恋する理由、死ぬ理由(前編)
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 春眠暁を覚えずとはよく言ったもので、春の光には催眠効果でもあるのではないかと思ってしまいそうな昼下がり。

 しかしそんなまったり感とは真逆の焦燥を、俺は抱えていた。

 そんな危急存亡の春(トキ)から始まる、巴蜀の春の物語。

 

 

 

 ちらっ。ちらっ、ちらっ。

 目の前に山と積まれた竹簡の隙間から物言いたげな視線を送ってみるが、

「…………」

 返ってきたのは見事なまでのシカト。

 露骨なまでに注視したし、相手は天下無双の豪傑なわけで、つまるところ余人の気配を察する達人なわけで、よもや気づいてないということはあるまい。要は相手をする気がない、という意思表示なわけだ。

「はあ……」

 それにしても憎っくきはこの竹簡の山だ。こんな量どこからわいてくるんだと思う。最初の頃、へ〜これが竹簡か、なんて珍しがってた自分が恨めしい。

「ああ、もう……」

 渋々ながら手近にあったひとつをからからと開いて中を検める。そこには漢中方面に派遣される予定の魏の戦力状況が詳細に記されていた。

「敵の総大将は夏侯淵か……」

 軍団情報に弓と奇襲を得意とする猛将の名前を見つけ、さらに憂鬱な気分になった。蜀の頭頂ともいえる漢中に、自軍の宿将を配置するとは、曹操もそろそろ本気を出し始めたということなのだろう。

「ただ、歴史の中では夏侯淵にとって漢中は死処だったはず。この世界でも上手くいけば、曹操の片手を封じることが出来るかもな……」

 三国志において夏侯淵を滅ぼした紫苑のことを思い浮かべながらつぶやく。

「いかに歴史を知っていても、ちゃんと考えて、万全の備えをもって臨むべきだけどさ」

 万が一にでも歴史が狂って逆に紫苑が敗れるようなことがあったら……と考えると、少し怖かった。

 戦うということは死ぬ可能性があるということ。戦場に配下を送り込むのなら、その確率を限りなくゼロに近づける、それが上に立つ者の責務だと思う。などと考えながら他に有益な情報がないか竹簡をさらに読み込もうとすると、さっき俺のことを無視した御方から声がかかった。

「ひとつの書簡にいつまで時間をかけておいでですか」

 漆黒の中に艶を秘める美しき長髪。それを誇るでもなく、片方だけラフに結わえてただ風に揺られるに任せていた乙女が、美髪と同様に黒く落ち着きをたたえる目で、俺のことをにらみつけていた。

 イケナイことをしていたわけではないのに、そのまっすぐな視線に思わず目を逸らしてしまう。……別に、華美を抑え、戦場での動きやすさを重視して誂えられた服は露出が多くていいなあとか思ってたからとかじゃないですよ?

「ご主人様、人が話をしているときは、こちらをきちんと向いてください」

 美髪の主――愛紗がぐいっとにじり寄ってくる。

「あ、いや、その……」

 接近したことで匂った女の子特有の甘い香りにドキマギしてしまうが、ふとこっちも言いたいことがあったんだと思い出す。

「というか、愛紗、この竹簡の山は多すぎだろう? 俺こんなに処理できないぞ」

「竹簡の山?」

「あれだよ、あれ」

 書卓をはさんだ向こう側で絶望的に展開する暗黒物質を指差しする。

「ああ、あれですか」

「あれですかって、……愛紗?」

 些細なことであるかのように言い放つ愛紗がとても意地悪く見えたんだが、まさか……。

「当然あれはまだ序の口、ほんの一部です。むしろこれからが本番と心得ていただきたい。あれごときで音を上げるようでは困ります」

「無理、それは絶対無理」

 書卓の前に展開する量だけで腹十二分目を遥かに通り越し、処理するよりも逃亡を真っ先に考えてしまうくらいですよ? それがあと何山あるって?

「愛紗は俺を過労死させる気か。もう少し労わってくれても……」

「七日前。月、詠と午後のお茶会とやらに没頭。重大事にだけ対応くださる」

 突然前後の脈絡と関係のないことを言い出す愛紗。

「六日前。ねねと軍将棋に明け暮れる。竹簡がたまってきていることを申し上げるが取り合っていただけず」

 つぶやく愛紗の手元にはメモみたいなものが。

「五日前。恋と昼寝。ゆすっても呼びかけても反応いただけず。それはもう屍とごとく眠っておられた」

 だんだん何を言わんとしているのか察しがついてきたが……。

「四日前。星とメンマがどうとか激論を交わされる。そのまま宴会に。仕事どころかこちらまで酒席にひっぱりこもうと為される始末」

 この一週間は確かに遊んだ。確かに遊んだけど……。

「三日前。朱里、雛里と読書。知識習得のためと仰られていたが、ろくでもない知識習得をされていたことが後で発覚。竹簡の山を次々と形成して差し上げる」

 いま、さらりととんでもないこと言わなかったか?

「二日前。鈴々と川遊び。釣りにも興じ、余りに釣れるものだからといって魚料理大会にまで発展。その影響で全将官の仕事がストップ。ご自分だけでは飽き足らず国全体を巻き込みになられた」

 いや、それはいい息抜きになったってみんな言って……。

「昨日。桃香さまと足湯に行かれる。おふたりだけで湯……。それはいいとしても仕事をまったくしていただけないのは本当に困った」

 メモを読み上げた愛紗は、深くためいきをついた。

「す、少し遊びすぎたかもしれないけどさ、だから今日こうして仕事をしてるわけで」

「当たり前ですっ。こんなにためこんでから何を仰っているのですか。しんどそうな振りをする暇がおありならさっさと竹簡を処理していってくださいっ」

「ひ、ひどっ!?」

「それにしても愛紗ちゃん、ご主人様のことよく見てるよねー」

 俺の横で黙々と仕事をこなしていた桃香がつぶやく。

「そ、それはっ。しっかりと処理していただかないと。国の行く末にかかわることですから」

「ふうん。でも、いくつかわたしでも処理できそうな事案がありそうだけど、ぜんぶご主人様に行ってるのは何でなの?」

 なぜか俺に加勢してくれる桃香。いいぞ、もっと言ってくれ。

「では、この山の半分を桃香さまが受け入れてくださる、と?」

「ふぇっ!?」

 愛紗の一撃で、あっさりと勢いを失う援軍。

 すがるような視線を桃香に向けてみるが、ふいっと視線を逸らされてしまった。

「ほ、ほらわたしはわたしで仕事いっぱいだしね? 朱里ちゃんとごはんとか、鈴々ちゃんとお昼寝とか」

 いや、それは仕事じゃないから。

 心の中のつっこみも空しく、桃香は俺を見捨ててすたこらと政務殿を出て行った。

 取り残されたのは、遅刻寸前で教室に滑り込んできた出来の悪い級友をしかりつけようとする学級委員長のような視線でにらみつけてくる愛紗と、その対象たる俺。

「あー、愛紗」

 仕方ない、と腹を括る。

「仕事するからさ、ちょびっと手伝ってくれない?」

「政務をこなすのは当然です。……それで、あと何とおっしゃったのです?」

「だから少し手伝ってほしいな、と」

「申し訳ありません。最近耳が遠くなってしまっておりまして」

「愛紗に、仕事を、手伝ってほしいって、言ってるの」

 今度こそ聞こえるように区切り区切りに言う。

 聞こえたのか、聞こえてないのか、愛紗は、自分をやさしく抱くようにして少しうつむいた。

「……仕方ないですね。この分量をご主人様だけにお任せすると、何日かかるか判りません。その間、国政が止まるのも困る。私が手伝って差し上げます」

「本当か? 助かる」

 言ってみるもんだな。堅物の愛紗が手伝ってくれるなんて思ってもみなかった。

「そうと決まったらさっさとはじめましょう」

 書卓と書卓を横に合体させる愛紗。

 俺の席、愛紗の席、ということらしい。

「横で連携を取りながら処理していきます。判らないことがあったら都度お聞きください」

 そう言い捨てて、愛紗が仕事に取りかかる。

 俺もやらないと、と慌てて席について仕事を開始するが、意外に愛紗との距離が近く、意識の半分ぐらいがそっちに向いてしまう。こんなんで仕事になるのかな。

「ご主人様、この案件ですが」

 竹簡を示しながら物理的な距離を縮めてくる愛紗。さっきも感じた甘い匂いが鼻腔をくすぐる。

 本来は嬉しくて楽しい出来事の筈なのに……。今は、この場においては……、

「か、軽い拷問じゃないか……」

 仕事をしなきゃならないのに、仕事にならない要因が傍にいて、その要因が仕事をしろと責め立ててくる。

「こんなことなら少しは仕事しとくんだった……」

 この一週間の行状を、ほんの少し後悔し始めていたが、もう後の祭りだった。

 

 

 

「ふいー」

 結局明け方までかかりながらも愛紗に手伝ってもらったお陰でたまっていた政務を一通り処理することが出来た。

 本来なら睡眠でも取りたいところだが、俺も愛紗も今日の仕事がある。休む間もなく次の現場に向かう。

「俺は朱里と雛里から今後の戦略についての報告を受けて、愛紗は今日の閲兵式の準備、か」

 閲兵式は、朱里、雛里の話を聞いたあと、俺も参加する予定だから、愛紗とはまたすぐに逢うんだよな。

「小言いわれないように、少し早めに用意調えておこうっと」

 幾分後ろ向きながら、同時に愛紗に迷惑をかけないようにと考えていると、朱里と雛里、蜀の頭脳と言って差し支えのないふたりが昇殿してきた。

「ご主人様、おはようございます」

「おはようございます……」

「ふたりともおはよう」

「あれ、何だかお疲れですか?」

 朱里が俺の様子を素早く察して訊ねてくる。

「うん、一晩愛紗にしごかれちゃって、少しばかり疲れたよ」

「えっと、」

「それってつまり……」

「あわわ……」「はわわ……」

 ほんのり頬を赤く染めながら少し慌てるふたり。何かを確認するようにお互いを見合わせて、より一層もじもじし始める。

「…………」

 そして辺りに広がる静寂。

 無言なのに、いや、無言だからか、場の温度が少し上がったような気がした。

 その様子を見ながら俺は首をかしげる。なんでいきなりこんな反応を?

 ふたりが変になる直前のセリフを思い出してみる。確か「一晩愛紗にしごかれて」、とか言ったっけ。

「あっ」

 ……なるほど。俺たちは、まじめに政務をやっていたわけだけど、言葉だけ聞くと違うことをしていたように取れなくもないな。

 相変わらず、このふたりは耳年増だな、と笑みがこぼれた。

「愛紗に手伝ってもらいながら政務こなしてただけなんだけど?」

「へっ!? …………はわわっ!!」「あわわっ」

 ふたりとも頭がいいから、俺が何か勘違いしてるんじゃない? と言外に含ませたことに気づいた様子だった。

「ご、ご主人様ちがうんです」

「俺、何も言ってないよ。何が違うの?」

「ううう〜」

 二重で罠にはめられたことに気づき、俺をぽかぽかとたたいてくる朱里。たたく、と言っても形だけであり、実際は甘えてるだけに過ぎない。だから俺もその手をとって朱里を自分に引き寄せることに何の衒いも覚えなかった。

「あ、ご主人様」

 引き寄せながら向こうをむかせ、背中から抱き寄せるような格好をとる。手は小さな胸元にセット。女の子の体を楽しむにはもっとも自由度の高い状態を自然な流れの中で作り出す。

「あっ、あっ、ご主人様」

 ふにふにと朱里の胸を軽く揉みしだく。

「あ、やぁっ……」

「えっちな想像をした罰。……嫌ならやめるけど?」

「いやっ、じゃ、ないですけどっ……お仕事中なのに……」

「いいよ、このまま話を聞く」

 あくまで礼衣の上だから、そんなに強い刺激にはならないはず。

「んんんっ……そ、そんなっ……」

 ちょっと無理矢理だったけど、朱里もそんなに嫌がってるわけじゃないみたいだからいいよね。

 というか、一晩我慢して仕事したからか結構溜まってるらしい。思考が、少しぐらい嫌がってくれた方が征服しがいがある、なんてふうになってしまってる。

「雛里、今日の議題は?」

 置いてけぼりにされて少し悲しそうな顔をしていた雛里に声をかける。

「あ、はい、今日は魏軍の動きと我が蜀の北伐の件で……」

 聞いた瞬間、昨日見た竹簡の情報が思い起こされる。

「近日中に夏侯淵が漢中に配備されるという件か」

「よくご存じですね……」

 雛里が目をぱちくりとさせる。

「まあね。で、雛里はこの戦局をどう見る?」

 と言いつつ、手の動きを胸に這わせることから朱里の乳首を摘む形に変える。

「ご、ご主人様っ……、だめ、です……っ、気持ちよくなっちゃいます……」

「…………」

「雛里?」

 朱里の感じている顔をぽうっと眺める雛里に声をかける。

「あわわ、あの、その、大局から見るに、今回は主に漢中を堅守することが魏軍の目的と考えられます。夏侯淵は攻守に優れた名将ですが、とりわけ電撃戦を得意としています。守りながらも隙を見てはは痛打を与えようと撃って出てくる瞬間があるはずです。そこを叩くよう軍を配備すれば……」

「うーん」

 悪くはなかったが、歴史という結果を知っている俺には次善の策に思えた。

「こういうのはどうだ?」

 そう前置きして、紫苑をいち早く漢中に派遣し、後からやってくる夏侯淵に強襲を掛ける策を伝える。

「なるほど……。戦局をこう着状態に陥らせることを前提にしている敵軍の隙を突く作戦ですね……。でも、何故紫苑さんなのですか?」

 戦略的には紫苑でなければならない理由はなかった。強いて言うなら俺の知ってる歴史ではそうなってるから、というぐらいである。ただ、それをこの場で言っても仕方ない。

「愛紗や鈴々だとこちらに攻撃の意ありと思われるだろうけど、防禦に長けた紫苑ならそう取られないと思ってね」

 雛里は、俺の言ったことを咀嚼しようと中空を見上げるふうにする。

「ついでにウチの総大将が紫苑であるということを魏にそれとなく流しておこう。長期戦を予想して準備に時間を掛けてくるかもしれない」

「ご主人様、すごいです……」

 今回の策の成功確率をはじき出したらしい雛里が感嘆の声をあげる。

「いや、別にそんな褒められるようなことじゃないんだけどね」

 だって、半分以上答えを知ってるわけだし。

 朱里の胸をいじくっていた指を、今度は口元に移動させる。

「ん、ちゅっ、はむぅっ……んん、んっ」

 抵抗せずに俺の指を舐め始める朱里。口内は幾分かねっとりしてきていて、朱里がいい感じに出来上がってきたことを教えてくれた。

「さて、話がこれで終わりなら、雛里もこっちに、くる?」

 さっきから朱里と俺の様子が気になって仕方ないふうの雛里に声をかける。

「は、はい」

 一も二もなくうなずき俺のところに駆け寄ってくる雛里。ずいぶんと焦らしてしまったらしい。

 無言で抱き寄せて口唇を奪う。

「はむぅっ、んっ……」

 ひしっと俺に抱きつく雛里。その一生懸命な様子を見ていると、可愛いなあという想いがこみ上げてくる。気がつくと、俺は雛里の頭を撫でていた。

「んっ!?」

 雛里は、一瞬驚いたように眼を見開いたが、すぐに状況を理解して、また眼をつむった。

「ん、んっ……んちゅ、ちゅむっ」

 甘い唾液に満ちた雛里の口内を楽しんでいると、今度は血が集まり硬くなった肉棒を布越しにこすられる感触がした。

「ご、ご主人様……」

 手の主は胸を刺激されて、すっかり蕩けてしまった朱里だった。

「ん?」

 首を傾げて見せて、ついでに胸への刺激も止める。

「はわっ……」

 朱里が泣きそうな顔をする。求めた瞬間に愛撫を止めたことに対する非難も含まれているようだった。

「ダメだよ。してほしいことがあるならちゃんと言わないと」

 耳元でささやく。

 俺自身余裕が残っているわけじゃないけど、こういうのは雰囲気が大事なので、ちょっともったいぶってみることにした。

 俺に背中を預ける格好だったのを、体を入れ替え向き合うような姿勢に変える朱里。

「あの……ご主人様。わ、私……もう」

 朱里がぽつりぽつりと言葉を紡ぐ。

 ロリっ娘であるところの朱里のえっちなおねだり。

 その様子を固唾を飲んで見守っていると――、

 

 

 どおおおんっっ!!

 

 

「あわわっ!!」「はわわっ!!」

 天地に雷鳴が轟いた。いや、そんな大音があたりに響いた。

 音源に目を向けてみると、扉の残骸とおぼしき木の破片と――、

 その上に仁王立ちする愛紗の姿があった。

 

 

 

「あのー、……愛紗?」

 肩を怒らせて歩く愛紗の後ろをとぼとぼとついていく。

 あの後。愛紗は「閲兵式の時間となりましたのでお迎えにあがりました」とだけ告げて他は何もいわなかった。

 ただ、やけに態度が冷ややかで、あの時の眼前の状況に対して良くない感情を抱いたのは間違いないと思う。

 俺が準備を調えているときも、先導する今も無言だし。

 ともすれば、静寂が似合うタイプの美人なだけに、雰囲気が出ている、といえば聞こえはいいが……。

 沈黙に耐えきれなくなって、とりあえず謝罪の言葉を口にしてみる。

「ごめん、謝るからさ」

「謝るようなことを為されたのですか!?」

 怖い顔で振り返る愛紗。

「いや、してないけどさ。すごく怒ってるから」

「怒ってる!? 私が!? どこがですか!?」

 見たまま全部……とはさすがに言えなかった。が、自分で矛盾に気づいたのだろう。愛紗の声音が少し柔らかくなる。

「私がご主人様を怒ることなどできません。私のような立場の人間にできようはずがない」

「いや、何かあるなら言ってくれていいよ。愛紗のことは臣下というより、友人、あるいは妹のように思ってるわけだし、線を引いてほしくない」

 ちらりとこちらに視線を送ってくる愛紗。俺の言が本当か見極めようとしているのだろう。

 一応、真剣に視線を返してみる。そんなことをしなくても愛紗ならどうせ見抜くんだろうけど、なんとなくね。

「こ、こほん、それでは」

 俺の様子に嘘がないことを察して、愛紗がさっそく言いつのってくる。

 まず口にしたのは、朱里、雛里がそういうことをするのは早いのではないか、ということだった。

「でもふたりとも問題ない年齢だし……」

 見た目は確かにアレだが、齢はすでに必要十分に達しているはず。

 ……だよね?

「それにそんなことを言ったら鈴々もダメじゃないか」

「鈴々にまで手を出されているのですかっ?」

「い、いや、まだだけど」

「まだっ? これから手を出すということですかっ?」

「すみません、直近の予定にはありません」

「直近っ!?」

 思いっきり口を滑らせてしまった。油を注がれた愛紗は一瞬熾されてしまった火のように燃え上がったが、すぐに冷静さを取り戻して、双方合意なら私が口を挟むようなことではないとは思いますというようなことをもごもごと言った。

「ただ、朝からああいうのは良くないと思われますが……」

「それも一理あるし、反省もしてるけどさ」

 一晩我慢して仕事してたからつい、と補足する。

「……我慢、しなかったら良かったじゃないですか」

「ん?」

「何でもありません。無骨な武臣が一晩も傍にいて失礼しました、と言ったのです」

「そんなことないよ。愛紗は十分可愛いと思う」

 可愛いからこそ余計に溜まったのであって。

「でも、無理矢理そういうことをするつもりはないから。さっき愛紗も言ったけど、必要なのは、双方の合意だと思う」

「……では、私が愛でてください、と申し上げれば寵を頂けるのですか」

「えっ!?」

「……戯れ言です。私のような無骨者が、」

 と愛紗は一瞬の間を取った。

「……あの方に敵う筈がない。所詮無理な話なのです」

「愛紗?」

 少し遠くを見るようにした愛紗に声を掛けるが、返事はなかった。

「さて、お時間をいただいてしまって、申し訳ございませんでした。皆が待ちくたびれておりましょう」

 話を断ち切るように、愛紗が背を向ける。

 瞬間、

 

 

 ざあっ――――――、

 

 

 と大きな風が地を這うように吹いた。

 辺り一面に花びらが舞い上がる。

 桃の、風花。

 愛紗の背中が少し遠くなっていた。

 俺は、駆け足でその背を追いかけることにした。

 

 

 

 閲兵式は、とりあえず大過なく済ませることが出来た。

 俺は黙考しながら、そして時折愛紗の様子をうかがいながらただ座ってただけ。

 万事は桃香が代わりに取り仕切ってくれた。俺の様子は傍から見て相当変だっただろうけど、何も聞かずにいてくれて本当に助かった。

 愛紗は――。

 何であんなことを言ったのだろう。

 1.仕事を半分以上押しつけられて気が立っていた

 2.朝から他人のあんなところを見せられて気が立ってしまった

 3.朱里に雛里、そして鈴々もああいうのはまだ早いと思っている

 どれもあり得るな……。

 閲兵式の宣誓を行うときも、模擬戦で雌雄を決した鈴々と翠を褒めるときも、戦舞を披露したときも、いつもと変わらない凛々しさを湛えていた愛紗だったが、その胸の裡はどうだったんだろう。

「とりあえず、もう一度話をしてみるか……」

 

 

 

 夜の帳が降りてから。俺は愛紗の部屋へと続く渡殿をいそいそと歩いていた。

 手に携えているのは、今日処理しておかないといけない竹簡の目録だ。

「手ぶらでいくのもアレだしね……」

 仕事を精力的にこなしていなかったことも愛紗の勘にさわってしまったんだろうから、謝罪の意味を込めて、今日の分はしっかりこなしてきたというわけだ。

「少しでも喜んでくれたらいいが。それともそれぐらいはやって当然です、って怒られるかな」

 俺をたしなめるために怒ったふうにするんだったらいくらでも受け入れる。だけど、昼間のようなのはちと辛い。

「愛紗に少し負担を掛けすぎてたのかも」

 放っておくと愛紗は俺のことを細々と世話を焼いてくれる。それに慣れすぎて、心地よすぎて、やりすぎてしまったのかもしれない。

 そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。想像できることはいくつもある。だけど、愛紗の真意を俺はまだ聞いてない。

 今必要なことは対話だと、そう思う。

「あれは……?」

 ようやく見えてきた愛紗の部屋に入ろうとする人影。

「桃香?」

 扉の奥からこぼれる光で一瞬見えた横顔は、三姉妹の束ね役である長姉のものだった。

「しまったな。これじゃ愛紗と込み入った話なんてできやしない……」

 つぶやいて思う。

 ところで、桃香は何をしにきたんだろう。

 桃香がわざわざ出向いてという光景が珍しかった。いつもは愛紗が桃香の部屋を訪れるというのに。

 気がつくと、気配を殺して部屋の中の様子を伺おうとしている自分がいた。

「……少しだけだから。特に俺と関係のない話だったらすぐに立ち去ることも約束する」

 誰に言い訳してるんだろう、と思いながら、俺は扉を少し開けて中の様子を伺うようにした。

「それで、桃香さま。お話とは?」

「うん……ほら、最近お仕事が忙しくて愛紗ちゃんとしっかりお話できてなかったじゃない? ……だから私で良かったらなんだけど、相談事とかないのかなと思って」

 桃香にしては珍しく少し上目遣いな感じだ。あくまで自然体が持ち味のいつもの姿はそこになかった。

「特に……、今困っていることも辛いこともございません」

「そうかな。本当かな?」

 そんなこと、ないように思うけどと続きそうな言い方を、桃香はした。何か確信があるかのように。

「ご心配をお掛けしてしまったのであれば、この身の不徳が致すところ。それは申し訳ございませんが、桃香さまがお気になされるようなことは何もありません」

「む〜。本当に? わたしに相談するようなこと何もないの?」

「はい」

「あの日の4人に誓って言える?」

「……はい」

 少し間があったが、愛紗は確かに頷いた。

「愛紗ちゃんっ」

 瞬間、切り返しが入った。愛紗が思わず直立不動になるぐらいの怒気を湛えて。

「お姉ちゃんが頼りにならないのならそう言いなさい。だけど遠慮して本当のこと言わないのならお姉ちゃん本気で怒るよ」

 桃香はいつも以上に真剣な眼をしていた。

 武芸はからきし。頭脳も平凡。愛紗をはじめとして桃香を上回る臣下なんてそれこそ綺羅星の数ほどいる。それなのに桃香が蜀の国主としてみんなの上に立っているのはこの眼を持っているからだ。他人を深いところで理解しようとするその視線。時には優しく、時には心配し、時には本気で怒り――、そんな眼で温かく包むから、誰もが力を貸そうと思う。

 圧倒的な力で他者を畏怖させることでもなく、天才的な独創性でもなく、誰もが持っていそうで持ち得ない、相手のことを心から思いやる気持ちこそが王者の才と言えるんじゃないかと思う。

「ぜんぶ受け止めてあげるから。言ってみて」

 桃香の言葉に、愛紗が背を丸め、体をふるわせた。

「うくっ……」

 黒い瞳からこぼれおちる涙。

 その背を優しく桃香が抱く。

「よしよし……」

「桃香さま……、私……」

「うん。判ってたよ」

 そっか。愛紗には、やはり辛いことがあったんだな……。

「好きなんだよね、ご主人様のこと」

 うんうん……って、えええええええええっ!?

 口から飛び出そうになった叫び声を無理矢理押し込める。

「はい……」

 桃香の推論かと思いきや、愛紗が頷いてしまい、それは確定的な事実となってしまった。

 いや、嬉しいんだけどさ。でも、正直なところ、驚きが幾分か先行していた。

「でも、桃香さま、何故……」

「そんなの判るよ。女の子だし、愛紗ちゃんのお姉さんなんだし、……わたしも、ご主人様のこと、好きだしね」

 もう言葉も出ない。

「愛紗ちゃん、気づいてたでしょう? わたしがご主人様のこと好きなの」

「……はい」

「それとおんなじだよ。たぶんみんな気づいてる。知らないの、ご主人様ぐらいじゃないかな」

 ぽんぽんと宥めるように愛紗の背をたたき、体を離す桃香。

「告白、しよっか」

 一緒に、という含みを持たせて視線をむける桃香だったが、愛紗は静かに首を振った。

「どうして? 好きなんでしょう。ご主人様のこと。朱里ちゃんや雛里ちゃんはもうしちゃったみたいだし、早くしないと出番なくなっちゃうかもしれないよ?」

「それでいいのです。お慕いこそしていますが、愛でていただけるとは、思ってません」

「なんで、愛紗ちゃんこんなに可愛いのに。それこそ告白しちゃったら閨に引き摺り込まれてえっちなこといっぱいされちゃうと思うな」

 桃香の中の俺はそんなですか……、と思わず悲しくなっていると、もっと悲しそうな顔で、愛紗がまた首を振った。

「私のことなど、小うるさい部下としかお思いでないでしょう。桃香さまのような女性らしさ、朱里、雛里のような愛らしさなど皆無。ご主人様が物好きであっても、私のような武に生きるしか能のない者を、相手になさることはありますまい」

「そんなことない、愛紗ちゃんなら絶対大丈夫――」

「桃香さまはっ、ご自分に自信がおありだからそんなことが言えるんです。私だって、自分が桃香さまのように綺麗ならご主人様に――」

 愕然とした表情で、一瞬愛紗を見た桃香だったが、すぐに優しい笑顔になった。愛紗のわだかまりを、自分が責められたことを、すべて受け入れて、そして愛紗を癒やそうとする慈愛の笑みのように、俺には思えた。

「本当は、愛されたい、よね? でも自信がない。そんなのわたしだって一緒だよ」

「嘘です」

「うそじゃないよ。ほら――」

 愛紗に手を差し伸べる桃香。その手は小刻みに震えていた。

「告白するときのことを考えると、わたしだってすごく怖い。わたしのことなんて好きじゃないって言われたら、他に好きな人がいるって言われたら、小さい女の子しか愛せないって言われたら、なんてね。最後のは笑うところだよ」

 その手を愛紗が優しく包み込む。

「そもそもそんなに自信があるなら、もう告白してるよ。だって、朱里ちゃん、雛里ちゃんに遅れを取ってるんだから。でも、怖くて出来ないの」

「桃香さま……」

「でも、もっと怖いのは、この想いを伝えられないこと。今は戦乱の世の中だから、いつこの身が滅ぶとも限らない。そのとき後悔したくない。そうは思わない?」

 こくりと頷く愛紗。桃香の想いに同意したのだろう。

「怖いよね……」

「はい……」

「戦場では誰もがおそれる愛紗ちゃんなのに、おかしいね」

「桃香さまこそ。すべての頂点に立たれる御方が、弱気なことを仰る」

 ふたりの笑い声が辺りに響く。それは優しくて、柔らかくて、お互いを信頼しているからこぼれる声だった。

「わたしにね、妙案があるの」

「桃香さまの案は、今少し怖いのですが」

「妙案だってば。あのね、国中を巻き込んじゃえばいいと思うの。わたしたちだけじゃなく、ご主人様のことが好きな国中の女の子に名乗りを上げてもらって、一斉に告白する。そして選らんでもらうの。怖さもみんなでわけあって、もちろん選ばれるように一生懸命がんばるんだけど、もしダメだったら、選ばれた女の子がいたら、喜んであげよう? 応援してあげよう? そしてみんなで泣こう?」

 とんでもない案だった。でも、愛紗はなんだか憑きものが落ちたように微笑んだ。

「本当に妙案ですね。でも、桃香さまには負けませんよ?」

「あー、わたしだってっ!!」

 また、部屋の中に笑い声が響いた。

 これ以上は、聞くべきじゃない。散々聞いておいて今更だけど。

 ふたりとも強いな、と思いながら。

 俺は自室に戻ることにした。

 

 

 

 帰り道。

 ふたりの会話が頭から離れなかった。

 俺のことを好いてくれてる、ということも勿論だけど、恋に命を懸けているようなあの様子が、浮かんでは消えて、消えては浮かんでいく。

「俺は、どう向き合えばいいんだろう」

 判らなかった。

 人は夜道に迷ったとき夜空を見上げるという。煌々と辺りを照らす星が、行く手さえ明るくしてくれるだからだろう。

 しかし、昼はなかった雲が空を覆い、星はひとつも見えなかった。

 ため息をつく。その声が消えるか消えないか、その刹那――

 

 

「どかああんっっ!!」

 

 

「うわああああああああああああっ!!」

「はわわっっっっっっっっっっっ!!」

 夜の獣にでも襲われたかと思いきや、声のほうを見ると、そこに居たのははわわ軍師こと朱里だった。

「な、なんだ朱里か。驚いた」

「ごごごご主人様、驚いたのはこっちですよ、あんな大声を出してっ!!」

 自分のやったことはひとまず棚上げしてがくがくぶるぶるしながら俺にしがみついてくる朱里。

「あのな……ま、いいや。で、どうしたんだよ、こんなところで」

 背中を撫でてやると、朱里は、ふふふと含み笑いをした。

「伏兵です」

「伏兵?」

「はい。愛紗さんの部屋から戻ってくるならここを通るだろうことを先見し、伏せておいたのです」

「愛紗の? ……さっきの、朱里も見てたのか」

 話の流れを察して問いかけると、朱里は、ちょっと冷たい顔をして、否の返事をかえしてきた。

「正確には見張っていました」

「見張っていた?」

「万が一、愛紗さんがご主人様から離反したときは討つことができるように、と」

「愛紗がそんなことするはずないじゃないかっ」

 それになんだよ討つ、って。

「はい。私もそう思いますし、そう信じたい。だけど、信じないことが軍師の役目ですから。……汚い人間だって思ってもらっていいんです」

 怖い顔をしている朱里を見たくなくて、抱き寄せようとしたが、するりとかわされてしまう。

「恋をしている今の愛紗さんは、正直読めない……。ひょっとすると、耐えきれなくなって野に下ることもあるかもしれない。私でさえ、この結末を先見することができない。だから有事が起こらないように、出来る限りの手を打ちたいんです」

「どうして……」

 桃香、愛紗の様子を見てからずっと疑問に思ってたこと。

「どうして、そこまで」

 そして。

「どうして、俺なんだ……」

「「だれを好きになるのか自分で選べたら、この世の幸せと不幸の九割は消えてしまうよ。恋なんてだれもしなくなる」。東方に居た、恋する革命家の言葉だと言われています。そして、恋は、女の子にとって命をかけるようなことなんです。戦う理由であり、死ぬ理由なんです」

 肩に重い荷を負う女の子は、ここで初めて微笑んだ。

「ご主人様。ご主人様はみんなの想いにどう答えるのですか?」

「……」

 答えられない。そもそも何をどう考えていいのかすら、判らない。

「全蜀告白大会、という名前になったそうです。もちろん、私も参加するつもりです」

 さっき、桃香と愛紗が話していた件だと思い至る。

「そのときには、答えを聞かせてくださいね」

 そう言い置いて、朱里は漆黒の闇の中に消えていった。

 俺を独り、残して。

 辺りに在るのは、闇と木々の気配のみ。

 その、時すらも止まってしまっているかのような無限回廊の中で。

 昨日から今日にかけての出来事が去来する。

 朱里、

 桃香、

 そして愛紗。

「俺は、どうするべきなんだ?」

 そのつぶやきを拾う相手など居ようはずもなく。

 ただ辺りには、夜風に嬲られる木々のこすれる音が、響くだけだった。

 

 

 

<続>

説明
Baseson『真・恋姫†無双』より、愛紗メインで、蜀の面々が恋の大バトルを展開(前編)。
はわわとあわわもあるよ!!
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真・恋姫†無双 愛紗 朱里 雛里 鈴々 桃香  ねね  

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