コードヒーローズ〜黄金のマザコン〜
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第一話「黄金の輝き」

 

 

 

 

 

「いかんな」

 男は地図を睨みつけつぶやいた。

(長年生きてきたが、未だに地図の見方がわからない。そもそも今どっちを向いていて、どっちの方角に進んでいるのかがわからない)

 男は車のボンネットの上に開いた地図を睨みつけては、周りを伺う。

(えーっと北半球が上で南半球が下で……すると私がいる位置が……)

 世界地図と日本地図を広げて首を傾げる。

 男は空を見上げる。夕焼けが男の影が伸ばす。

 男はハットをかぶり直した。次にスーツを整え、ネクタイを締め直す。

 手にはアタッシュケース。アタッシュケースは分厚い装甲。その周りを鎖が何重にも巻きつけられていた。視界に入れば誰もが気に留めるだろう。

(やはり目立つな。紙袋か何かに入れておけばよかったかもしれん)

 通行人たちはアタッシュケースに不審な眼差を向けている。男は態とらしく咳き込んで通行人を払う。

 彼が異国人ということもあり、さらに得体の知れなさを加速させているのだろう。

(それにしても、この国は春先だというのに湿気が強すぎる。それでもこの国の人ならば、これでもまだ乾燥しているという認識なのだろう。こんな湿気が強い国で機械関係の技術力は現時点で我が国に迫るほど、いやヒーロー分野においてはトップクラスだろう)

 男はハットかぶり直し、唸りながら地図を睨みつけた。

「わからん」

 

 

 

 やはりエドワードの進言を受け入れて、付き人を1人ぐらいは用意するべきだった。いやしかし、かの人物の性格を考えると、この手のモノの持ち込みは1人でお伺いを立てたほうがいいはずだ。

 もっとも優れた技術者7人に選ばれた男……。そしてもっとも狂っている技術者でもあり研究者でもある。

 アタッシュケースに向ける視線を鋭くさせた。

 この中のブツをなんとしても調査……研究してもらわねば。

「むぅ……早乙女 源一」

 ここは根を上げることにしよう。

 道を尋ねるために通行人を見渡す。

 この国の人間は、私のような異国の人と目が合うと逸らす癖がある。私はそれが少しばかり気に入らない。君たちはもっと自身の国に誇りと自信を持つべきだ。確かに我が国に敗戦はした。だがそれはそれ。今をもっと自尊をだな――。

 視界の中に鮮やかな金色が目に入った。

 黄金の頭髪。真紅の瞳を持つ少年が歩いていた。顔立ちはアジア系ではなく西欧系。

 学校帰りだろうか? しかしこんなところで私と同じような異国の人間に出会えるとは、渡りに船とはこの事だな。

 世界共通語の英語で少年に道を尋ねた。しかし私は2つ勘違いしていた。

 風体が日本人のそれと違くても英語が喋れない人もいること。そして――。

「ああッ?! 英語なんて糞食らえ! ここは日本だ! 日本語喋れ!!」

 ――目の前の少年は大の英語嫌いであるということ。

「え? ええッ?!」

 私は驚きに声を上げた。

 英語で話しかけたぐらいで、こんなに嫌悪の感情をぶつけられるとは思わなかった。しかもこの国でだ。とはいえ、郷に入っては郷に従えと言う。ここは彼の言う通りにしよう。というか手段を選んでられない。

「あ、ああ。すまない。ついこんな所で同じ国の者がいたのかと思って浮かれてしまったようだ。失礼した」

 だが少年は少しバツの悪そうな表情になって、こちらに頭を下げた。

 突然の事に真っ白になる。

「すいません。つい話しかけられたぐらいで怒ってしまい。色々とありましてね。とりあえず日本語でよろしいでしょうか?」

 少年は先程までの不遜な態度を改めた。

「いや、すまない。日本語でいい。それでその……道を訪ねたいんだがいいかね?」

「いいですよ。俺が知っているところなら――手短にお願いしたいですが」

 少年は腕時計を見て時間を確認した。

 この後予定があるようだな。この少年の好意を無駄にしないためにも、手短に済ませよう。

 手招きして地図に記されている所を指さした。

「この家に行きたいのだが、今どこにいるのかさっぱりなんだ」

「あんた……地図の見方がわからないんだな」

 少年は心底呆れたようにつぶやく。

 ぐっ……しかしどの建物も同じに見えるし、地図の違いなんてわからんぞ。自分の国ですら迷うほどの方向音痴を自負している。って、自慢にならんな。

「この家は……あいつの家か」

「知っているのか?」

 少年はつまらなさそうに「ああ」とだけ答えた。

 とりあえず運がいい。このまま案内させてもらおう。そういえば早乙女博士にはお孫さんがいたな。その子と同い年かもしれん。そこからこのブツを渡せれば最高だ。今日はツイている。ありがとう神様。

「すまないが案内頼めるかな?」

「お安いご用で」

 

 

 

 車を近くのコインパーキングに預け、徒歩で向かうことにした。

 そういえばお礼にチップでも手渡すべきだろうか?

 少年の後に続いて、長い階段を登る。夕日が大分傾いたせいか、階段は影に染まっていた。

「すまないがこの階段を上がったほうが時間も短縮できる。俺も早く帰ってお袋の飯を作らないとならないんでね」

「そうか……お母さんは働いているのか?」

「ああ……」

 少年が背中を向けているため表情は読めないが、声音が若干低くなった。何か家庭の事情があるのだろう。

 階段の中腹辺りで背後を振り返る。街は綺麗にオレンジに染まっていた。

 顎に手を当て、踏み込むべきか踏み込まざるべきか悩んだ。

「ああ……お母さんは何をしている人なんだい?」

 つい言葉を漏らしていた。

 いかんいかん。こういうお節介なところは直らんな。一度思ってしまうと言葉が勝手に口をついて出てしまう。

 少年は足を止めた。背中からの気配が明らかに変わる。

「いや、失礼だったな。気にしないでくれ。どうも私はお節介でね。なんでも首に突っ込みたがる癖があるんだ。聞き流してくれ」

 怒らせてしまっただろうか?

「さっき――英語なんて糞食らえ――って言っただろう」

「あ、ああ」

 少年は振り返りもせず話し始めた、階段の先を眺めているようにも見える。

「うちのお袋な。在日米軍の男と結婚して、俺を生んだんだ」

 少年は穏やかな声音で語る。

 ハーフか。だから日本人離れした顔を。在日米軍と結婚か……しかしなんでこんなところに? ……まさか。

 私は今までの聞いた情報で予想がついた。

「だけどソイツが結構糞でな。何か気に入らないことがあると、俺やお袋に手を上げた。挙句他のところで女を作って俺たちを捨てたやがった」

 先ほどの優しさを感じさせない。何かを吐き捨てるように少年は嫌悪していた。

 そうか。それで父親関係が物凄く憎いのか。

「お袋は俺を育てるために、水商売しているんだ。だから……いやいい。さっさと行くぞ」

「ああ。そうだ私の名前はジョージ・スミスと言うんだ。ジョージでいい。君の名前は?」

「ジョン。ジョン・鈴木だ。鈴木と呼んでくれ」

 ジョン……か。

 一度視線を地面に落とし、視界端のアタッシュケースの存在を思い出す。

「わかった。鈴木君道案内のお礼にチップを渡したいのが、いいかね?」

「それはありがたい。少しでもお袋の助けになるな」

 鈴木君は振り返り笑った。

 彼にとってお母さんは絶対なのだな。せめてそんな彼への本日の無礼とお礼を兼ねて、少しくらい弾んでもバチは当たらんだろう。

 私は笑い返そうと――。

「見つけた。力だ」

 男の声に視線を上げると。

 階段の上がった先にフードを被った何者かが立っていた。

 そこに立っているだけにも関わらず噎せ返るような恐怖が体を支配する。

 なんだこの重圧は……。逃げなくちゃならんのに足が動かない。フードが影になっていて、その奥にある顔なんて見えないのにわかる。蛇だ。蛇のように獰猛! そして獲物を見つけて狂喜に顔を歪ませているんだ。こいつの狙いは間違いない……。このケースの中身!!! そしてこの中身をわかっているということは、こいつは――。

「ジョン! 早く逃げろ!」

「その名前で呼ぶんじゃあねぇえ!!! 鈴木だ!!! 俺の誇り高く、尊敬する人の苗字で呼びやがれ!!!」

「怒るところはそこなのか!?」

 全く予想外の返事に、恐怖に縛り付けられた体が軽くなった。

 何に驚いて、何に感謝すればいいのかわからないが、とにかくやることは1つだ。

「とりあえず逃げるぞ!」

 私は無我夢中でジョンの手を掴み、階段を駆け下りた。が――。

「逃すと思っているのか?」

 目の前には先程まで階段の上にいた男が立っていた。

「なっ?! いつの間に」

 上へ駆け上がろうと視線を向けると、すでにそこには先回りしている奴がいた。口元が怪しく歪んでいる。

 まるで無駄な悪あがきだと馬鹿にするかのように笑っている。

 再び恐怖に動きが重くなった。

「無駄なんだよ。無駄。さっさとそいつをこっちに渡しな。そしたら楽に殺してやる」

 くっ! 私は殺されてもいい。だが、彼は……彼だけは逃さねば。

「ジョン」

「だから違う鈴木だ!」

 目の前の恐怖なんてどうでもいいと、得体のしれない恐怖より目先の気に入らないことのほうが大事なのか! 今がどういう事態なのかわかっていないのか!

 

 

 

 ジョンは掴みかからん勢いでジョージに迫った。

「今はそんなこと言っている場合じゃないだろう!」

「そぉんなぁこぉとぅ?!! 俺にとっては最高に重要な問題だ!!!」

 ジョンは男に背を向け無視し続けて話を続けた。

「確かになァ! てめぇにとってはどうでもいいことかもしれないがなァ!!! 俺にとっては馬の糞を顔に塗りつけられるくらい反吐が出る侮辱だ!!! 次にその名で呼んでみろ!  てめぇの口の中に牛の陰嚢ぶち込むぞ!!」

(なっ! なんていう奴だ!)

「おい! 俺を無視するな!」

「知るかタコがァ! てめぇなんてどうでもいいわ!! 俺は今牛の糞のほうが大事なんだよ」

「馬の糞じゃなかったのか!」

(いやいや違う違う。馬の糞も牛の糞もどうでもいい。というかどっちも嫌だ。それぐらい酷いことをしたならば謝るから。これ以上挑発せずにさっさと逃げてくれ。こいつの狙いはこのケースの中身なんだ。だから、そんな無闇矢鱈に相手の逆鱗に犬の糞を塗りたくるような挑発はやめてくれ)

「っていうか、物凄く怒っているじゃないか!」

 男の纏う気配が明らかに変わる。

 ジョージは自身にではなく、ジョンに向けられた殺気だけでも倒れそうになった。が、ジョンが強く腕を引いたので持ち直す。

「俺が豚の糞以下だと……? いいだろう……お前から殺す!」

 目の前で黒い炎が男を包む。それが全身を覆い、渦をまく。炎が膨れあがり次の瞬間爆ぜる。

 そこに現れたのは龍の意匠を持つ鎧を纏った化け物が顕現していた。

「殺して……っていない!」

 階下にいたはずの2人の姿を見失い化け物は吠えた。

 

 

 

「おっさん足を止めるな! もっと早く走れ!」

「なんてやつだ」

 我々は今脇道を全速力で走っている。変身が始まった瞬間に全速力で逃げ出したのだ。

 ジョン……もしかしてここまで考えてやったのか?

「とにかく何にもないだだっ広い田んぼがあるところまで走るぞ! ついてこい!」

 恐ろしく足が速い。気を抜くとあっという間に置いていかれてしまう。

 ちなみに途中でへばりそうになった私の代わりに、重いアタッシュケースはジョンが持っている。

 渡してよかったのか? 敵の狙いはアレだ。いやここまで来れば一蓮托生だな。

「何がおかしい?」

「笑っていたか?」

 ジョンは「ああ」と素っ気なく返した。

 ここまでの状況になったら、笑うしか無いだろう。まったく酷い1日だ。いや人生の幕切れがこんなものになろうとはな。

 私らしい最期かもしれないが、この少年を道連れにするのは重い負い目が――。

「それと今あんたは――今日が人生の最期――とか考えているんじゃないだろうな?」

「だってそうだろう?」

 我々は足を止めずに走り抜ける。猫を飛び越え、電信柱を支えに曲がり、体中の酸素がなくなるくらい走り続けていた。

 この歳でもまだこんなに長く、そして速く走れるとは。人間追い詰められると色々とリミッターが外れるというのは本当だな。

「俺はここで終わらせるつもりはないぜ。俺は生きて帰る。そしてお袋の飯を作る! この手で! だから死ぬつもりはない!」

 なんてやつだ。マザコンもここまで突き抜けていると逆に清々しい。

 ジョンの愚直なまでの母への想いに感心した。

 目の前に大きな田園が広がる。一瞬「美しいな」なんて思ってしまった。さらに加速して、そのまま田園の真ん中に辺りに陣取る。

「奴は……振りきれたか?」

「んなことあるか! タコはタコでも化け物だ。そうそう簡単に振りきれるか!」

 もしかしたら他の人に危害を加えているかもしれない。このままここまで逃げて正解だったろうか?

「あんたの考えを当ててやろう。それはない。奴の性格上。そんな頭がまわらないし、あんだけ無視して侮辱してやったんだ。こっちしか見えてないはずだ」

「何?」

「いいか? よく聞け。アイツは俺達を一息で殺せる力を持っているはずだ。だがなぜわざわざ自分の姿を見せつけた?」

 ハットをかぶり直した。

 まさかあの一瞬でそれがわかったのか。いや、あの状況で冷静に考えられる度胸を褒めるべきか?

「そうか。自分の姿を見せつけていた」

「そうだ。ああいう手合いは死にゆく様を見るのが大好きなイカレポンチだ。俺達が子羊のようにブルブル震えながら死ぬ姿とか想像して、今頃勃起しているんじゃないか?」

 そこまで考えた上で私と口論を装い――。

「ちなみにお前と言い合ってたのは本気だぞ」

「え、ええ〜!?」

 驚きの声に合わせるかのように背後に激しい轟音と衝撃が大地を激しく揺らした。

「見つけたぞぉ」

「うわっ! コッテコテの化け物だ!」

「こいつはらは超常生命体と呼ばれる存在だ。互いに引き寄せ群れたり、殺したり、行動原理は様々だ。そして、こいつらはそんじょそこらのヒーローじゃ歯がたたない」

 その研究も兼ねてこのアタッシュケースの中身を早乙女源一博士に調べて貰いたかったのだが。どちらにせよもう終わりか。心残りがあるとすれば、本場の寿司をまだ食べていないことか。

「おい。こいつを開けるにはどうすればいい?」

「はぁ? はぁあああッ?!」

 君は何を言っているんだ? その箱の中身は――。

 ジョンはアタッシュケースをこじ開けようと、鎖を引っ張っていた。

「俺は今聞いている! こいつはどうやって開けるんだ?」

「なんでそれを――」

「質問しているのはこっちだ!」

「ごちゃごちゃうるせぇえ!」

 黒いバケモノが一息で飛び込んできて、暴風にも似た威力と早さで拳をジョンに殴りつける。

 ジョンは咄嗟にアタッシュケースでそれを受け止める。しかし勢いまでは殺せず、そのまま彼は田んぼを勢い良く転がり、鈍い衝撃音を鳴らせた。その様子はまるでゴム鞠が勢い良く地面を跳ねながら転がるようだ。

 直撃はしていないとはいえ、あんなのを受けたら――。

 死の恐怖で体が縛り付けられるのを実感した。

 体は動かず、指一本すら言うことを聞かない。

「あ、ああ……ジョン」

 ジョンは死んだ。そして次は私が……こいつに殺される。

 装甲のようなマスクが怪しく笑い声をあげる。顔の表情は変わらずともその下に顔があるとするならば、間違いなく歪んだ笑み。

「くくく。ガキンチョは死んだな。お前は楽に殺さない。ガキが俺を侮辱したことを貴様の体にじわじわと刻みつけてやる! 泣いて殺してくれても頼んでも貴様の精神そのものを殺してから殺してやる」

 化け物は歩み寄る。

 

 

 

 田んぼの泥に塗れて、倒れていた。

 左腕がありえない方向に曲がっている。下半身の感覚はない。これは駄目だな。右腕くらいしか動かせない……な。

 薄れ行く意識の中。走馬灯のように今日の出来事を振り返っていた。

(アイツならこういうときどうしただろう?)

 

 

 

 

 

 

「ただいま!」

「おまえり」

 黒くて長い髪。真紅の瞳。派手な衣服を身につけた女性は楽しそうに声をあげる。

 玄関にはジョンの自慢のお袋、鈴木 幸子がいた。

 ジョンは慣れた手つきでフライパンを操る。黄色い塊が宙を舞い。再びフライパンに引き寄せられていく。

「今日は何かしら?」

「ふふん。聞いて驚け! 厚焼き玉子とベーコン。そして炊きたてご飯だ!」

「わあ。卵焼き〜。卵焼き〜」

 幸子は優しく微笑んで、室内に上がっていく。戸を閉める。

 

 

 

 俺のお袋は美人だ。30過ぎてもまだ数多の男から言い寄られているらしい。お袋の仕事先のママから聞いた話なので、あくまでらしいなんだが。個人的には俺の意思なんて無視して、身を固めてもらったほうが安心する。でもそれをしようとしない。何度か聞こうと思ったが、そこはお袋のプライベート。俺とはいえ、安々と踏み込んでいい場所ではない。

 背後で聞こえてくる布のこすれる音に、俺は警戒した。

「お袋! 着替えるときは戸を閉めろって言っているだろう!」

「あ、ごめ〜ん。でも家族なんだし、いいじゃない」

 よくあるかぁあああああああああああッッッ!!!!

 内心思いっきり叫ぶ。そして意識して背後を振り返らないように、朝食の準備を進めていく。

 ふざけやがって! こちとら思春期真っ只中の男子よ! 獣も同然よ! 部屋にエロ本が置いてあるのも知っているだろう!? そういうところは気を使って欲しいぜ。下着だって自分で洗って欲しいくらいだ。まったくド派手な下着見ては、目を背けたくなる俺の心根を! 思春期真っ只中の男子の悩ましいまでの煩悩を理解してくれ!

 もちろん口に出して言わないのは、母におんぶに抱っこ状態だからだ。

 くそ……俺が働いていれば強く言えるのにぃいいい! 言ったら言ったですごい剣幕で怒って最後には泣き喚くしなぁ。

 以前に新聞配達アルバイトをしようと、お袋に相談したことがある。きっと快諾してくれるだろうと思った。しかし、お袋は俺の予想とは違う反応だった。普段は優しく穏やかなお袋が、激しく怒ったのだ。挙句泣き出し、俺は泣く泣くアルバイトを断念したのだった。

 そもそもおかしいだろう! 母さんの収入はそれなりにあるはずだ。こんな二部屋しかなく、玄関とキッチンがすぐ隣合わせのボロアパートなんかより、もっといいところ住めるはずだ。隣にあるマンションなんてすごくいいじゃないか。母さんの収入を考慮すればあれくらいローン組んで住めるはずだ。

 だがお袋はそれをしない。それが理解できなかった。

「納得いかん」

「なにが?」

 紅い瞳が横から俺を覗きこむ。

 どうやら着替えは終わったらしい。やれやれ、だ。あー、あいつの口癖伝染ってるな。

 手早く朝食を準備する。お袋は出来上がった食事を机に並べていく。

「洗濯するから先に食べていてくれ」

「い〜や」

 またか。

 お袋は朝ご飯を俺と一緒に食べようとする。疲れて帰ってきても絶対にそれを欠かしたことがない。

 肩を竦めて、素早くお袋の出した洗濯物を洗濯機に叩きこんでいく。それが済むと朝食を前に、待ち続けているお袋の元に急いだ。

「では、いただきます」

「は〜い。召し上がれ」

 俺が用意したんだが、いつもこれだ。気にはしてない。元をたどればお袋が稼いだ金で買った食材だ。それくらいは言う権利はあるだろう。

 ま、これも俺にとって幸せな日常だ。

 

 

 

 

 

「以上で本日の生徒会は終わりです」

 進級してしばらくしてだ。突然生徒会に呼び出された。色々やらかしていることは自覚していたので、なんか小言を言われるのかと思ったのだが。結果は俺の予想の斜め上の裏側だった。

 努めてつまらなさそうに溜息を吐き捨てた。そんな態度に現生徒会の面々はいい顔をしない。

「鈴木君。もう少ししっかりしてもらえないかしら?」

「このジョン・鈴木はしっかりしているぞ。だが、気に食わない」

 黒色の絹の生地のような光沢を放つ長い髪。目鼻立ちがはっきりしていて、スラっとしたモデルのようなスタイルをした女子は不愉快そうに俺を見る。

 生徒会長の星村 紫織は眉根を寄せ上げた。見せつけるようにふんぞり返る。

「大体なんでこの俺が次期生徒会なんぞに?」

「それは私も同意見だわ。後で教師に一言報告しておくことにします」

 余裕のないやつだな。説明ぐらいしてくれもいいんじゃあないの? そっちがその気なら俺はそれでも構わんが。

「ジョン。お前は性格こそあれだが人望はある。そこら辺を評価されたんだろう。それに生徒会入っておけば、お前さんのお袋さんへの恩返しも兼ねることになるよ」

 早乙女 優大。こいつは俺のことを「ジョン」と呼んでいい数少ない人間だ。というかお袋を除けばこいつぐらいだな。こいつとの関係は小学生の頃からだ。1年の時に喧嘩して以来の仲。ヒーローの血筋とかなんとかで、こいつと家族以外の周りはヒーローになることを望んでいるようで、幼い時から大変そうだった。企業から逃げるためにしばらく行方不明になったほどだし。今もヒーローになることを拒絶しているはずだ。

 こいつの血筋がヒーローだからってのもあるんだろうが、喧嘩で勝てた試しがない。いや、こいつのことだから幼い時の喧嘩もヒーローの力を使わずにしていただろうな。

 俺は「なるほど」とつぶやいた。

「でもでも。ジョンく――「鈴木だ」――鈴木君がいてくれたら私は楽しいなって思うよ」

 少し赤みがかかった茶髪をセミショートした女子が舌をぺろりと出す。

 こいつは弓弦 愛華。次期生徒会の生徒会長最有力と言われている。次に言われているのは優大だ。成績は悪くない。人付き合いも悪くない。何でもかんでも首を突っ込みたがる。一部ではウザがられているが、こいつもこいつで、それを理解しながらも「いつかわかってくれる日が来る」とかそんなことを言いながら、ちゃんと首を突っ込むから偉いな。中途半端はない。人望もあるし、そこら辺も評価されてここにいるんだろう。とはいえ、行動が突拍子もない。そこで――

 俺は愛華の隣に座っている青みがかかった黒いショートカットの少女を見やる。

 ちなみにこいつは隙こそあれば、俺を「ジョン」と呼ぼうとする。もちろんこいつは許せる人間ではないので、その都度訂正している。

「愛華もいい加減諦めたらどう?」

「まだだ! まだ諦めんよ!」

「あ、そう」

 ――愛華の手綱を引くかかりとして秤谷 凛がいる。

 拳を作り、俺をジョンと呼ぶことに情熱を燃やしているようだ。そんな様子に秤谷は額を抑えて困惑しているような、呆れているような顔になる。

 やれやれ。って、優大のが感染っているな。まあいい! そして、いいだろう。受けて立つ!

 愛華と凛は幼馴染らしく、家が近いそうだ。いつも仲良さそうに登校しているのは知っている。

「俺はジョンにも手伝って欲しいな」

「やれやれだな」

 優大の言葉に俺は優大の口癖で応対する。

 今度は意識してわざと言ってみた。優大は意に介さず、さくさくと片付けていく。

 なんだ? えらく急いでいるな……。

「とりあえず、態度は改めること」

 最後に生徒会長に釘を刺された。

「へいへい」

 

 

 

 

 

「お前たちも帰りか?」

 声に振り返ると、声の主は奇声を上げ始めた。

 少年は全力疾走でジョン達目掛けて突っ込んいく。

「隙有りぃいいいいいいいいいいい!」

 ジョン達が校舎から出るところを狙ったのだろう。俊足と言われてもおかしくない速さでタックルをしかける――。

「――など無意味ぃ!」

 いつもの恒例行事なのか、ジョンははにかみながらタックルを回避する。通り抜けた人物を背後から優大が飛びつき、地面に転がす。さらにその上からジョンが覆いかぶさり。一番下にいる者に2人分の体重をかけて圧迫する。

「ぎ、ギブ! ギブミーチョコレイトォ」

「お前の腸に詰まっているシットなチョコをひりだしてやる! それをお前の口にツッコんでやるから覚悟しろ」

 ジョンは犬歯をむき出しにして笑う。一番下にいる少年は身の危険を感じたのか、肉の重りをどかそうともがくが、優大にガッチリと押さえ込まれる。

「NO―! 優大ヘルプ! ヘルプってるよ俺」

「あーじょんがおもくてうごけないな」

「棒読み!? 俺ピンチ?! 見捨てられてるの? まだ死にたくなーい」

 いつものおふざけなのであろう。女子2人は呆れたように笑っていた。

 

 

 

 一番下で潰されているのが井上 健吾。俺と優大の友達だ。

 こいつは1年からの付き合いになる。烈も含めてよく無茶したもんだ。おかげで人望がある人間に仕立てあげられたけどな。

 俺達はいつものように笑いながら起き上がる。健吾は「三途の川の向こう岸におじいちゃんが手を振ってた……ってまだ生きているけどね」とふざけていた。弓弦はそんな不謹慎な言葉に少し注意を促している。

「井上君は部活?」

 弓弦の言葉を健吾は手を振って否定した。

 聞くところによると、最近の怪異事件を鑑みて、部活動は早く切り上げて帰されているそうだ。それでも意地になって残っていたらしく。顧問からお叱りの言葉が出て、さすがに家路につくそうだ。

 この練習馬鹿はとことん練習したがるからな。いや、こいつにとって練習じゃないんだろう。いつもサッカーしているときは楽しそうに笑っている。楽しくて仕方がないんだろう。

 健吾は俺達も遅くまで残っていたじゃないかと指摘してきた。

 生徒会の引き継ぎの話を語る。俺は終始生徒会長の余裕のなさを愚痴っていた。

「そっちはなんだか大変そうだな。悪いな鈴木。俺の代わりに」

 は? なんだそれは?

 俺は初めて聞く話題に思考が停止する。考えこむが見当がつかない。

 俺が呆けていると、優大が態とらしく咳き込んだ。

「ああ……実はな。本当は俺と井上、弓弦に秤谷が最初に呼ばれたのよ」

「なんだと! それを先に言え!」

 まあ怒るほどでもないか。こいつがなぜ辞退したのかも大凡の見当はつく。

 真剣にサッカーのみに打ち込みたいんだろう。健吾のお陰でうちのサッカー部は物凄い勢いで試合を勝ちまくっている。去年は県大会の準決勝まで駒を進めたはずだ。

 今年は健吾だけじゃなく、他にも頼れる選手が出てきたというのは聞いていた。これは全国大会出場も夢じゃないな。

「悪いな。今年こそ達成させて告白したいんだ」

「応援しているぞ」

 健吾の告白という言葉に優大は強く拳を握りしめ、熱い声援を送った。

 おいおいそれでいいのか? だって相手はお前……。

「お前はそれでいいのか?」

「なんで?」

 わかって言っているのか、いないのかさっぱりな態度に、俺はうなだれる。

「いやだから、健吾が告白しようとしているのって明樹保だろ?」

 優大は自分のことのように嬉しそうに笑って「そうだな」と言った。

 早乙女 優大には幼馴染がいる。桜川 明樹保。いつも優大の側にいる幼馴染だ。しかも今もなお仲が良いわで、学校でも噂されている。

 お互いにまんざらでもないんじゃないか、と思っていたんだが。どうも優大は違うようだ。1年の時にしつこく健吾から何度も問い詰められては「違う」の一言を繰り返していた。

「井上くんは桜川さんなんだ。ちょっと意外」

「愛華と同じく、別の方と付き合っているのかと思ってました」

 弓弦と秤谷は別の女子の名前を上げるが、井上は大笑いしながら否定した。

 違うのは分かったが、腹抱えて笑うのはどうなんだお前?

 健吾の大笑いにさすがの愛華たちは眉根を寄せた。

「ただの知り合いってだけだよ」

 健吾は「ありえない」と付け加えたが、当の名前が上がった女子は健吾のことが本気で好きらしく。言い寄る女子は蹴散らして言っているという噂も耳にしている。

 この朴念仁が。その女子も結構本気なんじゃあないか?

「こっちだって明樹保に本気だ」

「俺はお前たち2人なら上手くいくと思うよ」

「ありがとうよ。幼馴染のお前のお墨付きだ。必ずや県大会出場の暁には告白させてもらう! その時はセッティングよろりんぴっく!」

「なんだそれは!」

「もう井上くんったら」

「やれやれ」

 ひとしきり全員で笑った所で、健吾は何かを思い出したかのような顔になる。

「そういえば優大。ヒーローの宿題なんだが」

 優大は口をあんぐり開けて、そういえばそんなものがあったなという顔になる。

 こいつの両親がヒーローであったことを知っていれば、あの有沢の意味不明な宿題で助けを求めるのは普通か。

 宿題の内容は至ってシンプル。ヒーローのことを調べて、自分で思ったこと考えたことを書きなさいだ。しかも提出期限がないと来た。もちろん出せば内申点がつくし、ただ書いて出すだけなら余裕綽々だ。手を抜いてもいいだろう。

 もちろんこのジョン・鈴木はそんなことは願い下げるがな! 英語以外なら全力投球だ! それがお袋を幸せにつながると俺は信じている! そうに違いない! 俺はお袋のためにも全身全霊全力全開でこの宿題に立ち向かう! だがその前に指標となるものは欲しいのも事実だ。

 俺や健吾だけではなく、弓弦に秤谷にも聞きたそうな顔をしている。

 優大はそんな全員の表情を見て、深い溜息を吐いた。その後は額に手を当てながら「やれやれ」と漏らす。

「ヒーローってなにさ?」

「健吾……さすがにその質問だとどうしようもない」

 健吾の質問はさすがの俺もすっ転びそうになった。

 弓弦は手を優大に向ける。そして念じるような表になり――

「さあ早乙女君! 貴方は段々お父さんとお母さんのことを話したくなぁる。ほらこれで話したくなったでしょ?」

「いやいや、さすがにそれはないわよ愛華――」

 弓弦のボケを秤谷が素早くツッコミを入れる。さすが幼馴染という奴だな。流れるような動作だ。

 突然優大は胸を抑えて膝を地面についた。

「ぐっはぁああ!! やーらーれーたー!」

「まって。どうしてやられるの! おかしいでしょう! 言いたくなるようになるんじゃないの?」

 ケツを天に突き出すような形で地面に倒れ込む優大。しかも白目になるという芸の細かさ。その姿に満足そうに胸を張る弓弦。「えっへん」とか言ってるが……それでいいのか? 倒れた優大にもツッコミを丁寧にいれる秤谷。お前のこの先の役割が決まったな。

 次は俺もボケるか。

「グァアア! 俺も優大に話しをさせたくなる魔法を――」

「いやいやおかしいでしょ! 今のは早乙女君にしかやってないでしょう」

 俺がどうボケようかと考えていたら、健吾に持っていかれた。

「このジョン・鈴木がボケようとしたのに! 健吾ぉ!」

「早い者勝ちだ! 俺の勝ちだ!」

 優大は起き上がると、秤谷がオーバーヒートしそうになっているのを確認して、切り上げる方向へと話しを進めた。

「まあ、秤谷がそろそろツッコミ疲れで倒れるからな、そこらへんでな」

「でもヒーローって何さ? テレビで見ているのは違う気がするんだよなぁ。お前の両親の話は、聞くだけで凄いヒーローっぽいのに」

 健吾は優大の両親の有名な話を上げていく。そんな話になんの反応もせず、優大は空を見上げた。俺も倣って空を見上げるが、そこには何もない。ただ一面の空模様があるだけだ。

「まあ適当に調べて適当に書く。それでいいじゃないか」

「ええー。せっかくこの機会に、色々と聞きたいという俺の野望がー」

 健吾のそれは半分本当で、半分は嘘だろう。嘘の部分は聞いても答えが返ってこないことへの諦めにも似たそれだが。

 優大のヒーローに対しての考えは謎だ。聞かれれば不機嫌になるということは知っていた。特にこいつの兄貴のことはなにかあったらしく1年の時に珍しく怒っていたな。それでもヒーローの子供なりの苦悩とかそういうのは一切他者に見せようとしない。俺とは正反対だ。

 俺はお袋のことで辛かったりすれば、すぐに言葉や態度にして出す。それがよく優大に向くんだが。だがこいつはそういうのを一切表に出さないのだ。俺がお前にたくさんぶつけたように、そういうのを俺だって受け止めてやれるんだぞ。

 そんな気持ちを知ってから知らずか。優大は一度も弱音などを吐いた試しがない。

「でも、早乙女君のお父さんとお母さんって、今でも有名じゃない。ちょっとは話を聞けるかな〜? ってすっごくワクワクしていたんだけどね」

 弓弦は子供みたいにはしゃいでいた。

 優大は弓弦の言葉をさらりと受け、「いつか、ね」と答えた。

 なんていうかこいつはこいつで大変だな。ヒーローのことも幼馴染の桜川 明樹保のことも考えてのことだろう。

 明樹保はヒーローの話に関して、かなりの拒絶反応を見せる。特に優大が絡むとわかりやすくだ。そういうのも知って、こいつは話をしないようにしているんだろう。

「明樹保のことも考えてか?」

 今まで考えていたことを、無意識のうちに言葉として投げかけていた。優大は視線を空に向けたままである。しかし先程より明確な反応が見て取れた。空を見上げる表情が曇っていた。

「まあな。あいつが……一番俺にヒーローになって欲しかっただろうからな。でも――」

 優大の二の句は、飛んできた言葉にかき消される。

「そこの生徒たち。青春するのは結構だけど。早く帰ってくれると、先生たちは色々とありがたいんだぞ」

 声のする方に顔を向けると、女の教師が2人立っていた。

「桜木先生! と、誰だ?」

「如月 英梨先生な」

 如月英梨という先生は面倒臭そうに頭をかいて、俺たちに近寄る。

「青春している所悪いけど、おばさんたちも早く帰りたいんだわ。だからさっさと下校してくれるかな?」

 慌てて時計に視線を落とした。

 未だ時間があるとはいえ、お袋の飯をさっさと作らなくては。

「おばさんという歳でもないでしょうに」

「うっさい! アラサーになればおばさんも同然だよ! ちくしょう!」

 英梨は半泣きになりそうな表情になる。その態度は如何にも何か有りましたと言っていた。

 そんな彼女に優大は「まだチャンスはありますよ」と言葉をかけ、弓弦や秤谷も励ましの言葉を送る。

 先生は、そんな言葉に無理矢理笑顔を作って、奮起してみせる。対して保奈美先生は少し表情を暗くした。

「ん? 保奈美先生……もしかして滝下さんと上手くいってない?」

 暗い表情を見落とさなかった優大は、すかさず彼女に質問をぶつける。

 桜木先生は常に笑顔でいるような人だった。今みたいに人前で表情を暗くすることなんて滅多に無かった。

 だから彼女のそんな態度に俺は言い知れない不安を感じる。

「え、ええ……。少しよくないわ。ごめんなさいね。優大君に一生懸命相談に乗ってもらったりしたのに……」

 保奈美先生は自責の念から、さらに表情の雲行きを悪くさせた。

 これはこのジョン・鈴木でも対処不可能かもしれん。

 ジョンは優大の表情をちらと見るが、彼も同じように力になれないことを気づいてか下唇を噛んでいたのを見逃さなかった。

「いえ。それより元気だしてください。次がありますよ」

「そうだそうだ。あたしが保奈美の辛い気持ちを受け止めてあげるよ〜。ということで、ここからは大人の時間だ。若人は帰った帰った」

 そう言い終えると先生たちは、校舎に戻っていく。

 そうだな。ここは大人の人に任せたほうがいいのかもしれないな。ケツの青い俺達じゃまだ力になれない。

 桜木先生は1年の時の俺と優大、健吾の担任であった。教師になって初めて受け持ったのが俺たちのクラスだった。年度末最後のホームルームで大泣きしたのは、記憶に新しい。そういう光景を見れて、この人のクラスで1年を過ごせたことに感謝している。

 そういう恩もあって力になれない自分に強い無力感に襲われた。

「まあ1つ。ヒーローのことを言うなら、とっくのとうにヒーローなんてモノはいないかもしれない」

 優大の眼差しは空虚。言葉もどこか冷たい。

「それでも……いると、なれると信じて、諦めずにただただ進んでいくんだろうな。そうでありたいなら、そうであり続けようとすれば、いつかなれる。それがヒーローなんだろうな」

 どこまでも実態のない言葉だけが胸に深く、重く、刺さった気がした。

 

 

 

 

 

――諦めずにただただ進んでいくんだろうな――

 くそっ。まだ死んでたまるか! 俺はお袋のためにもまだ死ねないんだ! 今すぐにでも帰って、晩御飯を作って送り出さなくちゃならないんだ!

 目の前に紫色の細長い石が、怪しく輝いていた。アタッシュケースで攻撃を受け止めた時に壊れ、中身が俺の目の前に転がったのだ。それはまるで試すかのように輝き続ける。

 これを力とあの化け物は言っていたな。これを使えば……たぶんあいつと同じになるんだろうな。なんとなく、だ。なんとなくそんな気がするってだけだ。

 目の前にある石を使うことを躊躇った。

――そうでありたいなら、そうであり続けようとすればなれる。それがヒーローなんだろうな――

 できるのか? この力で……アイツを倒すことができるのか?

 脳裏にお袋の笑顔が過る。次いで映ったのは優大の背中だった。どこまでも遠くへと歩み続ける背中。脳内ですら追いつけない。

 きっと俺が家に帰らなかったら、お袋は自殺してしまう。俺を溺愛してくれているしな。これ以上辛い目に遭わせて貯まるか。俺がそれを防いで幸せにするんだ。だから――

「あ、ああ……ジョン」

 ジョンにとってそれは何事にも耐え難い侮辱。意識が飛びかけていた彼を引き戻し、腸を一気に沸騰させた。

「だから……言っただろうが! 俺を呼ぶときは鈴木だって」

 まだ動く右腕で半身を起き上がらせる。下半身はいうことを効かない。左腕は意識がはっきりすると同時に、鈍い痛みが強くなってきた。

「お前、ジョンって言われるのが嫌なんだ。ジョンジョンジョンジョンジョンジョ〜ンジョ〜〜〜〜ン。そのまま寝んねしてたら楽に死ねたのにね〜ジョンちゃん」

 これ以上にない挑発に頭は一気に沸騰した。

「この糞タコ野郎が!! お前を殺す!! この力で!」

 ジョンはその手に紫色に輝く石を掴んだ。売り言葉に買い言葉の要領で後先考えずに、それを握りしめた。石は握り締めると同時に輝きを増し始める。

「ま、待て! それを使えばお前はこいつらと同類になるんだぞ!」

「知るか! どの道このままじゃ俺もお前も死ぬんだよ。だが、俺には覚悟がある。俺のままであり続けていることを! そしてこいつをぶっ飛ばしてお袋の晩飯を作りに帰る! そのために――」

 化け物は何をするのかわかったらしく。俺に飛びかかってきた。もちろん目では追えない。飛んだと認識した瞬間ソレを胸に当てていた。

「――俺は……化け物になるぞ!」

「させるか!!」

 

 

 

 拳をジョン目掛けて振るうが、しかし化け物の行動は一瞬遅い。黄金の炎がジョンの周りに突如現れる。

「何?!」

 炎は飛びかかってきていた化け物を容赦なく焼く。掴みかかろうとしていた右腕は焼け崩れ去る。

「―――――――――――――ッ!!!」

 右腕を焼かれた超常生命体は激痛に絶叫を上げた。もしもこの世にドラゴンという生き物がいればそれは間違いなくこんな咆哮だったに違いない。叫ぶだけで周りのモノを恐怖で縛り付け、動けなくさせる。

 ジョージは震える両足を抑えつけるが、震えは止まらない。

 もう一匹化け物が産まれるのだ。恐怖など抑えられないのは無理もない。

 黄金の炎は強く網膜に焼き付いた。黄金より絢爛豪華に見えるその炎は禁断の炎。触れれば先のやつのように焼け崩れ去る。

 黄金の炎が膨れ上がり爆ぜた。その爆風でさらに化け物は地面を転がされる。

 目の前にジョンだったソレが立っていた。

「あ、ああ……どちらが勝っても私は殺される……もうおしまいだ」

 ジョージの胸中は暗く冷たい絶望に埋め尽くされる。

 黄金の鎧。真紅の瞳。明度の暗い紫の球体。それを胸部の中心に持つのは超常生命体の共通の証。その球体を守らんと胸にある牙が噛みあっていた。下顎の牙が天を目指し、兜の側面に当たる部分からも牙のような角がまっすぐに天を貫かんとしている。兜の額に当たる部分には真紅の結晶。縦長にそれも天を目指していた。両肩には龍が噛みつかんと口を開いている。背にあるのは黄金の翼。まるでマントのように地面に垂れ下がっている。

 目覚めたばかりなのか、意識ははっきりしてないようだった。それに気づいた化け物はジョンだった化け物目掛けて飛んだ。常人であるジョージの目には飛んだようにしか見えない。次に彼が視覚で捉えた時には、ぶつかるんじゃないかと錯覚するほど接近した姿だった。踏み込んだ右足で、田んぼの柔らかい地面にクレーターをつくり上げる。近くにあったアスファルトで舗装された道もめくれ上がった。

「殺してやるぁああ!」

 咆哮を上げながら、左腕を振りかぶる。空を切った。背後に回りこんでいたのだ。

 化け物はジョンだった化け物に張り手を受け、地面に背中から倒れていた。

「な、なに……?」

 地面に転がされた本人のほうが信じられないという声音だ。

(ジョンだったアレは、もしかしたら超常生命体の中でもトップクラスの戦闘能力を持っているんじゃないか?)

 黄金の化け物は刃渡りが短い剣を取り出した。それは大昔に見つかった石剣のような形だ。

(武器持ちだと! 紛れも無い。A級の超常生命体じゃないか。ヘタしたらこの街が消し飛ぶ……消し飛ぶぞ)

 刃に相当する部分から黄金の光が漏れだし、それは大剣を象った。

「それは俺の力なんだよ! うああああああああ」

 黒い化け物は誰が見てもわかる無謀な突撃をする。黄金の光が瞬き、地面に硬い何かが落ちる音が鈍く響く。

 それは黒い化け物の左腕だった。

「が、がぁあああああぅ! きーさーまー! 覚えていろ! 次はぶっ殺す! ぶっ殺してやる!」

 そう言い残すと黒い化け物は消えた。

「あ、ああ……」

 

 

 

 恐怖で声が漏れる。小便も漏れる。鼻水も垂れる。涙も垂れ流る。私は体中から水分を出していく。

 死ぬんだな。私は彼に殺されるんだ。

 目をつむりその時を待った。

 だが、黄金の化け物はいつまで待っても襲ってこない。それどころか気配を感じない。

 恐る恐る目を開けると、私以外は誰もいなくなっていた。

「あれ?」

 

 

 

 

 

〜続く〜

 

説明
コードヒーローズ〜魔法少女あきほ〜の裏で起きていたお話。超常戦士のお話です。
マザコンがヒーローになる感じ

※小説家になろう にも投稿しています
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