真恋姫無双幻夢伝 第五章8話『雪月花 上』
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   真恋姫無双 幻夢伝 第五章 8話 『雪月花 上』

 

 

 凱旋式から数日が経つ。アキラは柴桑の町を少し離れ、河岸に沿って馬を走らせる。夜風が寒い。身にまとう外套で首元を隠す彼の頭上には、満天の星が輝いていた

 やがて小高い丘の上に建つ、小さな家を見つけた。漁民の家では無い。板ぶきの立派な屋根が、その証拠だろう。その上、目印となる梅の花が香ってくることに、アキラは気が付いた。

 そして彼が近づいていくと、その軒先に長身の女性が寝転がっているのを見つけた。

 

「待ったか、雪蓮」

「待っちゃったわよ、アキラ」

 

 毛布に身を包んだ雪蓮は微笑みかけ、傍に置いていた酒瓶を振って誘った。馬を近くに生えていた木につないで降りた彼は玄関から入らず、直接、庭に入って行った。

 彼は軒先に腰を上げ、まだ寝転ぶ雪蓮の足元に座る。目の前の庭には満開の梅の花が咲き誇り、その奥には星々を川面に映した長江が横たわる。そこから目線を上げると、大きな月が星々の中にぽっかりと浮かんでいた。

 

「いい場所だな」

「私のお気に入りの場所よ。冥琳にしか、教えていなかったのだけど」

 

 アキラは火鉢の一つを引き寄せた。起き上がった彼女は、彼に杯を渡す。そして彼の手に渡った杯に、トクトクと酒を注いだ。アキラの方も雪蓮の杯に注ぎ、彼らはお互いの杯を打ち付け、グイッと飲み干した。その透明な酒が、胃腸に滲みわたる。

 

「呉の酒もうまい」

「これも、私のお気に入り。一番良いのを持ってきたのよ」

「それは光栄だな」

 

 海と間違うくらい大きな川から波の音が聞こえてくる。しばらく酒の味を楽しんでいた二人だが、やがて雪蓮が「アキラ」と呼びかけた。

 

「なんだ?」

「蓮華のこと、助けてくれてありがとうね」

「そんなことか、気にするなよ」

「でも〜惚れさせるまで仲良くなるなんて、思ってもみなかったわ」

「……やっぱり、俺に惚れているのかな」

「誰でも分かるでしょ、あの様子じゃあ、ねえ?」

 

 雪蓮は蓮華の様子を思い出して、ふふふ、と笑った。

 凱旋してきた蓮華の感情は、出陣前とは全く異なっていた。明らかにアキラに接する態度が柔らかくなっていた。会話する時は蓮華の方から隣に近づいて、肩が触れ合うぐらいの距離で、アキラに微笑みかけている。その顔は恋する乙女そのままである。

 当然のことながら雪蓮だけでは無く、周囲もかなり驚いた。凱旋式の最中、明命が慌てて駆け寄ってきたこともあった。何事かと聞くと、

 

『れ、蓮華さまが、李靖さまの腕に抱きついていました!びっくりです!』

 

 と大声で驚きを表していた。さらに何か言おうとした彼女であったが、急に現れた思春に首の裏を強く叩かれて気絶させられ、ズルズルと引きずられていった。彼女の忠誠心には目を見張るものがある。

 穏や亜莎、祭もこの変化に驚いていた。

 

『本屋に行きましたら、蓮華さまと李靖さまが一緒にいましたぁ。しかも、手を繋いで。私の姿を見つけたら、あわてていましたよぉ。蓮華さまもかわいらしくなられましたねぇ』

『市場を歩いておりましたら、蓮華様と李靖さまのお二人とお会いしました。私が李靖さまにご挨拶すると、先日のお詫びだとおっしゃって、服を買っていただきました!しかもそれを着たら、かわいいって言ってもらいましたよ!でも、蓮華さまが不機嫌になられたように見えたのですが、あの、私、何かしたでしょうか?』

『蓮華様も成長したのう。儂が練習場で李靖を見つけて、腕前を試そうとして連れて行こうとしたのじゃ。そしたら傍におった蓮華様が、強く睨んできてな。こんなことは初めてじゃ。恋は女を強くするとは聞いていたが、いやはや』

 

 こういった面々は驚きつつも、彼女の変化を歓迎している。その一方で、冥琳や思春は露骨に嫌がっていた。

 

『なあ。先ほど蓮華様から、アキラとの結婚の話はどうなったかと聞かれたのだが……ああ、勿論、その話は無くなったと言った。明らかにがっかりしていたよ。うん?もう一度?……そんなことを言っても、私はもう仲介はしないからな。あんな七面倒な調整など、まっぴらごめんだ。やるなら、勝手にやってくれ』

『帰って来てから、蓮華様と会話する機会が減りました。いえ、原因は分かっております。あの男から蓮華様の方に近寄ってきているなら、簡単な話なのですが……。しかし、このまま見ているわけにはいきません。蓮華様の目を覚まさせるためにも、いつか、あの男を……』

 

 怖いことを口走る者もいるが、再び結婚の機運が高まってきているのは確かであった。この状況にアキラは正直、困惑の色を顔に出していた。

 

「まいったな。この際に言っておくが、俺はまだ結婚するつもりはないぞ、雪蓮」

「そんなことだろうと思ったわ。その理由には遊郭通いもあるのかしら?」

「え、何で知っているの?」

「有名よ。蓮華も知っているはずだわ。あなたにベッタリくっついていたのは、行かせるのを嫌がったからでもあったのかしらね」

「そりゃないぜ」

 

 つくづく困ったというように、アキラはため息をつく。雪蓮はくすくすと笑った。

 

「もてる男はつらいわね」

「からかうなよ。長い付き合いとはいえ、お前の妹の話だぜ」

「確かに、長いわ。あの事件からの付き合いだからね」

「………」

 

 “あの事件”という単語が出て、二人は黙り込んだ。

 彼らの脳裏では、火にまかれた汝南の大地で斬り合ったことを思い出していた。その斬り合いの後、雪蓮はあの惨劇を実行している。それを招いたのはアキラだ。“あの事件”と聞くだけでも、気分が悪くなる。

 この話題を出してきた雪蓮を不思議に感じた。

 

「お前からこんな話を持ち出してくるとは」

「……あなたとは一度、この話をしなければと思っていたのよ。後悔しているといっても、結局はこちらから見た悲劇よ。あなたの方から見たあの事件を、知りたいと思っていた」

「強いな、まったく」

「どう?話してくれる?」

「………」

 

 雪蓮の頼みごとに、アキラは返事をすることなく、目を瞑ってしまった。

 

「アキラ?」

 

 彼に話しかけ、その肩を揺すろうとした。しかし彼の表情を見てその手が止まる。彼の顔は段々と険しさを深め、呼吸が荒くなっていく。顔色も段々と青白くなっていく。

 

「ア、アキラ!」

 

 驚いてもう一度、彼の名前を呼ぶ。

 するとアキラは急に、頭を押さえて、杯を落としてうずくまった。雪蓮は毛布を脱いで急いで駆け寄り、彼を仰向けにして自分の膝の上に抱えた。

 

「アキラ、大丈夫?!」

「…すまない……急に、気分が悪くなった」

 

 ゆっくりと呼吸を整える。以前も彼とは飲んだことがある雪蓮には、彼が酒に強いことも知っている。これが酒のせいとは思えなかった。

 心配そうに見守る彼女の顔を見上げて、アキラが弱々しく笑った。

 

「はは、俺にはまだ無理そうだ」

 

 そして彼はやおらに身を持ち上げた。まだ寝ているようにと、その体を戻そうとする雪蓮を断り、背中の後ろに手を持ってきて体を支える。

 隣から彼の顔を覗く雪蓮に、彼は説明する。

 

「どこから言おうか考えていた。でも、あの時のことを思い出すと、必ず吐き気と後悔の念が襲ってくる」

 

 そして彼はまた、弱く笑う。

 

「そんなに強くないんだよ、俺は」

 

 風が吹き、梅の花びらが舞う。それに視線をさまよわせながら、彼は「聞いてくれるか?」と断ってから、自分のことを語り始めた。

 

「今では大分マシになったけど、昔は一人で寝られなかった。一人で寝ると、どうしても汝南の夢を見てしまうんだ。空も大地も真っ赤に染まっていて、死んでいった俺の部下や俺を慕う民衆が血まみれになりながら、俺を呼んでくる。『なんで生きているんだ』とか『早くこっちに来い』とか、俺の体にすがりながら口々に叫ぶ」

「………」

「それに耐えきれなくてな、洛陽では一緒に住んでいた子供たちが寝静まった後、毎日のように遊郭に通った。一時期は中毒患者のように通っていたな。復讐しようとしていなければ、俺は廃人になっていただろう」

 

 あの時の経験を共有している相手にこそ、語れることがある。大きな月を見ながら、彼は堰を切ったように自分の辛さを伝えていく。

 

「今でも時々、うなされることがある。あの時のことを思い出そうとすると、吐き気が止まらない。まだ、克服できていないんだよ」

「私だって、そうよ」

「でも雪蓮は振り返ろうとしていた。俺はそれすらできない。十常侍や袁家を滅ぼして復讐を果たしても、生き残ってしまった罪をあがなうことは出来なかった。俺の中の世界は何も変わらなかった」

「…そんな……」

「情けない話だが、俺は生きていていいのか、その資格があるのか、それすら分からない。このままお前の隣で死んでしまいたい気さえするよ」

 

 しみじみと語るアキラは、心の底からそう考えていた。このまま死んでしまえば、どんなに楽であろうか。復讐を果たしたことに満足して、穏やかな気持ちのまま、彼らの招きに応じてみたい。

 彼の中の死者の目が、彼を見続ける、彼を呼んでいる。

 突然、雪蓮は何も言わずに立ち上がった。

 

「失望したか?」

 

 アキラがそう尋ねると、彼女は振り返る。

 ぞくっと背筋に寒気が走った。

 彼が見たのは、月明かりを背に受けて、怖いぐらいに美しい笑みを浮かべた彼女の姿である。

 

「アキラ、来なさい」

 

 そう招くと、彼女は裸足のままふわりと庭に降りた。知らぬ間に剣を帯びている。勘を働かせたアキラも自分の剣を持ち出し、彼女の要求通り庭に足をつけた。

 お互いに裸足である。痛いぐらいに冷たい土の感触が足の肌を突き刺し、心地よく酔っていた頭が一気に目覚める。アキラが感じていた気持ち悪さも、より冷たい空気を吸い込んで、消えていく、

 しかし彼はそんなことは気にしてはいなかった。彼の眼には、殺気さえ感じさせる雪蓮の姿しか映っていなかった。

 

「雪蓮……?」

 

 彼女は愛刀である南海覇王を抜いた。そしてそれをアキラに向けると、さらりとこう言うのだった。

 

「アキラ、あなたを殺してあげる」

 

 

 

 

 

説明
アキラと雪蓮との会話です。考えてみると、夜の場面が多いですね。
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雪蓮 オリ主 幻夢伝 真恋姫無双 

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