夜摩天料理始末 17
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 夜の中、それより深い闇が襲い来る。

 ひょーひょーと細く不気味な鳴き声を上げながら。

 風を巻き、木々を蹴立てて、迫りくる。

(クソッタレが、攻撃が見えねぇ!)

 さしもの羅刹が口を開く余裕も無い。

 それ程に鵺の攻撃が激しい事もあるが、もう一つは、呼吸のたびに、折れた肋骨が痛む故でもある。

 羅刹の動きが鈍い事を悟り、仙狸が自分に攻撃を引き寄せている事も、羅刹にしてみると、自分の不甲斐なさを罵りたくなる。

 

 捉えどころなく動き回る煙の塊。

 その中に身を顰める巨獣。

 巨躯から繰り出される、早く鋭く重い攻撃。

 

 どれか一つなら対処も出来ようが、全てが一つになると、その力は相乗され、恐るべきものとなる。

「しま……っ!」

 突進だと思い、横に跳んで躱した仙狸を襲った、横殴りの攻撃。

 それを躱し損ねた仙狸が慌てて翳した槍が半ばから砕け、小柄なその体が弾き飛ばされた。

 見上げた羅刹の視線の先で、力を失った仙狸の体が、鮮血と共に空を高く舞う。

「仙狸姐さん!」

 羅刹の悲痛な叫びにも、仙狸の反応は無い。

 あのままでは受け身が取れないまま地に叩き付けられ、鵺に止めを刺される。

「よくも!」

 成算があった訳では無かった。

 ただ、奴の仙狸への次の攻撃を阻止する、羅刹の頭をその時占めたのは、それだけ。

 それが、痛む体を衝き動かす。

 その姿は相変わらず、目では捉えられない。

 だが、彼女は鵺の攻撃を受けた経験があり、そして、仙狸が攻撃を受けた一瞬を見た。

 怒りに燃えた戦鬼が、自身の全霊を掛けて破壊するべき対象を見出した今。

 その、最高に研ぎ澄まされた感覚と、彼女が戦場で積み重ねた経験が、それを見せてくれた。

 

 奴は、素早い仙狸を捉えるために全力で突進し、そこから些か無理な姿で逆手気味に前脚の一撃を放った。

 右前脚を踏ん張り、左前脚を体脇に振り切った、本来、獣はやらない無理な姿勢からの攻撃。

 そんな、本来はあり得ない動きだからこそ、さしもの仙狸が虚をつかれた。

 だが、全ての無理には代償が伴う。

 巨体と、それに伴う重量が、姿勢を崩した事で力の均衡を失い、次の動き出しを阻害する。

 その様が、羅刹にははっきりと見えた。

 

「喰らえっ!」

 羅刹が、手にした斧を最小の動きで煙の中に投げつけた。

 唸りを上げて飛んだ、重厚で鋭い鋼が、肉を断ち、骨を食む。

 その、ズシリと鈍い音が煙の中から確かに聞こえ、同時に、ぐむ、と痛みを堪える唸りが煙の中に木霊した。

「人の頭で獣の体動かすからだ、馬鹿が」

 鵺の殺意が仙狸から逸れ、明確にこちらを向くのが、煙を通して伝わってくる。

 だが、圧倒的なそれを受けて、羅刹はなお、ニタリと笑って見せた。

 そうだ、掛かってこい。

 挑発するように、立ち回りで乱れた髪を掻き上げてから、体を半身に構え、右手を握り締める。

 体術一つで、あの攻撃、捌けるとは思っていない。

 痛みを堪える低い唸りが、鳥が相手を威嚇するような、夜気を引き裂く高い叫びに変わる。

「鳴く声鵺にぞ似たりけるってか……」

 ひょーひょーと鳴り渡る、不吉な響きの声に、羅刹は顔をしかめた。

「かすり傷程度で、不景気な声で喚くんじゃねぇよ、オカマ野郎が」

 口ではそう挑発しながらも、羅刹は無論、目の前の強敵を、いささかも過小評価はしていなかった。

 だが、例えこの体の半ばを、あの腕に引きちぎられ、食い切られようと……。

 それは同時に奴に対して、確実に攻撃が届く間合い

「来いよ、テメェ如き、ウチの素手で十分だ」

 来い、怒りに燃え、素手のウチに対して、勝利を確信して突っ込んで来い。

 ウチの命と引き換えに、あのエテ公ヅラがひん曲がる位の、渾身の一撃をくれてやる。

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「ばーちゃん、居る〜?」

 三途の川にはそぐわない呑気な声に、奪衣婆は顔を上げた。

「おやおや、直々にお越しとはねぇ、何だい、活きの良い亡者の肌身でも拝みに来なさったかい?」

「死んでいるのに活きが良いとはこれいかに」

「刺身の鮮度を問うがごとしってねぇ、ほれ抵抗するんじゃないよ、ひん剥くのが、猶更楽しくなっちまうじゃないか」

 ひゃっひゃっと、些か下品な笑いを響かせながら、彼女は亡者から慣れた様子で着物を剥いで、傍らの木に、その衣を掛けた。

 その枝が大きく撓むのを見て、閻魔が微妙な表情を浮かべるが、特にそれに関しては何も言わずに肩を竦めた。

「ほい、これで良しと、何だいその顔は……褌までとりゃしないよ、とっとと、そっちの三途の川の渡し場に行きな。ああもう、とぼとぼ歩かないでしゃんとしな、しゃんと、富めるも貧しきも、猛きも弱きも、死んだらみんな裸一貫やり直しと考えりゃ、しょぼくれる事もねぇだわさ、ひゃっひゃっひゃ」

 世上では、三途の川岸に居て、六文の渡し賃が払えない亡者から、渡し賃代わりに衣を奪う鬼婆と言われるが、実際はこうして、人の俗世での執着を奪い、冥府の法廷へと誘う歴とした役割を担う者。

「で、閻魔の嬢ちゃん、次の男、若くて中々器量も良さそうだけど、ひん剥いてくかい?」

「ばーちゃんのささやかな愉しみ奪う程、落ちぶれちゃ居ないわよ、第一あたしゃ煎餅食べてる方が良いし」

「相変わらずだねぇ」

 先ほど剥いだ服を木から外して、奪衣婆はそれを綺麗に畳み、行李に納めた。

 これは衣の形をしているが、実はそうではない。

 魂に元より衣服など存在しない……ただ、その羞恥や虚栄、あるいは、隠したい悪行や内面を隠すために、衣の形をとる、いわば心の鎧。

 その虚飾虚栄を剥ぎ取り、ただ一個の裸の人間にして冥府に送る……それが彼女の仕事。

「さっきの男、あんまり宜しくない生き方してたみたいね」

「さっきから来る亡者来る亡者、みんなこんな感じだぁね、血と涙、恨みと嘆きがべっとり付いてて、重いったらありゃしない」 

「そんなのが次々とねぇ、戦でもあったのかしら」

「さてねぇ、娑婆じゃ人や妖の戦三昧みたいで、最近ずっとこんな感じだけど、いずれにせよ、三途の川の渡し賃も持たせてもらえないようじゃ、凡そ碌な生き方してないんだろうけど」

「手元に六文あるなれば、われこの世にて酒の川渡る……だっけね」

 娑婆の戯れ歌を、妙に良い声で一節唄った閻魔に、奪衣婆はわざとらしく手を打った。

「ひゃっひゃっひゃ、まぁ、そんな刹那的なのばっかりだから、あたしの稼業もはかが行くってもんだよ……ほれ次、とっととおいでな、取って食いやしないからさぁ」

「別の意味で『食われる』かもしれないけどね」

「そりゃ良いねぇ、美味しそうだ」

「食われても減る訳じゃないから、少しばーちゃんの若返りに協力してやってねー」

 胸乳を露わにしたやせこけた強欲そうな老婆と、その傍らでまぜっかえす、位の高そうなきっちりした服を纏う美女という、妙な取り合わせの二人の言葉におびえながら、亡者が奪衣婆の前に進み出る。

「……あの、渡し賃ですよね、俺六文持ってますけど」

 その手の上の永楽銭や宋銭を見て、奪衣婆は顔をしかめた。

「何だい、つまんない、少しはこの婆を悦ばせようって気は無いのかねぇ」

 ひったくるようにその銭を奪い、奪衣婆は骨と皮しかないような手を、蠅でも追うように打ち振った。

 その手に追われるように出ていく男の背を、不満そうに見送る奪衣婆の横顔をニヤニヤしながら眺めていた閻魔が、軽くその肩を叩く。

「まぁまぁ、定まった送りをしてもらったようなのまで毒牙に掛けなさんな」

「まぁねぇ……」

 肩を竦めた奪衣婆が、その六文銭を丁寧にしまった。

 これは、物質的な銭では無い。

 死者を送り、その死後の道中の無事を、忍ばせた銭に託した、死者を悼む生者の祈りの形。

「所でさ、ばーちゃん」

「何だい、お嬢?」

「次の子とお愉しみが終わったらで良いから、ちょいと『あたし』の相談乗ってくれない?」

 閻魔が身に纏う法服の胸を軽く叩く、それを見た奪衣婆がその表情を改めた。

「……畏まりました、早急に区切りをつけます故、暫しお待ちを」

「何をらしくない顔してんのよ、ゆっくりしてて良いわよー、今日の冥府の法廷は一人の審理に費やすから、あんまり新人送られても困るしね」

「左様で」

 神妙そうにそう呟く奪衣婆に、ひらひらと手を振りながら、閻魔は背を向けた。

「あたしの事は気にせずごゆっくりね、その辺でぼけーっとしてるから、終わったらちょっと時間頂戴」

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「来たか……」

 鞍馬が傍らに置いた羽団扇を手にして空を睨む。

 本当に幽かなそれは、来るだろうと思って居なければ、とても察知出来なかった程に微弱な物。

 だが、この妖気は間違いない。

「どうしたノ、クラマ?」

 泣き疲れて寝ていたと思っていたコロボックルが怪訝そうな、だが緊張した面持ちでこちらを見上げる。

「敵だよ、コロちゃん……すまないが、飯綱君達を起こしてきてくれるかな?」

「……わかったヨ」

 幼く見えるが、彼女もまた百戦錬磨の式姫である、無駄に何かを聞き返す事無く、パタパタと奥の間に走っていく。

 鞍馬もまた、他の皆を起こしに行こうかと腰を上げ、手を掛けようとした衾が先に開いた。

「敵です、軍師殿」

 衾の向うに、既にたすき掛けの上、刀を腰にした臨戦態勢で立つ式姫の姿があった。

 凛々しくも、黒衣に濃い緑と紫をあしらった装束を纏う、どこか妖しい美しさが匂う剣士。

 その彼女が、鞍馬もまた、普段通りの服装に、彼女の力の象徴である羽団扇を手にしているのを見て、頷いた。

「失礼、お気づきでしたか」

「ああ、君も流石だね、蜥蜴丸」

 鞍馬の賞賛の言葉に、蜥蜴丸は苦い顔で頭を振った。

「……気が付いたとて何になりましょう、主殿がご不在では、私はまだ十全には戦えませぬ」

 かって、彼の祖父の佩刀だった彼女。

 彼の祖父が、建御雷の神威の雷光に撃たれた時、彼を護ろうと盾になったが故に、その力の大半を失い、倉で眠っていた彼女。

 それを目覚めさせたのが、今の主。

 蜥蜴丸が彼に憑依し、その卓絶した剣技と力を貸し、彼が妖怪が跳梁する戦場でも戦えるように助ける。

 その代わりに、蜥蜴丸は彼の……正確には彼と一体化したこの庭の霊力を、その身に浴びる事で、力を取り戻す。

 そんな共助関係の末に、蜥蜴丸はようやく往時の姿と力を取り戻して来ていたが、本来の彼女からすれば、まだ力不足は否めない。

「主殿の枕頭で彼を護ってくれ……それが佩刀たる、君の役目だ」

「判りました」

 戦えぬ己の不甲斐なさを憎むかのように、強く手を握りしめた蜥蜴丸が、半歩、身を引いた。

「私たちは館の防備で手一杯になるだろう……彼の事、頼む」

「はい」

 蜥蜴丸の肩に軽く手をやりつつ、鞍馬は縁側に出て、思わず息をのんだ。

「君らは」

 既に武装を整え、彼女たちはそこに居た。

「何故」

 この庭に陣を張った私ですら、かすかにしか感じなかった敵の気配を、それより先に皆は感じ取ったと言うのか。

「見くびってもらっては困りますわね、鞍馬さん」

「狛犬が突撃の匂いを逃すわけ無いッス」

「この庭と、ししょーの次に長く付き合ってるアタイらだぜー」

「巡る季節の息吹を感じながら、この庭を丹精してまいりました」

「ご主人様と共に、私たちが育てて来た、子供のような物です」

「私達のだーいすきな、式姫の庭だからねー、危ない時にはね、庭が教えてくれるんだよ」

 白兎の言葉に、皆が一様に首を振る。

「という訳です、さて、鞍馬さん、私たちの大事な場所を護るため、迎撃の指示を」

「木々や花々を護る必要が有るんだから、きっちり頼むわよ……まぁ、ついでだけど……あいつも」

 最後の方はごにょごにょと言葉を濁しながら、そっぽを向くかやのひめと、凛として、だが穏やかに鞍馬に微笑みかける狗賓の主従。

 他にも、この庭に集った式姫達が、同じような表情で、鞍馬の指示を待っていた。

「そうか」

 隠者の生を捨て、再び戦乱の巷に身を置いた……私の決断は、間違っていなかった。

 

「では手配りを……先ず悪鬼君と狛犬君は、一度外に出て待……」

「外!突撃するッスか?突撃ッスよね?」

「よっしゃ、取り敢えずぶん殴るんだな?やっぱ軍師のねーちゃんだ、話が判るぜ!」

「……天狗君と天女君も二人についててやってくれ、案山子殿の畑を経由して外の物見の丘まで移動し、待機していて欲しい。攻撃開始の合図は青火二筋」

「あ、あははは」

「承知しましたわ」

 微苦笑を浮かべる天女と、苦虫を噛み潰したような顔の天狗を横目で見て、悪鬼と狛犬が口を尖らせる。

「あんだよー、ぶん殴らねーのか?」

「お預け嫌いッスー」

「このバカ悪鬼!鞍馬さんが良いと言う時まで、待つ程度出来ませんの!」

「まぁまぁ、天狗ちゃん……ねぇ、悪鬼ちゃん、狛犬ちゃん、攻撃が一番相手に効く瞬間ってあるわよね、その合図を鞍馬さんがしてくれるって事なの、それまで外で待てるわよね?」

「うー、仕方ねぇ、軍師のねーちゃん、早い所たのむぜー」

「突撃したいッス……けど狛犬は偉いから、我慢できるッス」

「済まないね、では、白兎君と小烏丸君だが……」

 

 

 てきぱきと指示を始めた鞍馬と、その指示に対して遅滞なく動き出す式姫達の姿を、熊野は僅かに離れた所から見て、深く頷いた。

 

 医者として、患者の命を保つ事は出来る。

 だけど、それだけでは、意思ある者が「生きて」いるとは言わない。

 

 ここには、命があり、生がある。

 それを愛おしむ心と、守り、育もうという意思と、それを大事に思う気持ち。

 そして、それを超えて尚、己の魂と命を危機に晒し、燃やし尽くしてでも、何かを成し遂げようとする情熱が。

 今や、世界から失われてしまったかと思っていた営みが、まだこの場所には残っている。

 熊野にも、今は良く判る。

 あの旧知の大天狗二人や、これだけの数の式姫が、契約に依らず、この庭に集い、命を賭してでも、それを護ろうとする理由が。

 

「まったく、おつの君め、人を厄介な所に引っ張って来てくれた物だ」

 言葉とは裏腹に、熊野は笑みを浮かべて歩き出した。

 戦場に立つ事には、何らの喜びも無いが、今、熊野の心には、幾久しく感じる事のなかった高揚感が漲ってきていた。

 

「おーい軍師のねーちゃん、私にも指示を頼むよ」

「熊野?!」

 思わぬ旧友の言葉遣いに、珍しく目を白黒させる鞍馬に笑いかけながら、彼女はその肩を叩いた。

「守るぞ、鞍馬」

 この地が示す命の輝きを。

「熊野……」

 ふと胸を衝かれたように、鞍馬が口ごもる。

 ややあって、鞍馬は手を上げて、肩に置かれた熊野の手に自分の手を重ね、強く握った。

 少し痛い程の……その万感込めた強さが、熊野には心地よかった。

「……ありがとう」

「気にする事は無いよ、これは」

「これも医者の務め、かい?」

 鞍馬の言葉に、熊野は涼しい笑みを浮かべて、首を振った。

「いいや、これは医者の喜びという奴さ」

説明
式姫の庭二次創作小説です。

承前:http://www.tinami.com/view/892392
1話:http://www.tinami.com/view/894626
2話:http://www.tinami.com/view/895723
3話:http://www.tinami.com/view/895726
4話:http://www.tinami.com/view/896567
5話:http://www.tinami.com/view/896747
6話:http://www.tinami.com/view/897279
7話:http://www.tinami.com/view/899305
8話:http://www.tinami.com/view/899845
9話:http://www.tinami.com/view/900110
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