手を出しかねないだろ!」

「に、兄さん……」

 兄のよく分からない言動にニーナが悲しい眼をして見上げてくる。

 何故そのような眼をするかルイスには理解できない。ただ心配する一心で言っているのに、それがどうにも妹には通じていないようだ。そういう視線を向けられるとどうにも弱い。しどろもどろになってしまい、続く言葉が出てこない。

「な、なんだ……」

 ようやく搾り出した声も、どこか上ずっていた。

「もう少し、大人になってください」

 失礼な話だ。ルイスは今年で二十台後半に入り、ニーナも成人となる。それなのに大人になれというのはどういうことだろうか。

「はいその大人が失礼するよっと」

 病室に入ってきたのは、ルイスと同じく軍服姿の男性。情報部の腕章が示すように、凛々しくも冷たい印象を感じさせる顔つきと身体つきに軍人らしさはなく、どちらかというと政治家のような雰囲気だ。そして胸にはいくつかの勲章と、ルイスよりも階級が上であることを示す階級章がついている。

 バッグス・フォックスフォード。ルイスと同期でありながら情報部に転属し、一足先に出世を果たした憎き中佐である。

「もう少し静かにしろよお前ら。廊下どころか外まで聞こえてたぞ。特にルイスお前だ」

「五月蝿い! 大事な妹の貞操の危機だ。そんな耳カスにも劣る気にしていられるか」

「そのせいで、ニーナちゃんの兄貴は大馬鹿シスコン野郎てことが周知になったがな」

 バッグスの言葉にルイスは押し黙るしかなかった。妹に妙な噂が立つのは避けたい。

「久しぶりだねニーナちゃん。体調のほうは良いみたいだね」

「バッグスさんお久しぶりです。転院してからは落ち着いていますが、身体は相変わらず良くなったり悪くなったりの繰り返しですね。バッスクさんのほうは」

「相変わらずさ。仕事が一つ終われば三つも四つも舞い込んでくる。身体があと五つぐらい欲しいね。そうすれば、彼らに仕事押し付けてサボれるからね」

「サボっては駄目ですよ。国を守る大切なお仕事なんですから」

「でも、そうすればこうして君の顔を見に来れるからな」

 近くの椅子を取り、親しく話し合う二人。見た目とは反してバッグスは陽気に話しかけ、ニーナも楽しそうに会話している。こんな光景を見るのは久しぶりだ。ルイスが見舞いにくれば微笑んではいるが、どこか申し訳なさそうな表情をするのを気に掛けていた。気にする必要はないのだが、心優しい彼女がそれを許さないのだろう。

 それが今、ただただ会話を楽しんでいる。交流を満喫している。僅かな時間ではあるが、しかし大切な時間を大事に噛み締めていることにルイスは感動すら感じていた。

 だが、この二人から醸し出すふわふわとした空間はどうだろうか。二人だけの世界と時間から追い出された理不尽に、純粋に喜ぶことはできない。

「おい。それでどうしてこのタイミングで来たんだ? このクソ忙しい時期に、ここまで足を運ぶってことはそれなりに理由があったんだろ」

 少し棘がある言い方でバッグスに突っかかる。

「大切な友人の妹の見舞いに“ここまで”はないんじゃないか。だがまぁ、他用はあると言えばあるんだがな」

 バッグスは立ち上がり、ルイスに向き直す。先程までニーナと交わしていた朗らかな表情から打って変わって、病室に入ってきた時と同じ、軍人の顔つきでルイスを見据える。

「ルイス・マッカートニー一等准尉、緊急につき俺に連れられて基地に戻ってもらう」

 口答えは許さない。許されもしない。命令がどのような意味を持っているかは自分で納得し、呑み込み、こなさなければならない。委細、全て結果のため。それが軍人のあり方であると、ルイスは抗議も反論もせずに敬礼で応じた。

「兄さん。また戦場に戻るの?」

「安心しろ。お前を幸せにするまで俺は死なない!」

「バッグスさん。いい加減、妹離れをするよう兄に叩き込んでやってください」

「難しいと思うが、できるかぎり善処しよう」

 心配そうに頭を下げるニーナに、バッグスは申し訳なさそうに応える。

「俺はニーナの保護者だ!」

 こうして、ルイスの短い休暇は終わった。

 

 彼が戻る場所は戦場だ。

 英国という国は三十年前に起こった世界合併現象によって、その形状を大きく変えていた。アイルランド島は消滅し、グレートブリテン島の西沿岸から大西洋に伸びるように大陸が出現している。旧英国の三倍もある大陸に踏み出せば、そこは領土でありながら未開の地。地形から気候に至るまで、すべてが今までの常識が通用しない。そこには当然、こちらの世界に飛ばされる以前から存在する住人――イグラッシュと呼ばれる異邦人もいた。国連の外調査機関が間を持ってくれたことで一度は英国との統合に同意してもらえたが、納得のいかない一部の民衆が反乱し、各地でテロを起こして状況は一気に悪化。ついには首都ロンドンでの大規模テロを皮切りに、戦争へと発展してしまった。

 膨れ上がった亀裂は大陸を二分し、異世界からの大陸と混ざり合うかつてのウェールズだった場所全域がこの“イグラッシュ戦争”の最前線となったのである。

 さて、ウェールズの基地に帰投したルイスはバッグスの後ろを歩きながら欠伸を一つ。基地内は前線に近いこともあって、ちょっとした緊張感に包まれている。いつ何時、出撃がかかるか分からない状況で上官に連れられながら欠伸をかくのは自分くらいだと自称する。

 だが、バッグスが開けた扉の先にいた人物からの言葉に、さすがの彼も驚愕せざるを得なかった。

「おまえクビな」

「司令、そこは除隊ときちんと言ってあげるべきです」

「ふざけるな――あ、どういうことでしょうか司令! まったくもって理解できません!」

「ほらこのとおり。彼は紳士ではありませんので」

 紳士じゃないなら仕方ないと司令は首を振った。基地司令室にも関わらず飛び交うのは失礼の塊ばかりである。

 目前の机に腰掛ける司令は紳士な人間として軍部でも知れ渡っている穏健派である。最近では萎えた衰えたと弱った印象の評判しか聞かないが、腐っても戦線を保守してきた軍人でもあった。入隊以来、何度も世話になった恩人でもある。しかし、こればかりは納得できるものではない。突然休暇を止められて連れてこられた先で突きつけられた、下を向くサムアップ。冗談であっても許す気はない。

 無言の圧力にさすがにこれはまずいと思ったのか、フルートを磨いていた司令はこほんと咳を払い、真剣な眼差しでルイスを見据えた。そんな時でもフルートは手放していない根性はどこから沸くのだろうか。

「たしかに貴官は戦力として申し分ない力を持っているのは。さらに学院の“魔女”からも一定の信用を得ているようだな。毎日、メールが届いているぞ」

「でしたら――」

「だけどよおまえ。軍の通信機を使って妹に連絡取るわ、ジムで突然同僚に襲い掛かるわ、魔女に報告書送らないわ、勝手にジープで妹の病院に乗り込むわ。さすがに目に余るぞ。たしかに少女は可愛いがな。さっきのメールってのは催促だからな。いい加減に報告書よこせ、状態を見させろとな」

 自業自得だが、ぐうの音も出ない。

 このまま執行されれば夜を迎える前に荷物と一緒に放り出される。それではニーナの医療費は誰が払うというのだろう。自身のことはどうでも良い。いざとなれば山中にでも篭ってサバイバルするだけの自信はある。だが、一にも二にもニーナの治療が最優先だ。軍に入隊したからこそ、最新の医療と落ち着いた環境を揃えることができた。それが失ってしまうのは腕をもがれるよりも辛く苦しい。

 今後を連想すればするほど悪循環の妄想が肥大化し、ルイスは今にも発狂しそうだ。

「だが、それだけで戦力的に優秀な貴官を除隊というのは、確かにいささか早急な判断だろう。そこで、貴官にある妥協点を用意した」

 青ざめるルイスに司令は一枚の書類をさっと取り出した。

「このたび、新たにチーム編成することとなった。どのような人材を揃えるかは後の会議によって決定するが、とりあえずお前は決定な」

 震える手で書類を受け取るとそこには“ブルックリン基地へ異動”の一文が目に付いた。そこはウェールズにおいて最も前線に近く、そして最も戦火が激しい場所である。

 それを分かっているのか、司令は腹が立つほどとても満足げな表情をしてフルートを磨いている。息を吹きかけて曇った箇所を拭き取っての繰り返して、無意味に愉悦に浸っていた。

 バッグスへ振り向くと、そっぽを向かれてしまった。

 ルイスは納得した。この紳士的余裕を振りまく司令に余計なことを吹き込んだのは、間違いなくこの男だと。

「死ぬほど頑張って死んで来い」

 清々しいまでの殴りつけたい笑みを浮かべて激励を送る紳士司令。その手はフルートを磨くことを忘れていない。

 弄ばれたことへの怒気と、首の皮一枚繋がったことへの感謝を織り交ぜて、ルイスは青筋を立てながら敬礼で応じた。

説明
久しぶりの投稿です。書き方等々がかなり変わっていますのでご注意ください。
作品は2495年英国を舞台としていますが、ほぼエセです。こんな人いません。いや、もしかしたら現れるかもしれませんね。
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