真・恋姫†無双 〜夏氏春秋伝〜 第百四十六話
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日も落ち、両軍ともに退いて行った後のこと。

 

連合側が本当に動く気配が無いかを確認させるための見張りを立てながら、トップ陣は被害状況と戦果の共有を行っていた。

 

ところが、今その軍議の場は困惑に捉われていた。

 

困惑しているのは主に軍師達。

 

その原因はと言うと。

 

「秋蘭様、もう一度だけお聞きしたいのですが……本当に死傷者の数はそれで合っているのですね?」

 

稟が困惑の表情を隠せぬままに問い掛ける。

 

一方で答える秋蘭は平静なままだ。

 

「うむ、間違い無い。私の部隊と凪の部隊、合わせての死傷者は先ほど報告した通りのものだ」

 

秋蘭からの報告内容。そこにあったものは、死者百人以下という、あまりに信じ難いものであった。

 

対して負傷者の数は普段より多いくらいなのだが、こと重傷者に限っては死者数と同じく非常に少ない。

 

これはどういうことなのか。軍師達の理解を超えた状況なのであった。

 

ただ、桂花だけは全てを理解していた。

 

秋蘭を配置した右翼、つまり敵の左翼には関羽が出張って来ていたことは既に報告が挙がっている。

 

加えて、軍師の中では桂花しか知り得ない情報として、関羽の下には一刀の部下が潜り込んでいる。

 

緒戦の様子見のためか、関羽自身は攻め込んで来なかったとのこと。

 

となれば、あの男、周倉に白羽の矢が立った可能性が高い。

 

そして、周倉は秋蘭を知っている。

 

恐らく、二人して演技したのだろう。”激戦という演技”を。

 

予め知らされていたわけでは無く、策であったわけでも無い。それでも、これだけの情報が出揃っていればその推測に辿り着くのは桂花にとって容易なことであった。

 

むしろ、どうやって他の者たちを納得させるべきか、そのことを悩むくらいなのだ。

 

桂花はどうにか筋道の立つ作り話を考え、それを自身の推測という形で語ることにした。

 

「確かに、余りにも被害が小さいわね。それは相手も同じでしょう。

 

 けれど、こういうものなのかも知れないわね」

 

語り始めた桂花に軍師達の疑問の視線が集まる。

 

それらをぐるっと見回してから桂花は続けた。

 

「互いが互いを警戒し過ぎて慎重になり過ぎたとも言えるこの戦。

 

 まだ一日目だとは言えど、ぶつかったのは互いの両翼の前線部隊だけだった。それも、本気では無く、ほぼ様子見だけで終わっているわね。

 

 これほどまでに警戒と慎重を重ねに重ねなければいけない規模の戦の経験が、貴女たちにあるかしら?私は無いわ」

 

「むぅ〜。確かに桂花ちゃんの言う通りですね〜。

 

 風も寡聞にして聞いたことがありませんので〜。もちろん、経験したことも無いですね〜」

 

「風に同じく。むしろ、三国が国力の全てをぶつけ合うような、これほどの規模と陣容の戦など、歴史に類を見ないのでは無いでしょうか?」

 

風が、稟が、続け様に桂花に同意を示す。

 

「私も経験が無いわね。と言うより、私は魏に来て一刀に対処してもらうまではまともに一軍の軍師も務められなかったのよ。

 

 経験したくとも経験のしようが無かったわね」

 

零も自虐を交えて答える。

 

「ボクも経験が無いわね。大人数が攻めてきたことはあったけれど、それも烏合の衆だったわけだし。

 

 最も警戒が必要だったのは反董卓連合が攻めてきた時ね。ただ、あの時は元より勝てないと分かっていたのだし、警戒の方向が違うわね」

 

「うっ……」

 

思わず呻き声を上げたのは、ここ最近不気味なほどに静かになった麗羽である。

 

麗羽が静かになっていることにもきちんと理由があった。

 

「詠さん、それに月さん。その節は本当に申し訳ありませんでしたわ……

 

 今ならば私にも分かります。あの時の私は欲に目が眩み、あらゆる凶刃を振りかざす悪人でしたわね」

 

かつての麗羽しか知らない者が聞けば、こいつは偽物だと叫び出しそうなほどの言動。

 

そもそも麗羽がこうなった発端は官渡の戦い――火輪隊が董卓軍の復活と共に、”天の御遣い”の絶大なる力を大陸中に見せつけたあの戦いにまで遡る。

 

かの戦いで麗羽は、それまで自身が絶対の自信を誇っていた大多数の有利をいとも容易く引っくり返され、一刀の策によって完膚なきまでに敗れ去った。

 

そこで一度、麗羽の心は根元から折られたのである。

 

これを持ち直させたのが、涙ぐましいまでの斗詩の忠誠心だった。

 

それまでの麗羽は腹心と言えどもぞんざいに扱っていた。

 

しかし、部下と阿吽の呼吸で攻め立てる一刀に敗れ、不甲斐ない姿を晒す自らをそれでも必死に庇おうとする部下の姿を目の当たりにし、考え方を改めさせられた。

 

それから、麗羽は魏において主に文官として仕事をこなして来た。

 

華琳の側で仕事をする傍ら、普段からの華琳の姿を改めて目にすることで、麗羽は悟ったのだ。

 

麗羽と華琳では、支配者としての”格”が違う、と。

 

一見すれば、華琳にも部下をぞんざいに扱っているように見える時がある。

 

だがしかし、華琳は必ず部下を信頼しているのだ。

 

それが決定的な差。

 

麗羽は敗れるべくして敗れたのだ、と理解した。

 

そして、それでも未だ自分が生きていることを幸運に思った。

 

ならば、今度は拾ったこの命を正しく使いたい。具体的には、華琳に協力し、真に大陸のためになりたい、と考えるようになった。

 

そういった心変わりが、麗羽の口から自然と謝罪の言葉を紡ぎ出させていたのである。

 

ただし――――

 

「ああ、いや、別に責めてるわけじゃないのよ。飽くまで事実を言っただけだから。

 

 それに、麗羽にはもう何度も謝られているんだし、もう気にしなくてもいいってば」

 

「そうですよ、麗羽さん。

 

 数奇な運命を辿ることにはなってしまいましたが、そのおかげで一刀さんや華琳さんとも出会えました。

 

 今は、こうして華琳さんと一緒に大陸を纏め上げようと出来ていることに感謝しているくらいですから」

 

そう、麗羽は改心してから既に何度も謝っているのだ。

 

その度に詠や月がもう構わない、と言うのだが、麗羽自身が納得出来ていなかった。

 

ただ、だからといって麗羽に出来ることも少なく、それが余計に謝罪階数を増やす結果へと繋がっているのであるが。

 

「そうは言いますが、やはり私が納得いきませんのですわ!

 

 ですので、いつか必ず償いはさせていただきますので、そのおつもりで!」

 

月も詠も最早慣れたもので苦笑を浮かべて頷くのみ。

 

ただ、このやり取りは桂花にとって好ましい方向に働いてくれた。

 

「まあ、麗羽の話は置いておくわよ。

 

 取り敢えず、私が言いたいことは一つよ。

 

 今日の戦を通して様子見は終わったと考えるべきね。

 

 明日以降はきっと今までに無い激戦となるわ。それこそ、想定外の出来事が降って沸いて来てもおかしくないでしょうね」

 

先程の話題をサクっと終わらせようとした桂花に援護射撃を出したのは、誰あろう華琳であった。

 

「それもそうね。

 

 麗羽、今日のところはそれくらいにしておきなさい。

 

 それと、改めて皆に言っておくわ。

 

 この戦、私たちは何があっても勝たなければならない。そのためには、万難を排して確実に勝利へと一歩踏み込めるだけの策と対策が必要となるわ。

 

 桂花の言う通り、戦は明日以降に本格化すると見ていいでしょうね。

 

 連合の動きについて、どういったものが想定されるのかしら?」

 

その問い掛けを機に、軍議は強制的に前へと転がり始める。

 

この日の連合の布陣と想定される被害。間諜から報告が挙がっている限りの蜀・呉それぞれの錬度。

 

そういったものを考えあわせ、明日の連合の布陣が推測されていく。

 

その中でふと詠が思い出したようにあることを口にした。

 

「そう言えば、今日の戦で不思議に思ったことがあったわ。

 

 ボク達の相手は甘寧の部隊だったわけだけど、向こうの狙いはどうも黄蓋の首だったみたいね。

 

 火輪隊に対する攻撃よりもよっぽど激しい攻撃を受けていたわよ?

 

 時間帯によってはボクらへの攻撃はほとんど無くて、黄蓋の方へと集中していることすらあったのよ」

 

「ふむ。それは恐らく、儂が孫家を裏切っておるからじゃろうな。

 

 あ奴は権殿に心酔しておるが、忠誠を誓っておるのは孫家に、じゃからのう。

 

 宿将とまで呼ばれた儂が裏切ったことが許せんのじゃろうて」

 

「へぇ……

 

 ねぇ、恋。貴女から見て、甘寧の殺意は本物だったのかしら?」

 

「……ん。かなり本気」

 

「なるほどね。恋がそう感じたのであれば、確かに甘寧は貴女を仕留めに掛かっていたようね、黄蓋」

 

黄蓋の返答を聞いた華琳が恋に所感を問う。

 

それは、恋の戦闘中における直感を全面的に信用しているからに他ならない。

 

その答えを以て話を真実だと認めたのだった。

 

「ぬぅ……信用が無いのう」

 

「あら?それは仕方が無いのではないかしら?

 

 貴女の目的は、言ってみれば別の方法でも成り立つのだし、ね」

 

「ふむ、確かにその通りじゃな。

 

 ならばせいぜい、行動で示すしか無いのう」

 

正面切って疑っていると言われたも同然なのだが、老獪な黄蓋はこれを平然と流した。

 

これは華琳の揺さぶりでもあったのだが、そう簡単に尻尾は掴ませてくれないようだ。

 

ただ、それでも構わない。華琳の本命は直後の言葉の中にあった。

 

「ならば、明日以降も貴女には囮として最前線にいてもらうわ。

 

 甘寧を貴女に引き付けられるのであれば、それだけでもかなり楽になるのよね」

 

「お待ちください、曹操さん!」

 

黄蓋を最前線に縛り付ける。それが華琳の目論見だった。

 

しかし、これに待ったを掛ける声が上がる。もう一人の連合からの脱走者、?統だった。

 

「甘寧さんが黄蓋さん憎しで狙うからこそ、黄蓋さんを後ろに下げるのも手かと思われます。

 

 後ろといっても、中衛まで下げるのでは無く、最前線の予備兵力辺りまで、ですが。

 

 話を聞く限りですと、甘寧さんの視界に黄蓋さんを入れつつ、その距離を離すことで、甘寧さんの隙を突いて仕留める機会が増すのではないかと」

 

「なるほど。

 

 ?統の策、貴女たちはどう思うかしら?」

 

華琳は一つ頷いてから魏の軍師達に視線を向ける。

 

これに真っ先に答えたのは風であった。

 

「憎悪の心理を上手く突ければ、良い策になると思いますですよ〜。

 

 もっと言えば、開幕は最前線で甘寧さんが迫るにつれて退くことが出来れば一気に殲滅出来るかも知れませんね〜。

 

 ですが、その際の問題は操船技術となりますので、士元ちゃんの策が現実的ではあるかと〜」

 

「私は反対ね。その策では、恐らく甘寧は釣れないと思うわ」

 

風の意見に否やを唱えたのは零であった。

 

当然、説明を求める視線が集中する。

 

「甘寧の背後には呂の旗が見えたという報告が挙がっていたわ。呉の呂蒙ね。

 

 一刀が特に警戒すべきと考えている将の一人なのでしょう?なんでも、武将として高い実力がありながら、軍師としての実力も高い、とか。

 

 今二人が挙げた策は、対象の思考を制限する状況を作り出して、偏らせた思考と行動によって誘い込むもの。

 

 もしも対象の横かすぐ後ろで冷静に全てを見つめる者がいた場合、策の成功率はガクッと下がるわね」

 

「むぅ……確かに、零ちゃんの言う通りですね〜。

 

 明日以降も甘寧さんの側に呂蒙さんがいるならば、まず成功しないと見ておくべきでしょうね〜」

 

風があっさりと意見を翻した。

 

この辺りが風の恐ろしいところではあるのだが、今は話題が逸れるため割愛する。

 

さて、この流れに焦ったのは、最初にこれを言い出した?統である。

 

いかなる思惑によってか、先ほどの意見を通したいようだ。

 

「はい。皆さんの仰る通りです。確かに、呂蒙さんが甘寧さんの近くにいると、策が成らない可能性は高いと思います。

 

 ですが、ならば、呂蒙さんをそこから引き離せば良いのではないでしょうか?」

 

「何か考えがあるみたいね。言ってみなさい、?統」

 

自信有り気な様子でそう提案した?統。

 

華琳が代表して促しを口にしたが、多くの者が同じことを考えていた。

 

つまり、魏の面々からすれば、この状況下で呂蒙だけを動かせる策を思いつかなかったのである。

 

「情報を流しては、と思います。明日のこちら側の陣容についての情報の一部を」

 

その言葉を聞き、幾人かは?統の考えを悟った。が、その上で渋い顔を作る。成功率が低い、と考えたのである。

 

「こちらは右翼を厚くします。

 

 私が今まで得られた情報とこちらに来てから目にした限りの情報を照らし合わせて考えますと、北郷さん、夏侯淵さん、火輪隊の皆さんと司馬懿さんを右翼前線に配置するのが最良かと。

 

 左翼には黄蓋さんと徐晃さん、それに楽進さんを。

 

 夏侯惇さんには左翼の後ろで予備兵力として待機していただき、戦況が思わしくない場合に即座に助太刀に入れるようにすれば万全かと思います」

 

「それは賭けになるのではありませんか?」

 

そう苦言を呈したのは稟である。

 

「?統殿の考え方は理解しました。呂蒙のいない翼の知将の層を厚くすることで呂蒙を寄せようというものでしょう。

 

 ですが、実際に連合が本日と同じ陣容で明日も来るとは思えません。

 

 最も恐ろしいのは流した情報を意に介さず、全く異なる陣形を組んで来た場合です。

 

 それ次第では戦況が一気に不利に傾くようなこともあるでしょうし」

 

「そうね。それに、さすがに前線に戦力を固めすぎよ。

 

 中衛、後衛にもっと余力を残しておかないと、いざと言う時に必要な部隊が動かせなくて柔軟な対応が出来なくなってしまうわ」

 

桂花もまた稟の意見に同意する。

 

理論派の二人らしい、堅実な意見であると言えた。

 

「そうは言いますが、桂花ちゃん、稟ちゃん。士元ちゃんの意見も一考の余地はあるかと思いますよ〜?」

 

ここで再び、風が波紋を生じさせる。

 

「尤も、そのためのはぁどるは随分と高いようなのですが〜」

 

と、余計な波紋も生じさせるのは風のご愛嬌。

 

当然のごとく、?統と黄蓋は頭上に疑問符を浮かべる。

 

多少意外だったのは、魏の面々は風の言葉をすんなりと理解していたことか。

 

風の記した『天界語録』の普及具合が垣間見える一場面であった。

 

さて、話を戻すと、風の言葉に反応を示したのが零であった。

 

「策を推し進めるに当たっての最大の障害は、連合の策が不明であるということね。

 

 逆に言えば、そこさえはっきりしていれば?統の呈した策で一気に有利に持ち込める可能性も高いのだけれど。

 

 その辺り、何か根拠はあるのかしら、?統?」

 

「連合は知っての通り、蜀と呉が共に魏と戦うために急遽作り上げたものです。

 

 そのため、当然と言えば当然ですが、両国間での連携があまり上手く取れておらず、基本的には左右を分担する、ということで話が進んでおりました。

 

 ですので、敵右翼に甘寧さん、そして恐らく呂蒙さんも、明日再び配置されているものと思います」

 

「ふむ。確かにそういう話で纏まっておったようじゃな。

 

 儂も右翼の最前線を打診されておったのを思い出したわ。実際、今日思春らがおったのは右翼じゃったしのう」

 

零の言葉から先ほどの不明な言葉を意味を察し、?統の疑問は解消された。そのため、淀み無く根拠を答える。

 

これに黄蓋も同意を示したことで、確かに一定の根拠とはなるだろう。しかし――

 

「それだけじゃあ、ちょっと弱いわね。

 

 今日の配置は様子見だという可能性もあるのよ。

 

 両国間の連携がどうしようもないほど劣悪で、予め分担を決めきっておかなければならなかった、ってわけでも無いのでしょう?

 

 諸葛亮や周瑜であれば、必要に迫られれば多少の連携の悪さを補えるだけの策を打ち立ててくるでしょうね」

 

桂花の指摘に、?統は言葉を詰まらせる。

 

桂花は暗に、連合は既に必要に迫られる事態になった、と言っている。

 

つまり、諸葛亮や周瑜が本当に一切の手を打たずに、?統や黄蓋が連合にいた頃のままの策で来る保証はあるのか、と。

 

いくら無知な者だとて、蜀か呉の国に属している者であれば、この問いにはノーと答えるだろう。

 

それだけの能力を、先の二人は内外に広く知らしめているのだから。

 

勿論、それを?統や黄蓋ほどの者が知らない、知らなかったなどとは言えない。

 

それは口にした瞬間、自分たちがここにいることに裏があると自白したも同然のようなものだからだ。

 

それ故、?統は意見を引っ込めるしかなくなった。

 

「確かに…………朱里ちゃん――諸葛亮や周瑜さんであれば必ず手を打ってくるでしょう。

 

 況してや、周瑜さんが今日の甘寧さんの戦いぶりの報告を受けて、黄蓋さんと当たる戦域から外さないわけがありません。

 

 ……申し訳ありません。ここ数日で大きく環境が変わったためか、あまり冷静では無かったようです。お騒がせしてしまいました」

 

「あら、謝ることは無いわよ、?統?

 

 私は考え無しの愚策で無い限り、どのような意見でも発言を許可するわ。

 

 私の頭脳として優秀な桂花や零だとて、いつでも完全無欠の策を用意出来るわけでは無いのだし、ね?」

 

華琳は薄く笑みを湛えたまま?統にそう声を掛けた。

 

?統は軽く礼を述べて頭を下げる。

 

結論が出た以上、これ以上は何を言われても食い下がるつもりは無かったようだ。

 

「さて。これで報告と分析は終わりかしら?

 

 なら、桂花」

 

「はっ」

 

華琳に促され、桂花が話を進める。

 

「それでは、明日の陣容を発表するわ。まずは――――」

 

 

 

そこからの軍議は、陣容の発表、策の細かな修正点、敵将の配置予測と注意点の周知が為され、滞りなく進んでいったのであった。

 

 

 

 

 

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軍議も終わり、日はとっぷりと暮れてしまった。

 

この夜の空模様は芳しく無く、雲が広く空を覆っている。

 

月の光も遮られ、河岸に張られた陣から離れれば、最早真っ暗闇であった。

 

その暗闇の中、ひっそりと佇む一本の木に背を預け、一刀が腰かけていた。

 

何をするでも無く、ただ時間が過ぎていく。

 

暫くすると、一つの足音が聞こえてきた。

 

それは一刀が来た方向、つまり魏の陣とは逆の方向から聞こえてくる。

 

足音の主はある程度まで近づくときょろきょろと辺りを見回した。

 

そして、木の根元に人のシルエット―― 一刀を発見し近寄って来る。

 

「お久しぶりです、北郷様。

 

 周倉さんより言伝を預かり、参りました」

 

一刀の側まで来るなり、その人物は跪いてそう挨拶してきたのであった。

 

一刀の最初の反応は、苦笑であった。

 

「相変わらず堅いな。一刀でいいって言っているのに」

 

「いえ、光栄ではあるのですが、そういうわけにも参りません。

 

 普段よりそうしておりますと、肝心な時に北郷様の真名を口にしてしまいかねませんので」

 

「ん、そうか」

 

相変わらずクソが付くほど真面目な性格をしているな、と一刀は再び苦笑する。

 

が、すぐに一刀の方も真面目な雰囲気を創り出した。

 

「まずは頭を上げてくれ。

 

 長らくの間者仕事を任せてしまっているが、もう少しだけ頼む。全て終わったら、曹孟徳からも褒美を出すよう取り成そう。それまで辛抱してくれ。

 

 それで、今日お前を呼び出したのは他でも無い。頼み事と聞きたいことがあったからだ」

 

「勿体無きお言葉、身に余る光栄です。私のことはお気になさらず。

 

 任務は必ずこなしてお見せします。何なりとお申し付けください」

 

顔を上げたものの、跪いた姿勢は崩さない。その構図はこの場の雰囲気にピッタリと嵌まっているものだった。

 

「まず、頼み事なんだが。こいつを、機を待って周泰に渡してやって欲しい」

 

「承知致しました。それで、機、とは?」

 

「”天の威容”を知らしめた時……解釈はお前に任せる」

 

「はっ」

 

一刀が手渡したそれは、一通の書簡だった。

 

間者は恭しく受け取り、それを懐にしまう。

 

それを確認してから一刀は再び口を開いた。

 

「それと、聞きたいことなんだが、?統と黄蓋が絡んだ策について、詳細を聞きたい」

 

この一刀の質問で、ここにきて初めて間者に困惑した雰囲気が見られた。

 

「それについてなのですが……しゅ――諸葛亮に聞いてみたのですが、はっきりとした回答は得られませんでした。

 

 周瑜も同様です。本当に策なのかも疑わしい状況なのですが……」

 

「何?その二人に近しい軍師からは何か聞き出せなかったのか?」

 

「徐庶と陸遜に当たりましたが、何も知らない様子で……」

 

「ふむ…………」

 

少々予想外の事態に一刀は考え込む。

 

漏れるとまずい策であるのは明白。それ故に必要最小限の人数でのみ策を把握しているものだと考えていた。

 

それは今日の甘寧の憎悪の様子から見ても言えることだった。

 

ところが、諸葛亮ですらはっきりしない、とは一体どういうことなのか。

 

或いは、この策を完全に把握しているのは周瑜一人である可能性はある。

 

諸葛亮はそれに薄々勘付いて合わせているだけなのだとすれば、はっきりとした回答が得られない理由にもなるのだが……

 

「あ、そう言えば周瑜から諸葛亮への伝言が一つありました。内容が奇妙なものなのですが……」

 

「うん?周瑜は何て?」

 

「それが、『明日の朝、東南の強い風が吹くだろう。何が起こっても対処出来るよう、準備をしておいてくれ』、と」

 

「東南の風……」

 

それは赤壁の戦いを少しでも知る者であれば、誰もが聞いたことのあるワードだろう。

 

ただ、一刀が疑問を抱いたのは、何故それが周瑜の口から発せられたのか、という点。

 

史実――否、演義では、諸葛亮が祈祷によって巻き起こしたと言われる、蜀・呉連合が大逆転するための重要要素である((そ|・))((れ|・))。

 

諸葛亮の口から出たならともかく、それが周瑜の口から。そこに、そこはかとなく罠の匂いを感じた一刀は慎重に自身の持つ情報と照らし合わせていく。

 

何か見落としたことは無いか。組み合わせて考えることで意味の逆転してしまう情報は無かったか。

 

しかし、始めたばかりのその深読みの努力もすぐに無駄なものとなった。

 

「さすがに意味が理解出来なかったので尋ねてみたのですが、どうやら明日は雲一つ無く晴れるだろうから、とだけ。

 

 それと、諸葛亮であればこの情報で察するはずだ、とも」

 

「晴れるから……?」

 

周瑜が天気から風向きを読んだのは、恐らく経験則からなのだろう、と予測は立つ。

 

では、何故朝方に、それも南東方向への風だと限定出来るのか。

 

ポイントとなるのが雲一つ無く晴れることなのだとすると――――

 

(晴天……気温…………まさか、”東南の風”の正体は海陸風の切り替わり、なのか?)

 

現代にいた頃、地理の授業で習った内容を一刀は思い出していた。

 

厳密には海では無く河なのだが、これだけ広い河であればほとんど同じようなものだろう。

 

では疑問となってくるのは、何故普段は南東風が吹かないのか。

 

一つの可能性として、地形的な問題から昼夜で余程の寒暖差が生じない限りは起こり得ないのかも知れない。

 

そのため、起こる時は常に”強い”風になるのだと知っていたとすれば……

 

(苦肉の策が成る、か……つまり、周瑜は明日、黄蓋が仕掛けると読んだわけだな。

 

 ……所詮、ここは外史なんだし、この理論は間違っているかも知れない。けど、納得出来る理論があれば、今はそれでいい。後は……)

 

一刀は考え込んで少し落としていた視線を上げる。

 

そして間者を真っ直ぐに見て問う。

 

「一つだけ聞く。お前の間諜行為について疑いが持たれている可能性はあるか?」

 

「蜀内部に限っては、それは無いかと。呉からの印象は何とも言えません。何分、まだ共に行動した期間が短いものですので」

 

「それもそうか。だがまあ、蜀内で疑われている様子が無いのならば問題は無いだろう」

 

一刀が心配したのは、周瑜がわざと誤った情報を流して来た場合のことだった。

 

ただ、元よりその可能性は低いとは思っていた。

 

相手のミスリードを誘うのであれば、先ほどのような曖昧な情報を流すことはしないだろう。況してや、本人が直接など、もっと有り得ないことだと言える。

 

「良し。ならば、?統と黄蓋の策は、明日の朝に決行の可能性が高いな。

 

 なら、必然的に明日の戦で”天の威容”を見せつけることになるだろう。

 

 書簡の件、くれぐれも頼むぞ」

 

「はっ。お任せを」

 

これで必要な用事、情報収集は完了した。

 

「俺からの用件は以上だが、そちらからは何かあるか?」

 

「これと言って特には――――あ、今回の戦より孫堅と馬騰も前線に出る手筈になっております。

 

 本日は様子見の色が強かったのですが、明日はもしかすると……」

 

「なるほど。あれらに出て来られると確かに厄介だな。

 

 分かった。こちらで対処を考えておくとする。二人の配置に関しては何か分かるか?」

 

「申し訳ございません。詳細な配置の決定はこの後に行うこととなっておりまして……」

 

「そうか。いや、不明ならそれはそれで良いんだ。

 

 無理に伝えようとしなくていいから、バレかねない行動だけは慎んでおいてくれ」

 

「は、はっ。畏まりました」

 

変に責任を感じて暴走される方が困る、と一刀は釘を差す。

 

それはしっかりと効いたようで、若干危なかったらしい。

 

兎にも角にも、これが最後の確認となった。

 

悟られないように戻るように、と厳命だけして一刀は間者を帰らせた。

 

それを見送ってから一刀も魏の陣へと踵を返す。

 

 

 

 

 

 

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「お?おおっ!一刀!やっと見つけたぞ!」

 

「おかえり、一刀。

 

 時間があれば少し付き合わないか?」

 

陣に帰ると、出迎えてくれたのは春蘭と秋蘭の姉妹だった。

 

秋蘭は小さめの酒壷を掲げて見せる。

 

一刀は笑みを浮かべて肯定を返した。

 

「いいね。久しぶりに三人で呑もうか」

 

 

 

可能であれば、いつかのように城壁に上って街並みを見下ろしながら呑みたかった。

 

しかし、ここは戦場。そのような場所は無い。

 

せめて静かなところは無いものか、と秋蘭たちが探し当てたのは、陣から程近い河縁だった。

 

その近さ故に人知れず夜襲される可能性も低く、また仮に陣内に異変が生じればすぐに気付くことの出来る位置取り。

 

それでいて人気が無く、今日この日に呑むにはぴったりの場所なのであった。

 

ポイントまで来るとどっかりと座り込み、三人で酒を注ぎ合ってから乾杯する。

 

呑みながら語るは、他愛無いそれぞれの近況の話。

 

時折笑いも起こる、実にリラックスした時間だった。

 

やがてその会話も、種が無くなって来てはポツリポツリとしたものとなる。

 

誰かが話している時間よりも黙って呑む時間の方が長くなってきた頃、ポツリと秋蘭が言葉を漏らした。

 

「一刀が父上に拾われてから何年経ったのか……それほど経ってもいないはずなのに、どうしてかな、随分昔のことのように感じるよ」

 

「ん……あっという間に過ぎてしまったけど、その分濃密な時間ばかりだったからな」

 

「むむ?!それで思い出したぞ!一刀!お前、あの時はやはり手加減していたのだろう?!」

 

「あ〜……あはは。ご想像にお任せします」

 

「いいや、もう私は騙されんぞ!大体、その後の訓練にしてもだなあ――――」

 

随分と唐突な流れからではあったが、それでもいい機会だし、とそのまま思い出話へと流れが移って行った。

 

始めは夏侯家の軍隊から。

 

やがて三人して華琳の旗下に参ずる。

 

徐々に仲間を増やしていき、そして――――反董卓連合、次いで官渡の戦い。魏がその国力を大きく伸ばし、大陸に大きく足を伸ばした大戦の話題へと移る。

 

今話したように、この時期は魏という国にとって非常に大事な時だった。

 

が、この三人にとってはもう一つ大きな意味を持つ時期でもあり――――

 

「む……いかん。少し酔い過ぎたか?何故だか、今更ながらに恥ずかしくなって来たぞ……」

 

「うむ。大丈夫だ、姉者。私も同じだからな。それで、一刀はどうなのだ?」

 

「う〜ん……正直なところ、二人が気持ちを打ち明けて、俺を受け入れてくれた頃からずっと、この大陸で最も愛おしい二人が恋人になってくれたことが嬉しいって気持ちが強くて、ね。

 

 恥ずかしいって気持ちは無いかな?」

 

「む……」

 

「あ……うぅ……」

 

酒の入った勢いもあるだろう。一刀の口は滑らか過ぎるほどに愛の言葉を紡いでいた。

 

秋蘭も春蘭も、これを聞いて真っ赤になる。直前で過去を思い出して気恥ずかしさに襲われていたから、効果は尚更であった。

 

「だああぁぁっ!次だ、次!え〜っと、次は確か……」

 

「次の大きな出来事と言えば、定軍山だったかな?」

 

「う、うむ……」

 

秋蘭がますます真っ赤になる。それは言わずもがな。正確に言えば、その定軍山が切っ掛けで秋蘭が春蘭を嗾け、二人はともに一刀と結ばれることになったからだ。

 

「まあ、あの時は秋蘭の救出に間に合った本当に良かったよ。”天の知識”に心から感謝した数少ない出来事の一つだったな。

 

 それで、その次が西涼の件になるのかな?」

 

定軍山の件はあまり掘り下げない方が良いだろうと判断し、一刀がサラッと流す。

 

秋蘭も春蘭もこれに乗ってきた。

 

この後は特にトラブルも無く、三人の歩みの振り返りは遂に今この時にまで至る。

 

「それで、最後にこの赤壁。もう華琳の大陸制覇は目前。あと一手ってところまで来たってわけだ」

 

力強く頷く二人。

 

そんな二人を見つめていると、一刀はふと問いたくなってしまった。

 

「なあ、春蘭、秋蘭。二人にとって、今何を捨て置いても成し遂げなければならない、二人の中の最優先事項って、何だ?」

 

不意の問い掛けに若干戸惑い気味の様子を見せる。

 

それでも、いつでも思考をシンプルに保っている春蘭は迷い無く答えた。

 

「そんなのは決まっているだろう?華琳様が覇道を歩まれるのを側でお支えし、その成就に貢献することだ」

 

「うむ、姉者の言う通りだ。何を一番に据えるか、と問われれば、それを据える他あるまい」

 

秋蘭もまた春蘭に追随する。

 

そこに迷いは無い。

 

つまり、それが春蘭と秋蘭の、ひいては夏侯家の悲願とも言えるのだ。

 

フッと一刀は笑みを作る。

 

そして、二人に向かってはっきりと宣言した。

 

「明日、赤壁にケリを着ける。

 

 恐らく、その場での全面決着は厳しいと思うけど……

 

 全ては数日中に決するだろう。

 

 俺は、俺の全力を以てこの戦を勝利に導くと約束しよう」

 

「一刀……」

 

勝負は水物。一刀は基本的にこういった断言は行って来なかった。

 

それだけに、その決意の強さを秋蘭も春蘭も感じ取っていた。

 

「なあ、一刀。私からも一つだけ聞かせてくれないか?

 

 どうしてお前は、そこまでする?いや、してくれるんだ?」

 

秋蘭が問う。それは、命をも賭けるほどの覚悟の全てが自分たちの為に向けられているのだと理解出来てしまったため。

 

それに対し、一刀はこの大陸において自身の根底にある事柄を理由とする。

 

「理由なんて単純なものさ。

 

 夏侯家は俺に、この世界での居場所と生きる意味と、そして生きる目的を与えてくれた。

 

 どれも、前の世界では無かったか、極端に薄かったものだ。

 

 これだけのモノを貰った恩に報いるには、己の全てを賭けてもまだ足りないくらいだよ」

 

一刀には誰にも語ったことが無い過去があった。それが、現代における生活模様。

 

風の『天界語録』編纂に協力する時でも、基本的に自身の生活には触れず、一般論だけで話をしていたくらいだった。

 

それだけ触れたくない過去。しかし、夏侯家がこれを塗り潰し、輝く”今”を与えてくれた。

 

それは一刀にとって望外の喜び。命を賭けるに足る恩なのだった。

 

一種の”御恩と奉公”。誰に教わったわけでも無く、一刀の中に根差した武士の源流故に、一刀は今までもこれからも行動するのだ。

 

「なあ、一刀」

 

不意に春蘭が口を開く。

 

彼女に視線を合わせると、間髪入れずに春蘭が再び言葉を紡いだ。

 

「死なないでくれよ?」

 

「……ああ、当たり前だろ?まだまだ二人とやりたいことも沢山残っているんだしな」

 

「うむ!そうだよな!忘れるなよ、一刀!」

 

本当に、春蘭はこういう時の勘は非常に鋭い。

 

命を賭ける覚悟、とは、言い換えれば、それだけの死闘をも視野に入れているということだった。

 

(あの化け物を俺も生きたまま捩じ伏せる、か。はは、無茶を言う……

 

 そんなの、今の俺にだって出来るかも分からないんだよなぁ……)

 

これから明日、或いは数日後の朝まで、苦慮が尽きることは無いだろう。

 

だが、それはある意味で幸せな苦慮だ。

 

(こうなったら、絶対に生き残らなきゃ、だな。まだ何が起こるかなんて分からないんだし……

 

 運命は捩じ伏せられる。それは奇しくも、俺自身が証明して見せてきたことじゃないか)

 

再び静かな呑みに戻った中、一刀は静かに決意をより深く、熱いものにしていったのであった。

 

説明
第百四十六話の投稿です。


赤壁一日目が終わって……
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コメント
>>Jack Tlam様 実際に一刀が蜀に打ち込んだ楔は一本だけですが、その一本が別に用意していた一本を巻き込んで刺さった、って感じですね。原作でもこの外史でも、起こる事件の順番は割とバラバラなので、あの人物を魏側にしても良いかなぁ、と(ムカミ)
周倉は関羽隊、どうやら華雄も一部隊……蜀の頭脳に思いっきり怪しいのが一人いるような気がする。史実的にも魏と直接関係があった二人。片方は程cが強引に引き込んだんだけど、もう一人は……朱里の真名を許されるほどの人物であれば、もうほぼ確定でしょうか。しかし、それで確定だとすると蜀はグッサリやられてるんですね……。(Jack Tlam)
>>nao様 どうやって正体を誤魔化そうかなぁ ⇒ 呼び名の誤魔化し難し…… ⇒ どうせもうすぐ公開じゃい!盛大にバラしたれ! ってな感じで重大ヒントです。正体を探るにはもしかすると描写不足……?大丈夫だと信じたい(ムカミ)
>>本郷 刃様 ここの一刀くんにはずっとこの意志の下に行動させていましたが、思い返してみれば全く説明していなかったなぁ、と。今更過ぎるのはご勘弁を。春蘭、秋蘭は本当に良い姉妹だと思います。真でも英雄譚でも二人の掛け合いにはほっこりさせてもらいました(ムカミ)
朱里の真名呼びできる間者って誰だろう?知った名前が出てきそうだがw(nao)
蜀に及んだ一刀の手は根深いですね、朱理という真名呼びの時点で幹部ですしw あと春蘭と秋蘭との逢瀬も恋姫作品らしくて安心しますw(本郷 刃)
タグ
真・恋姫†無双 一刀 魏√再編 

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