神無月に想いをよせて
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―――ガチャンッ

 

 

「・・・やべ・・・」

 

深行は床を見つめたまま、しばらく固まって動けずにいた。

 

そこにはパックリと割れたマグカップ。愛らしいトトロが悲しいありさまになっている。泉水子の大のお気に入りのものだ。

 

軽く寝坊したのに走りに行ったのがよくなかった。あー時間がねえと言いながら、慌てて朝食の準備をしたのもよくなかった。

 

食器棚からぞんざいに自分のマグカップを取り出したとき、手が当たって落としてしまったのだ。

 

泉水子の落胆した顔が目に浮かぶ。ココアが美味しい季節になってきたと嬉しそうに飲んでいた顔も。

 

 

「ああ、これは鈴原さん、がっかりするだろうなあ」

 

背後から声がかかり、深行の金縛りが解けた。振り向くと和宮だった。いつから見ていたのか、窓のサッシにちょこんと腰を落ち着けている。

 

こういうときに限っていつもタイミングよく現れるカラスを深行は睨んだ。

 

「何の用だよ。俺は今、お前にかまっている余裕はないんだ」

 

「少しは成長したかと思えば、相変わらずだね、きみは」

 

・・・痛いことを言う。

 

時々姿を現してはからかったり、こうして説教をたれたりする。親戚の親父か、と心の内で毒づき、深行はしっしっと手で払うしぐさをした。

 

「いいから、もう行けよ。10月って神霊はいなくなるんじゃないのか」

 

追い払いたくて軽い気持ちで言ってみると、和宮は呆れたように喉を鳴らした。

 

「まさかそんな俗説を信じているのかい? そもそも神無月とは・・・」

 

「分かった。分かったから、もう閉めるぞ」

 

このままでは本気で遅刻してしまう。雑な扱いだが仕方がない。深行は無理やり窓を閉めてカラスを追い出した。

 

 

 

* * * * *

 

 

 

「シンコウ、なに見てんの?」

 

中庭のベンチで休んでいると、後ろからいきなり声をかけられて、深行はぎくりと肩を揺らした。いったい今日はなんなのだ。急いでタブレットの電源を落とした。

 

「別に、たいしたものじゃない」

 

真夏が首をかしげながら隣に座る。立ち去る気はないらしい。深行はかばんにタブレットをしまい、努めて冷静に答えた。

 

「ニュースをチェックしていただけだ」

 

「トトロの?」

 

(・・・見たのなら、そう言えよ・・・)

 

口の中に苦いものが広がっていく。深行は周囲に気を配り、真夏に小声で事情を話した。

 

見ていたのはジブリのグッズ販売のサイトであった。今日は金曜日。今まで『間が悪い』だなどと一度も思ったことのない、泉水子が深行の家に来る日だ。けれども、今注文して夜までに届くだなんて某通販会社のような神対応を行っているはずもなく。

 

頭を抱えたい気分でいると、真夏はけろりと言った。

 

「なにも通販で買わなくても、トトロのグッズなら○○駅の雑貨屋で売ってると思うよ。真響がこのあいだ鈴原さんと行ったって」

 

はじめて真夏の後ろが輝いて見えた。

 

幸い定期試験休みの関係で塾のバイトもなく、その駅なら放課後普通に行ける距離だ。深行は言ってみるものだと真夏に感謝した。

 

 

 

どうしても外せない講義だったこともあり、1日がとても長く感じた。

 

残念ながら同じものはなかったので、似たようなものを購入する。自宅へ急ぐと、玄関には既に泉水子の靴があった。

 

音を聞きつけたのか、彼女が嬉しそうにぱたぱたと駆け寄ってくる。深行が持っている紙袋を見た瞬間、その顔を申し訳なさげに曇らせた。

 

「わ、私の誕生日は3月なのだけど・・・」

 

「・・・知ってる」

 

・・・今更すぎる。

 

トトロのマグカップを購入する際、プレゼントですかと聞かれ、ついうなずいてしまったのだ。ご丁寧に紙袋までもが可愛らしい贈答用で。泉水子が勘違いをしてしまうのも無理はないと思う。

 

「そういうのじゃないんだ。これは・・・」

 

謝らなければいけないのに、うまい言葉が出てこない。深行が二の句を継げずにいると、泉水子はふいっと行ってしまった。

 

「ごはん、用意するね」

 

心なしか声が硬い気がする。食事中も、いつもであればいろいろなことを話すのに、泉水子はずっと浮かない顔をしていた。普段は照れくさくてなかなか言えないけれど、素直に美味いと伝えてみても、泉水子の笑顔は見られなかった。

 

もしかして、マグカップに気づいたのだろうか。

 

そんなに怒ることかと思いつつ、まったく男らしくなくて自己嫌悪に陥った。泉水子にはきっとそれだけ大事なことなのだ。彼女がシャワーを終えたら新しいマグカップを渡して謝ろう。そう思うこと数十分。泉水子は長湯するほうだけど、今日はことさら出てくるのが遅い。

 

「鈴原?」

 

控えめに脱衣所をノックした。返事がなくて心配していると、スマホのメールが着信した。

 

「・・・うそだろ」

 

まったく気がつかなかった自分が恨めしい。深行は上着を引っつかんで、勢いよく外へ飛び出した。

 

 

 

オレンジ色の街灯が道を照らしていても、ところどころ間隔が広くなっていて薄暗い。

 

居場所が感じられなくて、自然と鼓動が速くなる。泉水子は深行に来てほしくないのだ。たった一言帰る旨のメールだったけれど、拒絶の意味を含んでいたということだろうか。

 

全速力で走り、分岐で立ち止まった。普通に考えれば駅に向かうところだが、なんとなく公園の方角が気になる。

 

公園に続く道を見つめて迷っていると、その先から、かあと短く鳴き声がした。見上げると前方の電線にカラスが止まっている。

 

「まったく学習していないな、相楽くん」

 

「そう言われるのはしゃくだが・・・返す言葉もない」

 

殊勝な態度を見せると、カラスは一応満足そうだった。近くのブロック塀まで降りてくると、黒いビー玉のような目を深行に向けた。

 

「眷属神は出かけないよ。いつだって、留守を守るだけだ」

 

それだけ言うと、飛び立っていった。

 

深行はその姿を見送り、和宮の言葉を反芻した。胸の中にしまって、その意味を考えた。

 

 

公園へ向かうと、泉水子はブランコに座って小さく揺れていた。

 

深行は無言で隣のブランコに腰を降ろした。泉水子はちらりとこちらを見て、またうつむいてしまう。軽く息を吐き、深行は泉水子のブランコの鎖を握った。キイ、ときしむ音が鳴る。

 

「悪かった」

 

泉水子ははじかれたように顔を上げた。その目にみるみる涙が浮かんでいく。

 

「謝るんだ・・・」

 

「すぐに言うべきだった。・・・悪い」

 

「・・・深行くん、い、いつから、ほかに、大切なひとが」

 

涙をぽろぽろ零す泉水子の泣き顔に、深行の胸がぎゅっと痛んだ。親指でそっとぬぐってやり・・・

 

「・・・・・・は?」

 

間の抜けた声を上げると、泉水子は涙のにじむ眼差しでぱしぱしと瞬きをした。

 

「え、だって。あのプレゼント・・・誰かにあげるのでしょう?」

 

深行はしばらくの間、不安げに瞳を揺らす泉水子を見つめた。一気に体から力が抜けていく。大きく息を吐き出し、へなへなとうなだれた。

 

どう考えても、絶対的に自分が悪い。割ったことも、言わなかったことも、誤解をさせたことも。

 

反省しなければいけないのに、分かっているのに、少し笑いがこぼれた。

 

「・・・深行くん?」

 

深行は立ち上がり、泉水子を抱きしめた。驚いたのか抗うように身を固くされたけれど、しっかりと胸に抱え込んだ。

 

「泉水子以外にいるわけがないだろ。あれは、プレゼントじゃなくてお詫びなんだ」

 

「・・・え?」

 

要領を得ない泉水子に説明すると、彼女は絶句した後、かーっと真っ赤になった。

 

「ご、ごめんね。勘違いして、私・・・」

 

眉を下げてうろたえる泉水子を、深行はもう一度抱きしめた。

 

「心臓に悪いから、黙って出て行くのだけはやめろよ。まあ、今回は全面的に俺が悪いんだが。これじゃあ、和宮も呆れるはずだよな」

 

「和宮くん? 会ったの? ずるい、いつも深行くんばっかり」

 

「ずるいって、お前な」

 

心外な言葉に身体を離して顔をしかめれば、泉水子は深行を見つめ、それから身を寄せてぎゅっと抱きついてきた。身体をふるふる震わせている。

 

「・・・泉水子?」

 

まさか泣いているのだろうかと背中を撫でると、

 

「深行くんが、トトロのマグカップを買うところを想像したら」

 

泉水子は深行の胸に顔を押しつけ、声を上げて笑い出した。どうやらツボに入ったらしい。泉水子は一度ハマるとテンションがおかしくなるのだ。

 

 

深行は憮然とした気持ちになったが、あきらめて苦笑した。

 

屈託なく笑う泉水子が好きだ。切なげに瞳を潤ませる彼女も愛しいけれど、悲しい泣き顔は見たくない。

 

笑い続ける泉水子のつむじにキスを落とした。顔を上げた泉水子がじわりと頬を染める。何か言おうとするその唇を塞いだ。

 

こぼれ落ちるかすかな甘い吐息に、気持ちが煽られる。口づけは次第に熱を帯びていき、気づけば夢中になって重ねていた。

 

愛しい気持ちがこみ上げて、このままではいつまでもキスが終わりそうもない。

 

「帰るか」

 

そう言うと泉水子は嬉しそうにはにかんだ。泉水子の手を取ると、きゅっと握り返してくる。

 

正直もの足りない気持ちだけど。帰ったらきっと、泉水子は早速ココアを飲むだろう。深行は泉水子とそうした何気ない話をする時間も好きだった。

 

心があたたまっていくから。

 

 

和宮の言葉を思い出す。

 

泉水子をひとりには絶対にしない。させたくない。

 

なにより、深行が泉水子にそばにいてほしいのだ。

 

 

 

 

 

終わり

 

 

 

 

 

 

こちらは、10月にお誕生日を迎えられた方へお贈りしたお話です^^

 

神無月にちなんだお話にしたいなーと思って調べてみたんですけど、『神無月にお参りをしても神様はお留守なので聞いてもらえないのか』、という質問に、『神様が出かけていても眷族神がいつでもきっちり留守を守っているので大丈夫』という記事を読みまして。

和宮くん・・・ (;_;)ブワッ

なんだか泣きそうになってしまいました(^^;ゞ

姫神が何千年も時の中をさまよっても、和宮くんはそばにいたり留守を守ったりしてたんだろうな・・・(求む・語彙力)

 

神無月が『神様がいなくなる月』というのは俗説だという話もありました。

『神の月』の読み方から『かんなづき』になったとも。どちらにせよ素敵な響きですね!

 

 

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