WakeUp,Girls!〜ラフカットジュエル〜18
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この頃昔のことを思い出すことが多いな、とIー1クラブの総帥である白木は思った。昔のことと言っても何でもかんでも思い出すわけではなく、ハッキリ言ってしまえば島田真夢が辞める原因となったあの事件のことだ。あれ以来公式の場で彼はあの件に触れることもコメントを出すこともせず、とにかく一切ノーコメントを貫いてきた。だがそれは決して事件を風化させることを狙ってのことではなく、彼自身が未だに後悔しているから触れたくなかったのだ。

 島田真夢は人気絶頂と言ってもいい時期に突如として男性スキャンダルの噂が立ちI−1を辞めたのだが、当時些細なことから白木と真夢は対立していた。彼は真夢にお灸をすえる意味で、彼女がセンターの曲とナンバー2だった岩崎志保がセンターを務める曲を同時にリリースし、売り上げで負けたら真夢をクビにすると本人に通告した。

 もちろん白木としては真夢をクビにするつもりなどハナからなかった。彼女の才能は手放すにはあまりにも惜しかったし、彼女の側から反省して歩み寄ってきさえすれば重い処分を下すつもりなどなかった。I−1の代表者である自分に公然と逆らった以上処分をしないわけにはいかないが、それでもごく軽い処分に留めるつもりだった。もちろんその前提条件は彼女の方から頭を下げてワビを入れてくることなのだが。しかしその判断が最悪の結末を招く原因になってしまうとはその時点では想像すらできなかった。あの時余計な条件など付けず、処分をただ普通に下していればこんなことにはなっていなかったのだろうか……白木の中では今もあの事件は終わっていない。

 

「合宿?」

 デスクで書類に目を通していた丹下社長は、視線を移すと松田にそう聞き返した。

「ええ。夏夜がやらせてくれって言ってきて……。ちょうど来週2日間オフが連続してるんで、そこでやらせてくれって言ってまして。みんなで同じ釜の飯食って腹割って話し合いたいらしいんですけど」

「そんなこと言っても、今から宿の手配とか間に合うの?」

 社長は少し考え込んでからそう言った。夏夜が提案してくるからには彼女なりに何か考えていることがあるのだろうと思ったので反対するつもりはなかったが、なにぶん来週という急な話だ。大人数で泊まる場所を確保できるのかは大きな懸案事項だった。

「それが、気仙沼の方で夏夜の叔母さんが旅館を経営してるらしくって、やるならそこでやるって言ってましたけど」

「ふうーん。なるほどね」

「どうします? 行かせちゃっていいんですかね? この間の事件以来なんかアイツらギクシャクしてる気がするんですけど、そんな状態で合宿とか大丈夫ですかね?」

「いいんじゃない? とことんガス抜きさせりゃいいのよ。ついでに私たちも骨休めってことで」

「え? 俺らも行くんですか?」

「当たり前じゃない? なんで行かないと思うのよ?」

 それはアンタがケチだからだよ、とは思っても口にしない松田だった。

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グリーンリーヴスの面々は急遽一泊二日の合宿を行なうことになり、全員で合宿先である夏夜の叔母が経営する旅館のある気仙沼へ向かった。行きのバスの中でも、表面上は何の問題もなくみんな和気藹々としているように見えたが、実は真夢と佳乃は一度も会話をしていなかった。みんなそれに気づいてはいたが、いったい何をどう言えばいいのかわからず触れられずじまいだった。

 気仙沼に到着した一同を出迎えたのは、荒涼とした、空き地ばかりが目立つ街の景色だった。本来なら建物が立ち並び多くの人々や車が行き交うはずなのだが、あの日何もかもが津波で流されてしまったこの街に今響くのは、ブルドーザーやショベルカーといった重機の音だけと言っても過言ではなかった。夏夜が言うにはこれでも震災当時に比べれば格段に綺麗になったらしいのだが、それは単に瓦礫の山が片付いただけの話で実際は何も変わってはいなかった。

 そこかしこに今もまざまざと残る震災の爪痕を目の当たりにした少女たちは、ただただ言葉を失い立ち尽くすことしかできなかった。真夢以外の6人はあの時それぞれこの東北の地に居て震災を経験している。彼女たちの周囲にも直接被災した人達はいる。目の前の風景を見つめる少女達の胸の中に、当時の様々な状況と想いが鮮明に思い出された。

 宿泊先の旅館に到着すると、夏夜の叔母が一同を丁重に出迎えた。玄関の脇に船のブイらしきものが飾ってあるのを見た真夢は少しだけ違和感を覚えた。置いてあるというより明らかに飾ってあるようなブイ。何か意味でもあるのかな? 特別な船のものなのかな? と思ったが、だからといって尋ねるほどのことでもないので彼女も特に話で触れるようなことはしなかった。

 食事の前にランニングだ! と松田に厳命された少女たちは、文句を言いつつも部屋に荷物を置くとすぐに着替えてランニングを開始した。神社の前に差し掛かったところで最後尾を走っていた真夢の目に、前を走っていた夏夜が急に立ち止まる姿が映った。

「どうしたの、かやたん。大丈夫?」

「うん、大丈夫大丈夫。靴のヒモがほどけちゃっただけだから」

 夏夜はそう言うと、しゃがみこんで靴の紐を結び直し始めた。

「街の様子見てビックリしなかった?」

 靴紐を結び終わった夏夜は、立ち上がると真夢にそう言った。

「そうだね。なんだか何にもなくなっちゃってるって感じがする」

「これでもね、あの頃よりはホント遥かに綺麗になってるんだよ。信じられないかもしれないけど」

 2人は改めて街の景色を眺めた。何も無いと言っても、いわゆる過疎の街のように最初から何もないというのとは違う。この街の場合は本来有ったものが無くなってしまっている何も無さなのだ。本来有るべきものが無い。それは真夢には違和感しか感じられなかった。

「久しぶりに帰ってきたの?」

 真夢がそう尋ねると、夏夜はうんと言って小さく頷いた。帰ってきたのはあの時以来だと、そう言った。

「アタシね、小さい頃に両親を亡くしちゃって、それからずっと叔母さんが母親代わりにアタシの面倒をみてくれたんだ」

 初めて聞く話に真夢は少し驚いた。彼女が一人暮らしをしていることは知っていたが、当然のように両親は健在なのだと思っていた。そもそも夏夜が身の上話的なことを言うのも初めて聞いた気がした。

「叔母さんには、随分心配かけちゃったなぁ……」

 夏夜は街並みを見つめながら、どこか寂しそうな、どこか悲しそうな横顔を見せた。今まで見たこともない表情だと真夢は思った。

「ねーぇ、大丈夫ー?」

 突然遠くで2人を呼ぶ声がした。2人がいないことに気づいてみんなが戻ってきていた。声の主は実波だった。

「ごめーん、今行くよー」

 2人は慌ててみんなの元へ駆け出した。

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ランニングが終わってから7人はダンスのおさらいに多くの時間を割いた。食事が終わってからも、お風呂の時も、7人は一見すると何事も無く仲良さそうに振舞っていたが、真夢と佳乃の間に走っている亀裂を埋めるような出来事は何も起こらなかった。機会を窺っていた夏夜だったが上手くタイミングを掴む事ができず、結局みんな疲れて早々に寝てしまった。実波や未夕あたりははしゃぎ過ぎて疲れてしまった側面もあったが。

 その夜みんなが寝静まった頃、夏夜はトイレに行きたくなって目が覚めた。起き上がって何気なく周囲を見回してみると、1つだけ主のいない布団があった。真夢だった。

 どこに行ったのだろうと思った夏夜は着替えて表に出た。真夢の居場所はすぐにわかった。彼女は旅館の周りを1人黙々とランニングしていたのだ。真夢と視線が合い、彼女は夏夜の元へと駆け寄って来た。

「こんな夜中にランニング? 張り切ってるね」

 夏夜はそう声をかけた。

「うん。毎日やってるから。今日はそのまま寝ちゃおうかと思ったんだけど、やっぱり日課になってるからやらないと気持ち悪くって」

 真夢はそう言って少しはにかむような顔をした。あまり見られたくないところを見られてしまった、そんな表情だった。夏夜は良い機会かもしれないなと思った。全員で話し合うことは出来なかったが、真夢と2人きりで話せて彼女の本音を聞きだす事ができるのなら、それはそれでOKだ。

「せっかくだし、2人きりでちょっと話さない?」

 夏夜がそう誘うと、真夢は少し不思議そうな顔をした。こんな夜中に? と言いたげだった。

「なかなかこんな機会ないし、考えてみればまゆしぃと2人きりで話したことないしさ。目も覚めてきちゃったし、どうかな?」

「……うん、いいよ」

 真夢は少し考えてからその提案を了承した。

 2人はそのまま目の前にある海沿いの公園に移動しベンチに並んで腰掛けた。満天の星空。彼女らの周囲は静寂に包まれ、波の音以外の物音は全く聞こえない。2人はしばらく目の前の暗闇に浮かぶ海を眺めていた。常夜灯の明かりが波間にユラユラと光を落としていた。

「あの時はどうなることかって思ったけど、みんな思ったより強いよね」

 夏夜はあの忌まわしい震災のことをまた思い出してそう言った。多くの人が命を落とし、より多くの人が未だに影響を被って苦しんでいるあの未曾有の大震災のことを。真夢は小さく、そうだね、と言って頷いた。あの時その場に居なかった真夢にとっては軽々しく触れることのできない話題だった。

「ねえ、まゆしぃ。アタシの秘密、聞いてくれる?」

 夏夜は突然そう言って真夢を見つめた。そして履いていたズボンのポケットから1通の封筒を取り出して真夢に手渡した。封筒のくたびれ具合から見て、昨日今日届いた手紙ではないように真夢には思えた。

「読んでいいの?」

 夏夜は黙って頷いた。真夢は封筒の中から手紙を取り出して中身を読み始めた。

「夏夜ちゃん元気? しょうとう丸のマークが付いたブイがアラスカに流れ着いてね、私たちが引き取ることにしたの。それもあってね、夏夜ちゃん一度帰ってこない? ……あの、これって?」

「それね、去年叔母さんに貰った手紙なの」

「去年?」

 真夢は手紙に添えられていた写真を手にとって見た。そこには『しょうとう丸』と書かれた漁船をバックにしてピースしている1人の青年が写っていた。

「アタシ、3年前のあの時、なんか大切なものを色々無くしちゃってさ。ここで暮らすのがホントに辛くなっちゃってどうしようもなくなっちゃって、それで仙台に逃げ出しちゃったんだ。去年その手紙を貰ってからもなかなか帰る踏ん切りがつかなくってさ……結局仙台でダラダラ過ごしちゃった。なんかどうしたらいいかもわかんなくなっちゃって、そん時バイト先に偶然松田さんが来てね、アイドルのオーディションを受けてみないかって誘ってくれたんだ。でも別に真剣に考えたわけじゃなくって、何となくやってみようかなってくらいの気持ちで受けてみたの。そしたらウソみたいだけど受かっちゃって。でもきっかけが何となくだったから、何となく活動して何となく楽しんで、つまらなくなったら何となく辞めちゃえばいいやって、そう思ってた」

 夏夜はスッと立ち上がると海の方へ歩み寄った。寄せては返す波を見つめながら夏夜は話を続けた。

「でもね、やってるうちにだんだんそうじゃなくなってきて、色んな事があって、楽しいだけじゃなくて悔しい思いや辛い思いもして、そしたら小さい頃のことを思い出したんだ」

「小さい頃のこと?」

「うん。その写真に写ってる人ね、アタシの幼馴染なんだ。年齢はアタシの方が下で、なんか兄貴みたいに接してくれてたの。アタシが迷ってたり困ってたりするといつも助けてくれてさ。アタシ、小さい頃に両親を亡くしたって言ったじゃない? 子供の頃ってそれで随分からかわれたりして傷つけられたの。イジメられたりもしたよ。そんな時いつもそいつがからかったりイジメたりする相手に食って掛かってケンカしてさ、そうやってアタシをかばってくれてたの。負けんなよって。辛くても負けんなよっていつも励ましてくれてさ。ケンカしてボロボロになりながらアタシのことを励ましてくれたの」

「良い人だね」

「うん。あの震災の日の朝、アタシそいつに会って話したんだ。結局それが最後になっちゃったけど」

「えっ!?」

 真夢は絶句してしまった。彼女は素直に幼馴染とのある意味微笑ましいやりとりだと思って聞いていたのに、その相手はもう既に亡くなっていると夏夜は言う。何と声をかけていいかわからず沈黙している真夢にかまわず夏夜は話を続けた。

「結局ハッキリとはわからないし今でも行方不明扱いなんだけど、津波に巻き込まれたらしいの。津波の時って船は沖に出した方が良いらしくって、アイツの船、そのしょうとう丸ってのがそうなんだけど、その船も慌てて沖に出たらしいんだ。でもそれっきり2度と戻って来なかった。遺体を見たわけじゃないから未だに信じられないんだけどさ。その写真はあの日の漁の後に撮ったものなんだって。その後震災があって船を沖に出して……だからそれがアイツの最後の写真なんだ」

 その時真夢は東京に居たので直接被害は被っていない。身内に命を落とした者もいなかった。その後I−1クラブの一員として被災地を訪れはしたが、どこか夢を見ているような現実感の無さを感じていた。事実であることを認めたくなかったのかもしれない。ウソであって欲しいという気持ちがそうさせていたのかもしれない。これは夢なんだと思い込むことで心の平常を保っていたのかもしれない。だが実際に大切な人をなくしたという話を聞くと現実であったことを改めて思い知らされる。慰める言葉など上手く出てこなかった。

「この手紙に書いてあるブイって、旅館の玄関に置いてあるブイのことでしょ? 港町だからかな、くらいにしか思ってなかったけど」

 真夢は旅館に入った時に感じた疑問を尋ねてみた。

「うん、そうだよ。船も津波で流されちゃって、多分途中でバラバラになっちゃったんだろうね。それでブイだけがアラスカに流れ着いたみたいなの。叔母さんが引き取ってからずっと玄関に飾ってあるんだって」

「そうだったんだ」

「アタシね、あれからずっと逃げてたけど、ウェイクアップガールズに入ってやっと夢中になれることが見つかった気がするんだ。挫けそうになるとあいつに負けるなって励まされたことを思い出して、そうやって自分なりに頑張ってたらね、ずっと逃げてたこの街にも何だか帰ってこれそうな気がしてきたんだ」

 前向きになることができたということかな、と真夢は思った。彼女も自分がもっと前向きにならなければいけないとわかってはいるのだが、なかなかそういう心境になれない。不謹慎かもしれないが、夏夜がほんの少し羨ましくも思えた。

「この前まゆしぃとよっぴーが険悪な感じになっちゃったじゃない? あれからアタシなりに色々考えたんだ。アタシたちはこれからどうすればいいかって。それで、結局みんなが本音で話し合うしかないかなって思ったんだ。心に思っていることを本気でぶつけ合ってお互いを理解しあう、それしかないかなって。それで社長と松田さんに頼んで今回の合宿をやらせてもらったの」

「え? この合宿って、かやたんの発案だったの? 社長が言い出したんだと思ってた」

 そう言って驚く真夢に、夏夜は微笑みながら頷いた。

「きっかけになれば良いなって思ったんだけど、そう上手くはいかなかったね。みんなレッスンに張り切り過ぎて疲れてすぐ寝ちゃったからみんなで話し合うことも出来なかったし。でもアタシは、こうしてまゆしぃと2人で話せただけで来た甲斐があったかなって思うよ」

 それは紛れもなく夏夜の本音だった。もちろん第一の理由は皆で腹を割って話し合うことで、それは残念ながら思うように実を結ばなかったけれど、それでも決して今日の合宿は無駄にはならないだろうと思えた。そして彼女はこのまま話を終わらせるつもりはない。真夢の本音だけでも引き出すつもりでいる。

「でもね、ホントはみんなで話し合おうと思ってっていうのも理由の一つでしかなくて、やっぱり1人じゃどうしても帰る勇気がなくってさ。それでみんなに一緒に来てもらったってわけ。ごめんね、便乗してつき合わせちゃって」

 夏夜はそう言うと、右手を挙げてゴメンと謝る素振りを見せた。正直だな、と真夢は思った。そんなこと黙っていればわからないのに、みんなのためにそうしたんだって言えばその通りだと思うしかないのに、それなのに夏夜は正直に個人的な理由でみんなを付き合わせたと白状している。けれど全くイヤな気分にはならなかった。

「あんな小さなブイがどうやってアラスカまで流れ着いたのか知らないけど、なんかアレを見たらアイツが、負けるなよ、挫けるなよって今でもアタシを励ましてくれてる気がしちゃって、そしたら頑張りたくてももう頑張れない人の代わりにアタシが頑張らなきゃって気持ちになってきた。だから強い相手だからって負けたままじゃ終われないって今は思ってる。まゆしぃの言うようにI−1にだって負けたくないって今は思ってるよ」

 亡くなった幼馴染のことを思い出してしまったのか夏夜の声は涙をこらえるために震えていたが、それでも彼女は気丈にも笑ってみせた。だがその目元に月明かりで照らされた何かが光るのを真夢は見逃さなかった。

「これがアタシの秘密。ごめんね。なんか、らしくないよね」

 そう言って夏夜は照れ笑いを浮かべながら、目に浮かんだ涙をそっと手で拭った。真夢は黙ってかぶりを振った。夏夜はメンバー最年長であり姉御肌なので頼りがいがあり、辛い話とか苦しい話とかには無縁のように真夢は勝手に思っていたけれど、そんな彼女にそんな過去があったことを知り少し見る目が変わった気がした。多かれ少なかれみんな同じなのかもしれないなと思った。みんな何かしら苦労している。心に傷を負っていたり深い悩みを抱えていたりするのだなと思った。I−1の人たちもそうなのだろうか。白木や麻衣や志保もそうなのだろうか。佳乃たちもみんなそうなんだろうか。閉ざされていた真夢の心の扉が少しずつ開かれ始めていた。

 ただ真夢には、なぜ夏夜が自分にそんな話をしたのかはよくわからなかった。だがその理由もすぐにわかった。夏夜はもう一度涙を拭うと立ち上がり、真夢の前に立つとゆっくりと語りかけた。

「じゃあ、次はまゆしぃの番だよ?」

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「もうそろそろ、話してくれてもいいんじゃない?」

 夏夜に優しくそう話しかけられた真夢は一瞬身体をビクッと震わせ強ばらせた。来たか、という心境だった。だがやはり真夢は今までと同様に口をつぐんだまま黙りこくってしまった。内心では話すべきかどうか葛藤していたし喉元まで言葉が出掛かっていたのに、それでもどうしても話せなかった。今までだったら話そうともしなかったが、少なくとも今は話そうとはしていた。けれどどうしても話す踏ん切りがつかなかった。そうとは気づかない夏夜は、やっぱりダメかなと思って心の中で溜息をついた。

「あのさ、前から聞いてみたいと思ってたんだけどね、まゆしぃがウェイクアップガールズに入れてくれって事務所に言いに来た時、まゆしぃは自分を幸せにしたいから来たんだって言ったじゃない? あれってどういう意味なの?」

 夏夜は直接的に聞くのではなく遠まわしに聞いてみることにしようと少し話題を変えてみた。今度は真夢も答えることができた。

「……私ね、ずっと前から自分で思っていることがあるの。誰かを幸せにする人には3つのタイプがあるって。1つ目は世の中の多くの人を幸せにできる人。それから自分の身近な人を幸せにできる人。3つ目が自分自身を幸せに出来る人……私は、結局多くの人も身近な人も幸せにできなかったしできていないから、せめて自分だけでも幸せにしたいなって。そういう意味」

 夏夜は合点がいったと言わんばかりに大きく頷いた。

「ふぅん、そういう意味だったんだ。でも、アタシも自分を幸せにしたいって思うよ? それって別にまゆしぃが特別ってわけじゃなくって、みんな考えてることだと思うけどな。誰だって自分を幸せにしたいだろうし、そうできなかった人、もうできない人のためにも幸せにならなくちゃいけないんだと思うよ。それで、自分を幸せにできたの?」

 夏夜にそう尋ねられて、真夢は力なくかぶりを振った。

「そっかぁ……でも、まゆしぃは充分身近な人を幸せにできてるとアタシは思うけどなぁ」

 そう言われても真夢は、そんなことないよと言うだけだった。真夢の言う身近な人というのがどこまでを指すのか夏夜にはわからないが、少なくともウェイクアップガールズのメンバーはみんな真夢と一緒に活動していることを喜んでいると彼女は思っていた。それを幸せと言っていいのかはわからないが、少なくとも本人が卑下するほど真夢の存在は軽くないはずだ。それでもやはり真夢は何を言っても、そんなことないよと言うばかりだった。

「アタシ、なんとなく前から感じてたんだけどさ、まゆしぃって自分以外の人間を信じてなかったりする?」

 夏夜は一つの疑問を尋ねてみたが、その発言は実は核心をついていた。真夢は痛いところを突かれて内心ドキッとした。確かに今の彼女は他人に対して疑心暗鬼が強くなり過ぎている。それは彼女も自分でわかっていた。

「……そうかもしれない」

 返事を聞いた夏夜はスッとしゃがむと、真夢と同じ高さの目線から真っ直ぐに目を見て語りかけた。

「それは、I−1を辞めたことと関係してるのかなぁ?」

 真夢は思わず目線を反射的に逸らしてしまった。図星かな、と夏夜は思った。

「みんな、ホントに心配してるんだよ。よっぴーだって、ホントはまゆしぃのことを凄く心配してるんだから」

「よっぴーが?」

「うん。あのコもね、何とかしてウェイクアップガールズを盛り立てていこうって色々試行錯誤してるの。ライブでゴタゴタがあった時もね、よっぴーは自分が頼りないからまゆしぃは話してくれないのかなって言ってたんだよ? 自分がもっとしっかりしてて頼りがいがあるリーダーだったら安心して相談してくれるのかなって、泣きながらアタシにそう言ってたんだから」

「そうなの?」

「そうだよ。あのコは中央コンプレックスがあるっぽいから、まゆしぃはよっぴーのことをあんまり良く思ってないかもしれないけど、あのコはあのコなりに一生懸命考えてるの」

「コンプレックス?」

「あれ? まゆしぃは知らなかった? よっぴーの日本ガールズコレクションの話」

「詳しく聞いたわけじゃないけど、日本ガールズコレクションって、有名なファッションショーのアレでしょ?」

「あんまり人のことを勝手に話すのは良くないけど、本人は本当に自信満々だったらしいんだ。それが最終選考で落ちちゃって凄くショックだったって言ってた。ただ、話を聞いているとそれ以来どうもコンプレックスがあるみたいなんだよね。まゆしぃがI−1とか言うたびに過剰に反応するのは、それが理由じゃないかと思うの。まあアタシがそう思ってるだけだから違うかもしれないんだけど」

 真夢は胸のつかえが降りたような気がした。時折佳乃が妙に自分につっかかってくるのを不思議に思っていたが、ようやくその謎が解けた。そう考えれば今までの佳乃の言動の辻褄が合う。なるほどそうだったのかと真夢は思った。だが同時に、そうだとすると知らなかったとはいえ自分も無神経な言動をしていたかもしれないと、彼女は自身の今までの言動を思い返した。

「よっぴーだけじゃないよ。みんな本当にまゆしぃのことを気にしてるの。もちろんみんな興味本位で過去を知りたいわけじゃないよ。まゆしぃは自分が思っているよりもずっと影響力あるんだよ。だからこそよっぴーも過去のことを話せ話せって言うんだと思う。そうじゃなければ人の過去の話にこだわるタイプじゃないもの。まゆしぃの影響力が大きいからこそ隠し事はウェイクアップガールズにとって良くないって思ってるんだよ。その辺はわかってあげて?」

 夏夜は口は悪いがその場を適当な言葉で取り繕うタイプではないので、真夢には彼女がお世辞でそう言っているようには思えなかった。夏夜がそう言っているのならそうなのかもしれないと思えた。

「あの時さ、よっぴーが、みんなまゆしぃのことを信じてるけど、ここまでする人がいるってちょっと異常だし、そう考えると、やっぱり本当は何かあったんじゃないかって思っちゃうって言ったじゃない? 私はあれは本音だと思うんだ。人間って弱いからさ、信じてはいるけど……っていうことあるんじゃないかな。本当は違うんじゃないかって思っちゃうことってあるんじゃないかな。そんな時に本人がハッキリと言ってくれれば誰も悩まないと思うんだよね。だってアタシたちは仲間なんだしさ、信じるのは当たり前じゃない。その気持ちが揺らがないためにもハッキリと話して欲しいってことなんだよ。それはよっぴーだけじゃないよ。他のみんなも、もちろんアタシだってそう。まあでも、アタシはまゆしぃがアタシのことを信じてくれなくっても、まゆしぃのことを信じるけどね」

 夏夜の最後の言葉が真夢の心に大きく響いた。アナタが私を信じてくれなくても、私はアナタを信じる。つい最近同じようなことを言ってくれた人がいた。MACANAで事件が起きた夜に話した大田邦良だ。

 大田は真夢を今でも信じていると言った。本当のことを知りもしないでどうして信じられるのかという問いに、ファンだからだと彼は答えた。無償の愛情というものが存在するのだと彼が教えてくれた。ファンだからこそ総て信じる事ができるのだと。

 同じ事が仲間に対しても言えるのではないか、仲間だからこそ無条件で信じるということができるのではないか、 ウェイクアップガールズのメンバーたちはそういった目で自分を見てくれているのじゃないか、自分を本当に心の底から信じてくれているんじゃないか、そんな想いを自分自身で揺らがせてしまっているのではないか。あれから真夢の胸の中では様々な考えが浮かんでいた。それでもどうしてもあと一歩が踏み出せなかったのだが、夏夜の話を聞いて真夢は遂に話す決心を固めた。そこまで言われたら、もう話さないわけにはいかない。もう一度他人を信じてみよう。ウェイクアップガールズのみんなならきっと大丈夫。そう思えた。だから話す気になれた。夏夜の熱意がようやく通じた瞬間だった。

「……朝、みんなが起きたら全部話すよ。今まで心配かけてごめんね」

 真夢のその言葉を聞いて夏夜は内心で、やった、とガッツポーズをした。だが朝まで待つ必要がないことに彼女は気づいていた。

「本当に、話してくれるの?」

「うん。みんなに全部話すよ」

「そっか。わかってくれてよかった。でも、朝まで待たなくてもいいと思うよ?」

 夏夜の言っていることの意味がわからない真夢はキョトンとして首を傾げた。彼女の疑問を余所に、夏夜はクルリと振り向くと自分たちが座っていたベンチから10メートルほど離れたところにあるモニュメントに向かって声をかけた。

「よっぴーもみんなも、そこにいるんでしょ? 出てきなよ」

 少し時間を空けて、その物陰から5人の少女たちがバツが悪そうな顔してゾロゾロと姿を現した。

「え? あの、かやたん、これって?」

 真夢は夏夜とみんなを交互に見ながら尋ねた。

「みんなアタシとまゆしぃがいないから探しに来たみたいだね」

 夏夜はそう答えた。

「気づいてたの?」

 2人の元へ歩み寄った佳乃が夏夜にそう問いかけた。

「途中からね」

 夏夜は笑いながらそう答えた。盗み聞きしようとしていたことがバレていたことを知って佳乃は苦笑いをした。

「ほらね。みんなまゆしぃのことを気にかけて心配してるんだよ」

 夏夜は真夢にそう言った。その後に彼女が何と言いたいのか、真夢にはもう理解できていた。彼女はおもむろに口を開いてみんなに話し出した。

「ねえみんな、あの、こんな時間にどうかと思うんだけど……長くなっちゃうんだけど、それでもよかったら私の話を聞いてもらえないかな?」

 隠れていた5人は盗み聞きをしようと隠れてはいたものの結局よく聞こえなかったのだが、真夢の真剣な表情で彼女が何か大事な話をしたいのだとすぐに想像がついた。

「もちろん聞くよ」

「アタシも。朝まで付き合うよ」

 彼女たちの後押しを受けて、真夢はようやく自らの過去の出来事を話し始めた。

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真夢がI−1に入ったのは12歳の時だった。オーディションに通った彼女は、アイドルへの夢を胸に抱いて東京へ上京した。父親はあまり彼女の芸能活動に賛成ではなかったが、母親の方は積極的に活動のサポートをしてくれた。それこそ自分の仕事を犠牲にすることすら厭わずに娘のサポートに情熱を注ぎ込んだ。

 I−1クラブ1期生として彼女は必死に頑張った。辛い事がなかったわけではないが、楽しいことや嬉しいことはそれ以上に沢山あった。1万人の中から選ばれたエリートだと言われたが、エリートであろうがなかろうがそんなことはあまり気にはならなかった。ただただ毎日が楽しくて仕方がなかった。

「白木さんはことあるごとに、キミたちは人間である前にアイドルなんですって言ってたの」

 真夢のその言葉に、6人の少女たちは既に軽いカルチャーショックを受けた。人間である前にアイドルだなんて考えられないし考えたこともない。みんな、それは逆だろうと口々に言った。

「でもね、活動自体は本当に楽しかったの。そりゃあ苦しかったり辛かったりは一杯あったよ。吾妻橋で公演のビラを手渡しで配っても、最初は誰も受け取ってくれないの。受け取ってくれてもすぐに目の前で捨てられちゃったりとかね。やっぱりショックだったよ」

 あぁーと6人は思った。彼女たちも同じ経験はしているのでよくわかった。

「あれはキツいよね。心が折れちゃうもん」

「何も目の前で捨てなくってもいいじゃんって思ったもん。せめてどこか離れたところで捨ててよって思ってた」

 少女たちは口々に辛かった時の思い出を語り合った。だが最後に言った藍里の言葉が結論だった。

「でも、今から思い出すと楽しかったよね。あれ」

 誰もがその言葉に頷いた。その時は本当に辛かったのだが、今にして思い出すと楽しい思い出でしかない。自分たちにも不思議だったが、それが本心だった。

「そうでしょ? だから本当にその時は、辛いとは思ったけどイヤではなかったの。何もかも見ること聞くこと新鮮で、毎日が発見の連続で、だから本当に全然イヤじゃなかった。ようやくデビューCDができあがった時はみんなで抱き合って喜んだよ。でもね、最初は楽しくて仕方なかったけど、段々そうじゃなくなっていったの」

「どうして?」

「戒律っていうか、規則が厳しくてね。白木さんは、アイドルはこうあるべきだっていう理想を絶対崩そうとしない人で、だから厳しい決まりごとがいっぱいあったの。それに違反すると容赦なくクビにされた。男女交際なんて特に厳しくて、それが過去のことであっても場合によってはクビにされたわ」

「過去の話でも? それって厳しすぎない? 今の話だったらわかるけど」

「うん。今はそう思うけど、その時はあまりおかしいとは思わなかった。クビにされた人に同情する反面、決まりを破ったんだから仕方ないよねっていう気持ちもあって……私は男女交際とか興味がなかったからそう思ったのかもしれないけど」

 真夢は隠すことなく本音を吐露した。それで嫌われても仕方が無い、今は正直に総て話す事が重要だと、そう思っていた。

「色々縛られて窮屈に感じてきたけど、それでもアイドルになるって夢があったから頑張ってたんだけど、私の親友がクビになっちゃって……」

 6人は思わず息を呑んだ。

 

「5番。明日から来なくていいです」

 抑揚のない言い方に絶望的な響きが感じられた。5番は真夢の親友である黒川芹香のナンバーだった。真夢にとっては全くもって寝耳に水の話であり、信じられない出来事に彼女は思わず親友の横顔を見つめた。芹香は恋愛禁止の戒律を破ったとしてクビを宣告された。だが彼女は素直には引き下がらず白木に反論した。

「私、辞めたくないです」

「はい? 辞めたくない? 何を言っているんですか?」

 白木は表情一つ変えることなく冷静に、しかし突き放すように言った。

「私、I−1を辞めたくないです!」

 芹香はそう白木に訴えたが、彼の表情は全く変わることはなかった。

「はぁ? ではなぜ戒律を破ったんですか? いつも口を酸っぱくして言っていたでしょ? アイドルである限り恋愛は禁止だと」

「どうして恋しちゃダメなんですか? 私、恋をしているからってアイドル活動を疎かにしたことないです。ダンスだって歌だって、ちゃんと練習してます。それなのに、どうして恋をしているからってクビにされなきゃいけないんですか?」

「やれやれ、アナタは何もわかっていないんですね。私は、アイドルである限り恋愛は禁止、だと言っているんですよ? 恋をしたければアイドルを辞めればいい。芸能活動はアイドルだけではないでしょう? でもアイドルに恋愛はご法度なんです。ちゃんと練習しているから? そんなことは問題じゃないんですよ。アイドルとは何か。1期生なのに未だにそんなこともわかっていないアナタは、やはりI−1には不必要な存在だと言わざるを得ませんね」

 白木の言葉は辛らつで苛烈で全く取り付く島がなかった。それ以上何も言い返せなくなった黒川芹香は、膝から崩れ落ちてその場で顔を両手で覆って泣き出した。冷ややかに見つめる者、内心では同情している者、無関心の者、その反応は様々だったが、真夢は親友に対する仕打ちに黙ってはいられなかった。以前から白木は厳しすぎるという意見がメンバー内で噴出していたこともあって、真夢は白木に直談判に及んだ。

 実はその時点で既にボタンは掛け違えられていた。今までにも規律違反でクビになった者はいたが、真夢はその時には彼女たちを慰めつつも内心仕方ないなと思っている部分があった。それが今回I−1立ち上げ当初から苦楽を共にした親友がクビになったことで遂に直談判に及んだのだが、以前から規律の厳しさに不満を漏らすメンバーが多かったことから、彼女自身は芹香を救うのと同時にメンバーたちの代表として白木に改善を求めたつもりでいた。それがそもそも間違いだった。

 もちろんみんな不満は多く抱えていた。だが真夢自身がそうであったように、不満だけれど仕方がないと思っている者が圧倒的多数であり、白木に逆らってまでも……という者はほとんどいなかったのだ。真夢はあまりにもストレートに物事を、他人の言動を受けとめ過ぎていた。彼女自身は芹香とみんなのためにという気持ちだったのに、結果的には真夢が1人で暴走したような形になってしまった。

「あの、せっかくここまで頑張ってきたんです。規律を破った芹香は確かに悪いと思いますが、お願いです。芹香を許してクビにしないであげてください」

 デスクでパソコンに向かって仕事をしている白木に向かって、真夢は必死にそう訴えた。白木はパソコンから視線を移し、相変わらず無表情で、それでいて威圧感のある目で睨みつけるように真夢を見つめた。

「3番、島田真夢クンだったね。キミまでもが全くわかっていないとは少々ガッカリですね」

「え?」

「いいですか? 何度も言っていますが、アイドルである以上キミたちが恋をしていい相手はファンの皆様だけなんですよ。それ以外にたとえほんの僅かでも恋愛を匂わせたら、その瞬間にキミたちはアイドルではなくなるんです。おかしいと思うかもしれませんが、それがアイドルなんですよ。それがイヤなら他の芸能活動をするしかない。答えはイエスかノーの2つしかない。ファン以外の異性と恋愛しながらアイドルを続けるということは有り得ないんです。アイドルでなくなったキミたちはただのゴミです。そんな存在はI−1には必要ないんですよ」

 ゴミ。確かに白木はそう言った。アイドルでなければゴミだとそう言った。それはつまり彼女の親友である芹香をゴミだと言ったのだ。真夢の胸の中で怒りが一瞬にして燃え上がった。

「ゴミだなんて……芹香をそんな風に言わないで!!」

 怒りに任せて真夢は大声で叫びながら両手で白木のデスクを思い切り叩いた。その瞬間、デスクの上から何かが吹き飛び床を転がりガラスが割れる音を響かせた。それはかつて白木がプロデュースしたアイドルユニットが獲得したゴールドディスク大賞の記念盾だった。その年一番CDを売った者に与えられるゴールドディスク大賞。その記念盾は彼が初めてその大賞を手にしたときのものだった。そのことを知っていた真夢は、勢いでしてしまったとはいえ白木の大切なモノを壊してしまったことに酷く狼狽した。

 白木は突然ガタッと音を立てて立ち上がった。真夢は身体を固くした。

「キミの才能は良く理解しているし、だからI−1のセンターを担ってもらっているんです。幸いキミがセンターになってから今日に至るまで、出したCDは総てウィークリー1位に輝きミリオンセラーを記録しました。しかしキミは、それが総て自分の力だと勘違いしていませんか?」

 白木は話しながらゆっくりと真夢に向かって歩を進めた。にじり寄ってくるような彼の圧力に気圧されて、真夢は一歩また一歩と壁に後ずさりしていった。壁に追いつめられた真夢に向かって白木はポツリと呟くように、しかしハッキリと怒りを含んだ口調でこう言った。

「島田クン、身の程を知りなさい」

 白木の迫力の前に真夢は何も言い返す事ができなかった。白木は10代前半の少女が1人で太刀打ちできる相手では到底なかった。

「次のシングルは2曲同時リリースにしましょう。片方はキミがセンター、もう片方は2番をセンターにします」

 突然白木は思いもかけないことを言い出した。

「2番って、志保っちをですか?」

「そう、岩崎志保、彼女をもう片方のセンターに据えてCDを同時にリリースします。キミの方の売り上げが勝ったら今回の件は不問にしましょう。ですが2番の方の売り上げが勝ったら、キミはクビだ。それでどうですか?」

 白木がとんでもないことを言っていることは真夢にもわかった。黒川芹香をI−1に残したいならCDの売り上げで岩崎志保に勝つしかない。だがもし負けたら真夢も芹香も共にクビ。普通に考えればあまりにも分が悪い。悪過ぎる。当然真夢もすぐには返事ができなかった。

「どうしますか? その条件で受けますか?」

 白木は畳み掛けるように重ねて確認をした。親友を助けたいのなら他に方法はない。早く決めろ。そう急かしているように真夢には聞こえた。

「無茶苦茶なことを言っていると思いますか? でもね、人に、しかも雇い主に対して物申すならそれぐらいの覚悟は必要ですよ?」

 白木に妥協の余地は全く感じられなかった。芹香を助けるには他に方法はない。要は自分が売り上げで志保に勝てばいいのだ。芹香のためにやるしかない。真夢は悩んだ末に覚悟を決め、白木の出した条件を受け入れた。

 部屋を出ようとする真夢の背後から白木は声をかけた。

「何度も言いますが、キミたちは人間である前にアイドルなんです。そのことをくれぐれも忘れないでくださいよ」

 それは違う。真夢はだいぶ以前からそう思っていた。

「いいえ。私たちは、アイドルである前に人間です。人間なんです!」

 口調は穏やかだったが真夢はキッパリとそう言い、お辞儀をして部屋を出た。きっと白木は自分のことを反抗的だと思っただろう。でも、それでもかまわないと真夢は思った。自分たちはアイドルである前に人間だ。それは真夢の譲れない一線だった。だが相手の白木にも譲れない一線があることに思いを馳せられるほど彼女は大人ではなかった。

-6ページ-

 次のCDリリースに娘のクビが懸かっていると知った真夢の母は、烈火のごとく怒り娘を激しく叱った。

「どうしてそんな勝手なことをしたの!!」

「だって、芹香が……」

「人のことなんてどうだっていいでしょ!! アナタがクビになったらどうするのよ!!」

「だから、私頑張って1位獲るから。そしたら私も芹香も今まで通りじゃない」

「ホントに獲れると思ってるの? 白木さんを怒らせてしまって、本当に1位を獲れるの? 頑張ったって出来ることと出来ないことがあるのよ!!!」

 真夢の母はその一連の自分の発言が娘にどれほどのショックを与えたか全く気づいていなかった。彼女は常日頃から娘を献身的にサポートしてきた。娘のためにそれこそ総てを犠牲にするかのように尽くしてきた。そのことについて真夢は感謝することはあっても不満になど思ったことはない。だが母は娘が小さなころから常日頃こう言い続けていた。

「お母さんは何があっても真夢の味方だから、アナタが思うように生きなさい」

「困っている人には手を差し伸べてあげなさい。困っている人を見て見ぬ振りするような人にはならないでね」

 それはアイドルとしての話ではなく云わば人生訓だが、真夢はそれを正しいことだと信じて今まで生きてきた。だから今回も親友を助けるために行動したのだ。そして、悩みはしたものの最終的にそう決めたことを後悔はしていなかった。そんな自分を母は褒めてくれることは有っても、叱責するなどとは夢にも思っていなかった。

(だって、お母さんは私の思うように生きろって言ってたじゃない。何があっても私の味方だって言ってくれてたじゃない。困っている人を見て見ぬ振りをする人にはなるなってずっと言ってたじゃない。だから私は……)

 今まで言っていたことと真逆のことを言って泣き崩れる母親を見て、真夢の中で何かが壊れた。

 

「私覚えてます。同時リリースが発表されてしばらくしてから、あの、その、アレが起きたんですよね」

 そう言ったのは当時のことを覚えていた未夕だったが、途中から歯切れが悪い物言いになった。

「うん。そうなんだ。あの時私は副社長さんから言われてレコード会社やテレビ局なんかの偉い人たちと会食したの。I−1からは私1人だけだったから変だなとは思ったけど、事務所の人たちも一緒だったし副社長も一緒だったから特にそれ以上疑わなかった。あの写真はその時のものなの」

「その時の写真って言いきれるの?」

「写真から撮られた場所はわかってたから。あんな写真をあの場所で撮られるのはその時以外になかったの」

 なるほどと全員が納得した。

「それで、あの一緒に写っていた男の人は結局誰なの?」

 そう聞かれた真夢は首を左右に力なく振った。あの男が誰なのかは今もってわかっていないのだ。

「会った事が無い人なのは確かだけど、でもそれも珍しいことじゃないし……だってテレビ局にしても雑誌や新聞の会社にしても会ったことのない人なんて幾らでもいるもん。でも本当にあの時は会食して終わりだったの。なのにあんな写真を撮られて私が悪いことをしているように書かれて、そしたらファンの人たちから叩かれ始めちゃって……頑張ったんだけど、結局志保に売り上げで負けちゃったの」

 

 スキャンダルが発覚してから以降の真夢へのバッシングは凄まじいものだった。ネットでもテレビでもラジオでも新聞でも雑誌でも、今まで自分を応援してくれていた人たちが手の平を返すように彼女を責め始めたのだ。しかも書かれることや言われることは、彼女が素行不良で事務所の人間の言うことも聞かないため匙を投げられているとか、天狗になってワガママし放題であるとか、そのほぼ総てがデマでありウソだった。なのにみんな彼女の言うことよりもデマやウソの方を信じた。10代の少女にとって、それがどれほど過酷で辛いことか。真夢は母親にもファンにも裏切られたような気持ちになっていた。自分は本当はそんな風に思われていたのか、みんな表面的にチヤホヤしてくれていただけだったのかと思い知らされた。

 それでもI−1のメンバーたちだけでも信じてくれているならまだよかった。真夢にとっての最後のトドメになったのは、仲間だと思って信頼していたI−1メンバーたちの彼女に対する反応だった。

 真夢は自分ではみんなの代表として白木に直談判しに行ったつもりだった。ところが他メンバーの反応は極めて冷ややかで、バッシングの最中もクビになった時も、真夢の味方と言えたのは吉川愛ただ1人だった。キャプテンの近藤麻衣すらも特別何もしてくれなかった。真夢が思っていたほどにはみんな白木に対して不満が溜まっていたわけではなかった。自分が空回りしていたことに気づいた時にはもう遅かった。

 もちろん彼女はメンバーのみんなに自分は無実であることを必死に訴えたのだが、口ではみんな真夢を信じると言うものの真夢にはとてもそれが本心だとは思えなかった。スキャンダルを事実だと受け止めて冷たい視線を向ける者、真夢が抜けることを好機と捉えて後釜の座を狙う者、無関心を決め込む者。真夢は、こんなものなのかなと酷く寂しい気持ちになった。I−1に入ってからみんな仲間だと思ってやって来たけれど、そう思っていたのは自分だけだったんだなと悟った。辛くて悲しくてやるせなくて、彼女の中でまた何かが壊れてしまった。彼女は事務所の大人たち、母親、ファン、仲間だと思っていた同僚たち、その総てから裏切られたと思った。そう思ってしまった。

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「それは……キツイね……」

 夏夜がポツリとそう言った。信頼していた周囲の総ての人間が一夜にして敵になる。自分だったら耐えられるだろうか、そう思った。彼女が他人を信じてないのでは? と尋ねた時に真夢は否定しなかったが、本人の話を聞けばそれも無理はないだろうと納得するしかなかった。これだけの経験をしていながら尚他人を信頼できる能天気な人はいないだろう。きっと大人だったらそれぞれの立場や事情を考えることができるのだろうが、それを中学生の少女に求めるのは酷だろう。自分だって同じ立場だったら同じように人間不信になってしまうだろう。話を聞いているうちに、今まで真夢が固く口を閉ざしてきた理由が夏夜にはわかってきた。

「結局I−1は解雇されちゃって、両親も仲がギクシャクしだして離婚しちゃって……それで母親の実家がある仙台に来たの。でもやっぱり歌ったり踊ったりするのが好きだっていう気持ちだけは変わらなくて、諦めきれなくて、だからもう一度やりたいってずっと思ってて……I−1を怨んでいないって言ったらウソになるし芸能界に対するトラウマもあるけど、丹下社長や松田さんやウェイクアップガールズのみんなに出会って、I−1に居た時にはわからなかったことが色々わかってきて、そしたらそういうのを全部乗り越えたい、きっと乗り越えられるって思ったの。乗り越えて、私ももう一度輝きたい、みんなと一緒にステージの上で輝きたいって思ったの。でも、やっぱりちょっと空回りしちゃったみたいで……ごめんなさい」

 謝る真夢をメンバーたちは「そんなことないよ」「気にしないで」と口々に言ってなだめた。自分たちだって至らない点はあったのだから真夢だけが悪いわけじゃない。真夢が空回りしていたのだとしたら、それはむしろ彼女のレベルについていけない、彼女の想いを理解できない自分たちの方に問題があるんだろう。もうみんなそう思っていた。

「あのさ……じゃあ……結局まゆしぃは無実ってことで……いいんだよ、ね?」

 実波が確認するかのように恐る恐る真夢にそう尋ねた。真夢は力強く大きく頷いた。

「私は本当に何もやましいことはしていないよ。記事にされたような事実は無かった。わがままって誤解を受けるようなことはしたかもしれないけど、それは私も悪かったんだと思うけど、でも本当にやましいことは何もなかったの。みんなにそれだけは信じて欲しい。私はみんなさえよければウェイクアップガールズの一員としてこれからもずっと活動していきたいって思ってるよ」

 真夢はそう強く訴えた。かつてI−1で同じようなことを言った時の冷ややかな反応が彼女の脳裏に甦り身体を固くさせた。また同じような反応だったらという心配が一瞬頭をよぎった。だが、総て杞憂だった。

「よかったぁ〜」

 真夢が疑惑を明確に否定したのを聞いて、実波は心の底から安堵し思わず真夢に抱きついた。実波も内心では心配で心配で仕方なかったのだ。

「まゆしぃがあんなことするわけないって信じてたけど、ホントによかったぁ〜」

 実波のその言葉こそがメンバーたち総ての本音だった。それは軋轢が表面化している佳乃だって同じだ。彼女も真夢を疑っているわけではない。ただ信じるに足る説明が欲しかっただけなのだ。

「私も、話してもらって真相がハッキリして、なんだかスッキリして安心しました」

「やっぱりまゆしぃはまゆしぃだったね」

「うん、ホントによかったぁ」

 誰もが口々に安堵の言葉を漏らした。真夢は抱きついている実波の頭を撫でながら話を続けた。

「私ね、ホントにウェイクアップガールズのことが好きなの。あんな経緯で加入したのにみんな快く迎え入れてくれたし、一緒に活動していくうちにどんどん楽しくなってきて、みんなのこともどんどん好きになっていった。もっともっと、ずっとみんなと一緒に活動していきたいなって本気で思えてきたの。でも、そう思えば思うほどあの時のことを思い出しちゃって……あの時みたいに、そう思っているのが私だけだったらどうしようって考えたら、怖くって何も言えなくなっちゃって……何度も打ち明けようって思ったんだけど、どうしても話す勇気を持てなかったの。ごめんなさい」

 真夢はそう言うと、みんなに向かって深々と頭を下げた。もうみんなとっくに理解していた。真夢は怖かったのだと。単にまた大切なものを失うことが怖かっただけなのだと。話さなかったんじゃない、話せなかったんだと。

 今まで彼女たちの中で燻っていた真夢に対する様々な想いは、今夜本人から総て語られたことによって雲散霧消していた。そしてそれは佳乃も同様だった。彼女は真夢の前に歩み寄るとその手を自身の両手で握って、ごめんねと謝った。

「まさかここまでの話だなんて思ってなかったの。こんなの、まゆしぃが話したくないって思うのも当たり前だよね。なのに私は話せ話せってうるさく言って無理やり話させようとして、ちょっとズケズケと言い過ぎたかも……本当にごめんなさい」

 佳乃は真夢の手を握り締めながらそう言って謝った。彼女の中にあった真夢に対するわだかまりは、もう既に全部綺麗に消え去っていた。彼女には彼女の立場と理由と考えがあってのことだったわけだが、総てを聞いた今となってはむしろ自分の言動に対する罪悪感の方が強かった。

「私の方こそ……よっぴーが色々考えてくれていたのも知らないで自分のことばっかり考えてて……私の方こそ頑固過ぎたのかもしれない。ごめんなさい」

 2人は手を取り合って互いに謝りあった。

「私ね、MACANAであんなことがあって、これ以上みんなに迷惑かけるくらいならやっぱりアイドルを辞めた方がいいんじゃないかって思ったの。やっぱり私は戻ってきちゃいけなかったんじゃないかって、ずっと悩んでた。でもみんなともっと一緒にいたい、一緒にアイドルやっていきたいっていう気持ちはどうしても消せなくて、迷惑かけるのわかってるのにやっぱり辞められなくって、もう自分でもどうしたらいいのかわかんなくなっちゃって……」

 真夢はなおも自分を責めるようにそう言った。佳乃は、もういいんだよと優しく答えた。もうそんなに自分を責めないで欲しいと、もう1人で抱え込まないで欲しいと答えた。誰も真夢を責めることなんてできない。むしろ彼女をそこまで追い込んでいたのは自分たちにも責任があるじゃないか。自分たちがもっと早く信頼を得る事ができていれば真夢だってこんなに悩まなくて済んでいたかもしれない。私たちはI−1とは違う。I−1みたいに簡単にメンバーを見放して切り捨てたりしない。私たちはこれからもずっと7人でやっていくんだ。佳乃はそう思った。

「あのね、まゆしぃからは頼りないリーダーに見えるかもしれないけど、私は私なりに頑張ってるつもり。だから、これからはどんどん相談して欲しい。何でも相談して欲しいよ。私もまゆしぃやみんなに相談するし。だから、もう1人で悩まないで。私たちは7人のユニットなんだから、7人全員でこれからも力を合わせていこうよ」

 それは真夢が内心でずっと待っていた言葉だった。あの時も彼女は、I−1のメンバーたちからこんな言葉を期待していたのだ。それはかなわなかったけれど、佳乃は言ってくれた。それが嬉しかった。

「うん……わかってる……わかってるよ、よっぴー」

 真夢の目から一筋の涙がこぼれた。佳乃の温かい言葉が心から嬉しくて思わず涙をこぼしてしまっていた。ウェイクアップガールズに入って良かった。真夢は改めて心の底からそう思った。2人のその光景を見ていた夏夜が満足そうに頷いた。未夕も藍里も実波も、お互いに顔を見合わせあって笑いあった。どの顔も喜びと安堵感に溢れた表情をしていた。ただ1人、久海菜々美を除いては。

「私、これからはまゆしぃを目標にして頑張るよ。まゆしぃに代わってセンターを務められるくらいになれるよう頑張るから」

「えぇ? リーダー、ここでまさかの下克上発言ですか?」

 佳乃のセンターを狙う発言を受けて、未夕がプロレス中継のアナウンサーのようなことを言った。その言い方の可笑しさに笑いが起きた。

「うん、それなら私はセンターを譲らないでいられるように頑張るよ。よっぴーには負けないよ?」

 真夢はそう答え、佳乃の顔を見つめて微笑んだ。つい先ほどまで溝があった2人の仲だったが、今やユニット内の良きライバルとなっていた。互いに切磋琢磨していくことによって2人はより一層成長していくだろう。菜々美以外のメンバーたちは、自分たちのユニットのこれからを想像して胸が高鳴るのを感じていた。

「あれ? ななみん、どうしたの? そんな顔して」

 菜々美の様子がおかしいことにようやく気がついた実波がそう声をかけた。真夢と佳乃の仲がようやく修復され、アイドルの祭典に向けて全員が改めて一致団結……といった雰囲気になっている中で、菜々美だけが酷く浮かない顔をしている。ヘンだな? と実波は不審に思った。

「うぅぅぅぅー」

「どうしたの、ななみん? お腹でも痛いの?」

 実波は心配そうに再度声をかけたが菜々美は、うー、と唸るだけだった。他のメンバーたちも2人の様子がおかしいことに気づきだした。

「どうしたの、みにゃみ?」

 佳乃が実波に声をかけた。

「それが……ななみんが何かヘンなの」

「ななみんが?」

 全員の視線が菜々美1人に集中したその時、突然彼女は大声で、あぁーもーうっ、と叫んだ。

「ど、どうしたの、ななみん!?」

「どうしたもこうしたもないわよ! こんな良いシーンを目にしちゃったら、私1人だけアイドルの祭典に出られませんなんて言えないじゃない!」

「え? ななみん、アイドルの祭典に出ないんですか?」

 突然の菜々美の発言に驚いた未夕がそう尋ねた。

「決めてたわけじゃないけど、そのつもりもあったわよ。だってもう光塚の受験準備しなくちゃいけないんだもん」

「アンタ……まだ光塚行くつもりでいたんだ?」

 夏夜が少し呆れたような口調でそう言った。菜々美が光塚志望なのは誰もが知っているが、最近では話題にすることもなくなってきており、もう諦めたんだとみんな勝手に思い込んでいた。

「いたわよ! 小さい頃からの夢だったんんだもん。そんな簡単に諦められるわけないじゃない。ずっとずっと、どうしようか悩んでたわよ。でも、もう決めた。私ももう中途半端は止めるよ。私もウェイクアップガールズの活動に集中する。アイドルの祭典にも出るよ。出て絶対優勝してやるんだから」

「光塚は諦めるってことですか?」

「とりあえず今回はね。とにかく今はアイドルの祭典に照準を絞って全力投球するよ」

「アツいね〜ななみん。カッコイイよ」

 実波が少し茶化すようにそう言った。

「でも、ホントにそれでいいの?」

 佳乃は一応そう聞いてみたが、もはや菜々美の意思は変わらなかった。彼女の決意は本物らしいと佳乃は思った。

「そっかぁ、ななみん、頑張ってね」

 藍里がそう言って菜々美にエールを送ったが、その瞬間菜々美はキッと藍里に鋭い視線を向けた。

「あいちゃん、なに他人事みたいに言ってるの? 言ったでしょ? 私はやるからには優勝目指すの。そのためには今まで以上にあいちゃんのことビシビシしごくからね。猛特訓だよ」

「えぇ〜? 私?」

「そうよ。ダンス、厳しく言うと全然ダメダメだからね!」

「えぇ〜、そうなのぉ〜?」

「そうだよ。優勝するためには、あいちゃんにもっともっとレベルアップしてもらわなくちゃ困るんだから。覚悟しといてよね!」

 菜々美はさらに今度は真夢の方に視線を移した。

「優勝目指すだけじゃないよ。私だってアイドルユニットやるからにはセンターやりたい。まゆしぃに代わって私がセンター務めたい。そのつもりでやるよ!」

「おっとぉ、これはななみんも、まさかの下克上発言ですかぁ?」

 また未夕がプロレス中継のアナウンサーのようなことを言った。

「まゆしぃ、モテモテだね」

 夏夜がからかうような口調で真夢にそう言って笑った。真夢も嬉しそうに微笑んだ。

「うん、じゃあよっぴーもななみんも、みんなまとめて面倒みるよ。私だって誰にもセンターの座は渡さないからね」

 冗談半分本音半分といったところだが、全然イヤな気などしない真夢だった。むしろこれから3人でセンターを争っていくことに楽しみすら感じていた。

 

 気がつけばいつの間にか朝になり、海の向こうから日が昇り始めていた。

「そろそろ戻ろうか。私たちが誰もいないって知ったら、社長と松田さんがビックリしちゃうからね」

 佳乃がそう呼びかけて7人の少女たちは宿に向けて歩きだした。たわいのない会話で笑い合いながら歩いてゆく彼女たちの背中を、柔らかな朝日が包み込んでいく。その日差しは少しずつ少しずつ強くなっていった。

-8ページ-

「……いつの間にか、寝てしまっていたのか……」

 白木はデスクから立ち上がると窓辺に向かい外の景色を眺めた。差し込む朝日が起きぬけの目に眩しく突き刺さる。外は美しい平和そのものの朝の風景。外を眺めながら白木は、またあの時のことを思い出していた。

 

 あの時白木は、真夢にお灸をすえる意味でCDの同時リリースを行なった。白木がというか運営側が本気になれば意図的に岩崎志保のCDの方を売り上げ上位にすることも難しいことではない。白木はそうするつもりだった。そして彼は途中で真夢の方からワビを入れてくると考えていた。いくらなんでも本人とて本気で辞めるつもりで条件を飲んだわけではないだろうと考えていた。だからCDをリリースして数字が出て勝敗の目星がついてきた頃には真夢の方から頭を下げてくるだろうと考えていたし、そうすれば彼女に処分を下して一件落着、それで済ませるつもりだった。厳しいようだが、規律を破った黒川芹香を残すつもりはハナからなかった。

 だが事態は彼の思惑とは全く違う方向へと進んでしまった。ある日突然写真週刊誌に真夢の男性スキャンダルの記事と写真が掲載されたのだ。白木にとって全く寝耳に水の話だった。

 アイドルにとってスキャンダル、特に男性スキャンダルは致命的だ。元々がアイドルファンであった白木にはそれがイヤというほどわかっていたから、I−1を結成した時からメンバーの男性関係には厳しく対処してきた。そしてその規律を少しでも破る者があれば、それが例えどれほど優秀で有望な者であっても容赦なく切り捨ててきた。アイドルとして芸能界で生きていく以上それは仕方の無いことだし名声を得る代償だというのが彼の云わば信念だった。だからこそ今回も、真夢は許しても黒川芹香を許すつもりはなかったのだ。

 真夢はそういった点では全く心配のいらない賢い少女だった。もっともそもそも年齢的にまだ男性に興味を持っていない様子ではあったが、いずれにしろ自分の立場とアイドルというものの本質をキチンと理解しているコだと白木は認識していた。だから真夢のスキャンダルが表沙汰になった時は正に青天の霹靂といった気分だったし、あのコに限ってそんなことは有り得ないとにわかには信じられなかった。。

 スキャンダルが浮上した原因はすぐにわかった。人気が急激に沸騰してきたI−1クラブを金の成る木だと判断した者たちが、自分たちの利益をより大きくするために副社長を担ぎ上げ、創業者ともいえる白木の追い落としを裏で画策していたのだ。白木は真夢との間にあった出来事を副社長にしか話していない。自らの考えを副社長にしか話していない。その副社長が白木に背いた。

 白木は副社長に全幅の信頼を寄せていて、彼に対外的なことの一切を任せて自分はI−1の運営に全力を注いでいた。言うならば外交を副社長に全権委任し、自らは内政に専念するといった感じだ。その副社長が口車に乗って自分の追い落としを図ってきた。彼を信頼して仕事を任せていた白木にとっては裏切りでしかなかった。

 もちろん一歩間違えばI−1自体が空中分解してしまいかねないし、存続したとして代わりのセンターをどうするのかという問題はあるが、彼ら反白木派は真夢個人のスキャンダルということで事態を収拾させればI−1クラブ自体の人気にはさほど影響ないし、代わりのセンターは岩崎志保で充分務まると考えた。むしろ白木が裏から手を回して志保のユニットの方を売り上げ上位にしようとしたのは、彼らにとっては好都合だった。自分達が推す志保を白木が無条件で後押ししてくれるも同然だからだ。

 白木の追い出しを計った者達は白木と真夢との確執に乗じて、現役センターのスキャンダルの責任を白木に総て被せることで彼を追放しようとした。白木と真夢の間の出来事は彼らにとっては正に絶好のチャンスであり、彼らは内心でほくそ笑みながら、真夢1人を生贄にすることで自分たちの得る利益をより多くしようとした。彼らにとて真夢のアイドル生命など取るに足らない。大切なのは自分達の利益のみだ。そしてスキャンダルをでっちあげた。

 だが結果的に彼らの目論見は失敗に終わり、関わった者は全員I−1から去る結果となった。白木はそれ以降総てを自分で切り盛りすることにし副社長などのサブ的ポジションの者を据えなくなった。それは今でも同じだ。

 不幸なのは島田真夢だった。彼女は全くの濡れ衣で、いわば運営する側の権力闘争に巻き込まれた被害者なのだ。だがI−1には白木自身が作り出した男性スキャンダルを起こした者は誰であろうとクビだという厳しい規律がある。そして規律に従って白木は、過去に幾人かの少女たちのクビをそれを理由に切っている。今回も黒川芹香をクビにするつもりでいる。島田真夢だけを例外にするわけにはいかない。

 アイドルにとって愛情を注ぐ相手は唯一ファンのみであり、だからこそファンは彼女たちに無限ともいえる愛情を注ぐ。そしてそれが金を産む。ファン以外に男を作るなどという行為は、アイドルという人種にとってファンに対する裏切り行為以外の何物でもない。それは白木の絶対に譲れない部分だった。

 真実がどうであれその規律がある以上、そして白木が過去にその規律に反したことを理由に少女たちをクビにしてきた事実がある以上、正当で誰もが納得する理由が無い限り真夢をクビにすることは避けようがなかった。白木は最後の最後まで悩んだが、それでもどうしても彼女だけを特別扱いするわけにはいかなかった。それをやってしまったら規律自体が根底から揺らいで崩れ去ってしまうからだ。

 規律というものは、厳しければ厳しいほど例外を認められなくなる。処分された者が不満を持つし、残された者も処分の基準がわからなくなり不信感を抱くようになるからだ。

 それでも写真に写っていた男が何者なのかわかれば弁解もできるし対処もできたのだが、反白木派の者たちは最後までその男が何者なのかを白状しなかった。彼らは、どうせ自分たちが排除されるのなら白木にもダメージを与えてやろうと考えたのだ。白木自身も八方手を尽くしたが、結局調べきれなかった。これでは真夢の潔白を証明することはできない。無理を通したら真夢だけを特別扱いしていると他のメンバー達に思われてしまうだろう。それも運営側が決してやってはいけないことの1つだと白木は知っていた。もうどうにもならなかった。

 そして島田真夢はI−1クラブを去った。白木が天才と認めた少女は、多くの可能性を残したまま志半ばで、大人たちの醜い争いの被害者として表舞台から去っていったのだ。それは白木にとっても痛恨の出来事だった。

(あのまま彼女が今でもセンターを務めていたら……)

 今のセンターに不満があるわけではないが、それでも彼はそう考えてしまう。過去を美化し過ぎていると思わないでもないが、あの少女を自分の手でもっとプロデュースしてみたかった……そう考えると忘れようにも忘れられなかった。白木は真夢の才能に心底惚れ込んでいたのだ。

 事務所にある彼の部屋に貼られた一枚のポスター。デスクの正面に一枚だけ特別扱いかのように貼られているI−1クラブ初のヒット曲である『リトルチャレンジャー』の宣伝用ポスター。真夢がセンターにいるそのポスターを、多くの人が記念として貼っているのだと思っているが、理由は決してそれだけではない。彼にとってそのポスターは自らの失態に対する戒めの意味があった。それを見るたびに己の過去を振り返る。もう2度と同じ過ちは犯さない。その気持ちを忘れないために未だに貼り続けているのだ。それほどまでに彼の喪失感は大きかった。

説明
 だいぶ間隔が開いてしまいましたが、シリーズ18話です。アニメ本編では9話にあたります。アニメ本編と同様に今回で彼女達の内に抱えた問題は解決し、以降はアイドルの祭典に向けて一致団結して突き進むという展開になっていきます。今回は真夢がI−1をクビになった理由についても自分なりの答えを出してみました。賛否両論あるでしょうが、これも1つの見解ということでご了承ください。楽しんでいただければ幸いです。
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