犬死
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 私が郷里を離れ、幾月ばかりの頃である。

 何も無い田舎の、いくら吸っても金の取られぬ美味い空気の中に、急に苦々しいものが混じりだし、歩みを止めてしまった。

 見れば、それは黒が混じり、細々と空へと昇っている。もしやと思い、野次馬にでもなろうかと思いつつゆくと、人の良さそうな男が、道の脇でやっていた。

 

「これ、危なかろう、何をしている」

「はあ、友のかたきを焼いております」

 驚いて、ゆえに我ながら呆けて見れば、火中で木とパイプのようなものが燃えていた。

「なに君は、馬鹿にしているのか」

「いえ、馬鹿になどしておりません。本当に、この忌々しい机めが、私の最愛の友人を殺したのです」

 真面目そうな男は、心から悲しみに暮れているようであった。

「少し長くなりますが、よろしいでしょうか」

「かまわん。ぜひ頼もう」

 男は火の方をちらりと見て言った。

 

「この机は、今思うに、何か呪われていたのです。私はその場に居合わすことができなかったのですが、昨日、日の昇りきる前、一人で何やら深く考え込んでいた様子の彼が突然、座っていた机に頭をばしんと打ち付けたそうです。三度ほどそうして、彼は、そのまま死にました」

「それは大層」

 この男とその友には悪いが、まるで信じられなかった。別段、男が嘘を言っている様子も、また、そうする必要も無いのだが、正直想像だにできぬ。

「ああ、なぜ私は、彼を救ってやれなかったのでしょう。私にとって彼ほど、彼にとって私ほど、信じあえる友はいなかったのに」

 男は空を仰いで、泣き始めた。私はどうしても、もう一つ府に落ちない。

「死んでしまう前に、彼は私に言っていました。気が変になりそうだ、いや、もうなっているのだろう、と。また、今すぐ何かを叫びだすか、何かを叩き壊すか、または、何かを殺してしまうか、なんでもよいからやりたい、さもなくば、などとも言っておったのです。そのときの私は、このようなこと、思いも至らず、ただ、君は疲れているのだ、心を強く持て、と言葉で励ましたに過ぎなかったのです」

 なんということだ。言葉にこそしなかったが、私は確信した。同時に、その死んだ男を哀れに思い、かたきを憎みさえした。

「私がすぐに、この机が呪われていると気づいてやれば、こんな悲劇は起こらなかったのに。惜しまれてなりません」

 

 黙るがいい。

 呪いなどであるはずなかろう。

 

「そうか、それは残念なことであったな。邪魔をした」

「いえ、お気遣いなく」

 頭を深々と下げるこの男の頭頂部を見下してから、私は背を向けた。死んだ男が何を考えていたのか、私には分からぬ。だが、これだけは分かる。

 

 それは、まさしく犬死であった。

 

 何も残せてはおらぬ。彼は、残したかったのだ。

「不運であったな、君は。彼ごときが最愛の友とあっては」

 

 私が何も言わなかったのは、犬死の男もまた、そうしたからである。

説明
人を呪い殺したという呪われた机を焼く男の話
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ショートショート 純文学風 

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