She Asked for Water (I Gave Her Gasoline)
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 盆を過ぎ、暦の上ではとっくの昔に立秋を迎えたというのに、その年はいつまでも暑かった。降り注ぐ直射日光ばかりでなく地面からの照り返しも容赦なく肌を焼き、したたる汗がアスファルトに落ちるなり小さな陽炎をこしらえた。

 知り合いの海防艦より少々時期のずれたお中元をもらった足柄さんは、空母寮にお裾分けを届け、その帰り道だった。

 この国は島国だ。大きな島が国になっているというわけではない。島々が束なって国を形作っている。だから島のひとつひとつは、細胞というよりは臓器にも似た、それぞれが不可分な存在だ。

 故に、近海の警護には常に数多くの僚艦が目を光らせているが、それでも遺憾ながら見落としが発生してしまうのは、まぎれもない事実だ。

 さすがに大型の深海棲艦の侵入を許すようなことはないが、駆逐艦級とはいえ、例えば漁船や客船にとっては致命的な脅威となる。そうしたいわば鎮守府の不始末を速やかに取り除いてくれるのが各地に配備された海防艦達だった。

 所属こそ違えど、同じ艦娘ということで、状況によっては共同作戦が張られる事情もあって、多かれ少なかれ互いに面識はある。

 それどころか海防艦の面々にとっては、鎮守府に軍籍を置く娘は羨望の的らしい。

 そんな訳で季節の折々、特にお中元お歳暮の時期には、全国津々浦々の停泊地より時候の便りとともに各地の名産品が大挙して押し寄せることになる。

 なにしろ量が量だけにすべてを足柄さんの姉妹だけで消費し尽くすのは難しく、また相手を懐かしむのは足柄さんに限った話でもないから、方々にお裾分けということになる。

 けれども、そんな事情は別段足柄さんに限らない。おかげで到着の遅れたお中元のいくらかを持って空母寮を訪れた時よりも、去り際の方が大荷物になって、照りつける陽射しを麦わら帽子越しにうかがいながら、とぼとぼと帰る羽目に陥ってしまった。

 遠方より友人の消息をうかがえて、さらにみやげまでふるまってもらえるのはもちろん嬉しいが、四人所帯の足柄さん姉妹だ、あまり量を頂戴しても、消費しきるまでに駄目にしてしまう公算が高い。

 そんなわけで、協力者という名の押しつけられ役を求めて、改めて重巡寮へと戻ってきた次第だった。

 すると、玄関開けてすぐのホールでは、おあつらえ向きに一人、備え付けのソファに腰を落としていた。

 

「おお、足柄か……」

 蚊の鳴くような声で、同僚の利根型重巡洋艦一番艦利根は、足柄さんが近づいても弱々しくそういうばかりだった。

 さすがに足柄さんも驚いた。

 派手さは薄いもののあくの強いのが売りと自負している重巡面子のうちでも、利根は例外的に外見的な特徴も兼ね備えている。両サイドで結んだ髪に大きなリボンの取り合わせは、他の面々よりも頭一つ分ほど低い身長と相まって実際以上に幼い印象を与える。おまけにどんぐり眼に勝ち気そうな上がり気味の眉ときては、いよいよそれを助長するばかりだ。

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 おかげで、高雄や妙高といったネームシップ仲間からは、小動物的なかわいがられ方をしてもみくちゃにされ、癇癪玉を爆発させているという光景が頻繁に重巡寮では見受けられる。

 そんな日常のやりとりからして、やや直情径行のきらいがあるにせよ、しおらしい印象からは縁遠い人物のはずだった。

 その利根がソファの背もたれに体をあずけて、ぐったりと空ろに宙を仰いでいる。

 あわてて声を掛けようとすると、

『ぐうっ』

 ウシガエルの鳴き声にも似たくぐもった音があらかじめ返事として出された。

「腹が空いた……」

 訂正しよう。直情径行なのは、ややではない。

 

「いやー、助かったぞ! 今日は午前の訓練に少々身が入り過ぎてな。一度腰掛けてしまったら、動けなくなってしまったのだ」

 先ほどまでの沈鬱な表情はどこへやら、利根は満面の笑顔を浮かべていた。

 しゃべるたびにほっぺたがもごもごと動く。へたってしまって身動きのとれない利根を見て、足柄さんは一粒のキャラメルを手渡した。行軍演習の際に、ひそかに隠し持っていたものだった。もちろん違反だが、ばれなければこれも機転の一種だ。

 胸ポケットにしまっていたのと、この夏の気温のせいですっかりとろけてしまっていたが、利根はかまうこともなくそれをひったくるようにして口に含んだ。

 そうして二、三口甘みを堪能したところで、すっかりいつもの調子を取り戻したのだった。

 まったく燃費がいいのだかわるいのだかわからない。

 放っておけば、またしばらくすると元の黙阿弥となるのは目に見えていたので、早々になんなりと胃に入れるように足柄さんはすすめた。

 ところが、

「そうはいかん。今日の食事当番は筑摩であるからな」

 と、なんだか知らないが胸を張って威張っている。

 筑摩は利根型重巡洋艦二番艦を担当する利根の妹である。

 子供かと見紛う利根に似ず、筑摩は身の丈も頭一つほど高く、精悍な肉体ながらも体の線はふくよかな丸みを描いている。性格は温厚で、常に姉を立てることを忘れない。単におとなしいというのではなく、周囲に合わせることのできるタイプだった。

「なにしろ、筑摩の料理の腕前は、プロ顔負けであるからな」

 ますます鼻高々の利根だったが、足柄さんに肝心の筑摩の所在をたずねられると、露骨に顔色が曇った。

「今は新人をともなって、海に出ておるのじゃ。帰ってくるのはもう少し後なのじゃ……」

 どのくらい?

「……今晩」

 まだ正午を少し過ぎたあたりだ。利根の体からして、夕飯まで筑摩の帰ってくるのを待ってもつわけがない。大体、午後からだって勤務はある。せめて酒保でなにか食べておかなくてはそちらに支障をきたす。

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「間宮は……、食券がなくて……」

 食料品などの販売を行う酒保は、給糧艦であった間宮がまかなっているが、資源節約が唱えられている昨今、誰でも金銭を支払えば好きなだけ購入できるわけではない。それぞれ艦種と階級に応じた食券が月ごとに配布され、それと現金を併用することで、初めて品を手にすることができる。

 利根の口ぶりからして、おそらく買い食いでもしたために、その食券が底をついたというところだろうと、足柄さんにも想像はついた。

「ち、筑摩には内緒じゃぞ? こんなことがばれたら、どれだけ雷が落ちてくることか……」

 常に利根を慕い、一歩退いた態度を崩さない妹だが、放縦や専横を許すわけではない。むしろそういう際にいち早く諌める役を買って出るのが筑摩でもある。普段のおとなしさとのギャップもあり、憤りを露わにしている時の筑摩の迫力は甚だしい。

 それを最も身にしみて知っている利根だけに、ほとんど瞳に涙をにじませんばかりに足柄さんにすり寄って懇願してきた。

 足柄さんは一つため息をつき、頭をかき上げた。

 とはいえ、このまま放っておいたところで、すぐにキャラメル分の栄養は使い果たしてしまうだろう。困ったことに、足柄さんも今月の食券が心もとなく、おごってやるというわけにもいかない。

 そう思ったところで、一連のやり取りですっかり失念していた手の中の、空母からいただいたお中元のお返しが重みを主張してきた。

 

「すまんな、昼まで御馳走になって」

 普段は居間に使っている一室にちゃぶ台を広げ、その脇で利根が端座して待っている。

 あまりにも弱りきっている同僚を見るに見かねて、といえば聞こえがいいが、いただきものを早めに消費してしまおうと画策して、足柄さんは昼食に利根を誘ったのだった。

 そんなわけだから、お礼をいわれる筋合いはない。

 足柄さんはちゃぶ台にお昼を運びながらそう伝えた。

「なにをいう。礼とは、だいたいこちらの持ち物だ。これまで好きに扱おうと思ってもそうはいかんぞ」

 したり顔で鼻をふんすと鳴らして得意満面でいられては、足柄さんもそれを笑って受け入れるほかない。

「それに、この酷暑の続くなか、こんなもてなしを受けて、礼をいわぬ馬鹿がどこにおるか」

 大きなガラス容器の八分目ほどに張られた水には白いそうめんが涼やかに泳いでいる。浮かべられた大きめの氷に負けぬくらい、利根はその夏の風物詩ともいえる白い絹糸に目を輝かせている。

 足柄さんは普段晩酌に使っているやや大きな手のぐい飲みを容器がわりに、昆布と鰹節からだしをとったつゆを差し出し、後はお好みで使ってもらおうとねぎやみょうが、土生姜などの薬味を小皿で添えた。かたわらにはもう一皿、しっかりと焼き目のついた茄子の炒め物が控えていて、魚や肉の気こそ薄いもののそれなりのボリュームを呈している。

 配膳されるうちに、利根のそわそわとした所作は止まらなくなり、しきりと足柄さんをちらちらうかがっている。

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 そこまで待望されれば足柄さんも悪い気がしようはずもなく、一つ微笑むと身振りで食べはじめてもらえるよう示した。

「それでは、いっただっきまーす」

 パキリと乾いた音をさせて割り箸を開けると、早速利根はそうめんにとりかかる。

『まるで親子だな』

 こうして向かい合って食事をとっているところを次姉などに見つかれば、おそらくそんなことをいわれるに決まっていた。

 それでも、利根はいっしょにいると、なにかとかまわずにはおれないオーラを全身から発している。

 よほど腹を空かせていたのだろう。器の中が渦巻くほどに箸を使ってそうめんに追いすがり、ぐい飲みに入れたつゆにしっかりとからませると、ひと息ですすり込もうとする。それでも嚥下できていればまだいいが、明らかに限界を突破して口に含ませているものだから、しきりと小鼻を膨らませたり喉元を叩きつけたりとあわただしく、見ている方の息がつまりそうだ。

 足柄さんは手近のグラスをそれとなく前に滑らせてやった。

 溺れる者は藁をもつかむではないが、たっぷりと氷が入って表面を結露で覆われたそれを見るや、両手を伸ばして抱え込むようにして琥珀色の中身を喉に流し入れた。

 束の間苦しげな息が止まったが、

「ぷはあっ」

 小さな体に似つかわしくない堂に入ったため息が、嚥下音に引き続いて聞こえてきた。

「これはうまい麦茶じゃな。礼をいうぞ」

 呼吸が止まっていたためか、頬がやや赤らんでいる。

 急がなければそうめんが水に溶け込んでしまうかのようなおおあわてぶりだ。

「なにをいうか。麺類の醍醐味は喉越しというであろう。吾輩はそれを堪能しておるだけだ」

 あれは越させているんじゃない。せき止めているのだ。

「う、うるさいぞ。それでは、お主はどう食べるというのじゃ」

 別に利根にいわれるまでもなく、足柄さんも昼食の最中だから箸を伸ばすが、改めてそれを利根がどんぐり眼をわざわざ凝らして見つめているとなるとやりづらくて仕方ない。

 それでも薬味のみょうがを適量つまんで、水面に顔をのぞかせている麺に落とすと、巻きつける感覚でつまみとる。無理な深追いはせず、箸についてくるだけで十分で、つゆにはくぐらせる程度で口に運ぶ。

 水を含んだつゆは醤油の味がまるくなりやさしく、そうめんがすべりつつ舌をなでる感触といっしょに食道を伝っていく。それを追うようにだし昆布のうまみが口にほのかに広がり、鼻腔をくすぐる鰹節や薬味のみょうがの香気とともに後味を楽しませてくれる。

「むむむむむむ」

 監視をものともしない足柄さんのスマートな食べっぷりを見せつけられてうなっているのかと思いきや、利根は先ほど以上に頬袋をぱんぱんに張り詰めさせて目を白黒させている真っ最中だった。

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 要するに空腹が過ぎるから暴食してしまうのだ。

 ひったくるようにして麦茶のおかわりを受け取った利根の姿を見ながら、足柄さんはそう目星をつけた。

 そこでまだ箸のつけられていないもう一皿を使って、とりあえず人心地ついてもらうことを思いついた。

 茄子の炒め物といっても、そうめんと同じくいただきもののオリーブオイルでスライスした茄子を表裏焼き目のつくまでフライパンで熱しただけの代物だ。

 それに薬味を乗せていく。茄子の紫色が油で照りを加えられ、みょうがの朱や大根おろしの白が映える。それだけでも悪くないのだが、足柄さんはそこに心ばかりそうめんつゆを垂らした。

 肉厚の茄子に歯を立てると、たちまち含まれた水分とオリーブオイルがあふれ出して口いっぱいに広がる。みょうがはオリーブの香りを邪魔することなくつんと抜け、大根おろしの辛みの奥からじわりとしみ出てくる甘みが余計な油っこさを感じる前に洗い流してくれる。そこにしょう油とみりんの主張の強い味わいが、茄子の食感を引き締めてぼやけさせない。

 噛みしめるほどに笑みが広がり、いかにも幸せそうな足柄さんを見せつけられると、利根も思わずそうめんから矛先を変えた。

 小振りの食べやすいものを選んではいるが、そうめんとは違い、ひと口に頬張ってそのまま飲み込めるほどでもないし、何より喉越しが大事なそうめんと、皮の歯応えや果肉のほぐれ具合を堪能する茄子では味わい方がそもそも異なり、自然咀嚼回数も増えるはずだった。

 そうなれば無理にそうめんを詰め込めるだけ詰め込もうともしなくなるだろう。

 足柄さんの思惑は見事に図に当たったといえる。もっとも、本人もいつしか茄子を食べるのに夢中になって、そんなことはすっかり飛んでしまっているようであったが。

 

「ふー、すっかり御馳走になってしまったのう。かたじけない!」

 器に入れたそうめんどころか薬味の空まで空っぽにして、やっと空腹もおさまったらしい利根が、両膝に拳を当てて深々と頭を下げた。

 大袈裟な態度と物言いもすっかり慣れたものな足柄さんは、ただ笑って再度その感謝をしりぞけた。

 かわりに利根の前に三角に切ったすいかの乗った皿を差し出す。

 そうめんはもともと塩分の多いところに、つゆのしょう油でさらに塩気が増している。その排出を助けるためと、食後のデザートの意味がこめられていた。

「なにからなにまで」

 また頭を下げようとする利根を、再び事情を説明することで諌めようとする。そもそもこのすいかはそうめんをお裾分けに持っていってもらったものだから、こちらに礼をいわれるのは筋違いだし、そうめんとオリーブオイルは小豆島近辺で民間船の護衛任務についている海防艦の知り合いから大量に送ってもらったもので、こちらも感謝を受けるのはお門違いだ。

「ほう、海防艦の?」

 シャクリとすいかを口でくわえながらも、利根はお中元よりも、送ってきた相手に興味があるらしく、思いのほか積極的に食いついてきた。

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 そこで備忘も兼ねて取り除けてある氏名と住所の書かれた包装紙の切り抜きを、帳面から引き出してきて利根に見せてみた。

「おお、高根。懐かしい名前じゃな」

 目を細めて嬉しげにつぶやく利根の顔は、いつもの子供っぽいものから、利根型重巡洋艦ネームシップとしてのものに変わっていた。

 前の戦争の際には外洋に出ていることの多かった足柄さん自身は海防艦との関わりは薄く、この送り主と知り合ったのも深海棲艦出現以降のことに過ぎない。しかし、利根はまた別の思いを抱いているらしいのは明らかだった。

「呉で遠くから見た」

 呉は利根終焉の海であり、戦争末期に多くの航行可能艦が集結させられた場所でもある。その中に鵜来型海防艦高根の姿もあったのだろう。

「高根に限らったことでもはないが、吾輩の力が及ばなかったおかげで、辛い仕事をさせることになってしまった。そればかりか、再びこうして日の下を進めるようになった今でもな」

 その顔は小さく微笑みながらも、懐旧と哀切がこめられていた。

 

 窓際に吊るされた、火箸を束ねた風鈴が音をたてた。

 涼をとるほどではないが沖から運ばれた風がやさしくあたりを撫でていく。

「いい音じゃな」

 南部鉄製のこの風鈴も、また別の海防艦からの贈り物だった。

「今ではこのようなものもあるのだな」

 南部鉄が産業として成り立ったのは、前の大戦を終えてからのことだ。足柄さんも初めてこれを目にした時、ずいぶんと面食らった覚えがある。

 食後の茶をすすりながら、しばらく二人とも風の奏でる音色に耳を澄ましていた。

 と、突然利根が跳ねるようにして腰を上げた。

「うむ! いつまでもこうしてくつろいでおるわけにはいかん! 足柄よ、礼をいうぞ! おかげで吾輩は進むべき道を改めて見出した気分じゃ!」

 既に先ほどまでの憂いや哀しみの色は失せ、決意に満ちて、清々しいほどに破顔させている。

 ところが、今まさに新たな一歩を踏み出そうとした矢先、

「す、すまんが、ちょっと憚りを……」

 足柄さんが返事の声をあげるよりも早く、もじもじと股間に手を当てながら、内股でトイレに駆け込んでいった。

 どうやら西瓜がてき面に功を奏したらしい。

 まったく本当にすぐに表に出るんだから。

 足柄さんは思わずふきださずにはいられなかった。

 その後ろでは風鈴が絶えることなく音をたてていた。

 

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書きだした頃は残暑が厳しかったのです
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