夜摩天料理始末 11
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 短く甲高い音が夜気を鋭く震わせる。

 それまで何とか躱してきたが、足場の悪い夜の山道では流石の彼女も十全な体術を発揮できない。

 鋭い突きをあしらいかねて、手にした鞘で何とか弾く。

「逃げるなぁ、天羽々斬ぃ!」

「刀も無いのに、他にどうしろっていうんです」

 そうぼやきながら、ちらりと落とした視線で、今手の中にある鞘の様子を見定める。

 本来は鞘に向いた材では無いが、この様な時の為にあえて選んだ、目の詰まった、鉄の如き樫の古木で作り上げた丈夫な鞘が、今の一撃だけで大きい亀裂が入っていた。

 

 神代三剣が一振り、天羽々斬。

 

 それは、大蛇を斬った英雄神が手にした刃。

 例え、神剣の霊気の一部が姿をとった分霊であっても、その鋭さや内在する力の凄まじさは、人が鍛えたそれとは桁が違う。

 全く……こんな形で、己の力を思い知るとは皮肉な物だ。

(保って、あと数合)

 

 その間に何とかあいつを倒さねばならない。

 

 だが、通常の式とは桁違いの力を持つ上に、多少手足を傷つけた所ですぐに再生してしまう、あの力。

 狙うべきは、その力の源たる、胸の中の殺生石。

 それしか、あいつへの致命の一撃足り得ない。

 だが、それは相手も重々承知しているだろう事は、相手の構えを見れば何となく判る。

 達人と言っても良い剣の遣い手相手に、こんな今にも砕けそうな鞘一つでは、あの場所を抉るなど……とても。

 では、どうする。

「しゃぁぁぁぁぁ!」

 薙ぎこまれて来る鋭い刃風を、すれすれの所で、頭上に流す。

 そこからの素早い斬り返しを、手にした鞘で辛うじて受け流す。

 高く澄んだ音の中に、更に亀裂が深く広く走る小さな音が確かに聞こえた。

(……限界か)

 

 天羽々斬が土の上を転がって避けた体を起こし、無理な姿勢から鋭く振るった鞘が、相手の脛を捉える。

 ごきりと嫌な音と共に相手の脛が妙な角度に曲がる。

 だが、その一撃は、同時に、すでに傷だらけだった鞘にも致命の一撃となった。

 夜闇にまぎれる暗緑色に塗られた鞘が、半ばからめきりと砕ける。

「おうっ!」

 体の均衡を失い倒れる狐顔の式の目に、背を向けて走り出した天羽々斬が見えた。

 髪も乱れ、夜色の衣と白い肌を、泥と枯葉と血で汚し……

「それでも神剣の式姫か!泥の中を転がり汚れて逃げてまで生にしがみつく……その姿、見苦し!」

「……見苦しくて何が悪いんです」

「見苦しさは悪だ!」

 折れた足では、流石に動きがままならないが、痛みは感じないらしい。折れた脛のままに、それは立ち上がって彼女の背に一太刀浴びせようと刀を振り上げて動き出した。

 一歩進めるごとに脛が真っ直ぐ伸びて行き、ぐんぐんと天羽々斬の背に迫る。

(早い……)

 背中に感じる気配が、一歩ごとに圧倒的な存在として膨れ上がる。

 しゅうと吸い、しゃぁと吐く、生臭い呼気まで背に感じられる。

 彼女が一歩進める間に、一歩半の間合いを詰められて行く。

 あと少し……。

 前のめりになって、天羽々斬が更に速度を上げる。

 じゃりっ……と、泥土を踏む音が不吉に彼女の耳に届いた。

 彼女の剣士として研ぎ澄ました感覚に寒気が走る。

 

 致命の間合いが……破られた。

 

「天羽々斬、覚悟!」

 だが、彼女は振り向かない。

 向う傷で勇ましく死すより、例え逃げ傷で死に、世人に嘲られ、汚名を残す事になろうと。

 躊躇いなく一歩を踏み出す。

 私は最後まで、生きる可能性の為に……。

 更に一歩踏み出して、彼女は手を伸ばす。

「ええい、最後まで見苦しい。ならば無様に死ね!」

 だが、振り下ろした刃は、彼女の背中を浅く掠っただけで、空しく空を切った。

 最後の必殺の間合いに、一歩を踏み込めなかった。

「なんだぁ……!?」

 魂なき、ただの式は痛みを感じない。

 その足元を覆い尽くし、彼の動きを阻む、透明な物がもたらす冷たさも。

「氷も知らないの?狛犬より馬鹿なのねぇ」

 空から、雪よりも冷たい声が降ってくる。

「何者だ!」

 それが上に注意を向けた……その刹那の時が生死を分けた。

 地に倒れ、いまだに不気味に蠢く領主の体……その腰に佩いた業物の柄に手を伸ばし、天羽々斬は鞘を断ち割りながらそれを引き抜き。

「ふっ!」

 引き抜いた勢いそのままに、振り向きもせずにその刃を背後に突き出した。

 すっと、その刃が何の抵抗も無く式の胸に潜り込む。

「……がっ!」

 その体が、ビクリと震える。

 切っ先が、何か堅い物を捉えたのを、彼女の達人の手が確かに感じた。

「私に急所の位置を晒したのは愚かでしたね」

 その手の内をぎゅっと引き締め、僅かに食い込んだ、その切っ先を更に抉(こじ)る。

 

 はりん

 

 薄い薄い、玻璃(はり)の風船を割れば、そんな音がするのだろうか。

 儚く高く澄んだ音が、辺りに響く。

 式の動きが止まった。

 足を氷で封じられた体が、不自然に仰け反る。

「あ……ああ」

 大きな耳がずるりと落ち、式の顔を覆っていた獣毛が抜け落ちて行き、尖った口先が元に戻っていく。

 私の顔……が。

 それが、かっての人の顔を取り戻す。

「私……が」

 だが、その顔の起伏も失われていく。

 口がただの線に、目が虚ろな丸になっていく。

 それを無表情に見ながら、天羽々斬は口を開いた。

「最初から無かったんですよ、『貴方』なんて」

「……ちがウ……ワタシは」

 力を失った紙の手から、天羽々斬は彼女自身である刀を手にした。

 ずっと感じていた違和感……。

 この敵はここに居なかった。

「貴方の体は紙切れ、力は女狐の借り物、そして心は、貴方の主の影に過ぎません」

 人の後ろに隠れる生を選んだ男が、普段は隠している己の心を曝け出す為に、世界に向かって開いた、偽りの窓。

 対峙していても、その怒りも、嘆きも、嘲りすらも、どこか遠く空しかった……薄い薄い影法師。

「ちガ……」

 その言葉を最後に、口がただの墨の線になった。

 その様を見届けた天羽々斬は、瞑目しながらゆっくりと刀を構えた。

「さようなら」

 

 さようなら、主に恵まれなかった、可哀想な人形(ひとがた)。

 いつの日か、あの方達のような……私たちと共に歩み、慈しんでくれる主と巡り会い。

「次は、貴方自身の魂を宿さん事を」

 刃が一閃した。

 

「終わった?」

「ええ、助勢に感謝しますよ、おゆき」

 ひらり、と。

 紙の首がぬかるむ泥地の中に落ち、泣いてるようにくしゃりと歪んだ。

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 式姫二人の怒声が僅かに遠くなる。

 煙煙羅の力で式姫を倒せるとは思えないが、逆に彼女らも実体薄きあいつを倒す事は難しかろう。

 あいつに村を襲わせ、それを退治したふりをする。

 それだけで、私は安全に金や地歩を得る事も叶い、あいつは定期的に人を食いながら、普段は私に封じられている事で、他の陰陽師や妖怪からは、安全に身を隠すことが出来る。

 故に、彼が危ない時は、こうして助けてもくれる。

 互いに納得ずくで結ばれた、実に良い関係。

「頼むぜ、煙の大将」

 藪がそろそろ切れる。

 僅かに振り向き、式姫二人が、煙を相手に攻めあぐねる様子をちらりと確認する。

 逃げ切れる。

 首を戻そうとする、その彼の胸に、鈍く重い衝撃が走った。

「ぐぶ……」

 目が眩み、内腑をドロドロに汚れ果てた雑巾で撫で回されたような不快感が駆け回り、彼は覚えず膝を付いた。

「……おぅ」

 内臓ごと吐き出せた方が楽になれそうな程の嘔吐感に抗う術も無く、彼は笹薮の中でえずいた。

 げろり。

 赤く溶け爛れた何かが、喉や鼻孔、果ては目からも溢れ出す。

「ごれは?!」

 彼の内臓さら引きずり出そうというように溢れ出す、夜の闇の中で鈍く光る、その赤。

「殺生石……なぜ」

 だが、そう口にした彼には何となくだが判っていた。

 

 式が滅びた。

 

 己の身に埋め込んだ殺生石と、あの式に用いた殺生石は、対をなすように呪を込めた。

 それが故に、式でありながら、あれは術を使い、人に匹敵する感情を見せ、そして式姫に迫るほどの力を得た。

 だが、式は同時に彼の分身であり、使い魔でもある。

 それが滅びる時、込められた呪(まじ)の力が彼の体に跳ね返る。

 返し……そう呼ばれる物を回避する法もまた、身代わりを立てるなり、より大きな力に頼り、それらが直接自分に返ってこないようにするなど、幾つかのやり方が確立されている。

 無論、彼ほどの術者が、それを忘れるわけも無い、。

 だが、殺生石という力を用いた術が『返った』時の力は彼の想像の遥か上の物だった。

 まして、それは彼の体内に入れた物と対をなすようにした殺生石。

「あおうっ……!」

 体の中が灼ける。

 苦しみ、のたうち回る男の体が、何かにぶつかった。

「己と式に殺生石を埋め込み、それを二つ連ね、力を増す呪とは……無茶な事をなさいましたなァ」

 苦しくて上げた顔に、白っぽい顔が見えた。

「み……くず?」

「あい、おひさしゅう」

 彼女は、彼が吐瀉し続ける、かって殺生石だった赤い液体にも頓着せず、彼の前に立ち、頬にその白い手を伸ばした。

「お辛いでしょなァ」

 どこかうっとりとした様子で、その白い手を紅の中に浸して掬い。

「ああ、美味し」

 彼女は舌を伸ばして、それをちろりと舐めた。

「貴様……」

「あの石、元は血ですからなァ」

 ぺろり……ぺろり。

「血は、己が巡る体を求める物でしてなァ」

 自ら意思を持つように、蠢く血を、愛おしそうに眺めて。

「その力が目覚めてしまっては、人の器に納めて置くのは無理なお話」

 そう言いながら、藻(みくず)と呼ばれた女性は、男を見た。

「助かりとうございますか?」

「お前……は」

 何か言おうとするが、喉が灼けて掠れた空気が漏れるだけ。

 その空気すら、ざりざりと体を擦られるように辛い。

 だが、彼は口を動かし続けた。

 お前には、こんな力を何とか出来るのか。

「あいぃ」

 夜闇に浮かび上がるその白い顔の中で、赤い口が耳まで裂ける。

 この体には、永きに渡って抑圧され続けた、一流の陰陽師の怨念と欲望と秘術と野心が渦巻き、今やそれに制御できなくなった殺生石……あの方の血が、体を求めて絡みついている。

 ほんに……よう育ちました。

 縋るように見上げる男の顔に頬を寄せ、その耳に口を寄せる。

「助けてあげましょ」

 

 なァ……私の可愛い可愛い玩具。

 そのひ弱な体を捨てて……最後に妾の為に、もう一働きしてくりゃれ。

説明
式姫の庭、二次創作小説になります。
承前:http://www.tinami.com/view/892392
1話:http://www.tinami.com/view/894626
2話:http://www.tinami.com/view/895723
3話:http://www.tinami.com/view/895726
4話:http://www.tinami.com/view/896567
5話:http://www.tinami.com/view/896747
6話:http://www.tinami.com/view/897279
7話:http://www.tinami.com/view/899305
8話:http://www.tinami.com/view/899845
9話:http://www.tinami.com/view/900110
10話:http://www.tinami.com/view/901105
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式姫 式姫の庭 夜摩天 おゆき 天羽々斬 

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