スイートライターズ
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 文芸部の部室にはほとんど人が居ない。一応、人数だけで言うのなら七人所属しているのだが俺以外の六人は部会のある金曜日以外に滅多に顔を見せようとはしない。

 さすが文芸部の部室だけあって、図書館、とまではいかないもOB・OGが残してくれた本がふんだんにそろっている。大学の図書館ではないから偏りなんてものがあろうはずもない。偏りがあるとするならば学術書ではなく娯楽小説が豊富に取り揃えられている事だろうと思う。

 今はほとんど活動していないとはいえ、うちの大学の文芸部にはそれなりの歴史がある。そのため置いているというよりかは置きっぱなしになっている小説も古今東西ジャンル問わずであり、古典からライトノベルまで揃っているのだ。中には絶版になっているものもちらほら、と。

 だから暇な時はよく部室に来て本を漁っている。

 時たま、講義があったとしてもその時の気分で読書に浸っている時もあるが。缶コーヒーと煙草をお供に読むミステリは俺にとってたまらない。よく考えたらダメ学生かもしれない。実際に単位は三年生の秋で六十以上残っている。まぁ、留年したとしても問題ないだろう。親が怖いが。

 にも関わらず、今日は天気が悪い。朝から鈍い色の雲が空をどんよりと覆っており、昼前に僕が大学に来た頃に雨が降り出した。今日の講義の先生が好きでないということもあり文芸部に行って本を読む事にした。

 賑わう部室棟の片隅にある文芸部の扉に鍵を差込み、回す。

 思わず首を傾げた。携帯電話のサブ待ち受けで曜日を見ると、今日は水曜日。部会のある日じゃないのに珍しいな、と思いながら扉を開けた。

「お疲れ〜ッス」

 万が一四年生の先輩がいたときのことを考えて元気良く声を出す。すると中からは小さく「きゃっ」と可愛らしい声が返ってくる。若干拍子抜けしつつも部屋を見渡す。窓と扉以外全てを本棚に囲まれた一種の書庫のような部室の中央に置かれた長机に一人の女の子が座っている。

 二年生の後輩、田村紗智子だった。ワンピースの上にジャケットを羽織っており、肩下まで伸ばした髪はパーマが掛けられ栗色に染められている。ふち無しの丸い眼鏡を掛けており、その向こうにある若干垂れ目がちな目と視線があった。

「あっ、高梨先輩だったんですか……いきなり大声出すからびっくりしちゃったじゃないですか、もぉ〜」

 小さく頬を膨らましながら彼女は呼んでいた単行本を机の上に置いた。但し読みかけのページに指を挟んでおり、いつでも開けるようにしている。

「悪い悪い、てっきり四回の先輩だと思ってて。ところでさっちゃん何読んでたの?」

「『シャドーテールズ』っていうファンタジー小説です」

 彼女は本を自分の顔と同じぐらいの高さに持ち上げ、俺に表紙が見えるようにした。ファンタジー小説ではあるが表紙にキャラクターの絵は描かれておらず、幻想的な水彩画が描かれている。何でも作者の意向でキャラクターの絵はどのような形であっても本に載せるのはイヤだという話を聞いたことがある。

「さっちゃんそういうファンタジーも読むんだ。俺てっきり『ハリー・ポッター』とか『指輪物語』とかそういうのが好きなんだと思ってたよ」

「え!? 高梨先輩もこれ読んでたんですか?」

「うん、そうだよ。俺結構ジャンル問わずで濫読するから。まぁBL以外は大体読むよ」

 笑いながら床の上に教科書の入ったトートバックを放り出す。そして本棚から読みかけだった創元推理文庫の『ポー小説全集』の一巻を取り出した。確か『ムルグ街の殺人』まで読んだはずだ。

 俺としてはポーは読みづらいという印象がある。翻訳が悪いのだろうか。それでも『ハンス・プファールの無頼な冒険』は面白かった。SF以前のハードSFと言うべき小説であり、他には無い面白みがあるのだ。

「先輩ポー好きなんですか?」

「いや、好きじゃないけど興味あってさ。ほらこの人って探偵小説の祖じゃない? だから読んでおこうと思って」

「確かオーギュスト・デュパンでしたっけ?」

「そうそれ! え? もしかしてさっちゃんも海外モノ読むの?」

 ただ聞いただけなのだが彼女は『シャドーテールズ』の単行本で顔の下半分を覆い隠してしまった。僅かに視線も下を向いているように見える。

「あ、いえ……その先輩、この間探偵小説について語ってたじゃないですか、それでちょっと興味が湧いて」

「あぁ、そうなんだ。そういえばさっちゃんさ、それの外伝読んだ?」

 彼女は首を横に振る。

「シャドーテールズ読むなら先に外伝から入ったほうが良いよ、時系列で言うなら外伝の方が先だし。ベルグリエットでのタイスンの話だから、中盤から後半に掛けての展開がわかりやすくなると思う。今読んでるのはどの辺り?」

「今読んでるのは『天の都は地に落ちる』の二章まで読んだところですね」

「そうなんだ、それどう? 実はさ、その本持ってきたの俺だったりするんだよね」

 いい年こいた男がファンタジーを読んでいると思われるのが嫌だったので、実は今までファンタジー好きであることを言えなかったのだが二人しかいない今ならば問題ないだろう。それに同じ小説を読んでいる仲間が出来たというのが何よりも嬉しかった。

 俺の言葉がそんなに意外だったのか、彼女は固まってしまった。決して言い過ぎではない。

「え、いやその……言葉が出てこないんですけど、その先輩ってハードボイルド系っていうイメージ強かったんで。革のジャンパー着てること多いし、タバコもそのあまり売ってない吸ってるからてっきりこういうのダメなんだと思ってました」

「別に革ジャン着てるからファンタジーだめってわけでもないよ。まぁダビドフ・クラシックは確かに置いてるところ少ないけれど、そこまで珍しいわけじゃないよ」

「意外です……でも、嬉しいです」

 彼女の瞳がじっと俺を見据えた。少しばかり頬が赤くなっているのは気のせいだろうか? 女性からこんな視線を送られて悪い気はしないが、二人しかいない場所でこんな視線を送られるとその気が無くても変な気になってしまいそうだ。

 気がつけばさっちゃんは『シャドーテールズ』の単行本を机に上に置いてしまっていた。栞も挟んでいない。俺も『ポー小説全集』を本棚から取り出したのはいいものの、読むタイミングを計れずに机の上に置きっぱなしだ。

 上手い言葉が思いつかずに時機を逸してしまい、お互いに気恥ずかしい空気が流れる。二人とも本を読みにこの部屋に来たはずなのだが、読書しようにも相手に対して失礼な気がしてしまい本に手を伸ばせない。窓の外から振り出した雨音が聞こえる。

 何となくタバコの箱を取り出して机の上にあった灰皿を引き寄せた。一本取り出して口に咥えてライターで火を吐けようとした時に、ようやく失礼なことをしているということに気がつく。上目遣いでさっちゃんを見ながら一言「吸って良い?」と尋ねる。

 彼女が快く承諾してくれたので愛用のジッポーでタバコに火を吐け、天井目掛けて紫煙を吐き出す。百円ライターで火を吐けるのとちゃんとしたオイルライターで吐けるのとはまた違う。それに今使っているジッポーは自分の名前をアルファベットで刻印している分、愛着が湧いておりさらに旨みが増す気がするのだ。

「そういえば先輩、ライタージッポーなんですよね?」

「うん? あぁ、そだよ。どうせ吸うならと思ってさ、少しカッコ付けてる気がしないでもないけど、見る?」

 頷いたので机の上にライターを滑らせた。彼女はそれを受け取ると興味津々に眺める。珍しいものでもみるような目つきで、見ているこっちがほほえましくなりそうだ。

 使っているライターを購入したのは大学一年生の時で、使えば使うほど味がでると聞いたのであえて真鍮製のものを購入した。今では購入当時よりも色合いが変わり、そして手になじみ始めている。

「古臭いですね」

 この言葉には咥えていたタバコを思わず落としそうになってしまった。心にグサリときたのだ。

 いや、良いんだ。女に真鍮の良さを理解しろという方が無茶なんだと言い聞かせた。内心を悟られないように笑ってはみたものの、それが逆に相手に悟らせる結果となってしまう。

「あ……」

 と彼女は小さく声を上げて固まってしまった。鏡があれば自分がどんな表情をしているのか見てみたい。きっととんでもなく引きつっているに違いなかった。

 そのまま放り投げて返してくれても充分に構わなかったのだが、彼女は気を使ったのかライターを両手にもってわざわざ俺の側まで持ってきてくれた。そしてそのまま俺の隣に腰を落ち着ける。

「でも……」

 俯いたまま彼女はぼそぼそと何事か呟いた、けれど小さすぎて俺の耳には届かない。

「ん?」

 聞き取ろうと耳を向けて彼女に少しだけ近づいた。

「タバコ吸う人って、好きですよ……」

 首筋に二本の細い腕が回された。頬に感じるぷっくらとし柔らかく暖かい感触。それはすぐに離れ、首に回されていた二本の腕も一緒に離れた。

「ちょっと、さっちゃん……そういうこと、独り身に男にしちゃいけねぇよ。俺だからいいけれど、他の連中にしてみなよ一発で襲われるよ? それに今は二人きりなんだしさぁ」

 恥ずかしさを隠すためにあえて先輩としての忠告を行う。けれど視線を合わせる気にはなれなかった。それに本気じゃないからどうしても苦笑が混じる。

「だからじゃないですか。高梨先輩なら変なことしない、って分かってたから」

 ニッコリと首を傾けながら微笑むさっちゃん。はっきり言ってその笑顔は反則だろう。今まで彼女のことを意識してはいなかったのだが、こんな表情を見せられたら理性が飛んでしまいそうだ。だから俺は顔を背けた。

「でもさっちゃん、冗談でもやっちゃいけないって」

「私は……冗談じゃ、無いんですよ?」

「え?」

 予想だにしない言葉に俺は思わず向き直った。さっちゃんは俯き加減で俺の事をじっと見ている。いわゆる上目遣いというやつでだ。突然の告白に俺はどうしていいか分からなくなった。心臓の鼓動は激しいし、頭は瞬時に色んな事を考えてしまう。

 これは×ゲームではないのだろうか。でも本気だったらどうする? いや、けれど冗談かもしれない。でも本気だったら? あぁ、でももし付き合うことになったら部内ではどうしたらいいんだろ? けれどあれだ、断ったら断ったらで――とまぁ、即座に色んな事が思いつく。

 脳みそがオーバーヒートする前にタバコの煙を深く吸い込み、ニコチンやタールを摂取する。血管が収縮すれば頭に巡る血も悪くなり、少しは物事を考えすぎないように出来るだろう、とこれまた変なことを思いついた。

 しかしまぁ、かえって頭が回ってしまった。

 つまるところ、断るべきかそうでないかとなるわけだ。

 俺は彼女の事を可愛いと思い始めているわけだが興味の対象ではない。なのにいきなり付き合ってくれとの問いに対し、OKと出すのは彼女に対して失礼ではなかろうか?

 けれど俺と彼女は同じ部活に所属している。これからも顔を付き合わせるわけなのだし、下手に断るのもどうだろうと思うのだ。けれど、けれどだ、もし付き合って何かあってもそれは一緒ではないのだろうか?

 どうすべきか脳みそをグルグルと回しながら考えていると、彼女は不安げな瞳で俺を見上げた。

「私、じゃ……ダメ、ですか?」

 今にも泣き出してしまいそうな声だった。

「いや、そんなことないよ。さっちゃん、可愛いし。どっちかっていうと、俺も、その……」

 彼女を泣かせまいと、勝手に口が動いた。承諾の言葉が勝手にでていた。見る見る間に彼女の表情が明るくなり始めるが、目じりにたまった涙はそのままだ。

「良かった、良かった……私、私断られたらどうしようかとずっと、ずっと不安だったんです……けど、けど」

 嬉しそうに笑いながら彼女はこぼれそうになる涙を手の甲で拭う。その姿を見ていると、俺は何となく漠然とした感じではあるがやっていけるのではないかと思い始めていた。

説明
友人に読ませたところ「ショートケーキ食べた気分です」と言われました
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