ちょっとだけ予告編! 第5回「夫婦」
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 2018年5月5日土曜日。

 あたしは青木さんの運転する自動車の助手席に小さくなっていた。朝の電話(定時連絡をする約束になっている)で母の見舞いに行きたいと言ったら、最寄り駅まで送ってくれる事になったのだ。

 

 「あの…」

 「なんですか?」

 「何から何まで…すみません…」

 

 あたしは青木さんに世話になっていることが申し訳なくて、すっかり恐縮していた。青木さんにとってあたしは知った人間かもしれないけれど、あたしにとって青木さんは昨日、今日知り合った人に過ぎないのだ。

 

 「別に気にしなくてよいですよ。記憶が戻るまでの話ですし、戻ったら謝らなければならないのはボクのほうですから」

 「え、謝るって…」

 「っと。まあ、それは記憶が戻ったら自然に分かることですから。今は。」

 「あ、はい…」

 

 青木さんがあたしにとって特別な人であることは昨日からの事で推測できる。あたしの電話番号を知っていたし、なんといってもあたしの部屋の鍵を持っていた。

 ただ、“大学生”なあたしは父親以外の男の人にこんなに親身に世話を焼いてもらったことがなかったので、恥ずかしいやら緊張するやら、ものすごく違和感がある。

 

 「じゃあ、帰り、駅に着いたら連絡ください。迎えに来ますから」

 「はい」

 

 走り去る車に深々とおじぎするあたし。ハンドルを握る白いシャツの眼鏡青年の横顔が、なんだか胸に残った。

 

                  *

 

 「母さん!」

 「あれあれ、絵美じゃん。どうしたの」

 

 大学病院の3階、一般病棟の病室。6人相部屋の窓側のベットに母はいた。上体を起こし、ファッション雑誌を眺めている。

 

 

 「だいじょうぶなの?母さん」

 「『だいじょうぶなの?』、って、絵美、2日前に会ったばかりじゃない」

 「あ、えと、その後の経過はどうかなって…」

 「何言ってんのよ。たかだか過労と初期の胃潰瘍で大げさねー。もっとも胃潰瘍のほうは、あんたがしつこく検査受けろって言ってくれたおかげで、ほんの小さいうちに見つかったわけだけど…絵美?」

 「よかったあ…」

 「どうしたのよ、あんたなんか変よ。何かあったの?」

 「う、ううん、何でもない」

 

 安心した。どうやら大きな病気ではないみたい。

 

 

 「連休前の仕事のスケジュールがきつかったからね。ここじゃアレだから、屋上いこっか」

 「うん」

 

 広がる青空。気持ちの良い風が流れる。母さんと一緒に手すりにもたれて眼下の街並みを眺める。

 

 「点滴受けなきゃいけないから、病院にいるけれど。ホントなら家に戻りたいんだけどね。」

 「父さんは?」

 「お爺ちゃんの田植えの手伝いよ。夕方にはいつも顔出しに来る。」

 「学校の仕事もあるのに、毎年よくやるよね。」

 「まあ、母さんを嫁にもらう時の約束だからね。もっとも、お爺ちゃんもあの時のノリで言っちゃったみたいな約束だけど。」

 

 父さんは某高校で現代国語の先生をやっている。母さんとの“なれそめ”は、母さんの通っている高校に父さんが教育実習でやってきたのがきっかけ。母さんの一目惚れで、いわば押しかけ女房。田舎なので、はねっかえり娘が強引に…というのも世間体が悪いから、形だけは父さんが結婚を申し込んだことになっている。弱すぎるぞ、父。

 

 「青木さんは?」

 「え、え、あの、ええと…」

 「何照れてるのよ。もうそんな仲じゃないでしょ?」

 「え、ああ、うん。」

 

 急にスキを突かれてドギマギするわたし。“そんな仲”じゃないのか!

 

 

 「今朝、ここに来るのに駅まで送ってくれたんだ。帰りも迎えに来てくれる。」

 「そう…」

 

 ふふっ、と笑う母さん。

 

 「今だから言うけどね…」

 

 母さんは遠くを見ながら続けた。

 

 「母さんが父さんを選んだのは、特に大きな理由はなくてね。いわゆる女の勘ってやつかな」

 「勘?」

 「そ。最初に教室に入って来た時、白いシャツがまぶしくてさ。それ見ただけで、父さんのこと分かっちゃった」

 

 なんと、直感的。

 

 「結構、馬鹿にならないのよ女の勘。うまくいってるでしょ?父さんと母さん。」

 「う、うん」

 

 確かに、そうではある。父さんは有名な愛妻家で、近所の奥様方に羨ましがられているのだ。

 母さんは伸びをしながら言った。

 

 「あんたも、自分の直感を信じていいと思うよ。母さんの子なんだからさ」

 

                  *

 帰りの駅のホーム。

 

 「白いシャツ、か…」

 

 ぼんやり考えながら、あたしはつぶやいた。

 と、ピンクの携帯が鳴り出す。

 あわててバッグから取り出すあたし。

 

 「もしもし」

 「やほー。どう?勉強してる?」

 

 女神さまの声。

 

 「えっと…あの…」

 「お母さんに会って来たんでしょ。いい話、聞けたんじゃない?」

 「いい話?」

 「そう、白いシャツ。」

 「“白いシャツ”がいい話なんですか?」

 「そうよ。一目見ただけで、お母さんは人生の伴侶を見分けちゃったのよ。一瞬で。」

 「はい…」

 「そんな人生を変える“一瞬”なんて、時の女神様から言わせれば、人生の中でゴロゴロしているものよ」

 「ゴロゴロですか。」

 「そう、アンテナ張り巡らしていないと見落としてしまう“一瞬”がゴロゴロ。『人生面倒くさい〜』なんて言っているヒマなんてないよっ。」

 「…」

 「じゃあ、これから一風呂浴びてくるわ。」

 「“一風呂”って、天国にお風呂もあるんですか?」

 「もち。温泉よ、温泉。言うじゃない。『極楽、極楽』って。」

 「はあ…」

 「それじゃあねー。」

 

                  *

 

 帰り道。

 助手席であたしは来る時よりさらに小さくなっていた。

 

 「どうしたんですか?病院で何かあったんですか?」

 

 優しい声にますます小さくなる。あたし、確実にこの人の事、意識してる。

 

 「はい…母、元気みたいでした。」

 「よかったですね」

 

 母娘とも“白いシャツ”に縁があるのだろうか。

 

 「今度は自分の事、心配してくださいね。」

 「は、はい…」

 

 あたしは赤くなっている顔を見られないよう、視線を水田の広がる窓の外へやった。

 

 

              次回「来襲」へ続く

 

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病院に母を見舞いに行くあたし。そこで聞かされたのは
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