夫婦になった彼等 夏の帰還
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遥は、小鳥の囀(さえず)りを聞きながら目を覚ました。瞼を開けると、すぐ傍に最愛の妻の顔がある。

この夫婦の朝は、夫の方が早い。貴音はあの病が治っていないのだ、仕方ない。遥は彼女の額に口付け、音をたてないよう注意しながらベッドから出た。

 

 

貴音は朝食が出来上がるのを見計らったように起きる事が多い。食べ物の匂いを嗅ぐと食欲が睡眠欲に勝るのだろう。

今朝も、あとは盛り付けだけというタイミングで貴音が起きてきた。

「おはよう、遥」

「おはよう、貴音。…どうしたの?」

貴音の顔を見て挨拶を返し、すぐに妻の異変に気付く。

「なんか浮かない顔してるね」

「うん…なんか、ちょっとだけ気分が悪くて」

「え、大丈夫?ご飯、食べれる?」

「それは平気」

心配そうな夫の声に答えつつ、貴音は茶碗を用意する。杓文字(しゃもじ)を手に取り、炊飯器の蓋を開けた。ブワッと白い湯気が上がり、炊きたての米の香りが鼻に届く。と、

「ヴ」

唐突に強烈な吐き気を感じ、思わず口を掌で覆った。

「貴音?」

彼女の声を聞き逃さなかった遥が、すぐに妻の元に駆け寄る。

「…気持ち悪い…」

顔を苦しそうに歪め話す声は苦しそうだ。

「午前中、病院行こうか」

優しく背を撫でながら提案すると、貴音はコクリと頷いた。

 

 

九ノ瀬夫妻が来たのは、産婦人科だ。外出の準備の最中、貴音が急に言い出したのだ。

「そういえば、生理が来てない」

ついうっかり忘れていたが、米の匂いに吐き気を感じ生理も無しとなれば可能性は高いだろう。

そうして医者に診て貰った結果は…

 

「おめでとうございます。妊娠3ヶ月ですね」

 

だった。

貴音が医者の言葉を理解する前に、遥に抱き竦まれた。

「やった!貴音、ありがとう!」

ギュウギュウに抱き締められ揺すられて、貴音は考える余裕がなかった。

「遥、落ち着いて」

なんとか夫の大きな背中を撫でると、彼は素直に離してくれた。

「ごめん、つい。大丈夫?」

「大丈夫」

貴音が笑いかけると、遥も嬉しそうに笑った。

「貴音、妊娠だって。僕達に赤ちゃんが出来たんだよ!」

「うん、そうね」

貴音の両手を包みプラプラと揺らしながら言う遥の顔は締まりがなく、貴音は可笑しくて笑ってしまった。

「お二人さん、まだ話は終わってませんよ」

〔あ〕

医者に言われ、二人は大人しく椅子に座り直す。姿勢を正したのを見てから、医者は口を開いた。

「実は、奥様のお腹の中に胎児を二人、確認しました」

「胎児を…」

「二人…?」

ポカンとして鸚鵡返しに喋る二人に頷き、分かり易いよう話す。

「奥様は、双子の赤ちゃんを妊娠中です!」

「!!」

話を聞いた遥は最高潮に興奮し、医者と妻に叱られた。

 

 * * *

 

貴音の双子妊娠の報を受けた仲間達は大変喜び、ささやかなパーティを催してくれた。

「遥さん!貴音さん!おめでとうございます!」

〔おめでとうございます!〕

文乃の号令に皆が声を合わせ、乾杯とした。

「双子かぁ…男の子かな?女の子かな?」

早過ぎてまだ性別までは分からない。遥はどちらでも楽しみだ。

「貴音似の女の子とか可愛いよね」

「私は、男でも女でも遥に似た方が良いなぁ」

貴音は、自分に似た子は人相が悪くなるんじゃないかと思う。しかし遥に似たならば性別がどちらでもとても可愛いだろう。

「でも、双子って同じ顔が二つ並ぶって事ですよね?私、見分けられるかなぁ」

桃が楽しそうに言う。それに反論したのは彼女の兄・伸太郎だ。

「瓜二つとは限らないぞ」

「え?でも双子でしょ?」

キョトンとする妹に、伸太郎はどう説明しようか数秒考えて、遥に視線を移した。

「すいません。紙と鉛筆くれませんか?」

「あ、うん。分かった」

遥はいきなりの要求に理由を訊ねる事もなく、一枚の紙と一本のシャープペンシルを貸してくれた。伸太郎は紙に何かを書こうとして、妹を見た。

「お前、どうやって妊娠するか知ってるか?まさか『鸛(コウノトリ)が運んでくる』なんて子供みたいな事は言わないよな」

兄の失礼な発言に、桃は眉をつり上げた。

「いくら私でもそんな事は言いません!えーと…卵子と精子が合体?…とかだったような…」

「まぁ、お前にしちゃ上出来だ」

誉め言葉に聞こえない。桃は不快そうな顔をしたが、伸太郎は気にも止めなかった。そのまま紙に丸を書き、丸の左に『受精卵→』と書く。

「此処に一つの受精卵がある。精子と合体した卵子だ。受精卵が成長する過程で分裂して二つになる事がある」

丸の下に『分裂↓』と書き、矢印の下に『〇←二つの受精卵→〇』と書く。

「この二つの受精卵が成長して生まれた子供が双子だ。一つの受精卵が分裂した事から『一卵性双生児』と謂う」

二つの丸の下に『↑』を、更に下に『一卵性双生児』と、ご丁寧に振り仮名付きで書いた。

「顔がそっくりなのは此方な。元は一つの受精卵だから、遺伝子が同じなんだよ。『DNA』と云った方が解り易いか?」

桃は理解したのかしてないのか不明な顔でコクコクと頷いた。伸太郎はまた紙に丸を、今度は二つ書く。

「双子は、もう一つある。卵子ってのは普通一つだけ出来るものなんだが、たまに二つ出来る事がある。その二つの卵子各々に別の精子が合体して出来た受精卵が成長して生まれた双子だ」

丸の下におたまじゃくしみたいなモノを書き、真ん中に『←精子→』と書き、更に下に『↓』と書き、更に下に『〇←二つの受精卵→〇』と書く。

「二つの卵子に二つの精子で生まれるから、『二卵性双生児』と謂われている。別々の受精卵だから、DNAは普通の兄弟程しかないし、男女の双子が生まれる事もある」

「『普通の兄弟』って、つまり私とお兄ちゃんみたいな?」

「そうだ」

意外に速く理解した事に伸太郎は驚く。そして、仲間達全員に注目されている事に気付いた。なんだか恥ずかしくなって頭をガリガリと掻く。

「だから、二卵性双生児だったら同じ顔にはならないって事。説明は以上です…」

思わず敬語になってしまった。皆は可笑しそうに笑い、パーティを再開した。

 

 

妊娠発覚から数ヵ月間、遥は毎日ニコニコと嬉しそうに笑い、我が子を迎える準備をする。性別が分からないのに服まで買おうとするくらいだ。

しかし今日、医者がこの時期になると性別が分かると教えてくれた。

「分かりますか?此処が頭で、此処が足です」

医者が示したところをよく見ると、確かにそうと分かる。そしてその隣に、示された胎児とは違う姿勢の片割れも確認出来た。

「見えますか?此処に小さな突起物が見えます」

「突起物?」

「恐らくこの子は、男の子ですね」

ただ『突起物』と言われると痼(しこり)かと不安になったが、性別を聞かされるとその正体が分かって安心した。

「この子ほどよく見えないのですが、恐らく片割れも男の子ですね」

「そうですか」

そう聞かされれば、遥のやる事は決まっていた。

 

 

「あ、ねえねえ貴音!これ可愛くない?!」

遥は青くて小さな服を妻に見せながら訊いた。

「ん〜…そうねぇ…」

九ノ瀬夫妻は、我が子の服を選別中だ。我が子の性別が分かった途端、遥は意気揚々とデパートの洋服コーナーに向かったのだ。

男児なので色が青というのは満場一致。もう一枚の色は迷ったが、緑が妥当なんじゃないかという結果になった。

「あ、これは?これも可愛い!」

貴音が見付けたのは、熊のような丸い耳がフード付きの服だ。男子でも、赤ん坊であれば耳付きフードも可愛い。

結局二人共、互いが選ぶ服に否定も拒否もしない。それどころかあれも良い、これも良いと言う始末。結局、何着も買ってしまった。

 

 * * *

 

臨月。貴音の腹は破裂してしまうんじゃないかという程に膨らんでいた。なにせ双子である。腹の大きさは、幸せの大きさだと貴音は嬉しそうに語った。

そしてそんな腹とサヨナラしたのは、皆が寝静まる真夜中の事だった。貴音は僅かな痛みを腹部に感じ、目を覚ました。だが、隣に眠る夫を呼ぶ前に痛みは消えた。暫し考えた後、再び寝ようと目を閉じる。だが、

「…っ!」

眠りに落ちる前に、再び痛みを感じた。スヤスヤと眠る遥の肩を掴み、揺する。だが、彼が瞼を開ける頃には再び痛みは消えた。

「…貴音?」

「…いや、ごめんおこして」

貴音は再度寝ようと目を閉じたが、今度は遥におこされた。

「貴音、もしかして産まれそうなの?」

『産まれそう』…その言葉を聞いて、貴音は漸く陣痛の可能性に思い至った。

「一応、病院に電話してみた方が良いよ」

遥に言われ、携帯電話を手に取った。

 

 

「痛みの感覚は、何分おきですか?」

腹痛を伝え最初に訊かれたのはソレだった。妻の電話のやり取りで遥は陣痛だと察し、行動を開始した。車庫から車を外に出し財布やタオル等の必要な物を用意してから妻の手を取り立ち上がらせ、車に連れていく。その間、貴音はずっと電話をしていた。

病院に着いた頃には貴音の陣痛は、感覚も短くなり痛みも強くなっていた。

「頑張って貴音!僕、ずっと傍にいるから!」

腹の激痛で顔を苦痛に歪める貴音は、遥の言葉に笑みを作った。ソレを見て、彼も妻に微笑みかける。

「では奥さん、息んで」

看護婦の言葉に、貴音が「んー!」と目を閉じ力を入れる。遥の手を握る力にも、自然に力が籠る。

腹は本格的に痛くなり、看護婦や夫の声も遠ざかりそうだ。聞こえなくなったら自分は死ぬんじゃないかと思う。

「遥…」

「何?」

「手を…はぁっ…手を、離さないで」

「勿論、離さないよ」

「名前…っ、…名前を呼んで」

激痛に今にも意識が飛びそうで、夫を強く感じたかった。

「ヴっ!」

「奥さん、頑張って!」

痛みに呻くと、看護婦の檄が飛ぶ。遥も手を力強く握り、妻の名を呼ぶ。

「貴音、ヒッヒッフーだよ!」

「ひぁっ…はぁ、はぁ…」

息が荒い。中々言われた通りに出来ない。

「ほら、息んで!」

「はぁ、はぁ…んーーー!!!」

身体中(からだじゅう)に力を込め、息む。すると、股下から何か出たような感触を得た。

「奥さん、頭が出てきましたよ。息んで!」

「貴音!もう少しで僕等の赤ちゃんが産まれるよ!」

「はっ…はぁっ…んーーーー!!!!」

渾身の力を込める。掴んでいる物の形が変わったような気がしたが、彼女に気にするだけの余裕はなかった。そして、ズルリと大きなモノが体から抜け出たような感触。

「頭が出ました!こうなればもうすぐですよ」

首から下は、頭よりも小さく細い。看護婦の言った通りすぐに全身出た。

「女の子ですね」

一言言い、別の看護婦に手渡す。これから赤子を洗わなければならない。

「さあ奥さん。まだ一人残ってますよ。息んで」

「んっ…んーーー!!!」

渾身の力を込める。一人目の時と同じ感触を感じた。

「頭が見えましたよ。もう少しですよ」

「はぁ、はぁ…」

力が抜けそうだ。目の前がボヤけて視界が滲む。

「遥…はるかいる?」

見え難いという状況が、不安を呼んだ。疲れも相まって夫を呼ぶ声は舌足らずだ。でも、彼は応えてくれた。

「貴音、僕は此処にいるよ。大丈夫だよ」

「はるか…んああ!」

「大丈夫ですよ。無事産まれます!もう少しです」

激痛が続く中で出来るだけ、息を整える。

「その調子です。もう一度息んで」

「はぁ…はぁ…んーーーー!!!!」

力一杯息むと、頭がズルリと出てきた。その感触が、貴音が感じた最後だった。

 

 * * *

 

貴音の意識が浮上して最初に感じたのは痛みではなく人肌だった。手を、誰かに握られている。瞼を開けると、目の前には清潔そうな真っ白い天井。

「貴音!」

唐突に聞き覚えのある声に名を呼ばれた。

「…はるか…」

声の主に視線を向け名を呼ぶと、彼はホッとしたように微笑んだ。

「良かった、貴音…」

優しく頭を撫でてくれる。

「貴音、頑張ってくれてありがとう。お姉ちゃんと弟の双子だったよ」

我が子の話を聞き、貴音も微笑んだ。手を差し出す。

「…だかせて」

お願いすると、まず娘を抱かせてくれた。

「可愛い。遥似だね」

「えぇ?貴音似だと思うけど」

「フフッ」

まだ赤ん坊なのだ。どちらに似たかは成長すれば分かるだろう。遥は娘を受け取ると今度は息子を抱かせてくれた。

「遥も赤ん坊の頃は、こんなだったんだね」

「うん、貴音もね」

「フフッ。ねぇ、名前は?」

「うん。女の子を『絵音』、男の子を『木之葉』なんてどうかな?」

遥はスケッチブックを開き、我が子の名前の漢字を見せた。

「結構辛い経験だったけど、辛いだけじゃなかった。友達がたくさん出来たし、僕達がこうなれたのもあの夏のお陰。エネは間違いなく貴音の一部で、コノハは間違いなく僕の一部だった。僕等の夏を忘れないように、ね」

貴音は夫の言葉を聞き、目を瞑った。あの夏を思い出す。

電脳世界、メカクシ団、『目』の能力、蛇やメデューサ。

目を開ける。傍にいるのは自分の夫となった遥と、彼との間に生まれた二人の我が子。子供達を見ていると、エネとコノハが戻ってきたような気がした。貴音の瞳から涙が一滴零れ、頬を伝った。

「絵音…木之葉…これから宜しくね」

遥が、我が子を抱いた貴音を優しく抱き締めた。彼の目にも、涙が光っていた。

説明
双子を授かった九ノ瀬遥・貴音夫妻の話。
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カゲロウプロジェクト 九ノ瀬遥 榎本貴音 遥貴 

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