凪の海 - 1
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凪の海 〜二〇一三年十月十二日に誕生した 愛らしい初孫を喜び、この編を贈る〜

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 50年の時を隔てた二組の男女の話である。話しは、それぞれのカップルの男女がまだ出会う前から始めなければならない

 まず一組目のカップルだ。彼らは1950年6月、場所は違えども、夜空に浮かぶ同じ月を眺めていた。

 男は泰滋。同志社大学の商学部2年生。彼が月を見上げている場所は京都・賀茂川の河原。そして女はミチエ。千葉女子高2年生。彼女が見上げている場所は、自宅の勝手口にある水場である。

 このふたりは、1945年の終戦を中学生と小学生の時代に迎えたのだが、住む場所の違いか、戦争の経験がまるで違う。

 終戦当時中学生だった泰滋は、京都に住んでいたおかげで空襲から命からがら逃げ回るという経験が無い。敵国の優秀な情報収集能力が幸いし、歴史的文化遺産の密集する貴重な古都は戦火から守られた。戦中は学徒動員で学業を休止して、郊外にある飛行機工場に赴き、資源としてなくなった鉄の替わりに木片で作られた部品を組み立てる作業に従事した。時には、戦場に駆り出された男達の替わりに、鉄道で機関車を動かしたりすることもあり、中学生でありながら器用にお国の役に立っていた。

 北大路橋西詰めの借家に、両親と住む泰滋は、憂鬱な時は、必ず賀茂川の河原にたたずむ。ひとりっ子である彼は、自身のプライベートを守れる2階の部屋を持っていたのだが、部屋の中にいるよりは、川幅の広い賀茂川のゆるやかな流音に耳を傾けていた方が、気持ちが落ち着く。

 広い水面を滑るように流れる賀茂川ではあるが、実は様々な音が重奏のように重なっている。一見水面は平面のようだが、川底は多様なあり様で水の流れに部分的な変化を引き起こす。泰滋はこの変化によって生じる水流の音の違いを聞き分けていた。いわば賀茂川の河原は室内楽を聞くコンサートホールのような存在であり、ここで水流が奏でる音楽に耳を傾けていると、心が落ち着くのだ。

 今日、彼の心を乱しているのは、彼が属する同志社大学新聞部の部員のひとりが、実は警察の公安部とつながっていたスパイであることが発覚したことに起因する。その部員が、不自然に中途退学した直後、その知らせが伝わってきた。今まで、盃を片手に肩を組んで、社会や政治について語り合っていた仲間がスパイだったとは。そのことがショックで彼は自分の気持ちを整理したかったのだ。

 泰滋は多感な中学生時代、戦時下のファシズムを経験している。しかしまだ柔軟な年代であったせいか、価値観の崩壊による自己破綻もなく、戦後の大変革に比較的スムーズに順応できた。一転自由と民主主義に塗り替えられた社会でも、今度は赤狩りという統制が見え隠れする。ただでさえ自由な風潮の学園である同志社の中で、しかも先端的な主張を展開する新聞部員の彼にしてみれば、管理や統制を連想させる体制に、理由の無い嫌悪感を持つのはいたしかたないのかもしれない。この感情は、生涯彼の心に住みついて、交通機動隊であろうと警察官に呼び止められるたびに、理由もなく身体が硬直する習慣は、死ぬまで抜けなかった。

「泰滋ちゃん。もう家に戻りよし。冷えてきたさかいに…。」

 泰滋を心配して様子を見に来た母 時子が、川岸の暗闇の中からようやくひとり息子の背中を見出して声をかける。時子は山梨から京都に嫁いだ。京都の排他的な習慣やしきたりに苦労しながら、ようやく身につけた京都弁で語りかけるが、ネイティブな京都人が聞くと微妙にイントネーションが違うことに気づく。

 時子にとって泰滋は、夫の泰蔵と長年待ち続けてようやく授かったひとつぶ種。当然ひとりっことしてそれなりに甘やかしてはいたのだが、身体が弱く時折寝込む時子に代わり、家事の手伝いなどするなど、誰の教育と言うわけでもなく、家族に気遣いのある優しい息子に育っていた。

「ああ、おかあはんか。驚くよってに急に声を掛けんといて。」

「そやかて…。」

「もうええわ。帰ろか。」

 脅かされる言論の自由を深く憂慮するのもいいが、今日はこれくらいにしておこう。暗闇の中で心細そうにたたずむ母を見ては、泰滋も気持ちを切り替えざるを得なかった。身体の弱い母の肩に自分の上着を掛けて、彼は母と連れだって家に戻った。

 

 一方、千葉のミチエは『言論の自由』など憂慮している暇が無い。庭先の勝手口にある水道でお米を研ぎながら、月を見上げて考えることはひとつ。なんで自分はこんなに忙しいのかしらである。

 学業、部活、家事、バタバタとしながら諸事をこなしていくのが精いっぱいの毎日だ。ミチエは4人兄弟。ミチエの上には、年の離れた長女。そして長兄。下には末妹。幼い子ども達を残して父親が他界した後、母親は女手ひとつで父親が残した家業の雑貨用品卸業を切り回して、4人の子供を育て上げた。長男は別格として、3人姉妹の次女に生まれたミチエは、その微妙はポジションもあってか、思い起こせば走りまわっている記憶しかない。

 戦時中は、東京大空襲に向うB29の機群が気まぐれに落としていく爆弾に、家族と手を取り合って逃げ回った。逃げ先を一歩間違っていれば、家族全員が爆死していたかもしれない。

 終戦を迎えれば、おすましやの姉は、勤務先の千葉大学医学部附属病院の研修医に見染められもう嫁に行ってしまった。頑固な妹は女医になると言って猛勉強を始め出した。兄は長男の特権で家では何もしない。必然的に母の手伝いができるのは自分しかいないので、家では家事に走り回っている。

 そんな状況なのに、学生時代バスケ部で活躍した兄貴は、抜群の運動神経を持つ妹を、半分人身売買のように、友達がコーチをしている女子高のバスケチームに送り込んでしまった。しかもそのチームはインターハイに出るようなチームだから、練習も並大抵ではない。来る日も来る日も体育館を走り回っている。

「みっちゃん、まだ?早くしてよ。おなかすいちゃったわよ。」

 妹が庭先に催促に来た。

「我慢できないなら、あなたも少し手伝ったら。」

「あたし勉強が忙しくてそれどころじゃないの。」

 そう言い残して家の中に戻る妹。

「ほんとに、ご飯のことばかり…この家では私のこと心配してくれる人がいるのかしら。」

 知らずと愚痴が出るミチエだが、その手は休めることはなく働かせている。一見継母と異母兄妹にこき使われるシンデレラみたいと思われるかもしれないが、空襲時に手を取って生死を賭けて逃げ回った家族は、他人には解らない絆で結ばれている。ミチエも口では愚痴を言うものの、心から家族を愛していたし、家族から愛されている事も自覚していた。

 ようやくお米も研ぎ終わり、釜をかまどに据えると、今度はおかずの準備をしている母の手伝いだ。やがてご飯も炊け、おかずも食卓に並ぶと家族全員居間にやってきた。さて、炊けたご飯をお櫃に開けようと釜のふたを取った時だ。

「きゃっ!」

 ミチエは驚きのあまり台所で小さな叫び声を上げた。白いご飯の上に大きなミミズを発見してビックリ仰天。ミミズはご飯とともに見事に炊きあがっている。薄暗い庭先の水場でお米をといでいる時に、知らないうちに紛れ込んだのか…。

「ミチエ、どうしたの。」

 居間で箸を配っている母の声がした。

「べ、べつに…。ちょっと釜の蓋が熱かったから…。」

「気をつけなさいよ。」

 母がご飯より自分を心配してくれるのは嬉しかったが、事実を告げて炊き直すわけにはいかない。そんなことしたら腹を空かせた兄姉妹たちに殺される。ミチエは恐る恐るミミズを指でつまむと窓から外に投げ捨てる。そのまま、ご飯をお櫃に移し替えた。

「あら、みっちゃん。食べないの?」

 ごはんにいっこうに箸を付けぬミチエを訝しがって妹が聞く。

「いつもは箸もいらないくらい下品に掻きこむ癖に…。」

 母が、ご飯をつつましい小口に運びながら言い添える。

 それでも答えられず黙っているミチエ。

「お前が食べないなら、もらうぞ。」

 兄がミチエのご飯を横取った。ミチエは今夜の食卓のことは、一生口にせず墓場まで持って行こうと決心した。

 空腹で寝付きの悪い夜を過ごしながらも、翌朝は誰よりも早く起きだして、朝ご飯の米を研ぐ。そして昼は学業と部活で走り回る。こんな毎日が、朝飯を食べながら昼飯を心配し、昼飯を食べながら晩飯を心配する彼女の性格を育んでいったようだ。

 

 さて泰滋とミチエが同じ月を見上げていた時から52年後。二組目のカップルが見ていたのは、2002年5月 フランス・パリのベルシー体育館で行われているK―1グランプリ バンナ対ハント戦である。

 21歳の汀怜奈は、ギターケースを抱きながらリングから遠い安い席で大声を張り上げていた。人相の悪いフランスの大男どもに囲まれて、うら若き東洋の淑女がひとり。あまりにも浮いている情景ではあったが、それでも汀怜奈は周囲に構わず、目の前のリングで繰り広げられている壮絶な闘いに集中していた。

 2001年日本・福岡大会でのGPファイナル。彗星のごとく現れたサモアの怪人 マーク・ハント(サモア系ニュージーランド人)に、KU1の番長 ジェロム・レ・バンナ(フランス人)がまさかのKO負けを喫した。そのハントを翌年地元パリに向かえ挑んだ世紀のリベンジマッチである。

 実はハントはプロになって一度もダウンしたことが無い。そんなタフな心身に極めつけのハードパンチがある。そんなハントに対抗してバンナがとった対抗策は、ハードパンチャーで名を馳せたバンナからは想像がつかない、キック修行だった。

 誰もが予想したように、リングでは第1ラウンドから壮絶な打ち合いが展開される中、1年かけたその成果は2ラウンド残りわずか9秒のところで発揮される。後ろに下がったハントの首筋にバンナの左ハイキックが見事に命中したのだ。ハントはロープに倒れ込み、その反動でマットに崩れ落ちる。ハントはなんとか立ち上がるが、テンカウントをコールされている最中に第2ラウンド終了のゴングを聞いた。

 パリのベルシー体育館の席を隙間もなく埋め尽くす観客が騒然となる。判官びいきの日本人らしく、汀怜奈も一度敗北を喫して分の悪いバンナに金切り声をあげて声援を送った。

 そして第3ラウンド開始直前、ハントのセコンドがタオルを投入。右目の奥の骨を骨折している疑いがあったため、驚異的なタフネスを誇るハントが闘う意思を見せても、セコンドがタオルを投げたのは当然といえる。去年と違うバンナが、このリベンジ戦での勝利をもぎ取ったのだ。

 観衆の興奮と喜びはピークに達した。汀怜奈などは感動のあまり目に涙が浮かんでいて声も出ない。汀怜奈の隣にいたフランス野郎が、興奮のあまり彼女を肩に担ぐと場内を練り歩き始めた。汀怜奈もギターを後生大事に抱えながらも、フランス野郎の肩の上で大観衆とともに涙声でバンナの勝利を祝福する。

 リベンジに成功したバンナは、コーナーポストに登って大喜び。観衆の声にかき消されて、コーナーポストで叫びあげる声が聞こえない。しかし、汀怜奈の耳に聞こえるはずもないバンナの声がはっきりと聞こえるような気がした。

『俺だ。今日、勝ったのは俺なんだ。』

 

 汀怜奈が滞在中お世話になっているフランス人のペンション(pension/貸し部屋)に戻った時も、そんなバンナの声が耳の底に残っていた。

「汀怜奈、あんた何処行ってたの?」

 汀怜奈が帰宅した音を聞きつけて、彼女のクラスメイトがノックもせずに部屋に飛び込んできた。彼女は汀怜奈と同じくパリのエコール・ノルマルに留学している日本人のクラスメイトである。

「少しばかり所用がございまして…。」

「所用って何よ?レッスンが終わるまでロビーで汀怜奈を待ってたのに…。ちょっと冷たいんじゃない。」

 かといって、誘ったところでクラスメイトがベルシー体育館のK―1グランプリの観戦に付き合ってもらえるなどと到底思えないのだが…。

「…ごめんあそばせ。」

「ところで、あなたに手紙が届いてるわよ。」

「はい?」

「誰からだと思う?」

 クラスメイトは手紙を後ろ手に持っているようだが、もったいぶって汀怜奈に渡さない。

「手紙は本来の宛先の主に、さっさと渡していただいた方が身のためだと思いますわ。」

 先程から脳裏に焼きついて離れないバンナのハイキックを、そのままお前に見舞わすぞと身構えた汀怜奈に、さすがのクラスメイトもいくらかの恐怖を憶えたようだ。

「わかったわよ。」

 出された手紙を引っ手繰るように受け取った汀怜奈は、早速差出人を確認した。

「ねえ、それって確か、ホアキン・ロドリーゴさんのお嬢さんよね。」

 クラスメイトの問いかけにも、返事することなく汀怜奈は手紙に書かれている名前を見つめ上喜していた。

 ホアキン・ロドリーゴ・ビドレ(Joaquin Rodrigo Vidre)は、スペインを代表する偉大な作曲家である。3歳の頃に悪性ジフテリアにかかり失明したにもかかわらず、芸術家として大成した。数々の作品を通じてクラシック・ギターの普及に功があったとされ、とりわけ《アランフエス協奏曲》はスペイン近代音楽ならびにギター協奏曲の嚆矢とみなされている。面白いことに本人はピアニストであり、ギターは演奏しなかった。差出人は確かにそのロドリーゴ氏の娘さんからだった。

 汀怜奈は、だいぶ前にロドリーゴ氏に手紙を出した。ギター演奏の研鑽のために、パリのエコール・ノルマルに留学しアルベルト・ポンセ氏に師事してはや3年。厳しいレッスンを経て、間もなく卒業するのだが、卒業して帰国する前に尊敬してやまないロドリーゴ氏に一度は会ってみたい。そして彼に自分の演奏を聞いてもらいたい。汀怜奈はそんな想いを手紙に綴り、日本でリリースした自分のCDを同封して、スペインに住むロドリーゴ氏に送っていたのだ。

 汀怜奈は震える手で封を開けた。

「ねえ、汀怜奈はスペイン語もわかるの?」

「いえ…でも手紙は丁寧なフランス語で書いてあります。」

「ねえ、なんて書いてあるの?」

 手紙には、父ホアキンが、セニョリータ・ムラセを自宅で待っていると書いてある。汀怜奈は、本日2度目の感動に、目元を潤ませた。

 

 汀怜奈のペンションから9730km離れた場所で、ひとりの高校生が汀怜奈と同じく目元を潤ませていた。彼の名は佑樹。17歳の高校球児である。汀怜奈同様バンナ対ハント戦を観ての感動の涙なのだが、理由がいささか汀怜奈と異なる。佑樹はアウェイにも拘わらず、果敢に闘うハントの姿に感動したのだ。

 高校野球部に属する佑樹は部活に忙しくて、パリのK―1GPをライブ中継で見ることができなかった。練習をさぼるわけにはいかないし、かといってビデオで撮っておいてくれるような気のきいた家族など居ない。仕方なく授業をさぼって、東京渋谷区にある母校、駒場学園高校図書室のインターネットコーナーに潜り込み、配信された動画で観戦した。

 ハントのファンである佑樹は闘いの結果に落胆するが、右目の奥の骨を骨折してまで闘いに出ようとするハントはさすがだった。打たれても前に出るそのガッツ。自分より大きいバンナを相手に、一歩も引かない。小柄な佑樹は、自分より大きい敵に立ち向かうハントに、一層の共感を深めたのかもしれない。

 そう、小柄な佑樹は高校野球でも下働きが多かった。誰の遺伝子の影響か運動神経は抜群に良かったが、試合ではなかなか使ってもらえず苦労した。しかし、耐えて練習してアピールして、3年になってついに練習試合でも時々、第1試合にセカンドで7番打者として先発するまでになった。あと2か月もすれば夏の大会の予選が始まる。その時にひとケタの背番号を付けるまではあと一歩だ。ハントが見せたあの闘争心こそ、今の自分にもっとも必要なものだと感じた。

 思い起こせば、小学校2年の時に近所の少年野球団に入ってから、シニア・高校野球と10年間にわたり野球一筋。わき目も振らずここまで来た。その10年間の総決算が2カ月後にやってくる。

「へっ?…なんだこれは。」

 バンナ対ハント戦の動画を何度も繰り返して見ているうちに、観客席に気になる映像を見いだした。佑樹は、切れ長の目をこすりながら、あらためてパソコンのモニターを覗き込む。小さくはあったが、そこにはフランスの観衆に肩車されてバンナの勝利を喜ぶ東洋の若い女性が映し出されていた。腕にギターケースを抱え、興奮して何やら叫んでいる。もちろん何を言っているのか聞こえようもないが、格闘技の会場にはおよそ不釣り合いなキャラクターだ。

「やっぱ、パリって訳分からない人種が多いんだな…。」

 もちろんパリになど行ったことのない佑樹だから、勝手な解釈をするのも当然と言えるしかし、よもや映像に映っているこの『訳分からない人種』が、その後の自分の人生に大きく関わってくるようになるとは、その時は知る由もなかった。

「おい、佑樹。部活に遅れるぞ。」

 授業を終えたチームメイトが教室から彼を呼びに来た。

 野球部のグランドは多摩川の河川敷にある。母校から渋谷駅へ戻り、東急線で新丸子までいかなければならない。佑樹は、練習着の入ったバッグを肩にかけ、チームメイトとともに駆け出して校門を出た。

 

 ミチエの千葉女子高は、本来であれば稲毛にあるのだが、戦火の影響で校舎の改築が必要になり、生徒たちは校舎工事が終わるまで、一時的に千葉高の校舎を間借りしていた。千葉高とは県立で国立千葉大学に直結する地元の秀才たちが集まる進学校。当時は共学というのはほとんどない時代で、当然千葉高の生徒はみな男子である。今考えても、なんで千葉県教育委員会は、そんな飢えたオオカミの群れの中に、うら若き処女達を送りこんだのかと首をひねらざるを得ない。諸事情から、どうせオオカミの群れの中に彼女たちを送り込まなければならないなら、進学校である千葉高のオオカミが一番理性的で安全だと考えられたのだろうか。若き血潮の欲望を抑制するのに、IQなどなんの役にも立たないのに。

 普段は殺伐としている千葉高の校内を、凛とした淑女たちが闊歩する。女性はそばに男性がいるからこそ女性らしく美しく映えるものである。千葉高の男子生徒たちは、乗り込んできたすべての女子高生がとてつもなく可愛く見えたに違いない。

 その中でも、ミチエは群を抜いていると、千葉高の生徒達の目には映ったようだ。小柄ながらバスケットで鍛えられたひきしまった体型とアジア美女の基本とされる凛とした切れ長の目元。ショートカットにした髪先が、白いうなじに遊び、見ている男子生徒を一向に飽きさせることが無かった。

 ミチエに見惚れる千葉高生のほとんどは、当然手紙でも渡して話しができるきっかけを作りたいと願うものの、当時では女子高校生にラブレターを出すなど、不良行為以外のなにものでもなかった。近づきたくとも近づけない花に身を焦がす。自分のIDを気軽に交換してLINEをやり取りする、今の高校生には考えられない時代だ。

 それでも中には恋文を渡す暴挙に出る猛者が、ひとりやふたりはいるものだ。手紙を握りしめ蛮勇を振り絞ってミチエの前に立ちはだかっても、しかし、ミチエはそれを決して受け取らなかった。千葉高生には申し訳ないとは思うが、日々を忙しく過ごす今のミチエにとっては、男子など何の関心の対象になりえないし、だいたい読む暇すら無い。

 後日談であるが、ミチエの前に立ちはだかった生徒の中には成人した後にイケメン男優となって銀幕の大スターになった人物も居た。彼がスクリーンやテレビに頻繁に顔を出すようになると、ミチエはもったいないことをしたと、一緒に観ている夫を笑わせたこともある。

「みっちゃん、ちょっと待って。」

 バスケットの練習の為に体育館へ急ぐミチエを、クラスメイトが呼びとめた。

「なに?アオキャン。」

 アオキャンとはこのクラスメイトの愛称である。

「みっちゃんに頼みたいことがあるのよ。」

「なに?今部活で急いでるんだけど…。」

「すぐすむわ。」

 アオキャンは、胸元に抱いていた雑誌をミチエに差し出した。それは大衆娯楽雑誌『平凡』である。

「それがどうかした?」

「みっちゃんさ、『文通運動』って知ってる?」

 『文通運動』本来それは、楽天的な女子高生が口にするようなものではない。エリートと大衆のあいだに大きな断絶の存在した1950年代、『思想の科学研究会』という任意団体が、小集団活動を重視し大衆の中に入り込む大衆文化研究がおこなわれていた。その研究会のメンバーのほとんどは、京都大学人文科学研究所のメンバーあった。

 同研究会は、この断絶を解消するためには『大衆の実感そのものの中に入りこんで行くことに、新しい知識人のあり方を求めるべきた。』と提唱した。「かれらのイメージした大衆」は「マスとしての大衆ではなく、小集団としての大衆」である。そしてその具体的な方針として「大衆ひとりひとりの思想を掘り起こして行く地道な作業」が必要とされた。 

 書いている著者にもさっぱりわからぬ議論に影響を受け、当時京都大学経済学部にいた西村が『文通運動』を起動した。『平凡』誌上の文通欄「お便り交換室」に「西村一雄」名(本名は和義)で投稿。『文通運動』を呼び掛けると、1年間で1150通もの手紙を全国各地はおろか沖縄・ブラジルからも受け取ることになった。このすべての手紙に対してひとりで返事を書くことは不可能であるため、西村は京大や同志社等の学生150人を集め、返事を書く文通運動を展開したのだった。

「手紙を書くとさ、もれなく京都の大学生が返事くれるらしいの。」

「へぇー…それで?」

「この運動に参加しようと先生に相談したら、何人かのグループで文通するならいいって言うのよ。」

「だから?」

「オダチンも、アッチャンも、一応話しに乗ってくれたんだけど…。」

「良かったじゃない。」

「でもみんなが言うには、みっちゃんが参加してくれないとヤダって…。」

「どうして?」

「あなたさ、身体の大きなお兄ちゃん居たわよね。」

「兄貴が何の関係があるの?」

「文通が嫌で辞める時に、もしモメたら頼りになるからじゃない。」

「ちょっと、勘弁してよ!」

「ねっ、お願い。」

「無理よ。手紙書くなんて苦手だし、だいたい手紙書くなんて時間ないし…。」

「ねっ、このとおりだから。」

 アオキャンは額の前で手を合わせる。

「いくら親友のアオキャンのお願いでも、こればっかりは、ダメ!」

「そう…ならバラすわよ。」

「何を?」

「ミミズ事件、あなたの家族にバラすからね。いいの?」

 しまった。墓場まで持っていくはずの秘密を、この親友にだけは喋ってしまったのだ。絶句するミチエ。

「ねえ、いいでしょ。それにエリート大学生と知り合う絶好のチャンスだと思わない?」

 アオキャンはまったく『文通運動』をはき違えている。

 

 今日は週に一度の編集会議。同志社大学新聞部の面々は部室に集結していた。しかし時間になっても会議は始まらない。いつものことだが編集長(部長)が遅刻しているのだ。みんなが手持無沙汰にしている中、泰滋は自慢のカメラ磨きに余念が無い。大学生には不釣り合いなカメラだが、さすがひとりっ子の強みであろうか、父が彼に買い与えてくれたものだ。羨ましがった友人たちが、一度持たせてくれと哀願しても、彼は決してこのカメラを触らせない。いつかこのカメラで、社会を動かすような報道写真を取るのが彼の夢なのだ。

 しばらくして、丸メガネの編集長が部室に駆け込んできた。

「すまん、すまん…。」

 彼は韓国生まれ、終戦で家族とともに兵庫県に引き揚げてきて、同志社へ入学して来た。部員たちが一斉に部長をなじる。

「いつも遅刻はいけませんな、編集長。」

「ああ、ホンマにすまん。けど今日は、公務で遅れたから許せ。」

「どないしたんです。」

「今度のコラムのな、原稿作成の件で人文科学の研究室へ寄ったら、これを頼まれた。」

「なんです?手紙ですか?」

「ああ、京大の西村から割り当てられた手紙らしいんやが、研究室もここんところ忙しくて手がつかず、長い間放って置いたんやて。」

「それって、『文通運動』やないですか?」

「そや。ここに4通あるんやが、誰か返事を書こうと思う奴はおるか?」

 部員たちは顔を見合わせた。

「ちょっと待ってください。あの現実も知らない頭でっかちの京大のボンボンの運動に、協力せい言うんですか?」

「悪いか?」

「編集長、新聞部員は真実を伝えるのが本分で、社会運動に参加することじゃないですよ。よう出来んわ。」

「そんなかたいこと言うな。同期の研究員に頼まれた以上、引き受けないわけにはいかないやろが…。さあもう一度聞くで、返事を書こうと言う奴はおれへんのんか?」

 編集長の言葉にも、手を上げる部員等ひとりもいない。

「そうか…残念やな。ほなら別の学友に頼むとするか…。折角女子高生が送ってくれた手紙なんだが…。」

 今度の編集長の言葉に、部員たちの目の色が豹変する。

「編集長。やらせてもらいます。」

 部員たちは争うように編集長が手にしている手紙に群がった。

「ちょっと待ちいな、お前ら『文通運動』の意味はわかってるよな。」

 生唾を飲み込みながらうなずく部員達。

「ホンマかいな…。みんな手あげても手紙は4通しかあらへんで。ほな、じゃいけんせい。」

 テーブルの上に拳を出しあう部員達。

「石津、なんじゃ、お前はじゃいけんせいへんのか?」

 泰滋は、席に座ったまま動こうとしない。騒然とする部員達を尻目に、クールにカメラを磨いていたのだ。

「民主という字も書けないような子どもに、なにを書け言うんですか。遠慮しておきますわ。」

 泰滋は磨いているカメラから目も上げずにそう答えた。

 

「ただいま。」

 編集会議を終えた泰滋が、京造りの狭い引き戸を開けて帰ってきた。狭い入口の割には奥が深く広いのが京都の家屋の特徴だ。

「おかえりやす。もうすぐな、ご飯できるさかいに、まっててな。」

 母がいつもながらのゆっくりとした喋り様で泰滋を迎えた。

「おかあはん、急がんとええで。僕も手伝うから…。」

 泰滋はそう答えてふと玄関先を見ると、黒光りする革靴があることに気づいた。

「なんや、おとうはん 帰ってはんのんか?」

 母が肩をすぼめてウインクをした。母ながら時々その時代にそぐわない(さしずめAKB48的とも言うべきか…)とてつもなく可愛らしい仕草をするので、泰滋も戸惑う時がある。

「泰滋、帰ったんか?ここ来て一緒に呑まんか?」

 父 泰蔵は早々と会社から退けて、借家の奥にある小さな庭の縁側で晩酌を始めている。キセルを咥えた父の前の盆には、いつもながらの徳利、おちょこ、そして冷奴がある。父は京都の清水で作った豆腐が大好物で、その白さに誇りさえ感じているようだった。

「おとうはん、えらい早いな。」

 泰滋は、父の傍らに座りながら声をかけた。父が底にわずかに残った日本酒を庭に払って、お猪口を泰滋に差し出す。

「このあと大学の書きものがあるんで、今は遠慮しておきます。」

「なんや、愛想ないやっちゃなぁ。」

 父はそう愚痴りながら、自分で自分の為に日本酒を注いだ。

 泰滋はこの借家で生まれた。もともとは、傍にある富田病院の職員宿舎であったのだが、職員でもない父がどういう交渉をしたのか知らないが、長年住んでいる。しかもほんのわずかな賃貸料だ。父は、若い頃から行商で苦労しながら商業畑で生活し、今は安田火災の保険外交員として働いていた。金融界の一員としてふさわしい倹約家であり、マイホームを持つだけの充分な貯蓄はあったのだが、いずれ自分が死んだら時子は実家の山梨に帰るだろうと家を買うのを控えていた。時子が苦労の新妻時代に、こんな京都に一生暮らしたくはないと、泣いて訴えていた事が心から離れないのだろう。

「泰滋は、たしか3期生やな。」

「ええ。」

「早いもんやな、再来年の春は卒業か…。」

「ええ、当然そうなりますやろな。」

「来年はいそがしくなるやろから、そろそろ会社訪問用の洋服仕立てなあかんな。」

 損保の仕事をしている父は、息子にも金融関係、特に堅実な銀行の仕事をして欲しいと願っている。その仕事をやれと父親の強権で泰滋に命令するならまだしも、どうも息子から言いだすのを待っているようだ。そんな想いが父親の言葉の端々から如実に感じられる。

 泰滋は彼が通う同志社の「建学の精神」を思った。自由主義に則り、学生が主体的に考え、行動できるような配慮を持って、「良心を手腕に運用する人物を養成する」。そんな精神で設立された同志社の、しかも先進的な議論を繰り広げる新聞部で自由を満喫している泰滋にとっては、この父親の願いが息苦しくて仕方が無い。

 そもそも若い彼にとっては、自分が住む京都そのものの風土が息苦しくて仕方が無かった。例えば京都の町では家を訪問し、用事を済ませて帰ろうとすると「ぶぶ漬けでもどうどす?」と言うのは有名な話だ。この言葉の本当の意味は、『折角家に来てくれたのだから、来客に食事を出したいが、それだけのモノが無い。せめて茶漬けでも食べていってもらいたい。』という家主の心なのだが、面倒くさいのはそこからだ。

 たとえ訪問先の家主が泣いてすがって茶漬けを食べていってくれと哀願したとしても、客は決して受けてはいけない。実物の茶漬けが出されなくとも客はすべてを明察し、相手の言葉だけをありがたく受け、訪問先から辞することが美徳とされている。まさに京の茶漬けの言葉は、京都が古くから培ってきた「礼」と「好意」の現れなのだ。

 だがこの話しには当の京都人も気づかない重大な誤りがあると泰滋は考えていた。自己責任において自分が出来ることと出来ないことをはっきりと伝え、問われた方は、欲している事、欲していないことを相手にはっきり伝えてこそ、正しい「礼」と「好意」が成立するのではないだろうか。だから京都で一生を過ごしたら、そんな風土にどっぷり浸かって、自分の感性もゆがんでいってしまいそうで怖かった。

「泰滋ちゃん。ごはんできましたで。」

 台所から母が呼ぶ声がした。

「ほな、おとうさん。失礼します。」

 泰滋は父から受ける言いようのない息苦しさから逃げるように、母のいる台所へ急いだ。

 

 汀怜奈はギターケースを抱えて、ヨーロッパ大陸鉄道の寝台席に収まっていた。パリから離れること1060km、マドリードに住むホアキン・ロドリーゴ氏に会いに行くのだ。娘さんから手紙をもらってからこの日まで、レッスンスケジュールやロドリーゴ氏のご都合などの調整で3カ月かかってしまった。パリを午後6時半に出発し、翌朝の午前9時半にマドリードに到着。15時間の長旅だ。車中の快適なベッドでひと寝入りすれば、目を覚ました朝にはマドリードにいると解っているものの、いよいよロドリーゴ氏に会えると思うと、汀怜奈はその興奮と期待で眠れそうもない。

 汀怜奈は車窓に流れる家屋の光を眺めながら、短いながらもここまでの自分の軌跡を思い返してみた。

 田園調布に生まれた汀怜奈は、3歳からギターの演奏家である父より手ほどきを受けた。残念ながら、父は一番下の妹が生まれた時に、母親と離婚しアメリカへ行ってしまったのだが、そんな不幸にも影響されることなく、父の手で娘に植えつけられたギタリスタの種は、すくすくと成長を続ける。10歳には日本の代表的なギター演奏家である福田進一に師事。そして、11歳でジュニア・ギターコンテストにおいて最優秀賞受賞。13歳で学生ギター・コンクールにおいて、全部門通じての最優秀賞を受賞。そして14歳にはブローウェル国際ギター・コンクール(東京)及び東京国際ギター・コンクールで優勝を果たした。

 この早熟な天才ギタリスタ(guitarrista)はその後も留まるところを知らず、津田ホールにてデビューリサイタルし、ソリストとしてCDデビュー(15歳)。日本フィルハーモニー交響楽団と共演、協奏曲デビュー(16歳)。イタリア国立放送交響楽団の日本ツアーにソリストとして同行・出光音楽賞を最年少で受賞(17歳)。村松賞受賞後、イタリア国立放送交響楽団の定期演奏会に招かれ本拠地トリノにおいて共演(18歳)。このヨーロッパ・デビューとなるコンサートはヨーロッパ全土にテレビで放映された。

 ここまでくればもう一流の演奏家なのだが、19歳になると、パリのエコール・ノルマルに留学を決意し、アルベルト・ポンセに師事したのである。国際的な演奏活動の開始を目前にした彼女は、あらためて自分の音楽性を見直す必要性を感じたのだろう。

 ヨーロッパ鉄道の車中に居る汀怜奈は一睡も出来ぬままマドリード駅に到着すると、ロドリーゴ氏が住む家へタクシーを飛ばした。

 玄関で汀怜奈を迎えてくれたのは、美しい娘さんだった。もちろん汀怜奈の母より年上なのだが、知性と品を備えた瞳に、優しそうな笑みを浮かべて汀怜奈に歓迎のキスをしてくれた。

「実は、父は風邪を引いていて具合が悪いのですが、セニョリータ・ムラセが来るのを楽しみに待っていましたよ。どうぞ遠慮なくおはいり下さい。今はピアノの演奏中だから、少し待っててね。」

 流暢なフランス語で汀怜奈をピアノが置いてあるリビングに導いた。そして果たして、そのピアノに対坐して、汀怜奈が尊敬してやまないあの巨匠ホアキン・ロドリーゴ・ビドレ氏がいた。

 汀怜奈がお会いした時、ロドリーゴ氏は97歳のご高齢であった。残念なことに汀怜奈がお会いした数カ月後にお亡くなりになったのだから、汀怜奈は貴重なお時間を頂いたことになる。

 ロドリーゴ氏は汀怜奈がリビングに入ってきても、鍵盤上の指を止めることなくピアノ演奏を続けている。氏は毎日必ずピアノを弾く時間を取るのだと、お嬢さんが汀怜奈に囁いた。高齢であるから右手だけで簡単なメロディを弾くだけなのだが、こんなご高齢になってもピアノとの距離を大切にする氏のご精進の姿勢に、汀怜奈はあらためて尊敬のまなざしで氏を見守った。

 氏が最後に弾いた曲は、『ラ・ヴィオレテラ(スミレ売りの娘)』スペインなら誰でも知っている国民的な懐かしのポピュラーメロディであった。欧米にも人気のあった曲だから汀怜奈もその曲を耳にしたことがある。ロドリーゴ氏が『遠くから来てくれてありがとう。どうかおくつろぎください。』と汀怜奈の訪問を歓迎してくれている気持ちが込められているようで、彼女のハートも熱くなった。

 ロドリーゴ氏がピアノの椅子に腰かけたまま汀怜奈に向き直った。失明されている事はわかっていても、その大きなサングラス越しに自分のすべてが見透かされているのではないかと、汀怜奈は緊張する。会話は娘さんを通しておこなわれた。

「父はミス・ムラセの演奏を聞きたいと楽しみにしておりました。よろしければ1曲お願いできますか?」

「もちろんです。」

 汀怜奈はギターケースから愛器を取りだす。曲はあらかじめ決めていて、この日の為に練習を重ねてきていた。ロドリーゴ氏が作曲した『古風なティエント』である。曲名を告げると、氏は点字で表した楽譜を持ってこさせ、楽譜を指で触れながら汀怜奈の演奏を待った。

 実のところ、この時汀怜奈はどういう演奏をしたのかを憶えていない。チューニングを終え、指を弦に乗せた瞬間に記憶が飛び、そして気づいた時には最後の音をつま弾いていた。

「ドゥエンデ…」

 ロドリーゴ氏は、かすれる声でそう呟いた。

 『ドゥエンデ』とは、もともと、スペイン語のdueno de casaというフレーズが省略されたもので、直訳すれば『家の主』である。スペイン王立言語アカデミーの辞書によれば、『民家に住み、家中を荒らしたり大音響をとどろかせたりすると言われている想像上の精霊』とあり、日本で言えばさしずめ『座敷童』であろう。

 しかしこの言葉にはもうひとつ重要な意味がある。もっぱらスペイン南部アンダルシア地方で用いられる用法であるが、そこでは、『ドゥエンデ』といえば『神秘的でいわく言いがたい魅力』を指す。ここでいう魅力とは、芸能の魅力のことで、厳密に言えば、歌や踊りが人を惹きつける魔力を指している。

 ロドリーゴ氏が娘に何かつぶやいた。

「父はセニョリータ・ムラセの演奏がとても魅力的だと言っています。驚異的と言っていいほど正確で安定した演奏技術に加え、そこから奏でられる美しい音は、鳥肌が立つようだと…。」

 ロドリーゴ氏がまた娘に何かつぶやいた。娘は、ちょっと困った顔をしたが、父に促されて汀怜奈に父の言葉を伝えた。

「しかし、残念ながらテレナのギターラでは『ヴォイス』が聞こえてこないと言っています。」

「ヴォイス?」

「そのヴォイスは聞いている者に、魅力とか感動とかを越えた何かをもたらすのだそうです。」

 汀怜奈はギターを抱いたまま考え込んでしまった。ロドリーゴ氏は、見えない手で汀怜奈を探し、彼女の肩に手を添えるとかすれた声でスペイン語を話す。汀怜奈は何を言っているか解らず娘さんを見た。

「セニョリータ・ムラセのギターラを聞くと、死へ旅立つものですらその瞳に安らぎの笑みが浮かんでくる。そんな『ヴォイス』を持ったギタリスタになって欲しいと言っています。」

 演奏を聞いて、彼女ならそれを成し遂げてくれるに違いないと確信したからなのだろうが、このスペインの巨匠は、うら若き21歳の演奏家に、なんという重荷を背負わせるのだろうか。

 自分の人生の幕が下りるのはそんな先ではない。それを薄々感じていたこの偉大な作曲家は、自ら抱えていた音楽の命題をこの若き演奏家に託したのである。

 ロドリーゴ氏の体調を考え面会は15分間で終わった。短い面会ではあったが、汀怜奈にとっては、その後の彼女の一生を左右する重要な15分間となった。

 

 ロドリーゴ氏と汀怜奈の崇高なやり取りがあった頃、日本の佑樹はまったくその対極の状態、つまり『昼からずっとベットに横たわり、アホ面で股ぐらを掻きながら、天井を眺めている不抜け状態』にあった。

 高校野球の夏の予選では、佑樹は見事にレギュラーを勝ち取った。会場の江戸川区球場にやってきた佑樹は、まっさらな公式戦ユニフォームの背中に4番を付け武者震いが止まらなかった。第1回戦の相手は、長髪の部員も混じった名もなき都立高校の野球部。だれしもが私立の駒場学園高校が難なく2回戦に進むと予想したこの対戦に、佑樹たちは呆気なく破れた。

 あまりもの呆気なさに、選手たちは涙も出ない。監督は早々と切り替えて新チーム作りにグランドへ戻り、父母たちはかける言葉も失い帰宅を急ぐ。試合を終えて引退した3年生たちだけがポツンと球場に残された。

「おい、これからどうする?俺たち…。」

 誰と言うわけではなくチームメイトのひとりがつぶやいた。

「カラオケでも行くか…。」

 誰が言ったかわからぬ提案に従って、3年生たちがダラダラと歩き始めたのだった。自分の10年の総決算にしては、悲しすぎる打ち上げだと佑樹は思った。

 それ以来、佑樹の不抜け状態は続いている。欠席もせず真面目に部活をしたおかげで、2流大学ではあるが一般推薦枠を取ることができた。しかし、大学で何をやりたいか考えることができない。とりあえずもう野球をやる気にはなれないことだけは、はっきりしている。

 考えてみれば小学校2年生以来、野球中心の生活をしていたから、いまその野球が無くなってしまうと、何もない空洞化された自分の生活に気づく。そう、俺は野球以外何もやってこなかった。

「おい、佑樹。暇なんだろ。洗濯もの干すの手伝ってくれや。」

 下の階からの父の大声によって佑樹の思考が中断された。もちろん、思考といっても、ただぼうっとしていただけなのだが…。

 佑樹の父は、印税生活を夢見る小説家である。本人は恋愛小説家と自称しているが、その生業ではまったく食えなかった。ちゃんとした仕事に就けばいいのに、小説家に未練があるようで、覚悟の乏しいエロ小説を書いては小銭を稼いでいる。佑樹の母は、早くからそんな父を見限り、男をつくって家を出てしまった。父は仕方なく男手ひとつで、佑樹と3っ年上の兄のふたりの息子を育てた。ちょっと聞けば子ども思いの偉いおとうさんともいえるのだが、実はそれができたのは、同居する祖父の貯蓄によるところが大きい。

「今、大事なこと考えてるんだ。邪魔しないでくれよ。」

「よく言うよ、なぁんにも考えていないくせに…いつまで『明日のジョー』のエンディング状態でいるつもりだ。」

「なに?そのなんとかジョーって?」

「えっ?知らねえの?やだね…。いいから手伝えよ。」

「だから、瞑想中だって言ってるだろ。」

「はぁ…。親の苦労を見ながらその態度…冷たい息子だよ、お前は。」

「家を出ていった兄貴の方がよっぽど冷たいじゃないか。」

 兄は大学生ながらアルバイトで稼ぎ、自立してアパートでひとり暮らししている。

「あいつは独立心が旺盛だからな。…いいんだぜ、お前も出ていっても。」

 残念ながら佑樹はそんなバイタリティは持ちあわせていない。

「うるせい。だいたい俺の最後の試合にも観に来なかった親の言うことなんか、聞く義理がどこにあるんだ。」

 佑樹はそう言うが、実は父は試合を観に行っていた。臆病な父は、球場で別れた元妻と顔を合わせるのが嫌でひとりでこっそり観ていた。そのあっけない敗戦に、父も茫然自失となり、記憶の無いまま江戸川区をさまよい歩き、気がついたら葛西臨海公園の人工浜で膝まで海に浸かっていたという逸話を持つ。我に帰るのがもう少し遅ければ、確実に海の底に沈んでいたにちがいない。

「わかったよ。そこまで言うなら、洗濯ものはいいから、じいちゃんに白湯でも飲ませてやってくれ。喉が渇いてるようだから。」

 じいちゃんを持ちだされたら、佑樹は抵抗が出来ない。彼はじいちゃんが大好きだった。

 じいちゃんも、娘(伯母)と息子(父)のふたりの子どもを男手ひとつで育てたのだが、父とはその理由が異なる。早くして妻に先立たれたのだ。その苦労の末に、今は大腸癌を患い在宅看護を受けている。

 佑樹は渋々ベッドから起き出して台所に降りると、ストローのついたコップにぬるいお茶を入れてじいちゃんが寝ている居間にいった。

「ヤスヒデか?」

 ヤスヒデというのは、佑樹の父の名だ。じいちゃんの癌はもう末期のステージに入っていて、抗がん薬でなんとか押さえているものの、もう鎮痛剤が必要なレベルまで進行していた。鎮痛剤を打っている時は、頭が上手く動かないらしく、佑樹と父を取り違えることが多かった。

「佑樹だよ、じいちゃん。」

「ああ、そうか。…ヤスエはどうした?」

「やだな、大阪に居るの知ってるでしょ。」

 佑樹の伯母、つまり父親の姉は、じいちゃんの強い希望もあり、小学校を卒業すると同志社女子中に入れるために京都の曾お祖母ちゃんのもとに住まわせた。伯母はそのまま同志社女子高、同志社大学と進み新島襄の理念に純粋培養され、卒業すると同時に地元で結婚して今は大阪に住んでいる。

「ほら、喉渇いただろ。」

 佑樹はじいちゃんのくちもとにストローを運んだ。じいちゃんは美味しそうに喉を鳴らしてコップのお茶を吸い上げる。喉が潤い、頭も幾分かはっきりして来たようだ。

「佑樹。」

「何?じいちゃん。」

「お前、バットを置いて空になった手に、今度は何を握ったらいいかわからず悩んでるんじゃないか?」

「えっ?そっ、そんなことないけど…。」

 じいちゃんは居間に寝たきりで、なんでそんなことがわかるのだろうか。

「そんな時は、将来などと大業に物事を考えずに、まず手近な趣味からはじめたらどうだ。」

「趣味ねぇ…。」

「ギターなんかどうだ?」

「何を突然?」

「あのうっとうしいピックガードなどついていない、ガットギターだよ。」

「え、エレキじゃ駄目なの?カッコいいけどな…。」

「人に聞かせる楽器もいいんだが…。どうだ、自分自身で自分に音楽を聞かせるギターってのも、いいと思わないか。」

 佑樹はしばしじいちゃんの言葉を頭の中で咀嚼していたようだが、すぐに諦めた。

「意味わかんねえよ。じいちゃん。」

「お前にわかるように説明したいんだが、どうも体が億劫で…。」

「いいよ、無理しないで…でも、じいちゃんが、ギターなんて言うの意外だな。初めて聞くぜ。」

「夢を見てな…昔を想い出した。」

「昔って…。ギターやってたの?」

 佑樹の問いかけにも、今度は応えることなくじいちゃんは目をつむった。

「じいちゃん、大丈夫。」

「ああ、喋りすぎて疲れたようだ。少し休ませて貰うよ。」

「わかった。」

 

 部屋に戻った佑樹は、またベットに寝転びながら天井を眺めた。再び不抜けの海に漂いながら、それでも、じいちゃんの言葉をもう一度頭の中で繰り返してみた。

『自分自身で自分に音楽を聞かせるギターってのも、いいと思わないか。。』

 やはり意味がわからない。しかし、どうせ時間もたっぷりあるし、やりたいこともないのだから、大好きなじいちゃんの言葉に従ってみてもいいのかもしれない。

 佑樹は起き上がると自分のパソコンを立ち上げる。そしてネットオークションのサイトに入った。

「けっこうするじゃん…。」

 アコースティックギター、エレキギターを調べたのだが、オークションとは言えそれなりの値段はする。佑樹の乏しい小遣いではかなりきつい買い物になってしまう。検索ワードを『ガットギター』に変えてみた。

「うひゃー、さらに高いじゃん…。」

 『ガットギター』でヒットしたページには、ほとんど名工による美術作品のようなギターが列挙され、古美術のオークションページを見ているような錯覚に陥る。こりゃあ無理だ、と諦めかけていた片隅に、3000円のギターを発見。早速商品の詳しい説明を見た。

『アンティーク 1968年製。フレット山8分程度。ネックに多少の順反りはあるものの、演奏には支障ありません。良く鳴るギターです。初心者にはぴったり。』

 ギターに素人な佑樹には、書いてある意味が半分以上わからなかった。サーチエンジンで、同型ギターの検索を試みようとしたが、いかんせん商品情報が乏し過ぎる。当時の市販額などまったくわからなかった。こんな乏しい商品情報では入札する人がいるわけがない。

 佑樹はあらためて商品の写真を眺めた。彼の目でいくら眺めても、ギターの良し悪しなどわかるわけがないのだが、眺めているうちに不思議な感覚を覚えた。見ているのは自分なのだが、反対にPCに映るギターに自分が見つめられているような気がする。

「薄気味悪いギターだなぁ…。いくらなんでもこんな古臭いジャンクなギターはご免だ。」

 画面を閉じようとマウスを操作した。

「うへっ?」

 佑樹は素っ頓狂な声を上げる。雑にマウスを扱ったせいか、ポインターの位置が「閉じる」ではなく「入札」のボタンの上に置いたまま2回クリックしてしまった。

「しでかしちまったよ…。落札してしまったらどうしよう。落札後の取り消しで、悪い評価がつくのも嫌だし…。」

 後悔先に立たず。佑樹はデスクに肘をついて頭を抱えた。しばらくして冷静になると、佑樹も腹を決めざるを得ないと諦めた。

「まあ、いいか。とりあえずギターとして使えるんだし、万が一落札しても小遣いの許容範囲だし…。」

 佑樹は、ギターのセクションを閉じた。

「さてと、ギターを弾くとなれば、やっぱサングラスは必需品でしょ。」

 彼は、今度は、オークション商品の検索キーワードを『サングラス』に変えて、手頃な商品を物色する。なぜ、ギターを弾くとなればサングラスが必需品なのだろうか。

 ギターを弾きはじめる最初の必需品として、弦でもピックでもカポでもなく、サングラスに思いがいくところなど、佑樹はやはりじいちゃんの言葉を正しく理解できていないことは、誰の目にも明らかだった。

 

 昼休み、千葉女子高では、仲良し4人組がそれぞれ手紙を手にして教室の一角に集結していた。

「それで、みんなに返事は来たの?」

 幹事役のアオキャンがまず口火を切る。4人はお互いの顔を伺いながら小さくうなずく。

「そう…待つこと苦節3カ月。長かったわね。」

「でもね、アオキャン。」

 オダチンが口をへの字にして訴える。

「書いてあることが難しくて…なんか、想像していた文通と違うみたい…。」

「えっ、オダチンもそうなの。私に返事くれた人も、冒頭の文章は『僕は戦後の社会崩壊から、再生を目指す日本経済の在り方について疑問を持っている。』てな感じなのよ。チンプンカンプンだわ。」

 アッチャンの言葉に、アオキャンを除く全員がうなずいた。

「文通って、自分はどんな人間で、どんなところに住んでいて、どんな毎日を暮らしているのか…みたいなところから始まるのが普通じゃない。」

「そうね…。」

 オダチンの言葉にミチエも同意せざるを得ない。ため息交じりに言葉を続けた。

「やっぱりエリート大学生は、私たちとレベルが違うのね…。」

「ちょっと待って。」

 アオキャンが机を叩いて立ち上がった。

「あんた達、もうみっちゃんのお兄さんに頼ろうかなどと考えてるんじゃないでしょうね。」

 3人がお互いの顔を見あって腹を探り合う。

「お返事を一度もらっただけで、もうやめちゃうなんて、そんな失礼なこと出来ないわ。それじゃ幹事である私の顔が丸潰れじゃない。」

 エライ剣幕のアオキャンに他の3人が首をすくめた。

「お願い。相手が辞めたいと言えば別だけど、せめて半年は我慢してよ。」

「えーっ半年も。」

 3人が同時に絶叫する。ミチエが慌てて言い添える。

「わたしは、先輩のインターハイが終わって、今度は秋の新人戦に向けて自分達の練習なの。大変なのよ。半年も日本の経済成長についてなんて書いてられないわよ。」

「返事を返す回数は問わないから…とにかく半年我慢して。お願いだから今辞めるって言わないで。」

 ミチエは腕組みをして考え込んでしまった。

「アオキャン、どうして半年なの?」

「そうよ、理由を聞かせて。」

 オダチンとアッチャンが詰め寄る。アオキャンは伏し目がちにつぶやくように答えた。

「来年の4月に修学旅行があるじゃない。」

 今は修学旅行と言えば、受験の準備を考えて2年の秋におこなうことが多いが、ミチエ達の時代は、3年になったばかりの春に修学旅行に行っていた。

「それが何の関係があるの?」

「修学旅行で行く先は知ってるでしょ。」

「ええ、毎年京都だけど…」

「その時、京都に知り合いがいた方が何かと便利じゃない。」

 そう答えながらも視線を合わそうとしないアオキャンの顔を、3人はじっと見つめた。感のいいオダキャンはピンときた。

「ははーん。あんたの文通相手、あたりだったんだ。」

「当たりって…なによ。」

「ちょっと、手紙見せなさい。」

 オダチンは、すばやくアオキャンの手紙を奪い取った。

「ちょっと、やめてったら…。」

 アオキャンが慌てて取り戻そうとするが、アッチャンとミチエが彼女を阻む。オダチンが開いた手紙から、一枚の写真がひらりと落ちた。アオキャンに来た手紙だけ、相手の写真が入っていたのだ。写真には同志社キャンパスの樹木に寄り掛って、育ちがよさそうな好青年が映っていた。

「あら、結構カッコいいわね…。たしかに半年後に会いたくなるような好青年ね。」

 オダチンの指摘にアオキャンの顔が真っ赤だ。

「えっ、つまりこの人に会う前に自分の印象を悪くしたくないから、私たちに我慢しろって言ってるわけ?」

 ついにアッチャンが核心を突いた。アオキャンは足の震えを止めることができない。

「ちがう、ちがう、ちがう…そんなことないって!」

「キャー、信じられない!」

 もう仲良し4人組は、ひとつの手紙を囲んでラグビーのモール状態。騒然となった。

「はい、そこの4人。もう昼休みは終わり。席にもどりなさい。」

 細い竹で黒板を叩く音ともに、彼女たちの担任教師がエキセントリックな声で4人に注意を促した。

 「さすがに『忍ババ』ね。教室に入ってきたの気づかなかったわ。」

 そう呟き、クスクスと笑いながら4人組はそれぞれの席に着いた。

 英語の授業は始まったものの、ミチエは教室の窓から外を眺め、どうしたものかと思案していた。やはり文通が負担でしょうがない。労力と言う面もあったが、実は手紙そのものの内容に魅力が無かったのだ。どんな難しい事を言ってきたとしても、それが本当に相手の心にあるものなら、襟を正して丁寧に読み返すマナーぐらいミチエは持っている。しかし、送られてきた手紙は、どこからか借りてきた知識と思想で埋まっていた。それがミチエにはなんとなく解るのであった。

「半年か…。」

 ミチエはため息をつきながらも、ミミズ事件を知られた以上、やはり我慢して続けるしかないと自分に言い聞かせた。

 

 泰滋は、持ちにくい分厚いカップに注がれたコーヒーを口に運ぶと、その苦さに顔をしかめた。こんなもの、毎日飲む奴の気が知れない。テーブルに座っていても、なんだか手持ち無沙汰になって、初めて入る店内の様子をキョロキョロと見まわした。

 中京区の堺町通三条にあるイノダコーヒ。コーヒーと最後の長音符を付けないが正式だとか。ここは、1947年8月にオープンした話題の店だ。まだ、コーヒーが贅沢品の時代であったが、新しモノ好きの同志社のボンボンたちは、値段も気にせず良くこの店に通っていた。

 上品ぶった喫茶店が立ち並ぶその時代には珍しく、何の気兼ねなく会話に時間を費やせるタイプの喫茶店だったから、使い勝手がよかったのだ。実際、客が会話に夢中になってコーヒーが冷め、砂糖とミルクがうまく混ざらなかった事がきっかけとなり、初めから砂糖とミルクを入れた状態でのコーヒーの提供が始められ、そのスタイルが現在に至っている。普段コーヒーなど飲まない泰滋だが、新聞部の仲間である進一郎に呼び出されて仕方なくやってきた。

「おう、シゲ。早いな。」

「早くないやろ。イチが遅れたんやないか。」

「そう、怒るなて。今日はおごるさかい。」

「こんなしょうもないものおごられても、しかたないわ。…で、話しってなんや。」

 進一郎は、給仕にコーヒーを頼むと、上着の内ポケットから手紙を取り出して泰滋の前に置いた。

「これなんやけどな…。」

 泰滋は、手紙を取って読み始めたが、それがなんであるかがわかると、すぐ手紙を閉じた。

「人に宛てた手紙を、他人が読んだら書いた人に失礼やろ。」

 手紙を進一郎に戻しながら、泰滋は言葉を続ける。

「ごれ、この前の文通運動やないか。」

「そうや。じゃいけんで勝ったから、ひとつ返事を受け持ったんやが…ちょっと困ったことになってな。」

 泰滋は話しの方向が見えて来ると、イノウエコーヒに来てしまったことを段々後悔し始めてきた。

「新聞部では誰も知らん話やが…わてには婚約者がいるのや。親が決めた相手やけど、家の事情でな。よう断れんし、大学卒業したら結婚や。」

 泰滋は不用意に発言するのも危険だと思い、黙って進一郎の話しを聞き続けた。

「それがな、なんで知ったんかわからんが、女子高生と文通しているって、婚約者が知ってな。エライ怒りようなんや。いくら『文通運動』だというても、理屈のわからんおなごの頭では理解でけへん。このままだとエライことになりよる。」

「文通やめればええやん。」

「そや、その通りや。けどな、そう簡単に辞めると言うわけには…。」

「俺にどないせい言うんや?まさか、代わって文通やれと言うんやないやろな。」

「そこまでは頼まへん。ただ、うちに代わって1通だけ手紙を書いて欲しい。」

「なんやて?」

「『進一郎が事故でけがをして、当分ペンが持てん。手紙を頂いて返事が書けぬ不義理を重ねるのも本意ではないので、あなたとの『文通運動』をここで終わりにしたい。と、進一郎がすまなそうにそう申しております。代筆泰滋。追伸、進一郎の容体は命に別条はないのでご心配にあらず。』てなかんじやな。」

「正直に書けばええのに。」

「相手は純真な女子高生やで。婚約者が怒ったなんていう理由で辞めるというたら、傷つくやろ。」

「ならば、なんか理由考えて、自分で書けばいいやないか。」

「どんな理由でも、五体満足で手紙が書けるのに辞める言うたら、それも傷つくやろ。」 

 泰滋は呆れたように進一郎を見つめた。

「それこそまさに、『ブルジュア的偽善』ていうやつや。」

「お前は、プロレタリアートか。」

 

 泰滋はその夜、自室のデスクで頭を抱えていた。目の前には便箋、傍らには進一郎の文通相手の手紙がある。なんだかんだ言っても、結局引き受けたのだ。進一郎がカメラのフィルムを3本付けると言いだしたので、その魅力に負けて断り切れなかった。

『結局俺はブルジュアの手先になり果てた…。』

 泰滋はデスクに座りながら自らの頭を平手で叩いた。

 嫌な仕事は早くすまそうと、その日の夜にデスクに座り、父から大学の入学祝いに貰った木製の万年筆を握ったのは良いが、書く参考にと進一郎から渡された手紙を、読んでしまったことが失敗だった。

 手紙はとても短い文章だった。内容もどうってことは無い。ただ、本当に自分が感じたことを一文字一文字丁寧に書いてある。この女子高生が書いてあることに嘘が無いことが、泰滋を悩ませた。いくら傷つけたくないとは言え、こんな素直な人に、嘘の手紙を書いていいものなのだろうか。余計に傷つける結果にならないだろうか。手紙さえ読まなければ、とっくに書きあがっていたはずの便箋を前にして、彼は依然と頭を抱え続けた。

 泰滋はもう一度手紙を読み返した。『想いを察する』ということが美しいとされる京都の風土。悲しいを悲しいと言わず、季語、比喩、婉曲を駆使してそれを表現し、受け取る側はそれを察する。それは平安京の時代から、和歌を、コミュニケーションの道具とした公家たちに育まれた感性だ。逆に言えばそれが解読できない人間は、京都では社交の場から排斥されてきた。そんな京都の風土に浸って育ってきた泰滋にとって、そんなことにこだわらないこの女子高生の素直な感性は新鮮に感じられた。

 京都では野暮ったいと評されることでも、外の社会に通用する自分を確立させるためには、彼女のように、自分の考えや感じている事をストレートに言える感性を持つことが必要なんじゃないだろうか。しかし、京都での生活では、そんな感性を育てるのは難しい…。気楽に自分の気持ちをストレートに発言できる場がなかなかないのだ。ならば、手紙を書くという機会を借りて、実験的にそんな場を設けるのもいいのかもしれない。

 泰滋はペンを取った。もう嘘を書くのはやめよう。好きなことを書けばいいだ。どうせ会う相手でもない。

『前略 宇津木ミチエ様 初めてお便りさせていただきます。今まで文通をされていた進一郎くんに代わりペンを持ちました。実は、進一郎君には許嫁がいて…。』

 泰滋の木製の万年筆は、氷上にあるスケート靴のように、滑らかに便箋の上を舞い始めた。

 

「上級生ここに来い!」

 空調もない体育館に、竹刀の音とともに監督の怒声が響き渡る。もう1時間以上もバスケットボールを追って走り続けていた上級生達は、汗にまみれ、息を上げながらも全力で監督のもとに集合した。

「そこへ並べ。」

 監督は選手たちを横一列並べると、端から選手の頬に一発づつビンタを食らわした。派手な音が体育館内に響き渡り、選手がコーチの腕力で弾け飛ぶ。

「お前らそんな気の抜けた練習で、インターハイへ行けると思ってるのか。ばかやろう。」

 何と乱暴な指導だろうか。選手の父母と高体連が見たら、この監督とそれを許している校長は、即刻クビだ。しかしこの時代、誰もそんな乱暴な指導を咎める者はいない。

 選手たちは、練習が始まって終わるまで水を飲むことが許されない。膝を痛めるウサギ飛びで体育館を何往復もさせられ、倒れても気合いが足りないと言って、監督から容赦なくボールがぶつけられる。練習に合理性も医学的エビデンスもない。盲目的に『根性』という勝利の法則が信じられ、やみくもに鍛えられた時代なのだ。

 それでも目に一杯涙を溜めて、選手たちは耐えた。年を経た今考えれば、熱中症にも疲労骨折にもならず、それこそ精神的圧迫によるうつ病にもならず、良く生きながらえたと不思議に思えるくらいだ。

 鬼監督からようやく解放され、足を引きずるようにして家に帰れば、ミチエには家事の手伝いが待っている。母とともに夕飯の準備をし、食卓に座る頃には、すでにミチエは体力を使い果たし、箸を咥えながら居眠りを始めてしまう始末だ。

「ちょっと、ミチエ。大丈夫?」

 母に肩を揺すられて、ミチエがハッと目を覚ます。

「なに?なに?」

「あなたねぇ、ご飯食べる時は食べないと身体が持たないわよ。」

 ミチエは、母の言葉にお米を口に運ぼうとするが、部活の体罰で課せられた腕立て伏せの影響で、箸が思うように動かせない。

「あなた、最近痩せてきたみたい、目つきも悪くなってるし…。練習がきつすぎるんじゃない?」

「このくらい当たり前だよ。これできついって言ってるようじゃ試合に勝てっこない。」

 心配する母に、ミチエに代わって食事から目も上げず長兄が答えた。その無責任な発言に腹を立てるミチエだが、残念ながら身体が動かず怒りを表現できない。

 食事もそこそこに終えて、嫌がる妹にむりやりあとかたずけを押し付け、自室に戻ると布団に倒れこんだ。横たわってみると、身体全体がジンジンしびれるような感じがする。

 気づかぬうちに寝入ってしまったようだ。妹に身体を揺すられて起こされた。

「みっちゃん。着替えもしないで寝ちゃったらからだに毒だよ。」

「うう…うん。わかったわよ。」

 目をこすりながら半身を起こすミチエ。その膝もとに妹が手紙を投げた。

「それにまたみっちゃん宛てに手紙が来てるわよ。」

「えっ、また?」

「そうよ。それに…。」

 妹がミチエの机の上から2通の手紙を取り、合わせてミチエの膝もとに投げる。

「なによ。前にもらった手紙、2通とも封も開けてないじゃない。」

 そう吐き捨てるように言うと、自分の机で勉強を始めた。

『そうなのよね…。これもまた厄介なのよね。』

 ミチエは手紙を手に持ちながらため息をついた。

 1カ月前くらいから、文通相手から送られている手紙を読む気力が湧かない。読めば返事を書かなければならないプレッシャーが高まる。それがまた、手紙の封を開けることを躊躇させていた。

『でもへんよね…。』

 ミチエは首を傾げる。1カ月前までは、どんなに間が開いても、ミチエが出した返事の後に次の手紙が来るパターンであった。しかし、返事も書かないのに1週間後に新たな1通が送られてきて、そしてその1週間後にもまた1通。だから封が開けられていない手紙が3通ミチエの手の中に溜まってしまった。

 返事も書かないのに手紙を頂くだけになってしまっては、本当に相手に申し訳ない。これでは、相手にあまりにも失礼なことだから、アオキャンにミミズ事件をばらされても、ちゃんと相手にお断りした方が良いのでは無いだろうか。ミチエは、3通の手紙を見ながら、どんなに身体がきつくても、最後の返事を書くべきだと決心した。

 あと1通書けばいいのだと思うと、多少気が楽になった。その為にもとにかく頂いた手紙は読んでおいた方が良い。ミチエは、最初に来た1通目の封を開けた。

 

『前略 宇津木ミチエ様 初めてお便りさせていただきます。今まで文通をされていた進一郎くんに代わりペンを持ちました。実は、進一郎君には許嫁がいて…。』

 

 ミチエは、冒頭の数行を読んで驚いた。身体がシンドイことも忘れて、慌てて起きだすと、机の引き出しから今までの手紙を取りだす。あらためて手紙の封筒にある宛名の文字を見直した。確かに筆跡が違う。ミチエは、本文を読み進めた。

 読んでいるうちに、思わず噴き出した。文通相手が変わった理由がケッサクだった。私との文通が、許嫁の家に知られたら大騒ぎになるなんて…。笑いながらも、正直に話してくれたことが嬉しかった。手紙はさらに続く。

 

『ここで文通を終えるのもいいのですが、今こうして僕がミチエさんに手紙を書く機会を利用して相談があります。もしミチエさんさえよろしければ、僕の訓練に付き合ってもらえませんでしょうか。』

 

 訓練?手紙が意外な方向に進んでいく。

 

『大学生にもなって恥ずかしい話しですが、自分は狭い盆地に生まれ育って、言いたいことがストレートに表現できない典型的な京都人です。しかし、広い世界へ飛び出すには、そんなことでは生きていけない。今自分には思っていることを素直に口にできるような訓練がぜひとも必要だと痛切に感じています。手始めとして、まず心に浮かんだことを正直に書き標そうと考えたのですが、ただ日記に書いても、自己満足に終わりそうで自分に対して覚悟になりません。ぜひ手紙という形でやってみたいのです。』

 

 えっ、前の人に替わって文通しようって言うの?これじゃ、同じ事じゃない。

 

『あらためてはっきりと申し上げます。これは『文通運動』ではありません。あくまでも僕の訓練なのです。だからお返事は期待しません。頂かなくても結構です。ぼくの書く文章の向こうに座っていていただければと願うのみです。もちろん、ミチエさんには拒否権があります。それがご負担なら、訳も愛想も要りません。ただ同封されている『ストップ』という札をご返送くださるだけで結構です。

 

 ミチエが封筒をはたくと、果たして『ストップ』と書かれた紙片が中から舞落ちてきた。

 

『それでは、今日はこれで筆を置きます。泰滋より。』

 

 味もそっけもない手紙だ。私の都合も考えず一方的に書いて送ってきた。そう思いながらもなぜかミチエの顔には笑みが浮かんでいた。次の手紙の封を切った。

 

『前略 ミチエ様。1週間待ってもストップが来なかったので、訓練を始めます。』

 

 しまった、知らない間に始まっちゃった。

 

『でも、拒否権はいつ発動しても有効ですから、負担だったら前に送った札を、いつでもいいから躊躇なく返送してください。』

 

 なるほど…。

 

『今講堂の窓から外を眺めると、京都の街は『しぐれ』ています。この『しぐれる』というのは、秋冬の訪れを感じさせ、京都らしい風情があると言われますが、実は僕は大嫌いです。なぜなら、雨粒も当たっていないのに、大切なカメラがしこたま濡れてしまうから…。』

 

 手紙の文章は、借り物もなく欺瞞もなく、正真正銘の青年の心にあるコトが綴られていた。もちろん兄貴以外異性と親しく語り合ったことのないミチエである。男性の感性に触れる機会などなかった。その故か、手紙にある文章ひとつひとつが興味深い。男の人もこんなこと考えるんだ。こんなことになぜこだわるのかしら。信じられない。ひとつひとつが驚きである。そんな興味に加えて、手紙はミチエに不思議な効果をもたらした。疲れた身体を忘れさせ、また動き出す元気を与えてくれる。これはまさに手紙がもたらす『癒し』の効果なのだが、まだまだ若く未成熟なミチエにはそんな言葉が浮かぶわけがない。

「みっちゃん、うるさいわよ。なにがおかしいの?」

 何度もクスッと吹き出す姉を不思議がって、妹が参考書から顔を上げて声を掛ける。

「ごめんなさい…。」

 ミチエはすまなそうに口元を手ふさいだ。そして、もう一度手紙を読み返した。何度読んでも同じところで吹き出してしまう。

「うるさいったら。」

 妹の文句を聞きながら、ミチエはそろそろ妹とは別な部屋が必要なのかもしれないと感じていた。

 

 ブリティッシュエアラインの機内放送が、間もなくヒースロー空港に着陸することを案内した。汀怜奈は改めて、隣の席にあるギターケースがしっかりとシートベルトに固定されているか確認した。パリのエコール・ノルマルの留学期間を終えた汀怜奈は、帰国の途中にロンドンに寄って、英国の名門クラシックレーベル DECCAと日本人としては初のインターナショナル長期専属契約を締結する下打合せをおこなうことになっている。

 DECCAとの契約が成立すれば、彼女の演奏はビジネスとして世界的にプロモートされ、演奏家としての地位も確立する。若干21歳でのこの快挙は、まさに前途洋々たる彼女のアーティストとしての未来を保証するものである。

 喜んで然るべきことであるが、実は汀怜奈は、ロドリーゴ氏の自宅を訪問した日以来、心に引っかかるものがあり少しブルーな気分に浸っている。ロドリーゴ氏が言っていた『ヴォイス』がまったく理解できないでいるのだ。面会の後、『ヴォイス』の正体を突きとめるべくエコール・ノルマルに戻り、多くの師に聞いて回ったが、どの答えも汀怜奈にピンと来るものが無かった。スペイン行きの前と後では演奏のクオリティが変わるわけない。それはエコール・ノルマルの師匠たちが保証してくれているのだが、汀怜奈はスペイン行きを境に、自分の演奏が陳腐なものに聞こえてしょうがない。『ヴォイス』の呪いに罹ってしまったようだ。

 こんな状態で長期契約などして良いものなのだろうか…。そんな疑問に顔を曇らせながらも、心配はかけまいと、先に英国入りしていた母親とマネージャースタッフの出迎えには笑顔で応じた。

 ロンドンのホテルでは、演奏会の仕事で英国に滞在していた日本の師匠に、久しぶりに再会した。その夜は、師匠と母親とともにディナーを取りながら留学生活の逸話など積もる話しに花を咲かせた。ロドリーゴ氏に会いに行ったことはすでに、メールで知らせていたが、ロドリーゴ氏が自分に課したことについては、自分自身での整理が出来ていないので知らせてはいない。思い切って氏から受けた謎の言葉『ヴォイス』について、師匠と母親に切り出してみた。

「うーむ…『死に旅立つものですらその瞳に安らぎの笑みが浮かんでくる。』ね…。」

 先達のギタリスタである師匠は、そう言いながら食後のコーヒーを口に含んだ。

「聞きようによっては、薄気味悪い話しですね…。」

 もともと声楽家の母も、その意味が解らず眉間にしわを寄せて話しに加わる。

「ロドリーゴさんを目の前にしていたとはいえ、相手はスペイン語です。フランス語に通訳された翻訳語では深い理解に至りません。しかも、ご体調がすぐれない中、理解できるまで質問攻めにしてご迷惑をお掛けするわけにもいきませんでしたし…。」

 顔を曇らせる汀怜奈を、隣に座る母親が優しく手握って励ました。

「お相手は汀怜奈の5倍近くも生きていらっしゃる方でしょ。若い汀怜奈が理解できないのもあたりまえじゃない。」

「ですが…。」

 汀怜奈の言葉を遮って師匠が口を開く。

「『ヴォイス』か…。そのヒントになるかどうか解らないが、私が学生の頃、似たような言葉を聞いたことがある。『御魂声(みたまごえ)』というんだ。平家滅亡の折に、平家の倉から出てきた琵琶を奏でると、その琵琶から滅ぼされた平家の人々の声が聞こえてきたそうだ。」

「嫌ですわ、先生。平家の怨念とロドリーゴさんのお話しが繋がるわけがないじゃないですか。気味悪いからそんなこと言わないでください。」

 母親が首を横に振りながら師匠の発言に抗議を示す。もともと母は師匠と学生時代からの付き合いだから、会話もあけすけだ。

「いや、信子さん、話しは最後まで聞きなさい。」

 師匠が汀怜奈に向き直った。

「私が修行中の頃に聞いた話なんだが、福岡県久留米市に、あるギター工房があって、そこの職人が創るギターからはこの『御魂声』が聞こえてくるそうなんだ。」

 汀怜奈の目の色が変わった。

「先生、そのギターの『御魂声』を聞かれましたか?」

「いや、私が生まれる前の話しだし、…確か1960年頃にその職人も亡くなってしまい、その後はそんなギターは生まれていないようだが…。」

「そのギターは、今どこにあるのですか?」

「まったくわからない…。」

「探せば見つかるでしょうか…。」

「どうだろうか…。多くのギター演奏家たちが必死に探したけど、結局1台も見つからなかったようだ。」

「先生、そんなありもしないギターの話しなんかしたら、汀怜奈が混乱するだけじゃないですか。」

「そうだな…失言だった。忘れてくれ。」

 母親の小言に師匠も頭を掻きながら詫びる。汀怜奈は、しばしコップを見つめて黙っていたが、やおら顔を上げると師匠に向って静かに問うた。

「そのギターに名前はあるのですか?」

「ギターを売らんがための、宣伝用の伝説だったのかもしれないよ。」

「構いません。」

「えーっと…、職人の名前を取って橋本ギターと言われていた記憶がある。」

「さあ、もうその話しはこれくらいにして…。汀怜奈も疲れているでしょうから、もう部屋に帰って休みましょう。」

 母親は自ら席を立って、同席の人たちに自分に従うように促した。

 

 翌日、汀怜奈たちはDECCAのオフィスで契約についての打合せをおこない、母親はマネージャースタッフと汀怜奈を残して先に帰国した。汀怜奈が残ったのは、プレスリリース用の写真撮影を現地で行わなければならなかったからだ。

 艶やかなドレスを身にまとい英国の宮殿で行われた撮影。まさに淑女たる天才ギタリスタの登場にふさわしい気品と美しさに溢れたポートレイトになるはずである。汀怜奈は、撮影の待ち時間で読んでいた英国の新聞で、ロドリーゴ氏の逝去を知った。97歳の長寿であったものの、世界中のどれほど多くの人々の涙が、その訃報を掲載した新聞を濡らしたことであろうか。汀怜奈もホテルに帰った後、目に一杯涙を溜めながら娘さんにお悔やみの手紙を書いた。

 手紙を書きながら汀怜奈は決心した。音楽界の偉人から直接頂いた言葉を理解できないまま、演奏活動を開始するわけにはいかない。『ヴォイス』が奏でられないとしても、その正体をわからずして、どうして演奏できようか。

 撮影の翌日、さらに残務の残るマネージャースタッフをホテルに残し、汀怜奈は帰国の為に単身ヒースロー空港に向かった。しかし、その途中で汀怜奈はタクシーを降りると、ヘアサロンを見つけ出して飛び込んだ。帰国の飛行機へのチェックインタイムにはまだ余裕がある。鏡の前に座った汀怜奈は、その美しく輝く長い髪を切るようにヘアスタッフに依頼する。切ると言うよりは刈り込むに近い。昨日取られたポートレイトは、契約締結準備を知らせるプレスリリースと共にすぐに世界中に配信されるだろう。限られた時間で『ヴォイス』を探求するためには、狭い音楽界とは言え、多少顔の売れていることが邪魔になる。周りの人々が汀怜奈であると気づかれない自分を造る必要があった。

 ヘアカットを終え、ヒースロー空港から成田空港へ。果たして、入管窓口で管理官がパスポートと本人を何度も照らし合わせるほどの別人の容姿を作りあげた汀怜奈は、成田空港に到着したその日に羽田空港へ乗り継ぎ福岡へ向かった。母親へはただ『久しぶりの帰国なので、1週間ほど気晴らしの旅をしてまいります。心配しないで』と簡単なメッセージを送り、スマホの電源を切った。

 

 

説明
天才ギタリスト汀怜奈は、ロドリーゴ氏から与えられた命題『ヴォイス』を奏でるギターを求めて、その美しい髪を切った。昭和の時代を生きた人々、そして現在を生きる人々との様々な出会い。悠久に引き継がれる愛のシズルを弦としたギターで、汀怜奈は心の声を奏でることができたのだろうか。
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