【6章】
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【孤毒の沼地】

 

 

ただ一筋の光 求めて

今旅立つ 君とともに

空の彼方 煌めく花たち

広く 遠く

 

新しい世界が生まれる

 

 

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大きなお屋敷の廊下を、トテトテと元気に走る足音が響いていた。

長い廊下を一生懸命な姿で駆けていく少女。その足音を咎められ、少女は慌てて走るスピードを落とす。

「廊下を走らない!」と叱られ、あわあわと狼狽しながら「ごめんなさい!」と謝罪するこの少女の名を、ダイヤと言った。

 

ダイヤは走らないよう注意しながら、それでも早足で廊下を渡り目的のもの、掃除用具の元へと辿り着く。

よいしょと可愛らしい声を漏らしながらバケツを持ち上げ、ダイヤは側に立て掛けてあった己専用のモップを手に取った。

危なっかしい足取りでバケツを水場に運び、貯めた水にちゃぽんとモップを漬ける。

余分な水を絞った後、笑顔で気合を入れてダイヤはモップを廊下に置いた。

 

「ピカピカにしちゃうわよ!」

 

楽しげにモップを滑らせ、ダイヤは廊下を磨いていく。「大きくて立派なお屋敷」に相応しい、綺麗な廊下となるように。

なんせこのお屋敷の周りはじっとりとした沼地。どれだけ気を付けようとも汚れてしまうのだ。ならばその倍磨いてやろうと、ダイヤは毎日モップを握りしめ掃除に励んでいた。

あまりにも勢いよく磨くものだから、たまに人や物に衝突してしまうのだが、そこらへんはまあ仕方ない。頑張って避けてもらうことにしよう。

 

鼻歌まじりに廊下を磨き上げ、次にダイヤは玄関の掃除を始める。玄関はお屋敷の顔、こちらもピカピカに磨き上げた。

よしと周囲を見渡し、ダイヤはもう一度廊下にモップを走らせる。と途中小さな子鼠2匹と目が合った。慌てて追い回したが隙間に逃げられ見失ってしまう。

不満げな表情を浮かべながらダイヤはふうとひと息吐いた。子鼠には逃げられたが分担場所は綺麗になったとひとり頷き、ダイヤは掃除用具を片付け始める。

おしごと終わり、とダイヤはポテポテと廊下を走り屋敷の主人の元へと報告に向かった。

 

長い廊下を進み、一番奥の部屋へと辿り着く。

主人の部屋の扉をキィと開けば、小難しそうな本を眺めていた主人がダイヤを出迎えた。

ダイヤからの終了報告を聞いた主人は本を閉じ、その本をダイヤに手渡して「それを聖堂の方へ届けて欲しい」という言葉とともに、僅かばかりの小遣いを差し出しながらゆるりと微笑む。

 

「今日はそれを届け終えたらそのまま自由にするといい。ただし、帰りが遅くならぬようにな」

 

主人からぽんと頭を撫でられたダイヤは嬉しげな笑顔で「はい!」と元気な返事で答え本を抱えて頭を下げた。

次のおしごとはお使いのようだ。これが終わったら今日は終わり。あとは自由にしていいらしい。

お小遣いを貰えた、早めの自由時間を貰えた。今日はラッキーな日だとウキウキしながら、大きな本を抱えダイヤは屋敷を後にする。

お使い先は聖堂。ならば友人たちに会えるだろう。

普段は聖堂で遊ぶのだが、この時期は別だ。聖堂で遊ぶより街に繰り出した方が何倍も楽しい。

なんせもうすぐお祭りがある。

そのおかげで街がとても賑やかなのだから。

 

■■■

 

「こんにちは!お届けものです!」

 

聖堂に到着したダイヤは、入るや否や元気な声でお使いを終わらせた。

荷物を受け取ってくれた聖職者に友人たちの所在を聞くと裏庭にいると教えて貰い、ついでに届け物のご褒美とばかりに飴玉を渡される。

ダイヤは笑顔で礼を言い、飴玉ひとつを口に含んでウキウキと裏庭に向かった。

 

飴玉を舐めながら裏庭を覗くと青と緑の小さな聖職者見習いがふたり、コソコソと何か作業している。

不審な二人組が友人だと気付き、ダイヤは怪訝そうな声色で声を掛けた。

 

「クリフとユーグ、何してるの?」

 

「うっわあ!?」

 

ダイヤが声をかけると心底驚いたように青いほうが飛び跳ねる。あわあわしている青いほう、ユーグとは対照に、緑のほう、クリフはのほほんと手を挙げ「あ、ダイヤいらっしゃい」と挨拶を返した。

ダイヤがふたりに近付くとユーグは慌てふためきながら何かを背中に隠す。

「何それ?」と覗き込もうとしても必死の形相のユーグに首を振られてしまった。

無理に見たいわけではないが、隠し事は面白くない。

ダイヤがむうと頬を膨らませているのに気付いたのか、クリフは笑って手をひらつかせた。

 

「気にしなくても大丈夫、ただのカンペですよ。ユーグがお祈りの言葉を覚えられないって言うから」

 

「っクリフ!何で言う…」

 

ボクが教えてそれをユーグがカンペに書いてたところですよ、とケタケタ笑いながら教えてくれたクリフに、ユーグはそれ以上喋るなとばかりに顔を真っ赤にしながら詰め寄る。

その拍子に、ユーグが隠していた紙がはらりと落下した。

その隙を見逃さず、ダイヤはそれを掴み取る。

カンペを落としたことと、それをダイヤに拾われたこと両方に慌てるユーグに背を向けて、ダイヤは紙に書かれた文面を目で追った。

少しばかり長く難しい文面だ。見慣れない、というかあまり聞き慣れない文面。

ダイヤはちょくちょく聖堂に出入りしているからか「聞いたことあるかも?」とは思う。恐らくダイヤが来るたびに聖堂にニャムニャムと流れていたのはこれなのだろう。

つまりどうやらいつも聞いていたアレはこの紙に書いてある文面で、なおかつそれは『お祈りの言葉』だったらしい。

つまりこれは神に祈りを捧げるための言葉なのだろう。

ということはつまり、聖堂で暮らす僧侶はもちろん、聖堂の戦士や騎士たちも覚えていなくてはいけない言葉だということだ。

なんせ、聖堂とは神に仕える人たちがいる場所なのだから。

それをどうやらユーグは覚えられないからと、カンペという小細工で乗り越えようとしているらしい。

若干憐れみの目でダイヤはユーグに向き直り「さすがにこれはマズいんじゃない?」という意味を込め口を開いた。

 

「…あの、ユーグ、」

 

「ち、違います!その、私はこういうのは得意じゃな、ああいやその!だからそう、えっと、いざという時間違えたら困るから!保険みたいなもので!それに私は!」

 

ダイヤの言葉を遮って、ユーグは顔を真っ赤にしながら首を左右に振る。

言い訳の嵐を聞き、ダイヤが多少呆れたような目をしたのに気付いたのだろう。ユーグは慌てて持っていた剣を掲げて「私は戦士ですから!」と胸を張って宣言した。

 

「だから、私は、その、闘ってるときはお祈りしてる暇はありませんから、ええと、覚えなくていいんです!」

 

「……、言うことがめちゃくちゃになってるよユーグ。闘ってるときにも必要だからみんな覚えるんでしょ」

 

言い訳並べてないで早くちゃんと覚えなよと呆れる僧侶見習いと、反論できずぐむむと口籠もった聖堂騎士見習い。

祈りの言葉は精神的安定を与える他に、微力とはいえ怪我を癒す。

魔術といってしまうと彼らは怒るだろう、神に祈ったから神からの恵みの効果なのだと。「魔」ではないのだと。

枠組みとしては「魔力」と言わず「法力」となるのだろうか。

まあどうであれ、この聖堂では身体を癒す力は重視される。それは見習いも変わらない、最優先で覚えるのがこの癒しの力なのだから。

つまりは、未だそれを身に付けていないユーグに対し「とっとと覚えろ」と言うクリフの発言はド正論でしかないのだが、ド正論で図星を突かれると人は怒り出す。

人間、真実を言われると腹をたてるといえば良いのか、痛いとこ突かれて反論出来ないから逆ギレるというのか、まあ、「だから間違えないようにコレを盾の裏に貼っとこうと思って???…っ!私だって頑張っ、頑張ってるんですよ!?でも難しくて!」という涙色と怒色を孕んだユーグの叫び声が全てを物語っているだろう。

頑張っても苦手なことは覚えが悪いし、それを擁護しようとすれば支離滅裂になるものだ。

喧嘩のような喧嘩ではないようなよくわからない小競り合いを眺めつつダイヤは首を傾げ、祈りの言葉が書かれたユーグのカンペを見つめてふたりに問い掛けた。

 

「…おいのりのことばって、こんなフクザツなの?知らなかったわ」

 

「あれ、以前ダイヤも教わってませんでしたっけ?」

 

ダイヤの問いに、クリフがユーグに首元を絞められつつ問いに問いを返す。

少し目を離した隙にふたりは取っ組み合い一歩手前にまで進行していたが流すことにした。

確かに、はじめてここに来たときに聖書のようなものを渡され、ふんわりとそれっぽい言葉を教わったような記憶はある。

あるけれど、とダイヤはさらりとこう答えた。

 

「んー…、前『ダイヤちゃんが微笑んでくれたら元気になるよ』って言われたから、それでいいのかなって。こういうのは笑うだけでいいと思ってたの。違うのね?」

 

「!?」

 

「は、ぁ!?」

 

喧嘩を忘れて目を丸くし絶句したクリフと、喧嘩を忘れて目を丸くしながら「……ダイヤ。それ言ったひとにはもう近寄っちゃいけません…」と注意したユーグに挟まれダイヤは更に首を傾げる。

やはり何かいけなかったらしい。

まあよくよく考えれば、神に祈るべき行為なのに笑っただけで済ましていたなんておかしな話だ。

件の人は微笑んだら本当に元気になっていたから、これでいいと思っていた。

勘違いしていたのを恥じらいつつ、ダイヤはふたりに向かって微笑む。

 

「そっか、違ったのね。…また今度ちゃんと教えてくれる?」

 

「…は?え?…ああ、それは、構いませんが…」

 

クリフがそう答えるとダイヤは嬉しそうに「よろしくね!」と笑顔を咲かせた。

そのままユーグのほうに顔を向け「ユーグも、私は何も知らないからいろいろ教えてね」と笑みを浮かべる。

勢いに押されユーグがこくりと頷けばダイヤはまた嬉しそうに微笑み、「今日はもう終わりでしょ?街に行かない?お勉強は明日から!」とふたりを誘った。

 

「じゃあ、あっちで待ってるから早く来てね!」

 

そう言葉を残しダイヤは裏庭から去っていく。

パタパタと立ち去るダイヤの背を見送りならがも、残されたふたりは固まったままだ。

ダイヤの姿が完全に見えなくなった頃、クリフがため息を吐きながらぽつりと呟いた。

 

「…ねぇユーグ。ボクはダイヤに『変な人の言うことを信じるな』から教えるべきだと思いますか?それとも『変態に近寄るな』から?」

 

「私に聞かないでください…」

 

どうしたもんかな、とクリフはぼんやりと空に目を向ける。

湿気った風がひゅるりと吹いて、悩むふたりの肌を軽く撫でていった。

 

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■■■

 

ドンチャンと賑やかな音が街の中を流れている。

楽しげな雰囲気につられて辺りを見渡せばあちらこちらで祭りの準備に勤しむ姿が見受けられ、子供の目線から見ても普段よりも活気があると感じられた。

ダイヤたちは早々と開いている屋台から菓子を買い、街の広場のベンチに座って賑やかな街を眺める。

 

「お祭りはまだなのに、もうはじまっているみたい!」

 

ダイヤがクスクス笑いながらそう言えば「活気があるのは悪いことじゃないでしょう?」とユーグも笑い返し、クリフも同意するように頷いた。

開催前にこれなら当日はどうなるだろう、きっと今よりもっと賑やかになる、楽しみだ、とダイヤはニコニコしながら街の中へと目線を戻す。

次はあっちの屋台かな、それとも向こうのお店がいいかしら。

明日にはあそこの出店も開きそう。いつもより早い気がするけどまあいいや。

そんなことを考えるダイヤを尻目に、多少の事情を知っている聖堂の少年たちは互いに目線を送り合った。

こんなに楽しそうにしている少女に、わざわざ薄暗い事情を話さなくてもよいだろう、と。

 

ダイヤや街の人々はまだ詳しく知らないのだろうが、ここ最近街の外の様子がおかしいのだ。

というのも、元よりこの街の周囲には沼地が広がっているが、その沼地が突然毒物を孕みはじめたのだという。

泥の深いただの湿地帯だった場所が、命を奪う凶悪な毒沼へと変化している。

このことに気付いているのは聖堂の人間だけ。毒沼に侵され助けを求めて聖堂に駆け込んだ旅人たちから話を聞いてようやく事態を把握出来た。

彼らは未だ聖堂で治療中だから、街に情報は漏れていないだろう。

旅人からの証言から調査を開始したのだが、調べてみると確かに毒沼から瘴気でも湧いているのか普段よりも外の空気は若干重い。

事態を重くみた聖堂は更に詳しく調べようと何人か調査隊を出したが、わかったことは「確かに沼地が毒沼と化しており、それが広がっている」ことと「遠くを調べに行った隊が未だ戻らない」ことだけ。

帰ってきた調査隊も調子が悪いとすぐさま寝込んでしまったため聖堂は「街の外は危険」と判断し、街から人を出さないために祭りの開催を早めた。

街の中で派手に祭りを行っていれば、わざわざ外に出ないだろうと。

元々防衛のために街には大きな壁があったがそれに重ねるように街に念入りに結界を張り、事態の悪化に備えている。

キチンと壁と結界が機能しているのか街の中は平和そのもの。毒気が入り込む前に対処出来たのか一応は安全な場所となっていた。

今のところは。

 

見習いであるクリフやユーグが祈りの言葉の習得を急かされたもこのせいだ。いざという時には見習いも動けるようにとしたいらしい。

本来ならばもう少しゆっくりと、キチンと身につくまで学ばせるつもりだったのだが、そんな猶予はないかもしれないのだから。

おかげでユーグはなかなか文言を覚えられずカンペを使う羽目になってしまったのだけれども、それは置いといて。

 

つまるところ、聖堂に住むユーグたちは知っていた。

街の外で何かが起こっていて、外が危険なこと。

壁と結界のおかげで、今のところは一応、街の中は安全なこと。

その安全な場所で人々を守るため、街に人々を留めるため祭りの開催を早めていること。

だから、今、ここは賑やかなのだということを。

まあハッキリするまで他言するなとキツく言い渡されているため、大声で話す気はないのだが。

 

「心踊らない"賑やかさ"ってのもあるんですね…」

 

なんせ今ここが賑やかなのは、何かを誤魔化すためなのだから。

今後も祭りは賑やかになっていくだろう。街の人々の他に、逃げ込んで来た旅人が安全なこの街に留まるのだから。

恐らく、昨年より店も人も多くなる。

祭りは"賑やか"にはなるだろう。

 

ダイヤに聞こえないようため息混じりでぽつりと呟いたユーグに、クリフも困った顔で頷き同調した。

そんな彼らの心情もを知らず、ダイヤは無邪気に笑って次の店へとふたりを誘う。

引っ張られるようにしてダイヤに付き合うと、ダイヤはその店でピカピカしたダイヤモンドのような飴玉を購入した。

 

「はい!ふたりにあげるわ」

 

なんか元気ないみたいだからと微笑んで、ダイヤは購入したばかりの飴玉をふたりに手渡す。

自分が元気のないときに食べるのだと、ホンモノのようにピカピカしていて大好きなのだと。

ニコニコ微笑みそう語るダイヤを見て、ユーグたちは目を瞬かせた。

自分たちの不安は顔に出ていたらしく、どうやら彼女に気を遣わせてしまったらしい。

まあ恐らくダイヤはユーグたちの不安の原因には気付いておらず、「聖堂のお勉強辛いのかな」程度に思ったようだが。

飴玉を手にしたふたりは気の抜けたように息を吐き、思わずふわりと笑みを零す。

 

ああ、うん。

誤魔化しだろうがなんだろうが、今はもうどういいや。

外が大変で聖堂が忙しいのもどうでもいいや。

今はダイヤのように素直に祭りを楽しもう。

 

ほいと飴玉を口の中に放り込み、ユーグたちは同時に笑顔を浮かべて同時にに別の方向を指差し同時に同じ言葉を紡いだ。

「次はあっちの店を見に行きましょう!」と。

ふたりから同じ言葉とともに真逆の方向を指示され、ダイヤは目をパチクリさせる。

ダイヤが戸惑っている間に「…次はあっちがいいでしょう?」「いや次はあっちでしょ?」と言葉が交わされ、ユーグとクリフは睨み合った。どうやらお互い一歩も引く気がないらしい。

慌ててダイヤが口を挟む。

 

「…えっと、順番に行こっか?」

 

「そうですね、まずは私の行きたい店に行ってからクリフのほうに行きましょうか」

 

「違うでしょ?ボクの行きたい店に行ってから、次に、ユーグの行きたい店ですよね?」

 

互いが主張を放った瞬間バチンとふたりの間で火花が散って、大方の予想通り軽い喧嘩が勃発した。

ふたりの小競り合いを眺めながらダイヤは呆れたように息を吐く。

男の子って喧嘩するの好きよねーと慣れた様子で座り込み、ふたりの喧嘩が終わるのを待つことにした。

燃え草が無くなれば喧嘩は終わる。ならばそれまで待てばいい。

まあその時にはふたりとも力尽きているのだけれど。

苦笑しながらダイヤは「まあ、元気になったみたいだからいいか」とふたりをのんびり見守ることにした。

さて、先に行くのはどっちになるかな?

 

■■■■

 

浮世諸説あったが買い物も終わり、三人は聖堂へと戻る。

ただ買い物をしただけなのにぐったりした様子のユーグとクリフを尻目に、ダイヤは聖堂の扉に手を掛けた。

流石に取っ組み合いの喧嘩にはならなかったが、事あるごとに意見を反発し合うこのふたりは仲が良いのか悪いのかよくわからない。

男の子って不思議、とダイヤはくりんと首を傾げた。

 

無駄に疲弊しているふたりに苦笑しながらダイヤが聖堂の中に入ると、ざわざわとした喧騒に迎えられる。

喧騒は聖堂の真ん中あたりから聞こえていた。大人たちが集まり何かを取り囲んでいるようだ。

普段の聖堂とは違う雰囲気に戸惑いダイヤが思わず足を止めると、後ろにいたユーグがダイヤにぶつかってきた。

「痛!?」と小さく漏らしぶつけた顔を抑えながら、ユーグはダイヤが急に足を止めたことを不思議に思ったのだろう、怪訝そうな表情で聖堂の中を覗き込む。

ダイヤの背中ごしに室内を見渡したユーグたちも普段とは違う空気に一瞬戸惑ったが、すぐに何かを察したのか表情を引き締め、ダイヤを追い越して足早に騒ぎの輪の中へと入って行く。

ふたりが輪の中に消え、取り残されたダイヤがオロオロしながら入口に止まっていると、騒ぎの中から見覚えのある人物が歩み寄ってきた。

ダイヤの働く屋敷の主人だ。

彼がどうしてここにいるのかと首を傾けるダイヤに向けて、主人は「…迎えに来た」と簡潔に言葉を並べダイヤを抱き上げる。

迎えに来たってなんで?そんなに遅い時間ではないのに。

そもそも主人が今日ここに来る予定は無かったはずだ、だから私が届け物をしに来たんだし。

「?」とダイヤは不思議そうな顔を浮かべたが、主人は特に説明をするでもなく聖堂の人たちにむけて「失礼する」と声を掛けた。

 

「あの、」

 

「…」

 

ダイヤが疑問を口にしようとしたが、主人の口は真一文字に結ばれており答えてくれる気配はない。

というか主人の表情が固い。怒っているというか不機嫌というか。

主人から発せられるオーラに萎縮し、ダイヤは「…おむかえ、ありがとうございます…」となんとか声に出したのち、困ったように口を閉じた。

ダイヤが主人に連れられ聖堂を後にしようとした瞬間、騒ぎの輪の中から大きな声が飛び出しダイヤの耳に届く。

 

「だから!死体が動いてたんだよ!そいつらが…、」

 

その悲鳴にも近い叫び声にダイヤは思わず首を向けた。

死体が、

動いてた?

その妙な言葉に興味を惹かれ思わず身を乗り出したが、主人に「落ちるぞ」と引き戻される。

そのままパタリと扉が閉められ、ダイヤは聖堂の外へと連れていかれてしまった。

 

主人に抱き抱えられながら帰路に着く。

自分で歩けます、と一応主張してみたが返事は無言。「聖堂に忘れ物しました」とかなんやかんや理由をつけて戻る気だったのだが、バレているらしい。離してもらえない。

むうと頬を膨らませ、ダイヤは不満を態度に示した。

だって気になるじゃない。

帰るときにうっかり耳に入った言葉、死体が動いてたという奇妙な話。

そんな話、今まで生きてきて聞いたことがない。

ダイヤが不満と好奇心の混ざった表情をしていることに気付いたのか、主人はため息を吐きながらぐしゃりとダイヤの頭を撫でた。

 

「…しばらく、外に出るのを禁ずる。いいな?」

 

「え」

 

今日は諦めるが明日にでもユーグたちに話を聞いてやろうと考えていたダイヤは、思わず不満げな声を漏らす。

ダイヤの声に主人は呆れたようにため息を吐き、仕方ないとばかりに「屋敷に戻ったら理由を話す」と渋々言葉を並べた。

むうと頬を膨らませながらもダイヤは頷き、大人しく帰ることを了承する。

ザァと沼地特有の湿気った風がダイヤの肌を撫でていった。

 

■■

 

屋敷の中は少し騒がしく妙な臭いが鼻を襲う。

今朝ピカピカに掃除したはずなのにとダイヤがオロオロと辺りを見渡せば、モップを持った使用人が玄関ホールに集まっていた。

ダイヤが不思議そうに皆を眺めたが、主人は気にせず廊下を進み部屋の扉に手を掛ける。部屋に到着するや否やそのままソファに座らされ、主人もぽすんとダイヤの隣に腰を落とした。

約束通り、聖堂での騒ぎのことを話してくれるらしい。

少しばかりワクワクしながらダイヤが待っていると、主人はふうと小さくため息を吐きつつも言葉を並べ始めた。

 

「お前のことだ、聖堂で耳にしたな?"生きた屍体"と」

 

主人からの問いにダイヤが素直に頷けば、主人は頷き淡々と、掻い摘んだように簡単にだったが、今起きている事柄について語り出す。

街の外の異変のこと。

沼が毒気を孕み始めていること。

それに伴い生き物が変質していること。

またその毒沼に適した生物が出てきたこと。

そして、

倒しても倒しても死なず、破損した身体のまま動き回る生き物が現れたこと。

 

「其れ、は地の底から這い出たという」

 

墓場で目撃されたが、そこに埋葬されていた者が変質したのかそれともそれ以外のモノなのかはわからないという。

地の底から這い出た者はどんどんと増え、昼夜問わず休むことなく動き回るせいか調査がままならないらしい。

 

「1体ほど捕獲して調べたいが、…流石に屋敷の中で暴れられても困るのでな」

 

さらりと言い放った主人に少し恐怖を覚えつつ、ダイヤはふと窓の外を眺めた。

地面から現れた動くナニカ。

主人の口振りと態度から、恐らく危険なものなのだろう。

街には聖堂があるから大丈夫だろうが、この屋敷は街から少し離れた場所にある。

大丈夫なのだろうか。

そうダイヤが不安そうな顔を浮かべると、それを察した主人は表情を変えずさらりと言う。

 

「ああ、入ってきたぞ」

 

「ええ!?」

 

帰ってきたとき変な臭いがしただろう?と主人は首を傾け、あれがそれの臭いだと教えてくれた。

街から離れた場所を調べていた聖堂の調査隊が生きた屍体が這い出た場面に遭遇し、倒しても倒しても起き上がる様に恐怖し疲弊しボロボロになりながらこの屋敷に逃げ込んできたのだと言う。

そのついでに生きた屍体本体も入り込み、屋敷は完全にパニックに陥ったらしい。

毒の爪で斬りかかってくるわ、食いつこうとするわ、臭いを撒き散らすわ、吐瀉物をばら撒くわで玄関ホールが大惨事。

騒ぎに気付いた主人が生きた屍体を無力化し、蹴り出した上屋敷に結界を張ったが追い出したところで汚された玄関が戻るはずもなく。

結果使用人総動員で掃除する羽目になったのだと言う。

「汚れは落とせたが、やはり臭いは残ってしまったな」と主人はのんびりと首を傾けた。

ちなみに被害はあってないようなものだったらしい。ダイヤは知らなかったが主人はかなり上位の魔術師であるようで、すぐさま騒ぎの被害をほとんど治し今では怪我をした者も毒を浴びた者もピンピンしているという。

逃げ込んできた聖堂の調査隊の怪我も治し、説明と報告のため調査隊に主人も彼らと共に聖堂まで同行した。そのついでに聖堂に行ったダイヤを回収したようだ。

屋敷の近くに得体の知れないモノが出たのだから、何も知らず帰宅させるのは危ないだろうと判断して。

 

「…だから、しばらくは外に出るな。良いな?」

 

「はぁい…」

 

生きた屍体には未だ若干興味をそそられるが、せっかくピカピカにした玄関を無残なまでに汚されたのは腹立たしい。未だ変な臭いがしていたし。

ダイヤのなかで「生きた屍体=綺麗にしたところを汚す敵」とインプットされ、その想いのままダイヤは座っていたソファから立ち上がった。

 

「あの!わたし、お掃除してきますっ!」

 

主人が「他の者がやったから別に良い」と言う間も無くダイヤは主人の部屋から飛び出し、モップを片手に普段よりも力を込めて口を開く。

「ピッカピカに!しちゃうわよッ!」と。

 

■■

 

数日間、屋敷に篭り黙々と磨き続け、もっと綺麗にするためあれやそれやと色々試し「もっともっと綺麗に出来る何かないかな」とダイヤはぼんやりと外を眺める。

主人の結界が強いのか妙なものは近寄らず、ダイヤはまだ生きた屍体を見たことがない。おかげで「もう平和になったのかしら」と錯覚しかけたほどだ。

まあまだ結界が張ってあるということは、安全だとは言い切れないのだろうが。

屋敷内のうわさ話では生きた屍体はどんどん増えており、聖堂は大混乱しているらしい。

ユーグたち大丈夫かなとダイヤは窓にへばりつき、ガラス1枚隔てた外界を見つめた。

掃除は終わらせたし。

食器磨きもこれ以上やったら削れちゃうし。

お洗濯ものは乾かないし。

主人は何か調べものをしているのか「私は忙しい」と部屋から全く出てこないし。

むうと頬を膨らませ、ダイヤはぽてぽてと磨いたばかりの廊下を歩く。そのまま屋敷の奥へと進み、裏口の前でピタリと足を止めた。

ここからならバレずに外に行けるかも、と周囲を軽く見渡したあと音を立てないように扉に手をかける。

キィと小さく蝶番の音が漏れたが、幸い誰にも気づかれなかったらしい。ダイヤはドキドキしながら扉の隙間に身を踊らせ外に出る。そのまま今度はゆっくりゆっくりと扉を閉めた。

しばらく息を殺していたが他人の気配は感じられない。安堵したようにダイヤは大きく深呼吸をし、久々の外の空気を味わった。

屋敷の中に篭っているのは息がつまると空を見上げ開放的な気分になりながら、ダイヤは己に言い聞かせるように呟く。

 

「…ちょっと、ユーグたちのとこに行くだけだから。ちょっとだけ、だから」

 

元気か確認するだけだからとダイヤはコソコソと裏門へと向かい、静かに錠を外して敷地の外へと飛び出して行った。

好奇心の強い元気な少女は守られた世界では満足出来ず、外の世界へと足を踏み入れる。

彼女のこの一歩が、この地の未来を決定付けてしまうとは知らずに。

 

■■■■■

 

 

…さて、

こちら沼地となっております

ん?この世界に沼地なんかないだろうって?

確かに今はありません

カラリと乾いて沼は干上がり

砂だらけの場所へと変わってしまいましたからね

 

こちらの沼地

現代から数えるとおおよそ3000年ほど昔の西の大陸となっております

3000年もあれば様変わりしていてもおかしくはないでしょう?

まあ今現在沼地と砂漠を繋ぐものはほとんどありませんから

実感はあまりないでしょうけども

 

 

歴史を知ることは大事です

過去あったことを教訓に

今を生きることができるのですから

 

まあ、

人の本質は変わりはしないので

どの時代でも同じことを繰り返すだけかもしれませんが

 

子供叱るな来た道だ

老人笑うな行く道だ

来た道 行く道 二人旅

これから通る今日の道

通り直しのできぬ道

 

つまりはそういうことですから

 

 

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■■■■■

 

屋敷に篭っていることに耐えられなくなったダイヤはこっそりと抜け出し、足場の悪い沼地をのんびりと歩いていた。

ユーグたちは大丈夫かな、聖堂は忙しいかな、生きた屍体の騒ぎはどうなったかな。

色々なことに思いを馳せていたダイヤは、周囲の空気に妙な臭いが混じっていることに気付くのが遅れてしまう。

背後からの腐敗したような臭いにダイヤが気付き怪訝そうな顔で振り向けば、そこにはピチャリと液体を滴らせ足元もおぼつかないかのようにふらふら蠢く、ナニカ、が立っていた。

バサバサの頭から腐敗臭を漂わせ、肉が削げ骨が見える腕をだらりと落とし、在るべきところから落ちかろうじてぶら下がる目玉を左右に揺らすそれは、生きた物だとは思えない。

生きている物ならば、ここまで身体が破損している状態で動くことなどできないはずだ。

しかし目の前のこれは、明確な意思を持ってその眼でダイヤを捉え、身体を引き摺るようにしてじわりじわりと近寄ってきた。

腐ったように崩れた身体とは裏腹に、美しく並んだ歯を覗かせながら、刃物のように鋭い爪を光らせて。

初めて見る得体の知れないナニカを目の当たりにし、ダイヤの体は怯えたように立ち竦む。

きっとこれが、話に聞いた生きた屍体なのだろう。

聖堂の人間ですら歯の立たなかったモノだ、逃げるべきだと頭ではわかっているのだが、周囲は何ともいえない甘い臭いのする沼地。

沼地からこんな香りが漂うなんておかしいと、ダイヤは踏み込むことを躊躇した。つまり、逃げる場所も隠れる場所もありはしない。

走ったら逃げ切れるだろうか。しかしそれではこれに背を向けることになる。

そもそも不気味な外見に気圧され、足が上手く動かない。ダイヤは後ずさるのが精一杯だった。

その間にも不気味な動く屍体はじわじわと距離を詰め、その度に腐った臭いがダイヤを襲う。

周囲の沼から漂う何とももいえない甘い臭いと腐った臭いが混ざって、頭がクラクラし始めた。ぐにゃりと視界が回り、どうにも立っていられない。

思わずペタリと座り込み歪む視界で見上げれば、動く屍体はもうすでに己の目の前にまで迫っていた。

 

「…ぁ…」

 

ダイヤの霞む目で見えたのは、動く屍体が重そうに持ち上げた腕を思い切り振り下ろす瞬間。

恐怖で思わず目を瞑る。

殺されちゃうのかな、それとも食べられちゃうのかな。

こんなことになるなら、言いつけ通り外になんて出なければよかった。

我慢していればよかった。

己の行動に後悔しながら目に涙を溜め、ダイヤは最後の抵抗にと腕で頭を守る。

 

動く屍体の毒気を孕んだ鋭い爪が己を切り裂く、はずだった。

 

しかしながらいつまで経ってもその瞬間は訪れず、不思議に思ったダイヤは恐る恐る目を開ける。

目を開けて屍体のドアップがあったら怖いなと思いながら。

勇気を出して目を開けば動く屍体は弾かれたようにひっくり返っており、体勢を直そうと蠢いていた。

動く屍体の不思議な挙動に戸惑いながら、ダイヤが頭を守っていた己の腕をゆるりと下げる。

と、違和感に気付いた。

「…え…?」と思わず声を漏らしたが、それにもまた違和感を覚える。

 

目に映った己の手が、いつもよりも大きい。

耳に入った己の声が、いつもよりも大人びている。

いつものわたしじゃない、けれど、わたしだ。

 

なんせ手を動かせば思った通りに操れる。

声を出せば思った通りの言葉を己の口が紡ぐ。

「なにこれ…」と聞きなれない声を口から漏らし、ダイヤは戸惑いながらも辺りをキョロキョロと見渡した。

「…ぇ?あれ?」とダイヤはパタパタと己の髪に手を当てる。首を振れば、いつもならば、おさげが背中に触るはずだ。それがなかった。

オロオロしながら確認した己の髪はバッサリと無くなり、肩辺りまでの長さにまで綺麗に整えられている。

というか服装もいつもの使用人服とはうって変わって、水色を基調とした動きやすそうな物へと変貌していた。

己の身体を見下ろせば体格は、出るべきところが出て伸びるところが伸びた、言うなれば「大人」の体格となっている。

 

「なにこれ、…なに、これ」

 

己の身体の変化に混乱し泣きそうになるダイヤを照らすように真上の雲が割れ、ふわりと明るい光が降ってきた。

太陽とは明らかに違う、強い強い光。

白く大きく煌びやかなその光を見上げ、ダイヤは泣くのを忘れてぽつりと呟いた。

天から光が溢れてくる。

それはまるで、

 

「…わたしを、照らしているの?」

 

雲の切れ目から覗く光の柱。

それに照らされ、ダイヤは光を受け止めるように己の手のひらを開いた。

ぼんやりと空を見上げながら、ダイヤは「なんだっけ、これ。前クリフに教えてもらったんだけど」と記憶の扉を探っていく。

ああそうだ

確かこれは

 

「天使の、はしご…」

 

そう呼ばれるものだったと思う。

ダイヤがそう呟いたのと同時に、光の柱から一際眩い光の塊が現れた。

その光は徐々に人のような形となっていき、ダイヤの目の前に降り立つ頃には6枚の羽根を持った天使の姿となる。

天使のはしごと呼ばれる現象は、雲の切れ目から太陽の光が差し込み柱のように見えるだけのことだ。それなのに、その天使のはしごから本物の天使が降りてきた。

白く大きな羽根と、白い服装。目元を隠しているが整った顔に、頭上にある輪は金色。風貌から位の高い天使なのだろうと無意識に感じ、ダイヤは彼を見上げることしか出来ない。

目を見開いて天空を見上げるダイヤの元に、彼の羽根なのだろう、ひらひらと小さく美しい真っ白な羽根が降り注いできた。

ふわりふわりと降り立った天使は、もうすでに手を伸ばせば届く距離に来ている。

ダイヤの目の前に広がるのは純白の羽を持つ天使。

沼地とはかけ離れた清らかさを持つその天使にダイヤが見惚れていると、その天使は重厚な声色を齎した。

 

「お前は選ばれし者。我が光の祝福を受けるのだ」

 

天使からの言葉にキョトンと呆けるダイヤだったが、不気味な音が間近から聞こえてきたことに気付き顔を向ける。

ダイヤの視線の先にはようやく起き上がれたらしい先ほどの生きた屍体が、ゆるりとこちらを見つめていた。

口からは息を漏らし、ぐちゃりと音を立て足を引き摺りながら再度ダイヤを襲おうと近付いてくる。

「ひゃ…」と先ほどの恐怖を思い出しダイヤが小さく悲鳴をあげると、天使は穢らわしいもの見るような顔で生きた屍体に眼差しを向け「剣を取れ、浄化するのだ」とダイヤに声を落とした。

剣?とダイヤが天使に首を向けた瞬間、隙を見せたダイヤに対しチャンスだとばかりに生きた屍体は腕を振り上げる。

音と気配に気付きダイヤが反射的に顔を向ければ、そこには恐ろしい姿の屍体が映った。

 

「ひ、ゃああああああ!!」

 

恐怖にかられたダイヤは手元にあった細長いものを掴み、目を瞑って思い切り振り抜く。

倒すというよりは近付くなという気持ちで。

ダイヤ腕を振り抜くと、何かを切り裂いた感触と断末魔の声が聞こえ、ぐちゃりと肉が崩れる音がした。

今なんかすごく嫌な感じの音がしたぁ、と恐る恐るダイヤが目を開けば崩れ落ちた生きた屍体はキラキラとした光となって消えていく。

「…消えた…?」と涙目をパチクリさせるダイヤは、ようやく己が見たこともない剣を握っていることに気付いた。

ダイヤが思わず掴んだそれは、そこら辺に落ちていた木の棒か何かだと思ったのだが、真っ当な武器と呼べるものだったらしい。

なにこれ、こんなのあったかしら。

 

目の前で起きた事を理解出来ずダイヤが目を丸くしていると、先ほどの天使が「それが浄化、だ」と暖かな陽射しのように柔らかく笑った。

己の祝福を授けたお前の持つその剣には、先ほどのような生きた屍体、アンデッドを浄化し消し去る力があるのだと。

 

「じょうか…」

 

ダイヤが呟くと天使は頷き「アレらはこの世の道理に合わぬもの。存在していてはいけないものだ」と厳しい表情を浮かべる。

大地を毒で汚し、生き物を殺し、死者の帝国を築こうとする人間の敵。

光で浄化し消し去るのが最善だと天使は語った。

大地を毒塗れにされるのはダイヤとしても困るし、アンデッドが増え続け人々を襲うのも困る。でもなんでわたし?

そう思ってダイヤは口を開いたが、その言葉はポン!という音に掻き消されてしまった。

突然の不思議な音に「ひゃ!?」と驚いたダイヤだったが、己の身体が普段の小さな子供の姿に戻っていたことには尚更驚いた。

次から次へとよくわからない現象が自分を襲い、ダイヤは混乱することしか出来ない。

挙動不審なダイヤを尻目に天使は言う。

 

「汚れを排除し、美しき世を創りなさい」

 

「え?え?え?」

 

戸惑うダイヤには答えず天使は羽根を動かし去って行った。

去り際にひとこと残して。

たったひとこと「美しき世を求めるのならば、白い竜を探すといい」と。

それだけを残し、白い翼をはためかせ天使は山の方へと消えていく。

ダイヤはそれを見送ることしか出来なかった。

 

■■

 

怒涛の騒ぎのおかけでもはや聖堂に行く気力もなく、ダイヤは疲れたように帰路につく。

よくわかんないし、よくわかんない。よくわかんないってことしかわからない。

疲弊したダイヤがトボトボと歩いていると、また妙な臭いが漂い、またぐちゃりと音がして、またアンデッドが現れた。

じわじわと近寄ってくるアンデッドにやはり恐怖を覚え固まったダイヤは、パニックになりながら不意に頭に浮かんだ言葉を叫んだ。

 

「ふ、ふぁ、ファセットメイクぅ!!!」

 

何故こんな言葉が浮かんだのかわからない。

けれどもその言葉を叫んだ瞬間、あの時のように光に包まれ己の身体が輝いた。

気付けばダイヤはまた大人の姿に変わり、手にはアンデッドを浄化出来る剣を手にしている。

「ふえ?」と変化に戸惑うダイヤは先ほどの天使を思い出す。

祝福ってこれ?

こうすれば大人になれて、セットで剣がついてきて、アンデッドに対抗できて、アンデッドを浄化できる?

聖堂の人たちすら苦戦するアンデッドを。

増えるばかりのアンデッドを。

わたしが、減らせる?

襲い掛かってきたアンデッドを光の剣で弾き返し、ダイヤは空を見上げた。

きっとあの天使は一時的に己の身体を成長させる力をくれたのだろう。戦いやすいように。

そして同時にアンデッドを消滅出来るる力をくれたのだろう。戦えるように。

 

わたしが、汚れた大地を綺麗に出来るように。

美しい世界を作れるように。

 

アンデッドを倒し続ければ、毒沼も無くなるかもしれない。

毒沼が無くなれば、また前のように外に遊びに行ける。

外に遊びに行けるなら、ユーグたちに会いに行ける。

ユーグたちに会えるなら、一緒にお祭りに参加できる。

わたしが出来るなら、それをやらない理由がない。

 

外見は大人、しかしながら中身はまだまだ少し幼い彼女は、ただ純粋に「お祭りで友達と遊びたい」「お祭りがちゃんと開催されるように、危ないものをなくしたい」「汚すものを綺麗にしたい」と考え、赤く染まった夕日を眺めながら剣を強く握り締めた。

こわいけど、がんばる。

できるなら、やる。

大丈夫、わたしには天使さまがついていてくれるのだから。

そう決意して。

 

-5ページ-

 

■■

 

アンデッドを倒し元の姿に戻ったダイヤは決意を新たに屋敷へと帰る。

うっかりそのまま玄関から戻り、「外に出るなと言っただろう?」と主人に叱られたのはツメが甘かったと言わざるを得ないが。

「ごめんなさい!」と謝罪しつつ、ダイヤは屋敷の書斎に逃げ込んだ。

 

「うーん…、外に出るならバレないようにしないとだめね。そもそも明るいうちはお仕事があるし…」

 

大量の本に囲まれながら、ダイヤは困ったように歩き回る。

夜になったらこっそり窓から出ればいいかしら、大人になった私なら飛び越えられると思うし。あとお休みの日とかなら…。

と、抜け出す計画を立てている間に、ダイヤは目的の本の元に辿り着いた。

あの時天使が最後に告げた言葉。

「白い竜」に関する書物。

天使のお告げだ、何か意味があるのだろう。

しかしながら屋敷と街くらいしか出歩かないダイヤにとって、竜などあまり見かけない生き物だ。郊外には多数生息しているらしいが詳しくは知らない。

探すにしても多少でいいから知識が欲しいと目当ての本をパラパラ捲り、なんともいえない顔をしながらダイヤはその本を抱き抱えた。

…すこし難しいから、お部屋でゆっくり読もう…。

ひとつの本を抱えながらダイヤはパタパタと己の部屋へと向かう。

いつかのように「廊下は走らない!」と叱責されながら。

 

部屋に戻り本を読んでみたがやはり小難しく、なんとか理解できたことといえば白い竜は光の竜であり大陸のどこかでひっそりと生息していること程度。

本の記述と同じように小難しい顔をしながら、ダイヤはパタリと書物を閉じた。

光の竜ならば、ダイヤの持つ剣と同じくその力でアンデッドを浄化出来るのだろうが、だからあの天使はそれを探せと告げたのだろうが、所在が曖昧なままでは探しようがない。

困ったなとダイヤは、暗くなった空を見上げた。

天使のお告げだ、諦めるわけにもいかないし、誰か知ってそうなひとを探そう。

明日から、と呟いてダイヤはベッドの中へと潜り込む。

色々あって疲労していたのだろう。数分もしないうちに、小さな可愛らしい寝息が聞こえはじめた。

 

■■■■

 

ダイヤは夜な夜なこっそり抜け出して、ちまちまとアンデッドを倒していく。

数を減らせているかはわからないが、追い払うのが精一杯の他の人と比べれば、消し去れる分被害を減らせているだろう。

抜け出すついでに大人の姿のまま街へと繰り出し、白い竜の情報を探してみたがこちらはなかなか難しい。

祭りムードが強まっているせいか夜中でも人が起きているのは幸いなのだが、竜の話となると途端にみんな首を傾げた。

そもそもわざわざ竜の住処に近寄る人間などいないのだ。情報が集まらないのも仕方がない。

部屋に戻ったダイヤは変身を解き、収穫なしを嘆きながらベッドに横たわる。

 

「白い竜さんは、どこにいるのかしら…」

 

ふうとため息を吐きながら、ダイヤはもふんと枕に顔を埋めた。

明日はお休みの日だし、朝から色々回ってみよう。もしかしたら夜には出てこない竜なのかもしれない。

昼間なら街でも違う情報が入ってくるかもしれないし。

そう考えて、ダイヤは目を閉じた。

 

■■■

 

目を覚ましたダイヤは朝から張り切って姿を変えて屋敷を抜け出す。

今日はちょっと遠くまで行ってみようと沼地を駆けて、普段よりも遠く、沼地の外れの辺りまで移動した。

この辺りは霧が濃い。

霧のおかげで視界が不明瞭なせいか周囲の気配も不気味に感じ、ダイヤは剣を抱き締め「ここちょっとこわいな…」と心細そうに呟いた。

こんな怖いところに光の竜がいるはずないと目を逸らし、でも一応調べないとと前を向き、一歩進もうと足を出しいやいやでもと引っ込める。

ダイヤがオロオロしていると、霧の奥から話し声が聞こえてきた。

こんな所に人?生き物?こんな所にいるのならもしや怖いナニカではと涙目となり固まるダイヤとは裏腹に、その声の主はサクサクと歩みを進めているのか声が大きくなってくる。

恐怖のあまり声のする方角を凝視するダイヤの目に、青色と緑色の、ダイヤより少し大きい影が写り込んだ。

 

「…あれ?」

 

声の主たちの形を視認できる距離となったダイヤは気の抜けたような声を漏らす。

なんだ、あのふたりは…。

ダイヤの声に反応し、青色と緑色の影は足を止め警戒するように足を止め武器を構えた。

「何かいる?」と聞き慣れた声、よりかは少し大人びてはいたが、聞き覚えのある音。

不気味な場所で知っている人間に会えたと、ダイヤは安堵したように彼らの名を呼んだ。

 

「ユーグにクリフ!」

 

「…は?」

 

己の名を呼ばれ戸惑うような声を出し、ユーグとクリフは互いに目をパチクリさせながら武器を下ろす。

久々に見る友人の姿にダイヤは「よかったー!」と抱きつかんばかりに駆け寄ったが、当のふたりは戸惑ったままだ。

 

「あの、どなたでしょうか」

 

ユーグからそう言われショックを受けたが、ダイヤは今の己の姿を思い出し「あああそっか!えっと私!ダイヤ!」と己の顔を指差し主張した。

ユーグとクリフが死ぬほど怪訝そうな顔となったのは言うまでもない。

なんせ今のダイヤは普段のダイヤの姿とかけ離れすぎているのだから、"友人の名を騙る不審者"と判断されても仕方がない。

ふたりからの警戒度が跳ね上がったのに気付いたダイヤはアワアワしながらふたりの目の前で変身を解く。

今度はふたりから鳩が豆鉄砲を食らったような顔をされた。

 

「…まって整理させて。…えっと、ダイヤ?ですか、何がどう……ちょっとユーグ機能停止しないでこの状態でボクだけにしないで」

 

「本物!本人!話すと長くなるけど信じて!」

 

ダイヤを凝視しながらカチンと固まり動かなくなったユーグと頭を抱えたクリフに挟まり、ダイヤは必死に事情を語る。

クリフたちが話を聞いているとダイヤは「それで、天使さまが降りてきて、」と再度大人の姿に変わり「…大きくなれるようになったの」と言葉を締めた。

到底信じられる話ではなかったが、事実、クリフたちの目の前でダイヤは大人から子供に、子供から大人に変化したのだ。信じるしかない。

難しい顔をしながらクリフは首を傾げた。

 

「わかった、わかんないけどわかりました。しかし、天使…ですか。ボクたちも会いましたが同じひとかな?」

 

「クリフたちも会ったの?あの白い天使さまに」

 

ダイヤが首を傾げ返すとクリフは目をパチクリさせながら「え?違いますね。ボクたちが会ったのは赤い天使です」と言葉を返す。

クリフたちがアンデッドに囲まれてしまったのを、助けてくれたらしい。ついでに怪我や毒を治してもらったとか。

 

「なんというか、こう、全体的に赤くて、…そうだ、割と気さくな感じでしたよ」

 

「あ、じゃあ多分違う。私が会ったのは、こう、…立派な感じの、偉い人、みたいな雰囲気だったわ」

 

ダイヤが会ったのは、白くて大きくて羽根が6枚の天使。偉い人っぽい。

クリフたちが会ったのは、赤くて普通の大きさの羽根が2枚の天使。気さくな感じ。

外見も性格も違いすぎるため、多分別人、いや別天使?だろう。

天使がふたりも降りて来ているとは。

 

「…ふたりじゃないですよ」

 

機能停止していたユーグがようやく再起動し口を開いた。

「街で、青色のと緑色のを見かけたことがあります」とユーグは目を逸らしながら微妙に嫌そうな口調で語る。

妙な態度のユーグにダイヤとクリフが首を傾げると、ユーグは「その緑色のは!あろうことか御婦人の腰に手を当てて!口説いてました破廉恥な!」と顔を真っ赤にして声を荒らげた。

天使ですよ天の使いですよそれが堂々と真っ昼間から破廉恥な行為をするとは、とグチグチ言っているユーグと「ああだからさっきの赤い天使を妙に警戒してたのか」と呆れるクリフ。

何かあったらしい。

ふうんと首を傾げダイヤは空を見上げた。

ということは複数体の天使が降りて来ているということになる。

クリフの話では赤い天使はアンデッドを目の前で消し去ったとのことだから、ダイヤと同じく浄化をしているのだろうが、街にもいるのは何故だろうか。

白い天使はダイヤに力を与え、赤い天使はアンデッドを浄化し、緑の天使は街で女性を口説いていたという。わざわざ地上に降りて来たわりには動きがバラバラ。

変なの、とダイヤはまた首を傾げた。

 

天使と言えばとダイヤは思い出し、クリフたちに「その白い天使さまのお告げなんだけど、白い竜を知らない?」と問い掛けてみる。

駄目元ではあったが、流石は聖堂所属のふたり。ある程度の知識があったらしく「ああ確か、唄を聞いたような?」と疑問系の形ではあるが一応の答えが返ってきた。

 

深い深い霧のなか

沼地の奥の奥にひっそりと

繭にくるまり静かに眠る

白く輝く竜がいる

 

その程度しか覚えていないようだが、ダイヤとしてはそれで充分だ。

内容的に考えても白い竜はこの辺りにいるのだろう。白い竜の居場所がわかったダイヤは、今日こそは竜に会えるかもと嬉しそうに笑った。

居ても立っても居られず、ダイヤはユーグたちに別れを告げて霧の沼地を駆けていく。

別れ際にユーグの心を「まだカンペ使ってるの?」という言葉で抉りながら。

立ち去ったダイヤには「もうちゃんと覚えましたよ!?」というユーグの慌てた声は届いただろうか。

ダイヤに置いてけぼりを食らったクリフは、去っていくダイヤの背中を見送りながら「ああやっぱあれは本物のダイヤだ」と納得したように苦笑した。

外見が変わっても、成長したのだとしても中身が全く変わっていない。

 

「ダイヤも行っちゃいましたし、ボクらも行きますか」

 

霧の中、クリフは足元を濡らしながら歩き始めた。

黒歴史を掘り返され地味にダメージを受けていたユーグも頷いて、クリフと並ぶように歩を進める。

ここはどうにも不思議な場所だった。

霧が深い割には温暖で、ほんのりと芳香漂うアンバランスな場所。

アンデッドの発生源と毒沼の発生源をふたりで調べに来たところここに辿り着いたのだが、妙な場所に来たなと頭を掻く。

なんせここはアンデッドまみれ。

首の無い騎士、厳密に言えば己の頭を小脇に抱え馬に跨るアンデッドに襲われたのを皮切りに、休む間も無く数多のアンデッドに囲まれて死にかけた。

運良く助けてもらったが、それは本当に運が良かっただけだ。毒は強いしアンデッドは多いし、長居出来るものではない。

軽く調べた結果、わかったのはこの辺りはアンデッドの数が多いということと他のところに比べて毒が強いということだけ。直接的な原因は見付けられなかった。

もう少し調べれば何かわかるのかもしれないが、流石にここに無策で留まるのは不可能だろう。命がいくつあっても足りない。

 

疲れたように息を吐きながらユーグは霧の中へと目を向ける。

沼地の中でも特に温暖で良い香りのするここは、通常ならば人にとっては過ごしやすい場所であるはずだ。

それなのに、どうにも落ち着かない。

心に引っかかるというのか、本能的に拒絶するというのか、言語化しにくいのだがただただ落ち着かない。

ここに居てはいけない、と己の全てから拒否されているかのように。

 

ユーグがわけのわからない居心地の悪さにソワソワしていると、ふいに霧が薄まり目の前にナニカが現れた。

ソレには顔らしき顔が無く、どこから奏でたのか妙に反響する音で「おや?」と声を鳴らす。

その音を耳にした瞬間背筋が震え、思わず後ずさりしたくなるほどの拒絶感に襲われた。

一緒怯みはしたが、ユーグは目の前にいるモノから視線は外さない。吸い込まれそうなその顔をじっくりと、ソレが何か確かめるように眺めた。

目の前にいるナニカは、なるほどこの場所に相応しい気配を纏っている。生きているものが忌避する気配。

 

「この気配…」

 

この世のものではない、とユーグは呟き剣を構えた。これはここに居て良いものではない。

これはあの世の住人だ。

彼の正体に気付いたと同時に、ユーグはこの場所を居心地悪く感じる理由を理解した。

ここの空気はあの世に近いのだ。言うなればあの世とこの世の境目というのか、それとも入り口が開いているというのか。

生きている己が不穏に思うのも無理はない。己はここに長居してはいけないのだから。長居していると連れていかれてしまうと、本能が警告を出していたのだろう。

クリフも同じように考えたらしく、ユーグの言葉に呼応してこくりと頷き杖を構えた。

 

「…退散願いましょう!」

 

彼の存在を否定するわけではない。

境目だろうと入り口が開いているのだろうとどうであれ、ここはまだ現世の領域。生きているものが住まう場所。

彼はここに居てはいけない。

あの世のものは、現世にいてはいけない。

あの世の住人でこちらに姿を現わせることができるのは、見苦しいほど自己中な未練たらしい幽霊と、

あとひとつ。

 

「…ちょうど名簿に空きが出たところ。あなた達で埋めさせてもらいましょう」

 

目の前にいる彼のように、連れて行く魂の名簿を持って大きな鎌を使いこの世にある魂を刈る役目のモノ。

死神と呼ばれる生き物だけだ。

死神の放った言葉を睨みつけるようにユーグたちは警戒度を高める。刈られてたまるかと言わんばかりに。

ユーグたちの態度を見て、目の前にいる死神からは表情というものなど見えないのだが、彼は少し戸惑う様子を見せた。

しばらくしてから死神は落ち着いた声色でぺこりと頭を下げ、ユーグたちに向けて言葉を放つ。

やんわりと、困ったように微笑みながら。

 

「…私は死神ラダマンティス。魂を整理する冥府の管理人をしております」

 

ラダマンティスと名乗った死神は「騒がしいのは嫌いなのですが…」と大鎌を弄びながらふたりに向かって苦笑した。

穏やかに話しかけられユーグたちは少しばかり戸惑う。

問答無用で魂を刈られるのかと思ったのに、だから戦闘態勢をとったのに、ラダマンティスはそんな素振りは見せない。先ほどの言葉はなんだったのかと首を傾げた。

戸惑うふたりを尻目にラダマンティスはくるりと大鎌を回し、また苦笑しながら背を向ける。

 

「ま、よろしい。今日のところは出直しましょう」

 

そう言葉を残してやれやれと霧の中へと消えて行った。

なんだったのかと互いに顔を合わせ、ユーグたちは死神の不思議な挙動に混乱するしかなかった。

 

■■

 

人間ふたりの前から立ち去ったラダマンティスは、沼地を浮遊しながらため息を吐く。

もう全て放置して静かに庭の手入れをしたいとボヤきながら。

 

「みなさん勝手ばかり。魂は少なすぎても多すぎてもいけないというのに」

 

少し脅せば逃げるだろうと思っていた人間は、脅したら殺気を強めてきた。予想外だった。

言った言葉は本心だったが、今更ひとつふたつの魂で名簿を埋めても意味がない。

足りなくなったものを埋めるには到底届かない。

 

「まあ、悪だとか正義だとか…私はどちらでも構いませんが」

 

魂の数が正しくなるならば。

きちんと正しく管理出来るならば。

そうすれば心ゆくまで趣味の庭いじりを楽しめるというのに。

己が直接刈ってもよいが、それだと魂が多くなりすぎる。ついついやりすぎてしまうのだ、加減が難しい。

だからといって放っておけば、恐らく延々減る一方。

困りましたねとラダマンティスは呆れたようにため息を吐いた。

 

「…あちらと手を組みますか」

 

そう呟いて、ラダマンティスは空へと顔を向ける。

魂をむやみやたらと消し去られるのは困りますしとふわり宙を舞い、元凶であろう己とは真逆の生き物の元へと身体を躍らせた。

面倒だとボヤきながら。

 

-6ページ-

 

■■■

 

ユーグたちが死神と戯れ混乱していた頃、ダイヤはウキウキと張り切って沼地を探索していた。

なんせ探していた竜の居場所がわかったのだ。この辺りを虱潰しに探せばすぐに見つかるだろう。

どんな竜かな、可愛いのがいいな、いや白い竜なら綺麗な感じかしら、怖かったらどうしよう、仲良くなれるかな、楽しみだな、と色々な想いを交錯させつつダイヤは足を早めた。

そんなダイヤの耳に、物悲しげな鳴き声が届く。

その鳴き声に呼ばれるように足を動かし、ダイヤは沼地の奥の奥へと向かって行った。

 

誘われるように辿り着いた場所は少しばかり拓けたところ。

その中心に大きな白い繭のようなものがぽつんと佇んでいた。

その繭は沼地にあるものなのに一切の汚れなど見当たらず、一点の曇りもなく真っ白い。そんな繭を不思議に思いダイヤは恐る恐る近寄っていく。

ほんのりと輝いて見えるその繭に触れてみれば、柔らかくもなく硬くもなく、暖かくもなく冷たくもない。

そんな不思議な感触に首を傾げながらも、ダイヤは繭の滑らかな手触りに惹かれ撫でるのをやめられない。

この繭で糸を紡いで布にしてお洋服作りたいなと惚けていると、ぽこんと繭に穴が空いた。

突然空いた穴に驚いてダイヤが目を見開くと、中からもぞりと動く気配がする。中に何かがいるようだ。

ダイヤが恐る恐る中を覗き込むと、空色の綺麗な宝石のようなものが目に入った。

繭の中に宝石?と不思議に思っているとその宝石はゆらりと動き、その下から同じ色の小さなふたつの宝石が現れる。

小さな宝石だと思ったそれが何かの瞳だと気付くのに、時間はかからなかった。

それはゆるりと鎌首を上げ、空色の瞳を瞬かせると繭を割り、大きな身体を動かし始める。

思わずダイヤが後ずさると、それはのそりと繭の外に出て気だるそうに空を仰いだ。

全身を現したそれは繭と同じ真っ白な姿をしており、ダイヤに気付いたのか顔を下ろし小首を傾げる。

大きな身体に大きな手足、綺麗な翼を持ち長い尾を揺らすそれは、想像とは多少違うものの、ドラゴンと呼ばれる生き物だろう。

綺麗な白い竜がダイヤの目の前に姿を見せていた。

竜というのだから鱗に覆われているのだろうと思っていたが、目の前にいる竜はつるりとした風貌だ。

ゴツゴツしているのだろうと、称するのならば「格好良い」となるのだろうと予想していたが、目の前にいる竜は「格好良い」というよりは「綺麗」と評したくなる。

竜ならば厳つい目をしているのだろうと予想していたが、目の前の竜はやわらかな光のように優しい瞳をしていた。

この子が天使さまの告げた「白い竜」なのだろう。

彼と同じように「純白」で「綺麗」で「光のよう」なのだから。

そう確信して、ダイヤは白い竜に話し掛ける。

 

「おねがい、わたしに力を貸して。どうしても…あなたの力が必要なの」

 

天使が探せと告げた竜だ。きっと恐らく天使たちのように、アンデッドを浄化し大地を綺麗にすることが出来るのだろう。

ダイヤひとりで浄化出来る数など限られている。けれどもこの竜が力を貸してくれるなら、その数は何倍にも何十倍にもなるだろう。

そうすれば、この地はすぐに元に戻る。今まで通りの生活が帰ってくる。

竜の瞳を見上げながら、ダイヤは竜の返事を待った。

 

ふわりと照らすようにダイヤを見つめていた白い竜は、あの時の天使と同じく暖かな陽射しのように柔らかく笑い、綺麗な声で音を鳴らす。そのままゆっくりとダイヤの元へと頭を下ろし、柔らかく顔を擦りよせた。

これは力を貸してくれるということだろうか。

問い掛けるようにダイヤがそっと撫で返せば、竜は嬉しそうにくるると甘く喉を鳴らす。

「ありがとう!」と微笑みダイヤが白い竜に抱きつくと、白い竜も愛おしげに嘶いた。

 

■■■

 

天使から告げられた白い竜と出会えたダイヤは、初めて見る竜に興奮しているのか、竜の傍に腰を下ろしお喋りを始める。

自分のこと、友人のこと、街のことに竜への賛辞。

言葉が通じているかは不明瞭だが、白い竜はダイヤの話に鳴き声を返したりパタンと尾を揺らしたりと反応を返していた。

「竜って怖いのかと思ったけど、あなたは真っ白で、パールのように綺麗で素敵だから驚いた」とダイヤがニコニコしながら撫でると、竜は照れ臭そうに顔を逸らしそれでも尾がピコピコ跳ねる。宝石に例えられたのが嬉しかったらしい。

竜は小さく鳴いて翼で優しくダイヤの頭を撫でる。どうやら褒め返してくれたようだ。

嬉しそうにダイヤが頬を擦り寄せると、竜もダイヤを守るように包んでくれた。

どうやらこの場所は白い竜の縄張りなのか光の力が強いらしく、アンデッドは近寄れないらしい。

何かに邪魔をされることなくダイヤが竜と戯れていると、不意に竜が一点を見つめ嫌悪するように声を上げた。

竜の突然の行動に首を傾げたダイヤだったが、ピリピリした竜の様子から「あっちにこの子が嫌がるものがあるのではないか」と予想する。

 

「あっちに何かあるの?見てこようか?」

 

そう言いながらダイヤが立ち上がると、白い竜も身体を持ち上げ心配そうな顔でじっとダイヤを見つめてくる。

「一緒に行ってくれるの?」と問えばコクリと頷かれたので、ダイヤは竜を伴って縄張りから外へと歩を進めた。

 

ダイヤは霧の深い沼地を白い竜とともに歩く。

ついさっきまで怖いと思った沼地だったが、竜が傍にいてくれるおかげか恐怖感は消え周りを観察する余裕が生まれていた。

霧に阻まれ視界は悪いのだが、見えない場所から生き物の蠢く気配がする。アンデッドだろうと思うのだが、妙なことに近寄ってこない。

白い竜がときたまピカッと光っているのだが、それのおかげかしらとダイヤは頼もしい相棒に微笑みかけた。

 

何度目かの竜の光が瞬いたとき、「っ!」という息を飲む音がかすかに耳に届く。

アンデッドの放つ音ではないとダイヤは足を止め、周囲をキョロキョロと見回した。

この辺りにはさっきまでユーグたちがいたし、今の竜の光をまともに見ちゃったのかな?と。

それなら説明と手当てをしないと、とダイヤが数歩前に出るともふんとした何かにぶつかった。

これは、白い羽根、だろうか。

 

「んむ?」

 

「っあ!すまな、い…」

 

ダイヤがぶつかったものは人語で謝罪してきた。白い羽根の先には人型の何かがくっ付いているらしい。

白い羽根が生えているヒト、つまり、

 

「天使さま?」

 

ダイヤが顔を上げ問い掛けると、ダイヤの視界には、確かに天使と呼ばれるものだろうが、予想した天使とは違う天使がオロオロとした表情で浮遊していた。

あの時の天使と羽根の色は同じだが、羽根の枚数も姿も大きさも違う。羽根は白いが、色的にはだいたい黄色い。

ユーグたちもこの外見の天使に関しては何も言わなかったから、自分たちの知らない新たな天使だろうか。

白・赤・青・緑ときて、今度は黄色。天使ってカラフル。

「…はじめまして?」とダイヤが首を傾げつつ声を掛けると、その天使は一瞬ピクリと身体を震わせすぐに取り繕い小さく会釈した。

ユーグたちから「赤い天使にここで助けられた」と聞いていたダイヤは、この天使さまもここでアンデッド退治してたのかなと考え、ふわりと微笑みを向ける。

笑顔を向けられた天使は何故か顔を逸らした。そのままぽつりと言葉を返す。

 

「…此処より先は、行かない方が良い」

 

その言葉にダイヤがキョトンとしていると、天使は「この先にアンデッドの皇がいる、から」と顔を逸らしたまま言葉を続けた。

アンデッドの皇?とダイヤが首を傾げると、天使は「動く屍体と毒を増やす化物だ」答えふわりとダイヤに背を向ける。

 

「光の竜の協力を得たとはいえ、ダイヤ、君はまだ幼いのだから、君が危険なところに行く必要は、ない」

 

そう言って天使は羽根を広げ空高くへ舞い上がっていった。

一瞬で見えなくなった天使をぽかんと見送りながら、ダイヤは不思議そうに目を瞬かせる。

彼は二言三言しか喋ってないのに、妙な点が多かったからだ。

 

「…なんで、わたしの名前を知ってたのかしら」

 

それに今の姿のダイヤを幼いと称するのもおかしな話だ。中身はともかく外見的には大人なのだから。

まあ天使だから人知の及ばぬ力があり、見ただけで真の姿も名前もわかるのかもしれないが。

それとも天使的にこの程度の外見は「幼い」となるのだろうか。

 

首を傾げながらもダイヤは沼地の先に顔を向ける。

先ほどの天使の言では、この先にアンデッドの皇がいるらしい。白い竜が嫌悪感を示したのも同じ方向だったから、白い竜が嫌がっていたのはそのアンデッドの親玉なのだろう。

その皇は、理由自体はよくわからないが、アンデッドたちと毒沼を増やしているらしい。

つまり、大地を汚している大元はそいつ。

天使には行くなと言われたが、親玉を潰せばアンデッドが増えるのも大地の毒化も止められるかもしれない。

 

「……行ってみよう」

 

皇を倒したら同時に大地も浄化されました、なんて都合の良い展開にはならないだろうが侵攻を止められるのならばそれに越したことはない。

侵攻を止めてからゆっくりと確実に大地と残党を浄化してもいいのだから。

 

ぎゅっと光剣を握り直し、ダイヤは白い竜に顔を向けた。

「…悪いひとのところに行こうと思うの。手伝って、くれる?」と声を掛ければ、竜は少し困った顔をしたもののコクリと頷く。

白い竜が頷いてくれたことにダイヤは安堵し微笑んで剣を掲げた。

怖いけどこの子が一緒なら大丈夫、と 。

 

そのまま光の戦士と光の竜は霧の奥へと消えて行く。

そこにいるものが「悪いひと」だと決め付けて。

 

 

■■■■■

 

 

…おや、

色々な方々の思惑が混じりはじめましたね

人に、竜に、天使に、死神。

ここにまた不死者が加わり、

さらに賑やかになりそうです

 

街の方では研究者と死霊使いが争ってますし、

どうにもこの地の生き物は

どいつもこいつも血の気が荒いですね

 

争う、とは言いますが

不思議なことにこの地では

悪と正義が争ってる訳ではないんですよね

どちらも正しくどちらも間違い

いいひともいない代わりに

わるいひともいない

 

全てが全て

己が正しいと思うことをしているだけ

 

…だから、

全員が争うのですがね

 

-7ページ-

 

 

■■■■■■

 

ダイヤが道なき道を進んでいると、霧の中から門のようなものが現れた。崩れかけてはいるがかなり立派な石造りの門で、奥を覗き込むと地下へと続く階段が見える。

雰囲気としては不気味としか言いようがない。

昔、大掛かりなおばけ屋敷に行ったことがあるがそんな雰囲気と言えば伝わるだろうか。

あの時は、通路の途中でユーグが固まり前にも後ろにも進めなくなって大変だったとダイヤは当時を思い出し苦笑した。

しかしながら今目の前にあるものは、あの時の作り物のおばけ屋敷とは段違いの不気味さがある。

白い竜を見ると厳しい目をしており、ダイヤはここがアンデッドの皇のいる場所だと確信出来た。

怖いけれどとダイヤは口を結び、トンと地下へ続く階段に足を踏み入れる。

地獄にでも通じていそうな、その入り口に。

 

地下に降りたダイヤの目に飛び込んできたのはたくさんの棺。朽ち果ててはいるが死者が眠るための容れ物だった。

これだけたくさんの棺があるということは、ここは地下の墓場、カタコンベだろうか。

廊下は一応廊下として機能しているがこれまたボロボロで、そこら中に棺が置かれ瓦礫が散乱している。

大きな瓦礫に阻まれ進めない場所を迂回しながらダイヤたちがカタコンベの奥へと進んでいくと、ひと際立派な場所へ辿り着いた。

部屋の奥からは毒の香りと死者の気配が感じられ、ダイヤはゴクリと唾を飲み込み不安そうに目を泳がせる。

中に入ることを躊躇していたダイヤだったが、隣にいる白い竜と目が合い我に返った。

大丈夫、アンデッドを浄化できるわたしと、追い払える白い竜がいるのだから、大丈夫。

ふうと深呼吸して、ダイヤは気持ちを入れ替える。カビ臭い匂いを肺いっぱいに吸い込み微妙に顔を歪ませながらも、ダイヤは真っ暗な部屋の中へと元気よく飛び込んでいった。

 

予想していた通り、真っ暗であるため詳しくはわからないが、部屋の中はかなり広いようだ。しかしカビ臭く、それに加え腐敗臭と毒の甘い香りが混ざっているのかダイヤは呼吸をするたびに顔を顰める。

アンデッドのいる沼地の臭いを濃縮したらこんな感じになるだろう。

この部屋全部水洗いして徹底的に掃除したいとダイヤは鼻を押さえ涙ぐんだ。

そんなダイヤの耳に、カツンと澄んだ音が届く。

ダイヤが音のしたほうに顔を向けるとまた同じ音が響き、壁に反射し音はどんどんと大きくなった。その音に呼応してポツポツと部屋に灯りが燈され、いつしか部屋中を視認できるほどとなる。

見えるとはいえまだ薄暗い。けれどもダイヤの目には、この部屋の主の姿が映っていた。

骨にかろうじて薄っすら肉がついた程度の朽ちた身体に、吸い込まれそうなほどに空虚な眼、溶けた口からは毒気を孕んでいるのだろう、甘い香りが漏れている。

今目の前にいるものがアンデッドの皇だろう。

外見の不気味さと、今までのアンデッドとは比べ物にならない禍々しさに怯み、ダイヤは声を上げそうになった。

しかしこれが元凶ならばと、ダイヤは涙を引っ込め悲鳴を飲み込み「戦士」として凛とした声を上げる。

 

「っ大地を汚すものよ。あなたの世界に帰りなさい!」

 

死んだひとはこちらに居てはいけない。

こちらの世界は、生きているひとのものなのだから。

というか、死んでるなら大人しく死んどけ、死んだなら大人しく死んでろ。

こちらの世界に居てはいけないものが、こちらの世界を惑わすな。

キッと皇を睨み付けながら、ダイヤは啖呵を切った。生者として当然の主張。

しかしそれを聞いたアンデッドの皇はただただ愉しげに嗤った。

 

「クククク…、オモシろイ…」

 

カツンと杖を鳴らし薄っすらと笑んだまま、アンデッドの皇はダイヤに問い掛ける。

「我ラは、肉体は止マッてイルが闇ヨリ"産マれ"、"生きテ"イルぞ?」と。

肉体は死んでいるといえるが、魂は生きていると。

人と身体が違うだけだ、と。

 

「っでも!毒で大地を汚して…」

 

「そレモマた貴様ラと"身体ガ違う"ダけダ…。貴様ラニは毒ダロうガ我ラにとッテは薬。生きルタメの土壌ヲ作っテナニが悪イ?」

 

皇からの問いにダイヤは目を見開いた。

生きるため、だと皇は言ったのだ。

アンデッドは身体の造りが違うだけの"生き物"なのだと。

アンデッドはこの世に生きる権利を持つ命ある者なのだと。

おかしい、天使から聞いた話と違う。

天使はこれらを、生きてはいない死者だと言った。大地を汚す敵だと言った。この世で屍体は動いてはいけない。だから浄化しろと。消し去るべきものなのだと。

思わず後ずさりをしたダイヤの足がぴちゃりと濡れて、床にあった毒溜まりが跳ねた。

混乱するダイヤにアンデッドの皇は畳み掛けるように言う。

「浄化とハ笑ワセる。魂ソノモのを消滅さセル行為ノ、どコニ正義ガアるのカ」と、皇は頬杖をつき真っ黒な眼窟で嗤った。

全ての魂は、冥府で管理されている。もちろんアンデッドも。

しかし浄化されたら魂は消し去られてしまう。現世からも冥府からも存在が消える、無へと変わる。

魂の数が足らなくなる。

冥府の管理人を無視して、勝手に魂を消滅させて良いはずがない。

 

「そロソロ死神も異変ニ気付き出テクるだロウナ。名簿ト数が合ワナイと」

 

「!」

 

ビクリ、とダイヤの身体が跳ねた。

名簿と数が合わなかったら、死神はどうするのか。足らないものを今あるもので補充するのではないか。

今、現世にある魂で、補充するのではないだろうか。

そう思い立ちダイヤは青ざめる。

わたしは、いままで、なにをしてきた?

浄化と称して、魂を消し去ってきた。

これは、よくないこと、だったの?

天使とアンデッドの言い分は、

どっちが、正しいの?

 

固まるダイヤにアンデッドの皇は嗤いかけ、ゆっくりと椅子から立ち上がり言葉を紡ぐ。

「我らモ、アちラカラ魂を借リてイル身。なラバ、死神ヲ手助けすルベキだナ」とダイヤに向けて杖を振り上げた。

この身体でこういったことは得意ではないがと皇がダイヤの頭に杖を振り下ろす、その瞬間に、白い竜が額の宝石を輝かせ辺りを真っ白に染め上げた。

強い強い真っ白な光。

皇とはいえアンデッドであるためか、性質は他の個体と変わらないらしい。

皇は光を浴びた途端に顔を歪ませ、怯んだように身体を仰け反らした。

その隙を見逃さず、白い竜は硬直しているダイヤの服の裾を咥え、一目散に外へと逃げ出していく。

振り返らずに、真っ直ぐ外へ。

部屋の光が収まった頃には、ダイヤたちの姿は影も形も無くなっていた。

 

■■■

 

光の竜が逃げた方向を忌々しそうに睨みアンデッドの皇、トカイは己の椅子に戻る。

嫌な気配のする竜だと思っていたが光の竜だったとは。この地の奥に隠れ住んでいると聞いたが、何故あんな小娘が連れていたのかとトカイは小首を傾げた。

小難しい竜だ。ただの人間がおいそれと喚び出せる類いの生き物ではないはずだが。

いや、あの小娘が同士たちを消せるならばそれは天界の力、それに呼応したのか?

そこまで考えトカイはふと天井を見上げる。

 

「あァ、…逆、カ」

 

クククと嗤い声を立て、トカイは背もたれに寄りかかった。

なるほどそうかと嗤い、あの小娘を殺し損ねたことを悔やむ。

とっとと冥府に送っておくべきだった、と。

溶けそうな笑顔のままトカイは天井を見上げ、外道はどちらだと杖を弄んだ。ひとしきり嗤ったあとすっと表情を引き締める。

 

「…対抗せネバな」

 

そう呟いてトカイは立ち上がりカタコンベの奥へと向かう。

光の竜が人間についたならば、もうひとつが天使についた頃だろう。

ならばそろそろ頃合いだ。

トカイが暗い階段を音をたて下っていくと、腐敗臭が濃くなってきた。その匂いが一番濃いところ、一番下層に辿り着きトカイは杖をカツンと鳴らす。

相変わらず良い香りだと腐った地面を踏みしめながら部屋の中心へと向かい、目的のものの頭を優しく撫でた。

トカイが撫でたものは、腐った肉の塊にしか見えない。しかし、撫でた瞬間ゆっくりとだが、肉の塊がもぞりと動いた。

「目覚メよ」とトカイは穏やな声で、その腐った肉の塊、大きな竜の屍体のようなもの、に声を掛ける。

トカイの声に反応して、その竜の屍体は掠れた声を漏らしながらゆっくりと頭を持ち上げた。

 

 

この地には少し特殊な竜が居着いている。

天界の聖なる竜。

地上の光の竜。

そしてこの地下墓場にいる、死してなお生き続ける、死霊の竜。

呪いや恨みというものは、死ぬと強くなるものだ。強すぎて身体が朽ちてもその想いは遺り続ける。

想いが強すぎて死ねない。それを晴らすまでは死ぬものか、と。

それ故この竜は、屍体となってもなお、生きている。

この竜が何を呪っているのか、何を怨んでいるのか、それはトカイにはわからないが、結局のところこの竜は生きた死者。つまりは同士。

 

「鬼ノ竜よ。恨みヲ、はラスのダ」

 

ならば己の言葉が聞こえるはずだとトカイは鬼竜に指し示す。お前が充分動き回れるように、周囲は全て毒沼にしたからと。

トカイの言葉を聞いて、鬼竜は気怠げに頭を揺らしスンスンと鼻を動かした。しばらくして目を細め、掠れた啼き声でそれに応える。

ぴちゃりと水音を響かせながら、鬼竜はゆっくりと地上に向けて動き出した。

 

出掛ける鬼竜を見送り、トカイはトンと杖で地面を突く。

可愛い可愛い竜もやる気になってくれたようだ。ならば己も、とトカイは地面の中へと沈み始めた。

いらないものを排除して、

必要なものだけを残した姿に変わるために。

ああ愉しくなりそうだ。

天使が現れたときは安っぽい言い掛かりに嗤ったが、どうやら手を変えたのか人間すら利用しはじめたようだ。

どちらも哀れ、光だけを信じる哀れな傀儡。

天使も人間も、己の価値観を押し付ける愚か者でしかなかったが、さて。

あいつらは傀儡のままで終わるのか、それとも。

トプンとトカイは地下へと沈む。嗤い声だけ残しながら。

カタコンベの中には、トカイの愉しそうな嗤い声が響き渡っていった。

 

 

■■■

 

一方、白い竜に連れ出されたダイヤは、地上に出ても尚呆けて動かない。

白い竜が心配そうに鳴いたおかげで少し意識が戻り、ダイヤはようやくゆっくりと顔をあげる。

その表情は泣きそうな形に彩られており、消えそうな声色で「…わたし…」と口を動かしていた。

天使の言い分は間違ってはいない。

アンデッドも毒も人間には害なのだ、無くなる方が良い。

しかしアンデッドの言い分も正論ではあった。

彼らは己の種族が生きやすいように環境を変えているだけ。ただ生きようとしているだけ。

わたしはそれを殺し回って、いた、?

魂そのものを消し去っていた?

いままで出会ったアンデッドは全員襲い掛かってきたけれど、もしも今この地に"良いアンデッド"が居たら、わたしはそれを浄化できるだろうか。

生きている、生命を。

 

そう考えたのがいけなかったのだろうか。へたり込むダイヤの元に力強い足音が届いた。

足音の主はダイヤに気付いたのか、慌てたように近付いてきてその巨体をダイヤの前に晒す。

ツギハギだらけの顔に、縫い目だらけの身体。瞳も不思議な造りをしていて、一目で人間ではないとわかった。

彼の外見に戸惑い怯えたように身体を震わせたダイヤを見て、彼は穏やかな声色で口を開く。

 

「どうした?気分でも悪いのか?」

 

巨体をひょいと屈ませダイヤと目線を合わせて彼は「大丈夫か?」とやんわり微笑んだ。

ダイヤが小さく頷くと、目の前にいる大きな人は苦笑しながら「ハカセに教わったから応急処置ならできる。無理をするな」とダイヤの頭を優しく撫でた。

撫でてくれた彼のその大きな手は、とてもとても、冷たい。

まるで、血が通っていないかのようで、

死体のように冷たかった。

ダイヤがは恐る恐る問い掛ける。

あなたは、人間ではないの?と。

ダイヤからの問いに困った顔をして大きな人は「…肯定する」と応急処置の手を止めダイヤから目を逸らした。

 

「そうだな、すまないやめておく。…しかし此処は人間には辛い場所だと思う」

 

私にはよくわからないがそう認識できる、とダイヤに薬瓶を手渡し大きな人は悲しそうに微笑んだ。

「…早く帰るといい。その眩しいモノは君のキョウダイだろう?気配が同じだからわかる」と大きな人はダイヤを抱き上げ、竜の背にダイヤを乗せた。

私にも形は違うキョウダイがいるからわかるんだと得意げに笑い、大きな人はダイヤに言う。

 

「薬は真っ当なものだから安心してほしい」

 

ハカセが置いてったものだからダイジョウブだと胸を張り、大きな人は「此処は私のようなものが多い、アブナイからあまり来ない方が良い」とダイヤに忠告をし、そそくさと霧の中へ消えていった。

大きな人の去った方向に顔を向けながら、白い竜は小さく鳴いてゆっくりと移動を開始する。ダイヤを街に連れて行くつもりなのだろう。

竜の背に揺られながらダイヤは俯き目を閉じた。

 

お礼を言う間も無く去ってしまったあの人に、わたしはどんな顔を見せてしまったのだろう。

薬をくれたあの人に、心配してくれたあの人に、どんな瞳を向けてしまったのだろう。

あの人がアンデッドだろうと気付いてしまったわたしは、どんな表情をしてしまったのだろう。

 

彼が途中で処置をやめたことと、そそくさと立ち去ったことから大方予想はつく。

彼は、人間はアンデッドに手当てされるのは嫌だろうと処置を止め、側にいられたくないだろうとそそくさと立ち去った。

恐らく自分がそんな表情をしてしまったから。

ずっと闘っていた。アンデッドは敵だった。

でも…。

 

「……天使は、あの人みたいなアンデッドも、浄化しろって、言うの、かな」

 

ダイヤの呟いたその言葉は、霧の中へと溶けていき誰の耳にも入ることはなかった。

唯一それが聞こえた光の竜は、ダイヤの言葉に応えることなくただ黙々と足を動かす。

肯定も否定もしてくれなかった。

 

■■■

 

街までもう少しといったところで白い竜は足を止める。

流石に街中まで竜を連れていくことはできないだろう。街がパニックに陥る。

白い竜もそれを知っているのか、鳴き声でダイヤに「降りてほしい」と合図を送った。

 

「うん、ありがとう。…また、会いにいくね」

 

竜の背から飛び降り、ダイヤは白い竜を優しく撫でる。

嬉しそうに目を細め、白い竜はダイヤに擦り寄った。名残惜しそうに離れながら白い竜は心配そうに鳴く。

白い竜の態度に苦笑しながらダイヤは「大丈夫。街に天使がいるらしいから、話を聞いてみる」と街の方へと顔を向けた。

何が正しいのかこのまま浄化を続けてもいいのか、何が敵で何が味方なのか、よくわからなくなってしまったから。

白い竜に手を振りながら、ダイヤは街の中へと入っていった。

 

街の中はいつも通り、賑やかで活気に溢れている。祭りのためか街の中にはカラフルな提灯が飾られていた。

賑やかな街を見ているとモヤモヤしていた気持ちが少し晴れたような気がして、ダイヤはほっと息を吐く。

少し落ち着きを取り戻したダイヤが人通りの多い道を歩いていると、路地の奥から大きな笑い声が響いてきた。

どこも賑やかだなと別段違和感を持たず通り過ぎたのだが、目の端に妙なものが映った気がしてダイヤはピタリと足を止める。

未だ笑い声の響く路地に顔を向け、今なんか人にはないものが生えてたひとがいた気がすると少し戸惑いながら、ダイヤは恐る恐るといった風情で路地裏を覗き込んだ。

そこにいたのはやはり翼を背負ったふたりの天使。

路地裏という薄暗い場所で、青色と緑色の天使が空き箱の上に座りながら楽しげに談笑していた。

ユーグが見たと言っていた天使かなとダイヤが観察していると、緑色の天使がダイヤに気付いたのか突然顔を回しじっと視線を向けてくる。

相方の反応を見てか、青色の天使も不思議そうにこちらに顔を向けた。その天使はダイヤを視界に捉えた瞬間妙な表情となり、苛ついたように頭を掻きながらダイヤに声をかける。

 

「そこの嬢ちゃんちょっとこっち来い。気色悪くてムカつく」

 

酷い言い草だが、まあ確かに影からこっそり見ていたのはわたしのほうだし、誰だってこそこそしながら見られたら気持ち悪いわよね、とダイヤは眉を下げる。

覗き込むのはやめてふたりの前に移動し、ダイヤはぺこりと頭を下げた。

 

「ジロジロ見てごめんなさい、少し天使さんたちに聞きたいことがあっ、」

 

「あー、ちょっと待て」

 

ダイヤの言葉を遮って、青色の天使はコンとダイヤの頭を小突く。するとぽふんと音がして、ダイヤの身体は元の子供の姿へと戻されてしまった。

強制的に変身解除された、とダイヤがオロオロしていると、今まで無言だった緑色の天使が微笑みながら立ち上がり「うん、ウザったいものがくっ付いてた姿よりこっちのが可愛いねぇ」と嬉しげに近寄ってくる。

混乱するダイヤを抱き上げ、緑色の天使は先ほどまで己が座っていた空き箱の上に戻った。

そのまま己の膝の上にダイヤを乗せ、ぐりぐりとダイヤの頭を撫で始める。

なにこの状況、とダイヤが目を白黒させていると、青い天使がドン引いた声を漏らした。

 

「何お前こんなガキも守備範囲かよ気持ち悪」

 

「ふふふ、違うよ?良い子は助けてあげなきゃ…でしょ?」

 

緑色の天使の笑い声に得体の知れない恐怖感を覚え、ダイヤは必死に離れようと試みる。が、「ん?遠慮しなくて、いいからさ」ときゅっと抱き締められ、更に強く拘束されてしまった。

声にならない悲鳴を上げつつダイヤが助けを求めるように青色の天使に目線を送ると、彼は嫌そうな表情で渋々と「キモい」と緑色の天使を叩く。

「痛っ」と緑色の天使が怯み拘束が弱まったチャンスを見逃さず、ダイヤは大慌てで膝の上から降り青色の天使の影へと避難した。

ダイヤに逃げられた緑色の天使が「あ。アザゼルは怖いからこっちおいで、ボクは優しいよ?」と腕を開いたが、ダイヤは青色の天使、アザゼルというらしい、の首捲きの端を掴んだままブンブンと音がしそうな勢いで首を横に降る。

警戒しまくりのダイヤに目線を落としたあと、アザゼルは呆れたようにため息を吐き「シェムハザ、お前バカだろ」と腕を組んだ。

緑色の天使、シェムハザは「そうかもね」とクスクス笑い、諦めたように大人しく箱の上で足を揺らしはじめた。

シェムハザが大人しくなったのを確認したアザゼルは、再度ダイヤに目線を落とし「よし今のことは忘れろいいな?んで何だ?」と問い掛けた。

その言葉で我に返ったダイヤは掴んでいたアザゼルの布から手を離し、代わりに己のエプロンを握り締めポツポツと言葉を並べる。

 

「えっと、わたし、その、」

 

このまま浄化を続けていいの?とダイヤは消えそうな声で問い返した。

アンデッドにも良い人がいるみたいだし。

浄化してアンデッドを消したら、確かにわたしたちは助かるかもしれないけど、魂がどうたらで死神が怒るみたいだし。

このままあなたたちの言う通りにして、本当にいいの?

ダイヤがそう言うとアザゼルは苛ついたような表情となり、忌々しそうに舌打ちをした。

その音にダイヤが怯えてビクリと身体を跳ねさせると、シェムハザが「ほら、アザゼル怖いでしょ?」と笑う。

シェムハザの言葉に更に苛ついたらしいアザゼルは「あん?」とシェムハザを睨み付けた。

生意気言って怒らせたのだろうかとダイヤが眉を下げると、ダイヤの反応に気付いたアザゼルはバツが悪そうにガシガシと頭を掻き「あー…」と声を漏らす。

困ったように羽根を揺らしたあと、アザゼルは言葉を選びながらダイヤの頭にぽんと手を乗せた。

 

「オマエに苛ついたわけじゃねえから。…あのクソ野郎どこまでクソなんだか」

 

後半はとても小さい声。誰かに対して悪態をついたようだ。

アザゼルの言葉にダイヤが首を傾げると、アザゼルは「見えてるものが、この世の全てじゃねーってコトだ」とダイヤから目を逸らしながら答える。

また例えば、悪い奴が本当に悪い奴かなんて見ただけじゃわかんねーだろ、とアザゼルは頭を掻いた。

一方から見れば悪いことのように思えても、見方を変えたらひっくり返る。

一方から見るだけじゃダメなんだ、とアザゼルは教えダイヤから顔を背けながら声を堕とす。

 

「オマエもあーだこーだ言ってっけどよ。"オマエは"どうしたいんだ?」

 

そう言われ、ダイヤはキョトンと顔を呆けさせた。

アザゼルは構わず言葉を続ける。「あのクソ野郎に浄化しろと言われてそのまま素直にやってんのか?理由も考えず?理由もなく?」と悪態をつきつつ。

アザゼルの言葉にダイヤは目を瞬かせた。

なんで、浄化をしていたか。

そりゃ言われたからというのもあるが、根本は「アンデッドがいたら困る」「毒沼は困る」からだ。

なんでって?

アンデッドと毒沼のせいで、屋敷の外に出られなくなったからだ。

もうすぐお祭りが始まるというのに。

下見も手伝いも前夜祭へと参加も出来なくなった。

それがとても悲しくて。つまらなくて。

 

自分はどうしたいか、そんなの答えはひとつだけだ。

みんなとお祭りを楽しみたい。

戦ってきた理由はそれだけだったと、ダイヤはようやく思い出した。

 

だから、街の外を安全にしたくてアンデッドを倒してきた。

毒沼の浄化はやり方がわからなかったが、アンデッドの少ない場所は毒気も薄かったからアンデッドを減らせば毒沼もいつか無くなると思って、アンデッドを倒してきた。

アンデッドの皇のところに行ったのも、倒せばアンデッドの発生を抑えられるだろうと思ったからだ。

現に今、街はあちらこちらが祭りムードでみんな元気。わたしのやってきたことは正しかったと証明している。

つまりわたしは、なにも間違ったことはしていなかった。

みんなで祭りを楽しむために、わたしがアンデッドを倒すのは、正しかった。

ダイヤの表情が少し明るくなったことに気付いたアザゼルは、そっぽを向いたまま言葉を告げる。

 

「…したいようにしろ」

 

と。

アザゼルのその言葉にダイヤは頷きむんと拳を握った。

アンデッドがたくさんいるのは困る、だから、もう一度アンデッドの皇のところに行こう。

浄化、は魂ごと消しちゃうみたいだからやめて、清める程度にすれば眠らせるくらいで済むかもしれない。

大人しくなってくれればいいんだ、消し去る必要はなかったんだ。

大地は広いんだから、ちょっとだけ、アンデッドの住処みたいなとこがあってもいいじゃない!

 

先ほどまでのモヤモヤした気持ちが晴れたように感じ、ダイヤはふわりと微笑んだ。

そうと決めたらすぐにでも行きたい、とダイヤは駆け出そうと天使たちに礼を言い背を向ける。

と、アザゼルに頭を掴まれ引き止められた。

「?」とダイヤが振り返るとアザゼルは「短絡的すぎんだろ人間ってみんなこうか!?」と怒鳴り声を上げる。

ダイヤが不満げな顔をしたのに気付いたのだろう、アザゼルはため息をつきつつ「今日は帰って寝て考えろ。色々と良く考えろ」と叱った。

アザゼルに言われ、ダイヤは疲れていたことを思い出す。確かに今日は色々あった、自覚するとドッと疲労感が襲ってくる。

今日は言われた通り休もうとダイヤは考え、「…うん」と頷き再度天使たちに礼を告げた。

でもちょっとだけ街を回って帰ろう。お店見て回りたい。

ダイヤの寄り道の計画を知ってか知らずか、アザゼルは早よ帰れとばかりに追い払うような仕草でダイヤを見送る。

天使たちに別れを告げて、ダイヤは街の中へと消えていった。

 

■■■

 

ダイヤが立ち去ったのち、路地裏に残された天使たちはしばし街の喧騒に耳を傾ける。

この喧騒が止むことはない。

朝も昼も夜も、祭りというものがあるせいか賑やかなままだ。

人間というものは実に興味深い。死がすぐそこまで迫っているのにも関わらず、活気に溢れ笑顔を絶やさないのだから。

アザゼルは路地の隙間から見える街を、行き交う人々を眺め、少しばかり笑みを浮かべた。

しかしその笑みはすぐさま掻き消される。

 

「素敵だねぇ…あの真っ直ぐなココロ…、っはっはははははは!」

 

アザゼルが不快そうに振り返ると、今まで大人しくしていたシェムハザが腹を抱えて笑っていた。

ひとしきり笑ったあと、シェムハザはニヤける口元を押さえながら「あー、かわいー」と感想を述べる。

己と同じく人間に興味を持ったと言うから共に天から離脱したが、オレとコイツでは人間に対する興味のベクトルが違う気がする、とアザゼルはため息を吐いた。

なんというか、こう、シェムハザは人間を小動物を愛でる感覚で見ているように思える。ペット感覚というか。

アザゼルからの不信な目を無視して、シェムハザは楽しげに笑った。

 

「真っ直ぐでどうしようもなく愚かな可愛い子。馬鹿な子ほど可愛いってのはホントだねぇ」

 

知らんがな、とアザゼルが呆れた顔を作る。まあ愛でているならば優しく扱うだろうからどうこう言う気は無い。アウト案件にまで発展したら刺そう。

アザゼルが再度大きなため息を吐いたが、シェムハザは気にせず言葉を続けた。

 

「天命で人間たちを監視してろって言われた時はダルいと思ったけどさー、意外と面白かったからそこだけは感謝してあげるよ」

 

まあもう従う気も帰る気もないけどね、とシェムハザは欠伸を漏らす。

そうなのだ。

元よりアザゼルとシェムハザは、人間たちの監視観察のため遣わされていた。

人々を見ているだけ、何か動きがあったら報告するだけの簡単なお仕事。

天からの指示はそれだけだったのだが、アザゼルたちは人間たちを見ている間に情が芽生え干渉するようになってしまった。

動きが予想外で面白い。

思考が非合理的で面白い。

しかし見ていると危なっかしくてついつい手助けしてしまう。

手助けすると人間は皆優しく微笑んで礼を言ってくれた。

これで堕ちない奴は感情が欠落してると、アザゼルは頭を掻く。

使命にない人間への干渉を行なったことがバレて、天命に従わなかったと反逆者扱い。まあ、シェムハザが言うようにあんなトコロに戻る気なんざ微塵もないが。

眠そうにしながらシェムハザが口を開いた。

 

「まあ、アザゼルも楽しそうだからいいけどね。ボクについてくって言われたときは驚いたけど」

 

「ああそうだなコイツ野放しにしちゃいけないと思ってな」

 

アザゼルが皮肉たっぷりに言い返せば、シェムハザは笑って「ん?それだけじゃないでしょ?」と手をひらつかせる。

そんな理由でついてきたなら、人間にあんな色々教えてあげないでしょ?とシェムハザは意地悪げに微笑んだ。

アザゼルは人間たちに、武器と防具の作り方、魔法の動かし方、宝石と化粧と衣服で外見を飾る方法、と日常生活から闘う方法まで、知っている技術を全てを教えている。

が、どうやら天の上の人はそれが気に食わないらしく、はじめに反乱したシェムハザよりもアザゼルのほうを重罪扱いしているらしい。

 

「人間たちに何かさせたいなら、とっとと教えちゃうほうが楽だろうに」

 

「お偉いさんは都合悪いのさ。下々のものが知恵をつけると」

 

そこまで把握していながらもなお人間たちに教示をやめないアザゼルはどう考えてもボクより人間好きだよな、とシェムハザは苦笑した。

まあ口に出したら怒り出すから言わないが。

口元をニヤつかせるシェムハザに不信な目を向けながら、アザゼルは「行くぞ」と路地の外を指差す。

 

「ん?どこへ?」

 

「は?さっきのガキが言ってただろ、死神がどうたらって」

 

んなこと言ってたっけとシェムハザは小首を傾げたが、アザゼルは「十中八九、あの偽善者と手ェ組んだアレだろ。潰しとくぞ」と羽根を広げ空へと舞い上がった。

よくわからないが追いかけないと尚更面倒なことになりそうだったため、シェムハザは慌ててアザゼルの後を追う。

 

「ずっと思ってたけど、天命やってたときなんでボクがリーダーでアザゼルがサブリーダーだったんだろうな…」

 

行動力と判断力はアザゼルのが上っぽいのにと、シェムハザはのんびりと羽根を動かした。

おかげで「遅ぇ」と宙で待っていたアザゼルに睨まれてしまったがいつものことなので気にしない。

よくわからないが道すがら話を聞けばアザゼルの頭も程よく冷え、いつも通り冷静に立ち回ってくれるだろう。

イライラしているアザゼルの額をパシンと弾き、シェムハザは笑った。

 

天から離れたこのふたりは、一般的には堕天使と呼ばれるのだろう。

当人たちとしてはそう呼ばれても構わないようで、自分から堕天使だと名乗っている。

しかしながら、ふたりに問うたら笑いながらこう答えるだろう。

「堕ちたんじゃなくて、堕ちてやったんだ」と。

 

 

■■■■■■

 

 

ちょっとした雑談ですが

有能な怠け者というものは、リーダーに向いています

怠け者であるため屈託無く他人に任せることができますし、

自分が働きたくないが故に他の人を効率良く動かしますので

結果、組織やチームが滑らかに機能するんですよ

 

有能な働き者はサブリーダーや参謀に向いています

働き者なので全部ひとりでやろうとしてしまうから

上に立つより補佐に徹したほうがいいんですよね

補佐に徹する分、根回しや下準備に時間を取れますし

 

無能な怠け者はまだマシな方

言われたことだけはやってくれるから

怠け者なので、それ以上を求めなければまあ働きは充分といえます

 

一番迷惑なのは無能な働き者

間違ったまま物事を進める組織のガン

 

 

有能な怠け者は司令官に、有能な働き者は参謀にせよ。

無能な怠け者は、連絡将校か下級兵士にすべし。

無能な働き者は、すぐに銃殺刑に処せ。

 

つまりはそういう話ですが

さて、

この世界での

無能な働き者は

誰でしょうね?

 

 

-8ページ-

 

■■■■■

 

ふたりの天使と別れたダイヤはちょっと寄り道をして、そのまま両手に袋を抱えて屋敷へと帰った。

買い物は楽しい。

部屋に戻ったダイヤは袋をごとすぐベッドに倒れこみ、ウトウトと微睡み始めた。

買ったものを整理したいが想像以上に疲労が溜まっていたようだ。

襲い来る睡魔に抗うことなく、ダイヤはそのまま目を閉じた。

 

朝目が覚めて、ダイヤはぼんやりと身体を起こす。

まだちょっとダルいと目をこすりながらベッドから降り、朝の支度を始めた。

今夜にでもまたアンデッドの皇の元へと出掛けようと思ったが、朝から仕事に追われ、ようやく終わった頃には疲れ果てており、ダイヤは目を回しながらベッドに倒れこむ。

仕事が忙しかったのは、昨日に比べてアンデッドの数が減ったかららしい。

鬼の居ぬ間に洗濯、というか、少しでも安全な日にやれることはやってしまおうというか。

おかげで朝から晩まで、広い屋敷の中を走り回る羽目になってしまった。

ぐったりしながらダイヤは枕を抱き締める。

アンデッドの数が減ったのは昨日会った天使たちが何かしてくれたのかな、それとも白い竜が頑張ってくれたのかな。

お仕事落ち着いたらわたしもがんばろう、とダイヤはゆっくり瞼を閉じていった。

天使といえば、昨日初めて会ったときわたしが変身した姿を見て嫌そうな顔をしていたな。

なんでだろ、と心に細やかな疑問を残しながら。

 

■■

 

数日落ち着いた日が続いた。

確かにアンデッドはいるのだが大人しいというか動きが緩やかであり、大した騒ぎは起こっていない。

このまま平和に戻るのかなとダイヤは静かな沼地を眺めていた。

しかししばらく経って、今までの反動のように沼地がざわつき始める。

大人しかったアンデッドが突然爆発的に増え、沼地は彼らの呻き声で溢れていった。

 

「…行かなくちゃ」

 

この増え方は尋常ではない。きっと何かが起こったのだろう。

ダイヤはいつものように変身し、屋敷を抜け出しアンデッドの群れの中へと駆け込んで行った。

道すがら襲ってくるアンデッドを切り捨て、ダイヤは沼地の奥へと足を運ぶ。

前までの彼女だったらあんな大量のアンデッドに囲まれた時点で半泣きだっただろうに、今や軽々と対応出来ていた。人間の適応能力は凄いの一言では表せられない。

アンデッドをスパスパ切り裂き道を作り、ようやくダイヤは白い竜の元へと辿り着いた。

ダイヤの姿に気付いた白い竜は甘えるように鳴き、ダイヤに擦り寄る。

 

「よかった、無事だったのね。…何かあったの?」

 

白い竜を気遣いながらダイヤは白い竜に問い掛けた。白い竜は困ったように声を鳴らし、以前向いた方向、アンデッドの住処であるカタコンベの方角に顔を向ける。

「やっぱり何かあったのね」とダイヤも同じ方向に顔を向け、口を真一文字に結んだ。

厳しい顏で白い竜に向き直り、手を差し出しながらダイヤは言葉を放つ。

 

「わたしと一緒に来て」

 

ダイヤの言葉に一瞬戸惑ったような素振りを見せたものの、白い竜はコクリと頷き了承の意を示した。

ほっと安堵の表情を浮かべダイヤが「ありがとう」と竜を撫でれば、白い竜も甲高い声で応える。

ふたりは霧の深い沼地へと足を向けた。

目指すは元凶であろう皇のいる地下墓地。

きっとそこに行けば、このアンデッド大量発生を止められる。

そう信じて。

 

沼地を越え、ダイヤたちは地下墓地へと辿り着いた。

ここに来るのは2度目だが、以前よりも禍々しさが増した気がするとダイヤは少し身体を震わせる。

でもここまで来て立ち止まるわけにはいかないと、ダイヤは地下へ続く階段に足を踏み入れた。

内部は前来た時と変わらない。

薄暗くてカビ臭くて。しかし妙なことに、腐敗臭が若干減っていた。

不思議に思いながらも、ダイヤは以前皇のいた奥の部屋へと進んでいく。

そして目的の部屋にたどり着くと、躊躇せず部屋の中へと飛び込んだ。

 

来訪者に気付いた部屋の主は「おや」とダイヤたちを歓迎するように杖を鳴らした。

じわじわと灯りが灯り、部屋の中を、部屋の主の姿を映し出していく。

皇の姿が露わになるにつれ、ダイヤは目を丸くした。

目の前にいるアンデッドの皇は、以前と外見が変わっていたからだ。

以前は「毒を持った屍体です。腐ってます」という風貌であったのに、今目の前にいるのは「余計な肉を削ぎ落としました」とも言いたげなほど真っ白な、骨のような姿。

発する気配と魂が震え上がりそうな声色が同じだから本人だろうと思うのだが、以前会った時と違いすぎる。

堂々とした佇まいから、皇というより帝と呼んだ方がしっくりきた。

綺麗な骨格ですねとつい言いたくなった己の口を押さえ、ダイヤは問い掛けた。

外で大量発生しているアンデッドはあなたのせいなの?と。

アンデッドの帝は頬杖をついたまま嗤い、「余計なものを落としたら調子が良くてな」と杖を鳴らす。

今ならお前を同士にしてやれるぞ?と口の端を吊り上げる帝にダイヤは身震いし、剣を向けて拒絶の態度を取った。

 

「闇より生まれし者よ。我が光芒があなたの闇を割き、清めましょう」

 

ダイヤがそう静かに言葉を紡げば、帝は怯むどころか愉しげに嗤いはじめる。

自身と敵対する生物が現れたにも関わらず、それが凶器を向けたにも関わらず、嗤った。

嗤いながら帝は言う。「強がるな、小娘」と。

 

「お前の心は疑いと不安でいっぱいではないか…」

 

帝からの指摘にダイヤはピクリと身体を反応させた。

それは事実であったからだ。

天使に対する疑い。特にダイヤに力を与えてくれた天使の言い分は正しかったのか、浄化という行為は正しかったのか、と。

それ故不安。正しいのか正しかったのかと気に掛かり、ずっと心が落ち着かない。

己の状態を指摘されたダイヤだったが、プルプルと首を振り帝をキッと睨み付けた。

 

このアンデッドは言葉を巧みに操って、他者の心を惑わすのだから。

 

彼の戦い方は、武器を扱うでも毒を撒き散らすでもない。

舌戦にて心を弱らせ、動揺した隙をついて仲間を喚び出し物量で攻めること。

故に彼は直接的な攻撃が得意ではない。弱らせたものを討ち取る程度の腕力しかない。

まあ代わりに、喚び出した仲間を補佐し強化する術には長けているが。

 

つまるところ、心が負けなければ彼に負けることはない。

それに物量で押されても、ダイヤには広範囲に対処できる白い竜がいるのだ。

充分に対抗できる、充分に闘える、はず。

 

負けない

折れない

諦めない

 

ダイヤの態度を見てアンデッドの帝は「ほう…、面白く醸成されてきたではないか」と愉しげに微笑み、カツンと杖を鳴らした。

帝が杖で地面を叩くたびに地の底からボゴリとアンデッドが湧いてくる。

 

「完成されし我が不死の力を味わうがよい!」

 

部屋いっぱいに喚び出されたアンデッドたちを見て、気を引き締めたはずのダイヤは青ざめた。

あれちょっとまってこれ流石に多いヤバイかもしんない。

帝本体を叩けばアンデッドの発生は止められるだろう。しかし大量のアンデッドに阻まれ帝の元へ辿り着けない。

白い竜と協力して邪魔するアンデッドを減らしても、すぐに新しいアンデッドが補充される。

というかそれ以前に、室内にアンデッドがみっちり詰まっている状態を想像してほしい。腐敗臭で呼吸がヤバイ。

ダイヤがアンデッドたちの波状攻撃に目を回していると、背後からひゅんと風切音がして突然目の前が真っ白に染まった。

突然ことに驚きダイヤは「きゃ!」と悲鳴を漏らしたが、眩しいだけで身体に外傷はない。

これは、そうだ、まるで、あの時天使から力を授けられた時のよう。

あの時も真っ白な光に包まれて、空には、とダイヤは天井に顔を向けた。

そこにはやはり天使がいて、2枚の白い羽根を揺らしている。

 

「…あら?」

 

宙に浮かぶ天使の姿を見て、ダイヤは不思議そうな声を出した。

翼は2枚。あの時の偉そうな感じの天使とは違うようだ。

白い羽根で、だいたい黄色くて、わたしより少し大きいくらいの…。

あ、とダイヤはポンと手を鳴らした。このひと、ちょっと前にアンデッドの皇のところへ行くのを止めてくれた天使だ。

天使に気を取られていたダイヤは、ようやく部屋の中の変化に気付く。光が収まると、あれだけたくさんいたアンデッドたちが全員消え去っていた。

ダイヤが驚いている間に黄色い天使は澄んだ声を部屋中に響かせる。

 

「天空よりの使者クレイ、此処に!」

 

黄色い天使はクレイというらしい。初めて名前知ったとダイヤがクレイを見つめていると、クレイはひよひよとダイヤの元まで降りてきた。

そのままクレイはダイヤに声を掛けることなく背を向ける。

己の背と羽根でダイヤを庇うように立ち、アンデッドの帝に言葉を投げ付けた。

 

「天より照らせし我らが光で、どんな闇も消してみせる!」

 

先ほど部屋を埋め尽くしていたアンデッドを消したように。

一瞬で仲間たちを消され呆けていたアンデッドの帝は、クレイの言葉で我に返ったのか、嗤いながらカツンと杖を鳴らした。

 

「どれだけ照らしたつもりでも、陰が貴様の後をつけているぞ。ククク…」

 

帝の杖の音に呼応して、またポコポコとアンデッドの群れが地の底から這い出してくる。

光がある限り影は無くならないと、そう体現するかのように。

これではキリがない。

無尽蔵の高速増殖炉を相手にしているようなものだ。

クレイもそれに気付いているのか、ダイヤに背を向けたまま問い掛けた。

 

「一旦引いて立て直すべき、だ、と思う」

 

ダイヤとてその提案に異論はない。

単体では簡単に倒せていたから、アンデッドという種を甘く見ていた。

単体でいるよりも複数体で動くのがアンデッドの真骨頂。

つまり本気のアンデッドにはまだ敵わない。

ダイヤが頷いたのを横目で見ながらクレイは白い竜にも問い掛ける。

 

「ホワイトドラゴン、キミはひとりでも退却できるな?私がダイヤを連れて行く」

 

「はへ?」

 

急に名前を出され、ダイヤが変な声を出したのと、白い竜が頷いたのは同時だった。

クレイにひょいと身体を抱えられ、ダイヤはふわりと宙に浮く。

そのまま猛スピードで空を飛び、入り組んだ地下墓地の中を地上へ向けて駆け抜けた。

ダイヤたちの後を追うようにアンデッドがポコポコと通路に現れる。が、クレイの飛ぶ速さには追い付けないのか、地下を脱出した頃には影も形も見えなくなっていった。

 

地上に出てからもクレイは休むことなく飛び、その後からホワイトドラゴンも遅れることなくついてくる。

地下墓地からかなり離れたあたりまで来た頃、ようやくクレイはスピードを落とし小さく息を吐いた。

助けてくれた礼を言おうとダイヤは口を開く。

 

「えっと…」

 

「あ、あああすまない緊急事態だったから、許可なく触れてしまっ、…た」

 

ダイヤの言葉を遮り何故か謝罪し、クレイはカチンと固まった。

クレイの言葉にダイヤは首を傾げる。抱っこくらいなら別に気にしないけど。と、今己の身体が大人であることを忘れて、子供の感覚で。

カチンと凍りついたクレイの手が緩まったのを感じ、落ちそうになったダイヤは「ひゃ!?」とクレイの首回りに手を回した。

流石にこの高さから落ちたら大怪我するか死ぬ。

ダイヤ的には"落ちそうになったから掴まった"程度の行動であったが、クレイとしてはそうならない。なんせ思い切り抱きつかれたのと同じなのだから。

その上首回りに抱きつかれたため、互いの顔が非常に近い。

ボンと音でも聞こえそうな勢いでクレイの顔が真っ赤に染まり、羽根の動きが伸びきったままピタリと止まった。

宙に留まるための羽ばたく翼が止まったならば、あとはもう、落ちるしかない。

 

「ひゃーー!?」

 

落下に怯え尚更クレイに抱きつくダイヤだったが、それが逆効果なのだとは気付かないだろう。

ホワイトドラゴンが慌ててふたりを背中でキャッチしてくれなかったら、そのまま地面に叩きつけられていた。

ホワイトドラゴンの背の上でダイヤは安堵の息を吐く。

びっくりしたと涙目のダイヤに対して、ようやく自我を取り戻したクレイはペコペコと地面に着くまで謝罪し続けた。

 

ホワイトドラゴンがゆるりと地面に降り立つと、クレイは先立って背から離れダイヤに向けて手を差し伸べる。

背から降りるのを補佐してくれるようだ。

ありがとうと微笑んで、ダイヤはクレイの手を取った。

補佐してもらいながらダイヤは竜の背から降りる。大地に足を下ろす瞬間、ダイヤは沼地の泥に足を取られ身体のバランスを崩した。

 

「きゃ…」

 

「!」

 

沼地にひっくり返る寸前でクレイがダイヤを抱きとめ、泥まみれになる未来を回避する。しかし同時にぴちゃんと音を立てクレイの足が大地に付き、踏みしめた勢いのまま彼の白い羽根に泥が跳ねた。

白いものを汚してしまったと「ごめんなさい!」と反射的に謝罪し、ダイヤは急いで体勢を立て直し羽根についた泥を払おうと手を伸ばす。

が、ダイヤの手が羽根に触れそうになった瞬間彼の翼はふわりと散り、辺りに柔らかな羽根を舞い踊らせた。

クレイの背中にあった羽根は、ふわふわと舞いながら地面に吸い込まれていく。

 

「え?え!? 天使の羽根って取れるの!?大丈夫なの?!」

 

取れたらどうなるの、取れていいものなの?とオロオロしながら舞い散る羽根を見渡すダイヤは、心配そうにクレイに顔を向けた。

するとパキャンと音を響かせ、頭の後ろにあった輪っかが砕け散る。

壊れていいもんなのあれ!?と更に狼狽するダイヤの目の前で、今度はクレイの顔を覆っていた兜が破れ堕ちた。

そこから現れたクレイの顔は、キラキラした金の髪を持ち、穏やかそうに整っている。

口をポカンと開き目を見開き、ダイヤは柔らかく微笑むクレイの顔をただただ見つめていた。

 

「………」

 

「ああ、大丈夫だ。こんな風になるとは知らなかったから私も驚いたが」

 

クスクスと笑いながらクレイは「なんか涼しいな」と己の髪を弄る。

惚けたまま動かないダイヤに首を傾げながら、クレイは改めて名を名乗った。

 

「私は天地騎士クレイ。命とともに地を這うことを選んだ、元、天使だ」

 

天使。

確かについさっきまでは天使だった。けれども今は人と同じ形をしている。

ダイヤが目を瞬かせるとクレイは微笑んで「ああ、今は人間だ、と思う。ダイヤと同じ。今さっき成っただろう?」と首を傾げた。

羽根がなくなったのも、輪っかがなくなったのも、兜が破れたのも、天使を辞めたから。

天使って辞められるもんなのだろうか。

人間は人間辞めるの難しいと思うのだが。

混乱しているダイヤを尻目に、クレイは人間となったことで少しはしゃいでいるのか楽しそうにその場で足を動かした。

 

「地面が足に張り付くようだ…。だが不思議と落ち着くよ」

 

ニコニコしながら大地に立っていられることを喜んでいる。

なんか子供みたいだなとダイヤは微笑ましく思い、ようやく気持ちが落ち着いてきた。

天使ならば色々と事情を知っていそうだ、話を聞きたい。

しかし話を聞くにも場所がない。

屋敷には連れて行けないだろうし、内容的に人目のある場所もダメだろう。

悩むダイヤの脳裏にふと友人たちの顔が浮かんだ。

ユーグたちなら天使とも面識があるし相談に乗ってくれるかも。

うんとひとり頷いて、ダイヤはクレイに声を掛ける。

 

「とりあえず沼地から出ない?街に行きましょう」

 

「ああそうだな。すまないハシャぎ過ぎた」

 

照れ臭そうに頭を掻いてクレイは前に進もうと足を動かした。

ら、

クレイはバシャンとド派手な音を立てすっ転び、沼地の中へとダイブを決める。

 

「へ?」

 

「……?」

 

キョトンとした顔を見る限り、どうやらクレイ本人も何が起こったのかよくわかっていない様子。泥まみれになりながら目をパチクリさせていた。

もしかして、歩き方が、わからない?

そりゃそうだ、今までふよふよと空を飛んでいた生き物が突然「歩け」と言われてもわかるはずもない。

そんなこと、したことがないのだから。

歩くために足を動かすことは知っていても、どうやって足を動かすのかは知らない。

自分とていきなり翼を授けられ、「飛べ」と言われても上手く飛べない自信がある。

そんな感じかしらとダイヤは慌ててクレイに駆け寄り、抱え起こそうと手を伸ばした。

しかしクレイに首を振られてしまう。

 

「まだ、慣れていないだけだから。触ったら汚れてしまうから、自分で、」

 

クレイの言葉を遮るように、ダイヤはクレイの身体を抱え起こした。

驚き困ったような顔を作るクレイにダイヤは「汚れたら洗えばいいだけだから!わたしお洗濯も得意なのよ?」と笑い掛ける。

ふたりして泥まみれななりながらもなんとかクレイを立ち上がらせることに成功し、そのままダイヤはクレイの手を掴んだ。

 

「え」

 

「繋いでれば転びにくくなるでしょ?ゆっくり行こう!」

 

そう言ってダイヤはクレイを引っ張るように先導する。

右ー、左ー、右ー、左ー、と歩く方法を教えながら。

クレイがたどたどしくとも数歩歩けたのを喜びつつ、ダイヤはホワイトドラゴンに振り返った。

「今日はありがとう、また来るね!」と手を振って別れを告げる。

ゆっくりと一歩ずつ進むふたりを優しく見守りながら、ホワイトドラゴンは気遣うような鳴き声で応えた。

 

正しい道を選んで欲しいと言いたげに。

 

 

■■■■■■

 

 

さて、

今回はこのあたりまでにしましょうか

ここは全てがきちんと混ざり、絡み、繋がる場所

ただそれに気付くためには

いくつかの視点からも見ていかなくてはなりません

 

ひとつの視点で味方だと思ったものは、

もうひとつの視点では敵となり、

また別の視点ではまた変わる

 

正しいと思ったものは

間違いに変わり

間違いは正解へと変わる

 

天から堕ちたものによって正しく間違った道は

真っ直ぐ歪んだまま繋がっていく

 

正しいですし真っ直ぐですよ?

間違って歪んでおりますが

 

意味がわからない?

ならばそれは

見ている視点が足りません

 

 

さてさて、

それでは少し時間を戻して

もうひとつの視点から、同じ時間を見に行きましょうか

ぐるぐると、視点と考えを回しましょう

 

 

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6章。続きもののようななにか。独自解釈、独自世界観。捏造耐性ある人向け
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