Aufrecht Vol.7 「二心」
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星さんが帰ってから間もなくのこと。

またしても腰が引けた様子の尾形さんは、小股のすり足でトコトコと私の部屋を訪ねてきた。

 

「沖田先生。お加減はいかがですか?」

 

切り出した言葉はいかにも月並みだったけれど、顔色の悪さといい、不自然な怯えようといい、土方さんから小言を言われたんだろうというのが容易に想像できた。

私が倒れなければ、そういうとばっちりを受けずに済んだかもしれないのに。申し訳ないことをしたと思う。だけど、こればっかりは悪意のないことだから仕方がなかった。

 

「どうってことありません。自分でも、なぜあのようなことになったのか、見当もつかないんですよ。それより、たいへんなご迷惑をおかけしました。」

 

袴の裾を正して一礼すると、ねじ巻きの取れた人形のような身ぶりで、尾形さんはあわあわと手を動かしている。その間、何度まばたきをしたことだろう。とても頭がいいはずなのに、どうしてこう滑稽な動きをするのか不思議なくらいだった。

 

「とんでもない! 私の方こそ、気遣いが足りずに失礼をいたしました。どうか、ご容赦願います。」

 

同列に位置する役職なのに、尾形さんはいやに恐縮して必要以上に頭を下げてくる。

 

「弱ったな。お互いに頭の下げ合いは止しましょう。終わらなくなる。」

 

やたら平伏したがる周囲の反応には困ったものだが、こちらが歩み寄るそぶりを見せたとたん、相手が疑心暗鬼になってしまうからもうとっくに諦めてしまった。

 

「そうですね。はい。すみません。それでは、私はこの辺で失礼致します。お休み中のところをお邪魔しました。」

 

尾形さんは口を差し挟む隙を与えず、居心地が悪そうに体を揺すってからそそくさと立ち上がった。早く出て行きたいと顔に書いてある。

 

(なんだ。用件だけか。つまらない)

 

ぺこりと頭を下げたかと思うと、急ぎ向きを変えそのまま出て行こうとする。

 

「あ。待ってください。あなたに聞きたいことが…」

 

利き足を踏み出したところで、私はその背に待ったをかけた。くるりと向き直った顔に、緊張の色が浮かんでいる。

 

「な、なんでしょう?」

 

「尾形さん。」

 

「は、はいぃ!」

 

場を仕切り直す意味も込めて名前を呼ぶが、それが返って相手の緊張を高めてしまったようだ。

突然名前を呼ばれた尾形さんは、硬直した肩をびくんと跳ね上がらせて、それ以上何も言わないでほしいという顔をしている。

 

(いくらなんでも怯えすぎだろう)

 

呆気にとられた私は、ひとまず座るように座布団を出してあげた。

 

(こう身構えられたんじゃ、会話もまともにできないや)

 

そこで、まずは気負いのない話題から始めることにした。単刀直入に切り出すよりも、他愛のない話から入った方が彼の緊張もやわらぐだろう。

 

(どんな話題がいいかな?)

(江戸にいた頃の話でもするかな?)

(それとも、尾形さんが好きそうな話の方がいいのかな?)

 

散々悩んでいると、尾形さんはそれを悪い方に受け取ったらしく、見る見るうちに表情を硬くしてしまった。

 

(せっかくだから、この機会に打ち解けたいと思ったんだけど)

 

どうやら、尾形さんの中では「おっかない人」ということになっているらしい。黙ってニコニコしているだけで怖がられてしまうから、割と冗談を言うように心がけているというのに、それすら通じない人もいるんだなと思った。

 

(なんでかなぁ? もう少しくだけた話をした方がいいのかも)

 

どうしてか、尾形さんと話をすることにこだわっている自分がいる。

土方さんが目をかけているというだけで、なんだかとてつもない可能性を秘めているように思うのだ。その未知数に賭けて、私は期待を募らせているらしい。

 

(尾形さんなら、何かヒントをくれるかもしれない)

 

なんの根拠もなくそう考えた私は、無謀にも時間の干渉について尋ねてみることにしたのだった。

 

「妙なことを伺いますが、仮の話だと思って聞いてください。もし、時を自在に操ることができるとしたら、過去の過ちを正すことはできるでしょうか?」

 

この手の内容は、遠回しに言うと意味が通じないことがある。だから、なるべく簡潔に、そして明確な言い方を選んだ。

 

(ちゃんと意味が通じたかな)

 

もし、こちらの意図を明確に捉えたなら、きっとすごい答えが返ってくるかもしれない。そう思うと、わくわくする気持ちで胸が高鳴った。

だけど、私を見る尾形さんの目は打って変わって白けたものに代わり、これだけ高まった期待を安々と裏切ってくれた。あまりに突拍子もなく非現実的な質問だったから、どう答えていいものやらと途方に暮れているみたいだ。

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「…はあ…それは、その人の心持ち次第というものでは? しかし、時を操ること自体、不可能であると存じます。」

 

(つまらない…)

 

予想の範疇と言えばいいんだろうか。シンプルでそつのない、いわば模範解答のようなものだった。もしかしたら、真面目に答えるのもバカらしいと思われたのかもしれない。

 

(これ以上、突っ込んで聞いても無駄な気がする)

 

私の無謀な賭けは、失敗に終わった。

だいたい、蒸気船が最先端技術だと驚いてるくらいだし、自動車もなければ通信機器も存在しない世の中だ。いくら見識が広いとはいえ、時間と空間についての考え方が尾形さんの辞書にあるはずもなかった。

 

「そりゃそうですよね。聞きたかったこととは別のことを言ってしまいました。私が聞きたかったのは、こんなことじゃないんです。」

 

言い訳がましいことを押しつけて、笑いながらその場をやり過ごすしかなかった。

冷ややかであるのは変わりなかったけれど、尾形さんはさして気にも留めない様子で、先回りをするようにこんなことを言う。

 

「此度の戦に関してであれば、私などに助言を求められても…」

 

なぜか加虐心を煽るような上目遣いをして、膝の上で組んだ指の先をもじもじと動かしている。むしろ、そういう話題を求めているとでもいうような態度が、次にくる言葉を自然と誘導していることに尾形さんは気づいていなかった。

ならば、と考えを改めたように、あえて私はその話題に食らいついてみた。

 

「新選組は、剣以外の方法で松平公に…いえ、公方様や天子様に報いることはできるでしょうか?」

 

自分で持ち出しておきながら、何を言われたのか分からないというように、尾形さんはしばらく愕然としていた。

紙のように白い顔をして、穴が開くほど私を見つめている。

 

「それは…私を試しているのですか?」

 

品の良い顔立ちが卑しく見えるほどの、どんよりとした目つきだった。

 

「いやだなぁ。私が計算高い男に見えますか?」

 

「はぁ…いえ、しかしですねぇ…」

 

(裏で網を張っているとでも思っているのか?)

 

仮に土方さんの仕掛けた裏工作だったとして、なぜ私がそんなことに加担しなければならないのか。確かに芹沢さんのことは言い逃れできないけれど、唯一後ろ暗いと思うのはそれくらいのものだった。

土方さんに目をつけられたからと言って、詮議なく隊士を屠るほど新選組は独裁的ではないはずだ。

 

「そんなつもりはありませんし、これは私の一存と言いますか、近頃よく考えていることなんです。」

 

土方さんへの疑惑と不信が強まる前に、のらりくらりとかわしながら彼の考えを否定した。これで、副長に対する悪感情は回避できたはずだ。

しかし、そう思ったのも束の間、次の矛先は私に向けられてしまったのだ。

 

「ならば、なおのこと。ご自分で何をおっしゃっているのかわかっておいでですか?」

 

口調はとても丁寧だったが、尾形さんの目は副長助勤としての厳しさをはらんでいた。ありもしない罪の意識を、今度は私が押しつけられる番だった。

 

「ええ。もちろん。」

 

「…そうですか。それでしたら、私から申し上げることはございません。」

 

いかにも落胆したように肩を落とし、尾形さんはそれ以上の言葉をしまいこんでしまった。私とは関わりたくないという意思の表れなのか、目の前には見えない境界線が敷かれ、私たちの間を仕切っている空気が重くなったように感じられる。

 

「なぜです? あなたの考えを聞きたいのに。」

 

こんなことは馬鹿げていると思った。私の考えていることは、まるで議論の余地すらないんだろうか。

 

「沖田先生が納得されるような考えを私は持ち得ませんので。むしろ、山南先生にお聞きになったらいかがです?」

 

(面倒になると、すぐ山南さんに押しつけるんだよなぁ)

 

隊士たちはもとより幹部の者でさえ、その時々に応じて土方さんを立てたり山南さんを頼ってみたり、ころころと身の振り方を変えていた。それぞれの得意分野があるのは私だって重々承知しているけれども、都合が悪くなったり分が悪くなったりすると、必ずと言っていいほど山南さんに泣きつくのが隊士たちの小賢しいところでもあった。

誰かが不都合に突き当たったときに、盾になって庇護するのはいつも山南さんだ。常に貧乏くじを引かされて、損な役回りばかりを背負わされているのだ。

山南さんのもとに寄せられる相談事は、大抵が法度がらみの事案だった。金銭による過失とか、士道不覚悟とか。明確な隊規が掲げてあるだけに、庇いきれないようなものばかり。それでも相談された手前、立ち上がらないわけにはいかない。そうすると、必然的に総長と副長の対立構造ができあがってしまう。隊の感情も二つに割れる。私はこれが嫌でたまらないのだ。

 

(こういうとき、土方さんとは言わないんだよな)

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不思議なことに、相談役として土方さんの名が挙がることは滅多にない。助言を求めるのには畏れ多いということだろうか。「この男にかかれば、不可能なことはない」と言わしめるような、能力値の高い土方さんが、だ。

普通に考えれば、あらゆる相談事が土方さんのところに殺到してもおかしくはないのに、私情のこととなるとなぜか土方さんを避けて通るのだ。

 

――土方副長は常にお忙しい。

――我々が気安く話しかけていい相手ではない。

――相談したいとは思うけれど、畏れ多くてとても無理だ。

――つまらないことを持ち出すなと一蹴されるのではないか。

 

隊士に理由を尋ねてみると、だいたいそのような科白が返ってくる。完全に畏怖の対象だ。その点、山南さんはどうなのかといえば、その逆だった。

 

(山南さんだって総長なのにな)

 

元々は同じ副長同士でも、山南さんが軽視されているのは、誰もが目と耳とで判じていることだった。それが、そのまま各自の認識となり、隊の常識となってしまったようだ。

確かに親しみやすい人だけれど、軽んじるのとはまた別の話だと思う。

 

いずれにしても、開かれた議論の場が許されない空気というのは、客観的に見れば異常な風潮だと思うし、集団であればこそ狂気に走りがちになる。たぶん、山南さんはそこを危惧しているんじゃないだろうか。

 

「そういうのがいけないと思うなぁ。」

 

「え?」

 

「堂々と自分の意見が言えない環境が、さ?」

 

「それは…」

 

尾形さんはますます顔を青くして、周囲に人がいないかを探っていた。

この会話を立ち聞きでもされようものなら、一瞬で首が飛ぶとでもいうような怯え方だ。

 

「安心してください。誰も聞いちゃいませんよ。」

 

やや呆れ口調になって、尾形さんをなだめにかかる。現に、辺りには誰の気配も感じられなかった。それなのに、尾形さんは私の言葉を聞き入れようとはしなかった。すでに信用を失っているのかもしれない。

 

「二心は抱かぬよう…これはせめてもの忠告です。」

 

まるで密談でもしているかのように声を潜め、それだけを言うと彼は足早に去って行った。ここへ来たときの動きとは、まるで別人のようだ。

 

「ちぇっ…何が二心だよ。」

 

いくらなんでも過敏すぎるだろうと思った。彼の神経は細すぎるのかもしれない。

何も離反するとは言っていないし、剣以外の道を模索することが新選組への背信になるとも思えなかった。そんなのは、どう考えても大げさじゃないか。

 

(もう少し頭の柔らかい人なのかと思っていたのに、これじゃあまるで藩人と変わらない)

 

土方さんが褒めていた理由が、ようやく分かった気がする。

学識があって品行もよく、公用向きであったからではない。

他の隊士の手本となる優等生だからだ。優等生というのは、指導者に逆らったりはしない。常に従順で、正しいことを美徳と心得る。正しさの基準は何かといえば、己が属する社会や組織の法規に則り、それを遵守することだ。

 

(土方さんにとっては、一番扱いやすい類なのかもしれないな)

 

だったら、私はどうなんだろうと思う。今まさに思い描いていることを伝えたら、土方さんはどんな反応を示すのだろうか。

 

(あの人はいざとなったら、この私でさえ手をゆるめることはしないだろうな)

 

きっと、力づくででも屈服させようとするはずだ。そういう身内の抗争ほど、醜いものはないと思う。芹沢さんの件が、その最たる例だ。結果として、あの惨事を招いたのだ。

 

(私はどうしたいんだろう…?)

 

剣で存在の意義を問うてきた新選組にしてみれば、それ以外を選択することは結束以来の教義に反するというだけの話だ。でも、それは新選組の中だけで収めるとしたら、の話になるけれど。

会津の預かりであることが、すでにしがらみを生んでいるのだった。

ついでに言うと、対外的立場というものを持ち出せば、とたんに身動きがとれなくなるというのも現実ではある。

 

(はぁ…なんか憂鬱になってきた)

 

すでに先を見通せるということが、こんなにも鬱々とした不安をもたらすものだとは思わなかった。模索しないことの方が、かえって心はぐらつかずに済むのかもしれない。初志貫徹を守り、信念の道を突き進むためには、矛盾を生む情報は削いで行った方が健全だと言える。それこそが、土方さんの考えの根幹にあることなんだと思うけれど。

 

(山南さんがずっと考えてたことって、こんな感じなのかなぁ?)

 

徳川に牙を剥く者を武力で制圧することに、山南さんは途中から反対するようになった。

途中というのは、つまり池田屋の辺りからだ。

討伐の前に土方さんと一悶着あったせいか、留守居役に任じられた山南さんは、どこか煮え切らないまま事後報告を聞くことになった。

あの頃からすでに、山南さんは独りで悩み始めていたのかもしれない。同門の藤堂さんにさえ、心の内を晒すことはなかった。

やがて、腕の負傷だけでは済まず、胃まで痛めるようになってしまったのだ。

 

(相談してみようか…)

 

尾形さんが言うように、今の私の考えを山南さんが切り捨てるようなことはしないだろう。

 

(でも、話を持ちかけたことが仇になって、山南さんを刺激してしまうかもしれないしなぁ…)

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たとえ意気投合したとしても、山南さんと結託して変革を起こそうという気はなかった。土方さんを説き伏せようなどという考えは、山南さん側にあったとしても、私には今のところない。

そんなことをすれば、我が意を得たりという者が続出し、隊を分裂させてしまうことにもなりかねないからだ。

 

鬼の副長と仏の副長と呼ばれる二人は、何かと比べられることも多く、すでに派閥の前身ともとれる様相を見せている。

 

近藤さんの懐刀と呼ばれている私が、土方さんと言を分かつようなことになればどうなるか。それを尾形さんはいち早く察知したに違いない。もし、覇権争いにでも発展すれば、内部崩壊するのは目に見えているのだから。

 

「だったらそう言ってくれればいいんだ。」

 

なんとなく溜めておけずに吐き捨てると、尾形さんと入れ替わるようにして土方さんがやってきた。

 

「何を不貞腐れてやがんだ。尾形に説教でもされたか?」

 

どことなく楽しそうな顔をしている。爪の垢でも煎じて飲んでみろ、とでも言いたげな雰囲気だ。私としては少し面白くない。空とぼけてみたくなった。

 

「うーん…近いようでいて、そうでないような…。別に、私のことなんかどうでもいいんですよ。それより、何かあったんですか? とんぼ返りだなんて。」

 

「とぼけてんじゃねえよ。手前の体を心配してるんだろうが。」

 

尾形さんへの評価が高いからといって、私への態度を変えるような土方さんじゃない。そんな単純なことを再確認できただけで、私はもう満足だった。

 

「ああ、そんなことか。それならもう平気ですよ。」

 

もうこの話は終わりにしましょう、という意味で、腿の上をひとつ軽快に打ってみせた。

土方さんには強がりに聞こえたかもしれないけど、私の言葉に偽りはない。なんで倒れたのか不思議なくらい、思考も肉体もすっきりと落ち着いているのだ。

 

「そんなこと、じゃねえだろう。倒れて気を失ったんだぞ?」

 

「あはは。面目ありません。」

 

こだわりなく笑ってみたけれど、渋い顔をした土方さんはまだ諦めていないようだった。

 

「総司。お前、何か隠してるだろう? 俺に言うことがあるなら、今のうちだぞ。こっから先は、猫の手も借りたくなるほど忙しくなるからな。聞いてやれなくなる。」

 

(猫…それは嫌味なんだろうか…)

 

そこに引っかかりを感じながらも、土方さんに言うべきことがあったはずだと思い、思考の中をほじくり返してみる。

 

「んー…」

 

(役職を退きたい…)

 

何の前触れもなく切り出せば、いくら土方さんでも度肝を抜くに違いない。勢力を誇っているこの時期だからこそ、言い出しづらいところはある。

 

(労咳のことも言っておかなくちゃ…)

 

役職を降りる建前としては、至極まっとうな理由になるだろう。病気を口実にするのは、以前の私だったら絶対にありえないことだ。この性格を知っている土方さんが、建前を受け入れてくれるのかどうか不安でもある。

 

(私が抜けた後の穴をどう埋めるのか…)

 

それを考えるのも、退く者の責任だ。

 

(私の一存で決められることではないし…)

 

頭の中にいろんなことが浮かんでは、組んず解れつの寸劇が繰り返されていく。その間、土方さんは忍耐強く見守っていた。でも、存外気の長い方ではないのだ。

 

「どうなんだ?」

 

ここまで粘ったんだから逃げるなよ、と視線が張りついたように催促をしている。

労咳だと打ち明けるには、絶好のタイミングだと思った。ところが、覚悟を決めて口を開きかけたとき、土方さんの眉が微妙に歪んだため、告げるタイミングを逃してしまったのだ。

 

「何です。」

 

「おい。動くな。そのままでいろ。」

 

唐突に命令されてむっとしていると、耳垂れのようなものが流れ落ちてくるのがわかった。ぽつりと小さな音が立った気がして、視線が無意識に肩口を追っていた。赤く丸い染みができている。

 

「耳から血が出ているな。」

 

下に落ちた赤い点に見入っていると、淡々とした声で土方さんは事実だけを述べる。

 

「あ。本当だ。なんだかむず痒い気がしてたんですよね。」

 

耳の穴に小指を差し込んで、狭い空洞の中をぐりぐりと回転させてみた。もっと血が出てくるのかと思っていたけど、どうやら数滴でおさまったようだ。

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「阿呆! 弄るんじゃねえよ! 耳が聞こえなくなったらどうする。今までみたいに刀を遣えなくなんだろう。」

 

珍しく声を荒げた土方さんを見て、なぜか私はおかしさが込み上げていた。私のことになると、度を超えて過保護なのだ。耳から血が出たというくらいでこの有り様だから、労咳と告げた瞬間どうなるか知れたもんじゃない。

 

「平気ですよ。ちゃんと聞こえてますってば。」

 

耳がらの後ろで手をそばだてるような仕草をすると、どうにも納得がいかないという顔になって土方さんはむっつりとし始める。

 

「総司の言うことは信用ならねぇ。どれ。俺が診てやる。」

 

「ひどい…」

 

私の肩ににじり寄り、指をつま弾く音を立て始めたので、土方さんの気が済むようにと大人しくしていることにした。ただ、口が素直になれないのはいつものことだ。

 

「そんなことしなくても聞こえますってば。それに、土方さんには医学の心得なんてないでしょうに。所詮、筍と変わらない。」

 

「うるせえ。ちょっと黙ってろ。気が散る。」

 

苛々しつつも丹念に耳の穴を調べる土方さんと、文句を言う割に身動きすらしない私の構図は、第三者から見れば異様な光景に見えるはずだ。

 

(それにしても、耳から血か…)

 

冷静に考えてみると、土方さんが慌てるのも一理あるのかもしれない。

血が出るとすれば、外耳炎か中耳炎といった類の病気だ。その他に考えられるものとすれば、何らかの腫瘍だろう。

 

(自覚症状がまったくないしなぁ…)

 

素人判断で原因を特定することこそ無為なことはない。

 

(原因がわからないんじゃ、悩んでいても仕方がないじゃないか)

 

観察することで躍起になっている土方さんを尻目に、なんとか気持ちの余裕を取り戻していた。

 

(後で本物の医者に診てもらうしかないかな)

 

そう結論づけた私は、土方さんの検体になることに専念した。くだらないことに時間を潰す土方さんもまた一興で、酒の肴に持ってこいなのだ。

 

(からかえるネタができた)

 

そうこうしているうちに、意外な人物がやってきて私を驚かせたのだった。

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沖田と尾形の会話中心です。
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艶が〜る,沖田総司,尾形俊太郎,幕末,長編

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