私の激鉄が鳴り響く(bbc js)
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「僕」の日常はあの日を持って変貌し、あの日を境界線に、戻ろうとした世界から背を向けた。

「僕」は自ら引き金を引いたのだ。

 

 

 

 

 

私の撃鉄が鳴り響く

 

 

 

 

 

 元軍医であるジョン・ワトソンが、自称コンサルタント探偵と名乗る男、シャーロック・ホームズの同居人になって間なしのこと。

 ワトソンに出来た新しい恋人は、彼のベッドだった。個室のベッドで寝ている傍には、下宿先の大家であるハドソン夫人と、同居人であるホームズが肩を並べて立っていた。

 近くには木製の椅子がサイドテーブル代わりに置かれている。そこには水のペットボトルと、オートミールが盛られていた空の器。そして解熱薬を入れていたケースの残骸。

 日中でもカーテンは窓ごと閉められ、病人の部屋に見合って空気は重い。だがハドソン夫人とシャーロックの纏う気は健康そのもので、部屋の暗さなど物ともしない態度をワトソンに向ける。

「医者の不養生とは正にこのことだな」

 シャーロックは、呆れすら通り越した感想を言うや、早々に部屋を出て行った。熱のある状態では、いまいち彼が放った嫌味も入ってこない。

 ハドソン夫人といえば、女性らしい優しさで病人を心配するどころか「確かにそうよね、この場合誰があなたを診れば良いのかしら」と首を傾げた。

 ちなみにワトソンは近くの町医者に一人で行き、薬を貰って帰ってきている。

 この時、ワトソンの頭が正常に働いていたなら間違いなく「いくら恩があるからといっても、この女性だからシャーロックみたいな下宿人の大家が務まるんだな」と、納得していた。

 生憎と彼の脳は体に入り込んだウイルスと戦う為、目下必至に、主であるワトソンに高熱を与えていた。

 薬は飲んだから、後はひたすら寝るしかない。

 ハドソン夫人はゴミとなった薬のケースをゴミ箱に捨て、空の器だけを持って部屋を後にする。

「それじゃ、後は頑張って。死にそうになった時だけ誰か呼んでちょうだい。おやすみなさいね」

「有難うございますハドソンさん、おやすみなさい」

 家政婦ではなく大家だと豪語するだけあって、心配は最低限しか示さない。それでもオートミールを用意してくれたのは彼女なので、素直に感謝を述べて別れた。

 一人の空間になって人と接した披露から、熱い息を吐く。

「あー……まあ、インフルエンザじゃないだけマシか」

 潜伏期間はあるが、症状から、流行りの風邪だと診断された。最近、熱を発症する風邪が流行っているのだと、医者は言っていた。

 視線だけを閉められたカーテンに向けば、まだ日は傾ききっていないせいで明るかった。しかしこの部屋は薄暗い。仕方なくワトソンは眠ることにした。

「本当は、眠りたくないんだけどな……」

 いずれ薬が効けば、睡眠作用も働く。そうなれば後はウイルスとの攻防戦だ。本来なら患者として正しいことなのだが、できることなら睡魔に抗いたかった。ここ数日、魘されていたのを思い出す。

 今でも瞼を閉じれば、昨日のことのように悪夢を思い出せる。だが彼にとって夢は現実と相違なかった。

己が立つのは戦場。

「あー……眠くなってきたな……」

 ウトウトと仕出せば、遠くから音が聞こえてきた。ドアの向こう側という室内からでも、カーテンで隠された外の世界でもない。

 ロンドンに戻ってきても一度夢に入れば、いつでも戦地で銃を握り、死線を彷徨う。この日もそうだろうと、ワトソンは辟易しながら意識を手放した。

 ところが、だ。

 立っているのはアフガニスタンではなかった。周囲を見渡せば、そこは誰が見てもロンドン市内。大通りではないことしか分からない。

 そして、誰もいない。

「……ここは?」

 耳鳴りすら無い静寂の街で、ワトソンは一人で立っていた。しかも寝巻きのまま手にはオートピストル型の拳銃が握られていて、弾倉には弾が込められているのを思わず確認してしまう。弾倉には満タンに弾丸が込められていた。

 安心したが、ここには誰もいない。少しだけ人の気配を探ってみたが、やはり居ない。

「誰かいないのかっ」

 自分の声だけが、ビルに反響する。仕方がないから大通りを目指して歩くことにした。

「誰かっ」

 杖なしでロンドン市内を歩くのを、夢の中だというのに奇妙に感じた。

 もう自分にとって、あの杖はいらない。いや、むしろ戦地に居ていた頃の夢には杖という存在すら消えている。

 ここが街だからだろうか。

 大通りに出ても、何も、誰も存在しない。

 風の音すら無い世界でも、恐怖は無かった。彼が夢だと認識しているからではない。

 現に、彼の行動基準は戦地での頃に沿っていた。体を斜めにし、絶えず周囲に気配を巡らせる。

 自然と、握っていた銃のスライドを引いて初弾をいれ、そのまま撃鉄を起こした。

 ワトソンは人を探している。最初は誰もいない街中に一人で居る孤独から。だが一歩一歩進めていくうちに、目的が挿げ替えられていった。

 自覚が無いまま、ワトソンは探していた。ある路地裏から音がした。この世界で初めての音は、靴の擦れた音だった。

ワトソンの鼓動が早まる。

 誰かがいる。人だ。

 それは、誰だ。

 生唾を飲み込んで、路地裏から見えた影に銃を向ける。

 ワトソンは夢の中で己に問うた。

「動くなっ」

 それは、殺しても良い相手か?と。

 銃口の先に立っていたのは、彼の同居人だった。

「シャーロック……?」

 ワトソンが声を発し、目を見開いたのは、夢の中だけでなかった。

「寝ていろ」

 ワトソンの声に答える形で、上から再度の眠りを促す。

 夢の中では驚きで目を見開いたが、現実世界でのワトソンの目は夢現で焦点が合っていない。陽が沈んでいる為に、電気のついていない部屋にも夜が訪れている。寝た頃よりも暗くなった空間だが、風邪によって冷めない熱がこもったまま。

 夢か現実かもわからないけど、彼が自分に話しかける用向きは一つしかない。

 だからワトソンは風邪によって掠れた声で訪ねた。

「事件かい?」

「違う」

 即答だった。その会話のテンポが、ここは現実だと認識できた。ワトソンの人生においてこのように返す男は、シャーロック・ホームズ以外には今のところいないから。

「ふふ」

 思わず目を閉じたまま笑をこぼせば、あからさまに不穏な空気が部屋に広がる。

 どうやら顔を見ない方が、彼の感情は読めるらしい。

「いや、君は生きているんだなあって」

 安堵のため息をつく。

 ワトソンはついさっきまで見た夢を忘れてしまった。現実で生きている彼が、死者ばかりの夢の中に出る筈がないと思っているのだ。

 シャーロックはワトソンの状態をひとしきり眺めた後、「ふむ」と得心のある頷きをして口を開いた。

「では君は生きているのか、ジョン」

 シャーロックの質問に、ワトソンはうっすらと目を開ける。

 未だ体は重く、薬による睡眠誘導は留まったままだ。だからシャーロックの問いも、うまく拾えない。

 有耶無耶な言葉しか出てこないのを承知で、再度シャーロックは訪ねた。

「君が今生きている場所はどこだ」

 相手がどんな状態であれ、答えを求める限りは返事を待つ。

 二度目の声は、最初よりはワトソンの耳に届いた。明瞭ではない思考の中、ワトソンは見上げた先にいる男と、無人の街に立っていた夢の中のシャーロックを重ねる。

 ワトソンは彼と向かい合う形で立っていた。

 シャーロックが生きている場所に自分が居るなら、そこはワトソン自身も生きている場所となる。

 血の匂いも死骸の腐敗臭もしない寂々たる街。不衛生な中で嗅いだ消毒液も感じない。マズイ携帯食も舌に残らない。

 僕が、生きている場所。

 夢の中で握った銃の感触のまま、布団の中で右手を握り込む。

 ワトソンはゆっくりと、シャーロックの問いに答えた。

「事件が無いなら、探しに行けよ……」

 そして彼の意識は、再びウイルス退治へと沈んだ。

 シャーロックは、しばしワトソンの寝息をBGMに佇む。やがてガラス窓と布カーテンを伝って、シャーロックにとって気にも止まらない外の会話が聞こえるや、踵を返してドアノブを握った。

「寝言を呟いている人間に話しかけてはならないというが、実際してみると興味深い」

 そう言い残し、ワトソンの部屋を後にした。

「ジョン・ワトソン。君は僕と似て非なる破綻者だ」

 ワトソンは気づかなかったが、サイドテーブル代わりの椅子の上には、水の入ったペットボトルが一本増えて二本になっていた。一本は最初からここにあった開封済みのもの。もう一本はホームズが持ってきた未開封のもの。

 シャーロックがどんな意図をして水を持ってきたのか、また熱の引ききらないワトソンに質問を投げたのか。そのことをワトソン自身が知る機会は無い。

 今は、眠りの中に存在するロンドン市内が彼の世界だった。

 先ほどと同じで、誰も何も無い街中。閑静とした世界を見渡すワトソンの手には、弾が込められている拳銃。

「本当に誰もいないな」

二度目の訪問に自覚があるので、今度は堂々と街中を散策することにした。現実にもどる直前に出会った男も見当たらない。

 どうして誰も居ないかなど、夢に聞くだけ無駄だ。疑問に思っては、戦地の夢を見続けたことにまで遡ってしまう。

「ここは静かだ」

 スタスタと歩いていくうちに、なんとはなしに目的地にしていた場所にたどり着く。

 ベーカー街221b、ジョンの新しい住処だ。詳細に言えば、ジョンと、シェアハウス相手であるシャーロックの家。

 ドアノブを回せば扉が開いたものの、蝶番の音はしない。もう慣れた。ジョンは警戒しながらも中に入る。入ってすぐの階段を上がれば、共有スペースにたどり着く。

 すると、人の気配はしないけど、人が立っていた。

 ジョンは条件反射で下げていた拳銃を上げた。むしろ反応としては遅い。これが戦場なら、ジョンは殺されているだろう。

 思わず舌うちをしたが、相手の正体と敵意のなさに、息を吐く。むしろこの世界で居るとすれば、彼しかいないのだ。

「シャーロック……」

 少し角のある口調で、握っていた拳銃を見下ろし、振り払うかのように撃鉄を起こしたままの銃を降ろした。

 ワトソンの世界にいるシャーロックは無言で立ち尽くしていた。

 マネキンと称しても問題ないほどに、彼はこの世界と同じく無であり、全ての象徴として存在していた。

「また変な夢を見てるな、僕も」

 こうなれば夢に意味を探ってしまう。しかし夢は夢だ。カウンセラーではない自分には判断のしようがない。

「いや、カウンセラーなんて所詮、日常ていう平均値の押し付けだったな」

 皮肉な笑みを浮かべ、近くの一人がけのソファに座った。

 右手には拳銃が握られたままだが、どうしても手の力が緩まない。特に難儀はしないので握ったままでいることにしたが、銃によって安全の防波堤は築けても、日常の動作をするには正直邪魔だった。

 背中のソファ一つも、ずらすのに左手を使わなければいけない。

「なあ、シャーロック、ここはなんだと思う?」

 見上げた先の男は、あいも変わらず立っているだけの人形。

「ここは随分と……そうだな、僕の夢の世界は人が少ない。何より、静かだ」

 沈黙に抗うように話すのは、自分以外の人間が居るからだ。どんな存在であれ、生き物がいると人は話してしまうのか。

 かつて、カウンセラーへ心も口も閉ざしていたワトソンには、明確な答えが出ない。ただ、少なくともシャーロック・ホームズになら話しても構わないと思っている。

 口を開けば嫌味ばかりで、話の噛み合わない他人を見る目は侮蔑に満ちている。その行動は突飛で、結論が目の前に揃いきっても、謎に満ちている。

 簡素に言えば、頭のイかれた変人。

 けれどワトソンの世界には、彼以外いないのだ。

「もしここが、……僕はあまりそうとは思っていないけど、僕の心を表しているなら、君がいる意味はなんだろうな。君は、僕が何たるかを知っているのか?」

 深くソファに持たれかけ、手から離れない拳銃をシャーロックに向ける。

 照準先の男は、無表情でワトソンを見下ろしていた。

 撃鉄は起きたまま。

 現実の自分は寝たまま。

 もし引き金を引けば、この世界の彼はどうなるのだろう。躊躇いもなく、心臓に銃口を合わせる。

 この距離で離しはしない。動かない人形と変わらない人間を撃つことは、ワトソンにとっては寝たままでも出来る動作だ。

 そうしないのは、彼が現実世界で生きているから。

 何より彼が生きているからこそ、自分は生かされるのを痛感しているから。

「……僕の世界でも、少しぐらいは抵抗して欲しいな」

 皮肉な笑みで銃口を下げ、代わりに左手で、右手よりも近いホームズの左手を掴んでみると、きちんと皮膚の感触がある。肌に熱はないが、指で押せば弾力が返ることの方が面白い。

 ワトソンはシャーロックの薬指に目を止め、親指の腹で指の根元を撫でた。

 そこは、一般的に既婚者が結婚指輪をはめる場所とされている。

 いつか彼もここに指輪をはめる時が来るのだろうかと、盗み見るように目線を上げる。何者をも映さない瞳は、ガラス玉のような艶を持っていた。

 どうしてこんなに近くにいるのに、彼の目に僕が映らないんだろう。

 首を傾げて覗き込むが、やはり映らない。

 夢だからか、それとも心象風景と関わりがあるのか。分析するのが苦手なワトソンは、己の心に対し、別な形で相対する。

「僕は異性愛者だ。君に対して愛欲を持って接するのは、正直想像出来ない」

 音の無い世界で響く唯一の音。響き返るのは、己の心。

 ワトソンは握っていたシャーロックの左手を手元に引き寄せ、親指で触れた薬指を愛しげに眺めた。

「けれど君がいつかこの指に、異性であれ同性であれ誰かとの愛を示す指輪をはめる時がきた時、僕はどこまで素直にそれを喜んでやれるか自信が無いな」

 分かるかいシャーロックと訪ねるが、答えはない。

 答えは、シャーロックの薬指の根元に口づけた唇が運んだ。

「だって、君の世界を誰よりも近しい所で見ていないと、僕は僕が生きている実感が得られないんだ」

 ニヤリと片笑を浮かべ、抵抗のないシャーロックの左手を解放した。

 ワトソンは三度、シャーロックに銃を向ける。今度はマガジンから中の弾丸を抜き取った。ジャラジャラと床に落ちる弾の音がしたが、不思議には思わなかった。

 弾丸は心。己の中にあった、たくさんの心。これから得るかもしれなかった心と、既に持っていた心。

 全部いらないから捨てた。

 欲しいのは装填されたままの、一発だけ。撃鉄は起こしたままで、弾倉を落とすのも奇妙だが、夢の中のワトソンにとっては、意味のある動作だった。

「頼むから、僕を喜ばせてくれよシャーロック、この街でさ」

 恋人に愛を囁くように、ワトソンは目を細めてシャーロックを見上げる。

そして今度こそ引き金を引いた。ただし、撃った寸前に銃口を壁に向けて。その場所は、いつかの未来でシャーロックが暇を持て余して銃を撃った箇所と、同じだった。

 

 

 

 カーテン越しからも晴天だと分かる朝。

 ワトソンの熱はすっかり下がり、風邪の峠は超えた。汗をかいたせいで少し冷えた体が震えたが、今はそれを気にしている余裕はない。

夢から覚めたワトソンは、起き抜けとは思えないハッキリとした発音で天井に向かって絶望的な声で呟く。

「勘弁してくれ……」

 もし手の中に拳銃があったなら、自殺したい気分だった。自分の抱く欲が何であれ、シャーロックに対する感情に、さしたる違いはないことを知ってしまった。

 天井を見上げていた仰向けから、うつ伏せになってシーツで目を覆う。

 夢であれ現実であれ、己の利己を搾取するために、視覚に収めてきた。網膜が震えた刺激が脳に伝わり、ワトソンの中で興奮物質が生まれる。

 すなわち、己が生きているのを実感できる証が。

 気づきたくなど無かった。けれど彼に出会った時から、ワトソンは自覚していた。

「つまり僕はシャーロックがいなきゃ、生きていけないってことじゃないか」

 嘆きの声をシーツに包ませる。どうか誰にも知られませんように。

 これは突き詰めれば、シャーロック・ホームズを軸とした世界の搾取。

 それは恋や愛よりも深い、ワトソンの欲。

 

説明
9/21 R33b「さあ聞けよ天使のラッパを」という、bbcシャロクj/s腐向け小説出すので、完売となった前作をば。16p/¥100-
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