紅のオーク 〜第三章〜
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第三章 〜王と宰相〜

 

「私、強くなりたいの!」

 庭園に駆け込んだエクセラは、ガルディに詰め寄った。

「しばらく来ないと思ったら……」

 ガルディは地面を均していた鍬を立てると、エクセラを見下ろした。四日前にお願いしていた花壇は、縁石に使う石が集められ、森から運んできたのか黒々とした養分の有りそうな土がエクセラの身長ほど盛られていた。

「どっかのガキにでもイジメられて不貞腐れてたのか?」

「違う……、お父様が襲われて怪我しちゃって……私は泣いてるしかなくって……ち、血いっぱい出て……毒で……ぅぐ……」

 その時の事を思い出し感情が高ぶってしまったエクセラは悲しみと悔しさに頬を濡らした。

 舞踏会に給仕として紛れ込んだ暗殺者がお父様に短刀を持って襲いかかった。元から捨て身だったのだろう、護衛に腕を切り落とされながらも暗殺者はお父様の腕を斬りつけた。傷自体は深くなかったけれど刃には毒が塗ってあった。倒れたお父様は高熱を出し三日三晩生死の境を彷徨うことになってしまった。その間、エクセラとイランジュアは交代でずっとお父様の手を握り続けた。医者や家臣が少し休むように言ってくれたが、二人はお父様の回復を見届けるまでそばを離れなかった。だから、今日までエクセラは庭園を訪れることができなかった。

 エクセラは言葉に出来ない想いを涙に込めてガルディに懇願した。ガルディはしばらく考えこむようにエクセラの瞳を見つめてから答えた。

「……女子供が戦う必要はない。信頼できる強い護衛を傍に置け」

「自分で何も出来ないのはもうイヤなの!」

 感情に任せてエクセラはガルディのお腹をぽかぽかと叩いた。布越しにも分かる弾力のある筋肉に弾かれてしまうがエクセラは訴え続ける。首輪の力で無理やり言うことを聞かせられるけれど、そんなことをしたって自分が強くなれないことぐらい幼いエクセラでも分かった。

 ガルディが物凄く困った表情を浮かべているけれど、エクセラはお腹を叩くのを止めない。

「他の人間に頼め」

「誰も私が本気だって信じてくれない。お父様が襲われて気が動転したままだって思ってる」

「なら、そういう事なんだろ」

 これ以上は付き合いきれないとガルディはエクセラを引き剥がし、持ち直した鍬で土を均す作業を再開した。

「教えてくれるまで、ここを動かないからね!」

 エクセラは強硬手段だとばかりに、まだ均し終わっていない土山の上に立った。

「邪魔だ、退け」

「絶対イヤ!」

 てこでも動かないぞと、エクセラは土山の上に座り込んだ。人生の一大事だ、スカートが汚れてしまうなんて考えている場合ではない。

「……勝手にしろ」

 ガルディは冷たく言うと作業を再開した。エクセラがいる土山から離れ、集めてあった石を並べ始めた。ガルディの頭のなかには、すでに花壇の形ができているのか並べ方に迷いがない。よく見ると石も加工したあとがあり、大きさや形が揃っていた。

 エクセラは土山の上から無言で訴え続けたが、ガルディはちらりともこちらを見ない。

 縁石が並び花壇の枠が出来上がる頃には、すっかり太陽が高くなっていた。ガルディは作業の手を止めると、お昼ごはんを食べるのか、小屋の方に戻っていってしまった。残されたエクセラのお腹がぐーと小さな音を立てる。いつもならお昼ごはんを食べに、お城に戻るのだけれど今日はここを動くわけにはいかない。

 しばらくして戻ってきたガルディは、置いてあった鍬を手にエクセラが座り込む土山を崩し始めた。花壇の外枠ができたので、もう土を敷く作業しか残っていなかった。

 ガルディの鍬さばきは手慣れたものだった。庭園の管理を始めて一年ぐらいしか経っていないけれど、エクセラにも分かるほど熟練の動きを見せていた。

 土山はあっという間に削り取られていき、ついにはエクセラが座り込む僅かな場所だけになってしまう。周囲は切り立った崖のようになり、身動ぎしただけで崩れ落ちてしまいそうだ。

 無言の視線で訴えるエクセラに、ガルディはとうとう最後の鍬を土山の根本に振り下ろす。均衡を失った土山は崩れ、エクセラは土まみれになって地面に転がった。

 エクセラは涙を堪えて立ち上がると、ガルディに身体ごとぶつかっていった。見上げる巨体はそんなことでは揺るぎもしない。逆にエクセラの方が自分自身の勢いに負けて、弾き飛ばされてしまう始末だ。それでも諦めず、エクセラは体当たりを繰り返した。

 十回を数えた所でガルディが重い溜息を吐き出し、左手を水平に上げた。

「あの木の一番上まで登れたら戦い方を教えてやる」

 指さしたのは庭園の外縁に生えている木だった。枯れてはいないけれど葉っぱは少ないので登りやすそうに見えた。

「それぐらい簡単よ!」

 土で汚れたスカートをはためかせエクセラは木に近づいた。根本から見上げると、木のてっぺんまではお城の三階のテラスぐらいの高さがありそうだ。思ったより高いかもしれない。

「だ、大丈夫。私の部屋だってお城の三階にあるんだから」

 エクセラは自分に言い聞かせた。

 手を伸ばしても届く枝がなかったので、木の幹に手をかけてみる。樹皮は固くゴツゴツしていて痛いけれど、その代わりに手や足を引っ掛けられそうだ。

「うぐ……」

 痛いのを我慢して指に力を入れて、ぐっと身体を持ち上げる。足を掛ける場所が見つからなくて、そのままジタバタ。結局、ズルズルと滑り落ちてしまった。引っ掛けたブラウスがビリっと切れてしまう。

 視線を感じて振り返ると、言わんこっちゃないとばかりにガルディがこちらを見ていた。

「すぐ登っちゃうんだから!」

 エクセラが一方的に宣言すると、ガルディは何も言わず花壇を作る作業に戻っていった。

 木登りなんてこれが始めてだ。何度も何度も滑り落ち、そのたびに擦り傷が増えていく。真っ赤な手も打ちつけたお尻もじんじんする。それなのにちっとも登れない。イライラして木の幹を蹴ったら、上から変な虫が落ちてきて頭に乗っかった。泣きたくなるけど、泣く前にもう一度登ろうとしてずり落ちた。

 それでも登ることを諦めなかった。

 がむしゃらに、傷だらけになって、それで始めて見えてくるものがあった。手の伸ばし方と足の引っ掛け方、幹の滑らない場所、どこを見ていれば良いのか。それが正解か分からないけれど、少しだけ前に進める気がした。

 どうにか一本目の太い枝まで登れたのは、夕暮れになってからだった。丁度、一日の作業を終えたガルディがエクセラの様子を見にやって来た。

 簡単に登れるなんて言ったのに、まだ一本目の枝で苦戦してたいのがどうにも恥ずかしかった。

「ほ、ほらここまできたわよ! もう少しでてっぺんなんだから!」

 見上げる木の頂上が遠いことなんて分かってる。それでもエクセラは精一杯の虚勢を張って、手近にあった細い枝に手をかけた。

「それは止めろ」

「いや!」

 ガルディがこんなことを突然言い出したので、エクセラはかっとなって言い返した。ここまで来て約束を反故にするなんて許せなかった。

「のぼる……のっ!」

 近づいてくるガルディから逃げるように、エクセラは腕に力を込め一気に身体を引き上げようとした時だ。変な感触とともに、ボキッという音が聞こえた。

 支えを失ったエクセラの身体は為す術無く真っ逆さま。

「きゃぁあああ!」

 お腹の底が冷えるような浮遊感に、自分は強くなる前に死んじゃうんだと思った。ギュッと目を瞑って、一瞬先の痛みに備えたけれど、身体を揺らしたのは軽い揺れのような衝撃だけだった。

「まったく……、人の言うことをまるで聞かないやつだな」

 ガルディの太く逞しい緑の腕が、エクセラを受け止めていた。

「あ、ありがとう」

 少し照れくさくて顔を背けたエクセラを、ガルディはそっと地面に下ろした。

「もう止めておけ。今のお前じゃ、てっぺんに着く前に一〇回は死ぬぞ」

「イヤ!」

 エクセラは止めようとするガルディの手を振りほどき、もう一度木の幹に手をかけた。

「絶対に上まで登る! そ、それで……私は強くなる……あんな思いは、えぐっ……したくないの……うぅ……」

 涙を拭った手は震えていた。身体を引き上げようにも、手にはもう力が残っていない。ピョンピョン跳ねるのが精一杯でそれがまた情けなくて、涙がボロボロこぼれてしまう。

 ガルディはエクセラの頭にポンと手を当てた。

「……上まで登りたいなら筋力をつけろ。まずは寝る前に腕立てでもしろ」

「えぐ……う、ウデタテフセ? な、なにそれ……ぐす、どうやるの?」

 エクセラは木から手を離すと、ガルディの方を振り向いた。

「こうだ」

 ガルディはトカゲみたいに地面に手をつくと、腕を曲げ伸ばしして、身体を上下させ始めた。

「へ、変なの……あはは……」

 見たことのない変な動きを真面目にするガルディが面白くて、心と体が緩んだエクセラは思わず笑ってしまった。

「基本を馬鹿にするなら教えないぞ」

 ウデタテフセを止めたガルディは真剣な表情で言った。

「馬鹿にしてない! ちゃんとウデタテフセやる! 今すぐやる!」

 エクセラは慌てて言うと、ガルディの真似をして地面に手をついた。腰を上げて膝を地面から離すと、思っていた以上の重さが腕にかかった。木登りで限界を超えていた身体がそれに耐えきれるはずもなく、一瞬腕をプルプルさせたあと、カエルみたいに潰れてしまった。

「も、もう一回……んんっ! あっ」

 頑張ろうとしたけれど、また潰れて一回も出来なかった。

「ゆっくり慣らして、それで覚えていけ」

 こうしてエクセラの稽古一日目は腕立て伏せを覚えることから始まった。

 

 

「それでお父様、デインとの会談はどうでしたか?」

 飲みかけのグラスを置いたエクセラはおもむろに尋ねた。

 染みひとつ無い真っ白なテーブルクロスの上には、豪勢な食事がところ狭しと並べられていた。絶妙な焼き目と赤身に食欲をそそるグレイビーソースがとろりとかかったローストビーフ、金色に輝かんばかりのフィッシュパイ、十種類以上の野菜と鶏肉を煮込んでその上澄みだけをつかったスープ、外国から持ち帰った果物を絞ってつくったジュレ、小さな瓜の身をくり抜いてそこに刻んだ野菜とひき肉を詰めてチーズをのせて焼いたもの。それでも給仕の足は止まること無く、城の料理人達が腕によりをかけて作った料理を運んでくる。

 食卓についた三人ではとてもではないが食べきれない量だ。もちろん、毎日こんな手間のかかった大量の料理をエクセラ達が食べているわけではない。特別なことがあったからだ。

 エクセラの父でこの国の王、ダルトン・アーデルランドが西方より戻ってきたのだ。主の帰還に城の召使や料理人達が張り切ってしまっていた。

「ムシュフ王は相変わらずだったな。秋から絹と金の取引量を増やす代わりに、塩と海産物、それに酒類の関税を少し下げることになった」

「一進一退といったところですか」

 金はもちろんだが、特産品であるアーデルシルクはその妖精の羽のような美しさから各国で珍重されている。一方、海のないアーデルランドでは国内で使われる塩の八割以上をデイン王国とクロディウス帝国からの輸入に頼っている。交換条件としては妥当な気がした。

「いえ、条件としては向こうが有利です」

 食事の手を止めたイランジュアが異論を唱えた。

「塩については言うに及ばずですが、今年のデインは葡萄が豊作だと聞きました。関税を下げたとなると、安いワインが大量に流入してくるでしょう。歴史の浅いアーデルランドのワインでは厳しい戦いになります」

「そうだな、我が国のワイン蔵も輸出に向けてようやく軌道に乗り始めた所だ。補助金などの支援策を考えないとならんな」

「お金を出すだけでは根本的な解決になりません。輸出が難しい麦酒ばかり保護されている現状を変え、販売ルートを確立しなければジリ貧です! 旧態然とした慣習を打破しなければ、アーデルランドに」

「イラ、お父様に対して口が過ぎるぞ」

 立ち上がって父に詰め寄りそうなぐらい興奮する妹を、エクセラはそっとたしなめた。

「……すみません、食事中にする話ではありませんでした」

 イランジュアは浮いていた腰を椅子につけ座り直した。

 そんな姉妹のやりとりを、父は微笑ましいものでも見るように優しく見つめていた。

「構わんよ。儂の父、先代の王の頃に比べてアーデルランドを取り巻く情勢は厳しくなってきている。そんな中で、こうして国のことを考え行動してくれる娘が二人もいるのは、王として父として幸せなことだ」

 父は噛み締めた言葉を飲み込むように、グラスのアーデルランド産のワインをあおった。

 アーデルランドの王である父の日常は多忙の一言だ。内政に関わる協議、使者との謁見、膨大な書類、時には寝る前に民からの嘆願書にも目を通す。日々の執務以外にも、家臣を労うために、式典を開き賞与を与えたり、舞踏会を開かねばならない。今回のように諸外国との重要な交渉や、民に姿を見せるために国内の視察で数日から一〇日間以上も城を離れることもある。

 こうして家族三人が揃って食事をしたのは実に一月ぶりの事だった。嬉しい半面、忙しすぎる父を心配する気持ちもあった。

 家臣を信用していないから父が忙しいのではない。父は自ら進んで忙しくしているだけだ。

 切っ掛けは最愛の妻、エクセラとイランジュアの母の死だった。病気に気づけなかった事を嘆いた父は、その悲しみと悔しさを忘れるように内政にのめり込んでいった。

 母の死からすでに十一年が経っている。父の中でその感情がどうなったかは分からない。しかし、身体に染み付いた仕事の慣習だけは目に見えて残っていた。

 父はもうすぐ六〇歳になる。頭髪の減りだけでなく体力も昔より落ちているだろう。エクセラもイランジュアも忙しすぎる父を心配していた。

「お父様は少し働き過ぎです。もっと休まないと倒れてしまいます」

「大丈夫だ、時間を見つけてちゃんと休んでいるよ。それにこうして娘達と共にする晩餐が、なにより身心を癒してくれる。そういえば、私の留守中に色々とあったようだな」

 誤魔化すように言った父は、酔いに任せるようにグラスを傾ける。宰相のマラドから不在中の説明を受けているだろうが、父はエクセラ達から話を聞きたいようだった。

「騎士団が問題になっていた野党団を壊滅させました」

「なんでも、拠点を突き止める手掛かりをお前が捕らえたとか」

 自分で尋ねておきながら父の言葉は少し歯切れが悪い。

「はい」

 やましい所など一つもないエクセラは胸を張って答えた。

「ふむ、またあのオークを引き連れて冒険か」

「オークではなくガルディです、お父様」

 エクセラが訂正すると案の定、父はいい顔をしなかった。昔は父もガルディの事を子守代わりに思っていたようだが、最近はエクセラが庭園に出入りするのをあまり好ましく思っていないようだった。

「国を思い戦ってくれるのは嬉しいが、もう少し身の安全と体面を考えてはくれんか」

「そうです、お姉さま。冒険なんて危ないことは止め下さい」

 父と妹に言われ今度はエクセラが渋い顔をする番だった。

「……善処はする」

 エクセラにまるでその気が無いのが伝わったのか、父は深い溜息をついた。

「済んでしまったことをあれこれ言っても仕方ない。どれ、我が娘の勇ましい冒険譚を聞かせて貰おうとするか」

 イランジュアはまだ納得していないようだけれど、優しい父は全てを許すように微笑んだ。

「はい! まず事の起こりは――」

 城下や村での情報集めから、山小屋で野盗団の尻尾を掴み、国境の村での王子との出会い、そして山道での戦い。興奮して身振り手振りが大きくなったエクセラは、テーブルのグラスを肘に引っ掛けて落としたりしてしまった。

 父は楽しそうに微笑みながら、イランジュアはちょっとだけ不満そうに、最後まで話を聞いてくれた。

「ふむふむ、なかなかの大冒険だったな。それで、クロディウスの第三王子はどんな人物だったかね?」

 やはり王である父が気にしたのは、商人に扮しアーデルランド国内に侵入したロイドのことだった。国境警備に心配をもってしまったかもしれない。

「ロイドですか。そうですね……民や臣下のことをよく考えているようでした。肩に矢を受けても戦う意志を折らないですし肝は座っているかと」

「実はな、そのロイド・クロディウスからこのような手紙が届いておる」

 父の目配せに従い、控えていた給仕の一人が絹布に乗せて手紙をエクセラのもとに運んできた。手紙にはクロディウス帝室の紋章が捺されていた。

 あの野盗退治の件で文句でもあるのかと思い手紙を開くが、内容はエクセラが想像していたものとは全く違っていた。

 

 親愛なるエクセラ姫

 

 騎士団に於かれましては、見事に野盗団を壊滅させたとのことで我が方の国境(くにざかい)でも喜びの声が聞こえてきます。

 姫と騎士団に私がしました非礼を改めてお詫びいたします。

 さて、こうして改めて手紙を書いたのは、アーデルランド騎士団の栄達を讃えるためだけではありません。

 姫と別れてより、私の心には一匹の獣が棲みついております。

 それは、時に私を悩ませ、時に私を狂わせ、今にもこの身を引き裂き飛び出しそうです。

 この獣を退治できるのは、姫を置いて他にはおりません。

 どうか、この身の程を知らぬ獣と相対して頂きたい。

 ナーフの月に花が舞う日に参ります。

 

 あなたのロイド・フェルアート・クロディウスより

 

 手紙を読み終わったエクセラは首を傾げた。騎士団を褒めているのことは分かったけれど、後半が意味不明だった。

「……あいつは私に呪いをかけられたとでも勘違いしているのか?」

 眉を寄せて困惑するエクセラに、父は渋い顔でため息をついていた。自分の娘が怪しげな呪いを使ったと思われているのだから仕方ないだろう。

「私にも見せてください」

 手紙を渡すとイランジュアは内容を一読した後、父と同じように眉をひそめた。

「お姉さま……違います。これ恋文ですよ」

「なにっ!? これが恋文だと? 好きの一言も書いてないぞ?」

「ニュアンスを読み取ってください! 恋心を抑えきれない獣に例えているんです! それにナーフの月の花が舞うというのは、十日後のレイアル祭で、太陽神レイアルが女神スベルグに求婚し、地上に植物を授けた事にかけてるんです! その日にお姉さまとの決闘に勝って、求婚するつもりなんです!」

「な、なるほど……」

 文学の授業より分かりやすい説明に、エクセラはただ頷くしか無かった。妹は自分の恋愛事情には疎いくせに、姉であるエクセラの事となるとその嗅覚は鋭かった。

「どうだ?」

 父は苦笑いを引っ込めると、探るようにエクセラの目を見て言った。

「私は構わないです。相手が誰であれ、決闘は変わらない。戦い勝利するまで」

 エクセラは歯ごたえのありそうな相手に胸を躍らせる。しかし、すぐ傍から待ったの声がかかった。

「絶対にダメです! クロディウスの求婚なんて何か裏があるに決まってます!」

「しかし、イランジュア様!」

 我慢できないと口を挟んだのは、いつの間にか壁際に控えていた宰相のマラドだった。

「国王様がデインと会談をもった直後です。継承権は低いとはいえクロディウスの王子の話を無下には出来ません」

「そんなことは分かっています! 相手は非公式に国境を超えて私兵をアーデルランド内に入れるような輩ですよ! 我が国を軽んじている証拠! そんな人をお姉さまの伴侶に、ゆくゆくはアーデルランドの国王に据えるなんて絶対に出来ません!」

 イランジュアは何がそんなに気に喰わないのか、マラドと真っ向から対立した。心配してくれるのは嬉しいけれど、エクセラにはロイドがそんなに悪い人物には思えなかった。

「まあ、ロイドは少し強引な所もあるが、悪い人間ではなさそうだぞ」

「ま、まさか、お姉さま……、そいつの事を好きになってしまったんですか!?」

「な、なにを言ってるんだ、イラ! 私があいつを好きになるなどありえん!」

 エクセラは全力で否定した。良い奴だと思えても、好きかどうかはまた別の話だ。

「なら、断ってください。美しいお姉さまに、どこの馬の骨ともしらない男など相応しくありません!」

「イランジュア様、馬の骨ではありません。帝国の第三王子となれば、これ以上ない相手です。陛下のためにも、どうかエクセラ様、この話をお受け下さい!」

 イランジュアの嫌がりも殊更だったが、マラドの必死の形相も尋常ではない。困ったエクセラは父を見た。

「私が望むのは娘たちの幸せだ。エクセラがこの話を受けたくないのなら、国のことは気にせず断って構わん」

「……分かりました。この話、お受けします」

 妹と宰相、二人の意見を聞いて導いた結論だった。父が自分たちを愛してくれるのと同じように、エクセラは父とこの国を愛している。だからこそ、ロイドとの決闘は受けたほうが良いと思った。

「さすが姫様!」

「お姉さま!」

 マラドが手を叩いて喜び、イランジュアがどうしてとばかりにテーブルを両手でバシッと叩いた。

「大丈夫だ、イラ。私が決闘に勝てば何の問題もない」

 自信満々にエクセラは胸を張るが、父の表情が僅かに曇っていた。

「そう、だな……」

 父はロイドの剣の腕が知らないから決闘の行方が心配なのだろう。

「お姉さまが勝手をなさるから、こういうことになるんです……」

 一対三で決定を覆せそうにないイランジュアはぶつぶつと文句を呟いた。

「お父様も、イラも心配は無用だ。私の方が強い!」

 晩餐に相応しくない曇った雰囲気を吹き飛ばすように、エクセラは握りしめた拳で胸を叩いた。

 

 

「ロイドより私の方が強いよな?」

 翌日、庭園を訪れたエクセラは、大きな手にふさわしい大きな柄杓で水撒きをしていたガルディに尋ねた。夏を謳歌するように咲く草木についた水滴が、太陽の光でキラキラと宝石のように輝いていた。

「他人に認められなければ分からない強さが、本当の強さと言えるか?」

 ガルディから逆に返ってきた質問がエクセラの胸に突き刺さる。

「そ、そんなことは分かってる! ほんの少しだけキャッカンテキな意見を聞きたかっただけだ!」

 父や妹の心配が移ってしまっていたような気がして、自分の実力を一番知っているガルディにはっきりと確認しておきたかった。

 しかし、事情を知らないガルディは訝しがる。

「何があったんだ? まさか、また野盗退治をしようってんじゃないだろうな」

「野盗の件はもう片付いた。その代わりにだな、あのロイド・クロディウスから恋文が届いた」

「堅実そうに見えて、意外と物好きな奴だったんだな」

 そう言ったガルディは珍しく笑っていた。失礼な態度が癇に障ったエクセラが睨みつけるが、ガルディはまるで気にしていなかった。

「それで、だ。十日後に婚姻を賭けて決闘をする事になった」

「なるほど。形はどうあれ野盗の放った矢から守られているから心配になったと。そういうわけか」

 ガルディは大きく水を撒くと、空になった桶に柄杓を突っ込んだ。

「私と奴の実力を知っているのはガルディだけだから……、わ、悪いか」

 自分の未熟さを晒したようで恥ずかしかったけれど、大切な決闘だから自信を持って挑みたかった。

「結婚したくないのか?」

 ガルディがどういうつもりで、その質問したのか分からない。彼のことだから単純に疑問に思っただけだろう。でも、エクセラは少しだけ嫌な気持ちになった。

「……まだ、したくない」

 だからエクセラは不機嫌さを隠さずに、口を尖らせて答えた。しかし、そんなエクセラの気持ちは、ガルディにまるで伝わっていないようだった。

「なんでだ? 王や貴族の結婚てのは仕事みたいなもんじゃないのか」

 一〇年も傍にいればエクセラが言わずとも、ガルディにもそういう話や雰囲気は伝わってしまう。

「……そんなことは分かってる。分かっているけど、まだ私はガルディと一緒になって冒険していたい。結婚すれば、今のような自由はなくなる。子ができれば剣も握れない。王女として、婿を取り、世継ぎを産むことは大事だ。でも、それでも、もう少しだけは……」

 普段は努めて忘れようとしている葛藤の澱に、エクセラは声を詰まらせ俯いた。剣では負けなしでも、我儘と責務の間に陥ってしまうともう子供のようにどうしようもなかった。

「お前とあいつの実力か、そうだな……」

 ガルディは桶を地面に置くと、太い腕を組み目を瞑って考え込んだ。その真剣そうな表情に、エクセラは稽古をつけてもらう時のように姿勢を正すと息を呑んで答えを待った。

 風はなく暖かい日差しの中、似合わない緊張感が高まっていく。

 たっぷりと時間をかけてから、ガルディは組んでいた腕を解くと神妙そうな顔で言った。

「負けてやったらどうだ」

 一瞬ポカンとしたエクセラだったが、すぐにその意味とガルディが自分をからかったことに気づいた。

「もうっ! こんな大事な答えでふざけるな! 私の緊張と不安を返せ!」

 エクセラは我慢できずにガルディの腕をバシバシと叩いた。そんなことをしても強靱な筋肉に覆われたガルディにはまるで効かないことぐらい分かっている。しかも、エクセラ自身が叩いているうちに笑みを零してしまっていた。

「まったく……、こんな乱暴な嫁を貰ったんじゃ、あいつが可愛そうだな」

 いい加減叩かれるのがうっとおしくなったのか、ガルディは大きな手でエクセラの頭を押さえると、そのまま無造作に引き剥がした。

「むぅーー」

 また子供扱いされてエクセラは頬をふくらませた。半分は怒っていて、残りの半分は緩んでしまう表情を隠すためだ。

「そんないい加減な話じゃなくて、きちんと評してくれ」

 認められただけで嬉しいが、一人の剣士としてその理由も聞いておきたかった。

「ロイドの剣は少し見ただけだが、反応速度も剣筋もお前が数段上だ。何もなければ真っ向勝負なら十やって十お前が勝つだろうよ」

「うむ!」

 ガルディのお墨付きにエクセラは深く頷いた。内心では飛び上がるほど喜んでいるけれど、それを見せてはまたガルディに小言を言われてしまう。師匠に少しでも良い所を見せたいのが、弟子の性というものだ。

「よしっ! ならば百やって百の勝利にするために特訓だ! さっそく始めるぞ!」

 エクセラはガルディの腕を引っ張ろうとするが、その前にさっと避けられてしまう。

「好きにやってくれ。今日はまだ水撒きも終わってないんだ」

 適当そうに言うとガルディは、地面に置いたままの桶と柄杓を持ち上げた。確かに今日は陽射しが強く、庭園の土はいつもより乾いて白っぽく見える。

「水やりと私の結婚どっちが大切だ」

 折角のやる気を挫かれたエクセラは、不満をそのままガルディにぶつけた。

「ここの植物は誰かが水をやらないと枯れちまうが、俺がいなくても、もうお前は勝手に強くなれるだろ」

 訓練のやり方自体はガルディから教わり、エクセラの身に深く刻み込まれている。しかし、そういう問題ではない。

「それでも見ていて欲しい」

「まったく……」

 エクセラの我儘にガルディは軽く首を振る。

「横目でならな」

「うむ!」

 ガルディの視界の端にでも入っていれば、エクセラはそれで満足だった。それだけでガルディには、全部わかるのだから。

 少し調子に乗ったエクセラはもう一つだけお願いをすることにした。

「決闘当日は見に来てくれないか?」

「……気が向いたらな」

 そっけない態度で応えたガルディは、これ以上付き合いきれないとばかりに、桶を片手に水場に向かって歩き出した。

「絶対にだぞ!」

 エクセラは苔生した大岩のようなガルディの背中に向かって念を押した。

 

 

 それから毎日、エクセラは一対一での戦いを集中的に訓練した。誰かに勝つために自らを鍛え、その戦い方を練るというのが久しぶりで、普段よりも一段と集中できていた。珍しくガルディが剣を握って稽古をつけてくれた事も大きかった。

 午前中は騎士団の訓練に混ざり、午後からは庭園でガルディと、稽古尽くしで時間は早馬のように駆け抜けていった。

 そして決闘を明日に控えたエクセラは、早めに訓練を切り上げ、ゆっくりと湯浴みをしていた。

「ふぅ〜〜」

 エクセラの長い息が漂っている白い湯気を乱し、細かい渦を作り出す。開放感のある屋外での水浴びも好きだけれど、疲れた身体を優しく包む暖かい湯船も格別だ。

 父と妹、そしてエクセラしかこの浴場は使わないけれど、過分なほど広々と作られている。母が生きていた頃は家族四人で入ったこともあるけれど、今はエクセラとイランジュアの時間があった時に稀に一緒に入るぐらいだ。壁際にある女神像だけが変わらず、壺から湯をかけ流し続けている。

「いよいよだな」

 湯を掻きながらエクセラは独りごちる。出来る限りのことはしたはずだけれど、それでも心に吹く緊張と不安のそよ風は止まない。そんな自分を温めるようにエクセラは透明な湯の下で、自分の身体に触れた。

 手にできている剣だこは素振りの数だけ硬くなっている。湯船に浮かぶ二つの乳房は見かけこそ女らしいけれど、内にはしっかりとした筋肉の鎧が隠されている。ヘソまで手を下げると、引き締まった腹筋の形がわかる。力とバランスを生み出す下半身は、腰から太もも、ふくらはぎ、そして足先へと綺麗な力の線を意識することができる。

「私は強い……私は負けない……」

 今まで積み上げたものを一つずつ確認することで、気持ちが昂っていく。自信は闘争心を呼び、勝利のイメージを形作る。

「私は勝つ!」

 エクセラは湯船から勢い良く立ち上がり、不安と飛沫を散らした。波立つ湯船からは、エクセラの自信に押されるように盛大に湯が溢れていった。

 身体は芯から温まり、気力は充足しているのが分かる。もう少し湯船に浸かっていたい気もするけれど、エクセラは風呂を出ることにした。これ以上昂っては上手く寝られないし、のぼせて湯あたりでもしたら大変だ。

 水滴をしたたらせ浴場から出ると、構えていたメイド達が一斉にエクセラを囲んだ。

「エクセラ様、失礼します」

 メイド達は慣れた手つきでエクセラの裸身に柔らかな布をあて、湿り気を取っていく。花弁にでも触れるように優しく髪の毛に布を当ててるのはアイリン、足指の間まで一本一本丁寧に拭っていくのはミラ、少し強めに脇腹を拭いているのがケイナ。メイドは交代制だけれど、エクセラは目をつぶっていても拭き方で大体誰なのか分かる。

「少し前ですが宰相様がエクセラ様を探しておられました」

 エクセラの身体を拭い終わり、下着を準備していたミラが思い出したように言った。

「こんな時間にマラドが? 珍しいな」

 普通ならマラドは一日の仕事を終え、城下東地区にある自分の屋敷に戻っている頃だ。

「まだ執務室にいるでしょうから、誰か呼びに行かせますか?」

「いや、それには及ばん。待たせているのなら私から訪ねよう」

 決闘を明日に控え、さすがにいつものお小言ということもないだろう。エクセラ自身が何か約束を忘れているのかもしれない。

 早めに着替えを終わらせたエクセラは、濡れ髪を残したままマラドの執務室へ向かった。扉は中途半端に開き光が漏れている。エクセラはノックもせずに中に入った。

 マラドはエクセラの気配にも気づかず、思い悩んだ様子で執務机の一点を見つめていた。その視線の先には一通の書状があった。

「どうした、何か心配事か」

 声をかけられたマラドは、はっとした表情で顔を上げた。

「ひ、姫様……あ、いえ……」

 マラドは歯切れ悪く言葉尻を濁した。

「私を探していたらしいが、何か用事があったのではないのか?」

「それは……」

 エクセラは真っ向からマラドの目を見るが、マラドは何か迷うように視線を彷徨わせていた。いつもの矍鑠とした様子が身を潜めている。

「なんだ、言ってみろ。私にできることならなんだって協力するぞ」

 明日の決闘も重要だけれど、ここまで思いつめた様子のマラドも心配だった。いつも口うるさい宰相だけれど、それはエクセラを想ってのことだとちゃんと分かっている。

 マラドには小さな頃、それこそ乳飲み子の頃から世話になっている。忙しい父に代わり、エクセラやイランジュアが間違ったことをした時に叱ってくれたのはマラドだった。そのマラドが困っているなら、例え明日が生死をかけた戦いでも、エクセラは彼のために出来る限りのことをするつもりだ。

「……ああ、それは」

 マラドは顔を上げ、ようやくエクセラの目を見た。

「どうした、私では役不足か? 確かにイランジュアほど口も立たんし駆け引きも苦手だ。便利な魔法の一つも使えんが、剣の腕と根性、忍耐なら自信があるぞ」

 エクセラは励ますように言って、マラドの肩を叩いた。年老いたマラドの肩はエクセラが思っていたよりもずっと細かった。

 マラドは一度大きく瞬きすると、乾いた唇を引き結んだ。それから意を決したように椅子から立ち上がり、執務机を回り込む。

「エクセラ様……」

「な、なんだ、いきなり?」

 一変し鬼気迫る様子のマラドにエクセラは目を見張る。そんなエクセラの前で、マラドは足を曲げ、両手を両膝を地面についた。

「明日の試合……どうか……どうか負けて下さい」

 マラドは涙をこぼしながら頭を下げると、禿げ上がった額を床に擦り付けた。

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エクセラのもとに隣国の王子との結婚の話が舞い込む。
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