いにしえの魂、再び
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―――許さぬぞ……おまえが何度生まれ変わろうと、その命、必ず奪ってやる……!

 

 

「ふあぁ〜…。夢見悪…」

いつもの如く、飼い猫のハクに起こされた佑介。大きく伸びをする。

「……そういえば、ここ数日よくうなされてますね。悪い夢でも?」

佑介の膝にちょこんと乗って、猫のはずなのに人語で話しかける、このハク。

実は、かつては安倍晴明に仕えていた十二神将のひとり、白虎なのだ。白猫の姿は仮のもの。

兵庫・佐用町での道満の怨霊との死闘の折に晴明より召還されたが、佑介の気性に触れてその下につくことを望み、現在に至っている。

「悪い夢…というか、毎日同じ夢だからちょっと…」

「いったい、どんな夢なんですか?」

金色の瞳を真っ直ぐ向けてくるハクに、佑介はぽつぽつと話しだした。

 

何かと対峙している「自分」。その格好というのがいわゆる平安時代の狩衣のようなものだということ。

その相手というのが獣なのか、尻尾のようなものが見えていること。

 

「―――その尻尾というのは、どんな感じなんですか?」

佑介の話を聞いて、ハクは重ねて尋ねる。

「ん…と、真っ白でふさふさでさ。それがたくさんあるんだよな。……まさか九尾の狐、なんてことはないだろうけど」

九尾の狐、という言葉に、ハクの表情が険しくなった。

一時は都をも滅ぼしかねなかった妖狐。そういった大妖怪までが佑介を狙ってきたのでは……と危惧したのだ。

「…単に例えただけだよ。もうハクってば心配性;;」

ハクの様子に苦笑しつつ、佑介は言うが。

「心配させるようなことばかりなさいますからね、佑介さまは」

「う゛」

すっぱりと言われて返す言葉もない。

「まあ、それよりも。早く支度しないと学校とやらに遅れますよ」

「え。…って…やっべ」

ベッドに置いている時計を見て、佑介は慌てて身支度をし始めた。

 

 

 

―――そんな日の、放課後。

「梁河〜、3年生がお呼びだぞ〜」

佑介と同じ弓道部であり、主将の梁河康一(やながわ・こういち)のクラス・2年3組の級友の1人が、梁河を呼んだ。

「誰だ〜?」

「歴研部部長の神月さん」

別の級友が付け加える。

「え!?」

(神月さんが俺に何の用事だろう?)

全く心当たりがないながらも、梁河が視線を教室のドアのほうに巡らすと、眼鏡をかけた女生徒―――歴研部部長の神月在子(こうづき・ありこ)がにーっこり笑って、ちょいちょいと手招きしていた。

(……なんか、コワイぞ)

顔を知らずに引きつらせつつ、梁河は在子の許に向かったのだった。

 

「…ごめんね。部活前に呼び出しちゃって」

在子は申し訳なさそうに笑って言う。

「いえ、それは構わないんですけど……。なんですか?」

梁河の言葉に在子は少し思案顔になって口を開いた。

「え…と、あのね。2週間後の週末から、弓道部の合宿があるんだったわよね」

「え? ええ」

「行き先は那須よね? 栃木の」

「はい、そうですけど…。なんで知ってるんですか?」

少し驚いている梁河。そんな彼に、

「玲佳から聞いたのよ」

と、在子はにっこりと笑う。

「ああ、澤樹さん」

 

澤樹玲佳。

新聞部部長であり、在子とは同じクラスで親友だ。

梁河や佑介とは以前から面識はあったが、東都学院との交流試合以来は、なにかと弓道部に顔を出すようになった。もちろん、佑介の素性も知っている。

長い黒髪の大人びた美人で、巷では何故か「ミス朱雀」という尾ひれがついてしまったりしているのだが。

一方の在子も知的な「眼鏡美人」という雰囲気で、テストでは常にトップ。しかし、それを笠に着ることもなくさっぱりした性格のためか、玲佳同様下級生に慕われている。

その在子が、いたずらっぽく笑って梁河に言った。

「……それでね。偶然を装って、私たち歴研部と一緒に那須で過ごさない?」

「……は!?」

梁河はそれにぽかん、としていた。

 

「ちょ、ちょっと待って下さい、神月さん! それってどういう…」

我に返って、慌てて在子に問うと。

「私たち歴研部も、那須に合宿に行くのよ。『玉藻の前』伝説を調べるのにね。でもまだ日程が決まってなかったの」

「はあ…」

梁河は在子が言いたいことがまだつかめない。

「で、玲佳から弓道部も同じ場所に合宿に行くと聞いて。それならたまには、あの二人を別な場所で一緒にいさせたいと思っちゃったのよ」

「あの二人って……、あっ!」

ようやく合点がいったようだ。

弓道部と歴研部で共通する「あの二人」といえば……彼らしかおるまい。

 

すっかり疑問が解けた梁河は。

「なるほど〜。…でも、偶然じゃないのをバレないようにするのって難しいかもですよ? それでなくてもあいつ、すごく勘がいいし」

「大丈夫。ほんの少し、こちらがタイミングずらしたら気づかれないって。泊まるとこも普通、直前までわからないでしょ」

まるで、楽しんでいるような節のある在子。

「そりゃま、そうですけど……」

対する梁河は、いまだ不安げな表情だ。

「こっちは今日、日程を同じ日に決めるから。泊まるとこも明日、古典の授業の時に藤成先生からそれとなく聞き出すわ」

「……わかりました(笑)。神月さんって意外に行動派ですねえ」

「そう? いつも私はこんなよ」

くすくす笑いながら応える在子であった。

「とにかく。私もあの二人には幸せになってほしいもの」

そう言って片目をつぶった。

 

 

「……え? 歴研部の合宿も那須なのか?」

いつものように、学校の帰りに佑介の家に寄った栞から合宿の話を聞いた佑介は、少し目を見開いた。

「そうなの。『玉藻の前』伝説絡みで。……そういえば弓道部もだったよね?」

「ああ、『那須の与一』にあやかって、梁河が決めたんだ。ま、らしいけどな(笑)」

「偶然よね〜。目的が違うから、日程や場所は違うかもしれないけど」

僅かに、残念そうな表情で言う栞。

「…だな。気をつけて行けよ?」

「うん。佑くんもね」

 

その合宿で、密かに部長同士の陰謀(笑)が進められていることを、この二人は知らなかった。

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栃木・大田原市。

「屋島の戦い」で、平家の「舟上の扇の的を射よ」という挑発にも動じず見事その的を射た、那須与一ゆかりの地である。

「道の駅・那須与一の郷」という情報館、加工・物産品館、農産物直売館、レストラン館などがある施設や、他にも与一にまつわる資料や那須家に伝わる宝物を集めた「伝承館」がある。朱雀高校弓道部のメンバーは、この場所に来ていた。

「すっげ〜。見ろよこの弓。これで扇を射たと思うとロマンだよな〜」

弓道部主将である梁河は、興奮気味にケースの中の弓に見入っている。

「梁河の尊敬する人物だもんな、那須与一は」

こちらは副主将の佑介。苦笑しつつも梁河に言う。

「もっと厳密に言えば親父が、だけどね。でもまあ、俺ら息子も刷り込まれたようなもんかな」

梁河の家には弓道場があり、両親が教室を開いている。

そういう環境もあってか、梁河は小さい頃から当たり前のように弓に触れていた。それは大学2年の兄・宗一と中学3年の弟・陽一も同じだった。

よって、兄弟3人ともが弓道の腕に長けていた。宗一はインカレで優勝したこともある。

 

「あ、そうだ」

何かを思い出したか、梁河は佑介を見た。

「あのさ、宗兄が『また家に遊びに来いよ』と佑介に言ってたぜ。陽一も会いたがってた」

「え?」

弓道部に入部したばかりの頃、佑介は学校帰りに梁河の家に寄り練習をする毎日だった。

佑介のまじめで謙虚な人柄に触れて、梁河の両親と宗一は佑介を可愛がってくれた。陽一も気さくに話しかけていたものだ。佑介は「伊達男」という風貌の宗一と、人懐っこい笑顔の陽一の姿を思い浮かべた。

「…サンキュ。また行かせてもらうからって伝えといてくれよ」

「りょーかいです」

梁河はちょっとおどけるようにして、敬礼のポーズを取った。

 

その後も、部員たちがそれぞれに展示物を見ていた。

「よし、時間になったから、宿泊地の那須高原に向かうぞ」

弓道部の顧問で古典を教えている、藤成 晃が時計を見ながら言った。

「あれ、大田原市で泊まるんじゃなかったでしたっけ?」

部員の一人が聞いてくる。

「初めはそのつもりだったんだがな。あちらにも興味深い史跡があるし」

「ああ。『殺生石』ですよね」

別の部員がそう言うのに、

「ご名答。ジョギングコースにもよさげだが、あの辺は硫黄の臭いがすごいからな。コースを決めるついでに、観光で見に行くか」

楽しげに笑って藤成も答える。

今回の合宿は付近に弓道ができる場がないため、基本的な体力を作るためのものとなっていた。とはいえ、ほぼ全員が「ゴム弓」…30pほどの木の棒に、太目のゴムが結ばれているものを持ってきていた。ゴムがちょうど、弦の代わりになるわけだ。

 

―――どく、ん

 

(……なんだ? この感じは)

佑介は思わず、胸のあたりをぎゅっとつかむようにした。

まるで、体中の血が何かに反応して、逆流しているような感覚。

 

「……佑ちゃん? どうしたの?」

佑介のそんな様子に、衣里那は心配顔で尋ねた。

「…え。あ、いや。なんでもないよ」

笑顔を取り繕う佑介だが。

「そういや、なんか顔色悪いぞ。大丈夫か?」

梁河も佑介の顔を覗き込むように言う。

「ほんとに大丈夫だって。…ほら、車に乗ろうぜ」

有無を言わせない態度で、佑介は梁河たちをせかした。

 

そうして、佑介たちが那須高原で泊まることになっている民宿に到着した。

…すると。

「……あれ? あれって…うちの制服じゃない?」

衣里那が、民宿の玄関前にいる団体に気づいた。

ちなみに、弓道部のメンバーは藤成を除いた全員が左胸と背中に「朱雀高校」と縫いつけられているジャージ姿だ。

「…ほんとだ。やっぱり部活の合宿とかかな」

佑介も不思議そうに眺めていた。……が。

「……栞…?」

「え!?」

団体の中に、愛しい姿を見たような気がした。

……まさか。

しばらくは会えないと思っているせいで、幻でも見たんだろうか。

内心の動揺を隠しつつ、佑介は梁河たちとともに民宿に向かった。

 

幻ではなく、栞は実際にそこにいた。

民宿の玄関前で、歴史研究部部長・神月在子らと中に入ろうとして、ふと外を見れば。

一番大好きで、一番大事な人の姿を見たような気がして、目を大きく見開いた。

(…え…、佑……くん…!?)

確かに、佑介たちも栃木で合宿するとは聞いていた。でも。

目的が別なので日程も、場所も違うと思っていた。

(……やだなあ。一週間も会えないもんだから、幻覚でも見たのかしら)

こんな時、自分は佑介のことがこんなにも好きなんだと実感する。

 

佑介から合宿で一週間栃木に行くと言われたとき、栞の中に寂しさがあふれそうだった。

おそらく自分たちも時期がずれた形で合宿に行くことになるだろうと思っていたから。

そういうことになれば、下手したら一週間以上も会えないのだ。

だがそれでも、「気をつけてね」と笑顔で言った。

…あの時、うまく笑えただろうか。

 

苦笑して首を振りつつ、改めて中に入ろうとする栞。その時。

「栞」

「……!」

低いけれど、温かさをも感じさせるその声。

幻聴でもない。ましてや幻覚でもない。

振り返れば、佑介が目の前に立っていた。

 

 

「佑くん…、どうして…?」

半ば呆然とした表情で、ようやく栞が口を開いた。

玄関のロビーには在子が立っており、かすかに微笑んでいる。

「いや、合宿が今日からだったから…。歴研部もだったのか?」

「うん、3日間だけどね。…でもびっくりした」

「俺だって驚いたよ」

そう言いながらも、ふたりの顔は知らずに笑顔になっていた。

 

「ほらほら、感動の再会に浸るのもいいけど、そんなとこで立ってないで入りなさいな」

在子が笑いを含んだ声で言う。

「あ、すみません;; …って、神月さん?」

言われて上に上がりながら、佑介は探るように在子に声をかけた。

「ん、なに?」

「まーさか…合宿の日程が同じになるように、こいつと仕組んだんじゃないでしょうね?」

と言って、佑介は隣にいる梁河を指差した。

「な、何言ってんだよ、佑介」

名指しにされた梁河は焦り気味だ。

(さすが、鋭いわねえ)

対して在子は暢気なものだ。

「やーね、偶然よ。私、玲佳から弓道部の合宿のことは聞いてたけど、日程は知らなかったもの」

「……ほんとか?」

ジト目で梁河を見ると、コクコクと頷いている。

「でも、泊まるところまで同じってのはできすぎな気もするんですけど」

なおも突っ込む佑介。

「それもたまたまよ。だってここを教えてくれたのは中島先生だし」

在子はそう言ったが、それは全くの嘘である。弓道部顧問の藤成にそれとなく聞き出したのだ。

「………」

こんなんじゃ、口は割らせないか。

「……ま、そういうことにしておきますよ」

佑介はにっこりと笑って在子に言った。

(…佑介のヤツ、絶対信じてない……)

梁河は内心、戦々恐々としていた。

 

それぞれの部員たちの部屋割りが決まり(弓道部は5人ずつ4部屋、歴研部は3部屋)、思い思いに過ごしていた。

「…さてと、明日からのジョギングのコースを見るついでに、殺生石を見に行くか」

藤成がそういうと、すかさず在子が、

「あ、私たちもご一緒してもよろしいですか?」

「そうだな。中島先生もいいと言うなら…」

藤成が思案顔で、歴史研究部の顧問で歴史担当の中島貞之教諭を見た。

「…ああ、いいぞ。…私もお供しましょう」

在子に言った後に、藤成にも同意の言葉をかけた。

一応自由参加、ということになったが、ほとんどの生徒たちが「行きたい!」と言ってきたので大人数になり、二つのグループに分けて行くことになった。

もちろん、佑介と栞は同じグループ。梁河と衣里那もいる。

 

民宿から出て、殺生石を目指していくとちょっとした高台に辿り着いた。

「へえ、あれが殺生石かあ」

遠く見える石の群のあたりを見て、梁河が声を上げる。

「ほんと、石がゴロゴロかたまってるのね」

衣里那も興味津々という風に見ている。

そういう中で。

 

「……っ」

 

―――まただ。

「那須与一の郷」で感じたのと同じ「もの」が、佑介に襲いかかって来た。

「……佑くん? どうしたの」

隣にいた栞が顔を覗き込んでくる。

「なんでもない。……思っていたより、そんなに広くはないんだな」

平静を装いながら、佑介は目の前の光景に見入った。

「…じゃ、下に降りて゛殺生石に向かうか」

藤成の言葉を合図に、佑介たちは橋を渡り、木の板で敷き詰められた道を歩いていく。

 

歩いても歩いても、周りは石だけの荒涼とした風景だった。

「なんというか…。賽の河原を思わせる風景だよな」

ぼつりと、佑介がそう言うと。

「あ、それ私も思っていたわ。なんとも言えない感じよね」

一緒にいた在子もそれに同意する。

「…うわ、あれ見て」

そう言って衣里那が指を指した先には、無数の地蔵が建ち並ぶ姿があった。

「……すごいな;; …っつーか、異様な雰囲気…」

梁河もなんとも言えない表情になる。

「この世と離れたような世界よね。恐山とかもそうだけど」

「それは言えるかも」

佑介は栞の言葉に頷く。

 

そうしているうちに、佑介たちは「殺生石」に辿り着いた。

「遠くはないけど、なんか疲れた〜」

どことなく息を切らしている梁河。

「ははは、それは仕方ないよ。初めて行く場所なんだから。だがまだ鍛錬がたりないぞ、梁河」

苦笑しつつ、藤成はぽんと梁河の背中を叩いた。

佑介たちも笑いながら、それを見ていた。

「殺生石」を囲んでいる柵の前には、硫化水素ガスが出ているので柵を越えて近づかないで下さい、と書かれた看板が立てられている。

「あの、真ん中にある大きな石がそうですよね」

同じグループの歴史研究部のひとりが藤成に尋ねる。

「ああ、そうだ。……今でもガスが出ているんだな」

「昔に比べたら、だいぶ薄くなったと聞きますけど…。『念』がそれだけ強かったと言われただけありますね」

在子も感慨深げに、殺生石を見ている。

 

佑介も、じっと石を見ていた。

……その時。

 

―――……ようやく見つけたぞ…

 

(なに……?)

それは佑介の頭の中に響いてきた。

 

―――ようも、妾をこのような形にしてくれたの

 

(……誰だ、おまえは)

佑介にはなんのことかわからず、ただ混乱するだけだ。

 

――――忘れたとは言わせぬ。此度こそ、ぬしの命をもらおうぞ……!

 

「……っ!」

頭が痛い。まるで割れるようだ。

佑介はその場でうずくまってしまった。

「佑くんっ!?」

「土御門くん!」

「きゃーっ、佑先輩!」

それに気づいた栞や在子、部員たちが慌てて近寄ってくる。

「おい、土御門、どうした!?」

藤成と中島も。

佑介は頭を押さえながらも、

「…だい…じょうぶ…。病気じゃ…ないから」

「病気じゃないったって、おまえ…」

梁河も心配顔で言う。

「とにかく、救急車…!」

そう言って立ち上がろうとする中島の服の袖を、佑介の手がつかんだ。

「すぐ…おさまりますから。民宿に…帰って休めば」

そう言うが、佑介の顔は真っ青だ。

すぐそばで支えている栞の瞳が揺れていた。

「しかし……」

なおも言い募ろうとする中島だったが、佑介の眼光の強さに何も言えなくなってしまった。

弓道部の顧問として、佑介の性格をよく知る藤成が、

「……わかった。…梁河、そっちを支えてやってくれ」

「はい」

梁河と二人で、両側から佑介を立たせ、抱えるようにした。

言われるまでもなく、他の男子部員も支えようとする。

「すみません、先生…。……梁河もわりぃな」

弱々しいながらも、ふっと笑って藤成と梁河に言う佑介。

「なーに言ってんだよ。仲間なんだから当然だろ?」

「そうそう。…大丈夫か、歩けるか?」

「……はい、なんとか」

 

そうこうしていくうちに、なんとか民宿にはたどり着いた。

佑介たちの様子に驚いた民宿のオーナーは、別室に布団を用意してくれ、佑介はそこに横になった。

それと同時に、すうっと佑介の意識は遠のいた。

 

 

―――まだ「目覚めて」おらぬのなら、ぬしを殺すのは今のうちじゃな、「やすちか」……

 

白く光る尾が、嘲笑うかのように揺れている。

 

―――……「やすちか」? 俺はそんな名前じゃない。それよりおまえはいったい誰なんだ!?

 

―――くくく……。今にわかるさ。なんというても、ぬしと妾は敵同士で会うておるのだからな

 

その声と共に、気配が遠のいていく。

 

―――おい、待て…

 

―――…くん…。佑くん―――

 

 

「佑くん! しっかりして…!」

うなされていた佑介は、その声で目を開けた。

「……栞…?」

ゆっくりと顔を斜めに向けると、瞳を潤ませた栞の顔があった。

「よかった…!」

起きあがろうとした佑介の首に、栞が抱きついてきた。

「…また…佑くんが目を覚まさなかったら…どうしようと思った…」

「……ごめん」

起きあがって、改めて両腕でそっと栞を抱きしめてから、その体を離した。

「佑くん、すごくうなされてたよ。…悪い夢でも見たの?」

夢。

……いや、あれはもはや夢ではないのかもしれない。

佑介は一息吐いて、

「ここんとこ…同じ夢を見るんだよ。白く光る尻尾の生き物と対峙しているような…。今回はちょっとはっきりしてた。…なんでか知らないが『やすちか』なんて呼ばれたよ、俺」

と、苦笑しつつ栞を見た。

「……やすちか?」

それを聞いた栞は、ふっと思案顔になった。…どこかで聞いたことがある「名前」だ。

 

「殺生石」のある場所で倒れた佑介。

そしてその彼が口にした「やすちか」という名前。

……もしかして。

 

「栞? どうした」

急に黙り込んでしまった栞に、佑介は心配そうに声をかける。

「……佑くん。その夢、いつから見だしたの?」

真剣な表情で、真っ直ぐ佑介を見る栞。

「え? えっと……合宿に行く前だから…2週間ちょっと前―――」

そう言いかけて、佑介ははたと思い当たった。

……そうだ。

合宿の話を聞いたときから見ているのだ。

ふと栞を見れば、同じようなことを考えていたのか、不安げに瞳が揺れていた。

「佑くん……」

か細い声で呼ぶ栞の姿が見ていられなくて、佑介は再び自分のほうに引き寄せた。

「……佑くんと関係があるなんて、思いたくないけど…っ、その『やすちか』って、九尾の狐と対峙した『安倍泰親』のことかもしれない…!」

ぎゅうっと、佑介の背中に腕を回してくる。また、佑介がどこかに行ってしまわないかというように。

「栞……」

安心させるように、佑介も強く抱きしめ返す。自分はここにいるから、と。

 

「……大丈夫」

そっと囁くように、顎を栞の頭に乗せて言う。

「前にも言ったろ…? 俺は死なないって。……栞を置いてなんか行かないよ」

少し体を離して、にこりと微笑む。

「……うん…」

栞はそう言うと、ゆっくりと目を閉じた。

自分の頬に、優しく手が添えられていたから。

 

お互いの胸に宿る不安。それを取り去ってやりたい。

たとえ、それが現実のものになるとしても。

その想いをそれぞれに抱きながら、ふたりはそっと唇を重ねた…。

 

同じ頃、廊下では。

「……ねー、もう入ってもいいと思う?」

「え〜、どうなんだろう。邪魔しちゃ悪いし」

「おい、俺にも見せろよ」

「ちょっと、押さないでよ〜」

 

そこへ、ちょうど通りかかった在子さん。

「……あなたたち、なーにしてるの、そんなとこで?」

「うわあっ!!」

 

がたたっ!

 

「!?」

外の音(?)に驚いて、佑介が襖を開けてみれば…

 

「なっ……」

「あははは〜〜、どーも」

きれーいに一列に並んでいる弓道部あーんど歴研部メンバー。

「おまっ…、おーまーえーらーなあ〜〜〜っっ!!」

怒鳴る佑介の後ろで、栞も真っ赤になって俯いている。

 

その後、部員たちはこってりと佑介に絞られるのだった。

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その夜、佑介はなかなか寝付けず、しきりに寝返りを打っていた。

弓道部はちょうど男女ともに10人、全員で20人いる。なので5人のグループで部屋を割り当てられていた。

『―――眠れぬのか? 佑介』

佑介の枕元に、彼にとっては先祖であり、現在は神霊として佑介の傍らについている安倍晴明がすうっと現れた。

「晴明公。……ん、ちょっと、ね」

むくっと起き上がって、佑介は晴明を見上げた。

 

『昼間のことが気になっておるのだろう?』

晴明の言葉に、佑介はこくんと頷く。

「……あの時、俺に敵意を向けてきたのは誰なんだろうって思ってさ」

『場所的に考えれば……あの者しかおるまい』

「……九尾の狐?」

『ああ』

そこまで話して、佑介はふと思い出したように。

「…そういえば、あの夢も…」

『獣の尾が見えていたという夢か?』

「うん、そう。それを言われたら…あれもそうだったのかな。尻尾がふさふさでたくさんあったから…。……それに…」

『それに?』

「俺のことを『やすちか』……栞の話だと晴明公から5代目の子孫の安倍泰親のことじゃないかと言ってたけど、そう呼んでたのも気になるんだよなあ」

『……!』

その時、晴明の表情が動いた。

佑介の姿に重なる、もう一つの「影」。

『……佑介、そなた…』

「ん、なに? 晴明公」

 

……気のせいか…?

 

『…いや、なんでもない』

「へんなの」

くすくすと笑う佑介。

『……ともかく、今は休め。まじないをしておくから』

「うん……」

晴明のまじないのおかげか、この時は夢を見ずに済んだ佑介であった。

 

 

―――その翌日。

弓道部の面々が外で体操やストレッチをしている頃、民宿では栞が持ち寄った本を読んでいた。

「草壁さん、随分熱心に読んでるのね」

「あ、部長」

部屋に入ってきた在子を、栞は見上げた。

「……安倍泰親に関したことが載ってないかなって思って」

「安倍泰親…ああ、金毛九尾を退治したという陰陽師よね。やっぱり土御門くんのご先祖様か」

「ええ」

「…もしかして、昨日のことと関係があるの?」

聡い在子のこと、あの時佑介が倒れたのは普通の状態ではないことは気が付いていた。

「……そうかもしれません。やはり子孫である佑くんを、何かが襲ってきたんじゃないかと思ってしまって」

「案外、金毛九尾本人かもしれないしね、場所的に見ても…って、あ、ごめんね、不安にさせちゃたわね」

「…いえ」

慌てる在子に、苦笑気味に笑う栞。

「大丈夫、ああ見えて土御門くん、強いもの。変なヤツらには負けないわよ」

「……あたしもそう思ってます」

今度はにっこりと、佑介のことを信頼しているのがわかるくらいの笑顔を、在子に向けた。

 

一方、弓道部メンバーは。

「……んじゃ、次は腕立て伏せ100回な」

「えーっ!」

梁河の指令に、部員たちはブーイングの声を上げた。

「つべこべ言わない! 始め!」

号令を出して、梁河も地に伏した。

 

「うえ〜、しんどいっ」

「『鬼主将』なんだから、梁河主将って。…うわ、あれ見ろよ」

部員がそう言って見た先には、佑介が軽々と腕立て伏せをしていた。しかも「片手」で。

「すっげ〜、さすが佑先輩……」

「剣道で竹刀も振ってるんだもん。それに居合もやってるし」

「日頃の鍛錬の違いだよなあ」

そんなことを言っているうちに腕立て伏せは終わり、次はジョギング…ということになった。

「…コース、あの『殺生石』に近い感じになってしまったけど、大丈夫か? 佑介」

心配そうに佑介を見て、梁河が言うが。

「大丈夫だよ。あの時は不意打ちだったから…。今度は意識してるし。…じゃ、行こうか」

 

この日はちょっと風が強いが、雲一つもない晴天であった。

梁河たちが走っているのは、あの殺生石まで行く木の板の道だ。思っていたより硫黄の臭いも強くなかったことが理由だが、殺生石の手前でUターンして、反対の方面に向かって走って、民宿に戻るというコースだ。

そうして、殺生石に近づいて来たというところで。

 

――――やすちか

 

「! みんな、伏せろっ!!」

突如響いた声に反応した佑介がそう言うのと同時に、とっさに梁河たちの周りに守護の結界を張った。

間一髪、そこに鎌鼬のような風が襲ってきた。

部員たちは悲鳴をあげながらその場にしゃがみ込んだ。

梁河や部員たちが無事なのを確かめた佑介は。

「いいか、そこから絶対動くなよ!」

そう言って、自分は結界の外に飛び出した。

「佑介!」

「佑ちゃん…っ!」

梁河や衣里那が止めようとするが、結界は再び、固く閉じられた。

 

風を術でよけながら、佑介は殺生石の前まで来た。

「……おまえは…、九尾の狐、あの『金毛九尾』なのか」

佑介の凛、とした声が響く。

 

―――やっとわかったかの…。そうじゃ、妾はぬしに封じられた狐よ、「やすちか」……

 

「………!」

夢でも呼ばれた、その名前。

「……っ、なんで…。なんで俺のことをそう呼ぶんだ! それは俺の名前じゃない!」

空間に、嘲笑うような笑いが聞こえてくる。

 

―――わからぬのか…? ぬしはの、あの憎き陰陽師、安倍泰親の生まれ変わりじゃ…

 

「なっ……!?」

 

―――安倍泰親。

安倍晴明から5代目の子孫であり、その占いの的中率の高さから『指御子(さすのみこ)』と呼ばれた陰陽師。

帝の寵姫・玉藻の前に化けた九尾の狐の正体を暴き、調伏したのが泰親だったのである。

 

「……嘘だ…」

 

―――ふん、信じられぬか。ならば、ぬしのその強い呪力はどう説明する?

 

「……それは…っ」

晴明の呪力がそのまま、先祖返りのように出てきたからだと思っていた。

それが…自分が安倍泰親の生まれ変わりだからだと……?

 

―――いずれにしても、真の力を目覚めさせぬためにも、ぬしを殺めたほうがよさそうじゃの

 

「!」

九尾の声がしたかと思うと、先ほどの鎌鼬が佑介めがけて襲ってきた。

反応が遅れて、やられるかと思ったとき―――

 

バシッ、と、弾かれる音。

 

『……しっかりせぬか、佑介』

「晴明公…!」

佑介の前に、晴明が護るように立っていた。

 

―――おまえは……っ

 

『天竺や唐で都を滅ぼした妖狐が……哀れなものだな』

晴明の冷ややかな瞳が、真っ直ぐ殺生石を射た。

 

―――黙れぇ!!

 

再び襲いかかる風を、今度は佑介が「斬った」。

「!!」

結界の中から見ていた梁河たちは、その光景に息を呑んだ。

 

佑介が手にしていたのは、刀身が紫水晶でできている一振りの刀…いや、剣と言ったほうがいいかもしれない。

兵庫・佐用町での蘆屋道満との戦いの折に授かった、晴明の霊剣だ。

実体はない。だが、佑介が手にすることで「力」が形となる。普段は佑介の体内にあり、手から現れる。

「……ったく、これじゃキリがないぜ。…オン……」

剣を構えたまま、佑介は真言を唱え始める。

「オン ソンバ ニソンバ ウン ギャリカンダ ギャリカンダウン」

佑介の周りに光が生じる。

それを見ていた晴明と、結界の中の梁河たちは。

「ねえ…、佑ちゃんなんだけど、あのカッコって……」

「ああ、平安時代のやつ…だよな」

 

そう、佑介は気づいていないようだが、もうひとつの「影」がその身に重なっていたのだ。

 

『佑介……』

やはり、そなたは――――

 

「ギャリカンダハヤウン アナウヤコクハギャバン バサラ ウン ハッタ!」

そう言い終わるのと同時に、佑介は思いきり剣を振り下ろした。

その動きは佑介に向かっていた鎌鼬を跳ね返し、殺生石に向かわせた。

 

―――おのれ…! 一旦は退くが……絶対諦めぬぞ…!

 

その言葉と共に、周りの風景も元に戻った。

 

「佑介!」

「佑ちゃん、大丈夫!?」

元に戻ったことで結界も消え、佑介の許に駆け寄ってきた弓道部のメンバー。

「ああ、大丈夫だよ。…ひとまずは、な」

苦笑しつつ、佑介は部員たちに答えてから。

「さ、今のうちにさっさと民宿に帰ろうぜ。藤成先生も心配してるだろうし」

ぽんと、梁河と衣里那の背中を叩く。

「佑ちゃん…」

少し躊躇いがちに、衣里那が切り出した。佑介が何事かという表情で見ると。

「梁河くんとも話していたんだけど、さっき…佑ちゃんの後ろ姿が平安時代の男の人に見えたの」

「……!?」

佑介の目が、大きく見開いた。

「そう、俺も見えたよ。…あれって…どういうことだ?」

梁河も聞いてくる。だが、佑介には答えられなかった。

ふと、梁河たちには見えていない晴明を見上げれば、晴明も何かに気づいているような表情をしていた。

 

―――……本当…なのだろうか。自分が安倍泰親の生まれ変わりだなんて。

 

佑介の中には、戸惑いと疑念の思いが絶え間なく渦巻いていた。

-4ページ-

―――わからぬのか? ぬしは安倍泰親の生まれ変わりよ

 

ジョギングから戻って後も、佑介の頭の中には、九尾の言葉がこびりついていた。

……佑介とて、それを真に受けているわけではない。あの者だけが言うのであれば、戯れ言と片づけることもできるはずだった。

……しかし。

 

―――佑ちゃんの後ろ姿に、平安時代の姿をした男の人を見たの

 

あの場に居合わせた衣里那や、梁河も言っていた「影」。

初めは晴明が自分の後ろにいて、それを見たのだろうと思った。だが、あの時晴明は、佑介の横にいたのだ。

もし、それが本当なら、自分は―――

どうやってこのことを受け止めればいいのだろう。

 

今はひとり、部屋にいる佑介は己の手を見つめ、ぎゅっと握りしめた。

 

「……佑くん、入っていい?」

控えめな声が聞こえたと思えば、それは栞だった。

承諾すると栞は部屋に入り、佑介の横に座った。

「散策に出かけてたんじゃないのか?」

「今は休憩。……佑くんこそ…大丈夫?」

「!」

驚いて栞を見れば、心配そうな顔でじっと佑介を見ていた。

「……筒井だな。ったくもう、あのおしゃべり」

溜め息混じりに苦笑する佑介。

「……今のところは大丈夫。早いとこ、決着つけなきゃならないけどな」

安心させるように佑介は笑いかけるが、栞は。

「やっぱり、子孫だから…安倍泰親の子孫だから、今回も狙われたの? 九尾の狐に」

「………」

そうだ、とは言えなかった。……それでも。

「…俺もさ、そうだと思ってたよ。…でもそれだけじゃない」

「え?」

「……俺が……、その安倍泰親の生まれ変わりだと言うんだよ」

佑介の思いがけない言葉に、栞は驚愕で目を見開いた。

「…そんな…。佑くんを惑わせるためにそう言ったんじゃ」

「俺もそう思ったよ、戯れ言だって。……でも、筒井や梁河からも、俺の姿に平安時代の人物を見たって言われてね」

「……!」

「信じてるわけじゃない。……でも、もしそうだとして、覚醒してしまったらどうなるか…」

「佑くん」

迷いと、不安。

佑介の顔には、それがありありと見て取れた。

 

いつも自分を護ってくれて、落ち着いていて。

そして優しくて、強くて。

滅多に弱い部分を見せたこともないのに。

 

「…そんなの、関係ないよ」

気がつけば、佑介の首に腕を回して抱きしめていた。顔は肩口に埋めて。

「栞?」

佑介は少し驚いていた。

「たとえ誰かの生まれ変わりだとしたって、今はあたしの…あたしの一番大好きで大事な『佑くん』だもの……!」

「!」

栞の背中に回した腕に力がこもる。

「…俺だって……ずっとおまえだけだから」

「佑くん……」

どちらからともなく、近づいてくる顔。……だが。

途中で、佑介のほうが顔を離した。

「…やめた」

「え?」

ほんのりと赤い顔のまま、栞がきょとんとして佑介を見ると。

「まーた、覗かれてちゃたまらないし?」

おどけるように言うと、栞は目をぱちくりとさせた後、ぷっと吹き出した。佑介も笑い出す。

…どうやら、佑介の勘は当たっていたようだ。

 

 

 

―――玉藻前(たまものまえ)は最初は藻女(みずくめ)と言われ、子に恵まれない夫婦の手で大切に育てられ、美しく成長した。18歳で宮中で仕え、のちに鳥羽上皇に仕える女官となったが、次第に鳥羽上皇に寵愛され、契りを結ぶこととなった。

しかし玉藻前と契りを結んだ後、鳥羽上皇は次第に病に伏せるようになった。天皇家お抱えの医者が診断しても、その原因が何なのかが分からなかったが、陰陽師・安倍泰親によって病の原因が玉藻前であることが分かり、その正体が九尾の狐であることを暴露された玉藻前は、白面金毛九尾の狐の姿で宮中を脱走し、行方を暗ましていた。

 

その後、那須野(現在の栃木県那須郡周辺)で婦女子をさらうなどの行為が宮中へ伝わり、鳥羽上皇はかねてから九尾の狐退治を要請していた那須野領主須藤権守貞信の要請に応え、九尾の狐討伐軍を編成。三浦介義明と上総介広常という武士を将軍に、陰陽師・安部泰親を軍師に任命し、8万余りの軍勢を那須野へと派遣した。

 

那須野にて既に白面金毛九尾の狐と化した玉藻前を発見した討伐軍はすぐさま攻撃を仕掛けたが、九尾の狐の怪しげな術などによって多くの戦力を失い、最初の攻撃は失敗に終わった。三浦介と上総介ら多くの将兵は九尾の狐を確実に狩るために犬の尾を狐に見立てた犬追物で騎射を訓練し、再び攻撃を開始する。

2度目とあって九尾の狐対策を十分に練ったため、討伐軍は次第に九尾の狐を追い込んでいった。最後の抵抗として九尾の狐は貞信の夢の中に現れ若い女性に化けて許しを願ったが、貞信はこれを九尾の狐が弱まっていると読み、最後の攻勢に出た。そして三浦介が放った二つの矢が九尾の狐の脇腹と首筋を貫き、上総介の長刀が斬りつけたことで、九尾の狐は息絶えた。

 

だが九尾の狐はその直後、巨大な毒石に変化し、近づく人間や動物等の命を奪った。そのため村人は後にこの毒石を『殺生石』と名付けた。この殺生石は鳥羽上皇の死後も存在し、周囲の村人たちを恐れさせた。鎮魂のためにやって来た多くの高僧ですら、殺生石の毒気で次々と倒されていったと言われている。室町時代、会津・元現寺を開いた玄翁和尚が、殺生石を破壊し、破壊された殺生石は各地へと飛散したと伝われている。

―――「Wikipedia」より

 

 

 

「―――とまあ、これが『殺生石』のおおまかな言い伝えだな」

中島は目の前に座っている歴史研究部員たちを見渡しながら言った。

「先生。破壊された殺生石は、どこに飛んでいったんですか?」

部員の一人が手を挙げた。

「結構あちこち言われてるけどな。一説には岡山県の真庭市勝山、新潟県の上越市、広島県の安芸高田市、それから大分県の豊後高田市に飛んでいったとと言われてる」

「ひえ〜、那須からそんなに遠くまで飛んでいくなんて、相当の怨念よね;;」

「安倍泰親が正体を見破って調伏したのか。それじゃ、その末裔だという土御門さんが狙われたってのも…」

「あ、ばか」

部員たちは慌てて栞を見た。

「…大丈夫。佑くんから話は聞いてるから」

にっこりと笑って言う栞。無理して作っている笑顔ではない。

「草壁さん…」

(本当に、土御門くんのことを信頼しているのね)

そんなふたりの姿が、在子には微笑ましく思えた。

 

 

夕食後、誰もいない階段の踊り場に、佑介は立っていた。

「……晴明公も…、気づいてたんだろ?」

『―――ああ』

晴明が佑介の横に、静かに現れた。

「晴明公もそう言うなら、本当かもしれないな。俺が『彼』の生まれ変わりだってこと」

『佑介……』

気遣わしげに見る晴明に、佑介は苦笑しつつ。

「実感がわかないから、今イチ信じられないんだけどさ。……でも、ここに来てからの体の反応のことを考えれば納得できることもあるんだ。向こうだって俺が来たから、刺激されたわけだし」

ふと目を伏せた佑介だったが。

「こうなってしまったら……、無視するわけにもいかないよな」

そう言って。

 

「今夜……ケリをつけるよ」

強い光をたたえた瞳を晴明に向けて、佑介はきっぱりと言った。

-5ページ-

すっかり周りが寝静まっているだろう、という頃。

民宿のロビーに人影が現れた。……佑介だ。

誰もいないのを確認して、外に出ようとしたとき。

 

「……佑くん」

「!」

不意に聞こえた声に驚いて振り向けば、栞が立っていた。

「栞、どうし……」

慌てて佑介が駆け寄ると、

「…行くの?」

真っ直ぐ、佑介を見て言う栞。

目を逸らすことができなかった。……だから。

「―――ああ。ケリをつけにね」

正直にそう言った。

 

しばらく、二人とも無言だったが。

「……じゃ、行くから。部屋に戻って寝ろよ?」

“心配するな”とでも言うようにふっと笑って佑介が踵を返した、その時だった。

「……!?」

背中に、柔らかい感触。

……栞が後ろから、抱きついていたのだ。

 

「…栞……」

「……っ」

ぎゅうっと、回した腕の力を込める。

 

―――いや。

行かないで……!

 

そう言っているかのように。

 

佑介は一度目を閉じ、そっと前にある栞の手を握りしめた。

「……帰ってくる」

栞と向き合う形になり、そう言ってその腕の中に包み込んだ。

「必ず……帰ってくるから。だから…心配するな」

「佑…くん…」

優しく栞の頬に手を添えて上を向けさせれば、栞の目からは今にも、涙がこぼれそうだった。

それがこぼれないように、佑介は左の目尻に静かに唇でぬぐうように触れる。栞もゆっくりと目を閉じた。それを合図に瞼に唇を移動させる。

右目の瞼、両頬にも口づけを落としていき、そして……唇に。

 

……優しく柔らかで、ふわりと包み込むような、甘い口づけ。

栞は知らずに、その手を佑介の背中に回していた。

 

「……行ってくる」

ゆっくりと顔を離し、愛しげに栞を見つめつつその頬をひと撫でして、佑介は駆けだした。

栞は何も言えなかった。

ただ、遠くなっていく佑介の背中を見送るだけ……。

 

 

殺生石に向かって走る佑介の隣に、白い影がフッと現れた。

「……ハク!?」

「私もお供します」

白虎の姿に変じたハクであった。ハクはにっこりと笑って言う。

「……サンキュ」

佑介も笑い返した。

 

夜の殺生石は、暗闇の中で不気味に自力で発光しているようにも見えた。

「これはまた…、すごい霊気ですね」

ハクが顔をしかめた。

「封印の隙間をぬって出ていたんだろう。それが俺がここに来たことで一気に綻びたということさ」

佑介も険しい表情で見据える。

 

―――ぬしも、これでおしまいじゃ

 

「!!」

突如、凄まじい霊波が佑介とハクに襲いかかった。二人は左右に分かれて飛び退く。

なんとか体勢を整えながら佑介が前を見ると、殺生石の前に白く光る狐の姿が現れた。

「金毛……九尾…!」

 

―――今度こそ、その命、貰い受ける…!

 

九尾の目が光り、振動と共に風か巻き起こる。

 

「う…っ」

腕で顔を覆い、飛ばされそうになるのを堪える。そして。

「烈風招来 急々如律令!」

風には風を。佑介の呪言で周りに風が起こり、九尾が起こした風を跳ね返した。

そして素早く右手をかざすと、そこから光が生じあの霊剣が現れる。

「ナウマク サマンダ バサラダン センダ マカロシャダ ソワタヤ ウン タラタ カンマン」

今度は佑介が仕掛ける。不動呪を唱え剣を地に突き刺すと、強い光が地を這い、殺生石を包むようにして弾けた。……だが。

 

―――戯けめが。そんなもの妾にはきかぬわ

 

冷たい笑い声。九尾の口元が不気味につり上がった。

 

「く……」

『ふたつの都を滅ぼした妖狐だ…。一筋縄ではいかぬぞ』

いつの間にか、晴明が現れていた。

「わかってるけど…っ」

悔しそうに顔を歪める佑介。その時。

 

「佑介さま!」

「!?」

ハクの緊迫した声が聞こえたのと同時に、九尾の白い尾が伸び、佑介の体を絡め取った。

「うわっ!」

そのまま高く宙に持ち上げられる。佑介はとっさに、剣でそれを斬った。

九尾の悲鳴が響き、佑介も地にたたきつけられた。

「……っ」

衝撃は直前で和らげたものの、やはり痛みで朦朧とする。

 

―――おのれ……っ、こうしてくれる!

 

再び襲ってきたのは、刃と化した霊波。

晴明とハクが、立ち上がれない佑介を庇おうと前に出たとき―――

 

カアッ!!

 

突然、佑介の体が眩い光を放った。

『!』

「佑介さま!?」

その光は、佑介たちに向かっていた刃を飲み込み、消滅させた。

 

―――なに……!?

 

「……諦めるがよい、九尾よ」

佑介がむくり、と起きあがった…が、その声色は佑介のものではない。

『…佑介……?』

晴明が、訝しげに佑介を見ると、佑介は晴明のほうに向いて。

「―――お初にお目に掛かります、晴明さま」

と、にこりと笑った。

『! …もしや…、泰親どのか!?』

こくりと頷く。

今の佑介は、その整った顔立ちが更に大人びて、鋭さが増していた。

 

―――口惜しや、目覚めてしまうとは…!

 

「……私を侮ると、痛い目に遭うと言うたはずだが?」

佑介の姿をした『泰親』は、その顔に不敵な笑みを浮かべた。

 

―――本当に……安倍泰親公だったんですね

 

(……! そなたは……)

佑介の意識が、『泰親』に話しかけてくる。

(…しばし…、この身を借りるが…よいか?)

 

―――構いません。「あなた」は「俺」でもあるのですから。…俺も手伝います

 

(かたじけない)

好意的な佑介の言葉に、『泰親』はふっと笑った。

 

―――おのれ、泰親め……!

 

九尾の怨嗟の念が、辺りに広がっていく。

 

「…オン クロダヤ ウン ジャク ソワカ」

そう唱えて佑介(泰親)が殺生石に向かってすっと手をかざすと、帯のような光が石に向かって四方に広がっていく。

 

―――な、なんじゃ、これは

 

その光は殺生石に絡まるように動いて、九尾自身も動けなくなった。

「オンシチャナバイシラ マダヤマカラシャヤヤクカシャ チバタナホバガバテイマタラハタニ ソワカ!」

佑介(泰親)が両手を突き出すと、凄まじい光が殺生石に向かっていった。

 

―――すごい。これが泰親公の呪力……

 

(……そなたの力でもあるのだぞ)

 

―――!

 

(この力…全てそなたに託そう)

意識下で、佑介と泰親は会話を続けていた。

 

―――おのれっ…この妾を縛るとは、小癪な…!

 

「ハク! 俺を殺生石の上まで運んでくれ!」

一瞬、佑介の意識が外に出たのか、ハクに向かってそう叫んだ。

「御意」

ハクが佑介の前で少し伏せる。佑介はその背に飛び乗った。

九尾の更なる攻撃をかわしつつ、ハクは殺生石の真上まで来た。佑介は霊剣を手にしている。

 

「……これで、おまえも最期だぜ」

佑介は剣先を下にして垂直に剣を構える。次の瞬間、佑介の体が宙に舞った。

「ナウボ タリツ ボリツ ハラボリツ シャキンメイ シャキンメイ タラサンダン オエンビ ソワカ!」

真言と共に、佑介は剣を殺生石に突き刺した。

殺生石は九尾の断末魔の叫びを飲み込むように凄まじい光を放ち、後には何事もなかったように鎮座していた。

 

『戻ったようだな、佑介』

安堵の表情を浮かべて、晴明は佑介に言う。

「……泰親公、俺の意識が消えないようにしてくれてたから。…だから、彼とも話せたし」

『そうか…』

「……なんだか、すっきりしちゃったよ。この力の理由もわかったから」

佑介は己の両手を見た。あの時、『泰親』が放った力の余韻が残っている。

あんな凄まじい力が、自分の中にあるのか。

不安がないといえば嘘になる。だが、泰親は佑介を信じて、この力を「託して」くれたのだ。

両の手を、佑介はぎゅっと握りしめた。

「もう、戻ったほうがいいですよ。夜が明けます」

ハクの言葉にふと東の空を見れば、うっすらと地平線が白く光っていた……。

 

 

音を立てないように民宿に戻ってきた佑介は、ロビーの椅子がある方向をふと見て、目を見開いた。

「……栞」

やはり、佑介が帰ってくるまでは心配で部屋に戻れなかったのだろう。栞は椅子にもたれて眠っていた。

「こんなところで…。風邪ひくのに」

そう言いながらも、起こさないようにそっと栞を横抱きにする。すると、佑介のぬくもりを感じたのか、栞は佑介の胸に頬をすり寄せるようにして身じろいだ。

そんな栞が、愛しくてたまらなかった。

 

「……ごめんな」

 

いつもいつも、心配させて。

不安な気持ちにさせてしまって。

 

佑介は眠る栞の額に、触れるだけの優しいキスを落とした。

 

 

そして、夜が明けきった頃。

 

「ねえ、佑先輩いた〜?」

「いないぞ。そういえば歴研の草壁さんもいないらしいし」

「土御門さん、何かに狙われているみたいだったから。何かあったんじゃあ……」

朝起きたら部屋にいない佑介と栞を、弓道部と歴研部のメンバーが探していた。

上の宿泊用の部屋は全部見たが、いなかった。あとは……。

 

「………」

殺生石で佑介が倒れたときに、運ばれた部屋。そこにふたりはいた。

……いたのだが。

栞は敷かれていた布団の中で、そしてそれに寄り添うように、横には佑介が畳の上で眠っていた。

あの時、栞をここまで運んでから、自分もそのまま眠ってしまったのだろう。

 

「佑介。おい、佑介ってば」

「……ん…、梁…河?」

まだ、半分寝ぼけている。

「おまえな〜、草壁とふたりきりで、ここで何してたんだよっ」

「へ? ……!」

ようやく状況が飲み込めた佑介。慌てて飛び起きる。

顔も真っ赤だ。

「ちがっ、違う違う、そんなんじゃないって!」

「…どーだか〜…」

「ほんとだってばっ;;」

「ま、恋人同士だもの。そーいう仲になっててもおかしくないわよね〜(笑)」

在子も笑顔であっさりと言ってのける。

「神月さんっっ!!」

「……佑くん?」

賑やかさで目が覚めた栞も、状況がわからずきょとんとしている。

この様子を見れば、何もなかったというのは一目瞭然のはずだが。

「草壁先輩、『初めて』ってどんな感じでしたあ?」

「え!?」

後輩たちの言葉に、栞は目を点にするしかなかった。

 

 

「だからっ…、誤解だあ――――っっ!!!」

秋の高い空に、佑介の声が木霊した。

 

 

説明
本当は漫画で描くべきなのですが…。『星紋』7作目に相当するストーリーでございます。この物語では、主人公・土御門佑介の新たな秘密が。舞台は栃木・那須です。
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