救世主は 異世界からの転校生
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   救世主は 異世界からの転校生

 

 

 

 秀一は、美紀の横顔をみていた。

 

「雲。すきなんですよね」

 

 学校一のドジ娘。

 

 究極のドジ超人。

 

 そう呼ばれる、美紀の横顔は、あどけないけど…。

 

 とても、とても、かわいくて。

 

「こんな、くもり空なのに?」

 

 秀一は、空を見あげた。

 

 いつ雨が降り出すかわからない、灰色一面のくもり空だった。

 

「くもり空ですけど、雲は、全部いっしょじゃないんですよ」

 

 同じ高校一年のクラスメートの、美紀。

 

 その美紀が、あどけない笑顔で、空を見つづけていた。

 

「微妙にちがうっていうか。ほら、よく見てください。灰色だけど、ところど

ころ、白いっていうか。明るいじゃないですか」

 

 美紀が、空を指さした。

 

「ほら、あそこ。雲の高さがちがうと思うんですよね。

 

白いじゃないですか。あそこも。ぽこぽこして。

 

お日様のあたり方がちがうんですよ。

 

くもり空のむこうにも、お日様は、あるですよ」

 

 そう言って、一心に空を見あげる、美紀の横顔は、ただ、かわいくて。

 

「あっ。もちろん、青空もすきですよ。

 

白い雲が絵の具まいたように、ささッとなったり、もこもこしたり。

 

夕焼けも、色がとてもきれいですよね。

 

でも、どんな雲もみていてあきないんです。

 

とっても、すきなんです」

 

 雲が流れる。

 

 雲の切れ間から、薄日がさした。

 

「うん。そうだね」

 

 秀一は、ただ、みていたかった。

 

 美紀の顔も、美紀が指さす、この空も。

 

 美紀が、秀一に、笑顔をむけた。

 

 その顔はかわいくて、でも、ちょっと寂しげだった。

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「掃除、もういいだろ。片付け頼むわ。超人さん」

 

 10月に入り、曇りの日が続いていた。

 

 空には、灰色の雲が垂れ込め、ただ、空を流れいていた。

 

 いっしょに、高校の教室を掃除していた生徒たちが、美紀をのこして教室を

出ていこうとする。

 

「わかりました…」

 

 美紀が、ちいさな声で、返事をした。

 

 美紀は、ほうきを集めて、掃除用具入れの前まで運んだ。

 

 掃除用具入れの扉を開けた。

 

「ホヘッ。わっわ〜」

 

 掃除用具入れから、使ってなかったほうきが、美紀になだれかかる。

 

 ポコポコと、音がするように、美紀の頭にあたっていく。

 

「究極のドジ超人」

 

 出ていきかけた、男子生徒が、美紀をみながら笑っている。

 

「おまえら。同じ班だろう」

 

 秀一が、美紀のまわりに散らばった、ほうきを集めながら、さけんだ。

 

「あら。鷹野くんはやさしいもんね」

 

 女子生徒も、嫌みをいいながら笑っている。

 

 そのまま、みんな、教室から出ていった。

 

「くそ。あいつら」

 

「いいんですよ。本当の事ですから」

 

「桃乃さん。そんなことないよ」

 

「大丈夫ですよ。あっ。片付けしないと」

 

 

 

 桃乃美紀が転校してきたのは、1月前のことだった。

 

 2学期が始まると同時に、転校しきた。

 

 同じクラスに、救世主の超人がくると、クラスでうわさになった。

 

 鷹野秀一も、どんな子だろうと気になっていた。

 

 はじめて、美紀が教室にきた日。

 

「あの。桃乃美紀です。よろしくお願いします」

 

 先生から紹介された美紀が、うかぶかと頭をさげた。

 

 顔をあげた。

 

 うわさの超人は、小柄だった。

 

 身長は低めで、きゃしゃな体。

 

 栗色のショートヘアーに、丸顔のあどけない笑顔。

 

 秀一は「かわいいひと」とおもったのを、覚えている。

 

 美紀が、先生に促されて、自分の席にむかおうとした。

 

「ホヘッ」

 

 美紀が、教壇の段差を踏みはずした。

 

 机と机の間に、倒れこんだ。

 

「いたッた〜」

 

 美紀が、顔をあげた。

 

 その日から「超人はダメ超人」と、うわさが広まった。

 

 

 

「桃乃さん。手伝うよ」

 

 秀一が手に持ったほうきを、掃除用具入れにいれた。

 

「あッ、ありがとうございます」

 

 美紀は、うろうろと散らばったほうきを集めていた。

 

「ひャァッ〜」

 

 美紀が、ちりとりをけとばした。

 

 集めたばかりのゴミが、もふぁ〜と舞い上がる。

 

「あぁぁ、ごみが〜」

 

 美紀が、立ち尽くして、ちらばったゴミを見つめている。

 

「桃乃さん。大丈夫だよ。ぼくが集めるから。桃乃さんは、ほうきしまって」

 

「はぁ〜。ありがとうございます」

 

 美紀が、とぼとぼとあるきながら、掃除用具入れにほうきをしまった。

 

 秀一は、ゴミを集めながら、それをみていた。

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 異世界からの救世主。

 

 奇跡の超人。

 

 学校にくるまで、そう呼ばれていた、美紀が目の前にいる。

 

 1年前、異世界の英雄が、この日本に帰還した。

 

「コスプレ男が、大都会に出現」

 

 そんな記事が、世間をさわがせた。

 

 その男だけだったら、そのまま世間から忘れ去られていただろう。

 

 しかし、そのとき、その横には、ドラゴンにのった小さな少女がいっしょだ

った。

 

 その少女は、ドラゴンから、たかだかとジャンプした。

 

 包囲した機動隊の列を、軽々と飛びこした。

 

 片手で、巨漢の機動隊員を、つぎつぎと投げ飛ばした。

 

 空を飛んだドラゴンに、飛び乗った。

 

 10メートル近くはジャンプしていた。

 

 ただ、集まった人々は呆然と、それを見ていた。

 

 異世界から帰還した男は、5年前に行方不明になった「桃乃達夫」だった。

 

「異世界で、ドラゴンハンターの英雄だった」と、その男はいった。

 

 だが、その男は、中世の甲冑によく似た武具をつけただけの、普通の男だっ

た。

 

 すぐに、異世界の英雄と、小さな少女と、ドラゴンは、国家機密になった。

 

 異世界の英雄と、小さな少女と、ドラゴンの帰還した場所は、研究のために

封鎖され、巨大な研究所が建てられた。

 

 秀一が、知っているのは、その後、ニュースでながれてきた内容だけだ。

 

 その小さな少女が、目の前にいる美紀だとは、どうしても信じられなかっ

た。

 

 ネット動画で、くり返しながされていた、ビキニのような甲冑を身にまと

い、空を飛びまわる異世界の少女とは、とても、信じられなかった。

 

 

 

 ゴミの片付け終わると、秀一は、ちりとりを掃除用具入れにしまった。

 

「ありがとうございます」

 

 美紀が、秀一の方をむいて、ふかぶかと頭をさげた。

 

 そんなに背の高くない秀一からみても、美紀は小さくみえた。

 

 クラスで、目立つ存在ではない秀一。

 

 顔も普通だし、髪も適当にみじかくして、気にしていない。

 

 クラスメートとも、普通に会話するけど、特に仲がいいわけでもない。

 

 まわりはいろいろ言ってくるが、気にはしない。

 

 気にしている余裕なんてない。

 

 みんな、すきにすればいい。

 

 秀一は、いつも、そう思っていた。

 

 でも、みんなに何を言われても、いっしょうけんめいな美紀をみると、ほっ

ておけなかった。

 

 いや、だからこそ、ほっておけなかった。

 

 慣れないせかいで、何もわからず、知り合いもおらず、ただ、必死に毎日を

こなしている美紀。

 

 そんなことを何も考えずに、好き勝手にいう奴らばかりだ。

 

 秀一は美紀が困っていると、いつも、手助けした。

 

 美紀は、いつも、丁寧にお礼をいうのだった。

 

「桃乃さん。別に、そんなに頭さげなくてもいいよ」

 

 秀一は、顔をあげた美紀をみていた。

 

 その顔をみて、秀一は「ちょっとかわいいなぁ」と、おもっていた。

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「母さん、ただいま」

 

 秀一が、自宅の玄関の戸を開けた。

 

 返事はなかった。

 

 玄関のあがり口にある、部屋の障子を開けた。

 

 秀一の母は、じっと仏壇をみたままだった。

 

 秀一が、その肩に手を置いた。

 

 秀一の母が、はっと、顔をあげた。

 

「ただいま、母さん。今日は洗濯したくれたんだ」

 

「あぁ。おかえり。少し気分よかったから」

 

「無理しないでいいよ。ぼくがやるから」

 

「ごめんね。秀一」

 

「いいよ。ごはんつくるね。できたらもってくる。父さんとまってて」

 

 秀一の父は、3年前、秀一が中学1年の秋に死んだ。

 

 肺炎だった。

 

 秀一はこんなに簡単にひとは死ぬのかと、ただ、ただ、ショックだった。

 

 カゼをこじらせたと思っていた。

 

 秀一の父は、1週間ほど熱が下がらなかった。

 

 そのまま、病院に入院した。

 

 敗血症による多臓器不全。

 

 それが、秀一の父の死因だった。

 

 ただ、カゼだと思った。

 

 この間まで、元気にしていたんだ。

 

 感染したウィルスが悪かったのか、体が弱っていたのか、どうすればよかっ

たのか。

 

 でも、ひとがいなくなるときは、急に、簡単に、いなくなる。

 

 秀一は、ひたすら、ショックだった。

 

 親戚のものが手伝ったくれて、葬儀が終わり、あっという間に1週間が過ぎ

た。

 

 がらんとした家の中に、秀一と、秀一の母だけが残された。

 

 秀一が受けたショックは、秀一の母も同じだった。

 

 秀一の母は、葬儀から夜通し仏壇の前で泣いていた。

 

 そのまま、なみだが枯れると、一日中、仏壇の前にすわるようになった。

 

 秀一は、そんな母に、かける言葉をもっていなかった。

 

 秀一は、ただ黙って、家事のすべてをこなした。

 

 どうすることもできなくて、どうにもできなかった。

 

 いなくなった人はいなくて、残されたものは生きていくことしかできない。

 

 学校で、だれともしゃべらず、勉強して、家で家事のすべてをやった。

 

 そうするしか、なかった。

 

 中学卒業まで、クラスで孤立しつづけた。

 

 どうせ、いつもひとりなんだ。

 

 今さら、なにも気にしない。

 

 高校に入っても、そんな生活は同じだと思っていた。

 

 でも、美紀が、同じクラスに来てくれた。

 

 ずっとひとりだった、秀一。

 

 異世界からきて、たったひとりの美紀。

 

 秀一は、美紀をほっておけなかった。

 

 秀一は、台所で、卵焼きを焼きながら、美紀の顔を思い浮かべていた。

 

 いまだに、母親のようにうまく卵焼きをまくことはできない。

 

 でも、秀一の母は、どんなときでも、卵焼きだけは食べてくれた。

 

 秀一の父親の大好物だった、卵焼き。

 

「お父さん、すきだったのよ」

 

 秀一の母は、そう言いながら、卵焼きはかならず食べた。

 

 だから、秀一は、ごはんの時に、かならず卵焼きをつくるのだ。

 

「母さん、ごはんだよ」

 

 秀一の母は、仏壇を見つめたままだった。

 

「父さん、ごはん」

 

 秀一が、仏壇に、不格好にまるまった卵焼きとごはんを供えた。

 

 秀一の母が、それをみて、秀一に顔をむけた。

 

「ごめんね。秀一」

 

「いいよ。ごはんたべよう」

 

 秀一の母が、卵焼きを口に運んだ。

 

「母さん、卵焼きうまくまるまらなくて、ごめん」

 

「おいしいから、これでいいわよ」

 

 暗い部屋の中で、茶碗にあたる、はしの音だけが響いていた。

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 高校の校舎に、昼休みのチャイムが響いた。

 

 秋晴れはどこにいったのだろう。

 

 今日も、昨日にとおなじ、くもり空がひろがっている。

 

 ただ、灰色の空が、ながれいてた。

 

 秀一は、教室の窓から、その空を見あげていた。

 

 教室では、もう弁当箱を広げている生徒がいる。

 

 秀一は、いつも家にあるものを、適当に弁当箱につめこんでもってきてい

た。

 

 別に、だれかといっしょにいたいわけでもない。

 

 ひとりで、自分の席で、適当にあるものを口に放りこめばよかった。

 

 秀一は、席に戻ろうとした。

 

 弁当箱をひろげようとした。

 

 そのとき、わたり廊下を走る女の子がみえた。

 

 わたり廊下を走っていく、美紀の姿がみえた。

 

 そういえば、美紀はいつも昼休みに教室にいなかった。

 

 昼ごはんは、どうしているのだろう。

 

 秀一は気になった。

 

 秀一は、弁当箱をもって歩きだした。

 

「何だ、鷹野。便所飯かよ」

 

 クラスの誰かが叫んだ。

 

「あぁ。ちょっと、行ってくるわ」

 

 秀一は、大げさに手をふって歩きだした。

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 わたり廊下に、美紀がいた。

 

 美紀は、購買で買ったパンをもって、あたりを見まわしていた。

 

「桃乃さん」

 

「ひャァッ〜」

 

 美紀が飛びあがった。

 

 後ろを振りかえった。

 

 弁当箱をさげた秀一が、たっていた。

 

「桃乃さん、お昼は購買のパン」

 

「鷹野さん」

 

「何してるの」

 

「いやぁ。落ち着かないっていうか」

 

「落ち着かない?」

 

「わたし、異世界じゃ、ずっと父と旅してて。ごはんも、寝るのも木の下とか

で」

 

「なんか、大変だったね」

 

「いやぁ。大変というか。そんなのみんなだし、普通でした」

 

「普通…。ちがうんだ」

 

「なんか、落ち着かないんですよね。教室で机でたべるの」

 

「それで、ここに?」

 

「エヘヘ。今日は、どの木の下でだべようかなぁって」

 

「じゃぁ。ぼくもいっしょにいいかな」

 

「鷹野さんも外で、ですか。みんな教室でたべてますよ」

 

「ぼくは、ひとりでたべてるから、どこでもいいよ」

 

「エヘヘ。じゃぁ、あの木の下にしません」

 

「うん。いいよ」

 

 秀一と美紀は、ならんで大きな楠の下に、歩いていった。

 

「大きいですよね、この木。長い間、がんばって、どんなことにも負けなかっ

たんですよね」

 

 秀一は、楠を見あげた。

 

「そんなこと、考えてもみなかった」

 

 風に枝がゆれている。

 

 力強く茂った緑の葉のむこうに、空一面の雲が、ながれている。

 

 緑に、白と黒のグラデーションが、ひろがっていた。

 

「わたしのいた世界、異世界じゃ、木はとても力強いんです」

 

「なんか、桃乃さんと話していると」

 

「やっぱり変ですか。おかしいですか。そうですよね…」

 

「いや、新鮮っていうか、はっとするっていうか、なんか、楽しい」

 

「えっ。エヘヘ。楽しいですか。エヘヘ、そうですか」

 

「うん。なんか、スッとするよ」

 

「エヘヘ。あっ、ごはんですよね。鷹野さん、このパン知ってます。あまいん

ですよ」

 

 美紀が、クリームパンを手にもって、秀一にせまった。

 

「このパンも、あまいのはいってるんですよ。これなんか、まわりがサクサク

して、しかも、あまいんですよ」

 

 美紀が、あんパンもメロンパンも握りしめて、秀一にせまってくる。

 

「しッ、知ってるよ。購買。じゃなくて。どこでも売ってあるし」

 

「どこでも、あまいのあるんですか」

 

「桃乃さん、あまいパンすきなの?」

 

「は〜い〜。あまいのすきなんです〜。なん〜か〜、しあわせなんです〜」

 

 美紀が、クリームパンもあんパンもメロンパンも抱きしめて、しあわせそう

に笑っている。

 

 白と黒のグラデーションが雲となり、空をつつんでいた。

 

 楠が、葉をひろげ、深い緑で包みこみ、この場所は、とても、とても、あた

たかかった。

 

 秀一と美紀は、楠の下に、腰をおろした。

 

「桃乃さん。お父さんって。いっしょに住んでるの」

 

「あぁ、父はまだ研究所にいます」

 

「じゃぁ、ひとり暮らしなんだ」

 

「はい。住むところは、研究所のひとが用意してくれました。

 

この世界での生活の仕方も。お金ももらってるんですよ。

 

エヘヘ、あまいの買えちゃいます」

 

 美紀が、クリームパンにかじりつく。

 

 しあわせそうに、かみしめる。

 

「言葉とか、覚えるの大変だったんじゃない」

 

「いえ、なんか、こっちの世界にきて、あたまがすごくまわったんですよね。

 

前の異世界にいたときの感じて、動いたり考えたりしているんですけど、

 

何十倍もはやく、何でもできるような感じがしたんです」

 

 秀一は、盛んに繰りかえし流されていた、ニュースを思い出していた。

 

 異世界がこの世にあるなんて、しんじられなかった。

 

 でも、科学者たちは、まじめに研究していたらしい。

 

 多次元宇宙論。

 

 いくつもの世界が重なり合って存在している状態。

 

 最新の量子論では、そんな理論が研究されていた。

 

 ニュースのコメンテーターとして出演していた大学教授が、やたらと難しい

専門用語を使って説明していた。

 

 秀一もその内容は、よくわからなかった。

 

 でも、異世界があることが、理論的には正しいといってることだけは、わか

った。

 

 ひとが、普通だと思っていることが、ふつうではなく、ちがうと思っている

ことが、実は、普通に存在している。

 

 思い込んで、決めつけていることは、間違いばかりだ。

 

 そのことが、秀一には、なんとなく納得できるのだった。

 

 ニュースのキャスターが、その大学教授にきいた。

 

「あの、超人のように跳ね回る少女は何なのですか」

 

 その大学教授は、面倒くさそうに答えた。

 

「そんなの分かりませんよ。

 

しかし、あの少女も異世界では、私たち普通の人間と同じだったそうです。

 

一方、こちらの世界から異世界に行った男というのは、異世界で、超人的な動

きをしていたそうです。

 

何でも、ドラゴンハンターの英雄だったとか」

 

 さらに、その大学教授は顔をしかめた。

 

「考えられるのは、相転移でしょうね」

 

「相転移」

 

「えぇ。多次元の宇宙の相を越えるときに、その性質が極端に変化する。

 

水が零度の相を境に、急激に氷に変化するのと同じです。

 

人の体の性質も、劇的に変化すると考えられます。

 

身体の機能がすべて、超人的に跳ね上がったのでしょうね」

 

「なるほど、すると異世界に行けば、我々も超人になると」

 

「まあ、今分かっていることでは、そうなりますね。

 

今後、あの少女と、異世界から連れてこられたというドラゴンとかを

 

研究すれば、いろいろ分かってくるでしょうね」

 

「では、巨額の税金を投入して立てられたあの研究施設も無駄ではないと」

 

「これは、大変なことなんですよ。

 

物理学界が求めていた実験結果が突然現れたようなものです。

 

それも、日本だけに。

 

この研究が、科学を、日本を、飛躍的に発展させるかもしれません。

 

今回の出来事は、日本の救世主になるんです」

 

 秀一の目の前で、うれしそうにあんパンの袋を開けている美紀。

 

 その美紀は、ニュースの中では、まるでひとでないように扱われていた。

 

 そのとき、秀一は、すごい違和感を感じていた。

 

 今、あんパンにかじりついて、しあわせをかみしめている美紀をみていて、

なぜだかわかる。

 

 美紀が転校してくる前、高校では、みんなが、うわさし合っていた。

 

 異世界からの救世主。

 

 奇跡の超人。

 

 そういって、勝手に、美紀のことをはなしていた。

 

 美紀のことを知らないのに、勝手に決めつけていた。

 

 美紀が転校しててくると、美紀が、普通の人間とおなじというだけで。

 

 慣れない世界で、ただ、うまくやれないだけで。

 

 高校のみんなは、勝手にうわさしている。

 

 学校一のドジ娘。

 

 究極のドジ超人。

 

 美紀のことを知ろうとしないで、勝手に。

 

 ひとりの人間として、だれも、美紀をみていない。

 

 そんなの、おかしいだろう。

 

 秀一がひとりだった時、みんなと同じ事をしないだけで、する余裕がないだ

けで、それだけで孤立した。

 

 秀一は、どうしようもなく、それを身に浴びるしかなかった。

 

 ただ、その場で、浴びつづけることしか、できなかった。

 

 だから、美紀をみていると、ほってはおけない。

 

 みんなのやっていることに、ただ違和感を感じるのだった。

 

「あれ、鷹野さん。たべないんですか」

 

 あんパンを口に押し込み、メロンパンの袋に手をかけた美紀が秀一に顔をむ

けた。

 

「あぁ、うん。たべるよ」

 

 秀一は、卵焼きを口に運びながら、美紀に顔をむけた。

 

 美紀の両方のほっぺたが、パンパンになっていた。

 

 口に押しこんだパンに押されて、はち切れそうになりながら、モグモグして

いた。

 

「桃乃さん。パンつめ込みすぎじゃない」

 

「ぬぅわぁん〜でぇす〜か」

 

 美紀が、一気にパンを飲みこむ。

 

「いや、そんなに急いでたべなくても」

 

「でも、はやくたべないと、とられちゃいますよ」

 

「いや、だれもとらないよ」

 

「でも、森の動物が…。やたら速いサルとか、大口の小鳥とか、角のあるネズ

ミとか、いろいろいるじゃないですか」

 

「いや、この世界にはいないし」

 

「こんな、あまいの、なかなかたべられないんですよ」

 

「いや、どこでも売ってあるし」

 

「とられたら、いやなんです!あまいの、たべるんです!」

 

 美紀が、メロンパンにかぶりつく。

 

「いや、大丈夫だって」

 

 そう言いながら、秀一はやっぱり「ちょっとかわいいなぁ」と、おもってい

た。

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 夕方になっても、空はくもり空の、ままだった。

 

 下校時間になり、秀一は、ひとりで校門をでた。

 

 まわりは、学校から帰る生徒で、あふれていた。

 

 空は、灰色で、あふれるばかりの雲あるだけだ。

 

 ただ、灰色で、ながれるように動いている。

 

 空には、灰色の雲が、そこにあるだけだった。

 

 秀一は、まわりに目もくれず歩く。

 

 買い物をして、洗濯ものを片付けて、掃除をして。

 

 これから、やることが、まっている。

 

「帰り、どこよろうか」

 

 どこかで、誰かの、声がする。

 

 とおい異世界から、聞こえてくるような、楽しげな会話。

 

 秀一からすれば、みんな、しあわせそうに見える。

 

 そんな人たちのことを、みていても、胸からさけびがあふれるだけだ。

 

 秀一は、黙々と、あるいていた。

 

 スーパーで買い物をすませて、秀一は、家に向かった。

 

 秀一の自宅は、町の高台にあった。

 

 その高台に通じる坂道を、のぼった。

 

 坂道から、町が見わたせた。

 

 灰色の雲のしたに、人の住む建物がひろがっている。

 

 秀一は、町を見おろす。

 

 秀一とちがい、毎日が同じように過ぎている人々の住む、異世界。

 

 秀一には、遠い世界のように感じられる、秀一の住む町。

 

 秀一は、ひとりで、坂道を登っていった。

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 坂道の途中に、ちいさな公園があった。

 

 町を見おろせるようにつくられた、ちいさなベンチが置かれた、ちいさな公

園。

 

 秀一は、公園の前まできて、気がついた。

 

 そこに、美紀がたっていた。

 

 空には、雲がうかんでいた。

 

 美紀が、ただ、じっと、空を見あげていた。

 

「桃乃さん」

 

「ひャァッ〜」

 

 美紀が、飛びあがった。

 

 振りかえった。

 

「鷹野、さん」

 

 高台の公園で、美紀はひとりでたっていた。

 

「なにしてるの」

 

「いやァ〜、帰るところで」

 

「桃乃さん。家、こっちなんだ」

 

「はい。そこの上の、アパートです」

 

「空みて、なにしてるの」

 

「いやァ〜。エヘヘ。空じゃなくて」

 

 美紀が、笑顔をうかべた。

 

 顔を、空にむけた。

 

 秀一も、美紀の横にならんで、空をみた。

 

 灰色しか、見えない空。

 

「すきなんですよ」

 

「すき…」

 

 秀一は、そういう美紀に、顔をむけた。

 

「雲。すきなんですよね」

 

「こんな、曇り空なのに?」

 

「曇り空ですけど、雲は、全部いっしょじゃないんですよ」

 

 美紀の横顔が、みえる。

 

「微妙にちがうっていうか。ほら、よく見てください。灰色だけど、ところど

ころ、白いっていうか。明るいじゃないですか」

 

 美紀が、空を指さした。

 

「ほら、あそこ。雲の高さがちがうと想うんですよね。

 

白いじゃないですか。あそこも。ぽこぽこして。

 

お日様のあたり方がちがうんですよ。

 

曇り空のむこうにも、お日様は、あるですよ」

 

 美紀は、一心に空を見あげていた。

 

「あっ。もちろん、青空もすきですよ。

 

白い雲が絵の具まいたように、ささっとなったり、もこもこしたり。

 

夕焼けも、色がとてもきれいですよね。

 

でも、どんな雲もみていてあきないんです。とっても、すきなんです」

 

 雲が流れる。

 

 雲の切れ間から、薄日がさした。

 

「うん。そうだね」

 

 美紀が、秀一に顔を向けた。

 

 その笑顔は、ただ、ただ、かわいかった。

 

「鷹野さんは、なにしてるんですか。袋さげて」

 

「買い物して帰るとこ。ぼくの家もこの坂の上だからね」

 

 秀一が、笑顔をつくった。

 

「ひとりで、ですか。みんな、遊びに行ったりしてますよ」

 

「ぼくは、やることがあるからね」

 

「そう、ですか」

 

 美紀は、笑顔だった。

 

「鷹野さんは。ひとりが、多いんですね」

 

 でも、その笑顔は、寂しげだった。

 

 高台の公園から、見える町並み。

 

「桃乃さん。異世界はどんなとこ」

 

 秀一は、その町並みをみていた。

 

「ここから、見える景色とは、全然、ちがいます」

 

 美紀も、町並みに顔をむけた。

 

「木がいっぱい生えてて、木の間に草原があって、川が流れていて」

 

「家とかはないの」

 

「もちろん、ありますよ。でも、こんなに多くないというか、こんなにみんな

あつまってないというか」

 

「そうだよね。みんな、同じとこなんて。おかしいよね」

 

「ドラゴンがいますから」

 

「ドラゴン?」

 

「はい。わたしの乗ってきたやつです。あれは家畜ですけど」

 

「あぁ、空飛んでたやつ」

 

「はい。あれは人が飼い慣らして育てたやつなんで、危なくないというか、言

うこと聞くんですけど。

 

野生のドラゴンは、人を襲うんです。

 

ドラゴンが来ると、家もむちゃくちゃになって。

 

その辺にいる生き物は、食い殺されて。全部。ドラゴンは、襲うときは、すべ

ておそいます。

 

たべるだけでなく、生きているのも、目につくのも、すべて。

 

だから、あつまって住んでいると危ないんです」

 

 美紀の目が、くらく、くらく、沈んでいく。

 

「火の消えたかまどの中に押し込まれないと、たぶん助からない。

 

灰のにおいでドラゴンの鼻をごまさないと。

 

でないと、すべて、ぐちゃぐちゃにされてしまう。

 

そこにいた人も、今いた、家も、すわっていた、イスも…」

 

「何か、見てたような話だね」

 

「えッ。いや。こんな感じです」

 

「大変な、とこだね」

 

「そんなことないですよ。この世界には、人を襲うものがいないだけです」

 

「人を…。そんなのは、ここにも」

 

「鷹野さん?」

 

「あっ、ごめん。」

 

 秀一は、あわてて笑顔を、つくりなおした。

 

「たいへんだなぁ。ドラコンがこないようには、できないの」

 

 美紀が、秀一の笑顔をじっと見ていた。

 

「方法はあります。人里に近づく前にドラゴンを見つけて仕留めるんです。仕

留めないと、たいへんなことになるから」

 

 美紀は、また、町のむこう側の空に、目をむけた。

 

「父もわたしも、ドラゴンハンターでした。

 

ドラゴンは空を飛んでくるから、地上からは落とせないんです。

 

だから、家畜にしたドラゴンを使って、空飛んで、ドラゴンを落とすんですけ

ど。とても、大変で。

 

父は、すごいドラゴンハンターだったんですよ」

 

「ドラゴンハンターの英雄だったけ」

 

「そうなんです!

 

人里の前で待ち構えて、ドラゴンがきたら、ばぁ〜ッと飛び上がって、ズバッ

て、羽や首を刈るんです。

 

かっこいいんですよ。ぴュ〜、ズバッて。

 

父、とてもたかく飛び上がれるから、とんでいるドラゴンも、関係ないんで

す!

 

ぎュ〜ん、パッパって」

 

「こっちに来たときの、桃乃さんみたいだね」

 

 秀一は、ネット動画でくり返しながされていた、美紀の姿を思い浮かべてい

た。

 

「そうなんですよ。わたしもきた時は」

 

 美紀が、秀一に顔をむけた。

 

 秀一を見つめて、笑顔をつくった。

 

「やっぱり、ドジですけど。エヘヘ」

 

 美紀が、笑ってみせた。

 

「桃乃さん」

 

 秀一は、今は、それしか言えなかった。

 

「ここからみる町は、異世界とは全然違って、でも、やっぱり、おなじなんだ

なぁって、思って」

 

「おなじ?」

 

「はい。空はやっぱり、どこでも同じなんですよ」

 

「そら」

 

 秀一は、空を見あげた。

 

 美紀も、空を見あげる。

 

「空の雲だけは、おなじなんです」

 

 灰色一面のくもり空。

 

 でも、雲はながれて、かたちを変えていく。

 

 雲の切れ間からは、薄日がさす。

 

 その光のむこうには、透きとおるような、青空があるのだった。

 

「だから、雲、みてるの」

 

「いやァ〜。雲みているのは、昔からです」

 

「いつも、ここからみてるんだ」

 

「はい〜。雲、すきですから」

 

「そっか」

 

 秀一は、美紀に顔をむけた。

 

 美紀は、空を見あげたままだった。

 

 秀一は美紀の顔を見ながら「やっぱり、かわいいなぁ」と、おもってい

た。

 

 秀一は、美紀がみている雲が、いつまでもそこのあるのを、ただ、願ってし

まうのだった。

-9ページ-

 久しぶりの、晴れ間だった。

 

 昨日のくもり空とはうって変わって、まぶしい青空がひろがっていた。

 

 空の青さは、どこまでも、たかく、白い雲は、空の青に、うつくしい模様を

描いている。

 

 昼休みのわたり廊下で、秀一は、その青空を見あげていた。

 

 手に弁当箱をさげて、待っていた。

 

「きた、きた」

 

 美紀が、購買で買ったパンを大事そうに持って、歩いてきた。

 

 秀一が、かるく手をあげる。

 

「鷹野さん」

 

 美紀が、立ちどまって、秀一をみた。

 

「桃乃さん。今日はどの木の下で、たべる」

 

 美紀が、笑った。

 

「やっぱり、大きな木がいいです」

 

「うん。いいよ」

 

 ふたりは、ならんで歩きだす。

 

 校庭の木が、その葉をゆらす。

 

 心地よい、そよ風にあわせて、その葉をゆらす。

 

 その下をふたりは、ならんで歩く。

 

 どこまでも、たかく、青をかかえた空と、その中を、ただ、ゆっくりとなが

れていく、白い雲。

 

 あたたかい日差しをうけて、木々の緑も、色を増していく。

 

「がんばった、木ですね」

 

 美紀が、昨日とはちがう、椎の木の見あげた。

 

 その椎の木は、幹が大きくゆがみ傾いていた。

 

「がんばったか。そうだね」

 

「鷹野さん。この木、とても大変なことがあったんだと想うんですよ。でも、

こんなになっても、大きく、大きく、枝をひろげて…」

 

「うん。この木にしようか」

 

「はい」

 

 ふたりは、その椎の木の下に、腰をおろした。

 

「桃乃さん。今日もあまいパン」

 

「エヘヘ。こんなん買っちゃいました」

 

 美紀が、得意げに、長細いパンをみせる。

 

 コッペパンを真ん中で切って、ソースで味付けした麺がはさんである。

 

「それは。焼きそばパン。桃乃さん、あまくないよ」

 

「エヘヘ。知ってますよ。みんなが買っていくから気になってて。

 

あまいの、昨日鷹野さんに言われてコンビニで見たら、

 

エヘヘ、売ってありました」

 

「えっ、コンビニ。いくの」

 

「やっぱり変ですか。わたしがコンビニ行ったら…」

 

「いや、そんなことないよ。イメージが…。異世界の話聞いたから」

 

「エヘヘ。実はわたしも、なんか、コンビニ落ち着かなくて」

 

「やっぱり、異世界の店とはちがうから」

 

「はい。あんな店、異世界にないですよ。

 

入ったらいきなり、いらっしゃいませ、唐揚げ揚げたてですなんて、さけんで

るんですよ。

 

はじめ、びっくりしました。わたし、唐揚げ買いにきたんじゃないのに。

 

なんで、はいるとさけぶんですか」

 

「いや、マニュアルに書いてあるんだよ」

 

「マニュアル。あぁ、決まり事がかいてあるやつですね。この世界もたいへん

ですよね。決まったとおりにしないといけないなんて」

 

「大変は、たいへんかなぁ」

 

「いつもコンビニいくと、ささァ〜ッと、いるものだけ探してレジに持ってい

くんです」

 

 秀一の頭に、コンビニの中を、獲物を狙う狩人の動きでうろつく美紀の姿が

うかんだ。

 

「ゆっくりしていると、また。なになにあがりましたとか、なんとかはどうで

すか、とか言われるし」

 

「いや、それは桃乃さんに言ってないし」

 

「でも。エヘヘ。昨日、鷹野さんに言われて、あまいの探したら。

 

エヘヘ。いろいろ売ってあるんですね。

 

なんか、ゆっくり見たら、楽しいっていうか。

 

そうそう、本もありましたよ。知ってました」

 

「知ってるよ。コンビニ、そんなとこだから」

 

「この世界は、なにか、すごいことばかりです」

 

「そうかもね。僕らのせかいが…。どこでも、普通のわけないか」

 

「わたし。このせかいの事、もう少し。いろいろ知りたいです」

 

「連れてってあげようか。案内するよ」

 

「鷹野さん」

 

「きたばかりの異世界で、知らないことだらけだもんね。ぼくはいいよ」

 

「エヘヘ、教えてもらうと助かるんで。エヘヘ、教えてもらえないかなぁ、な

んて。わたしも。エヘヘ」

 

「うん。いいよ」

 

「エヘヘ。お願いします」

 

 椎の木の葉が、そよ風にゆれる。

 

 心地よいリズムを刻むように、ただ、ゆれる。

 

 緑の葉の向こうには、青い空が、ふかく、ふかく、ひろがっている。

 

 白い雲は、空に寄り添うように、ゆっくり、ゆっくり、ながれていた。

 

「わたしも、こっちの世界にきてしまったけど。なんか。エヘヘ」

 

 美紀がうつむいたまま、頭をかいた。

 

 秀一は、ただ、だまってそれを見ていた。

 

「桃乃さん。こっちの世界にどうやって来たの」

 

「あぁ。それは。父が異世界の門を開いたときに、巻きこまれたっていうか」

 

「異世界の門」

 

「はい。研究所の人が言ってました。

 

父の何かが、門の鍵になっていて、門の場所に父が来ると、勝手に開くらしい

んです。

 

まだ、調べないと分からないことだらけですけど」

 

「門の場所」

 

「どこにあるかなんて分からないですけど。異世界同士をつなぐ門があるらし

いんです。で、父がきたたら開くみたいな」

 

「だから、こっちにきた場所は研究所に」

 

「みたいです。なんか、危ないって言ってました。研究所で。

 

門は二つの世界の境を壊すものだから、頻繁に開けたりしたら何が起こるかわ

からないって。

 

風船がしぼむみたいに世界がなくなるかもって。違う世界なんですもんね。

 

門で一つになると危ないって。研究所のひとが」

 

「危ないって。桃乃さんは、もう帰れないってこと」

 

「研究所の人がいいって言わないと、門は開けられないんですよ」

 

「そんな…」

 

 秀一は、笑顔ではなす美紀を見ていた。

 

 それを見ていることしかできないことが、ひどく腹立たしかった。

 

「でも、大丈夫ですよ。父がこのせかいでの名前をくれましたから」

 

 美紀が、笑顔を秀一にむけた。

 

「桃乃美紀。桃乃は、父がくれました。

 

美紀は、異世界でのわたしの名前に、漢字をつけてくれて。

 

紀は時の流れを表すそうです。うつくしい時を過ごせるようにって。

 

父がいってました。エヘヘ、すごく気に入ってます」

 

「桃乃さん…。うん、そうだね」

 

 美紀の笑顔は、とても、かわいかった。

 

「あッ、ごはん食べないと。昼休み終わっちゃいますよ」

 

「うん。桃乃さんが、あまいのたべられなくなるね」

 

「まずは、思い切って買ってみた、このパンを」

 

「気になってた、焼きそばパン」

 

「はい。このウニウニが、なんか、なんか、気になって、気になって」

 

「そっちなの」

 

 美紀が焼きそばパンのラップをはがす。

 

「いきます」

 

 美紀がそういうと、縦にした焼きそばパンを、一気に口に押しこんだ。

 

「桃乃さん。味見とかしないの」

 

「はァ〜いィ〜」

 

 美紀が、ほっぺたをパンパンにしながら、焼きそばパンを、もぐもぐと口に

入れる。

 

「だから、桃乃さん、パン詰め込みすぎ」

 

 美紀が、パンパンの口をモグモグする。

 

 美紀が、焼きそばパンを一気に飲みこむ。

 

「でも、早くたべないと、とられちゃいますよ。森の動物たちが」

 

「いや、だから、そんなのいないし」

 

「ウニウニしたの、はさんだパンなんて、売ってないんですよ」

 

「いや、だから、どこでもあるって」

 

「ウニウニも、あるんですか」

 

「あるよ。うん。ところで、味はどうだったの」

 

「は〜い〜。おいしかったです〜。なん〜か〜、しあわせです〜」

 

 そういう美紀の笑顔を見ながら、秀一は「やっぱりかわいいなぁ」と、おも

っていた。

-10ページ-

 下校時間になっても、空は、晴れわたっていた。

 

 青い空と、白い雲の、水彩画が、ひろがっていた。

 

 秀一は、ひとりで、校門を出た。

 

 秀一は、はしって、校門を出た。

 

 まわりは、学校から帰る生徒で、あふれている。

 

 秀一は、まわりに目もくれずに、はしる。

 

 そこを目指して、はしる。

 

 ひとりで、前を歩く、美紀がみてきた。

 

「桃乃さん」

 

「ひャァッ〜」

 

 美紀が、飛びあがる。

 

 振りむいた。

 

「鷹野さん」

 

 振りむいた美紀の顔は、笑顔だった。

 

「桃乃さん、高台に雲見にいくんだろ」

 

「どッ、どうして知ってるんですか」

 

「いや、それはわかるよ。昨日、いつもみてるって言ってたじゃない」

 

 秀一が、息を整えながら、美紀の横にならんだ。

 

「帰る方向おなじだろ。いっしょに行かない」

 

「いいんですか。エヘヘ。じゃあ、いっしょに」

 

「うん。いいよ」

 

 ふたりは、ならんで歩きだした。

 

 ただ、時が、ゆっくりと過ぎる。

 

 歩くように、ゆっくりと。

 

 空の青と、雲の白が、一つになって、水彩画を描く。

 

 その下を、ふたりはならんで、ただ、歩く。

 

 風が、そよいで、まわりのざわめきが、だんだんと、遠くなる。

 

 ふたりは、いっしょに、あの高台の公園を目指した。

 

 坂道をのぼる。

 

 高台の公園が近づいてくる。

 

 公園のむこうの、うつくしい水彩画のような空が、ふたりを迎えていた。

 

「きれいな、雲」

 

 美紀が、公園につくと、空を見あげた。

 

「うん。そうだね」

 

 秀一も、美紀の横にならんで、空を見あげていた。

 

「鷹野さん。雲が…」

 

 空には、筆で白をひいたような、雲。

 

 空の青に、雲が色を添え、うつくしく、一つになっていた。

 

「桃乃さんが、すきな雲か」

 

 秀一も、ただ、雲を見ていた。

 

「あの…。あのですね。鷹野さん…」

 

 美紀は、空を見あげたままだった。

 

「なに」

 

 秀一が、美紀の顔をみた。

 

 美紀も、秀一に顔をむけていた。

 

「どうして、やさしくしてくれるんですか」

 

「えっ、あぁ。桃乃さんが、がんばってるからかな」

 

「わたし、いつも失敗して、がんばってなんか…」

 

「失敗しても、やめたりしないだろ。だから、とっても、がんばってるってお

もって」

 

「わたし。父に拾われた子どもなんです。異世界で」

 

「えっ」

 

「父がドラゴン退治の途中で、ひとりぼっちのわたしを引き取ってくれたんで

す」

 

「そう、なんだ」

 

「わたしの本当の両親はドラゴンに襲われて。わたしは火の消えたかまどに。

 

母はわたしを隠して…。それから。わたしはひとりで暗い洞窟で生きてまし

た」

 

「桃乃さん」

 

「だから、生きてくために何でもやらないといけなくて。それが普通でした。

 

今も、この学校で生きてくために、なにもできなくても、やってるだけで」

 

「みんな、そんなにがんばってないよ。桃乃さんみたいに生きてる人いない

よ」

 

「そうなんですか、よくわかりません」

 

「ぼくも、父さんが死んで。

 

それから、母さんは、ショックで家から出られなくなって。

 

全部、自分でしなくちゃいけなくて。

 

ほかの事なんてどうでもよかった。ただ、やらないとって」

 

「鷹野さん」

 

「だから、桃乃さんみてると、なんか、がんばってるなぁって、おもって」

 

「なんか、なんか、にてますよね。わたしたち」

 

「うん。雲ばかりみてないけどね。ぼくは」

 

「あれはですね、洞窟にいるとき、雲しかみるものがなかっただけで。

 

特別、雲にどうとかじゃなくて。

 

だいたい、あの雲の良さがわからないのがおかしいんですよ。

 

そうですよ。雲はきれいでしょ。もこもことか、ふわふわとか、ささァ〜と

か」

 

「桃乃さん、わかった、わかったよ」

 

 秀一が、こらえきれずに笑いだす。

 

 美紀もつられて笑いだす。

 

「エヘヘ。また、いっしょに、雲みません」

 

「うん。いいよ」

 

 美紀が、あたまをかきながら、笑っていた。

 

「そうだ。桃乃さん、晩ごはんはどうしているの」

 

「晩ごはんですか。コンビニとかでかってますよ。便利ですよね。お店行けば

なんでも売ってあるし」

 

「うちで、ごはん食べて帰らない」

 

「ごッ。ごはん、ですか」

 

「うん。どうせ母さんの分もつくらないといけないし、桃乃さんの分もいっし

ょにつくるよ」

 

「おッ、お家で、ごはん食べるなんて。それは、それは」

 

「なに。異世界じゃ、なんか風習あるの」

 

「いや、ありませんけど。この間、コンビニにあった本の表に、相手をおとす

お家ごはんってのが書いてあって」

 

「桃乃さん、今、なんかまちがってる」

 

「でも、おとすって。ドラゴン退治で空のドラゴンをズバ〜ンってやるやつで

すよね」

 

「イヤ、それもおとすだけど」

 

「鷹野さん、なに狙ってるんですか」

 

「イヤ、だから、まちがってるって」

 

「そうだ雲。わたし、雲がすきって。この世界では、なにか特別な意味があっ

たんですか」

 

「イヤ、もう。あっ、桃乃さん、卵焼きすき?」

 

「卵焼きですか?」

 

「うん。うちのは、あま〜い、卵焼きなんだけど」

 

「あまいんですか、あまいんですか!鷹野さん。

 

異世界じゃ、あまい物なんて、なかなかたべられないんですよ!鷹野さん!

 

卵焼き、あまいんですか!」

 

「うん。あまくて、おいしいよ」

 

「あまいんです〜か〜。おいしいんです〜か〜」

 

「たべて行きなよ。この世界じゃ、仲良くなったらいっしょにご飯食べるんた

から」

 

「仲良く。エヘヘ。そうですか。エヘヘ。はい。たべさせていただきます!」

 

「うん。いこう」

 

「はい」

 

 ふたりは、ならんで歩きだした。

 

 空は、いつの間にか、夕焼けの色に染まっていた。

 

 夕焼けの雲が、赤く赤く、色づいていた。

-11ページ-

「ただいま。母さん」

 

 秀一が、玄関の戸を、開けた。

 

 返事は、なかった。

 

「桃乃さん、あがって」

 

「はい。おじゃまします」

 

 秀一が、玄関のあがり口にある部屋の、障子を開けた。

 

 秀一の母が、仏壇の前に座っていた。

 

「母さん、ただいま。今日、友達つれてきたんだ」

 

 秀一の母は、ただ、仏壇を見つめているだけだった。

 

「母さんのごはんは、ここに持ってくるね」

 

 秀一の母の返事は、なかった。

 

「桃乃さん、ごめん。母さんはいつも、ああだから」

 

 秀一の背中越しに、美紀が、それを見ていた。

 

 ただ、だまって、秀一の母の目を見ていた。

 

「あの。わたしにも、お参りさせてください」

 

 秀一が振りかえった。

 

 秀一の母が、仏壇から目をはなした。

 

 美紀に、顔をむけた。

 

「わたしの、本当の両親も、死んでいないんです。

 

今までいた人がいなくなると、何もなくなったみたいになるんですよね。

 

わたしもそうでした。でも、今の父が、いっしょにいれば、

 

何もないなんてないからって言って、わたしを育ててくれたんです」

 

「いっしょに…」

 

 秀一の母の、声がした。

 

 秀一の母が、秀一に視線をうつした。

 

 美紀が、仏壇の前にすわった。

 

「あれ。これどうすればいいんですか」

 

 美紀が線香をもって、オロオロしている。

 

「桃乃さん、かして」

 

 秀一が、線香に火をつけて供えた。

 

「あとは、こう手を合わせたらいいから」

 

 秀一が、仏壇に手を合わせる。

 

「はい」

 

 美紀も秀一にならんで、手を合わせた。

 

 秀一の母が、それをみていた。

 

 美紀が、秀一の母の方に体をむけた。

 

 まっすぐに、みていた。

 

「いっぱい泣いて、悲しんで。どうしようもなかったから。

 

だから、いっしょにいてくれる人とあるいて。わたしは、そうしてきました」

 

「そうなの」

 

「はい。また、お参りさせてください」

 

 秀一の母が、美紀をみていた。

 

 ただ、じっと。

 

「そうね。また、お願いね」

 

 秀一が立ちあがった。

 

「桃乃さんは、テレビでも見てて」

 

「あっ、手伝いますよ」

 

 秀一と美紀が、部屋を出ていった。

 

 秀一の母は、もう、仏壇をみていなかった。

 

 出ていく、秀一と美紀の背中を、ただ、じっと、見ていた。

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「これ、どうするんですか。あっ、焦げてる」

 

 美紀がフライパンを持って、オロオロしている。

 

「桃乃さん、こうして、手首を」

 

 野菜を切っていた、秀一が、あわててコンロの方にはしる。

 

「こうですか。こうッ、わっわっ、半分のこって、どうするんですか」

 

「なに。にぎやかね」

 

 フライパンをにぎり合っていた、秀一と美紀が、その声に振りかえった。

 

「母さん」

 

 秀一の母が、台所の入り口に、立っていた。

 

「ちょっと、貸してみなさい」

 

 秀一の母が、ふたりからフライパンを受けとった。

 

「いちど、端によせて、こうして」

 

 秀一の母が、器用に、くずれた卵焼きをフライパンの端によせる。

 

 のこっていた溶き卵を、フライパンに流しこむ。

 

「火がつよいのよ。一度、はなして、こうやって」

 

 秀一の母親が、くりっとフライパンを動かす。

 

 くるっと、卵焼きが、きれいにひっくり返った。

 

「すごいです。なんですか、魔法ですか、どうしたんですか」

 

 美紀が、食い入るように見つめている。

 

「魔法じゃないわよ」

 

 秀一の母親が、器用に卵焼きを丸めていく。

 

「ほら、こうしたらいいのよ」

 

 秀一の母親が、器用にフライパンをかえす。

 

 卵焼きが、くるくると、丸まっていく。

 

「簡単でしょ」

 

「えへへ。なんか。なんか、うれしいです。母と一緒だったころ思い出しま

す」

 

「お母さんと」

 

「はい。台所、こんな感じじゃないんですけど。

 

かまどがあって、薪で火をおこして、もっと、暗いんですけど。

 

なんか、母が、お鍋かき回していたとき、思い出しました。

 

全然違うんですけど」

 

「そうなの」

 

 秀一の母が、卵焼きを丸めていく。

 

 横で、美紀が、うれしそうにそれを見ていた。

 

 秀一は、ただ、見ていた。

 

 美紀のうれしそうな顔も。

 

 秀一の母が見せた、久しぶりの笑顔も。

 

「秀一。また、この子を、ごはんにさそってあげなさい」

 

「母さん」

 

「わたしも、何かつくるから」

 

 秀一の母は、笑っていた。

 

 ちょっと、その瞳は、潤んでいた。

 

「あぁッ。鷹野さんお鍋がふいていますよ」

 

「桃乃さん、ふたとって、ふた」

 

「これですか、あちッ」

 

 美紀の持っていた鍋のふたが、ちゅうを飛ぶ。

 

「あちッ」

 

 そのふたを受け取った秀一がさけぶ。

 

「なにやってるの」

 

 秀一の母が笑っている。

 

 秀一の家で、本当に、本当に、久しぶりの賑やかさだった。

-13ページ-

 白い雲が、青い空に、うかんでいた。

 

 次の日、美紀は登校すると、職員室に呼びだされた。

 

 そのまま、午後まで、教室に戻ってこなかった。

 

 美紀は、教室にもどると、ずっと、窓から雲を見あげていた。

 

 授業中も、ずっと、空の雲を見あげていた。

 

 教師はだれも、何も言わなかった。

 

 放課後、秀一が、校舎から出てくると、美紀が、たっていた。

 

 校舎の出入り口の外で、美紀が、雲を見あげていた。

 

 空には、白い絵の具で描いたような雲が、ただ、ひろがっていた。

 

「桃乃さん、雲、見に行かないの」

 

「あぁ。今日はちょっと」

 

「なに、用事?手伝おうか」

 

 美紀が、秀一の方をふりむいた。

 

 でも、うつむいて顔を見せなかった。

 

「はなしとかは。だめですか」

 

「いいよ。何でもきくよ。はなして」

 

「はい。わたしが。今、ここに、いるのは…」

 

「うん。どうして」

 

「…わたしがドジだからです」

 

「桃乃さん…。そんなことないよ、桃乃さん!」

 

「学校にくる前というか、研究所でですけど」

 

「桃乃さん」

 

 美紀は、うつむいたまま、話し続けた。

 

「檻の中で、私たちの連れてきたドラゴンがあばれ出して。

 

何か、実験してたみたいでした。研究所のひとが。

 

相転移してるから、ドラゴンもものすごい力で。

 

わたし、とめなくちゃって、わたししかいないから。

 

檻の中でドラゴンを。でも、檻の中狭いじゃないですか。うまく動けなくて。

 

エヘヘ、わたし、やっぱりドジですよね。

 

ドラゴンは仕留めたんですけど、大けがして」

 

「そんな」

 

「ひどい、けがで。

 

わたしこっちの世界のひとじゃないじゃないですか。

 

こっちの世界にいなかったひとなんですよね。

 

だから、研究所のひとも、仕方ないって」

 

「そんなこと」

 

「父だけでした。助けてくれたの。

 

異世界からもってきた黒水晶の粉で。

 

どんなキズもすぐに治るんですよ。黒水晶の粉。

 

でも。血で練らないといけないんですよね。

 

手のひら切って、血を流しながら、黒水晶の粉練るんです。

 

すごくいたいんですよ。それ。

 

でも、父はもってる黒水晶の粉全部使ってわたしを助けてくれました」

 

「桃乃さん」

 

「そのとき、わたしと父の血が混じったせいなんでしょうね。

 

わたし。特別な力なくなって。

 

父の血は、こっちの世界の血だから、わたしは、両方の世界の血をもってしま

って。

 

もう、どちらの世界のひとでもないのかもしれません」

 

「そんなこと」

 

「わたし、特別な力ないのなら、もういらないって、研究所のひとが。

 

父が、助けてくれました。

 

異世界からまたドラゴンを連れてくることを条件に。

 

こっちの世界で普通に生きていけるようにしてくれたんです」

 

「桃乃さん」

 

「エヘヘ。力なくしたっていっても、普通の人と同じになっただけなんです

よ。

 

でも、体は前の早さを覚えているから。そのつもりで動いちゃって。

 

足だしたつもりでも、でてなくて、つかんだつもりでも、つかんでなくて。

 

転んじゃって。おとしちゃって。エヘヘ。

 

忘れないとダメですよね。もうダメなんだって。忘れないと。エヘヘ。

 

なんかできなくて、本当、ダメですよね。わたし」

 

「桃乃さん!そんなことないよ!」

 

 秀一の父親は、秀一が、中学1年の時に死んだ。

 

 母親は、そのことが今も忘れられずに、家に引きこもっている。

 

 みんな、それじゃダメだよって、いっていた。

 

 がんばんないとダメだよって、いっていた。

 

 忘れて、前にすすんでって。

 

 みんな、簡単に、口にする。

 

 でも、そんなこと。

 

 そんな簡単に、できるわけないだろう!

 

 家族だったんだ。

 

 ずっと、大切だった人なんだ。

 

 いっしょにいた人なんだ。

 

 そんな人がいなくなって。

 

 できるわけ、ないんだ。

 

 がんばってない、わけじゃない。

 

 やってない、わけじゃない。

 

 忘れたくても、忘れられないんだ。

 

 つらいんだ。

 

 苦しんでいるんだ。

 

 ずっと苦しんで、必死に自分ひとりで戦っているんだ。

 

「きみは!かわらなくても、いいんだよ!」

 

 秀一は、必死に、さけんでいた。

 

「そのままで、いいんだ」

 

 秀一は、ただ、さけんだ。

 

「苦しんでるだろ、つらいの我慢しているじゃないか」

 

 さけんでいた。

 

「だから!だれがなんと言おうと。そのままのきみでいたら。それで、いいん

だ!」

 

「鷹野さん」

 

 美紀が、顔をあげていた。

 

「そのままのきみでいてくれた方が。ぼくは…」

 

 美紀が、ただ、じっと、秀一を見つめていた。

 

「ありがとうございます」

 

「うん。なんか、ぼくも。母さんのこととかあるから。そう思うよ」

 

「エヘヘ。なんか、なんか、うれしいです」

 

 白い雲が、青い空に、浮かんでいた。

-14ページ-

 ふたりは、ならんであるいた。

 

 校門にむかって、ならんであるいた。

 

 校門の前に、車がみえた。

 

 ハザードランプをつけて、車が止まっていた。

 

 制服姿の自衛隊員が、車のドアを開けて、立っていた。

 

 美紀が、秀一を振りかえった。

 

「おわかれです」

 

「えっ」

 

「出発なんです。異世界にいかないと」

 

「なんで」

 

「朝、学校に。連絡があったんです」

 

「朝。あのとき」

 

「父が異世界にいったまま、もどらないんです。異世界の門が閉まらないんで

す」

 

「なんで、きみが!」

 

「なにがあったか、わかりません。でも、門を閉めないと、閉めにいかないと

両方の世界が壊れてしまうから」

 

「なんで、きみが。いらないって、みはなされて、放り出されて。なんで!今

さら!」

 

「父の血が門の鍵になっていたんです。わたしは父からもらったから。行かな

いと。もう残っているの、わたしだけだから」

 

「そんな、きみは、つらいのひとりで耐えて、必死に。それなのに、勝手すぎ

るよ。みんな、わかってないよ。そんなのおかしいだろ」

 

「仕方ないんです。わたしそのために、この世界にきたんでしょうから」

 

「そんな事ないだろ。ひとが、そんなことのために。おかしいだろ。そんなこ

と」

 

「ありがとうございます。でも…」

 

 美紀の後ろに、雲が広がっていた。

 

 どこまでも、どこまでも、青く透きとおる空に、白い絵の具で描いたような

雲が、ただ、ひろがっていた。

 

「あなたに会えて、ほんとうによかった」

 

 美紀が、笑った。

 

 異世界の門は、閉じないと、いけないんだ。

 

 そんなの、わかってるんだ。

 

 この世界を守るために、みんなのしあわせのために。

 

 そんなの、わからないといけないんだ。でも。

 

 ただ、白い雲が、青い空をおおっていた。

 

「あの。最後に、お願いがあるんです」

 

「お願い。なに」

 

「がんばってきてって。そういうこと、言われたことないから」

 

「桃乃さん」

 

「エヘヘ。お願いします。言ってください」

 

「桃乃さん」

 

 ただ、白い雲が、ひろがっていた。

 

「でも、きみは…」

 

 美紀が、笑顔のまま、たっていた。

 

「うん。そうだね。桃乃さん。まってるから。今のままでいいから、そのまま

でいいから。帰ってきて、かならず。また、いっしょに卵焼きつくろう。きみ

といっしょに、ぼくは」

 

「…ェヘッ」

 

「えっ」

 

「…ェヘッ。わたしは…」

 

 美紀の顔中に、なみだが、あふれだした。

 

 抑えきれない想いが、しゃくり上げるように、ただ、ただ、あふれる。

 

 美紀から、ただ、ただ、あふれだす。

 

 美紀の笑顔が、くしゃくしゃになっていく。

 

 美紀が、涙のあふれる瞳で、秀一をみつめている。

 

「…ェヘッ。そんなこと言われたら、行けないです。…ェヘッ。わたしは。行

かないと。…ェヘッ。わたしは。だから。だから!かんばってって…」

 

 美紀の、なみだにまみれた顔があった。

 

 なみだのあふれる瞳で、秀一をみつめていた。

 

「がんばってって。言ってください」

 

「ぼくは…。行かないッ」

 

「がんばってって」

 

「イヤだ。ここにいッ」

 

「がんばってって。言って」

 

「ぼくは。きみのことが」

 

「がんばってって!言ってください!」

 

「ぼくは」

 

「お願いです!がんばってって。でないと、わたしは。お願いです!がんばっ

てって!言って!お願い!」

 

 秀一のなみだも、顔中をぬらした。

 

 もう、なみだは、とめられない。

 

 秀一の顔も、くしゃくしゃになっていた。

 

「ぼくは。そんなこと。わかってるよ!だけど!」

 

 なみだにまみれる、美紀の瞳。

 

 なみだでくしゃくしゃになる、秀一の顔。

 

 どうすることもできない、ふたりの顔が、そこにあった。

 

 ただ、白い雲が、そらをおおっていた。

 

 風にながされて、その形はとどめることができなかった。

 

「…ぁんばって。まってるから…」

 

 うつくしい雲が、かたちを変えていく。

 

 とどまることができずに、その、かたちを。

 

「…ぅれしいです。ありがとうございぁ…」

 

 とどまることができず、どうすることもできず、ただ、雲が、ながれてい

く。

 

 往くあてもわからずに。

 

 ふたりの顔が、なみだに、まみれる。

 

 ふたりとも、くしゃくしゃに、なった。

 

 ふたりの顔が、くしゃくしゃに、なっていった。

 

 ただ、とけあい、ふたりの想いが、なき声になって響いていた。

-15ページ-

 坂道の途中にある、小さな公園。

 

 そこからは、町が見わたせた。

 

 空には、雲がうかんでいた。

 

 たかく、うす雲が、ひくく、わた雲が、どこまでも、うつくしい水彩画を描

いていた。

 

 秀一は、ひとりで、坂道を登っていた。

 

 もう、1ヶ月、美紀は学校に来ていなかった。

 

 だれも、なにも言わない。

 

 ニュースにも、ながれていない。

 

 学校から、家にむかう途中、美紀とあるいた道なのに。

 

 秀一は、ひとりだった。

 

 うす雲も、わた雲も、共に空にあるのに。

 

 雲は、風によって、運ばれるのだろう。

 

 雲は、風によって、出会うのだろう。

 

 風が、どこにふけば、雲は、出会えるのだろうか。

 

 風が、どのくらい吹けば、雲は、出会えるのだろうか。

 

 空には、たくさんの雲があるのに、その答えを、雲は、教えてはくれない。

 

 ただ、空で、うつくしい水彩画を描くだけだ。

 

 秀一は、ひとりであるいていた。

 

 坂道の途中にある公園が、みえた。

 

 秀一が、美紀と雲をみていた公園。

 

 あの日、そこにいたふたりは、記憶の彼方。

 

 秀一が、公園を見あげた。

 

 ひとが、たっていた。

 

 きゃしゃな体。

 

 栗色のショートヘアーに、丸顔のあどけない笑顔。

 

 秀一は、走りだした。

 

 そこに、むけて、走りだした。

 

 ただ、走った。

 

 公園が、近づいてくる。

 

 その向こうにある白い雲が、近くなる。

 

 近づいてくる。

 

 その子は、雲を、みていた。

 

 秀一は、いきも整えずに、さけぼうとした。

 

 その子の、名前を。

 

 でも。

 

「…ェヘッ」

 

 言葉にならない想いが、ただ、音になる。

 

 なみだがあふれ、ただ、あふれ出すものが、ただ、おとにしかならなかっ

た。

 

 秀一は、なみだにまみれ、顔をくしゃくしゃにして、ただ、しゃくり上げ

た。

 

 うす雲も、わた雲も、いっしょ、きれいな水彩画を描いていた。

 

 その子は、なみだのあふれる瞳で、秀一をみていた。

 

 その子も、なみだにまみれ、顔をくしゃくしゃにしていた。

 

 必死に、ただ、声をしぼり出した。

 

「雲。すきなんですよね」

 

「桃乃さん!」

 

 秀一がかけよる。

 

 美紀もかけよる。

 

 空で、うす雲と、わた雲が、ひとつの水彩画になった。

 

 ふたりは、泣きながら、ただ、それだけを、伝えあった。

 

「エヘヘ。また、いっしょに、雲みません」

 

「うん。いいよ」

 

 それだけで、それだけあれば、充分だから…。

 

説明
その子は、雲を見あげていた。
その顔は、とても、とても、かわいくて…。
ただ、その子と、雲を見あげていたかった。
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孤独 救い やさしさ 

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