スフィーと聖なる花の都の工房 〜王立アカデミーのはぐれ綴導術士〜<1>【1章-1】
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1章 入学初日が退学日?

 

 新しい生活が始まり、そして――

「へ、へへへっ……」

 間借りした宿の一室。スフィールリアはベッドの上でうなだれて、((乾|かわ))いた笑いを((漏|も))らしていたのだった。

 その手には、学院から届けられた一枚の通知書が握られている。

『スフィールリア・アーテルロウン――学院規則特別禁止事項1−226((抵触|ていしょく))のため、退学処分とする』

 と、書かれている。

 王都に到着してより、二日目――晴れて〈アカデミー〉に入学して、実に初日のできごとであった。

 ことの経緯は、簡単である。学院規則特別禁止事項1−226番。

 暴力事件を起こした、という意味だ。

 さて、では具体的になにが起こったのかというと、さかのぼることほんの数時間前。

 それは、入学式を終えた直後のことだった――

 

「えぇ、この度は皆さん? <ディングレイズ・アカデミー>へのご入学、おめでとうございます。今、ここに居並ぶ皆さんは各地で優秀な成績を収め、数多くの試験と困難な問題を乗り越えて集いました、まさに我が王国((珠玉|しゅぎょく))となる原石たちであると――」

(ほへ〜〜……!)

 場所は王立ディングレイズ・アカデミーの第一公会堂。スフィールリアも、この時ばかりは((若干|じゃっかん))緊張して、正した居住まいで立っていた。

 学院支給の礼服を着込んだ新入生たちが、実に一千人近く、ずらりと並んでいる。

 ゆったりとしていてどこか壮麗な((吹奏楽|すいそうがく))。((煌|きら))びやかな照明の光に包まれた壇上で、学院長と名乗った((恰幅|かっぷく))のよい女性が挨拶を述べている。

 同級生となる彼らは皆、どこか((陶酔|とうすい))するような眼差しで彼女の言葉に((傾注|けいちゅう))していた。

 王立ディングレイズ・アカデミーは、毎年数千人もの新入生を迎え入れる、世界でも有数規模を誇る超大型の教育機関である。聖ディングレイズ王国内のみならず((外|そと))大陸からも高名な貴族や学者の血を引く者たちがさらなる知識と技術の研鑽を求めて集まってくるのだ。

「――というわけで我々((綴導術師|ていどうじゅつし))≠ェ関わる分野というのは膨大((多岐|たき))に及び、もはや((綴導術師|ていどうじゅつし))≠ネしに世界流通、引いては経済そのものが成り立たないと言っても過言ではないでしょう。そもそも((綴導術|ていどうじゅつ))≠ニいうのは本学院を創設なすった偉大なる((祖|そ))フィースミール師が、初めて世界を覆いつつある霧≠ヨの対症処置法として確立したのが((起|お))こりであり、ゆえにあなた方は世界の守り手≠ニしての責務も負うべく本学院に出向いてきたと言っても決して大げさな――」

 ゆえにこの学院の入学式というのは、あらかじめ出身国や身分などに応じてあるていどまでに人種を分けておき、数日かけて((行|おこ))なわれることになっている。当然ながら、始業式も別日程である。

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 スフィールリアは平民の出というくくりになっていたらしく、公会堂に居並んだ新入生たちの((風貌|ふうぼう))もたしかになんとなーくだがそれっぽい&オ囲気で統一されているように思われた。

 まあ簡単に言うと、((荒事|あらごと))に慣れていそうな感じだったり、質素な感じだったり、あるいは逆に身なりを高貴に見せようと((力|りき))みすぎていたり……そんな感じ≠セったのである。

「しかしながら、これもまた皆さんならご存知のことでしょうけれども、当学院は『ただの教育機関』とは一線を((画|かく))する機関であるのもまた事実なのです。入学できたからといって卒業までエスカレータが約束されているわけではありません。本校の昨年の卒業率は、一割を((割|わ))りました。皆さんの前途にはまだまだ把握し切れないほどの数多きな困難と試練が立ちはだかることと思いますが――」

 それでも千人近くもの男子女子がずらりと並んだ光景と、そんな人数を納めてもまったく窮屈しない公会堂内の装飾はまさしく壮観で、新入生に向けた挨拶を述べる教職員面々、とりわけ新入生たちに挨拶を述べる学院長という女性の放つ才気なんかは、スフィールリアになんだかすごいところにきてしまった≠ニ思わせるのに充分だった。

 壁際二階の貴賓席にはなにやら各国の偉い人なんかも大勢座って雑談しながら新入生たちの列を覗き込んでいるし、式のプログラムもやたらと多かったし、そのたびに立派な楽隊がなんだか重厚な曲を((奏|かな))で始めるし……

「はい。また私ですね。――ええ、もう、((堅苦|かたくる))しいことはなしにしましょう。皆さん? 遠方からはるばる旅をしてきた人も多いでしょう。今日はゆっくり休んで、明日からは((早速|さっそく))、始業の準備に((怠|おこた))りなきよう((勤|つと))めてくださいな。王都観光はほどほどに。未成年のお酒は本校では固く禁じられていますからね?」

 小さく笑いのどよめきが起こり、朝から始まり数時間にも渡った入学式は終わりを迎えた。

 ……とにかくそんなこんなで。

 入学式が終わるころには、スフィールリアも、ほかの新入生たちも、すっかり((疲|つか))れ果ててしまっていたのだった。

「……」

 アレは、なんというのだろうか――そう。軽い、催眠状態というヤツだった。

 これからの新生活にかかる期待と、自分が今いる環境への緊張。そして長い演目による疲労、なんだか、すごいことをやり((遂|と))げたのだという謎の達成感……これらが合わさって、解放されて退場するころには、一種の夢見心地≠フような気分になっているのだった。

 そして、そんな状態で気分が高揚、あるいは気もそぞろとなりながら式場をあとにしてゆく学生たち。その公会堂正面口からすこし離れたところで……

「お譲ちゃん、カワイイね。新入生? よかったらお茶しない?」

「ひゅーっ、見ろよ、このメガネ。まるで委員長みたいだぜ……こいつはただれた生活をやさしくきっちり正されちゃいそうな予感がするぜ」

「じ、譲ちゃんよぅ、も、も……『もう、ダメなんだから。めっ』って言ってくれや……はぁはぁ」

「へっへっへ……かーいいね……へっへっへ……」

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 ……といった具合に、見るからにこれ以上ないってくらいに((絡|から))まれている女の子の姿を発見したのである。

「え? あ、あの……」

 なにが起こっているか分からない、という((戸惑|とまど))った様子で自分を囲んだ男たちを見回しているのは、スフィールリアと同じくらいの歳の少女だった。

 ゆったりとウェーブのかかった亜麻色の髪の毛は肩の辺りまで。普段から気立てのよさそうな眉は今は気弱そうに八の字に下げられて。退場の際に出口でもらった入学((祝|いわ))いの花束を、結婚を誓い合った騎士にもらったお守りであるかのようにか細い両腕に抱きしめ、震えている。

「怖がらなくていいって。俺ら、あー、知らない? いわゆるお隣さんってヤツでさぁ。今の内からお知り合いになっとけばマジお得だから!」

「んなこたーどうだっていいだろオイ、そーいうの持ち出すのは野暮なんだよ……」

「そうそう。というわけでお嬢さん、こう見えてオレたちおいしいカフェ知ってるんだ。王都だって初めてだろ? 絶対押さえておきたい穴場もあれば女の子だけで歩かせられない危ない場所だってたくさんあるんだぜ? 早い内に分かっておきたいだろうし、案内するから、さ」

 そんなことを言い募って女の子を困らせている男の姿は、六人ある。上級生か? と最初は思ったが明らかに違う。

 まず身なりしておかしくて、普段から知識の((累積|るいせき))と向き合っている学生にはとても似つかわしくない、ガタイのよい連中ばかりだった。プロテクトアーマーをつけている者もいる。普段から勉強机に座っているのではなく外で力仕事ばかりしているのは間違いない。

 要するに、学院生ではなかった。

 この学院の警備はかなり((物々|ものもの))しい感じだった(なにせ外国からも貴族が((来賓|らいひん))しているくらいだ)のだが、どうして忍び込んだものか……どうやら右も左も分かっていない上京したての新入生を狙ってやってきたらしい。この手合いはどんな場所にだって((沸|わ))いてくるものなのだ。

「おい、そろそろやめておかねぇ? 脈ねーよ。なんか怖がってる」

「いやいやいや、なんで怖がるんだよ。俺たちゃ味方だぜ、この子にとってしてみりゃ?」

「あー、お嬢さんあのね。聞いてる? さっきから言ってるけど、俺ら、この学院の隣の((国立|こくりつ))――」

 女の子の方は、もう彼らの話なんか耳に入ってもいない。きゅっと目を((瞑|つむ))って嵐が過ぎ去るのを待つ野うさぎのように震えるばかりである。そりゃそうだ。ナンパだかなんのつもりだか知らないが、あんな四方取り囲んで頭の上から押さえつけるみたいな話しかけ方がどこにあるっていうんだろう?

 スフィールリアはふつふつと喉元から((湧|わ))き上がって頭の中に浸透してゆく苛立ちをかみ締めていたが、それは彼女だけのことではなかった。

 

(なんなんですの、あれ?)

 さて、スフィールリアが徐々に、メラメラとした怒りのオーラを((沸|わ))き立たせつつある一方。

 その彼女とはちょうど男たちを挟んで対面側の場所で、アリーゼルも、やや((呆|あき))れた((面持|おもも))ちでことのなりゆきを見つめていた。

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(そう、あれがナンパという……ウワサには聞いていたましたけれど、本当、下品な風物詩≠ナすこと。エスコートとか、そういう以前の問題ですわね。女性の扱い方もカリキュラムに組み込むべきなんじゃないかしら)

 というか、彼女だけでなく、周りにはたくさんの人の目がある。千人近い新入生が続々と退場しているのだから当たり前だった。おとなしく寮に帰ろうという者、学内を散策してみようという者、同じ地方の出身者同士、これからさっそく街へ((繰|く))り出して生活の雑貨でも買出しにゆこうという者たち……男女様々な年齢の新入生たちが、遠巻きに、((胡散臭|うさんくさ))い目つきでかわいそうな草食動物の命運を見守っている。

 見守っているだけ。だれも、関わろうとはしない。

 それはそうだ。だれもあえて関わりたいとは思わないだろう。

 アリーゼルはため息をついた。

(まあ、新入生が学院のからくり≠知らなくても無理からぬことですし、まだ話したこともない同級生を危険を((冒|おか))してまで助けるべきかといえば、なにをかいわんや……というより、見ていることこそが正解なんでしょうけど。でも、気に入りませんし。ここは平民を導く立場のわたくしが。仕方ないですわね――)

 と、自分を納得づかせるのにわずかばかりの時間を失敬してから、男たちの方へ足を向けようとしたところに、

 

「おうおうおう、ちょいと待ちなよ、兄ちゃんたちよぉ!」

 

 妙にドスの利いた、スフィールリアの声が((轟|とどろ))いたのだった。

 アリーゼルよりも。

 その場にいた、だれも関わろうとしない大勢の内、だれよりも早くに。

「……はい?」

 

「おうおうおう、ちょいと待ちなよ、兄ちゃんたちよぉ!」

 上着のポケットに両手を突っ込み、わざとらしい調子の大股でドカドカと地面を蹴りつけて近寄ってくる少女の姿に、男たちはなんか、わけが分からないものに絡まれた≠ニいった表情を向けて固まっていた。その向こうでアリーゼルも口をぽかんと開けていたのだが、当のスフィールリアはそちらのことなどそもそも見てすらいない。

 ざむ――!

 ほどなくして男たちの包囲のすぐ外側にたどり着いたスフィールリア。敷地の砂を大仰に踏みしめ、仁王立ちになって一番近い男の顔を((睨|ね))め上げていた。

「あー、えーと、お嬢さん……なに?」

「あーん? なに、だーーん?」

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 着飾らせてちょっと((瀟洒|しょうしゃ))な椅子にでも座らせておけば可憐なお人形のようにも見えるのがスフィールリアという少女だったのだが、これではまるで彼女の方がチンピラである。遠巻きの傍観者たちも、ほど近くのアリーゼルも、そのあまりのギャップに絶句しているのだが、実のところ一番驚いているのは戦士然とした男らと中央で((縮|ちぢ))こまっていた少女本人だった。

 そして次に彼女の口から出てきた言葉に、さらに一同が「うぇ!?」と驚きの声を((漏|も))らした。

 

「よぅよぅ兄ちゃんたちよぅ……なに人の女(アマ)に手ぇ出してくれてんだ、こら?」

 

「うぇ!? あ、女ぁ?」

「その身のこなしにドスの切れ……まさか……マフィア、なのか……?」

「いやそれよりお、女同士……だと?」

「大人しい顔をして……」

 ざわ……ざわ……

「えっ……えぇっ? あの! その! わたし! えと、その! ち、違います」

 男たちの視線を一身に集めたメガネの少女が泣き出しそうな顔であたふたし始めるのだが、伝わらず、周囲の新入生たちは驚きの新展開に声を潜めていろいろとささやき合いを始めている。

「……ち、違う……んですぅ……」

「ああ、ああ、お譲ちゃん。分かった、分かったから」

「お、俺たちには聞こえたから。だからほら、ハンカチ」

 ついには本当に泣き出してしまった。大変弱りきった様子で三人ほどがなだめにかかり、残りの男たちが、奇妙な闖入者に向き直った。

 メガネの女の子を指差して、

「違うって言ってるぞ」

「むぅ……おかしいな」

 スフィールリアは、とことん不可解そうな渋面で((顎|も))を揉みしだいて、

「あたしの計算では即効で『なんだよ女連れかよ』『早く言えよまったく……』って感じで敗残者どもはすごすごとその場を立ち去るはずだったんだけど」

「いや、おかしいだろそれ」

「おかしいのはアンタたちでしょ!」

 突然叫んで、スフィールリアはびしぃ! と悪漢どもを指差しした。

「こんなか弱い女の子を寄ってたかって取り囲んで! キーアの言った通りだったわ……男ってサイテーね……なにがなんだか分からない内に言いくるめて、オウチにお持ち帰りして、『だいじょーぶだからこれただのホットミルクだからお酒なんかちょっとしか入ってないから〜』とか言って次に適当な飲み物かなんかをわざと服の上にこぼしてアツアツのお風呂とか勧めて気がつけばベッドの中で朝には二人分のモーニングコーヒーをって寸法なのね! 見なさいよ、彼女泣いてるじゃない! サイテーだわ!」

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「さ、サイテーなのはそっちだろ! 泣かしたのお前だし!」

「ていうかなんでそんな酔わせ方知ってんだ! 絶対そっちの方がタチ悪いって!」

「師匠と呼ばせてください!」

 一部やや違う方向に熱のこもった声も((混|ま))じっていたが、ともかくこの少女のあまりの物言いに、男たちの語調もヒートアップしてきているようだった。彼女の闖入により思わぬ注目も集めてしまったので、焦りも半分ということだったのだろう。

「だから別に俺たちは悪者とかじゃなくて、ていうか君ってなんなの……えーっと、あーもう、いいや。俺たちもういくから……おい、とっとと帰ろうぜ。教師連中がくるとさすがに面倒だ」

「はー? 待ちなさいよ。この落とし前つけずにどー帰ってくれるって言うのよ」

 せっかく帰ろうとしてくれたのに、腕を乱暴に((引|ひ))っつかんで引きとめようとするスフィールリア。なんだか険悪な空気になってきたのでおろおろする少女。

「おい、離せよ!」

「はーん? それが人様にモノ頼む態度ってわけですかー? センセーがくると困るんですわよねー? ホラごたごた言ってねーでさっさとこの子に謝んなさいよ。ついでに迷惑料。財布出しなさいよ」

「こ、の――」

 ついに焦りが頂点に達して、腕をつかまれていた男がもう片方の腕を振り上げた。周囲に緊張が走る!

 だが!

「んんんんんんんんーー!!」

 だが男が腕を振り上げ『かけた』ころには、すでにスフィールリアが思いっきり足を蹴り上げていた。

「んーーー! ふぅううううううん! んオんんんんんーーーーーー!」

 股間の付け根にクリーンヒットどころではないめりこみ方をして、男がもんどりうって倒れる。

 顔面をどす黒い赤色に染めて地面を転がり出した男の姿に、その場の半数ほどが顔色を青くして目を逸らした。しかし男の仲間たちは、そうもいかない。

「ば、バートン!?」「て、てめぇなんてことしやがる!」「男の敵!」

「さすがにもう大人しくしてらんねえぞ!」

「師匠! オレのアソコも蹴ってくれー!」

「上等だってのよ! かかってこいおらー!」

 あっという間に、戦闘開始である。

 ここからがすごかった。

 わっと一斉に男たちが飛びかかって一瞬でケリがつくかと思いきや、スフィールリアは先ほどまでの乱暴な動作からは信じられないくらいすばしっこく彼らの野太い腕を逃れた。そして、その内の一本をつかみ、

「せい!」

「がっは……!」

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 ひとりが投げ倒された。

「そい!」

「んふん!」

 ひとりが股間を蹴りつけられて、

「とりゃ!」

「いで!」

「あっ俺の剣! てめいつの間に――」

 いつの間にかひとりの腰から抜き取られていた剣で、ふたりが((鞘|さや))のまま頭を叩き倒される。大の男が両手で保持するような剣を、信じられないことに彼女はそのままぶんぶんと振り回して男たちの接近の足並みを乱した。

「うわっ危ね!」

「信じらんねぇ! この怪力女が!」

「うっせーこちとら都会のモヤシどもたー((鍛|きた))えが違うってのよ!」

 ((辺|あた))りは騒然となり、あっという間に乱闘騒ぎの様相を((呈|てい))してきていた。

 だが――

「!」

 いつの間にかスフィールリアは、ぴったりと――ひとりに背後を取られていた。

「ちみっこい女子供だから下手に出てたけどな……」

 相手の動きを牽制しているつもりが、逆に誘導されていたのだ。((鍛|きた))えが違うといえば、それこそ彼らは身なりの通り戦闘訓練≠受けたプロフェッショナルだったのである。相手が組み伏せがたしと見るやチームワークを発揮して、彼女は((瞬|またた))く間に男の手のすぐ届く位置にまで誘い込まれてしまっていた。

 今まさに振り上げようとしていた剣の鞘の先を、がっしと片手で無造作につかまれて、身動きが取れなくなる。

「剣なんて振り回されたら、こっちももう手加減できねぇんだよ――」

 だれもが少女の負けを確信した。ざわ、と傍観者たちに別種の緊張が走り、メガネの少女がたまらず目を((瞑|つむ))る。

 そのまま、もう片方の腕が乱暴にスフィールリアの肩口に伸びてきて――

 固まっていたのは、絶対的優位にいるはずの、男の方だった。

 スフィールリアが武器からなんの未練も残さず手を離し、ぱっと((翻|ひるがえ))って男の((胸板|むないた))に拳を打ち込んでいたのだ。

「……!」

 だが、そこまでだった。

 彼女の拳が当てられているその場所、その男の胸は、分厚いプロテクト・アーマーに守られていた。事実、少女の突然の動きに面食らいこそしたものの、拳を当てられた彼はなんの((痛痒|つうよう))も覚えていない。

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「……へ、」

 男から、気の抜けた息が((漏|も))れる。彼女は無言。息は、すぐに乾いた笑い声にへと変じた。

「へへ、なんだよ――当たり前だろ、しょせんそんな細っこい腕じゃ――」

 そう言いかけた瞬間、プロテクト・アーマーが、粉々になって砕け落ちていた。

 しんと静まり返って、春のそよ風が吹き抜けた。

 粉々になって、砕け落ちていたのだ。

「……え?」

「細っこい腕じゃ、なんだって?」

 無表情に男と見つめ合っていたスフィールリアの顔に、ここで初めて、澄ました笑みが((灯|とも))る。しかし男は起こった目の前の事象に頭が追いついていない。いや、追いついている。この女がなにをしたのか≠ェよく分かっている。だからこそ――

「ま、まさか、お前、これ――」

「んー?」

 むしろ可愛らしいくらいにわざとらしいしぐさで首を傾げるスフィールリアの笑顔に、男たち全員の顔が、さぁっと青ざめていった。

「て、((綴導術|ていどうじゅつ))≠セぁ――!?」

 だれかの叫びを契機に、男どもは一目散になって逃げ出し始めた!

「なんで新入生がいきなり((綴導術|ていどうじゅつ))使えてるんだ――!?」「知るかよバカ――」

「死にたくなけりゃ足動かせ! 生身で物質分解かますとか教師クラスだぞ――」

「バートンほら立て! つかまれ! ここ殺されるぞうひいいい――」

「師匠ぉ……俺ぁアンタにホれたよたまんねぇよぉ――!」

 各人の恐怖を口々に表現しながら走り去ってゆく男たちの背にスフィールリアが「逃げんな迷惑料置いてけこらー!」と声だけの追撃を投げかけた。

 男たちが慌てて駆け去ったあと……。

 なんてことのない作業を終えたと言わんばかりにぽんぽんと衣服をはたく仕草をするスフィールリアを囲んで、また、別種のどよめきが起こり始めた。

 ざわ――ざわ――

「え……なに今の?」「あれが((綴導術|ていどうじゅつ))≠チて本当なのか? だれか分かる人いない?」

「す、すげぇ。俺、田舎の先生が使ってるの見たことある。たぶん間違いない……でも、もっと時間かかってた……すげぇ」「じゃああの人センパイなのかな……」

 バカ、礼服着てる。同級生だよ――

 あんなのが普通にゴロゴロしてるのか――

 やっぱり<アカデミー>ってすごいんだ――

 ……などなど。

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 色々と見当を外している憶測飛び交う喧騒には、スフィールリアは特に構う気は起こらなかった。

「ちっ逃げ足の速い連中ね。……大丈夫だった?」

 女の子が(というかまともな一般市民が)発してはいけないような捨てゼリフを吐いて、スフィールリアが、ナンパされていた少女に向き直った。

「え、ええ……えと、あ、ありがとう」

 すっかりへたり込んでいた少女はスフィールリアに差し出された手を取って、どうにか立ち上がる。

「それにしてもここの警備も見た目だけでザルね。あんな見るからにガラの悪い連中((素通|すどお))りさせて、なにやってんのかしら。まったく」

「その警備のスタッフですわよ、彼ら」

「え?」

 不意にかかった声に顔を向けると、いつの間にか、ひとりの少女がすぐそばに立っていた。まあいつの間にもなにも、傍観者たちより一歩近い場所でずっとなりゆきを見ていた、アリーゼルである。

(おお。きれいな子だなぁ)

 というのがスフィールリアの第一印象だった。

 絵本の中でしか見たことのないようなまばゆいばかりの金の髪を、花飾りつきのカチューシャで束ね上げて、そのまま総髪にするように後ろに流れ、背の中腹あたりまでストンと落ちている。

 とても整った目鼻立ち。花束をたおやかに抱えた白い((繊手|せんしゅ))。意識せずとも自然と揃えられた足先。背こそスフィールリアの((顎|あご))先くらいまでしかないものの、その落ち着いた物腰は彼女を見た目よりもずっと歳重ねたように映していた。

「ですから、今の方々。この〈アカデミー〉のすぐ隣に併設されている〈((国立総合戦技練兵課|こくりつそうごうせんぎれんぺいか))〉の生徒さんなんですの」

 あくまで((澄|す))ました表情のアリーゼルに、スフィールリアは素直に首をかしげた。

「なんでそんな連中がこんなとこにいるの?」

「人の話を聞いていまして? ここ、未来の((綴導術師|ていどうじゅつし))≠スちを育てる学び舎〈アカデミー〉周辺には、その業務に関わる様々な周辺業種の人材育成機関も併設されていますの。つまり彼ら≠ヘ国防を((担|にな))う戦力として((鍛|きた))えられていると同時、近い将来は私やあなたたちの大切なパートナー≠ニなるかもしれない人材の卵ということになるのかしら?」

「えー、と。うーん……?」

 イマイチ理解できずに悩んでいるスフィールリアに、アリーゼルが小さく((嘆息|たんそく))した。

「まあ、入学したての今日で知らないのも無理はありませんけれどね。要するに彼らはお隣の学校の生徒さんで、訓練の一環として今日この日の入学式の警備スタッフに((引|ひ))っ張られてきていたんですのよ。学校同士の業務提携というのが近いですわね」

「おおっ。今のはなんとなく分かった!」

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「それはなにより。……で、これ≠ェ、毎年の風物詩になっていますの。((女っ気|おんなっけ))の少ない訓練の毎日の中に飛び込んでくる、数少ない出会いのチャンスというわけですの。まあ彼らの場合はもう本当にそれ以前という感じでしたが……あなた、災難でしたわね」

「あ……あの、はい。ありがとうございます」

「? わたくしは別になにもしていませんけれど?」

「でも、助けようとしてくれてるの、分かったから」

「あら、目ざといんですのね」

 きょとんとしてから、アリーゼル。

「それでも実際にあなたを助けたのは入学初日に((綴導術|ていどうじゅつ))≠((披露|ひろう))するような、このびっくり人間さんなわけですし。礼を尽くすのならそちらにするのが((筋|すじ))というものですわ」

 と言って、促すようにスフィールリアに((体|たい))を向けて言葉を切る。メガネをかけた少女も心得ているといった風に彼女に向き直り、頭を下げた。

「ええ。そうよね……あの、わたしはフィリアルディって言います。困っているところを助けていただいて、本当に――」

 ――ありがとう。

 と、言おうとしたところで、

 

「ふむ……つまり敵の本拠地は((割|わ))れているということなのね」

 

 と、意味不明なことがつぶやかれた。

『……え?』

 ふたりがまったく理解できないという声を漏らすのにも気に留めず、自分の((顎|あご))に手をやっていたスフィールリアは、アリーゼルに((毅然|きぜん))とした((眼差|まなざ))しを送り返していた。

「そのナンチャラ訓練所っていうのは、どこなの?」

「……〈国立総合戦技練兵課〉、ですわ。あなたがもしもだれも知らない裏口や抜け道などからではなく、わたくしたちと同じ新入生専用に解放された三番目の正規の門から入ってきたのでしたら、その門前百メートルほどにある、右手側――白塗りの大きな建物がそうですわ」

「そっか。ありがと!」

「きゃ!」

 言うが早いか、スフィールリア。フィリアルディの手を取って男たちの走り去った方角に向けて駆け出していた。

「ですがわざわざわたくしたちが改めてクレームをつけるまでもありませんわ。言ったと思いますが、これくらい毎年((行|おこ))なわれているなんてことのない通例行事。騒ぎも不要なくらいには大きくなりましたし、もう間もなく教師も駆けつけるでしょうから、事情を話して彼らから正式に――ってちょっと! どこいくんですの!?」

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「決まってるでしょきっちりオトシマエつけさして二度とこんなナメた((真似|マネ))しようだなんて思わないようにさせなくちゃ! 根城を明らかにして悪事を働いた愚か者の末路ってもんを教えてくれる……!」

「えっ! でも、わたしはもう気にしてないし――」

「ですから、こんなのいちいち首を突っ込んで騒ぎ立てるほどのことじゃないんですのよ! ――って聞いてませんのね!」

 あっという間に、ふたりの姿は曲がり角に消えてしまった。

 それからほどなくして数名の教職員が到着して、人だかりの中央にいたアリーゼルに事情を聞きだそうと厳しい顔つきで寄ってくる。

 別に自分はやましいことなどなにもしていなかったので、それはいい。見たまま聞いたままを話してやればいいと思っていた。お((咎|とが))めもないだろう。

 しかし、ただただ気になるのは、まさか入学早々に巻き込まれることになるとは思わなかった珍騒動。その中心を台風の目のように駆け抜けていった乳白金の髪を持つ少女の後姿だった。

「なんなんですの……」

 

 ここからの詳細はフィリアルディがもっとも明るかった。スフィールリアに手を引かれるままに学院を駆け抜けて〈国立総合戦技練兵課〉にたどり着き、息も((絶|た))え絶えとなっているところで「じゃあすぐ連中ひっ捕らえてくるから、待っててね」と言われ、言われるまでもなく身動きできず、ことの始終を見守っていたからである。

「たのもー!」

 バタン!

「げぇ! て、てめぇは!」

「ふっふっふ……自らの拠点の位置を明るみにしたまま背走したあげく、素直に帰ってくるなんて。そんなことで今までどうやって生き((延|の))びてきたのかしらぁ」

「そ、その言動……考え方! や、やっぱり……マフィアのひとり娘……なんだなっ?」

「だれがマフィアよ! そっちは女の子ひとりを囲んで無理やりえっちなことしようとしてた変態のチンピラじゃない!」

「え、えっちなことっておま、そんな……俺らはただ将来のコネクション作りとか、あとはあの子とちょっと夕方くらいまで楽しくお茶できればって、それだけだったのに」「そうだそうだ。むさ苦しくて厳しいばかりな毎日のたった一日に、あの子みたいな可憐で優しそうな一輪の花を愛でたいと思ったからって、そこにいったいなんの罪が――」

「なっ……あっ……! むさ苦しい男たちの体臭でフィリアルディを包んで、その花びらを……ち、散らす……!? こ、の……ド変態!」

「変態はお前だ! 変態はお前だ!」「そうだこの悪魔! 顔赤くしてカマトトぶったってダメだこのろくでなし!」「ゴリラ女!」「お前のせいでバートンは今も!」「師匠! もっと((罵|ののし))ってくれ!」

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「があーーーーもう、うるっせーーーーのよ! とにかくもう((金輪際|こんりんざい))ウチの敷地に踏み込めないよーにシめてやるから覚悟しなさいよ!」

「ひっ……やる気だ!」

「こうなったら仕方ねえ……全員集合だ! 院内全域に非常召集をかけろ! 戦争設備の解放を申請しろ! このままじゃ全滅させられるぞ――」

「師匠、好きだーー!」

 当事者たる戦士たち、待機していた無関係の戦士たち。彼らのすべてがにわかに騒然となり、そして――

「――上等よ!」

 歴戦の戦士たちが一斉と踊りかかり、決然と構えを取ったスフィールリアが、それらすべてを待ち構えたのだった!

 

 そんなこんなで〈国立総合戦技練兵課〉正面ホールの三分の一ていどの設備を半壊させ、十何人目かの屈強な男を力技で床に沈めたあたりで、慌てて飛び出してきた((戦技|せんぎ))教官に取り押さえられたスフィールリアは、その足で〈アカデミー〉教職員の下にまで連行され……今手にしている書類とともに、退学処分を言い渡されたのだった。

「あはは、ははは……はぁ」

 当然ながら寮の敷地にも入れてもらえなかったので、仕方なく緊急で、城下町にある宿屋に((一室|いっしつ))を取った次第なのである。

 ベッドに全身を投げ出し、もう一度、盛大にため息を吐き出した。入学初日から退学処分になると思っていなかったせいもあるが、そのためだけではない。もともとこの街にたどり着くまでの移動費ぎりぎりの金しか持ち合わせていなかったのだ。この宿も早々に引き払って、もっと安い場所を探さなければならない。

 三日以内に仕事でも見つけなければそれ以降の朝食すら危ないだろう。仕事については、たぶん問題ない。

フィルラールンの町でそうしていたみたいに、物が壊れた家を巡って((綴導術|ていどうじゅつ))≠ナ修復してあげて――

 大きな街だから、もしかしたら、勝手に仕事をすると幅を((利|き))かせている元締めのような連中に((睨|にら))まれるかもしれない。まずは酒場にでもいって、そのへんの情報も集めておかないと――

 今までのこと、これからのことを考えている内に、スフィールリアはうつらうつらと船を((漕|こ))ぎ出していた。旅の疲れ、入学式の緊張、さらに屈強な男たちとの血沸き肉踊る壮絶なバトル……眠くならない方がどうかしていた。

「あたし、悪くなくない……?」

 すん、とひとつ鼻を鳴らし、そしてそのままスフィールリアは深い眠りに落ちていた。

 

-13ページ-

「納得がいきません! 処分を決定した人に、今すぐ会わせてください!!」

 スフィールリアが意気も消沈して宿で眠りこけ始めたそのころ。

〈アカデミー〉教職員棟の入り口前に、ひとりの教職員に詰めかかっているフィリアルディの姿があった。

 騒ぎから数時間。もうほかの新入生たちはとっくのとうに寮の自室に帰り着き、落ち着ける私服に着替えてそれぞれの自由時間に入っていた。しかしフィリアルディはいまだに入学式当時の礼服のまま。着替えのことも頭になく、まさに必死といった様子で目の前の教師に懇願している。

 だが教師の態度はにべもない。なだめるような気配すら見せず、ただ厳しく、彼女に向けて首を振るだけだった。

「規則なのだ。フィリアルディ・マリンアーテ。分かりたまえ――学院規則特別禁止事項1条の226項。〈アカデミー〉に所属する全学徒は〈アカデミー〉が綴導術≠ニ定めたその全技能を、武力として〈アカデミー〉外部の人間に対し振るってはならない。これを破った者は今までも、例外なく厳しい措置が取られてきた。君の友人だけが特別というわけではないのだ」

「で、でも! ……わたしだって校則は少し調べました! 自身の生命の危険などを始めとし、止むを得ない場合には正当防衛としてこれの内容をしかるべき機関によって精査するって――」

 ややうんざりとした調子で手を振って、封じるように教師があとを引き継いだ。

「――精査した結果、そのように判断されたのだろう。判断するまでもなかったのじゃないかね? 学院内の乱闘騒ぎまではまだいい。しかしわざわざ自分から〈国立総合戦技練兵課〉へと追い討ち≠かけにいって、正面ホールを壊したあげくに練兵課の生徒十七名に軽症を負わせた、と。これのどこに正当防衛の要素があるというんだね。これは君の口から聴取した事実だったかと記憶しているが?」

「それは……でも、それでしたら! ホールの設備を壊したのはほとんど練兵課の人たちが武器を振り回したせいだともお話ししました! 第一スフィールリアはわたしと同じ新入生で、ああいうことが普通に起こるんだって知りませんでした! わたしたちからすれば、あの人たちは充分に得体の知れない不法侵入者で、あの子はそれで、あぶない状態だったかもしれないわたしを――!」

「ああ、はいはい、いい加減にしたまえ」

 それまで教師の目にあった厳しさが消えて、次にはそれは、冷たさと呼べるものにすり変わっていた。

「君がどうしても納得できないというのなら、それはつまり君がこの〈アカデミー〉の理念、そして存在理由というものを理解できないということなのだろう。どうしても彼女と連帯責任を取りたいというなら、その方面でなら融通を利かせられないわけではないが――どうなんだね?」

「っ――、そ、それは」

 押し黙る。

 それは最後通牒でもあり、彼女のような一般生徒を黙らせる最良の一手でもあった。

「フィリアルディ・マリンアーテ。君の願書と内定記録も見た。――地方学部で優秀な成績を納めた君をここに送り出すために、君のご両親はずいぶんとご無理をなさったそうではないか。莫大な入学金を稼ぐために法規定の、まあ……『ぎりぎり限界まで』副業を増やし、そんな激務の合間において奨学金を申請するための数々の手続きや審査にも赴いたのだろう」

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「……」

「そして、君はそんなご両親の苦労や苦心を理解できる人間だ。違うかね?」

「……違いません」

「よろしい。まだ最初の講義も受けていないのだ。他人の心配よりも自分の学業に専念したまえ」

「……はい」

「では速やかに寮に入って、寮長から寮則の――」

 と促してくる教師の言葉をうなだれて聞く彼女の脇を通りすぎて、数名の教師につき添われ、見覚えのある女性が建物へと入ってゆく姿が見えた。

 女性は少しだけ訝かるような視線をこちらに投げ、対応する教師がいることを確認してか、ついと目を逸らして教職員棟の入り口へと姿を消してゆく。

 その足音に向かって、顔を上げかけたところで、機先を制するように教師の声がかけられた。

「――あー、なんだ。学院長に直談判などということは、」

「しませんわよね?」

「え……」

 二重に出鼻を挫かれて振り返ると、そこには、先刻自分を助けてくれた金髪の少女が立っていた。彼女も今は礼服を脱ぎ、白のフリルをふんだんにあしらったドレスに着替えていた。こうして日傘を差して佇んでいる姿を見ると、本当に貴族然とした少女だと思えた。

「君は?」

 その彼女に教師が簡単な誰何を投げ、アリーゼルも特に取り乱すことなく、ちょい、と優雅なしぐさで片方のスカートを持ち上げて見せた。

「アリーゼル・フォア・フィルディーマイリーズでございます。ご機嫌うるわしゅうございますわ、教頭先生」

「ああ、君か――フィルディーマイリーズ家秘蔵の末っ子というのは。会うのは初めてだね。いや。先日は君のお父君とも、学院運営への寄付金に関することの食事会で大変、いろいろなお気遣いをいただいたばかりでね」

「存じ上げておりますわ。そのことでも父からも、学院長と教頭先生には改めてご挨拶をしておくようにと託っておりましたものですから」

「それは恐縮の至りというものだ。本来ならばこちらから改めて出向くのが筋だと思っていたのだが、いやはや恐れ入る。学院長ならばつい今しがた戻られたところでね、君がくると分かっていたならお引き留めしておくのだったよ」

「いいえ。それでしたらちょうどすぐそこでご挨拶の時間を頂きましたので問題ありませんわ」

「そうだったのかね?」

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 と、ここまで会話を交わしたくだりになって、教頭の機嫌は完全に上昇方向に持ち直しているようだった。

 教職員棟に戻る手前の学院長と挨拶が済んでいたのなら、ではアリーゼルはなぜ、用の済んだはずの教職員棟に? という無言の疑問符を浮かべた彼にアリーゼルはにこりと微笑みかけ、すぐ隣にいるフィリアルディの肩を持った。

「実はこのあと彼女とお茶会をご一緒する約束がありましたの。学院長と挨拶をしている折に、こちらに彼女の姿を見かけましたものですから。ねぇ?」

「え?」

 まったく覚えのない約束にフィリアルディが目を丸くしている間にも、教頭が「そうだったのか」とうなずき、アリーゼルが「そうなんですの」なんてうなずき返している。

「そういうことですので、わたくしたちはこれでお暇させていただきたく存じます。教頭先生も、激務、お疲れ様です。ご自愛なさってくださいね」

「ああ。君たちも体調管理には気をつけるように。期待しているよ」

 などと定型句のやり取りも手短に、フィリアルディの手を引き、アリーゼルは速やかにその場をあとにした。

「……あの、」

 いくつか角を曲がり、教職員棟が見えなくなったところで、ようやくフィリアルディはおずおずと声を出した。

「自己紹介、まだでしたわね。アリーゼル・フォア・フィルディーマイリーズ、ですわ。よろしければ以後お見知りおきを?」

「えっ、あ――フィリアルディ。フィリアルディ・マリンアーテ……です。ごめんなさい、名前も教えていなかったなんて」

「構いませんわよ。お互い様ですし」

 とここで、アリーゼルは引いていたフィリアルディの手を離した。

 学院内にいくつも存在する運動場、実技演習場……それらのグラウンドを囲ったまばらな雑木林の道を、ふたり。当てもなくゆったりと歩いてゆく。

「あの。二度も助けてくれて、ありがとう」

「二度ではなくて、これで一度目ですけれどね。とはいっても別に恩に着せようと思ったわけでもなし。なんでしたら本当にお茶会を開いてしまってもよろしいですわ。この辺りのカフェは詳しくないけれど、自宅に戻ればふさわしい茶葉なんていくらでもありますのよ?」

 振り返って茶目っ気ありげに笑いかけてくるのは、彼女なりの照れ隠しだったのかもしれない。

「ええっと、貴族……様、なんですよね?」

 しかし、今度はつまらなさそうに眉を寄せるだけだった。薄青に縁取った日傘を、くるくると回し、

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「ですわ。ですけどそれはあくまでわたくしの家名がそうというだけの話であって、わたくし自身の価値が尊く、高貴なものであるという証にはなりませんわ。ディングレイズ王家に使える序列七位の公爵家としての我が家を維持しているのは父上と母上ですし、王宮や、各地にてその実績と名声の蓄積に貢献しているのは兄上や姉上たち。……まだなにかしらの実績も残していない末子であるわたくしが、だれかから無条件に敬われる言われはございませんことよ」

「……ええっと?」

「要するに、敬語なんてお使いにならなくてけっこうですわ。ということです」

 傘をぴたりと止めて顔半分だけ振り返った彼女の顔は、今度こそ赤らんでいた。やっぱり照れているみたいだった。

「じゃあ、普通に接することにするね」

「ええ、ぜひそうなさってくださいませね」

 くすりと笑って宣言すると、アリーゼルも素直に笑って答えてくれた。こうして見ると、ずいぶんと幼くも見えるから不思議である。

「それに、わたくしも家柄とは無関係にあなた方と同じく、一般生徒として入学した身ですもの……そもそも第一、本来ならフィリアルディさんの方が年上のはずですからね」

「えっ? どうして?」

 驚いて聞くと、アリーゼルは特に引っかかりを覚えた様子もなくすらすらと答え始めた。それは入学初期には必ず聞かれるものと思い、彼女があらかじめ頭に思い浮かべていたことだったからなのだが。

「代々の慣わし……というほどたしかなものではありませんけれど。わたくしの家では〈アカデミー〉に入学する際は、だいたいそういうことにしていますの。世界の様相を正しく導く綴導術師として、真の技量と心を身につけるために家柄という言い訳≠捨てますの。真に一から学院内における学業成績と研究成果を収めることができれば、平民・貴族の出自なんて関係ありませんもの。わたくしの場合はどちらかというと、家の決まりごとではなくてこの理念の方にこそ心傾けてそうしたのだと言うことにしていますわ。……ただでさえ高等教育を飛び越して入学することになったんですもの。親や家の威光であるとささやかれ続けるのが、嫌だっただけなのかもしれませんが」

「立派、なのね」

「そうでもありません。これはあなたが思っているよりも、もう少し切実な*竭閧ネのです」

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「?」

「じきに分かりますわよ」

 ちょっと疲れた風に息をつき、アリーゼルは日傘を折りたたんだ。ちょうど差しかかっていたベンチに腰を降ろして、春風が雲を運ぶ空を見上げ始めた。

 そして、フィリアルディも隣に座るのを待っていたのだろう。横に並んだ彼女の視線が向くのと同時に、ぽつりと、つぶやきを漏らしたのだった。

「そういうわけですから、あのびっくり人間さんにも期待しているんですけれどね……」

「スフィールリア……」

「そういうお名前だったんですの?」

「あっ、うん――先生に事情を話したり、いろいろしている間に聞いたから……でも」

 フィリアルディは顔をうつむかせる。

「あんなに一生懸命になって助けてくれたのに、わたし」

「まあ一生懸命が有り余って、余波の方が大きかったような気がしますけれど」

「う、うん」

「まあ、打てる手は打っておきましたわ」

「え?」

 すっと立ち上がると同時、それが同一の動作であるかのように傘も開いている。しなやかな手つきで日傘の骨を肩にかけ、アリーゼルはひとり立ち去る気配を見せていた。

「だから、あとはまあ、あの子次第。あなたが気に病むことはありませんわ。それが伝えたかったんですの。もう夕方ですし、お互い、帰った方がよろしくてよ。お休みなさいませ。また始業後にお会いしましょう」

 

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「……以上が明日の式の日程になりますね。まあリーデンコーラル家の意向通り、ご息女を新入生挨拶の筆頭にしておきましたので、進行自体はつつがないかと」

「分かりました」

 翌日の日程のひとしきりを教師が告げ終わるころと同時に、フォマウセン・ロウ・アーデンハイト学院長は自室の席についていた。

 薄紫に染めた白髪を肩口手前にカールしてまとめ、飾り鎖を垂らしたメガネのよく似合う女性である。恰幅のよい体格に、飾りすぎない正装をまとい、見事と理知的な空気をかもし出している。

 が、隙のない雰囲気を維持するのは生徒や貴賓の前だけで充分である。外したメガネをデスクの脇に置き、しわの間に溜まった疲労をこすり落とすかのように、目じりを揉みしだいた。

「さすがにこの時期ばかりは疲れますね。気をもむ機会ばかりが増えて、時間も心労も持ち出し一方とくるのだから」

「王城警備も物々しくなりますからね。国王も御礼賛されますし、かといって生徒たちに表立った活動の自粛を促すとなっても、一筋縄でいくような者たちでもありませんし」

「それでこそ当〈アカデミー〉が〈アカデミー〉たる所以というものです。((たかだか|、、、、))王侯貴族を前にしたくらいでその志向性・活動性が損なわれているようでは我々が教職の鞭を取る意味もなくなるというもの。王宮の気難し屋たちの相手はわたしたちがすればよろしいこと。くれぐれも彼らの自主性を損なうことがなきように。頼みましたよ、ミスター・タウセン?」

 名前つきで念を押された教師、タウセン・マックヴェルはイエスともノーとも言わず、ただ肩をすくめるだけして答えた。

「えー、それで? 入り口で教頭先生相手に頑張っていたのが、例の?」

「はい。フィリアルディ・マリンアーテ。と言いましても事情の聴取は完了して、彼女自身の素行にもまったく問題ありませんでしたので、お咎めはなし、ということにしてあったはずなのですが」

「ですが?」

「……もうひとり≠フ処遇について意見があったようですね」

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「ああ――例の、放校処分になったという子ですね。報告書類を見ましょうか」

「差し出がましいようですが。学院長がお気に留めるような事例ではないかと。こういったことは、毎年あることですし」

 と面倒ごとがごめんなタウセンがそれでも一応はファイルを渡しながら言うと、学院長はあからさまに目をむいて、さも心外だと言う風に口を開いた。

「毎年? 毎年もあることでは、ありません。えーと、どれ? 入学初日に特禁事項への抵触行為を働き? 隣の〈国立総合戦技練兵課〉の訓練兵十七名をタコ殴りにした上にあそこの戦技教官一名にも手傷を負わせ? ホール施設および調度品を……三割破損…………して、退学処分になるような子、ですよ。そんな子供は、ここ二十年ほどは現れませんでしたが?」

「……だからこその、放校処分なんでしょう。巻き込まれた中に貴族出身者がいないのが幸いでした。おかげで騒ぎが明るみになる前に処理を完遂できるでしょう。〈国立総合戦技練兵課〉の修繕費に関しては特別予算を組んでも?」

「ええ、構いません」

「では、この件は終了ということで」

 学院長が手の中にもてあそぶ報告書類をやんわりと取り上げようとして、しかしスイっと避けられる。

「一応、最後まで読みますから?」

「学院長」

 物言いたげなタウセンにも、きっぱりと片手を出して、学院長は書類を再度めくり始めた。

「フィルディーマイリーズ家のお嬢様にああも言われれば、気に留めないわけにもいかないでしょう。彼女の家には毎年、無視できない額の膨大な寄付金と、値段では推し量れないほどの後ろ盾をいただいているのです」

 なにより、有望株筆頭の生徒ですからね? ――というダメ押しの言葉に、タウセンは小さな頭痛を覚えて目頭を押さえた。

 学院長とは行動をともにしていたのだから、彼も当然ながら彼女との挨拶には立ち会っていたのだ。

 その会合の折に、アリーゼルは学院長に今日に起こった事件の簡単な触りを聞かせ、次に、こう言ったのである。

 ――その生徒さんを調べたら、なにかしら面白いものでも出てくるのではないでしょうか?

 ――なにせ入学時点で((綴導術|ていどうじゅつ))≠習得している女の子ですから。背後関係になにもない方がおかしいのでは……ありませんか?

 その時、タウセンは――これは毎年働くかなり精度の高いセンサーなのだが――非常に嫌な予感を覚えたのである。これがあった時はたいがい今後において生徒に関する面倒ごとが起こる。そして、その面倒ごとの面倒≠ヘ、自分に回されてくることになるのだ――

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「えーと、どれ……当該の生徒は新入生であるにも関わらず綴導術≠行使し……ここまでは聞きましたが、なになに……練兵課生支給のプロテクト・アーマーを触れただけで破損……物質分解ですか? それも予備動作や工房結界の助力なしに? 報告書に書いてないということは、周辺環境への余波汚染もまったくなかったということかしらね? どうやったのかしら。これを見ていた教師クラスはいないのですか?」

「報告はありませんね」

「新入生としては破格どころでない技量の持ち主ですね。これほどの実力を我流で身につけられるわけもなし、よほど高名な術師が背後にいることも察せずに、わたしの耳にもそのことを一切通さずに単なる特禁事例として処理を進めようとしていたとは……嘆かわしい。あっ。ミスター・タウセン。今、舌出しませんでしたか?」

「いえ」

「まあいいでしょう。しかし、となると、それほどの術者とその生徒の名前を、よりによってわたしが知らないということはないはず……この子の名前は? どういった経路から〈アカデミー〉に?」

「わたしも詳しくは存じませんが、どうやらその生徒はしかるべき資格を得た後見人≠フ証明によって入学試験はパスしていたようですね。入学金・入学支度金についても経理部から特に横槍がなかったところを見ると、問題なく支払われていたってことじゃないんですかね? 名前は……本人の願書が。後ろの方に」

「ふむ、やはり優秀ということですね。どれ? あらとっても可愛らしい子。名前は……スフィールリア…………アーテル………………ロ、ウン…………?」

「学院、長?」

 すらすらと書類を読み進めていった学院長。やがてスフィールリアの簡易経歴に差しかかり……その顔から、さっと血の気が引いていった。

「アーテル……ロ、ウ、ン……」

「お顔が、真っ青ですが」

「……ミスター・タウセン」

「はい」

「あなたは、わたしの旧姓≠知っていますよね?」

 書類を握りつぶした学院長の手は、なおブルブルと震えていた。

「あー、学院長の旧姓は、たしか……アーテル……ロウン……?」

 たらりと冷や汗ひとつ流れるのを待ってから顔を向けると、学院長と目が合った。

 ダムッ!! と書類を握りつぶしたままの拳をデスクに叩きつけ、学院長は憤怒にも似た形相で次なる言葉を発していた。

「この子の経歴と入学経路をすべて、細大余さず洗い出しなさい……それと現在宿泊している宿っていうか現在位置! 今すぐ! 最優先!!」

 

 

説明
◆既存投稿分をまとめました。既投稿ページにて評価等いただいておりました皆様、まことにありがとうございました。(2015/05/03)
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