紅のオーク 〜第一章〜
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第一章 〜王国と庭園〜

 

 囚われの女を前に、エクセラの気持ちは逸っていた。

 ようやく目的の山小屋を見つけた時には陽が落ち、這い寄るような闇が森を包んでいた。山々を渡る夏風が枝葉を揺らし、獣が縄張を主張する遠吠えがどこからか聞こえてくる。

 山小屋の窓は熱気から逃れるように開け放たれ、松明の薄明かりが人の領分を主張していた。

 エクセラの視線の先、山小屋の中には横たわる女の姿があった。声を出せないように布の轡を嵌められ、逃げられないように両手と両足を縄で縛られている。女はぐったりとしていた。慣れない山道を歩かされただけでなく、自分の行く末を悲嘆し泣き疲れたのだろう。

「行くぞ、ガルディ」

 エクセラは急かすように、股に挟んだ硬いスキンヘッドをペチリと叩いた。離れた場所から小屋の窓を覗くため、ガルディに肩車をさせていたのだ。

「待て、敵は何人いるかわからん。もう少し様子を見ろ」

 ガルディの独特に響く低い声が、咎めるようにエクセラの太ももを震わせた。

 見えている限りでは小屋の前に一人見張りがいる。もちろん、たった一人で女を拐(かどわ)かしたわけはないだろう。

「野盗など物の数ではない。何人いようと私とガルディは負けはしない!」

 自分の剣の腕はもちろん、エクセラはガルディの強さに絶対の信頼を置いていた。なぜなら、騎士団の誰よりも強いエクセラの師匠がガルディだ。この二人が組めば、例え野盗が百人で襲いかかってこようとも、負けるはずがないのだ。

「負けなくても、奴らに逃げられる。もし一人でも逃せば、ねぐらを変えられちまうぞ」

「むうっ……」

 正論に言い返せずエクセラは押し黙った。

 娘の救出が最優先だが、エクセラ達の目的はその先にある。最近、領内を荒らしまわっている野盗どもを根絶やしにすることだ。それには、やっと見つけた手下どもを捕らえ、拠点の場所を吐かさなければならない。ガルディの言うとおり、一人でも逃せばまた一からやり直しだ。時間を無駄にすれば、それだけ大勢の人々に被害が出てしまう。

 エクセラは唇を噛んで、直ぐにでも助けに走り出したい思いに耐えていた。

 しばらくすると、山小屋の灯りが揺れた。女が捕らえられている部屋の扉が開き二人の男が入ってきた。一人はボサボサ頭の見るからに汚い格好の野盗で、もうひとりは幾分かマシな格好をしている。

 風が止み、耳を澄ますと男たちの声が聞こえてきた。

「アンタも随分と人が悪いねじゃねえか」

 ボサボサ頭が女を見下ろしながら、もう一人の野盗に話しかけた。

「何のことだ?」

「ここで朝まで休むってことはあれだ、げひひひ、お愉しみって事だろおよ」

 性根の腐ったのような下卑た笑いだった。ガルディに脚を押さえられていなければ、今直ぐにでも飛び出し斬り伏せてやりたいところだ。

「んっ……んん……」

 女のくぐもった泣き声が聞こえてくる。少しでも無事に帰れる可能性を信じていたのだろう。それを打ち砕く男の言葉に、絶えた涙が再び湧き上がっていた。

「馬鹿を言うな。商品に手を出すんじゃねえ。てめえのきたねえ垢が付いちまったら、価値が下がるだろ。お頭にぶっ殺されてえのか?」

 男はボサボサ頭を罵り、その浅薄を嘲笑った。しかし、言われた当人はまるで話を理解していない。

「なあに、ちゃちゃっとやっちまえばお頭にもわかりゃしねえって。朝まで時間はたっぷりとあるんだ。少しばかりご休憩したっていいだろ?」

 まるで糖蜜滴る果実を目の前にした猿のように、ボサボサ頭の意識は女のことでいっぱいのようだ。そんなボサボサ頭を男は厳しい口調で叱りつける。

「いいかてめえ。こいつは餓鬼の遊びじゃねえんだ。仕事だ、仕事! 商品が怪我しちまわねえように、歩き通しの身体を回復させるための休憩だ」

「休憩ついでに商品の味見したって」

「ああ? 文句あるなら、明け方まで一人で見張りさせっぞ!」

 男はボサボサ頭を怒鳴りつけると、腰の剣をちらつかせた。

「チッ……分かったよお。良い子でおねんねしてやるよ」

 不貞腐れたボサボサ頭はその場にドスンと腰を下ろすと、そのまま横になった。

 男は念を押すように二人を一瞥すると、部屋から出て行った。

 危機が去ったことに安堵するように、囚われの女も溜息をついていた。それから、手足を縛る荒縄が痛いのか、小さく身じろぎして体勢を変えた。

 戻った静けさにエクセラが息を吐こうとしたその時だ。ボサボサ頭が音もなく立ち上がり、気配を確かめるように扉に耳をつけた。しばらく、そうしてから何か分かったのかボサボサ頭は扉を離れ、無言のまま女に近づいた。

 不審な動きに怯えている女に、ボサボサ頭は懐からナイフを取り出し、口元でシーッと一本指を立てた。女の表情が恐怖に染まる。

「下劣な!」

 エクセラは怒りのあまり、肩車しているガルディのスキンヘッドを思い切り太ももで締め付け、さらにブーツの踵で蹴ってしまった。結構痛いだろうが、ガルディは文句を言うどころか、首を動かしすらしなかった。

「いひっ」

 ボサボサ頭のしゃっくりみたいな抑えた笑い声が聞こえてくる。すでに仲間の忠告は忘却の彼方なのだろう。ボサボサ頭はこれまでの人生で一度だって我慢なんてして来なかったに違いない。

 ボサボサ頭はうざったそうに、女の足首を縛る縄を切断するとそのまま覆いかぶさった。

 女は必死に抵抗を試みるが、簡単にねじ伏せられてしまう。多少の物音はしているが、小屋の壁のせいであのリーダー格の男には聞こえていないようだ。

「もうこれ以上は待てん!」

 エクセラは肩車するガルディの頭頂を両手でぐっと押し込むようにして、そのまま飛び越えた。

「私は正面から行く。ガルディは裏から回ってあの娘を助けてくれ」

「ああ、分かった」

 呆れ気味に答えるガルディの声を背に、意気込むエクセラは剣を抜くと疾風のごとく小屋に駆け寄った。

「貴様ら、神妙にしろ!」

 エクセラは小屋を前にして、決闘でも挑むように声を張った。危険なことぐらい承知だが、女を救うためには野盗全員の注意を引く必要がある。

 眠そうに座り込んでいた見張りが、剣を手に慌てて立ち上がる。

「な、なんだてめえ!!」

「野盗に名乗る名は無い! 騎士として無辜の民の願いを聞き、はせ参じた!」

「はあっ? 女が騎士だ? なに言ってんだ」

 見張りはエクセラの言葉をまるで信じていないようだ。馬鹿にするように頭の横でくるくると指先を回した。

「おい、なにがあった?」

 小屋の扉が開き、あのリーダー格の男が姿を表した。油断無い様子で男の手には、抜身の剣が握られていた。

「騎士様だってよ」

 見張りが嘲笑混じりに答える。リーダー格の男は一瞬驚いたようだったが、エクセラを見て小さく笑った。

「いい女じゃねえか」

 男から緊張感が失せ、代わりに無遠慮な視線がエクセラの身体を舐めまわす。

「下衆共が」

 その視線を撥ね退けるように、エクセラは胸を張りブレストアーマーを突き出した。その意味も分からないのか、野盗共はさらにいやらしい笑みを強める。

「胸がデカくて、腰もキュッとしてる。鼻っ柱が強いのも金持ち好きするぜ。こいつはあの女より高く売れそうだ。よし、傷つけないで捕まえるぞ」

「へへへ、もちろんわかってるよ。綺麗な長い金髪を引っ掴んで、犬みたいに跪かせてやる」

 欲に目がくらんだ見張りは剣の切っ先を下げ、無防備にエクセラに近づいてきた。

「女と侮る程度ならば、貴様らとは剣を合わせる価値すらない」

 その油断を咎めないエクセラではなかった。瞬きする間の速さで踏み込むと、がら空きになっている見張りの横っ腹を斬りつけた。

「ひぎゃぁあああ!」

 剣の軌跡に鮮血が舞い、見張りは腹を抱えてその場に蹲った。叫びがあげられるほどの手応えだ。決して致命傷ではない。もっとも治療しなければ死ぬだろうが、そこまで遠慮してやる義務はない。

 仲間が倒されたことで急に現実味を帯びたのか、リーダー格の男は剣を上段に構え直す。

 しかし、もう遅い。小屋の裏から揉める声が聞こえ始めている。エクセラとガルディの挟撃は完成していた。最初の時点で逃げ出していればあるいは、一人ぐらいは助かったのだろうがもう無理だ。

 状況の変化に露ほども気付かない男は、剣を振りかぶりエクセラに向かってくる。

「その生意気な腕の一本でも切り落としてやる!」

 剣を脅しぐらいにしか使ってこなかった男の攻撃など、エクセラにとっては躱すまでもない。

「鈍い!」

 振り下ろされる剣に向かって、エクセラは自らの剣を一閃、暗闇に火花を散らす。打ち負けた男の剣が空を飛ぶが、手入れもロクにされていない鈍った刃は月明かりにさえ拒否されたように暗がりに消えていった。

「観念して裁きを受けろ」

 野盗の剣は騎士には届かない事を示したエクセラが、男に詰め寄る。

「この女……」

 苦々しくつぶやいた野盗は、そのまま踵を返そうとするがエクセラは許さない。

「ハッ!」

 翻った切っ先が野盗の右の肩口を斬り裂いた。痛みに顔を歪め野盗の足が止まる。

 逃げる相手でも容赦なく斬るというエクセラの意志が伝わったようだ。そう、野盗相手に騎士としての礼儀は無用だ。

 野盗は傷を心配するように左手で右肩を押さえ、ジリジリと後退していく。後ろにあるのはガルディが回りこんでいる小屋だ。もう野盗に逃げ道はない。

「チッ……」

 不意をついて逃げるのは無理と悟ったのか、野盗は空いている右手を懐に突っ込んだ。ナイフでも投げてくるのかと、エクセラは身構える。集中さえしていれば、投げナイフぐらい叩き落とすのは簡単だ。

 そんなエクセラの予想に反し、野盗が取り出したのは緑色の液体で満たされた小瓶だった。

「くそ……、こいつを使っちまたらよ」

 男は小瓶のコルクを噛み切るように引っこ抜くと、左手にべっとりとついている血をその瓶の中に流し込んだ。

 緑色の液体はまるで食事を欲するスライムのように蠢き血と交じり合い、淡い光を放ちだす。

「稼ぎが飛んじまうじゃねえか!」

 盗賊は小瓶を地面に叩きつける。硝子片と緑色に輝く液体が場違いな美しさで飛び散った。液体は土に吸い込まれ、今度はその土が僅かな光を放ちだす。

「貴様、どこでそれを手に入れた」

 道具の正体に気づいたエクセラが問いかける間に、地面が音を立てて隆起していく。

「ウチのお頭はよ、色々と顔が利くんだぜ」

 切り札を使い自分の優位を確信したのか野盗は得意気に言った。

 隆起した土は互いに寄せ集まるようにして、人間の倍以上の大きさへと成長していく。

「野盗風情がこんなものを持ってるなんて、あの噂は本当なのか」

 土塊からぶっ格好な二本の手が伸び、土台が下から裂けるようにして二本の脚が出来上がる。最後に緑の光が頭部に魔法文字を浮かび上がらせた。

 土塊の巨人、ゴーレムは誕生を喜ぶかのように、足踏みし地響きを立てた。

「こいつに剣は効か――」

「きゃあぁああああああ」

 得意気になる野盗の声を女の悲鳴がかき消した。開け放たれたままの小屋から、手を縛られた女が飛び出してきたのだ。

「なんで、こいつが?」

 野盗は慌てながらも女の腕を掴み、自分のところへ引き寄せた。

「まあいい、好都合だ」

「いやぁあああああああ! あっ……」

 半狂乱で逃げようとしていた娘だったが、野盗にナイフを首に押し当てられ動きを止める。金属の冷たさに少し冷静さを取り戻したのか、女はハッとした表情を浮かべていた。

「一歩でも動いたらこの女を殺す」

 野盗はゴーレムと人質を二重の盾に、エクセラに向かって優勢を吠える。

「まったく度し難い馬鹿だな」

 エクセラは慌てない。すでに小屋の中での騒動が片付いているのが分かっていたからだ。

「ゴーレムの代金は、てめえの身体をボロボロになるまで使って払ってもらうからな。覚悟しておけよ」

 野盗の言葉が終わると同時に、小屋から人影が不自然な体勢で飛び出した。女の時とは違い、それは自らの脚ではなくものすごい力で投げ飛ばされたものだ。

「ひぎゃあ!」

 短い悲鳴と共に人影はゴーレムにぶつかり、何かが折れる嫌な音を響かせる。女を襲っていたあの下劣な野盗だった。野盗は不自然な角度で首を曲げたまま、地面に倒れ込んで動かなくなった。

「あっ?」

 ただ一人の残った野盗が疑問の声を漏らし、事情を知っている人質の女が恐怖に顔を強張らせる。

「遅いぞ、ガルディ」

 エクセラが小屋の入り口の向こうに現れた大きな影に向かって喋りかける。

「お嬢さんに怯えられちまってな」

 苦笑とともにその巨体は、小屋の戸枠を窮屈そうに押さえて現れる。木枠を破った手は指からしてゴツゴツと太く、続いて現れた腕ははち切れんばかりの筋肉に覆われている。倒れた松明に映し出されたのは緑の肌だ。そして、屈めるようにして戸を潜った顔は巌のように険しく、発達した下顎からは二本の鋭い牙が生えている。人ではない彼は、しかしその黒い瞳に人と変わらぬ理知を湛えていた

 エクセラの一番の家来、オークのガルディだ。

「お、オークが喋った!?」

 人質の女が悲鳴混じりの驚きの声を上げた。ガルディが助けに乗り込んだ時も声をかけただろうが、おそらく混乱と恐怖で彼女には届いていなかったのだろう。だから、こうして小屋の外に飛び出してきたに違いない。いや、無愛想なガルディのことだから何も喋りかけなかった可能性もある。

「女騎士にオーク……、そういえば噂で聞いたことがあるぞ。この国には喋るオークを飼ってる、男勝りの豚姫がいるってな」

 野盗の目の色が明らかに変わる。傾いた天秤が崩落する音が聞こえた気がした。

「ひひひっ、俺はついてる。アーデルランドの姫なんて手に入れたら、一生遊んで暮らせる金が手に入るぜ!」

 ゴーレムがあればエクセラもガルディも、たった一人で相手できると思っているのだろう。確かにゴーレムはオークのガルディよりも二回りも大きい。魔法道具であるゴーレムは知能こそ無いがその分、馬車を持ち上げるほどの怪力で、疲れも恐れもなく戦い続けられる。

「神でも救えん愚かさだな」

 エクセラの侮蔑も、降って湧いた幸運に興奮する野盗の耳には届かない。

「ゴーレム、その豚共を叩き伏せろ!」

 契約者の命令に従いゴーレムは、岩石でできた腕を振り上げエクセラに襲いかかる。その動きは土塊だけあって、お世辞には素早いとは言えない。

 軽装備なら余裕で躱せる打撃だが、エクセラはその場を動かない。代わりとばかりにガルディの鼻息一つが駆け抜けていく。

「ふんっ!」

 詰め寄ったガルディは大地を踏みしめ、迫るゴーレム拳めがけて、自身の拳を振りぬいた。拳と拳が激突。石を砕く乾いた音が響き、ゴーレムの動きが止まった。

「なっ!?」

 丸太のようなガルディの腕はまさに破城槌だった。野盗が息を呑む目の前で、ゴーレムの身体にヒビが入っていく。ガルディの拳が穿ったへこみを中心に広がり止まらない。ついには頭部の光る文字に達してしまう。

 文字が硬質な音を立て砕け散る。破片は礫となり、その一部が野盗の頭にぶつかった。衝撃に野盗がナイフを取り落とした所で、捕まっていた女はその手を振りほどいた。

「こっちへ」

 呼びかけるまでもなく、女はエクセラの方に逃げてきた。

 魔法を失ったゴーレムはただの土塊へ戻り、小さな土砂山となった。あまりにもあっけないゴーレムの最後に、野盗は声を失ってしまう。

「残りはお前一人だ」

 腹を斬られた野盗は木に寄りかかり動けず、ガルディに投げ飛ばされた野盗も転がっている。

「奥にも一匹捕まえてある」

 ガルディの言葉にエクセラは遠慮なく剣を握る手に力を込めた。

「なら、こいつはどうなっても構わないな」

 野盗がエクセラの動きに気づいた時には、すでに剣の間合いに入っていた。

「や、やめ」

「成敗!」

 逃げる素振りを見せた瞬間、エクセラは右手の剣を野盗の腕に振るった。

「ぎゃぁああああ!」

 刃は野盗の腕を深々と斬り裂きその腱を断つ。野盗は痛みと恐怖に泡をふき、白目を剥くとその場に崩れ落ちていった。

 この男を始末しても誰も咎めないだろう。それどころか民人らには感謝されるところだ。しかし、エクセラには情報を引き出す必要とともに、全員に裁きを受けさせる騎士としての義務がある。

 エクセラは刃に付いた血を振り払うと、剣を鞘に収め女に近づいた。

「あ、あぁ……」

 女は地面にへたり込み震えていた。野盗に攫われその身に危険が迫ったのだからしかたのない事だろう。

 懐から白いレースのハンカチを取り出すと、エクセラは女の涙をそっと拭った。

「もう、大丈夫だ。安心しろ」

 エクセラが抱きしめると女は声を出して泣いた。

「連中を縛っておくぞ」

 ガルディの低い声が響くと、腕の中で女は身体をビクリと震わせた。

 その反応にエクセラは小さく唇を噛んでいた。どんなに友好的でエクセラと親しげに喋っていても、ガルディはオークなのだから見ず知らずの人間としては仕方ない反応かもしれない。それでも、ほんの少しだけ悲しかった。

「ガルディはオークだが私の家来だ。人間を襲ったりしないぞ。そう、怯えるな」

 エクセラはできるだけ明るく言って女を安心させようとした。

「怯えるなってのは無理な話だな」

 心底おかしそうにガルディは声を出して笑ったが、エクセラには何が面白いのか分からなかった。

 エクセラの問いかけるような視線をから逃れガルディは背を向けると、野盗共を縛り上げる縄の準備を始める。

 その首元では、服従の首輪が松明を受け鈍く輝いていた。

 

 剣と魔法の大陸エルファリア。

 かつてこの地には強大な勢力を誇る一人の魔王がいた。

 百万の軍勢を従え、その力は山を砕き、魔法は川を一瞬で凍りつかせるほどだった。

 魔王は人間の国を次々に攻め滅ぼしていった。

 人間たちは団結し魔王に戦いを挑んだ。

 戦いは十年以上に及んだが、ついに七人の勇者が魔王のもとへたどり着いた。

 三日三晩に及ぶ激闘の末、魔王は聖剣によってその胸を貫かれた。魔王は怨嗟の雄叫びとその膨大な魔力を飛び散らせ滅びた。

 人々は恐怖の終焉に歓喜し、これで平和な時代が訪れると思った。

 しかし、戦いの終わりは新たな戦いの始まりでしかなかった。

 魔王軍の残党、呪縛から解き放たれた危険なモンスター、そして共に戦った国々。

 大陸は混迷の時代へと移っただけだった。

 アーデルランドもそんな混乱期に誕生した国の一つだ。

 魔王討伐の勇者の一人が、飛び散った魔力を封じるためにその場所に居を構えたのがその礎だ。そこに争いを好まぬ人々が集まりやがて小さな国となっていった。

 三百年の間に周辺国は争いを繰り返し、三つの大国へと離散集合していった。

 西の大河を挟んだデイン王国、北東のクロディウス帝国、そして大山脈を挟んだ砂漠のルーランだ。

 アーデルランドはこの三つの大国の微妙な力関係の上に平和を築いていた。

 エクセラ・アーデルランドはそんな小国の姫だった。

 

 

 姫なのにエクセラはよく怒られる。

 剣を始めれば国王である父上にたしなめられ、料理を思い立てば料理長に食材の無駄だと止められ、勉強の時間をすっぽかすと宰相に小言を言われる。最後の一つは自分が多少悪いのかもしれないが、それでも騎士には行かねばならぬ時があるのだ。決して退屈な勉強が嫌いなのではない。助けを求めている人々がいるのだ。

 その結果として、今日もエクセラは妹に怒られていた。

「報告は聞きました、お姉さま」

 イランジュア・アーデルランドは椅子を回し、振り返ると可愛らしい眉を顰めて言った。

 長身で女性的な身体つきの姉と比べて、小柄で可愛らしい顔つきの妹はかなり年下に見られがちだ。実際は今年で十五歳になり、エクセラとは二つしか離れていない。最近かけ始めた眼鏡も、大人っぽさより可愛さを強調してしまっている。

 そんな所を気にしてか、イランジュアは身体に似合わぬ大きな執務机を使っていた。本人としては威厳を出しているつもりなのかもしれないが、むしろ人形がちょこんと椅子に座っているような愛らしい雰囲気になってしまっている。

「危ないことはしないで下さいって、私あれほどお願いしましたよね」

 イランジュアは切り揃えた前髪を揺らし、エクセラを見上げた。

「特に危険はなかった。私とガルディが野盗などに負けるわけがない」

 捕らえた野盗は駐屯地にいた騎士団に任せてある。行きも帰りもガルディと一緒で、危険があるはずがないのだ。

「そういう問題ではありません! 私は万が一の事を心配しているのです。もしも、お姉さま身に何かあったら……」

 心痛な面持ちでイランジュアは目を伏せる。エクセラとしても妹に心配をかけるのは心苦しい。しかし、騎士としてやらなければならないこともある。

「騎士団の手の届かない所で悪事が行われている。それを咎めなければ、民は安心して暮らしていけない」

「野盗の被害は騎士団でも把握しています。徐々にですが対処も行っています」

 騎士団の力が野盗に及ばないわけではない。むしろアーデルランドの騎士団の練度は周辺諸国からも一目置かれる存在だ。

 問題はその人数の少なさだ。国の財政状態など色々な要素が絡むが、とにかく騎士団は万年人手不足だった。そのため、任地からおいそれと動かすことはできなかった。野盗にかまけて、他国の侵略を許しては笑い話にもならない。

 野盗の拠点さえ分かれば、短期的に戦力を集中投入して撃滅できる。しかし、野盗達は拠点を巧妙に隠し、さらにそこを転々としているのだ。

 今のところ騎士団ができることは、十人ほどの人員を投入し野盗の拠点を探ることだけだったが、それもあまり上手くは行っていなかった。だから、エクセラは勝手に野盗討伐を始めた分けである。

「騎士団が準備を整えるまでも被害は出続けている。私は私のできることをしているだけだ」

「確かに剣の腕が立つお姉さまにならできることかもしれませんが、それはお姉さまの本来の仕事ではありません。野盗の件は騎士団が手を伸ばすべき職務です」

 イランジュアが心配してくれるのは分かるが、エクセラにも信念がある。

「私は騎士だ」

「お姉さまは騎士団に所属していません。残念ながら正式な騎士とは扱い致しかねます」

「どこに所属しているかなど些細な事。心の持ちようこそが騎士の資格だ」

 どうだと言わんばかりにエクセラは拳を握りしめるが、イランジュアには飛礫ほどの効果もない。

「それを認めてしまうと、国中に自称騎士様が溢れかえって大変なことになってしまいます」

 もっともな理由ですげなく言い返されてしまった。

「うぬぬぬ……」

 口の達者なイランジュアを前にしては、男勝りのエクセラとはいえ閉口するしかなかった。

「な、ならば私は姫として民人達を救わねば」

 苦し紛れに自分の立場を持ち出すが、これもイランジュアには通じない。それどころか、この言葉を待っていたとばかりにイランジュアは目を輝かせた。

「お姉さま、この国の姫として国民のためにできることはいくらでもありますよ」

 そう言って、イランジュアは執務机の上の紙束をいくつも掴んだ。

「農地開拓の計画、税制改正の大綱、ルーランとの通商路開拓の提案書」

 イランジュアは早口で捲し立て、紙束をどんどんエクセラに渡していく。どれも重要書類なので放り出してバラバラにするわけにもいかない。

「うわ、ちょ、ちょっと待ってくれ、イラ」

「まだまだありますよ。王都の再開発計画、公爵家からのパーティーの招待状、それに山ほどの嘆願書」

 最後に片手では挟めないほどの厚みの紙束を、エクセラが持つ書類の山の上にドンッと置いた。普段から鍛え、剣を振り回しているエクセラがしんどいほどの重さになってしまった。

「さあ、どうぞお好きなものをお選び下さい」

 と、言われても前が見えないほど積み上がった書類から何か選び出すなんて無理な話だ。政治の話は妹のように上手く出来ない。

 エクセラは書類の山を執務机につき返した。

「私がそういうことに向いていないのを、イラも知っているだろ」

 例えば悪人がいたらとりあえず成敗して、その先のことは捕まえてから考えるのがエクセラだ。政治につきものの二枚舌やら腹芸なども全く出来ない。思ったことは直ぐにズバッと言ってしまうのだ。そのため王城で開かれる舞踏会ですら若干浮いてしまう始末だ。

 さらに極めつけはその計画性の無さだ。

 エクセラも過去に王都近郊を流れる川の治水事業を任されたことがある。人々のためになるならばと、喜び勇んで工事に向かったのだが、あまり上手くいかなかった。納期が厳しいというので追加で人を雇ったり、近隣の人々のために一時的な迂回路を作ったりなどしているうちに、元々の予算が尽きてしまったのだ。なんとか完成させたが、予定の二倍近くの金がかかってしまい皆に呆れられたのがトラウマになっている。

「向かなくてもやるんです! いずれお姉さまは、この国の重大事を決める立場になるんですよ! 今のうちから慣れなくてどうするんですか!」

「イラがいるから大丈夫だ!」

 少々無責任かもしれないが、エクセラは優秀な妹に絶対の信頼を寄せていた。

 エクセラが王国一の騎士なら、イランジュアは王国一の才媛だ。幼い頃からその才能は突出していた。エクセラやイランジュアの勉強のために様々な教師が呼ばれたが、そのほとんどが一〇日と保たずに辞めていった。その原因がイランジュアだった。初日は普通に話を聞いているのだが、三日目には質問攻め、そして五日目からは話の問題点や矛盾点の指摘が永遠と続くのだ。教師が答えに窮したりすれば、すぐさま独自の解釈や新しい理論、考え方を披露しそのプライドを徹底的に叩き折っていった。ついには誰も二人の教師をやりたがらず、イランジュアがエクセラに勉強を教えることになった。

 成長したイランジュアは政治にも口を出すようになっていった。彼女曰く「お姉さまの国が無能共にグチャグチャにされるのが耐えられなくなった」そうだ。

 もちろん宰相を始めとした臣下はいい顔をしなかった。父である王でさえ出過ぎた真似だと窘めた。しかし、そんなことで諦めるイランジュアではない。当時、絶対に無理だと言われていた南部にあるリョース山の鉱山開発を成功させたのだ。これには王や臣下も驚き喜んだが、運が良かっただけの事として終わらせようとした。

 しかし、イランジュアは彼らより何枚も上手(うわて)だった。役人が鉱山の権利を整理しようとした時には、その全て、さらには運搬路までがイランジュアによって押さえられていたのだ。

 こうして国が喉から手が出る程欲しい鉱山の利権と引き換えに、イランジュアは王国最高顧問という立場を手に入れた。その後もイランジュアは様々な改革や規制の撤廃を行い国に利益をもたらした。ついには全ての臣下が彼女の実力を認めることになり、今では難しい案件や重要な案件は全て彼女の目を通すようになっている。

「お姉さまは政治に関して私に頼りすぎです。もし、私がいなくなったらどうするんですか?」

「いなくなる…………ハッ! ついにルークと結婚するのか!」

 エクセラの言葉に、突き返された書類を整理しなおしていたルークの手が止まる。

 ルーク・タッカー、妹の幼馴染の魔法使いだ。多少気の弱い性格で、そこを昔からイランジュアにつけ込まれ様々な協力を余儀なくされていた。本人はひっそりと魔法の研究をして暮らしたいそうだが、今はこうしてイランジュアの副官をやらされている。運もないのか貧乏くじを引かされやすい少々気の毒な男だ。

「ち、違います! 何を言ってるんですか、お姉さま!」

 普段は冷静沈着なイランジュアが顔を真っ赤に染め、執務机をドンと叩いた。せっかくルークが揃えた書類が、今度は雪崩を起こし床に散乱してしまう。

「まとめ直しますね」

 小さく嘆くとルークは姉妹のやりとりから逃げるように、書類を抱えて自分の席に戻っていった。

「ルークに嫁ぐんだろ? 結婚した二人が城を離れたいと言えば、私とて止められん」

 二人は将来を誓い合っているものだとばかり思っていた。

「ルークは関係ありません! それに仮に誰かと結婚したとしても私はお姉さまのいる城を離れるつもりはありません! というか、結婚する予定はありません!」

 色々と鈍い自覚のあるエクセラから見ても、お互いが好いているのは分かる。しかし、その関係はあまり進展していないようだ。

「プロポーズもまだだったか。ルーク、しっかりするんだぞ」

 エクセラがルークを見ると、書類を滑らせた彼の耳が真っ赤に染まっていた。

「お姉さま! そうやって誤魔化さないで下さい!」

「誤魔化してなどいない。お前たち二人はとても似合っていると思うぞ」

 何事も徹底的にやらねば気が済まないエクセラと、少し引いた位置からそれを補佐するルーク。二人ならばそれこそ国家的な困難であろうと乗り越えられるはずだ。

「私のことは良いんです! 結婚ならお姉さまの方が一〇〇〇倍も問題です!」

「問題? ……何もないぞ」

 エクセラは首を傾げた。少し考えても問題があるとは思えなかった。

「おおありです! 結婚するなら強い男、決闘でお姉さまに勝たなければならないなんて無茶苦茶です!」

「当然だ。私より弱い男など夫として認めらるわけがない」

 エクセラは胸を突き出し、自信満々に言い切った。

 王妃に先立たれた王には、エクセラとイランジュアの二人しか子供がいない。エクセラの夫になることは、すなわち次代の王国の中心になるということを意味する。そのため年頃になったエクセラには、幾つもの縁談が舞い込んだ。臣下の有力貴族、隣国の王子など、それは錚々たる面々だった。

 エクセラは現在十七歳。父である国王もまだ五〇代半ばで壮健だ。王族としての結婚の必要性は分かっているけれど、まだ結婚を決めるのは早いと考えていた。

 とはいえ、そんな個人の考えで先送りしていい問題でもないのも事実だ。そこでエクセラは求婚者に一つの条件を課した。

 それが、剣でエクセラに勝つことだった。

 今まで何十人もの貴族、王子が挑戦してきたが、エクセラは未だ無敗だ。勝利を重ねるに連れ、エクセラの男勝りの性格と、非凡な剣の腕が知れ渡るようになった。そして、情けない男たちは女に負けることを恐れ、求婚者が激減していった。宰相を始めとしした家臣団はこの事態を憂慮し、色々と条件を変えるように言ってくるがエクセラは条件を曲げなかった。

「ほんと、あのオークは余計な事をしてくれましたね」

 イランジュアは苦々しく言って、首を左右に軽く振った。

 幼いエクセラが剣を習うことに城中の人間が反対する中、彼女に剣や戦い方を教えたのがガルディだ。そうでなくても、イランジュアはガルディの事をあまり良く思っていないようだ。ガルディは別にイランジュアの事を嫌ってはいないようだが、かと言って好いているわけでもなさそうだ。姉としては二人が仲良くなって欲しくて、色々とお膳立てをしたこともあったが、二人が歩み寄ることはなかった。いずれ時間が解決するかもしれないし、永遠に平行線のままかもしれない。とりあえず見守るしか無いだろう。

「私が剣を使えて良かったこともあるだろ。」

「それはそうですけど……」

 過去にエクセラは父王の暗殺を阻止したことがある。それは初めて人を斬った記憶で、色々と苦い思い出と一緒になっているけれど、後悔はしていない。

「あって邪魔になる技術(スキル)じゃない」

「弊害が多すぎます!」

 確かに迷惑を掛けている側面もあるかもしれないが、エクセラとしては今更、剣を捨ててドレスでしなを作るような真似は無理だと思っていた。

「別に求婚者が一人も居なくなったわけじゃない。今日だって」

「ブレーバー卿の子息と決闘ですか。アレはもともと論外です! 器じゃありません!」

 エクセラの言葉を奪ったイランジュアは、鋭い口調で断じた。心のなかでエクセラも同意するが、彼の存在は都合がいいので口には出さない。

「……まあ、そういうわけでそろそろ決闘の時間だ。私は行くぞ」

 これ以上、イランジュアにお小言を続けられては決闘の前に疲れ果ててしまう。エクセラは踵を返し部屋の扉に向かった。

「待って下さい、お姉さま! まだ話は終わって――」

 イランジュアの制止の声を無視して、エクセラは早足で扉を抜け廊下に出た。

 背後から怒るイランジュアの声と、それを宥めるルークの声が聞こえてくる。やはり二人はお似合いだ。

 エクセラはなんだか嬉しくなって、両腕を大きく振って勇ましく城下に向かった。

 

 王都の城下町は東と南の二つの地区に分かれている。東地区は建国当初からあって、落ち着いた石造りの街並みが続いている。貴族の邸宅や伝統ある商店、代々アーデルランドに住んでいる国民と保守的な色が強く、旅人はあまり寄り付かない。また戦争を想定した街づくりが行われたため直線的な道が少なく入り組んでいる。

 一方の南地区は新しい街だ。商工業を発展させるべく計画された街で、中央の大広場を起点に東西南北に大通りが走り非常に分かりやすい形をしている。かと言って、城の守りを手薄にしているわけではない。王城や東地区との間には川が流れていて、橋を渡らなければ行き来はできないようになっている。

 成長の限界にほぼ達している東地区に比べ、南地区は今も発展を続けている。王都には隣国のデイン王国やクロディウス帝国の間で貿易をする商人が本店を構えていたりしている。また北方のルーランとの間にある険しいレムレス山脈を超えるための休息地にもなっている。それらの理由で、国力的には三国に劣るアーデルランドだが、冒険者ギルドや魔術士協会などは大国と変わらない規模で運営されている。

 もちろん、国民にとっても開かれた街になっていて農閑期の出稼ぎや、王都での一攫千金や立身出世を夢見た若者たちがやってくる。人が集まれば、あらゆる物が必要になり、そこに経済が育っていく。大通りには食料品店から、雑貨屋、宝石商、冒険者の武具を扱う鍛冶屋、魔法道具屋などなど様々な店が立ち並んでいる。休日や記念日には朝から市が立ち賑わいを見せている。

 エクセラが南地区の広場にやってくると、出店や露天が立ち並び、多くので溢れかえっていた。定期市には及ばない規模だが、人々の関心が一箇所に集中しているので熱気はそれ以上だ。

「あっ、姫さまだ!」

 広場に足を踏み入れるやいなや、一人の少年がこちらに気づいた。エクセラは少年に微笑みかけると小さく手を振った。

「姫さまが来たぞ!」

 少年の声を切っ掛けに歓声が湧き上った。それは勇者の凱旋を喜ぶような崇拝と信頼が篭っていて、エクセラに勇気と強さを与えてくれる。

「おい、道を開けろ」

 誰かの呼びかけに、まるで魔法でも使ったかのように厚い人垣がさっと割れ、広場中央への道が出来上がる。

「ひめちゃまー、がんばってーー」

 小さな子どもが必死に手を降っている。

「きゃー、姫さま今日もお美しい!」

 若い娘の黄色い声援があちらこちらから飛んでくる。

「ブレーバーの小倅なんてぶっ飛ばしちまえ!」

 鉢巻をしたいかつい顔の大工の応援が逞しい右腕を空に向かって突き上げる。

 彼らは全てエクセラと挑戦者の決闘を見に来たのだ。最初は騎士団の練習場で行っていたけれど、どこだか遠方の国の王子が、公平を期すために衆目のもとで試合をしたいと言い出し、それからは決闘は事前に告知され、南広場の特設場で公開されることになった。国民である観衆は最初こそハラハラと戦いの行く末を見守っていたが、エクセラが余裕の連戦連勝を重ねるうちに安心し、ついには興行のような様相を呈してきた。

 将来を決める決闘が見世物にされることに最初はあまり乗り気ではなかったエクセラだが、今では人々の期待に積極的に応えるようにしている。単純に人々に応援されることは嬉しいし、王族である自分が人気を得ることは悪いことではない、そして催し事になれば普段より物が売れ人びとの生活の足しにもなるなど、利点は多い。ちなみに、二番目はガルディに、三番目はイランジュアに教えられたことだ。

「さあさあ、誰かブレーバーに賭ける人間はいないのかい? このままじゃ賭けが成立しないぞ!」

 中にはこんな賭けを煽る人間いるのも、お祭り騒ぎなので仕方ないことだろう。

「アハハハッ、そんな馬鹿いやしねえよ」

 必死な胴元の呼びかけも、周囲の人間には一笑に付されるだけだった。声が枯れるぐらい続けていたようだが、ついには降参とばかりに両手を上げて天を仰いだ。

「ち、今回もダメかあ。まあ、そうだよなドブに金捨てる奴はいねえよな」

 諦めた胴元は掛け札をポケットにつっこみ、代わりに取り出した硬貨で屋台の肉汁滴る串焼きと麦酒を買った。ちょっと熱そうにしながら肉を頬張り、麦酒に喉を鳴らした。

「姫さま、今日も勝って下さい!」

 小さな女の子が大人たちの間から顔を出し、懸命に手を振っていた。

「うむ、私は負けんぞ」

 約束するように応えて、エクセラは道すがら女の子の頭にポンと触れた。

 人々が作る花道の先には、周囲より高くなった石造りの円形舞台がある。季節祭や大道芸、野外劇などに使われるために作られた。多目的なので円形に石が敷かれている以外にこれといった特徴はない。大人の腰ぐらいの高さで、直径は30歩弱あり決闘場としては十分な広さだ。普段は子供達が走り回ったりボールを投げたりと自由に遊んでいるが、今日は白いロープが周囲を囲み、関係者以外は入れないようになっている。

 エクセラは戦いの舞台へと導く石段を軽い足取りで上がっていく。周囲に集まる人垣より高くなると、嘘のように視界が開ける。殺風景な舞台上では対戦相手であるレイナルド・ブレーバーが不敵な笑みを浮かべ待ち構えていた。

 レイナルドの身長はエクセラより僅かに高いぐらいで、男子としては平均か少し大きいぐらいだろう。切れ長の目に細面と整った顔立ちをしている。肩まで伸ばしていてる金髪は少し癖があって、毛先がクルクルと丸まっているのが彼の印象を和らげ愛嬌を持たせている。年齢はエクセラと同じ十七歳で、成長した身体の中にも少年の面影を残していた。身に着けているものは貴族にしては大人しい装いだが、詳しい者が見れば生地の値段とそこに加えられた手間賃が一般人の一ヶ月分の収入に匹敵することが分かるだろう。

「お待たせしました、姫」

 開口一番、レイナルドはチグハグなことを言うと右手を胸につけ大仰に頭を垂れた。

「待っていたのはお前だろ?」

 エクセラは広場の外周に立ち時計塔をちらりと見た。時計の針は十一時五十分を指している。妹のお説教で時間をとられたけれど、決闘の刻限には間に合っていた。

 疑問の表情を浮かべるエクセラと観衆にレイナルドは頭を振って答えた。

「フフ、分かっています。姫は僕の挑戦を首を長くして待っていたのでしょう」

「別に待っていないぞ」

 エクセラはそっけなく言った。イランジュアのお説教を切り上げる口実にさせてもらった以外は、これっぽっちもレイナルドとの決闘を願ったりしてはいない。

 そんなエクセラの素気ない態度も、レイナルドはまるで気にならないのか不敵な笑みを崩さない。

「相変わらず照れ屋ですね。今日こそはあなたを打ち倒し、その秘めたる想いに応えましょう」

 自分勝手な解釈で意気込んだレイナルドは、未来の妻を迎え入れるように両手を広げた。エクセラはただ呆れているだけだが、観衆の反応は違った。

「ぶーぶー、引っ込め」

「お前なんかに姫さまをやるか」

「とっとと領地に帰っちまえ」

「負けてまた無様な姿を晒すんだな」

 姫への暖かな歓声とは打って変わった、冷水のような野次が一斉にレイナルドに浴びせられた。レイナルドが嫌われているわけではない。むしろブレーバーの倅は金払いが良いと評判がいい。エクセラへの挑戦者となった時だけ、人々は容赦がないのだった。

「フフフ、この罵声を称賛へと変えてみせよう」

 この通りレイナルドは全ての事を自分の都合のいいように考える性格だ。エクセラの夫、つまり王として迎えるのは国民として遠慮したいところなのだろう。

 案の定、レイナルドの挑発的なセリフに観衆が湧き上がり不平不満を訴える。

「まったく……」

 エクセラは懐かしむように小さく笑った。ブレーバー家は王家の傍流なので、レイナルドの事もエクセラはよく知っている。昔から彼は自分の行動を一切省みない人間だ。物忘れが激しいのか、豪胆なのか、馬鹿なのか、とにかくコレと決めたら思い込みの力だけで一直線に進み続ける。

 そんなレイナルドだからこそ、婚姻を賭けた決闘の敗者がエクセラの強さに心折れる中、ただ一人だけ挑戦を続けていた。

 ちなみに今回で二十一回目、今年に入ってから四回めの挑戦だ。

 結婚を勧める臣下の追求を躱すにはありがたい存在だが。

「お前は相変わらずだな」

「姫こそ相変わらずお美しい。その天馬の羽のような御髪を早く僕の腕で包んで差し上げたい」

 このうざったさを除けばだ。

「さあ、始めるぞ」

 これ以上レイナルドに喋らせると、戦いの前の気合が霧散してしまいそうで、エクセラは控えている騎士団員を目で促した。

 騎士団員は小さく頷くと剣と盾が乗った台車を二人の間に押してきた。台車には刃を研いでいない刃渡り腕一本の剣と、半身を隠せる大きさの五角盾がそれぞれ四つ揃い置いてある。騎士団が訓練で使っているものではなく、決闘用に新たに作られたものだ。同じものが四つあるのは不正対策だが、そんな不心得者がいないことをエクセラは知っている。

 レイナルドの方も不正を疑ったりする性格ではない。二人は一番近くにあった剣をそれぞれ手にとって、重心だけを確かめた。

「盾は良いのか?」

 剣だけを手に開始位置に戻っていくレイナルドにエクセラは声をかけた。エクセラは剣の長短に関わらず基本的に両手持ちだ。一方のレイナルドは前回対戦した時は盾を使っていた。

「今の僕に盾なんて無粋な物は必要なし」

 やたらと自信満々に言ったレイナルドが剣を格好つけて構えてみせる。そのキザったらしい動きがまた観衆の不評を買っていた。

「五分と姫さまの前に立ってられたことが無いのに、よく言うぜ」

「ちょっとは強くなったのかよ」

 前回の決闘では、エクセラの猛攻をレイナルドは辛うじて盾で受ける展開だった。最後はレイナルドの手が痺れ、盾を取り落としたところでエクセラの剣が彼の脳天を捉えた。もしかしたらレイナルドには珍しくそのことを反省して、今回は盾を持っていないのかもしれない。

「フフフ、聞いて驚くがいい! 今日の僕は一味違うぞ。なにせ、旅の凄腕剣士に必殺技を倣ったのだ! たった一撃で姫を跪かして見せる!」

 胸を張って宣言するレイナルドは、魔法使いにただの思い込みを強化魔法と騙された前回とは違って見えた。確かな手応えを持っているような気迫がある。

 いくらあのレイナルドとはいえ油断できないと、エクセラは気を引き締め、剣の柄を握り直した。

「それは楽しみだな。私も日頃の鍛錬の全てをもって、お前の相手をしよう」

 エクセラはレイナルドの青い瞳を見据えたまま、足を前後に開き剣を正眼に構えた。呼吸が戦いの息吹へと切り替わり集中力が増していく。すると、レイナルドの輪郭が周囲から浮き上がるようにはっきりと見えてくる。

「それでは、エクセラ姫との結婚を賭けた決闘を行います。両者準備はいいですか?」

 台車を下げた団員と入れ替わりに、立会人である騎士団の団長が二人の間に赤い旗を差し出した。

「ああ、もちろんだとも」

 答えたレイナルドの肩が呼吸に合わせて僅かに下がる。

「いつでも良いぞ」

 エクセラの心身の準備は整っていた。二人の腕の長さはほぼ同じだ。間合いは斬りなら三歩半、突きなら三歩の踏み込み。半身に構えるレイナルドより早く斬りつけられるはずだ。しかし、レイナルドの言う一撃で決める必殺技とやらも気にはなる。ブラフを吐くような男ではないので、初手に全てをかけてくるだろう。ならば、こちらは相手に攻撃をする間を与えず倒すのが常套手段だが。

「始め!」

 赤い旗が上がるがエクセラは動かない。レイナルドの必殺技とやらがどれほどのものか、自身の剣で受けてみる気になったのだ。

「頑張れ、姫さま!」

「いつもみたいにコテンパンにしてやれ!」

 応援の声が鼓膜に届くが、それは雨音のようにエクセラの意識には登らない。全神経はレイナルドの一挙手一投足に集中していた。

「……、……、…………?」

 しかし、いくら待ってもレイナルドは微動だにしなかった。エクセラの様子を伺っているのとは違う。ただ深い呼吸を繰り返しているだけだった。

 双方が出方を読み合うのとも違う、ただの『お見合い』にまず痺れを切らしたのは観衆だった。

「おいおい、さっきの威勢はどうしたブレーバー? 怖気づいたのか!」

「剣の振り方を忘れちまったか!」

 酔っぱらいの野次に散々煽られてもレイナルドは動かない。

「お前が攻めて来ないならば、こちらから行くぞ」

 これ以上待っても仕方ないとエクセラは、僅かに重心を前に向ける。不用意に突っ込まないのはレイナルドの必殺技がカウンターである可能性を警戒してだ。

「待てえい!」

 エクセラが前足を踏みだした時だ、レイナルドが剣を握った彫像のような格好のまま待ったをかけた。

「どうした? 剣に何か不備でもあったのか?」

 律儀に止まったエクセラは剣先を向けたまま、レイナルドに尋ねた。

「いや不備ではない」

 レイナルドはハッキリと言い切った。剣の不備でないというなら他に決闘を止める理由は見当たらない。エクセラは下がった団長を横目で見るが、彼も理由がわからないようで困惑の表情を浮かべていた。

「剣に問題が無いというならば、私を一撃で倒すという必殺技とやらを早く見せてみろ!」

 この瞬間もエクセラは油断なくレイナルドの微細な動きに意識を向けている。瞳の動きは狙いを教え、呼吸の変化は初動を知らせる。達人となればこれを利用しフェイントをかける事もできる。実力はともかくとして、レイナルドはそういった小細工を弄したりはしないのでエクセラはとにかく必殺技が放たれる瞬間に集中していた。

 しかし、当のレイナルドはどうにも様子が違った。

「早くというが、この必殺技を使うには一〇分ほどかけ、大地との間に気を巡らし、剣に力を込めねばならん! だから、まだ動けん!」

 額に汗を浮かべ剣を握りしめたレイナルドは、大真面目にのたまう。

「……分かった」

 エクセラは小さく頷いた。それを了承ととったレイナルドがさらに集中するためか目を瞑った。

「というわけで、しばし待――」

「真剣勝負でそんなに待てるか!」

 怒声とともに靴底を叩きつけるように踏み込んだエクセラは水平に手首を返すと、問答無用でレイナルドのがら空きの腹に横斬りを放つ。必殺技とやらの準備に全神経を集中し、目まで閉じていたていたレイナルドには為す術もない。

「うげぇ!」

 蛙の玩具が潰れたような情けない声を上げ、レイナルドは身体をくの字に折る。

「そ、そんな……」

 一瞬の間を置き、レイナルドは膝から崩れ落ちていった。騎士の情けと加減してやったが、肋の一本にひびぐらいは入っているだろう。

「エクセラ様、一本! それまで!」

 這いつくばったレイナルドの頭越しに、エクセラの勝利が無情にも告げられた。

 呆気なさすぎる勝負の結果に、観衆は一瞬ぽかんとしていたけれど、すぐさま気を取り直したように笑いが巻き起こった。

「アハハハハハッ、ブレーバーは相変わらずだな」

「何が必殺技だ、自分がぶっ倒れる技なら酔っぱらいでもできるぞ!」

 そして、剣を下ろしたエクセラに対しては歓声が。

「キャーー、姫さま、カッコイイ!」

「やっぱり、エクセラ様はお強いです!」

「姫さまこそアーデルランドの誇り!」

 エクセラを称える声で広場が溢れる中、レイナルドが救護の騎士団員に身体を起こされていた。

「ゲホゲホッ、な、なぜ……訓練では上手くいったのに……」

 本当に分からないといった様子でレイナルドは口惜しそうにエクセラを見上げていた。領地で甘やかされているレイナルドの事だから訓練の時も、兵士がわざと必殺技を食らってくれたのだろう。

「そうだな、お前には実践が足らん。もっと色々な相手と剣を合わせろ」

 甘やかされすぎるレイナルドを多少不憫に思ったエクセラは、おそらく手遅れだろうが忠告をした。

「分かりました、姫……ゲホゲホッ、僕が強くなるのを待っているのですね……さ、更に訓練を積み、必ずやその期待に応えましょう!」

 何も分かっていないレイナルドは意気込んで言うと、痛みに堪えながら右の拳を振り上げた。

「お前は、剣の前に頭を鍛えろ」

 エクセラ自身も勉強は苦手だったが、レイナルドにだけはこれが言えた

 決着を見届けた広場の時計塔が十二時の鐘を鳴らした。その音に合わせ、観衆がエクセラを称える歌を口ずさむ。

「姫さま! 姫さま! 我らが姫さま!」

「アーデルランドの至宝、エクセラ姫! 万歳!」

 大合唱は鐘が鳴り止んでも続いた。

 

 レイナルドとの決闘を終えたエクセラは昼食もとらず、その足で騎士団の練習場へやって来ていた。

「次!」

「は、はい……」

 石壁を打つようなエクセラの気迫に対して、応える騎士団員は息も絶え絶えだった。どうにか剣を握っているのがやっとといった様子で、今にも倒れてしまいそうだ。

「よし、打ち込んでこい!」

「はひっ!」

 やけくそ気味に声を裏返らせた団員は、剣を振り上げエクセラに向かってきた。疲弊していとはいえ、さすがは近衛として働く兵士だ。剣の軌跡はまだ鋭さを保っていた。

「ハッ!」

 エクセラの剣が翻る。狙いすました切り上げは、団員が持つ剣の重心を捉えていた。金属のぶつかり合う音が僅かに響き、団員の剣がクルクルと宙を舞う。

「握りが甘い!」

「す、すみません! すぐに、拾って、アッ!」

 一喝された団員が慌てて剣を拾いに行くが、足をもつれされ転んでしまう。普段なら簡単に受け身を取るところだが、手がしびれているのかそのままなし崩しに倒れこんでしまった。

 一度倒れてしまうと緊張の糸が途切れる。団員は荒い息で地面に顔をつけたまま動かなくなってしまった。

 練習場の隅に目をやると彼と同じように、焦点の定まらない瞳で壁に背を預けている団員が後二人いた。エクセラは彼らを促すように見るが、あからさまに顔を逸らされてしまった。

「まったくだらしないぞ!」

 死にそうな団員たちに比べエクセラはまだまだ元気だった。むしろレイナルドに勿体付けられ溜った鬱憤が、良い汗となって流れだし身心が高揚しているほどだ。

 そんな両者の様子を見かねたのか、ついさっき様子を見に来た騎士団の団長が止めに入った。

「姫さま、そろそろ勘弁してやってはくれませんかね」

 団長は自慢の顎鬚を撫でながら、倒れた団員たちを見回した。今日は事務仕事なのか、鎧姿ではなく騎士団の制服を着ている。ガルディ程ではないにしろ、団長は背が高く体格が良いので制服の腕周りが少々キツそうだ。

「ならば、団長が相手をしてくれ。どうせ仕事を逃げ出してきているのだろう?」

「逃げ出しただなんて人聞きの悪い。ただの一服ですよ」

 団長は口元に人差し指と中指をあてて、煙草を吸う真似をして見せた。

「休憩中の気晴らしに剣を振るのも悪く無い。頭がスッキリして仕事も捗るというものだ」

 まだ戦い足りないエクセラは団長に詰め寄った。今年で四十九になる団長は若者のような勢いはないが、代わりに経験に裏打ちされた老獪さがある。剣そのものの実力ではエクセラも五分をつけられるが、戦いの流れでは団長に上手くいなされる事が多い。

「いやいや、体力底なしの姫さまに付き合ったら、疲れちまって仕事どころじゃなくなっちまう」

 団長はエクセラが差し出す剣には一瞥もくれず、首を横に振った。

「むっ、仕方ない。ならば他に手の空いている者はいないのか?」

「いませんよ。こいつらだって、本当なら非番なんですから一日ゆっくりと休ませてやってくださいよ」

 団長は倒れている部下たちを気の毒そうに見ていた。

「姫さまが持ち込んでくれた野盗の件もあって、騎士団は色々と忙しいんですよ」

 野盗という聞き流せない言葉にエクセラの眉がピクリと反応する。

「忙しいということは、奴らの根城が分かったんだな。どこなんだ?」

 しまったという顔をする団長にエクセラはさらに詰め寄った。

「ダメですよ。余計なこと話すなって妹姫さまにキツく言われてるんですから」

 すげなく断られてしまうが、これぐらいで諦めるエクセラではなかった。少しばかり話の争点を変えて食らいつく。

「なぜイラの命令は聞けて、私のお願いは聞けないんだ。不公平ではないか」

「そりゃ、妹姫さまは我々の上司ですし、なにより怒らせたら怖いからに決まってるじゃないですか」

 そう言った団長はあからさまに肩を竦め震えてみせた。

「むぅ、確かに怒ったイラは怖いな」

 こればかりはエクセラも頷くしか無かった。怒ったイラのネチネチ攻撃は、まるでノミで削られるように身心が疲弊していく。魔法や呪術なんて使わなくても、人間の精神を破壊できるという手本だ。

「場所が駄目だというなら、せめていつ討伐に向かうのか教えてはくれないか」

「ついてくるとか言われても困りますよ」

 エクセラの思惑を読んだかのように、団長が先手を打った。確かに騎士団とともに戦いたいという思いもあったが、エクセラの目的は少し違った。

「そんなことは言わん。いつまでに野盗共が壊滅させられると分かれば、私も安心できるというものだ。それに早くしなければまた拠点を動かされてしまうぞ。むしろ明日にでも出発するべきだ」

「直ぐにと言われましても、ちょっとばかり難しい事があるんです」

 本当に困っていることがあるのか、団長は渋い顔をして顎鬚を撫でた。

「難しいこと? 戦力が足りないというなら私が」

「姫さまの力を借りるには及びません。くれぐれも勝手なことはしないで下さいよ」

「安心できれば、私だって変なことは考えない」

「……分かりましたよ。えっとですね、まあその、色々と調整とか準備とか必要なんで、まあ、三日後には出発しますから。安心して下さい」

 これ以上のわがままはもう許してくれとばかりに団長は両手を上げて降参した。

「うむ、三日後か……」

 何かを確かめるようにエクセラは呟き頷いた。

「そうか、分かった。野盗共を一網打尽にし、民に安心を与えてくれ」

「もちろん、そのための騎士団です」

 団長はニヤリと笑った。太い眉の下の瞳が野盗など敵ではないと語っていた。団長の答えに満足したエクセラは、休んでいた団員たちの方を向いて彼らを鼓舞した。

「皆も野盗討伐を頼む。そして無事に帰ってきて、また私の稽古に付き合ってくれ」

「はい! この剣に誓って、必ずや!」

 団員たちはまだ疲れているだろうに、跳ね起きると背筋を伸ばしてエクセラに剣を捧げた。その心意気に応えるようにエクセラは深く頷いた。

 討伐の予定を聞いた上で、さらに稽古の続きを強要するエクセラではない。彼らには十分英気を養ってもらわねばならない。使った練習用の剣を籠に戻すと、団員たちが小さく安堵の溜息を漏らしていた。

「エクセラ姫!」

 さて、練習場を後にしようとした時だ。城内へと続く出入口から名を呼ぶ声が聞こえてきた。

「マラドか……」

 城内でもっとも口うるさい宰相の名を呟きエクセラは眉間にしわを寄せた。

 マラド・ヘストは今年で七十二歳になる家臣団の中でも最高齢の重鎮だ。先々代の王から仕え、今の王である父の信頼も厚い。少々古臭く頭の硬い所もあるけれど、国を思う気持ちは人一倍強い。

 その強い責任感が今はエクセラの結婚問題に向けられているから困ったものだ。

「私はここにいないと言ってくれ」

 立てかけていた自分の剣を引っ掴むと、エクセラは急いで荷物倉庫の影に隠れた。

「団長、エクセラ姫はこちらにおられませんか?」

 間一髪、革の靴が練習場の地面を擦る音が聞こえてきた。物陰から覗くと腰を庇うように杖をついたマラドの姿があった。つい先日、孫と遊んでいて腰を痛めたと聞いている。普段は矍鑠(かくしゃく)としているマラドもさすがに寄る年波には勝てないようだ。

「姫さまですか? 湯浴みをすると言って、かなり前に出て行きましたねえ。もうお部屋に戻られているのでは」

 団長はエクセラのお願いをきいて、誤魔化してくれた。

「あのじゃじゃ馬姫は……はぁ〜〜」

 探しまわって疲れたのか、それとも城の上階まで戻るのにうんざりしたのか、マラドは肩を落とし深い溜息をついた。

「今年で十七になるというのに、騎士の真似事で剣を振り回してばかり! しかも、あの汚らわしいオークと一緒にですぞ! 陛下がご心配為されているのを分かっておられるのか……」

「心中お察しいたします」

 団長が苦い表情を浮かべていた。エクセラを庇ったのを後ろめたいと思っているのではなく、自分の一人娘に当てはめて考えているのだろう。

 同意の言葉に気を良くしたのか、マラドはさらに愚痴を続ける。

「それでも将来が決まっているなら、安心もできますが、まだ縁談にすら漕ぎ着けない。この際、あのブレーバーの息子でもなんでも……いや、さすがにブレーバーの息子は少し問題が……せめて力のある国の第二、第三王子でも……」

 行き場のない鬱憤を聞き流しながら、団長は後ろに回した手をエクセラに向かって振った。エクセラは心の中で団長に礼を言うとその場を後にした。

 マラドに見つからないように建物を回りこむと、そのまますぐ傍にある城の外壁に沿って進んだ。別に逃げまわっているわけではなく、エクセラにはちゃんと目的の場所があった。

 城下東に続く門はくぐらず、一旦城内へ。あまりウロウロしているとマラドに見つかってしまうので、ひと目につかないように厨房へ。夕食の準備にはまだ早いので料理人達は思い思いに休憩をとっていた。緩んだ空気の中でエクセラが水差しから直接、水を飲んでいると視線を感じた。包丁を研ぐ手を止めた料理長がこちらを見ていた。エクセラは身振りで林檎を貰う事を告げると、料理長は呆れ気味に頷いた。

 厨房の裏口を出たエクセラは真っ赤な林檎をシャリシャリと齧りながら、裏門を抜け城外へ出た。瑞々しい林檎の甘さは稽古で汗をかいた体力を少しだけ回復してくれるような気がした。

 城の北は王族の私有地で、木々の生い茂った森になっている。様々な植物が自生しそれを餌にする鹿や猪などが住んでいて、良い狩場になっている。先代の王は家臣を森に招き入れ、よく狩猟の腕前を披露していたらしい。しかし、現王であるエクセラの父はいくつかの理由でほとんどこの森には足を踏み入れない。

 背の高い木々の向こうには、東西に連なるレムレス山脈が見える。さらにその山脈の向こうには砂と魔法の国ルーランが存在している。距離的に遠くないアーデルランドとルーランだが二国間の交流は少ない。レムレス山脈が険しいためだ。山道はあるにはあるが、危険なモンスターや竜種が出るので普通の人間は使わない。準備を整えた商隊か騎士団、もしくは止むに止まれぬ事情がある者だけが、それこそ決死の覚悟で山越えを行うしか無い。安全にルーランに行くためには、山脈を回りこむようにデイン王国を経由しなければならない。

 アーデルランドはルーランの魔法技術やその製造品、ルーランはアーデルランドの木材や農産品の交易をそれぞれ望んでいるが残念なことに実現していない。

 過去に魔法使いや人足を大量に投入して、レムレス山脈にトンネルを開ける計画が存在したが、調査の段階で頓挫した。数百年前に断末魔の魔王がまき散らした魔力の影響が残り、生半可な魔法では地中を掘れなかったのだ。

 現在はイランジュアがデイン王国経由での貿易ルート構築に熱心だが、問題も多くなかなか交渉は進んでいない。隣国のデイン王国としては関税や商隊が増えるのは魅力的だが、ルーランとアーデルランドが近づき二国の国力が増大するは歓迎できないようだ。もう一つの隣国である南東のクロディウス帝国も、アーデルランドの動きが面白く無いのか色々と難題を吹っかけてくる。

 もしレムレス山脈を越える安全な方法が見つかれば、三国間の関係は大きく変わることだろう。しかし、その方法は未だ見つからない。

 短い林道を抜けると、太陽の光が吹き込むように一気に視界がひらけた。

 そこには草木花々が夏を謳歌する美しい庭園があった。

 城下南の大広場よりも少し広いぐらいだろう長方形だ。庭園は白木の背の低い柵で囲われている。人の視線や侵入を妨げるのではなく、迷い込んだ野生の動物が庭園を荒らさないためだ。

 入り口は針金を編んだようなアーチになっていて、絡んだ蔦が緑の葉と白い花で彩りを添えている。

 庭園に一歩足を踏み入れると、ふわりと甘い芳香がエクセラの鼻をくすぐった。一匹の蜂が視界を横切り、黄色い花に止まる。この花の匂いだろうかと思ったけれど、蜂に刺されるのは嫌なので確かめなかった。

 エクセラは湧き水を利用した小川に沿って庭園の中央に進む。黄金蝶がその名の由来でもある金色の鱗粉を振りまきながら花々をヒラヒラと渡り飛んでいる。黄金超は乱獲で数が減ってきたと言われているけれど、ここではちゃんと元気な姿を見せてくれる。

 近くでヤマフミドリのぴょーぴょーという小さな鳴き声が聞こえた。庭園の樹木になった果実や、こっそりと植えられている野菜を狙っているのだろう。邪魔者のエクセラを威嚇しているのかもしれない。

 周囲の森の自然と調和の取れている庭園だけれど、この場所ができてからまだ二十年ぐらいしか経っていない。それまでここは草木も生えず、大きな岩が一つあるだけだった。それでは寂しいと王妃、エクセラ達の母がここに庭園を作ったのだ。

 森の中にあって草木の生えぬ寂しい場所。その理由は庭園の中央にある岩、それに刺さったモノに理由があった。

 見上げるほどの巨岩には、巨大な斧が刺さっていた。エクセラの胴体をすっぽり覆うぐらいの両刃で、先端から柄までの長さはそれこそエクセラの身長と同じぐらいだろう。それが誰かに放り投げられたように刃を巨岩に食い込ませていた。

 これこそ、魔王の斧。アーデルランド建国の理由だ。。

 勇者によって討たれた魔王は、その断末魔に魔力を大陸中に飛び散らせた。その一つがこの斧だった。

 斧はこの地に災いをもたらし、それを封じた魔王討伐の勇者がそのまま人々に請われこの地に留まったのがアーデルランドの始まりだ。その後、人々が集まり国になっていった。

 三百年の月日が流れ、赤錆びた斧にほとんど魔力は残っていない。それでも放っておけば、この美しい庭園は一年も経たずにもとの寂しい場所に戻ってしまうだろう。実際、母の死後はこの庭園を手入れする者がいなかったので荒れ果てていた。

 幼いエクセラの命令で、この庭園を再生させた人物こそガルディだ。

 岩を回りこむと、庭園の草木に溶けこむような緑の大きな影が見えてくる。エクセラが近づいているのが分かっているはずだが、彼は振り向かず葉の生い茂った木に頭を埋めるようにして黙々と作業を続けていた。

 脇から覗くと巨体に似合わぬ器用さでナイフを操り枝葉を落としている。人間の手には短剣ぐらいありそうなナイフだが、オークであるガルディのガントレットのような手の中にあるとまるで子供の玩具のようだった。

「果物の収穫か?」

 ガルディの足元の切り落とされた枝には果実がついている。種類は分からないけれど柑橘系の見た目をしていた。

「違う、剪定だ」

 木の葉を毟る手を止めずガルディは短く答えた。

「せっかく成長しているのに少し可愛そうだな、そのまま自然に任せては駄目なのか?」

 エクセラは切り落とされた枝を一本拾い上げてまじまじと見回した。病気でもなければ枯れてもいない。青々とした葉と小さな実からは夏の息吹を感じる。

「個としても全体としてもバランスが重要だ」

 葉を揺らすような低い声でガルディは言った。彼は一つの物事について、あまり多くのことを語らない性格だ。詳しく知りたければこちらから問う必要がある。

「どういうことだ?」

 エクセラの問いかけにガルディは剪定の手を一旦止めると、地面を指さした。

「こいつばかり横にでかくなっちまったら、下に生えてる他の植物が育ちにくい。だから枝を上に伸ばしてやるんだ。その方がこいつ自身も陽の光を浴びやすいしな」

「なるほど、植物同士にとって最善の方法を人間が選んでやるんだな。自分だけじゃなく、他人のためにもなるというのは実に良いな」

 納得のいく答えにエクセラは深く頷いた。

「剪定は美味い実をつけさすのにも必要なことだ。勝手につまみ食いする食い意地の張った子供がいるとも限らんからな」

 ガルディは含みのある言い方をしたけれど、この庭園を訪れるのはほぼエクセラ一人だ。あとはイランジュアがガルディに文句を言いに来るぐらいだけれど、妹は小食だ。

「むっ、もう子供の頃のように黙って採ったりはしないぞ。食べたければちゃんとガルディに言う、大人としてな」

 エクセラは成長した身体を誇示するように胸を張ったが、ガルディはちらりともこちらを見ていなかった。

「是非そうしてくれ」

 くすりとも笑わずガルディは剪定を再開した。

「まったく、すぐそうやってひとのことを……ふんっ」

 時々こうやってガルディはエクセラの事を子供扱いする。それがエクセラは少々気に食わなかった。

 ガルディは黙々と作業を続けているので、エクセラは花壇の縁に座ってその姿を眺めることにした。

 手元を見ていればガルディの手際の良さが分かる。作業の堅実さはもちろんだが、なにより見極めが上手い。伸びている枝を闇雲に切るのではなく、余分なものを削り落とし、その植物が本来持っている形を取り戻させているようだ。

 彼の動きは洗練されていて小さいけれど、身体が大きいので枝葉が揺れていた。その姿は無理やり隠れようとしてる大型獣のようで少し可愛らしい。

 エクセラ自身は植物の手入れが苦手だ。小さい頃、ガルディにせがんで花壇の隅っこを借りて何種類か花を育てたことがある。その時は、水をあげすぎて根を腐らせたり、害虫を取るのに葉ごと千切ってしまったりと散々だった。結局はガルディが引き継いで世話をすることになってしまった。

 代わりと言ってはなんだけれど、ガルディが手入れをしている所を見るのが好きだった。草木を植え替えるのに土を掘るザクザクという音、柵や植物棚を直すのに木を切るギコギコという音、枝葉を揺らすサワサワという音、水を撒く時のバシャッという音、そしてガルディが石畳を歩くときのコツコツという意外に軽い音。そう言った作業の単調な音が、悲しかったり怒ったりしている時でも心を落ち着かせてくれる。

 四本目の木の手入れが終わった所で、ガルディは落とした枝と荷物をまとめ始めた。どうやら一区切りついたようなので、エクセラはお尻についた土埃を払うとガルディに話しかけた。

「ちょっと見てくれるか?」

「ああ、分かった」

 ガルディは小さく頷いた。すでにエクセラが何をして欲しいのか承知していたのだろう。だから、エクセラが飽きる前に作業を切り上げてくれたようだ。

 エクセラは先に立って庭園の端へと歩いてく。その後ろを庭仕事の道具を小脇に抱えたガルディはゆっくりとついてきた。

 低い生け垣の小道を抜けると、赤い煙突を生やした木造の小屋が見えてくる。入り口の扉がやたらと大きい以外は一階建ての簡素な作りの小屋だ。この場所にガルディは住んでいる。建物の敷地はエクセラの自室よりも狭いが、ガルディは寝るには十分だと増築をしていない。

 すぐ横には庭園に注ぐ小川の源泉があって、綺麗な水が滔々と湧き出している。小屋の前は乾いた地面がむき出しで、小さな広場になっている。広場は庭園と違い殺風景で草木は生えていない。その代わりに巻藁や木の棒を吊るした台、人間の形をした木偶などが置いてあった。

 ここはガルディが作ってくれたエクセラのための練習場だ。子供の頃からエクセラは毎日ここで訓練を積み、王国一と言われるほどの剣の腕を培ってきた。

 ガルディが荷物を作業台に置くのを尻目に、エクセラは腰の剣に手やった。目の前の空間に剣を正面に構えた敵を作り出す。

 一呼吸。

 左手で鞘口の角度を僅かに上に変え、弾みをつけるように一瞬前に押し出し、すぐさま鞘を引きつけると、添えるように握っていた右手に力を入れて剣を抜き放つ。

 視界を流れる銀色の刃が傾いた円弧を描き、振り下ろされる。剣先はイメージした敵の手首を切り落とす。そのまま振り抜かれた剣は、鞘を離れた左手にその柄を迎えられた。

「腕で抜いてる。もっと肩を使って全身で抜け」

 すぐさまガルディの注意が飛ぶ。道具を片付けながらもしっかりと、見ていてくれたようだ。

「はいっ!」

 エクセラは太鼓を打ったような元気な声で応える。もう一度、やり直しだ。

 剣を鞘に収める時も適当乱雑であってはいけない。矛盾するようだが、常に剣を抜くことを意識しながら剣を収める。倒したと思った相手がナイフを投げてくるかもしれないし、隠れていた敵が隙を突いて斬りかかってくるかもしれない。それらに対して素早く反撃できなければ片手落ちである。

 抜くときとは逆に今度は鞘口を水平に近づけ、横斬りを意識しながら剣を収めていく。なぜ横斬りなのかというと、不意打ちに対してはより剣の届く範囲が広い攻撃で対処する方が安全だからだ。

 もちろん周囲の広さなどの状況や敵の人数によって、剣の抜き方と収め方は変わる。そこを見極めるのも重要だ。

 ちなみにこういった話は全部ガルディの受け売りだ。

 エクセラは全力の抜剣だけを続けた。荷物を片付け終わったガルディは、横に立ちそれをずっと見ていてくれた。時々、短い注意を受けながら五〇回繰り返したところで、ようやく彼の短い「よし」の言葉が聞けた。続いて仮想する敵の情報が告げられる。

「一対一、同身長、胸当てと小手の軽装だ」

 ガルディの訓練では、ただの構えや素振りでも常に敵を想定する。それはエクセラが木の枝の剣を初めて握った時から変わらない。

 五十一回目に抜いた剣を正眼に構える。剣先は敵の喉元へと向ける。同身長と言われた時、エクセラは自分の姿を敵として想像する。その方が、自分の体格や動きを二重に確かめられるからだ。

「切っ先が小指半分も下がってる」

 ガルディはどんな小さなミスも見逃さず指摘してくれる。実践で失敗したら次は無いからだ。

「はいっ!」

 すぐさま修正し、その姿勢を保持する。ガルディが何も言わないので、エクセラは構えのまま微動だにしない。

 ただでさえ同じ姿勢を続けるのは疲れるものなのに、鉄の塊である剣を構えてとなればその負担は大きい。気を抜けば、すぐに剣先がぶれてしまう。

 騎士団員との訓練で多少疲れているなんて言い訳はできない。むしろ、ガルディはエクセラの疲れを見抜いて普段より長く構えの確認をさせているのだ。疲弊している時こそ、乱れがでるからだ。

 一〇分ぐらい続いただろうか、柄を握る両手の小指が少し重くなってきたと感じた頃、ガルディの許しが出る。

「よし、素振りだ」

「はい!」

 こうして、ようやく剣撃の練習が始まった。

 ガルディの教えは簡単だ。ひたすら基本を繰り返し、身体の使い方を覚えることに主眼が置かれている。自分が思った動作を、即座に完璧に行えるようになることが目標だ。

 最適な動きは剣に素早さを、的確な重心と狙いは剣に威力を与える。

 一つ一つの単純な動作ができていれば、それを繋げることでいくらでも応用が効く。

 同じ動きの繰り返しは、同じ筋肉を使い続けるので疲労がたまるのが早い。なにより単調さが意識を散漫にしていく。それを避け適度な緊張を続けることで、集中力も鍛えられる。

 頭の中のイメージと身体の動きを近づければ稽古の効率も格段に上がる。見取り稽古でも、視覚から得た他人の動きや判断を、素早く自らの物にすることができるようになる。

 身体の動きを意識しイメージ通りにする訓練は、剣を握っていない日常の中でもできる。例えば食事の時、肉をフォークとナイフで斬る動作、グラスを掴んで水を飲む動作、それらを意識的に制御することで微細な身体感覚を掴むことができる。その御蔭でエクセラの食事マナー関連は完璧だ。

 人は食事中にだって強くなれるのだ。

 もちろん、イメージした動作を行うためには柔軟性や筋力も重要だ。今でこそ剣の訓練の時間が増えたが、子供の頃は腹筋やストレッチばかりやらされた。

 エクセラとしては、実践形式でガルディと戦いたいのだが彼はあまり相手をしてくれない。そんなガルディの気を引くためにエクセラは、今日もめげずに素振りを続けるのだった。

 

 

 寝床に戻る鳥の鳴き声が、夕刻の訪れを告げる。時間は飛ぶ鳥の如く過ぎていき、いつしか陽は傾いていた。

「今日は終わりだ」

 エクセラの息が切れるのを見計らって、ガルディは打ち込み練習用の木盾を下ろした。

「はぁはぁ……あ、ありがとう、ございました!」

 両腕の重みに耐えかね剣をおろしたエクセラは、額から垂れる汗を払うように頭を下げた。

 夏の日差しが弱まっても、残された熱は地面にとどまり暑さを残している。滝のような汗で服はびしょびしょに濡れ、もはや一秒でも早く脱いでしまいたかった。

「水場を使うぞ」

 エクセラは一方的に宣言すると、小屋の脇にある湧き水に向かう。火照った汗まみれの身体を早く清めたいがために、少々行儀の悪いことだが歩きながら服を脱いでいた。

「まったく……」

 何かに呆れたようなガルディのため息に、小屋のドアが開く音が続いた。

 水場は不揃いの石で囲まれた小さな泉だ。中央からは水が湧き出し小さな石や砂を巻き上げている。生物の影はなく水自体がとても澄んでいた。

 着ていたものを放り出し全裸になったエクセラは、泉に足をつける。

「んっ……」

 冬の妖精を残したままのような冷たい湧き水に、エクセラは思わず声を漏らした。ざぶんと入ってしまうには、少々身体が温まりすぎている。縁石に腰掛けると、足でバシャバシャと泉を掻き回したり、手で掬った水を肩や胸にかけて身体を水温に軽く慣らした。

 焦れったくなったところで、エクセラは泉の中に水しぶきを上げて倒れこんだ。

 優しい水に包まれ、まるで冷気の魔法をかけられたように身体が一気に冷やされていく。膝より少し高いぐらいの水深なので、泳ぐには少し浅いのが残念だ。

「ふぅ〜〜〜♪」

 水面から顔を出したエクセラは、上機嫌に濡れる金髪を掻き上げた。稽古の後の水浴びほど気持ち良いものはない。石鹸を使えれば最高だけれど、この水は庭園に注ぐのでそれは無理な話だ。とりあえず、首周りや胸の周りと汗の残りやすい場所は手で擦って洗い流した。

 いくら水浴びが気持よくても身体を冷やしすぎるのは良くない。エクセラは水の冷気が身体の芯に達する前に泉から上がった。

 全裸のまま岩に腰掛けたエクセラは、夕日を横顔に感じながら少しボーっとしていた。木々を抜けた風が髪の毛を乾かしてくれる。全身に回った疲れが、また少し身体を温める。眠くなりそうだ。

「風邪を引くぞ。身体を拭け」

 ぶっきらぼうな言葉とともに、大きな布がエクセラの全身を包むようにバサリとかけられた。

「うむ、すまない」

 エクセラは振り返らず礼を言ったが、ガルディの気配はすでに遠ざかっていた。

 干しっぱなしでゴワゴワの布は水滴を拭きづらかったけど、水で清めた身体にはその硬さがちょうど良かった。

 隣の岩には放り出した服の代わりに、着替えが置いてあった。暖かい季節は稽古終わりの水浴びが毎度のことなので、エクセラは何着か服をガルディの小屋に置きっぱなしにしてある。それを持ってきてくれたのだ。置きっぱなしと言っても、ガルディが洗濯してくれているので綺麗なものだった。

 ささっと着替えを済ませたエクセラは、すぐには城に戻らず小屋を訪れた。一歩中に足を踏み入れると、わずかだけれど香草を燻した様なガルディの煙草の匂いがした。部屋に染み付いたこの匂いを嗅ぐと、安心してどうにも気が抜けてしまう。ガルディの傍ほど安全な場所は他に無いのだけれど、騎士として油断はよくない。

 小屋の中は火炉と藁を敷いた寝床、それに椅子が一脚あるだけだ。火炉の炭は赤く光り、横に座ったガルディが夕食の準備をしていた。

「その肉は?」

 干し肉や燻製肉を食べている事が多いガルディには珍しく生肉を切っていた。胡座をかいた脚に抱えたまな板と手に持ったナイフが、これまたガルディの巨体と比べるとやはり玩具に見えてしまう。

「猪の肉とレバーだ」

 ガルディは使い古したスキレットに獣脂をひと欠片置くと、それを火炉の台に乗せた。鉄製のスキレットは直ぐに熱くなり、白い塊が透明な油に変わっていく。薄っすらと煙が立ち上り始めたところで、ガルディはそぎ切りにした肉とレバーを、ジュッという良い音ともにスキレットに並べていく。両面に軽く焼き目がついたところで酒を一振り、刻んだ真っ白なキノコと茶色いキノコ、そして香草を投入した。

 味付けの塩をふりかける頃には、いい匂いが小屋に充満していて、それにつられてエクセラのお腹がグーと小く鳴った。

「なかなか美味そうだな」

「……まったく」

 ガルディは二枚の皿に分けて、猪肉のソテーをよそった。軽くぼやいていたけれど、最初からエクセラの分も用意していてくれたのだ。

「では、いただきます!」

 野趣あふれる猪肉は噛むたびに滋養が染み出し、キノコの歯ごたえとレバーのコク、そして香草の風味が絶妙だ。単純な味付けながら、空腹という最高の調味料が王城の料理に引けをとらない美味さを演出していた。

「ごちそうさま、美味かったぞ!」

 あっという間に食べ終わったエクセラは満足の息をついた。横目に見える寝床は藁と薄布を敷いただけだが、うつ伏せに寝転がってみたくなってしまう。前にベッドは要らないのかとガルディ聞いたことがあったが、硬くてゴソゴソした寝藁の方が好きだと言っていた。今ならその気持が分かるかもしれない。

「ん? まだ何か用か」

 食べ終わったのに城へ帰らないエクセラに何かを察したのか、ガルディは少し迷惑そうな表情を浮かべていた。

 迷惑。ガルディにそう思われても仕方ない。エクセラはガルディの首についた魔法の首輪をちらりと見た。

 この首輪をはめたエクセラの命令に、ガルディは絶対服従しなければならない。それに加えて、首輪の魔力でエクセラと一緒でなければ城から遠くに離れることもできない。距離にすると、ここから南地区にある大広場ぐらいまでだ。

 もちろん、オークのガルディがそのままの格好で街中に行くことは無理だ。言い方は悪いけれど、街中にモンスターが出たと大騒ぎになることは必須だ。ガルディの存在を公式に知っているのは王城の関係者や貴族だけだ。例え事情を知っていても、普通の人間にただのオークとガルディの見分けなどつくはずもない。仮にガルディだと分かっていても、彼の存在をよく思っていない貴族は危害を加えるかもしれない。

 エクセラにとってガルディはオークだけれど、庭園の管理人で、剣の師匠で、冒険の仲間で、家族と言っても良いぐらい掛け替えの無い存在だ。しかし、他の人間にとっては、危険なオークにしか見えないということも理解している。本当は一緒に街に出かけて、彼の服を仕立てたりしてみたいけれど、それは無茶な話だった。

 事実上、庭園から出られないガルディはほぼ自給自足の生活をしている。野菜や果物は庭園で栽培しているし、辺りを囲む森は猟場にもなっていた通り鹿や猪が生息しているのでそれを捕らえて料理している。酒や塩などは、その猪や鹿と交換に城の料理長から手に入れているらしい。煙草は森の野草を使って自作している。どの葉っぱがそうなのか教えて貰おうとしたが、子供には早いと言われ断られた。別に真似をして、煙草を吸いたかったわけじゃなくただの興味だったのだけれど、それからガルディはエクセラの前ではあまり煙草を吸わなくなってしまった。彼の煙草の匂いが好きだったので残念だ。

 色々と思い出すことはあったけれど、エクセラはガルディと昔話がしたくて残ったわけではない。

「明日、野盗の拠点に向かうぞ!」

 モヤモヤとした気持ちを振り払うように、エクセラは溜めていた意気込みをガルディにぶつけた。

 実は捕らえた野盗から拠点の情報は引き出していた。団長から本当に引き出したかった情報は、騎士団の出立の日時だ。

 ガルディは最後の猪肉一欠片を飲み込んでからゆっくりと口を開いた。

「やめておけ、騎士団の仕事だ」

 予想通りの答えにエクセラは大げさに頭を振ってみせる。

「もちろん私とガルディ二人で野盗を全滅させようなんて言うわけじゃない。明後日に出立するという騎士団に先駆けて敵情視察を行うのだ」

 さすがに何十人いるかわからない相手を、二人で倒せると驕るわけではない。少しでも野盗を退治できるように、その確実性を増す手助けをしたかった。

「それこそ、余計なお世話だろ」

 ガルディがエクセラのわがままに乗り気じゃないのはいつものことだ。ここから説得するのがエクセラの腕の見せどころだ。

「もしだ、仲間が戻ってこないのを不審に思って野盗共が拠点を移したらどうする。騎士団は臨時編成を長く維持できないから、すぐに後を追えなければ一旦解散してまた捜索のやり直しだ。そんなことでは野盗共の思うつぼ! 追跡できる斥候がいたほうがいいに決まってる!」

 力いっぱい主張するがガルディは首を縦には振らない。

「そうなったら、そうなったで運がなかっただけの話だ。それに野盗が拠点をすでに移してしまってたら、どうにもならん話だろ」

「むぅ……その時は諦める」

 諦めると言っても騎士団と共闘しての制圧をだ。野盗の拠点探しを止めるつもりはなかった

「野盗共がどこぞの貴族と繋がっているという噂もある。ガルディもゴーレムを使ったのを見たではないか」

「アレの出処が分かったのか?」

「イランジュアの部下が調査中だが、とりあえず王都のギルドの物ではなかったらしい。どんなルートで流れたにせよ、ただの野盗共が持てる代物ではないのは確かだ」

 あまり認めたくないことだが、諸侯の忠誠心が最近低下している。隣国であるデイン王国やクロディウス帝国が兵力を増大させているのが原因だ。ひとたび戦争になれば、国力で劣るアーデルランドは厳しい戦いを余儀なくされるだろう。現在その二国がアーデルランドに攻め込んでこないのは、互いに牽制しあっているからだ。そういった不安定な立場にあって、諸侯、とりわけ国境に接する辺境伯は不安を抱いている。父は王としてそれらに有効な手を打てていないのが現状だ。

 エクセラとしてはそんな父の助けになればと、今回の野盗退治に積極的だった。

「それに捕まえた連中が吐いた拠点の場所も問題だ」

 エクセラは小屋に置きっぱなしにしてある地図を開いてアーデルランドとクロディウス帝国が接する東の山間部を指さした。

「見ろ、クロディウス帝国との国境沿いだ。隣国を刺激しないように野盗共を国境の内側におびき寄せる必要があるかもしれん。考えたくはないが万一の時には、姫である私がいれば言い訳がたつ」

 騎士団が無断で国境を越える事は無い。それでも国境付近で作戦を行ったとなれば、クロディウス側が何を言ってくるか分かったものではない。もしそうなった時に、現場に自分がいれば姫という立場で交渉を有利に進められるかもしれない。少なくとも無碍にされることはないだろう。エクセラ自身の評判は悪くなるかもしれないが、それで野盗共を壊滅させられるなら安いものだ。

 エクセラは自分の考えをガルディに告げた。

「なるほど、話は分かった。まあ、どっちにしろ止めたってお前は行くんだろ?」

「うむ、もちろんだ」

「なら説明なんかせずに、こいつで命じりゃいいだろに。お前は相変わらず面倒くさい性格だな」

 小さく笑ってガルディは嵌められた服従の首輪を人差し指でトントンと叩いた。

「それは……嫌だ」

 エクセラは少し不機嫌になって顔を背けた。

 魔法具で枷をしなくてもガルディが人間を傷つけたりしないことをエクセラはよく知っている。それでもエクセラはガルディの首輪を外せなかった。もし首輪という繋がりがなくなったら、ガルディはどこかへ去ってしまいそうで怖わいからだ。

 ガルディにお願いは聞いて欲しいけど、ガルディに命令はしたくない。全部自分の我儘だって分かっているけれど、それがエクセラの偽ざる本心だった。

「どうした?」

 黙ってしまったエクセラに、ガルディが不思議そうに尋ねた。その態度がまた少し気に食わなくて、エクセラは床を蹴るように立ち上がった。

「別に何でもない! 明日の朝、夜明け前に出発だ!」

 エクセラは強めに言うとぷいっと後ろを向き、そのまま小屋の扉を潜った。去り際にガルディの「まったく……」といういつものぼやきが聞こえたが、エクセラは振り返らなかった。

 

説明
王女エクセラは家来のガルディを連れ、山賊の討伐に向かう
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小説 オーク 王女 ファンタジー 

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