はなちゃんの卵焼き |
「ぅ、ん…」
お父さんが目を覚ましたのは、すっかりお昼が過ぎ、陽が西に傾き始めたころでした。
目の奥がずっしりと重たく、あまり眠れた気がしません。
体を起こすのにも、えらく時間がかかりました。
昨晩から今朝にかけて、お父さんは夜勤でした。
深夜の病院もなかなかに忙しいものです。
特に昨晩は、救急搬送されてきた患者さんのオペが入り、とてもとても大変なものでした。
その人は、運ばれてきたときにはもう手遅れに近い状態でした。
お父さんもその場にいた看護師さんたちも、なんとか助けようと必死でした。
でも、その患者さんは亡くなってしまいました。
救急車で一緒に来た家族の人は、お父さんの目の前で、この世の終わりが来たかのように泣いていました。
お父さんは、その時は凛として頭を下げながらも、慈愛の笑みを絶やすことなく家族の人の心に寄り添っていました。
しかし、勤務時間が終え、家に着いた途端、お父さんの心は雪崩が起きたかの如く激しく崩れ、
居間に入る手前の廊下の隅で、わんわん声をあげて泣きました。
命を助けられなかったこと、そして重なるあの日のこと。
もう何もかもがぐちゃぐちゃになって、ごめんなさいごめんなさいと、泣きました。
そして、はなちゃんが起きてきて…
冷静になった今でも、お父さんの心はジクジクとしています。
「…はぁ」
情けないなとため息をついて、布団から出ようとすると、寝室の扉の隙間から、居間の丸いテーブルが目に飛び込んできました。
そこには普段ない物が並べられています。
食器を覆うテーブル傘とお薬と、何かの書かれたメモ紙。
お父さんはズリズリ這いながら、居間に向かいました。
テーブルに上に置かれていたのは、
『大好きなお父さんへ』
から始まるはなちゃんのお手紙と、伏せられた食器たち、そして3切れの卵焼きでした。
お父さんは、お手紙に並ぶはなちゃんの文字を大事に読んで、そしてはなちゃんの用意してくれたご飯に手を伸ばしました。
食欲などありませんでした。
むしろ、お腹の中で悲しみと罪悪感が膨張し、今にも吐き出しそうなほどでした。
でも、はなちゃんの作った卵焼きを見た途端、ぐぅとお腹が鳴ったのです。
『おいしいか、…わからないけど』
そうお手紙に書かれていた、はなちゃんの卵焼き。
ぱくっとかじると、懐かしさを感じる優しい甘さが、お口の中いっぱいに広がりました。
お父さんは、箸を止めることなく、3つに切り分けられた卵焼きを一気に食べてしまいました。
「はなちゃん、おいしかったよ」
箸を置き、おごちそうさまと手を合わせた時、また、お父さんの目に涙が浮かびました。
悲しみの無い、温かな涙でした。
今日は、あの子に甘えようかな…
お父さんは鼻をすすり、お薬を飲んで、またお布団の中へ潜ります。
「ありがとう、はなちゃん」
ほぅっと頬を赤らめて、まるで子猫のように丸くなり、
はなちゃんの優しい卵焼きの味を思い出しながら、お父さんは柔らかな眠りについたのでした。
おしまい。
説明 | ||
「ふたりのこと」 (http://www.tinami.com/view/870078) おとうさんとはなちゃんのお話 |
||
総閲覧数 | 閲覧ユーザー | 支援 |
361 | 360 | 1 |
タグ | ||
イラスト オリジナル 創作 心 小説 幸せ | ||
menocoさんの作品一覧 |
MY メニュー |
ログイン
ログインするとコレクションと支援ができます。 |
(c)2018 - tinamini.com |