蒼海の果て 第2話
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1939年11月3日

 

 ポーランドの戦闘終結より一ヶ月後。すでに別の場所で新たな戦いの火種が燻っていた。

 場所は北欧、スカンディナビア半島の付け根に位置するフィンランド共和国。東には問題となっているソ連と国境を接しており、スターリンは南にあるフィンランド湾を挟んだバルト海に面するラトビア、エストニア、リトアニア、俗に呼ばれるバルト三国とフィンランドに対して、その強大な軍事力を背景に外交的圧力を加えていた。

 目の前で強国ポーランドが蹂躙された事を見せつけられ、自衛する力を持たなかったこれらの国々に交渉の余地は無い状態と言ってよかった。フィンランドにとっても同様であり、自国存亡の事態に必死の交渉が進められていた。

 

 「このような条件、我が方としては到底受け入れられない。」

 落胆した様子を隠しきれない小さな声が、クレムリンの一室から漏れていた。

 「一応の譲歩は行いましたが、この条件が呑めないと言われるならば、当方から話すことは何もありませんな」

 相対しているメガネと髭が特徴の男は余裕の表情で応えていた。

 クソ、スターリンの犬が…、どれほど私が苦心して来たことか、貴様にはわかるまい

 心の中で毒づいてみるが、何の解決になる訳でもない。感情を出してしまったのは失敗だったが、行き着くところまでいったのだから、な。

 

 8月23日に締結された独ソ不可侵条約の両国間の間に位置する国々の勢力の再配分を取り決めた秘密議定書に従って、ソ連はフィンランドに外交団のモスクワ派遣を要請。その要求に応えフィンランド外交団は、ポーランド戦が終結した直後の10月11日から交渉を開始していた。

 フィンランド共和国駐ソ大使クスティ・パーシキヴィとソ連外務人民委員ヴャチェスラフ・モロトフ。

 すでにスターリンの意志は固まっており、モロトフ以下首脳陣も同様だった。その目的は親ソ共産系傀儡政権をフィンランドに打ち立てる事と、レニングラード及び主要港クロンシュタット周辺地域の安全の確保。

ソ連側の要求はこれにそのまま即した内容であり、まず第1にレニングラード北のラドガ湖と西のフィンランド湾に挟まれた北西に位置するカレリア地峡要塞線の撤去。第2にフィンランド南西、バルト海に突き出たハンコ半島と各島嶼の30年租借と海軍基地の設置。第3、カレリア地峡周辺地帯の30キロの領土割譲。ソ連側の譲歩として、カレリア地峡とラドガ湖北方地帯の交換を提示したが、カレリア地峡は文化的、経済的にも重要な場所であり、不毛地帯との交換など承服できるものではない。

 日本に置き換えれば中国に九州をよこせ、と言われるに等しい屈辱的な内容であり断じて認める訳にはいかなかった。この交渉は決裂したものとパーシキヴィは本国へ報告した。

 ソ連、スターリンの考えでは、元ロシア帝国首都サンクトペテルブルクでありソ連第2位の人口を持ち、なおかつ主要港でもあるためフィンランド湾周辺の確保は、安全保障上の必要事項だった。ポーランドを一撃のもとに粉砕した現在の赤軍の総力を挙げれば、一ヶ月経たずに全土の占領が可能であると踏んでいた。

 

 「交渉決裂か、もとからその意志はなかったのだろうがな……」

 冬の厳しい寒さが身を切り裂くような冷風となって吹き付けている、そんな中を二人の男が歩いていた。

 「例えそうだとしても、我々には国家を守る義務がある。これまでの彼の国の内情、ポーランドをはじめとした周辺国の状況を見れば」

 歩く広場の先には宮殿と見紛うような巨大な建物があった。そして、その広場の中央にも見事な巨人のブロンズ像が鎮座している。

 フィンランド首都ヘルシンキ、元老院広場。やや俯き加減で歩くのは大統領キュオスティ・カッリオ、もう一人はフィンランドの英雄、国防委員長元帥カール・グスタフ・エミール・マンネルヘイム。

 「もはや一刻の猶予もない。国の守り、全てあなたの裁量に一任することで皆一致している。どうか国軍最高司令官に就任してほしい」

 これを聞いたとき、マンネルヘイムの心境は複雑だった。しかし

 「赤軍の規模、百万は下らないでしょう。それに対し我が軍に戦車は数えるほど、航空機は二百も及びません。しかし、我々には何者にも折られぬ鉄の意志があります。それだけが持ちえる最強の剣なのです。無論私も彼らと同じです」

 齢72歳になる老練な軍人だったが、キュオスティに爽やかな笑顔を向けた。その悲痛な本心を隠しながら、広場中央にたたずむ巨人を見据えた。

 ツァーリよ、何故にロシアはここまで変貌してしまったのだ…。願わくば我らに安寧の時を与えたまえ

 一度はロシア皇帝家に近衛騎士として忠誠を誓ったマンネルヘイムの意志は変わってはいない。そのマンネルヘイムを静かに見下ろす、物言わぬアレクサンドル2世が答えを返すことはなかった……

 

 

 不穏な空気が極北のフィンランドを覆いつつある、11月26日に一つの重大事件が起こる。

 レニングラード北西カレリア国境地帯において演習中のソ連軍部隊が、突如何者かからの攻撃を受け将兵十数名が死傷したと報じ、これをフィンランド軍による故意の発砲であると厳重に抗議するとともに、パーシキヴィの弁明も空しく国交断絶がモロトフの口から伝えられ、事態は一気に開戦へ向けて突き進む事となる。

 

 

 「同志ヴォロシーロフ。今回の件についての見通しを聞こう。何日でフィンランドを全土制圧可能なのか?」

 11月29日モスクワ、クレムリンのカザコフ館。スターリンはそういって共産党と赤軍首脳部が居並ぶ中の一人に聞いた。

 「同志書記長。フィンランドは総人口400万にも満たない小国。これだけの戦力があれば、4日、4日で全土の平定ができると約束します」

 国防人民委員クリメント・ヴォロシーロフは確信をもって応える。国防人民委員とは軍政を司る現在の国防大臣に相当する。そして、スターリンと苦楽を共にしてきた間柄だった。

 「よろしい。では北西方面軍司令官に同志メレツコフ(大将)を任命。5個軍45万と戦車2000輌、航空機600機を与える。迅速に国境を突破し、フィンランド軍を粉砕せよ」

 メレツコフは即座に席を立ち、スターリンに一礼してその巨体を揺すりながら会議室を出て行った。

 

 

 既にソ連側国境には大軍が配置され、攻撃命令を待つばかりだったが、フィンランド政府は交渉決裂後の事態を甘くみている節があった。動員令の施行とマンネルヘイムへの指揮移譲と準備はおこなっていたがまさか侵攻はしないであろう、と。

 そんな淡い期待は消し飛ぶ。

 11月30日、ソ連赤軍東部国境より侵入。俗に冬戦争と呼ばれる第一次ソ芬戦争の勃発である。

 

 

 

 

 

  「ソ連軍が国境全域から侵入、防衛線突破されました」

 ヘルシンキより北東に位置するミッケリにあるフィンランド軍総司令部。ミッケリは1918年にロシア革命の間隙を突いて独立後、共産主義の赤衛軍とそれに対抗する白衛軍に分かれ内乱になった際、マンネルヘイム率いる白衛軍がこの地で組織された因縁の地でもある。

 電文を片手にマンネルヘイムに報告するのは、エイナル・マキネン作戦課長。

 「ついに来たか。全軍及び全国民に向け第一号命令発令。武器をとれ、戦うのだ! 信義を守るため、家族を守るため、祖国を守るために!」

 マンネルヘイムの叫びは、フィンランド中に響き渡った。

 

 時を同じくしてフィンランド政府は開戦してしまった事の責任をとり、首相アイモ・ヤカンデルらは内閣総辞職。そしてソ連側でもフィンランド内乱でマンネルヘイムに敗れ亡命していた元フィンランド社会主義労働共和国元首、オットー・クーシネンを首班とするフィンランド民主共和国の成立を宣言。

 これを正当なフィンランド政府としてそれ以外の交渉する術はないと公式に発表した。

 ソ連空軍は侵攻と同時に都市に対してもE46集束焼夷弾を使用した爆撃を開始し、首都ヘルシンキを含めた人口密集地も容赦なく爆撃した。

 ヤカンデルの後を引き継ぎ首相に就任したリスト・リュティは、最後の頼みである国際社会に助けを求めた。

 その間もソ連軍の侵攻は続いていた。

 フィンランド南東カレリア地峡からは主力である第7軍歩兵8個師団、戦車5個旅団、約20万名。

 カレリア地峡からラドガ湖を挟んだ北に位置するラドガ・カレリア地区に第8軍歩兵6個師団、戦車1個旅団、約12万名。

 フィンランド中部に位置し、西のボスニア湾と東の白海に挟まれたラップランド地区に第9軍歩兵5個師団、約9万名。

 そして、フィンランド北部ペツアモ区に第14軍歩兵3個師団、約6万名。

 これらの戦力が一斉に越境した。

 対してフィンランド軍は主力である第2、第3軍団歩兵6個師団12万名をカレリアに、第4軍団歩兵2個師団4万名をラドガ・カレリア地区に配置。

 ラップランドは軍団規模の戦力は投入できず、1個師団がボスニア湾に面したオウルに駐屯するのみであり、ペツアモ区に至っては1個大隊程度の5,600名が守備しているのみ。

 絶望的戦力差であり、世界中のいずれの国もフィンランド消滅を予期していた。

 

 「ソ連がフィンランドに攻め入ったか」

 イギリス首都ロンドン、ダウニング街bP0。苦々しい表情を見せながら首相ネヴィル・チェンバレンは、一通の紙面を見ながら呟いた。

 「共産主義の拡大は何としても阻止せねばならんが、まだ早い。早過ぎるのだ…。我が軍の戦備ではソ連の侵攻を止められぬ」

 このままでは北欧までが赤色に染まってしまう。ヒトラーのドイツと開戦したりとはいえ、まだまやかしの戦闘を演じているのみで、交渉の余地はあるはず。

 英国陸軍は海外派遣軍を対ドイツ戦に向けてフランスに配置していたが、まだかすかな期待を抱いていた。

 そして、その認識の一部は連合国国側欧州列強の一角であるフランスも共有するものだった。

 「今回のソ連の侵攻に、世論のみならず議会からも怒りの声を上がっています。如何いたしましょう?」

 当たり前だ、自由を標榜とする我が国民性を知らぬはずがあるまい。

 フランス、パリ第7区オテル・マティニョン。

 鏡の間。巨大な広間の両壁面に室内を映し出す一対の合わせ鏡があることからこの名が名づけられた、首相官邸内の会議室。

 閣僚の一人の発言に、首相エドゥアール・ダラディエは憮然とした態度を見せる。

 「介入するべきであるのは重々承知している。しかし残念ながら、我が軍には侵攻する能力は持ち合わせていない」

 ちらりと軍服姿の友人を見る。だから、あの胡散臭いナチスの奴らに譲歩せねばならんのだ。

 英仏両国は共通の敵はソ連であるという認識ではあったが、その立場は微妙でありダラディエは防共という点を差し引いてもナチスは信用ならざる相手だった。

 いずれにせよ、即座の介入はできない。というのが現段階の結論である。

 

 一方的な攻撃を仕掛けるソ連軍に対して、フィンランド軍は国境線防衛を放棄し後退を開始。勢いに乗るソ連軍は攻勢を強める。カレリア地区ではフィンランド第2、第3軍団は迅速に後方要塞線であるマンネルヘイム線に集結し防備を固め、これを突破するべくソ連軍は主力である第7軍を突撃させる。

 ソ連第8軍はラドガ・カレリア地区に広く展開し、フィンランド第4軍団を包囲する動きを見せ、第9軍はフィンランドのほぼ中央に位置する港湾都市オウル占領、フィンランドを南北に分断する事を目的に西へと進撃を開始する。北方ペツアモ区は山岳が多いため、各所の制圧を行うのみとなる。両軍ともに重要視はしていない。

 フィンランド軍の後退により、ソ連軍は破竹の進撃を見せる。

 「我々の攻撃の前に、敵は数日と持たずに同志諸君らのもとにひれ伏すだろう。あまり勇んでスウェーデン国境を越えないように」

 ソ連北西方面軍司令官メレツコフは余裕のコメントを残していた。しかし……

 12月3日の夜半から降り始めた雪が、ソ連軍に地獄を見せることになる。極北の雪は瞬く間に猛烈な吹雪となり、冬季装備が不十分だったソ連軍の進撃はほぼ停止状態に陥る。

 

 「閣下。ソ連軍の進撃が止まりました。ラドガ地区は敵がこちらを包囲するため、広域に分散し各軍が孤立しています。この雪で動きがとれぬ今こそ反撃に転じ、敵を各個撃破するべきであると具申いたします」

 マキネンは状況から即座にマンネルヘイムに進言。

 「よかろう。2個連隊をタルヴェラ大佐に預ける。速やかにラドガ、トルヴァヤルウィに進出し、ソ連軍の進撃を止めよ。それとシーラスヴォを私の元へ」

 マンネルヘイムは的確な命令を出していく。タルヴェラ、シーラスヴォ、両名とも雪上の機動戦闘のエキスパートだった。  

 私は最善を尽くすのみ。後は我がフィンランド人の底力を、イワンの連中に見せつけてやるだけだ。

 フィンランド軍は着々と反撃の準備を進めていった。

 

 

12月12日

 国際連盟本部が置かれているスイス、ジュネーブでフィンランドの呼びかけにより臨時総会が開催される。

 「これらの爆撃は民間、軍事目標を定めない無差別爆撃であり、国際法規、ハーグ陸戦条約第25条の明確な違反だ。フィンランド政府はソ連の行動を提訴する」

 パーシキヴィはソ連を糾弾し、その対応を詰問する声が会場から上がった。

 ソ連の行動は明らかな侵略行為であり、総会に出席していたモロトフに対して国際連盟加盟国の参加者からの非難が集中したが、モロトフは意に介さず

 「我々は爆撃を行っているのではない。我々と共闘する共産系住民に対しパンを投下しているのだ」

 この回答に、先ほどよりも数倍大きな轟々たる非難の嵐が巻き起こる。

 何を馬鹿な事を。恥というものを知らないのか?

 パーシキヴィも呆れ返ってしまう。面の皮はどれほど厚いのか想像もつかない。

 この発言により即日ソ連の国際連盟除名が決定し、翌日に発表されることになる。

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