花嫁と歌姫
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 碧髪の青年は、盛大に溜息を吐いた。

 薄暗い路地裏。無機質に続く煉瓦の壁。罅割れ、欠けた石畳の上。

 相対する様に立っているのは、頭からすっぽりと黒布を被った人物。

 中身が全く伺えず、どんな者が其処に居るのかの想像に、欠片も情報を寄越さない。

 然し、其れが持つ雰囲気は穏やかだった。敵意も怯えも感じず、寧ろ笑っているのだと、感覚的に解る程である。

 青年、ジオヴェインはもう一度溜息を吐き、乱雑に頭を掻いた。

「……路地裏に誘い込むのが流行ってんのか、」

 相手への問い掛けと云うよりは、独り言ちる声音で零した。

 其れを聞いた黒布は、肩を揺らし、答えた。

「さぁ、そんな流行は知らんな。」

 若い男の声だった。

 其の声に、ジオヴェインは眉間の皺を深くした。彼の中で、疑惑が確信に変わった瞬間でもあった。

「じゃぁ、あんた等の流行、――アヤメさんと、知り合いなんだろう。」

「嗚呼、アヤメに会ったのか。」

「会ったのか……て、あんたが言付けたんだろ。」

 あっけらかんとした声に、訝しげな声。

「100%じゃねぇから。……其れに入れ違いだから、会ってない。」

 矢鱈と主語や目的語が省かれた言葉だったが、前にアヤメと話した事を思い出し、脳内で補う。

「あんた、呪術師だったんだな。」

 彼のヒトは占い師だとか、先見だとか云っていた。

 其処から思い附いた職を口にする。

「……本職じゃ、ねぇけどな。」

 苦笑混じりの返答に、其れ以上突っ込むのは止めた。

 唯、別の事は問いたかった。

「何の用だ。……暑さに滅法弱いあんたが、こんな処迄来るんだからよっぽどなんだろ。」

 此処よりずっと、ずっと北に在った故郷の夏でさえ辛そうだった者に、此の気温と日差しは、殺人的だろうと容易に想像が附いた。

 正直に云えば、何年もこんな中を行き来してきたジオヴェインでさえ辛い。

 然し、返って来た言葉は、予想外のモノだった。

「……昔の教え子に会うのに、特別な理由が必要か、」

「は、」

「御前が居たから此処に来た。……懐かしかった、ってのは理由に為らねぇかな。――確かに、一寸、暑いけども。」

「否……待て……、」

 全く、予想だにしてなかった返答を並べられて、ジオヴェインは額に手を遣り、強く目を瞑って唸った。

「昔の教え子って……懐かしいって……、」

「俺一人、動く分には十分な理由だろ、」

 唸り声とは全く正反対、涼しい声で云われて、ジオヴェインの中で何かが外れた。

「…………せ、に。」

 口から零れた其れは、十分な音量を持っていなかった。

 何、と黒布は聞き返す。

「……勝手に、突然居無くなった癖に。」

 今度はちゃんと聞き取れる音量で、そして、表情を嗤いに歪めて、発せられた。

 其れを見た相手は、おや、と不思議そうに一瞬動きを止める。

 然し直ぐに、穏やかな雰囲気を取り戻して、答えた。

「初めから、五年と決まっていた。」

「俺は知らなかった。」

「確かに、話す機会を取れなかった俺も悪い。」

「嗚呼、良く考えりゃあん時可笑しかったもんな。『御休み』っつった後、『亦な』っつったんだ、あんた。……翌朝起きたら、居無かった。」

「時間が無かったんだ。嘘は吐いてない。今、会ってるだろ。」

「……言葉も無しに、別れたにしちゃなげぇ、だろ。十年かよ……――ッ、」

 云い終わるか如何か、ほぼ同時にジオヴェインは黒布に掴み掛かった。

 相手の身体が揺れて、布が開ける。中から現れた人物に、ジオヴェインは動きを止めた。其の顔に、驚愕と動揺を浮かべ乍。

「そうか……、そう、だな。御前にとって、十年は長かった、な。」

 黒布の襟元を捕まれた侭、相手は今迄と変わらぬ声音で呟いた。

 中から現れたのは腰に届きそうな長い灰銀髪と蒼眼を持ち、一見女性と間違えそうな、“ジオヴェインと同じ年頃の”優男、だった。

「ルー……ファス、」

 ジオヴェインが、本日出会って初めて相手の名を呼んだ。――其れは動揺に震えていたが。

「何だ、」

 其れでもルーファスは冷静に返す。其れを受けて、ジオヴェインも僅かに思考を取り戻した。

「あんた、俺より十は、上の筈だろ……。何、で、」

 目の前に居る其の姿は、幼い頃の記憶に残っている姿とほぼ差違が無い。強いて云えば、髪が伸びた。其の位しか、時の流れを感じられなかった。

 ルーファスは、黒布を掴んだ侭のジオヴェインの手をそっと外した。服を整え、短く息を吐く。

「御前の思ってる通り、規格外のイキモノだからだよ。」

 そう云うと、紅を塗った様な赫い口の端を上げて続ける。

「此の躯の半分は、鬼の血だ。もう半分は、魔女。」

 ルーファスは黒布の上からでも伺える程の細い身体を自らの腕で抱いて見せる。

「序でに云うなら、歳も、御前が思ってるよりもっと上だ。」

 クスクスと笑い、呆気に取られているジオヴェインを見遣った。

 其れは暫く固まっていたが、緩慢に躯の力を抜くと、頭が痛いとばかりに亦額に手を遣った。

「訳解んねェ……。」

 唐突に与えられた情報量の多さ、複雑さに、素直な感想が漏れた。

 僅かに項垂れる其の姿を見て、ルーファスはクスクス笑う。

「御前の親父さんだけは、全部知ってたんだけどな、」

「……は、」

「漣牙の方じゃないぞ、父親の方。」

 驚いた様に少し目を丸くして此方を見遣るジオヴェインを余処に、ルーファスは淡々と告げる。

「ティムさんとさ、俺の親父が知り合いで。種族の事から、俺が下宿させて貰う理由から何から全部、知ってたんだ。…………帰る時、御前が訊いたら、全部話して遣って下さいって言付けたんだけど。」

 ――引き籠もった後家出て行くとは思わなかった。

ルーファスは少し遠い目をして付け加えた。

「御前、もう一寸、家族に頼って良いんじゃないか、」

「……煩ぇ……。」

 脱力しきったジオヴェインにルーファスは苦笑したが、暫くして慈しむ様な表情に変えた。

「まぁ、元気そうで何よりだ。……漣牙が、御前置いてきたって云った時はひやっとしたが。」

 其れを聞いて、ジオヴェインは嗚呼と呻く様に零した。

「……そう云えば俺、信頼した相手に悉く置いて行かれてるんだよな……。」

 地を這う様な其の声の低さにルーファスが困った様な顔をする。

「あー……俺が勝手に出てった事に対して、裏切られたとか思ってたんなら、本当に悪ぃと思ってる。そんな気は一切無かったんだが……。」

「……良いよ、もう。終わった事だし。」

 ジオヴェインは溜息を一つ附いて、真っ直ぐ立ち直す。

「あんたの云う通りだ。俺は追おうとも知ろうともせずに、勝手に独りで鬱々してただけだ。全部知った以上あんただけ責めるのは御門違いも良いトコだろ。」

 苦い顔をしてそう云うと、へろへろと手を振る。

 其の様子を見てルーファスはクスクス笑う。

「成長したな、御前。餓鬼の頃より素直になったんじゃねぇの、」

「煩い。……大体あんた、今何遣ってんだよ。」

 先見が出来るなら、呪術師で十分遣って行ける筈だ。なのに本業じゃないとは如何云う事だろうか。

「ん……嗚呼、御前は護衛だっけ。……良いな、俺に雇われる気は無ぇか、」

「はァ、護衛が要る様な物騒な事してるのかよ、」

 笑いを噛み殺して返ってきた応えは然し答えでは無くて、寧ろジオヴェインが渡した問いを深める物であった。

「いんや、……唯のしがない商人だぜ。」

 ルーファスは一息吐いて笑いを収めると、そう云って肩を竦めた。此の言葉、嘘ではないだろうが、信憑性は非常に薄い。

「信じられん。」

「そ。……まぁ、扱う商品が水物なんでな。変なのに絡まれる事が偶に有るんだよ。」

 ――そんなときの為に、護衛の一人や二人居た方が良いだろ、

 そう云って口の端を上げるルーファスに、ジオヴェインは未だ訝しげな侭言葉を返す。

「んなの、探せば幾らでも居るだろ。」

「まぁ、腕が立つのは掃いて捨てる程居るけどな、信用出来る奴はそう居無ぇ。……腕が立って信用出来る奴なら幾ら積んだって惜しくないぜ、今の処。」

 人の悪い笑みを浮かべるルーファスに、ジオヴェインは肩を竦める。

「魅力的は魅力的だが、今は断る。」

 きっぱりとした其の言葉にも、ルーファスの笑みは崩れない。寧ろ深まった様に思える。

「おや、残念。」

「手が掛かるのが居るんでな、置いて行けん。」

「……御前が手を焼かせてるんじゃなくて、か、」

「あのな……、」

 餓鬼の頃とは違うのだと、ジオヴェインは反論し掛けたが、ニヤニヤと笑う其の顔に厭な物を感じて言葉を呑んだ。

「酒は、程々にしないと身体に毒だぜ。」

「……あん、」

「御前、餓鬼の頃より酒乱非道くなってるみたいだな。……矢っ張あん時放置せずに矯正しとけば良かったんかなー……。」

「……ッ、」

 ――何で其れを、

 一瞬、相棒の姿が頭を過ぎったが直ぐに打ち消す。

 如何考えても二人の間に接点等有る訳もない。況してや、そんな噂で届く程知られているのだとしたら、自分は今此処に居ないだろう。

「俺が遣ったピアス、今でもちゃんと着けてるんだな。」

 ルーファスが自身の左耳を示し乍告げる。

 綺麗な、笑み。

「其れ、俺が作ったんだぜ、」

「な、」

 反射的に、ジオヴェインは左耳に手を添えた。

 其処には確かに、幼い頃目の前の人物から譲り受けた、蒼月長石の耳飾りが人知れず揺れている。

 “咒力を持つ者が、咒力を持つ物に、想いを込めれば如何為る”か、彼等は知っている。

「……まぁ、覗き見なんて趣味の悪い事なんざ遣って無ぇから心配すんな。」

 ルーファスはそう云って、ふ、と感情が消えた様に無表情になる。

「そう云う、問題じゃ……、」

「そろそろ限界だ。此処は暑い。」

 反論しようとしたジオヴェインの言葉を切って、ルーファスは虚ろな目をして呟いた。

 乱された黒布を頭から被り直す。

「護衛の件、」

「あん、」

「……孤独の星に振られたら御出。」

「はァ、」

 黒布の隙間から見えた、弧を描いた赫い唇。

 言葉の意味が捉えられず、間の抜けた声を出す。

「其れじゃぁな、亦会う事も有るだろう。」

 黒布は踵を返し、背の壁に向かって歩を進める。其の先に有るのは一つの扉。

 崩れそうな煉瓦壁には似合わない、黒檀の艶が鈍く光る、品の良い扉。

 其の握りに手を掛けて、其のヒトは一度止まった。

 振り返る素振りをしたが、其れも止めた。

 唯、唇だけが小さく動いた。

 

「其れでも御前が其のピアスを外さない事も、此の世界では俺の元に来ない事も、知っている。」

 

 ジオヴェインからは決して見えない角度で行われた其れは、完全な独白。

 黒布は何事も無かったかの様に動き出した。

 開かれた扉の先は、深く、暗くて良く見えない。

 其処を潜る際に、一度、肩越しに手を振って見せた。

「……ルー……、」

 呼んだ其の名が、零した言葉が届いたかは解らない。

 重く閉じられた扉は、其の瞬間、光の粒と弾けて消えた。丸で、白昼夢の様に。

 独り残されたジオヴェインが立つのは、何時もと何も変わらない薄暗い路地裏。

 遠くで市場の喧噪が聞こえる。

 嗚呼、早く彼方へ帰らないと。

 ふらりと、躯を動かし始める。

 

 今迄 の 出来事 は 夢 だった か、

 

 ――否。

 

 左耳が、耳朶が、熱い。

 

 

 ――嗚呼、屹度御前が、詠っている。

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古い知り合いの立ち話其の二。
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創作 青年   

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