ルーツ
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『本日、12月10日午前0時をもちまして、特定秘密保護法が施行されました。これ

により公務員の…………官邸前では抗議行動の為…………』

『はい報道センター○○さんでした。では次の曲に参りましょう、レインボー…………』

 

 宮崎麻由は、店内に流れているFM放送の軽快な音楽に乗って腰を軽く振りながら、

おばちゃんの手さばきを見ていた。使い捨て容器にご飯を詰め、ひとつまみの千切りキャ

ベツを入れた上に手早く包丁を入れた熱々のとんかつを載せると、その横に揚げたばか

りのエビフライを添える、などの作業をひとりでこなしている、無駄のない流れるよう

な一連の作業に、いつも感心して見入ってしまう。

「はいよっ、とんかつスペシャぁルあがりっ」

 厨房との仕切りの上に差し出された弁当に蓋をかぶせ輪ゴムで止めると、その間に割

り箸を差し込み手早くポリ袋に詰め込むや、口を横に引いて目を細め、「とんかつスペ

シャルのお客様ぁ〜お待たせしましたぁ」と裏声で呼び掛けた。

 客はひとりだけである。

「はい、ぼ、僕」

 麻由のプリプリした臀部を凝視していた青年は、はにかむようにして椅子から立ち上

がった。麻由の顔にチラチラと視線を送りながら持ちやすくひねられた袋の持ち手をつ

かむと、「あの」と、そして「いえ、いいです」と言うと、「ありがとうございましたぁ」

と言う声を背中で受け、そそくさと扉を開けて出て行った。

 

 麻由は首をひねりながら、「なぁにぃ、あの子ぉ」とつぶやくと、仕切り台の上に両

腕を乗せておばちゃんがにやついている。

「あの子、最近よく来るねぇ。麻由ちゃん、あんた惚れられたんやわ」

「そんな阿保なぁ」

「そやけど、あんたがおらんかったら、扉開けただけですぐ行ってしまうんやで。なん

やったら賭けてもええで、マロンケーキ」

「・・・やめとく」

 

 

 それからも、昼時の忙しさがはけた頃にちょくちょくやって来る青年とは、会話らし

きものが成り立つようになってきていた。彼は、配送センターのトラック運転手をして

いる、と話した。

「宮崎さんは……」と言う話の振り方が変化していき、今では「麻由ちゃん……」となっ

ていた。

「麻由ちゃんてさぁ〜、ハーフ?」

「ううん、よう言われるけどぉ、両親もぉ、じぃちゃんばぁちゃんも、日本人」

 視線を、弁当を入れた袋に落として答えた。よく聞かれることだ。だが、そればかり

は慣れることのない嫌な質問だった。

「ふ〜ん。アフリカ系アメリカ人とぉ日本人とのハーフかな、て思ってた・・・そのう、

チャーミングやもん」

「ありがとうございましたッ」

 いきなり突き出された弁当の入った袋を受け取ってから麻由の顔を見た彼は、麻由の

気持ちを傷つけたことに気付いた。「どうも」と頭を下げながらそそくさと出て行った。

 

 厨房にいるおばちゃんは、流しのほうを向いてスツールに腰を落とし一息入れている。

話しかけてこないのは、麻由の気持ちを知っているからである。

 麻由の肌はコーヒーの色であり、唇はやや厚い。二重瞼をした黒い瞳の目は大きく、

白い部分がきらきらと目立っている。染めていない髪は褐色でストレートであるが、本

来は少し縮れている。それらは母から受け継いだものであって、他の部分の造作は父親

似である。

 ずっと不思議に思っていても口に出して言えないことなのだが、母の両親は明らかに

生粋の日本人である。就活の時、母の戸籍謄本を無断で取り寄せ調べた。母は “養女”

となっていて驚いたが、生誕地は福岡県小倉市、とあった。今の北九州市になる。実父

母の姓は、矢野、と書かれていた。下の名前は忘れたが、いかにも日本人らしい名前だった。

 

 外見ではクラスの皆からからかわれたこともなく、小さい頃は周りにいる友達の母親

たちを見ても不思議には思わなかったのだが、学校の授業で遺伝について学んでから、

母の出生に疑念が湧いてきた。

「ママ、ママは日本人?」

「おばぁちゃん、ママはおばぁちゃんの子?」

 などと言っていた。

 だがその疑問は、母や祖母の当惑している様子を見るにつけ発しなくなっていった。

 牧師だった祖父からは、強い口調で諭されたことがある。

「麻由のおかあさんは、確かに、私と婆さんとの、愛情を掛けて育ててきた子どもです。

困らせるようなことは、言うものではありませんよ」

 その物言いに引っ掛かるものを感じていたが、それ以来心の底に封印しようとしてき

た。

それでも時々、何かの拍子にその疑問が浮かんでくることがあり、親しい人にこぼすこ

とがあった。

 その頃はまだ、母が養女だということを知らなかったのだから。養女だと知ってから

も、なぜアフリカ系の容姿をしているのか、が分からないままだったのだが。

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 青年とは再び会話が増えていき、麻由にとってもそのひと時が待ち遠しく感じられて

きた頃のことである。

 ようやく客も途絶えて、乱れている椅子を元に戻している時に、椅子と壁との間に落

ちている本を見つけた。厚みのある本で、表紙は取り除かれて茶色いカバーがしてある。

外表紙を開いてタイトルを確認した。

『松本清張傑作選』とある。

 今時こんな古い本を読む人もあるんや、面白いんかな、と思いながらおばちゃんに告

げた。

「おばちゃん、本の忘れもんやわ。どないしょ。松本清張の本」

「へぇ、今時にしては珍しい本やねぇ。推理小説やろ、『点と線』とか『飢餓海峡』と

か」

「おばちゃん、『飢餓海峡』は水上勉ちゃうかなぁ」

「どっちも夢中になって読んだもんやけどねぇ。そこの棚に置いとき。取りに来はった

ら渡したげるよって。麻由ちゃんはそろそろあがる時間やろ、お疲れさん」

 目次を眺め面白そうなタイトルを見つけて、そのページをめくってみた。拾い読みし

ている間に、“1950年”“小倉”“黒人部隊”などの文字に目が釘付けとなってし

まったのである。

 急いで帰り支度をして、自転車を図書館に向けた。

 

 

 幸いにして在架していた『松本清張傑作選』の表紙は、角が擦り切れてしまっている

ほどに読み込まれていた。

 夕食後、自室に入るとさっそく読み始めた。

 目的のタイトルは、『黒地の絵』。

 1950年7月11日は、小倉祇園祭の前夜であった。同年6月に勃発した朝鮮戦争は、

撤退を続ける米軍を不利な状態に追い込んでおり、白人兵がほとんどであった小倉市の

城野補給基地には、黒人兵が次々に補給されるようになり戦地へと送られていた。

 ところが祇園祭の、太鼓の練習する音が遠くから響いて来ておりその旋律が、基地に

いる岐阜から送られてきたばかりの黒人兵250人の肉体に、陶酔的な衝動を起こさせ

た。前線に投入されることを知っている彼らは絶望的な恐怖と抑圧された衝動を刺激さ

れて、カービン銃やライフル銃、手榴弾携行という完全武装をして、周囲を鉄条網に囲

われている兵営の庭から、外に通じている大きな土管を通って脱走したのである。

 

 麻由は、これは歴史に絡めた創作なのか事実なのかを知るためにネット検索をした。

《小倉黒人米兵脱走事件》として、事実であったのを知る。

 逸る気持ちで続きを読んでいった。

 

 

 黒人兵たちは小さなグループに分かれて店に押し入り、酒を飲み、棚のウイスキーを

ごっそり持ち去った。近在の民家に押し入り、酒を奪い乱暴をし、そして・・・。

 

 麻由はそれ以上先に進めなかった。

 本を閉じ、ネットで再度調べてみた。

 先ず、《朝鮮戦争》について。

 日本は、国鉄・海運による輸送、人員・弾薬・砲弾の補給に協力している。門司・神

戸・佐世保・横浜の港では将兵や避難民の輸送のために、貨物船や商船が韓国を往復。

日本の14カ所の病院が野戦病院となっている。日赤看護婦はほぼ強制的に協力させられ、

一般の看護婦も高給で雇われている。

 1950年6月29日午後10時15分には、福岡市・北九州一帯と山口県西部に、

警戒警報が鳴り、灯火管制が強いられている。

 それらの事態は、機密保持命令により報道されていない。日本のほとんどの国民は、

日本国内でそのような事態が発生していたことは知らなかったのである。

 

《小倉黒人米兵脱走事件》にしても、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部――1952

年廃止)が報道管制を敷き、北九州地区の新聞が詳細は分からないままに小さく掲載し

たのみで、他の地区、全国の国民には知らされることはなかった。

 MP(アメリカの憲兵隊)だけでは手のつけようがなく、アメリカ陸軍二個中隊が出

動し銃撃戦となっている。照明弾を打ちあげながら機関銃の射程内に置いた黒人兵をジ

ープで追い詰めキャンプに追い込んだ。二十ミリ口径の機関砲を積載した装甲車も出て

いる。

 近くの足立山に逃げた者は捜索隊が山狩りをし、麓の要所で下山してくる脱走兵を逮捕。

12日の夕方に鎮圧した。

 警察は市内から城野方面に至る交通を遮断。しかし鎮圧に参加することは許されなかった。

ニュースカーで市民に危険を知らせ、戸締まりを厳重にするよう警告したが、曖昧表現

しかできなかった。

「戸締まりしてください」、「外出しないでください」の呼びかけだけでは、市民の緊

迫と不安をかえって増大させた、とある。

 被害の届け出は約80件。暴行・強盗・脅迫などで、婦女暴行は申告されていなかった。

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 麻由はこれらの事態を知ったことで、母のこと、生みの祖父母のことに思いを馳せた。

そして自分のルーツにも・・・。

 口元がわなないている。

――かぁさんは、黒人兵の血が入ってる・・・ばぁちゃんの気持ちは、じぃちゃんの気持

ちは・・・こんなこと、誰にも聞けやしないッ。

 涙を拭きながら、本を最後まで読み続けた。

 

 武器を突き付けて押し入った黒人兵達のなすがまま、おべっかを使いはしても妻を助

けることが出来ずにいる男。女の部位の入れ墨を仲間に自慢している黒人兵。

 後に男は妻の希望で別れ、キャンプでの遺体修復のための作業労務員となり、次々に

戦地から空輸されてくる遺体の中から、その入れ墨を持つ皮膚を捜し出し、異様な光を

目に宿し作業刀で引き裂く・・・。

 男は、その黒人兵がなぜそのような入れ墨を、国に帰れば誰にも見せられないような

入れ墨をしたのかと考えると、黒人兵は二度と祖国の土を踏めないことを知っていたの

だと思い到る。

 

 麻由は、未だに人種差別が絶えないアメリカの、1950年頃の彼らの扱われ方を考

えた。

 死ぬほどの辱めを受けた女性の存在は、男たちが主導する国策からは抹殺されてしまう。

力を持つ者の、あるいはその事件とは隔絶された場所にいる者の好奇の視線が全身を舐

めつくすという、二重の屈辱を味わうこととなるからでもある。

 

 

「おばちゃんは、朝鮮戦争、って知ってる?」

 次のバイトの日に聞いてみた。

「知ってるよ、歴史で((習|なろ))うたし。日本経済が向上したきっかけになったって。朝鮮戦争様

様ってね、国中が浮かれてたらしいわ。ああ、あたしはまだ、生まれてなかったけど」

「アメリカが、日本を軍事基地にしてたことは? 日本も人員や物資の面で協力してたこ

となんか」

「今でも沖縄なんかそうなんやから、そりゃぁ、当然やろねぇ。確かぁ、まだ占領軍がおっ

たん、ちゃうかな。けど、そのおかげで復興に勢いがついたことしか、((習|なろ))うてへんわ。

それが、どないしたん」

「うん、ちょっと経済の勉強でも、しとこ思うて。アベノミクス、との比較」

 麻由は、苦しい言い訳をした。

「あ、いらっしゃいませぇ」

 ちょうど客が入って来たことで、何かを言いかけたおばちゃんとの話は終わった。

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 宮崎幸子は、近頃の麻由が、時々憐れみの混じったような、寂しげな視線で見つめて

くることに気がついていた。

 自室にこもって読書をしながら、時々パソコンを打っている気配を感じている。大学

を卒業して就職先が見つからないまま、バイトを続けている娘の将来が心配でもある。

気軽でいられるだろうが、30歳を過ぎても交際している男性の気配すらないのは、気

がかりでもある。もしかしたら、私から受け継いだ血が影響しているのかもしれない、

と思うことがある。

 幸子は明らかに、黒人とのハーフだからである。

 今の時代と違って幸子の学生時代は、周りから浮いていてはいけなかった。日本人の

中に混じっている外国人は好奇の目で見られ、通りを歩いているだけでも必ず人々は振

り返って、珍しいものを見る目をしていた。黒人に対しては、それに蔑みの眼差しが加

わる。

 無論同級生からは、からかいの対象となった。白人に対してはむしろ劣等意識を抱いて、

それほどのからかいとはならなかったのかもしれないが、黒人に対しては、彼らは優越

意識を持っていたらしい。この違いは何から来ているのか、おそらく欧米の態度による

ものであろうという結論を、自分なりに得たのである。

 

 幸子は、自分の出自について知らされなかった。まだ1歳にもならない頃に貰われて

きた。新しい父は牧師をしていた。転々と各地の教会を移動する生活だが、貰われてき

たのは、門司市の日本キリスト教会に務めていた時である。

 よく憶えていないが、夢の中に時々現れてきていた情景は、生みの母親らしい人に手

を引かれて来た初めての教会で、幼いキリスト様を抱いたマリア像を、その母と並んで

一緒に見上げている。

「マリア様が、幸子の将来を守ってくださるけん。新しいお父様、お母様が大事にして

くださるよって・・・これで、よかとよ」

 実際その様に言っていたのかは分からない。おそらく、勝手な思い込みによるものだ

と思う。だが、その時の、その女性の声が今でも聞こえてくることがある。

 

 だが幸子は早い段階で、自分の出自について知ることとなった。その頃は貧乏で、ほ

とんどの人々が、戦争からの復興の恩恵を受けていたわけではなく、牧師の家としては、

信者の生活を真っ先に考えていたのだろう、本を購入するようなお金はなく、読書好き

の母は、行く先々の土地で見つけた貸本屋から、いろんな本を借りて来て読んでいた。

 

 小学5年生の時である。

 借りてきた本は、いつもは卓袱台の上に置いたままになっていた。

 ところが、たたんだ洗濯物をしまうために開けた箪笥の抽斗の母の肌着の下に、いか

にも隠しているといった状態で、1冊の本を見つけ出した。

 松本清張は小倉市の城野営団住宅に住んでいたことを、母は自慢げに話していたこと

がある。小説を書き始めてからもそこから朝日新聞支所へ通い、印刷工をしていたらしい。

母は時々、その姿を見かけたのだそうだ。

 松本清張の著作が出ると、必ず借りて来ていたのを覚えている。いつも、目の届くと

ころに無造作に置いていたものだ。隠されていると却って興味が湧く。

 幸子は不思議に思い、母が出かけている隙にこっそりと読んだ。難しくて分からない

ことが多かったが、それでも読める文字を追いかけた。

 

 文字を追っているうちに、読んではいけなかったのだ、と思い始めた。内容の意味は

よく分からない。それでも “戦争” とゆう文字や “黒人兵” とゆう文字が、自分自

身のことと関係があるように思えるのである。だから怖くなって、途中までで読むのを

辞めた。

 高校生になると、住まいは北海道になっていた。冬には、しばれる(凍りつくほど寒い)

外に出るのが億劫になって、ポカポカッ陽気の家に閉じこもることが多くなる。それで

図書館から本をまとめて借りておくのだが、当時は学生の間で、松本清張の本に人気が

出ていた。やっと借り受けた『黒地の絵』は、読み進めるうちに以前にも読みかじった

ことがあることに気付いた。そう、母が隠していた本である。

 

 

 震える指でページをめくった。

 自分はやはり、黒人兵の・・・朝鮮の前線に送られて戦死した黒人兵を父とする・・・

母がレイプされて生まれた子、望まれずに誕生した子どもなんだ、と確信した。

 なぜ、生まれてきたのだろう。なぜ、堕胎してくれなかったのだろう。

 生みの母を、父を、黒人兵を、国を、日本とアメリカを、戦争を、戦争を仕掛けた北

朝鮮を、恨んだ。何も知らずに、好奇の目を向けてくる人々を恨んだ。

――自分は存在してはいけなかった子、なんだ・・・。

 

 何度も自殺を考えた。睡眠薬を飲んで、しばれる外に出るだけでいい。だがそれを思

いとどまらせたのは、養育してくれた父母の存在である。ふたりの顔が、チラチラと脳

裏をかすめる。ふたりを悲しませることをしてはいけない。

 追い詰められた連合軍の兵士として、祖国を離れ、異国の地で捨て駒として扱われる

ことを知った上で送られた最前線にあって、どのような気持ちで戦っていたのだろうか。

そして死んでいったのだろうか。

 少なくとも彼の “生きたい” という気持ちが、私の中に引き継がれているに違いない。

事件は事件として忌むべきものであるが、今を平安に生きている私は、彼のその気持ち

を大切にして、未来へ引き継いでいかなければならないような気もする。

 そうしてやがて、私の人格を認めて、それを受け入れてくれた伴侶を得ることが出来

たのである。娘をもうけて、幸せの日々を送っている。忌まわしい事件を起こした黒人

兵のひとりの血を引き継いで、それは娘へと繋がっていっている。

 この思いを含めて・・・麻由に伝えておこう。

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 1950年7月11日夕方。

 明日から2日間にわたって繰り広げられる、小倉の “太鼓祭り” ともいわれる祇園

祭の太鼓は、各町内にそれぞれ据え置かれ、練習する子どもたちから、もろ肌抜いた若

者たちへとバチが引き継がれると、太鼓の音に勢いがつき遠くまで轟いていた。

 どどんこどんどん どどんこどんどん、という音は、4キロ離れた城野キャンプには、

ボボン ボンボン ボボン ボンボン、と腹の底から突き上げてくる響きとなって伝わ

っていった。

 前日の早朝、列車でキャンプに送られて来たばかりの黒人兵にとっては、アメリカ南

部で奴隷として働いていた頃から両親へと受け継がれてきた祭礼の響きであり、それ以

前には、祖先がアフリカの大地で狩りに出かける前の、安全と多くの獲物を得るための

祈願を掛けた、気分を高揚させるリズムであった。

 

   いざ槍を持て! 象を撃ち捕りに行くぞ

   ライオンの群れがすぐそこに現れた、武器を持て!

 

 ボボン ボンボン ボボン ボンボン、

 太鼓の音に黒人兵たちは足を踏み鳴らし、肩を上下させリズムをとりながら、武器を

提げて排水溝の土管の入口にひっそりと集まって来た。有刺鉄線の下を通っている大き

な土管の中を這いつくばって、キャンプの外に出た。

 それは、草原で群れてくつろいでいるライオンに悟られないように、這いつくばって

近寄って行く姿を彷彿とさせるものであった。

 気分は高揚し、外で何をしていたのか、酒を飲んだ、という以外定かな記憶はなく、

市街地で銃撃戦を繰り広げた後、気がつけば装甲車に取り囲まれ、キャンプに押し戻さ

れていった。

 翌日になると船に乗せられ釜山に到着し、数日後には、北方から後退して来ていた米

軍の、最前線に投入されたのである。

 

 

 Daniel は、母と、妹の Hannah の写真を胸ポケットにいつも入れており、時々出

して眺めていた。

「なんだ、恋人の写真を肌身離さず持ってるってわけか、ペッ、すぐに死んじまうって

のによぅ」

 同僚が覗きこんでくると、すぐにポケットにしまった。

 

 シカゴ市ウェストサイド地区に、先に移住していた父の後を追って来たのは、3年前

のことである。鉄工所で働く父の収入で一家4人が暮らしていたが、職場の事故によっ

て足を失っても補償など出るはずもなく、父が働けなくなると、すぐに収入は途絶えた。

母は縫製の仕事を探してきて根をつめて働いたが、大した収入にはならない。ほとんど

が、父の医療費に消えていった。

 Elementary school に通っている、勉強好きで優秀な Hannah にはcollege まで行っ

て欲しいと思い、Daniel は生活費と彼女の学費を稼ぐために、eleventh grade student

で辞めた。しかし、黒人というだけで、バイトでさえ見つけられない。

 とっくに学校をあきらめていた仲間たちに加わって、掻っ払いなどをするようになっ

ていた。

 

 アメリカ国防省は、1950年6月28日、韓国の首都ソウルが陥落し、4万の米軍

を韓国に派遣すると発表した。

 母の反対を押し切って、即座に Daniel は応募した。信じられないほどの高給に浮

かれ、母の涙を笑いとばした。

「たとえ戦死してもだぜ、家族にはまとまった金額の弔慰金と、遺族年金が支払われる

んだってさ。まぁ、素人にいきなり危ない仕事、させるはずねぇだろ」

 笑って言った。その時点では自分が死に直面することなど、考えようがなかったので

ある。

 躊躇いはまったくなかった。

 

 北朝鮮との戦闘で集中砲火を浴びている Daniel は、脳裏に浮かんだ母の姿と Hannah

の頬笑みの後ろに、小倉でレイプした女のすべての感情を無くした顔を、一瞬垣間見た。

「help Maaa」

 Daniel は銃をとり落とすと、写真の入っている胸ポケットに血まみれの手を当てた

まま、最後の叫びを上げ、身体を撃ち砕かれていった。

説明
1950年朝鮮戦争が勃発し、日本がまだ占領下にあって朝鮮出兵の為の基地であった時に、
実際に発生した事件に基づいての、創作です。
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タグ
黒人米兵集団脱走事件 朝鮮戦争 1950年 松本清張 『黒地の絵』 機密保持命令 情報管制 小倉祇園祭 サスペンス 

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