夕陽の向こうに見えるモノ プロローグ
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 空が青いのは、『短波長の光が大気中の不順物質に衝突して散乱するから』であって、天に広がる純白のキャンバスに、青色絵の具を垂らしたからでは無いのよ。

 クルミの隣を歩く少女はそう言った。名を葉月という。

 冬休みが明けて、新学期が始まって、まだ数日しか経っていない。一層の寒さを見せるこの季節。例え太陽の下であろうとも、空気はとても冷たい。お世辞にもセンスが良いと言え無い学校指定のコートは、防寒機能だけはそれなりに高いので有り難い。

 クルミは吐き出した白い吐息の行方を眼で追った。

『空が青いのは、青色絵の具を垂らしたからでは無い』

 葉月は確かにそう断じたが、クルミは別の意見を持っていた。何というか…………もう少し夢が合っても良いと思うのだ。

 夢の具体例は思いつかないが…………とにかく、世界とはもっと楽しいものでもいいのではないだろうか。

 そう言うと、葉月はその端麗で大人びた容姿にピッタリ似合う完璧な微笑を作り、

「そうね。クルミちゃんの言う通りだわ。鳥が空を飛ぶのは物理法則に従っているからでは無く、天使から愛を受けているからだと信じた方が、楽しいかもしれないわね」

「あ、でも天使に愛されたら、空を飛べるものなのかな?」

 不思議そうに言い返したクルミに対し、葉月は少し頬を膨らませた。

「貴方から始めた話でしょう」

「あ、ごめんなさい」

 確かにそうだった。

 夢とは突拍子も無いから夢なのだ。

 その夢の中では鬼が赤子に負けようが、犬が二本足で歩かない理由が邪神に欠けられた封印のせいだとしてもおかしくない。

 夢の内容にケチをつける事ほど意味の無い事はない。

「でも、現実というのは厳しいものだから」

 葉月は眩しそうに空を見上げた。

 雲一つ無い晴天は空の青をいっそう際立て、何処までも続いている。

「夢と現実は違うわ。だから、夢の話は控えなければならないのよ、クルミちゃん」

「どうして控えなければいけないの?」

「言ったでしょう?『現実は厳しいものだ』って。だから、人は夢を見るのだけれど。現実では有りえない自己の理想像を夢に投影するのね」

「まあ確かに、夢なんて見てないで現実をちゃんと見据えておかないと、足元をすくわれるかもしれないけど」

 空を見上げてばかりいては足元に転がっている石には気付けない。そんな事はクルミだってちゃんと分かっているつもりだ。

「それは違うわ、クルミちゃん」

 何処か悲しげな瞳がクルミを貫いた。

 クルミは驚いた。葉月が悲しみを見せている。クルミが葉月のそんな眼を見たのは初めての事だった。一体何が悲しいのか気になったが…………それを詮索する余裕は無くなった。

 彼女はとても美人で、その上、普段から意思の強い眼をしている。いくら女同士とはいえ、そんな彼女に見つめられたら正直気恥ずかしい。

「ち、違うって、何が?」

 内心の動揺に気付かれないかと焦ったが、それは大丈夫だった。気付かれた様子は無い。

「確かに夢を見すぎる事は禁物だけど、たまには夢を見る事も必要なのよ。だって、現実は厳しいもの。夢ぐらい見ないと、人間なんて簡単に潰れてしまうわ。いえ、いっそ見過ぎるくらいがちょうどいいのかも」

「でも、さっきは夢を見ることは控えなければいけないって言ったじゃない」

「そうね。そこら辺のバランスが難しいのだわ。夢も見すぎると、潰れてしまうものだから」

「潰れる?」

「夢の中では、自分は超人になれるわ。世界の全ては何でも思い通りよ。お金には困らないし、好きな人は思い通りだし、決して死なないし…………なりたいものにも、簡単になれる」

 真剣に、歌う様に言ったその言葉は、クルミにはとても眩しくて。そして、あまりにも美しくて。…………完璧で。だから、次に訪れる落差の激しさを予感した。

「そんな大層な夢を抱え続けて生きていけるほど、人間は強く無いという事よ。高みを目指しすぎると、人のツバサは簡単に溶けてしまうものなのよ。愚かなイカロスの様に」

「………………そんなものかな」

 クルミが難しい顔をして言うと、葉月の真剣だった顔は突然崩れた。崩れたと言っても嫌な崩れ方じゃ無い。とびっきりの笑顔だ。

「そうね。もちろん、人によって違う事だと思うわ」

 この話はそれで終わりとばかりに、彼女は突然走り出した。

 驚いて視線で追うと、進行方向に設置された信号が今にも赤へと変わりそうだった。

 葉月の後を追いかけて、クルミも走った。

 何とか道路を渡りきって、少しの間二人で笑いあった後、再び帰宅の道へ足を運んだ。

 別れ際、葉月は『ごめんね』とクルミに言った。

意味が分からなかった。意味は分からなかったが。。

 

 

 翌日、葉月さんは死んだ。

 

 自殺だった。

 

 

 

 

 

 

 葉月が死んでから数日。

 放課後、クルミは学校の屋上で、一人壁を背にして座っていた。ここ最近の日課だった。

 葉月はここから飛び降りたのだ。

 飛び降り自殺があった後だ。屋上は当然の如く厳重な鍵で封鎖されていたが、クルミは職員室から鍵を借りて、屋上への扉を開けた。

 もちろん無断で、だ。

 それがばれたら、かなり怒られるだろう。罰則を課せられるかもしれない。しかしクルミは、そんなリスクを無視してでもここに来たかったのだ。

「葉月さん、なんで死んだんだろ」

 呟いた声が、空中へとあっという間に溶け込んでいく。知覚する間も無く消失する。

 涙はもう出ない。ここ数日で一生分泣いた。 今は心に空洞が出来た様な脱力感がある。

 昨日行われた緊急の全校集会では、葉月の自殺が受験勉強によるストレスだとか、そんな最もらしい結末で締めくくられていた。しかし、クルミにはとても信じる事が出来なかった。

 彼女は成績優秀だったし、なにより、彼女ならこう言いそうな気がするのだ。

『成績なんて、どうでも良い事よ』

 そして、クルミには気がかりな事があった。葉月が自殺する前日、クルミに対して『ごめんね』と言った事。

 何故彼女は謝ったのだろうか。

 自殺するという事はきっと何かに悩んでいたのだろう。

 だからだろうか。その悩みを親友であるクルミに相談せず、そして自殺を選んだという事に対して謝ったのだろうか。気遣いのある彼女ならば、十分に有りうる話だ。

 そして、引っかかっるのはそこだ。

 親友である彼女に悩みがあったというのに。クルミには、その悲しみの一端に触れる事さえ出来なかったのだ。。

 謝りたいのはこっちの方だった。

 ごめんね。気付いてあげられなくて、ごめんね、と。

 彼女は人前で辛い所を見せる事は無かった。本当に強い人だったからと、少なくとも、クルミそう思っていた。

 だが、違ったのだ。事実として葉月には何らかの悩みが有ったし、それ故に現在の結果が有る。

 悩んでいる所など悲しんでいる所など、クルミには見せた事が無かった。

「…………いや、違う」

 そうだ。

あの日、夢の話をしていた時。葉月は悲しみの光をその眼に宿していた。

 あれが、最初で最後だった。

 葉月が確かに、何かに悩んでいたのだという、唯一の証拠。そして、それに気付けなかったという罪の形。

それもよくよく考えれば、会話の中にヒントは有った様な気がする。

恐らく、葉月は自分が抱える夢の事で悩んでいたのだ。クルミからすれば、葉月は物事を良く断言するタイプで、聞いている方はそれが絶対に正しい事に聴こえてしまう様な人間だったが、あの日は珍しく断言しなかった。

 そうだ。以前、クルミが葉月の将来なりたいものについて尋ねた時、彼女はこう言っていた。

『私は、私のなれないものになりたい』

 あの時は良く分からなかったが、今のクルミにならば何となく分かる気がする。

 葉月のツバサが溶けてしまったのだという事を。彼女の見た夢が重過ぎて、ツバサが溶けてしまったのだという事を。

 そして彼女は、自分の見ている夢があまりにも重過ぎて、それがどうしようもなく危ないものだと知っていて、これ以上夢を見続けたら潰れてしまう事を知っていながらそれでも………………夢を見ずにはいられなかったのだろう。

 だから、きっと彼女は悲しくて、そして苦しかったのだ。

 …………クルミは嘆息した。

 止めよう。

全てクルミの、利己的な妄想に過ぎない。彼女の悩みに気付いてあげられなかった人間が、彼女の何を分かるというのか。贖罪の形として、免罪符の1つとして、葉月の考えを少しでも判った気になりたいだけなのだ。

 だが。

 それでも。

 クルミは空を見上げた。

 青く広がった空。あの日と同じ空。

その青い空の青さが、例え短波長の光が大気中の不純物に衝突する事によって生じるものだとしても。

 この広い空の何処かには、絵の具を垂らした青い空があるのでは無いかと、そう信じたい。

 そのくらいの夢はあっても良いと思うのだ。

もしかしたら彼女と同じ様に、そのツバサを溶かしてしまう事になろうとも。

説明
以前書いていた物を、若干修正してあげていきたいと思います。
書いていた時は行き当たりばったりだった作品ですが、修正して少しでもマシになればいいと思って上げていきます。
能力系バトル漫画と百合の皮を被った雰囲気小説です。
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