第4話 護衛開始〜軋む日常〜
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「佐伯さん、この交差点を右に曲がればいいんだね?」

「うん、そこを曲がると、大きな門のある家が見えてくるから。そこが悠里の家だから…」

「分かった」

 

龍真は、春奈の指示に頷きハンドルを切りながら1つ引っかかっていることがあった。

 

(この道、昔よく通った記憶のある道だ。それに、和泉さんの名字はもしかして…)

 

引っかかっていることをそのままにしておくのも気持ち悪いので龍真は春奈に尋ねた。

 

「もしかしてだが、和泉さんの家は剣術道場じゃないか? 名前は確か――和泉心刀流剣術だったかな?」

「あれ、龍真君意外と物知りじゃない」

 

龍真はややげんなりとした表情なる。当たってほしくない予想が当たってしまったのだ。

 

「うぁー…、やっぱりかー……」

 

現在の時間は午後9時20分、九十九堂での大騒ぎから1時間近くが立っていた。

 

第4話 護衛開始〜軋む日常〜

 

「でも、驚いたわ。龍真君が1つ年上だったなんて」

 

助手席に座った春奈は、龍真の顔を見る。

 

「結構、そういうのって気にする人多いと思ってたんだけどな」

「この仕事は年齢よりも腕前が重要なんでね。そんな世界にいれば、1つ程度の歳の違いは気にならなくなる」

 

龍真は、視線を逸らさずに春奈の問いに答える。ちょうどその時、左手前方の路地に、どこか武家屋敷を思わせる立派な門が見えてきた。

 

「龍真君、ここよ」

「あ、あぁ…」

 

春奈の声に考え事を中断すると、彼女の指示に従い、龍真は門のすぐ脇に車を停めた。

 

「あたし、先に行っておばさんに事情話してくる」

 

そう言って、春奈は助手席から降りる。

 

「信じてくれるとは思うが、いろいろと大丈夫なのか?」

 

龍真は一言、春奈に尋ねた。悠里がこの街を騒がせている殺人鬼に狙われていること。その殺人鬼が人ならざる技術を扱うということ、そして『彼ら』専門の拝み屋として自分たちがつくこと。

幾つもの意味をこめて龍真は春奈に問い掛けた。

 

「うん、多分大丈夫だと思う。なんていうか、いろんな意味で理解のある人だから。話したらこっち戻ってくるから、その後で悠里を運んで」

 

春奈は苦笑を浮かべて答えると、車のドアを閉めて、門の前へと歩いていった。

門にはチャイムがつけられており、春奈はそれを押して、一言、二言話した後、門を押し開けてその内側へと姿を消していった。話をする人間がいないせいで、車内は静まり返る。

聞こえてくるのは悠里の規則正しい寝息だけ。その寝顔をバックミラー越しに見て、龍真は再び妙な既視感に捕らわれた。

 

(懐かしい…、というか忘れちゃならないことがあったよな、ここで――)

 

その既視感を探り出そうと、龍真は眼を閉じて記憶を掘り返し始めた。だが、それがまずかった。

慣れない質問攻めにあった挙句に、大量に気を流し込んで瘴気を払ったせいなのだろう。龍真は眼を閉じて数分と経たない内に、夢の世界へと旅立ってしまっていた。

 

 

その夢の世界は、とても懐かしくて、とても苦しい思い出。すべてを失ったあの日から、日本を発つまでの数年間の日々。

まるで、ドラマの総集編のように浮かんでは消えていく絶望、希望、苦痛、安堵、喜び、悲しみ、そして慕情。

その夢の中で、幾度となく現れる風景は、九十九堂とどこかの道場。

九十九堂では今はもういない祖父が、道場では二十歳前後ほどの若い女性とおしとやかな少女が何度も話しかけてくる。

会話の内容は、聞き取れない。いや、思い出せないといったほうが正しいのだろう。

龍真はぼんやりと、そのことを寂しく感じていた。その過去の風景が、ある場所に切り替わったとき、龍真の心臓の鼓動が早まった。

場所は、今さっき目にした門。開け放たれた門の内側と外側に分かれて、龍真と少女が向かい合っていた。

少女は龍真のほうを悲しげな瞳で見つめながら、何かを言い出そうとしては何度も口ごもっている。

そんな少女を諭すように、そして自身へ誓うように、龍真は言葉をつむいでいく。

 

『絶対、迎えに来る。俺が、ゆうちゃんを護れるくらいに強い剣になれたら、その時絶対に迎えに来る』

 

『ゆうちゃん』とよばれた少女は、その言葉に頬を赤らめながらも何度もうなずいて、笑顔を見せる。

そして、龍真の言葉に答えるかのように少女の唇が動く。

しかし、肝心のその声が聞こえない。少女が何を言ったのか分からない。

それなのに、龍真の胸に残るのは暖かい思慕の情。

そこで、唐突にぼんやりした頭に冷風が流れ込んだ。暖かい『夢』という部屋に吹き込んだ『現実』という冷たい隙間風。

急速に覚醒していく意識。ついさっきまでの、暖かい思いはまるで凍りついたかのように冷えていく。

感じるのは余分なものをこそぎ落としていく感覚。その果てに、一振りの刃を見て、龍真の意識は暗転した。

 

 

龍真がハッとして助手席の方を見ると、春奈がドアを開けたままシートに手をついて覗き込むようにして彼を見ていた。

 

「やっと起きた。疑うわけじゃないけど、そんなので本当に大丈夫なの?」

「すまない。それで…」

 

春奈はいまさらかもしれないが、疑わしげな視線を龍真に送る。その視線に、龍真はバツの悪そうな顔で謝った。

 

「うん、悠里のお母さんだけど、条件付ではあるけど家の中に入るのは許してくれたよ」

「そうか。で、その条件は?」

「悠里に変なことしないこと」

 

即答。九十九堂のことがあったせいか、こころなしか、春奈の目が据わっている。

 

「…了解。一応言っておくけど、店での事はああしなければならなかった訳で、決して下心は無かったから」

 

こちらに来るまで何度も弁明した台詞を再び口にする。それに対して、春奈は何も言わずジト目で龍真を見ているだけだ。

だが、それも僅かのことで、追求を諦めるように溜息をつくと、

 

「ま、いいわ。特ダネも結構手に入ったことだし」

 

そういって、普段どおりの表情に戻っていた。この時、龍真は『特ダネ』の単語に、少し嫌な予感をおぼえていたが深く追求はしなかった。

ただし、後日ここで追求をしなかった事を、冗談抜きで死ぬほど悔やむのだが、それはまた別の話である。

 

「和泉さん、和泉さん、家に着いたよ」

 

龍真は、車から出ると後部座席のドアを開けて、毛布に包まって寝息を立てている悠里に声をかけた。しかし、眠りが深いのか起きる気配が全く無い。

不安と恐怖でまともに眠れなかった日々、そして九十九堂での一件で限界が来てしまったのだろう。

それを考えるのなら、こうやって深い眠りについてくれているのは、悪い事ではない。悪いことではないのだが――、

 

(一応俺も男なんだし、ここまで無防備なのもいかがなものか…)

 

龍真の頬にわずかに朱が散る。安らかというか、幸せというか、無防備な笑みを浮かべている悠里の寝顔はとても魅力的なものだった。

彼女の顔に見入っている龍真の頭の中に『眠り姫』の単語が浮かんでくる。そして、思わず視線が柔らかそうな唇へと移動していく。

 

「た、つ、ま君♪ どこ見てるのかな?」

「!」

 

急にかけられた春奈の声に、龍真が身を震わせた。龍真が顔を上げると、彼女は怖いくらいの笑顔を浮かべて、彼を睨んでいた。

もちろん、その笑顔はどこか引きつっている。先程のやり取りで、春奈が釘を刺しているだけに非常に気まずい。

龍真はその視線から逃げるように目を逸らすと、

 

「い、和泉さん!」

 

ごまかすように、少し声を大きくして呼びかけた。しかし、次の瞬間、龍真は予想していなかった事態に見舞われた。

声に反応して、悠里が身じろぎをしたかと思うと、

 

「ふにゃ……、すぅすぅ………」

 

抱き枕でも抱くかのように、龍真に抱きついてきたのだ。衣服越しに伝わってくる人の温かさに、龍真の理性が一瞬飛びかける。

だが、すぐに我に返ると、

 

「…………」

 

救いを求めて、心底困った顔を春奈に向けた。しかし、その視線の先では、

 

「最近、不安で眠れなかったって言ってたからね〜。いいんじゃないの、そのままで」

 

上機嫌で春奈が常備しているデジカメを構えていた。そう、彼女は龍真の首に腕を絡めて眠っている悠里の姿を撮ろうとしているのだ。

その姿に軽い頭痛を覚えながら、龍真はつい先刻彼女の口から出た言葉を脳内で反芻しながら尋ねた。

 

「和泉さんにおかしな事をするな、と言ったのは佐伯さんじゃなかったかな?」

「まぁ、堅いこと言わないの。大体、あたしは龍真君が悠里におかしなことするのは反対だけど、悠里が龍真君に何かするのは駄目とは言ってないわよ。

つまり、セクハラは許さないけど、逆セクハラは許可するってとこかしら」

 

春奈は笑顔を浮かべながらそう言って、まったく躊躇せずにシャッターを切った。いつ何時でも、ネタがあるならば不退転、さすがは新聞部部長といったところだろうか。

龍真は、疲れたように溜息を1つ吐くと、悠里の手が首にまわされていることを利用して、背中におぶるようにして立ち上がった。

それと同時に、女性独特のやわらかい感触が龍真の背中にかかってくる。その感触はまさに脳髄直撃と叫びたくなるほどの絶妙な感触。

男としては極楽とも言える。

 

(こ、これは、精神衛生上あまり良くない………)

 

悠里のスタイルを実感させるような感触に、再び理性が飛びそうになる。

心臓の方も早鐘を打っており、その緊張が表情にでないようにするので精一杯だ。

 

(気を紛らわせなければ…)

 

とにかく頭を使っていなければ気が気じゃないということで、龍真は相棒である大希を出すためにトランクを開け放った。

中に入っている、もとい転がされているのは、簀巻きになっている大希である。身動きひとつ見せず生死すらもわからない大希に、少しぶっきらぼうな口調で龍真が言う。

 

「大希、目的地に着いたぞ。とっとと起きろ」

 

その声が復活の呪文だったかのように簀巻きがもぞもぞと動き、仰向けになる。そして、すぐに大希が言葉を返す。

 

「そう言うなら、とりあえず縄ほどけよ」

「縄抜け位できるだろ?」

「むぅ……」

 

大希は不機嫌そうに口をつぐむと、ゴソゴソと腕やら肩やら、手足の関節を動かしていく。関節の入れ外しの生々しい音が次々と鳴り、間もなく、

 

「よいしょっと…」

 

縄抜けを完了した彼がトランクの中から身体を出した。

 

「お、怪我が治ってる」

 

大希は自分の体を見て呟いた。彼の言う通り、龍真の私刑で受けた傷はすべて綺麗に癒されていた。

 

「うわ、凄い…」

 

傷が癒される前の大希の状態がまだ記憶に残っている春奈は、傷1つ無くぴんぴんしている大希の姿を見て思わず驚嘆する。

 

「今から仕事だしな、使い物にならなければ話にならない」

「さいですか…」

 

私情と仕事のけじめをつけるのが、プロというものである。若干、春奈の視線が痛い気もするが、そこは流す。

大希がちらりと自分を簀巻きにしていた茣蓙(ござ)を見ると、内側には白い符が数枚貼り付けてある。

符には宋書をさらに崩したような複雑な文字が連なっているが、その中で『治泉』の2文字が読み取れた。

 

(『治泉』の符を内側に貼り付けていたのか。道理で………)

 

『治泉』――龍真の扱う符の一つで、軽度の傷なら時間さえたちすぎていなければ、綺麗に癒す事ができるものだ。

大希は人をボコボコにしておいて、仕事という理由だけであっさり傷を治癒させる龍真の非道さに冷や汗をかきながらも、自分と一緒に詰められていた荷物を外に出していく。

 

「ん?」

 

その内の1つを手にとったとき、その重みと中から聞こえてきた金属質な音に、大希の表情がわずかに真剣なものに変化した。

 

「なぁ、龍真。今回の相手、そんなに厄介なのか?」

 

春奈に聞こえないように小声で龍真に問い掛ける。

 

「多分な…。話を聞く限り、陰陽系術者か道教系の仙術者かのどちらかだろう。それに力量もはっきりと分からず式神や揃紙鬼の類をけしかけられた時を考えれば、これくらいは妥当な装備だ」

 

龍真も声のトーンを落とし、春奈に会話が届かないように注意しながら答える。そして、大希からバッグを受け取るとその中から、一振りの刀を取り出した。

長さは普通の刀より若干長く70pほど。黒塗りの鞘に収められたその刀は『玄』と名づけられた龍真の愛刀である。

 

「それ、真剣?」

 

抜いてはいないものの、何処となくその刀から発せられる重々しい雰囲気を感じてか、春奈が尋ねてきた。

龍真は、それに対して頷いて答えると、再びバッグに戻した。

 

「龍真、俺の武器も持ってきてある?」

「あぁ、その小さ目のバッグにあらかた詰め込んでおいた」

「サンキュー」

 

そう言うと、大希もバッグの中から金属製の棒状に見えるものを2本取り出した。

一見すれば金属の棒そのものなのだが、端の方に糸を通すような穴が開いており、違和感がある。

 

「金属の棒?」

「うんにゃ、違う。こういう物」

 

春奈の疑問の声を聞き、大希は手に持った鉄の棒を手首のスナップを利かせて振った。

するとシャッターが下ろされる時のような音がなり、その鉄の棒が扇状に開いた。俗に言う、鉄扇といわれる物だ。

串も鉄製であれば、その間に張られているのも、薄く且つ強靭に延ばされ、研がれた鋼。決して舞を舞う為の物ではなく、相手を叩き伏せる為のれっきとした武器である。

 

「ハリセン?」

「そうそう、こうやって開いて顔面をスパーンと…って違う! これは鉄扇! 鉄製の扇ッ! そんな、ツッコミ用の道具じゃねぇ!!」

 

春奈の天然かワザとなのか分からないボケにしっかり乗りツッコミをしている大希。

しかしすぐに気を取り直すと、愛用の鉄扇――その名を嶽丸――を羽織っているレザーのジャケットの内側へと納めて荷物をすべて持ち上げた。

 

「ちと、重くないか?」

 

ズシリとのしかかる重さに思わず顔をしかめる。重めである刀が入っているにしてもいささか重すぎる。

 

「何入ってるんだよ、この中……」

「もしもの時の道具が色々だ」

 

呆れた様にぼやく大希に、龍真は無感動に言い切った。ちなみに、バッグの重さは50kg強。本当に何が入っているのか謎である。

大希は恨めしそうに龍真を見てから、視線を龍真の背に負ぶさっている悠里へと移す。

 

(むぅ…、おそらく俺の目の見立てでは彼女の体重は50kg前後。どうせ同じくらいの重量がかかるなら向こうの方が断然イイ!

しかもなかなかスタイルもよく、感触は…)

 

脳内で悠里の3サイズを目算し始めたせいで、大希の顔がだらしなく緩む。当然、それを龍真が見逃しているわけがなく、

 

「大希…、仕事後でよければ三途の川の見学にでもいってみるか? 当然、お前だけのスペシャルメニューだ。なんなら、渡り賃もつけてやるぞ」

 

とりあえず選択肢付きで脅してみた。これでやめなきゃ本当に見学に逝く羽目になることを、大希は今までの経験で身を持って知っている。

 

「いえ、それはもう勘弁してください。すぐに荷物運び込みますから、マジで勘弁してください」

 

切実な表情でそう訴えかけると、その重量にもかかわらず駆け足で門の奥へと消えていった。

 

「それじゃ、俺も行くか」

 

龍真も、悠里を背負いなおすと門へと歩き始めた。足を1歩踏み出すたびに、背に悠里の胸の感触が伝わってくる。

そして、門のすぐ前まで来たとき龍真は足を止めた。月明かりがわずかに照らす門のつくりを見上げる。

 

(今さっきの夢と同じ門………)

 

木材の組み方、瓦、門に打ち付けられた金具の形、すべて夢と同じものだった。

視線を門の奥へと移す。その先に広がる風景は、細部はわずかに違うが、それも夢の中の風景とほとんど代わりがない。

一歩だけ足を門へと踏み出し、敷居を隔てて門の内と外の位置に立つ。それは夢の中で――いや、過去に実際に――少女に誓いを立てた位置だ。

 

「どうしたの、龍真君?」

「いや、なつかしいなって思って…」

「なつかしいって――」

「佐伯さん、もう1つ確認していいかい? 和泉さんの母親、華穏(かのん)って名前じゃないか?

男勝りの豪快さを持っていて、酒をよく飲んで騒いで、男性・女性かまわずにセクハラまがいのことをするような人だろ?」

 

龍真の直接本人にでも会ったかのような口調に、春奈は言葉を失った。悠里の母親は彼の言ったとおりの人物なのだ。

龍真はそんな様子の春奈に苦笑を返すと、ポツリとつぶやいた。

 

「ここは、俺が稽古に来ていた場所なんだ」

「え……?」

 

春奈には聞き取れるか取れないかギリギリの声量。

 

「それって――」

 

春奈が聞き返そうとするが、龍真はそれを無視するかのように歩き始めた。

春奈も、明らかにその話題を避けた龍真の態度に何も言うことができない。ただ、その後を付いていくだけしか出来なかった。

 

 

 

「二人とも遅ぇーぞ」

 

玄関前で待っていた大希の最初の一言はそれだった。荷物は床に置いて、いらだたしげな表情で腕を組んでいる。

 

「すまない。とりあえず中に入ろう。和泉さんを寝かせてあげるのが、現時点での最優先事項だし」

「うん、それじゃ開けるね」

「うっし、もう一踏ん張りか」

 

龍真は悠里を背負い直し、大希は荷物を担ぐ。それを確認して、春奈は玄関の戸を開けた。

 

「華穏おばさ〜ん、悠里連れてきました〜〜!」

 

春奈の声が、邸内に響く。だが、人の姿は無く、返事すら返ってこない。また、どういうわけか家全体の電気が消されている。

 

「なにか、あったのかな…?」

 

春奈は不思議そうに首をかしげる。その言葉に、自然と二人の目つきは鋭くなっていく。

 

「大希、お前が来たときにはこの状況だったのか?」

「中までは確認しなかったが、恐らくは」

 

短いやり取り。龍真と大希は、どちらからというわけでもなく目配せをしあう。

 

「大希、しばらくここを頼む。俺が戻ってくるまで、絶対にこれ以上中に入るな」

 

そう言って、龍真は悠里を下ろし、玄関先に寝かせた。

 

「分かってる。あぁ、そうだ。こいつ忘れんじゃねぇ」

 

大希はバッグから、なにやらリストバンド状の物と3〜4cm程のメジャーを小型化したような物を3つ龍真に投げ渡した。

龍真はそれを受け取ると、素早く袖を捲り上げ、リストバンド状の物を両の腕に巻く。メジャーのようなものは手首の内側へとセットする。

龍真の着ているデニムのジャケットの裏生地には数枚の符も備え付けられている。さらによく見れば、インナーのシャツには鎖の籠目模様が浮かんでいる。鎖帷子を着込んでいたのだ。

つづいて、大希は玄を投げ渡す。龍真は受け取ると、ベルトの左側にに玄を指した。大希も龍真と同じように装備を整える。春奈は2人の急な武装に声を失っていた。

 

「気ぃ付けろよ」

 

大希が低い声音で龍真に呼びかける。

 

「お前こそな。お前自身が依頼人を危険にさらすなよ」

 

龍真は皮肉で返す。その皮肉に、大希は心外だと言わんばかりに、不機嫌な表情で答えた。

しばらくの沈黙。龍真は裸足になって、邸内に上がると、用心しながらその奥へと消えていった。

大希はそれを見届けると、1歩前へ出て、両の腕をしならせるように振るった。

ひゅん、と何かが風を切る音が、細く響く。さらに、彼は振るった腕の指先を、まるでピアノでも引くかのように滑らかに動かしていく。

それにあわせて、ひゅんひゅんと風切り音が重なる。春奈はその音を聞きながら、唐突な大希の奇行に見入っていた。

しばらくの間そうしていたかと思うと、大希は指先を動かすのを止め、腕を組むとどかっと玄関口に座り込んだ。

 

「ねぇ、何が起こってるの?」

 

何が起きているのか全く見当の付かない春奈が、恐る恐る大希に尋ねた。

 

「もしかしたら、狙ってる奴が先手打ちやがったかも知れねぇ」

「!」

 

大希のその一言で、春奈の頭に、今ここで起こっているかもしれない惨状が浮かんできた。

 

「まさか…、私が龍真君呼びにいって、10分程しかたってないのよ!?」

「その、まさかかも知れねぇ。人を1人殺るのに――しかもそれが即死なら、10分も必要無ぇ。例えばの話だが、首を落とせば、わずか一瞬で相手を即死させる事ができる。

可能性は十分に在り得る」

 

大希の答えに思わず、春奈は駆け出そうとする。だが、大希は組んでいた手を解き彼女の肩を掴んだ。

 

「離しなさいよッ!」

 

焦燥感から思わず大希に怒鳴る。しかし、彼はそれを涼しい顔で聞き流すと、諭すような口調で言った。

 

「ヤバイかも知れねぇから、アイツはわざわざ1人で行ったんだ。危険にあう人数は少ない方がいいからな。

それに、俺達の仕事の最優先事項は、和泉先輩の命を護る事だ。もちろん依頼主であるアンタの命も護らなきゃならねぇ。

分かるだろ、危険地帯にわざわざ連れてくわけにはいかねぇんだ」

「だからって……!」

「アンタが行った所で何にもなんねぇだろ? 邪魔になるだけなら、ここで大人しくしていた方が利口だ」

 

辛辣な物言いに、春奈が思わず口をつぐむ。しかし、まるで言い訳でもするかのように春奈は続けた。

 

「でも、危険なのはここも同じじゃ…」

「いんや。少なくとも中に入るよりかは安全だぜ。よく目の前を見てみな」

 

大希は、顎でしゃくって、春奈の目前の空間を指す。

 

「何よ…」

 

訝しげに、春奈はその指された場所に目を凝らす。

 

(!?)

 

何かが光を反射した。もう一度、目を凝らす。再び何か細いものが光を反射する。

 

(これは…)

 

春奈は反射している物の正体を理解した。

 

「糸……?」

「当たり。正確には、毛羽毛現って妖怪の毛を寄りあわせた糸に、処女の髪を溶かし込んだ鋼を蒸着させ、その上からさらに高強度の金属粉末を蒸着させた特別製の鋼糸さね。

その鋼糸の中でも最も細い0番を使って、うちで斬糸結界って言われてる物理的な結界をこの辺に張っておいたのさ。少なくともこの内側にいる間は安全だぜ」

 

大希がさっき腕を動かしていたのは、この結界を張る動作だったのである。

 

「さっきも言ったけどよ、今俺たちが出来るのはアイツが戻ってくるのを待つことだ。心配なのは分かるけど、大人しくしていてくれ」

「うん………」

 

大希の気遣うような言葉に、春奈は不安げに頷き、廊下の奥を見る。

そこに見える闇の色は、まるで、彼女の不安そのものを具現化したかのように、なにもかも飲み込んでしまいそうな漆黒だった。

 

 

 

 

 

説明
依頼を受け護衛を開始する龍真と大希。悠里を送っていくその先は、龍真に縁のある場所。思い出す記憶に、進行する状況と事は龍真を待つことがない。彼女の家に着き、闇を感じたとき二人の拝み屋が『力』の片鱗を見せ始める。
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