真・恋姫†無双 〜夏氏春秋伝〜 第百四十九話
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月は沈み、されど太陽は未だ昇らず。

 

薄暗い闇に包まれた長江の河上で対峙する二組の大船団があった。

 

距離を開けて陣形を組む両軍は、異様なことにどちらも極端な前掛かり。

 

どちらかが相手に合わせて急遽作り上げたものでは無い。

 

始めから、この日の戦の準備を行っている段階から既に決まっていた陣形である。

 

そこには両軍共にこの日に決着を付けんとする強い意志が垣間見えるほどであるが……

 

よくよく見れば、どっしりと落ち着き払って構える魏軍の船団とは対照的に、微妙に慌ただしい様子の連合艦隊。

 

それでも、そんなことは知ったことではないとばかりに、魏軍船団から一艘の小舟がゆっくりと突出する。

 

小舟に乗るのは言わずと知れた”天の御遣い”、北郷一刀その人、それと護衛兼付き添いとなる数人の兵。

 

いつもと異なる点があるとすれば、それはその足下に転がる小さな布袋くらいであった。

 

連合側は連日の舌戦を、しかも前日とは違う者が仕掛けて来るのかと考えた様子。

 

呉からと蜀から、誰が出ていくつもりか、と即座に決定しようとしていたところ、連合の動きを待たずに一刀がゆっくりと動きを見せた。

 

連合の面々は皆一様に一刀の一挙手一投足に注目する。

 

何を仕掛けて来るつもりなのか、或いは一刀に対して攻撃を開始すべきなのか。

 

様々な思考が過ぎるも、そのあまりにも無防備に見える様が罠の可能性をビンビンに感じさせる。

 

結局、呉も蜀も弓兵の準備をさせて一刀の行動に対して即応することに決めた。

 

消極策のように見えるが、最善とは言えずとも悪手では決して無く、無難な選択だ。

 

連合の思惑としては開戦はもう少し後――東の地平線から姿を見せようとしている太陽が昇り始めて暫くの時――のはずだっただけに、既に魏の術中に嵌まっている悪寒が軍師達の背筋を這い廻っていた。

 

今日と言う日の出陣に当たり、連合はわざと魏の間諜に見せつけるように動き出した。

 

それは日の出直前に開戦となるよう、魏の本隊を誘うためであった。

 

ところが、偶然かわざとか、長江に出てからの魏の前進が早かった。

 

その結果、日の出がまだまだ訪れないような時間帯から両軍が対峙する事態となってしまっていたのである。

 

状況が把握し切れていない。それが連合の軍師たちが積極策に出られない真なる理由であった。

 

 

 

 

 

一刀は連合の将という将の視線が集まっているだろうことを感じる。

 

ただ、それだけではまだこの後にしようとしている内容に十分な成果が見込めない。まだタイミングを図る必要がある。

 

その時はほどなくして訪れた。東の空が薄明るくなってきたのだ。

 

ここが仕掛け時。一刀はそう判断し、足下の布袋に手を伸ばす。

 

そして、その中に入れておいた”それ”を掴んだ。

 

連合からはまだよく見えていないだろう。

 

せいぜいが、縄のようなものが付いた球体を一刀が持ち上げたように見えるくらいか。

 

一刀はその”球体”を高々と掲げ、すぅっと大きく息を吸いこみ、そしてあらんばかりの声を張り上げた。

 

「聞けぇ、連合の愚者たちよ!

 

 我が名は”天の御遣い”、北郷一刀也!

 

 我等が魏国を内側より崩そうなどと浅慮な画策は、天の国より持参した我が眼、我が耳、そして我が頭脳が全て看破した!

 

 これがその証拠となる!とくと見よ!!」

 

一刀が叫んだその一瞬の後、東の地平線に太陽が頭を出した。

 

それと同時、二つの船団を包んでいた薄闇が切り裂かれていく。

 

そして連合の目に移った球体の正体は――――

 

「なっ……」

 

「そんな、馬鹿な……っ!!?士元もいながら、決行前に看破されたのか……っ!?」

 

「祭……」

 

連合を大きく動揺させるに十分なものだった。

 

「さ、祭殿っ!!貴様っ、北郷ぉぉぉっっ!!」

 

甘寧が怒りに顔を真っ赤に染め上げて叫ぶ。

 

それが球体の正体の答えを表していた。

 

即ち――――黄蓋の首級である。

 

呉の将達は突然突き付けられた宿将の死に同様を隠し切れない。

 

甘寧ほどでは無いにしても、幾人もの将がその瞳に怒りを滾らせている様子が見て取れた。

 

さて、では蜀の方はと言えば、こちらはまだ呉ほどでは無い。

 

連合を組んでいるとは言っても、所詮は隣国の将の話。

 

多少思うところはあれど、まだ冷静さを保っていられるレベルであった。

 

だからこそ、今度はそちらに爆弾を投げ込む。

 

一刀は隣に兵を呼び、黄蓋の首級を継続して掲げる役目を任せ、おもむろに足下の袋から別のものを取り出す。

 

それは昨夜拾い上げた?統の帽子。

 

日の光の下で見るその鍔はべっとりと赤く染まっていて――――

 

「こちらもまた、愚かな潜入を企てた者の物だ!

 

 さすがに相手が少女とあってはその首級を晒すことは躊躇われるのでな。代わりの物を用意してやった!」

 

 

 

 

 

「えっと……これって冗談なのだ……?」

 

「何てこと……雛里ちゃん……」

 

一刀の策は今度こそ、蜀にも多大な動揺を引き起こすことに成功していた。

 

それも、その効果の程は尋常では無かったようで。

 

「雛里、ちゃん……?そんな……嘘……雛里ちゃん……雛里ちゃんっ!!」

 

蜀の本陣では劉備が突き付けられた事実を信じられず、取り乱していた。

 

前日の軍議で確かに策の失敗の可能性は議題に挙げられ、それも十分に考慮されていた。

 

が、こうしてまざまざと味方の死を見せつけられる事態になるなど、どこかで起こり得無いものと考えてしまっていたようだ。

 

劉備が半狂乱になり掛けたその時、バチンと大きな音が蜀の本陣に響いた。

 

「桃香様っ!しっかりしてくださいっ!今は、今だけは嘆いている暇はありませんっ!!」

 

諸葛亮が劉備の頬を両掌で強く挟んだ音だった。

 

ここで蜀の頭が混乱すれば、軍の士気に致命的な影響を引き起こす。

 

それを避けんとしての諸葛亮の行動であった。

 

劉備は今の事態も忘れて諸葛亮を睨もうとする。が、諸葛亮もまた止めどなく涙を流しているにも関わらず、今はそれを拭おうともせずに劉備を逆に睨みつけるような強い視線を向けていた。

 

その顔を見た瞬間、劉備は自身の役目と今の状況を全て思い出した。

 

少しでも冷静になろうと二度、三度と深呼吸を繰り返す。

 

「ごめん、朱里ちゃん。ありがとう。

 

 北郷さんに動きは?」

 

「まだ何もありません。今はまだ、策の効果のほどを確認しているかのような……

 

 けれど、恐らくそろそろ――――」

 

そんな諸葛亮の言葉に呼応するかのように、再び一刀が動きを見せる。

 

 

 

 

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黄蓋の首級、そして?統の血塗れの帽子。

 

これらを突然突き付けられた連合は二日目の開戦を前にして大きく揺れていた。

 

一刀のこの行動は、将たちや一部の兵を、復讐心から奮起させてしまうことになる可能性が高い。

 

だがそれ以上に、軍に入ってまだ日が浅い兵たちの戦意を挫くには良いパフォーマンスとなるだろう。

 

まずはこれでいい。

 

ここからもう一段、一刀は策を用意している。

 

先ほど奮起した兵たちの戦意を挫く、そんな策を。

 

一刀はもう一人兵を呼び、今度は?統の帽子を掲げさせる。

 

そして両手をフリーにした一刀は、連合へ向けて片手を上げた。

 

「厚顔にもかような小細工を我等に披露してくれた連合の度胸を称し、我が真の力を一つ、お見せしようでは無いか!

 

 刮目せよ!!」

 

上げられていた一刀の手が下ろされる。それと同時、後ろに控えた兵が背後の魏の船団に向けて鏡を揺らし――――

 

「よっしゃ、合図来たで!もう弾はちゃんと篭めとんな?

 

 ほんじゃあ……発射や〜!!」

 

魏の船団最前線中央で真桜が嬉々として叫び――――

 

轟音が二つ、戦場に鳴り響いた。

 

 

 

 

 

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「こ、黄忠様!回避、間に合いません!!」

 

「撃ち落します!ふっ!」

 

連合左翼側――蜀が受け持つ側で狙われたのは黄忠の船。

 

飛来する黒い物体の速度は凄まじく、到底船を動かして軌道から脱出することは出来ない。

 

ならば、と黄忠は自慢の弓術を以て物体を撃ち落そうとした。

 

黄忠の本能は既にその物体に対して警告を猛烈に発し続けている。

 

故に、第一射から容赦無し。秋蘭でも出来るか分からない、五連速射で迎え撃った。ところが――――

 

「なっ!?」

 

五本の矢が次々と命中した物体は、全ての矢をあらぬ方向へと弾き飛ばし、僅かに軌道を変えただけで船へと突っ込んで来たのである。

 

黄忠は驚きに目を丸くする。しかし、最早何も出来ることは無かった。

 

魏軍から飛来した物体が船に当たる。その瞬間、強烈な揺れと共に耳を塞ぎたくなるような音が聞こえた。

 

あまりにも大きなバキバキという音は、黄忠からしても何が起こったのかを認識したくないと思わせるほど。しかし、そういうわけにもいかない。

 

「誰か、被害状況を確認して!」

 

「せ、船底が……船底が大破!既に浸水が……!ふ、船はもう持ちません!!」

 

「黄忠将軍!揺れが……船の揺れが制御出来ませんっ!!

 

 既に河に落ちた者もっ!!周倉さんの部隊も振り落とされた模様っ!!」

 

「くぅっ……!」

 

黄忠は理解と出すべき指示が追いつかず、思わず呻き声を漏らす。

 

たった一撃。魏からのたった一撃で精強を誇る黄忠の弓部隊の乗る船が沈められようとしているのだ。

 

とても現実の出来事とは思えない。一瞬の後に周囲の光景が靄と消えて、夢であったと言われる方がまだ現実感がある。

 

「振り落とされた者たちの――――」

 

人数の確認を、と指示しようとしたそのタイミングで、またも信じられないことが起こった。

 

黄忠は背後で突然巻き起こった熱気に呆然と振り向く。

 

”そうなる”ような物資は積んでいなかったはずだ。そもそも魏が放った物体は船の腹に当てられていたのに、それが甲板に影響を及ぼすなどと……

 

思考がフリーズしかける。

 

黄忠ほどの熟練の将をそこまで追いつめたその事態とは、即ち、黄忠の船の炎上であった。

 

黄忠の視線の先では轟々と音を立てて燃え盛る炎。

 

もしも風に煽られれば、それは周囲の船にまで大きな被害を出し兼ねない。

 

連合がやりたかったことを先取りされた。その認識はあった。黄忠にはこの炎上が偶然には思えなかった。

 

しかし、方法が全く推測も付かない。確かなことは、火矢は飛んできてはいなかったのだ。

 

ただ、今この瞬間、一つだけ言えることがある。

 

「皆さん、この船は放棄します!

 

 すぐに河に飛び込み、近場の船へ!」

 

兵にはそう指示を出す。

 

最早、この船では戦えない。それは誰の目にも明らかだった。

 

指示を受け、兵は迷わず次々に河に飛び込んでいく。

 

その一方で、黄忠は船上にまだ残っていた。

 

その手にはいつもの弓では無く、護身用に佩いているだけであった剣が握られている。

 

「こちらはあまり得意では無いのだけれど……

 

 被害はこの船だけで留めなくては……!」

 

黄忠は決死の覚悟で船の破壊を始めていた。

 

 

 

 

 

「お頭!変なもんが飛んできますっ!」

 

連合右翼、呉の将たちが配置された側で狙われたのは、呉の水上戦力として最も厄介だと見なされた甘寧の船であった。

 

こちらに飛んできた物体は甲板に着弾するコースである。

 

「私が弾く!はぁっ!!」

 

甘寧が曲刀を一閃する。狙い違わず物体を捉え、甲高い金属音が鳴り響き――――

 

「ぐぅっ?!」

 

甘寧の腕が得物ごと弾き飛ばされてしまった。

 

勢い余った甘寧はそのまま甲板上を転がる。

 

ようやく転げ終わった時にはその回転によって三半規管をやられていた。

 

それでもどうにか上半身を起こし、状況を確認しようとする。

 

「ぐっ……ど、どうなった?

 

 被害状況を報告しろ!」

 

「はっ!お頭の一撃であれの速度は落ちましたが、甲板への直撃は免れず!

 

 大きく穴を開けられました!」

 

「他に被害は?!」

 

「人的被害は微少です!船内部は今他の奴らが確認を――」

 

「お頭っ!船の中を見て来ましたが、大きな被害はありませんっ!

 

 積んであった物資は被害無しです!」

 

あまりに想定外の事態となっているが、報告を聞いて甘寧は安堵する。

 

ただ、運が良かっただけだろうとも考えていた。

 

もしもさきほどの物体を船の横っ腹に当てられでもしていたら……

 

そんな想像が脳裏を過ぎった時、その報告が聞こえる。

 

「お頭!蜀の連中の方で一隻、船の腹に被弾してます!

 

 にしても……ありゃあもう駄目だろうな……」

 

ポツリと漏れてしまったらしき兵の本音の言葉に、甘寧は戦慄を覚えた。

 

河賊上がりの甘寧は船上戦闘においては絶対の自信を持っていた。

 

事実、水軍の強さに定評のある呉が保有する戦力の中で、甘寧の部隊とその船が群を抜いて船上戦闘能力が高いのだ。

 

だと言うのに。先ほどの一撃の当たり所が悪ければ、訳も分からぬ内に自分たちも沈められていただろうことに思い至り、驚愕に身が凍った。

 

「そ……総員!厳戒態勢っ!!

 

 敵の動きをよく見よっ!

 

 すぐに船も旋回!例の筒の口をこちらに向けさせるな!早くしろ!!」

 

「は、はっ!!」

 

本能で感じ取った恐怖を避けんと指示が自然と口から飛び出る。

 

両軍合わせた中で最も水上の機動力を有する者たち。それがこの甘寧隊。

 

今後、”あれ”だけは絶対に食らわせない。

 

そんな心中が声となって聞こえてきそうなほど、全力の機動を見せてきた。

 

一刀でも真桜でも、最早甘寧の船に当てることは叶わないと考えるだろう。もっとも――――

 

 

 

 

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「おぉっしゃ!ええ感じ、ええ感じやで!

 

 ほんなら後二発、ちゃちゃっと撃ってまうで〜!

 

 準備はええか〜?!」

 

魏の最前線中央で真桜は非常に上機嫌であった。

 

自身の手掛けた兵器が最上の効果を発揮している。それが嬉しくないはずが無いのだ。

 

真桜の呼び掛けに対し、工兵たちが準備完了を手振りで示す。

 

「ほんなら残りの二発も予定通りいくでぇ!

 

 ウチらの傑作たるこの『大砲』、馬騰でも孫堅でもどんと来い、ってもんや!

 

 撃てぇ〜っ!!」

 

再び轟音が二つ。

 

今度の物体――砲弾は連合側の最前線中央、そしてそれらの頭上を飛び越えて本陣を狙っている。

 

どちらか、あるいはどちらにも、連合の最高戦力たる二人がいるはずだとの軍師たちの予測があったからだ。

 

はたしてそれは、どんぴしゃり。

 

連合最前線の中央の船では馬騰が。呉側本陣では孫堅が。

 

それぞれ飛来する砲弾をその視界に収めていた。

 

 

 

 

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「はっ!こりゃあまた、ご大層なもんを拵えてきたもんだねぇ。だが……」

 

黄忠の船に起こった惨状を目にし、それを引き起こした物体を目の前にしてなお、馬騰には一切の焦りや怖れは見られなかった。

 

どころか、悠然と己が戟を構えると――――

 

「こんなもんじゃあ、このあたいは殺れないよっ!!」

 

裂帛の気合と共に戟を一閃。

 

甘寧を弾き飛ばしたその物体に真正面からぶつかり――――弾き返して見せた。

 

「あたいを仕留めようってんなら、こんなちゃちなもんじゃなく、直接斬りに来なぁっ!!」

 

戟を振り上げ、一刀に向かって吠える。

 

その一連の光景は連合、特に蜀の軍にとって最高のパフォーマンスとなった。

 

短時間の間に次々に起こった信じがたい事態の数々に呑まれかけていた蜀の兵士たちであったが、少なくとも馬騰周りの兵は混乱を脱した様子だった。

 

そして、それは呉の本陣の方でも同様で――――

 

 

 

 

 

「はあっ!!」

 

呉の本陣に斜め上から飛来する砲弾には孫堅が斬りかかっていた。

 

馬騰と同じく、かつて英傑と謳われた彼女の一閃は、やはり砲弾に負けることも無く。

 

それどころか、孫家の宝刀・南海覇王の一閃に見舞われた砲弾はものの見事に真っ二つに割られてしまった。

 

「ふむ……冥琳。こりゃあ何だい?

 

 まさか本当に天の産物じゃああるまいに」

 

「恐らくは魏の連中の新兵器では無いかと。連中の中には色々と妙なものを作り出す者がいるようですので」

 

「ああ、昨日董卓のとこの連中が持ってた奇天烈な弓みたいなやつと同じってのかい」

 

孫堅は周瑜の一言で納得した。

 

逆に言えば、それだけ魏の真桜の存在は他国にとっての見えざる脅威となっていたのである。

 

「この兵器に関しては明命ですら全く情報を取れていませんでした。

 

 あとどれだけ撃って来れるのか、見当も付きません」

 

「そうかい。なら、精々本陣を落とされちまわないように用心しとこうかね」

 

孫堅は鋭く前方を見据える。

 

連合の者たちは悉く何等かの感情に襲われている。それは身内が殺されたことへの憤怒であったり、目の前で味方が蹂躙されたことへの恐怖であったり。

 

しかし、この状況下においても孫堅は冷静そのものであった。

 

黄蓋の首級が晒された時に一言、しくじっちまったのか、と呟いたのみ。

 

今、彼女がまっすぐ見つめるその先に、一体何が見えているのか。それはまだ、彼女しか知らないこと――――

 

 

 

 

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「隊長、第二射はどちらも効果無しのようです」

 

「ああ……こちらでも確認した」

 

大砲の第一射が轟くと共に魏の陣へと帰還を始めていた一刀は、その第二射を魏の布陣の中から見ていた。

 

故に、一刀は砲弾が馬騰によって弾き返され、孫堅によって一刀両断された様子をはっきりと目にしていたのである。

 

(この時代の戦にこんなオーバーテクノロジーの塊を投入した俺が言うのもなんだけど、あっちのも大概チートが過ぎるよなぁ……

 

 けど、想定が正しかったら、あの二人を打倒しなきゃあ、真の意味で華琳の覇道は為されないわけで……

 

 ほんと、嫌になるね……)

 

口には出せないが、どうしても愚痴は心に溜まる。

 

しかし、既に一刀も腹は括っている。

 

一刀の近辺に配置された凪、菖蒲、斗詩、真桜と零に届くように声を張り上げた。

 

「真桜!予定通り、本陣に下がって華琳の護衛を頼んだ!

 

 敵前曲の中央は馬騰だ!接敵したら、あれの相手は俺がする!

 

 零!大物が出て来てるが、ここの戦闘の指揮は予定通りに全て預けても問題無いか?!」

 

「ええ、任せなさい!むしろ、腕がなるわ!

 

 斗詩!補助と護衛、頼んだわよ!」

 

「はい!お任せください!」

 

零と斗詩が一刀の後背から頼もしい言葉を返す。

 

これならば大丈夫だ、と確信した。

 

「よし。凪、菖蒲!打ち破るぞ!」

 

『はいっ!』

 

気合は十分。

 

皆も大砲の威力は十分に知っているだけに、馬騰に怖れをなしはしないかと心配だったが、それは杞憂だったらしい。

 

「各船弓隊全班!それと凪!構えておきなさい!

 

 それ以外の者は操舵と警戒!暫くは剣、槍では無く盾を手に!

 

 船上戦では敵が上手であることは肝に銘じておきなさい!

 

 こちらは十分に引き付けてから撃つわよ!

 

 合図と共に一、二班斉射!即座に交代して三、四班斉射!

 

 その後は合図ごとに一班ずつ斉射!いいわね?!」

 

『おおおぉぉぉっっ!!』

 

魏軍前曲中央で鬨の声が上がる。

 

「よっしゃ、撤収準備完了や!

 

 ほんなら、後はよろしく頼んます!」

 

真桜も下がり、魏の準備は全て整った。

 

 

 

 

 

「真桜がやってくれたのはいいのだが……このままでは本日の殊勲賞は真桜となってしまいそうだな。

 

 皆の者!敵は黄忠を失って酷く動揺しているぞ!

 

 この機を逃さず、我等の総力を以て魏の力を見せつけてやろうではないか!」

 

『おおおぉぉぉっっ!!』

 

魏の右翼でも鬨の声が上がる。

 

こちらを率いる将は秋蘭だ。

 

近接隊として周囲に配置されているのは春蘭と季衣。右翼の頭脳は風という布陣。

 

風は豪胆なのか声を張り上げるのが苦手なのか、部隊後背ではなく秋蘭の船に同乗していた。

 

「秋蘭様〜。まずは黄忠の船からよそへ移る兵は置いておいて、張飛さんの船の狙いましょう〜。

 

 敵の混乱に乗じて火矢を射かけるのが有効なのですが、準備はありますか〜?」

 

「うむ。桂花からの指示もあって用意は出来ているぞ。

 

 では、早速火矢の攻勢で良いのだな?」

 

「はい〜。どうしてか、黄忠さんの船が炎上していますので、今この瞬間なら火には過剰に反応してくれると思いますよ〜」

 

風は出し惜しみをしない。

 

おっとりした言動からは想像しにくいが、攻めるべきところでは苛烈な攻めを見せ、守りに入れば堅く閉ざす。

 

そして、風の軍師としての特徴。それは人の心理の隙間を突ついていく策を弄すること。

 

魏では零と風がこのタイプに属する。

 

ハマれば効果は絶大で、反面、常に落ち着いた対処をされる相手には効果は激減する。そして、手を読みぬかれた場合、手痛い反撃を受ける。

 

そんな、言わばピーキーな策の担い手である。

 

風が結果を出し続けるために気を付けていること。それはトリッキーな策を弄するタイミングを見極めること。タイミングが無ければ創り出すことも厭わない。

 

その風が、策を弄する瞬間はもう少し後だと見ていた。

 

「春蘭様と季衣ちゃんはまだ待機で〜。

 

 取り敢えず、相手が態勢を立て直す時を見計らって吶喊してください〜」

 

この機に一気に攻め込まないという選択。

 

火を使うから、という面もある。

 

が、それ以上に秋蘭のみに攻撃を行わせて他を動かさないことで、敵の心理に隙を作る目的があった。

 

「むう、待機か。

 

 仕方が無い。秋蘭、私の分は残しておいてくれよ!もちろん、季衣の分もだぞ!」

 

春蘭の下へと走らせた伝令が、春蘭のそんな言葉を持ち帰ってきた。

 

暴走や先走りの心配はこれで無い。風の方で機が来たら合図を出す旨の伝令も飛ばし、こちらも準備万端。

 

「火矢構え!

 

 敵兵を狙う必要は無い!船まで届かせれば良い!

 

 撃てぇっ!!」

 

秋蘭の号令一下、無数の火矢が魏右翼より連合左翼に降り注いだ。

 

 

 

 

 

「甘寧の船の動きには常に警戒しなさいっ!

 

 火輪隊は十文字で斉射を続けなさい!狙うは甘寧、太史慈、程普の将がいる船よ!」

 

魏の左翼では詠が声を張り上げて指示を出していた。

 

こちらに配置されている中で主たる攻撃部隊は火輪隊。

 

十文字によって斉射の回転が早く、これは昨日に甘寧をも苦しめたことでその厄介さを十分に知らしめている。

 

成り立ちから現在に至るまで、約五百人の元董卓親衛隊で構成された精兵部隊。

 

その実力は新兵器の効果もあって折り紙付きだ。

 

ただ、数の少なさは如何ともし難い。昨日はそこを突かれて甘寧に攻められてもいた。

 

そこで今日は、流琉を将としてしっかりとした兵数の部隊もまた、左翼の配置となっていた。

 

「流琉!そちらの部隊の準備は?」

 

「こちらも準備出来ています、詠さん!」

 

「なら、そちらの弓兵にも斉射を!

 

 狙いは甘寧以外でいいわ!」

 

「はい、分かりました!

 

 弓兵の皆さん!構えて下さい!

 

 射程距離に入ったら撃ちます!」

 

流琉の号令の下、兵たちは指示通りに動く。

 

実はこの部隊、熟練の兵では無い。

 

流琉はその役職こそ華琳の親衛隊長の一人であるが、さすがに親衛隊を華琳も出ている戦の最前線に置くわけにはいかない。

 

本隊は本陣に残し、その将だけを前線に派遣していた。

 

代わりに流琉に付けられた部隊は新兵の比率の高い、まだどの将の下に付くとも定まっていない混成部隊。

 

だが、その分変な色に染まっておらず、流琉にも動かしやすい部隊であった。

 

「ボクたちの相手は大陸最強を誇る呉の水軍よ!

 

 接近されたら不利でしか無いわ!なるべく距離を保ったまま、弓兵を中心に手数を稼ぐわよ!

 

 もしも接近されたら、その時は恋、梅、流琉。頼むわよ!

 

 それじゃあ、月。お願い」

 

「うん、詠ちゃん。

 

 皆さん!ここが正念場です!

 

 洛陽の頃より夢想してきた皆さんの夢を……。

 

 今こそ魏の皆さんと共に、この大陸に恒久に続く平和を齎しましょう!!」

 

『おおおぉぉぉっっ!!』

 

月の檄で左翼でも鬨の声が上がる。

 

中央、右翼、左翼。それぞれに軍師を充て、その場の戦局ごとに最適な戦法を取らせる作戦は順調な滑り出しを見せていた。

 

 

 

 

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「どうやら、うちの連中も随分と混乱しちまっているようだねぇ」

 

「残念なことに連合全体が、ですね。

 

 敵もですが、こちらも弓兵を中心に対抗させてはいますが、状況は芳しくありません。

 

 左翼は相当危ないですね。初撃で黄漢升が落とされたのが相当響いているようです。

 

 こちらも思春の船が損傷を負い、動きに精彩を欠いていますので――――

 

 今日の開戦の一幕は完全に敵が上手だったようです」

 

呉の本陣で孫堅と周瑜が会話を交わす。

 

そこに焦りが見えないのは周囲を固める兵からするとあまりに不思議でならない。

 

もしかして、既にこの戦を諦めてしまっているのでは無いか。

 

そんな嫌な想像すらしてしまうほどに不自然さを感じていた。

 

「ところで、冥琳。日が昇って暫く経ったね?」

 

「はい、既に四半刻は。直に――――」

 

周瑜の言葉の途中、それまで戦場に吹いていた風が緩くなっていき、凪ぐ。

 

それを肌で感じ取り、孫堅はその面に獰猛な笑みを浮かべた。

 

「さあて。随分と好き勝手やってくれたようだが、あと少しの辛抱。そしたら、そろそろ反撃と行こうかね。

 

 奇術めいた奥の手ってのは、お前の専売特許ってわけじゃあ無いんだよ、北郷」

 

もしも敵対者が側でこの言葉を聞いていれば、背筋が震えあがったに違い無い。それと同時に、孫堅には起死回生の策があり、それが発動する寸前なのだと感じ取れたはずだ。

 

しかし、悲しいかな、一刀には、そして魏の誰にも、この言葉を聞き取る術は無い――――

 

 

 

 

 

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「相変わらず、容赦の無い威力ね、真桜の『大砲』とやらは」

 

「はい。見るのは二度目ですが、それでも震えを抑えられません。

 

 絶対に敵に回したくは無い兵器です」

 

魏の本陣では遥か後方からでも分かるほどの大砲の戦果に恐怖のような感嘆の声が上がっていた。

 

大砲の二射、計四発の後に中央・両翼の攻撃も始まり、既に戦況は動いている。

 

ただ、現状はまだ本陣から全体を見渡せる桂花や稟から特別指示を出さねばならないような動きは起こっていない。

 

非常に順調な滑り出し。事前の準備や打ち合わせを大きく外れることの無いこれは、相手が周瑜や諸葛亮であることを考えると不気味なようにも思えた。

 

が、桂花は知っている。

 

一刀は随分と前からこの戦の、それもまさにこの瞬間のために準備を整えていたのだ。

 

その結果、一切の被害を出すことなく黄蓋と?統を仕留め、敵の有力な将を戦線離脱に追いやり、敵兵の大半には大いなる恐怖を与えた。

 

この戦、気を抜かなければここからの大逆転はまずされ得ない。

 

その考えは決して傲慢故では無い。客観的に見た事実からもそう言えるのだ。

 

そしてこの場の三人は皆、こういう勝利を確信する瞬間こそ気を引き締めねばならないと理解してもいた。

 

だからこそ、言えることがある。

 

――――この時、桂花は、勿論ながら稟も華琳も、本陣の誰一人として油断などしていなかったのだ、と。

 

「……あら?風が止んだわね」

 

「本当ですね。

 

 という事は、これから情報にあった、強い東南の風、とやらが吹くのでしょうか?」

 

「そうなんでしょうね。

 

 華琳様、万が一の場合がございます。少しお下がりください」

 

桂花の促しに華琳は素直に従う。

 

これからも予想通りなのであれば、きっと敵からの火矢が飛んでくる。

 

本陣まで届くようなことはさすがに無いだろうが、呉辺りの船がスルスルと入り込んできて射掛けて来る可能性は決して否定出来ないのだ。

 

極限の状況下にあれば決死隊のように振る舞う将が出て来て当然。

 

それが今この場に集う曹操、孫堅、劉備の人徳・カリスマが為せる業なのである。

 

万に一つの可能性も許さない。

 

桂花と稟は徹底して本陣を固める構えを見せていた。

 

 

 

 

 

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凪が始まって更に四半刻弱。

 

左翼の敵、呉の船団は持ち直しかけている。火輪隊と流琉に預けた部隊から雨霰と矢が降り注ぐ中、程普が冷静に対処していた。

 

そこはさすが呉の宿将の一人といったところだろう。

 

加えて、太史慈の隊も開幕の一連のパフォーマンスに士気の減退を見せなかった。

 

こちらの理由は明白で、呉の準古参に当たる太史慈隊は長年孫策の隊と肩を並べて戦場を駆けてきた。

 

最早相棒とも言えるような部隊の将が、昨日魏の者にやられたというのだ。

 

これで簡単に士気減退の策に嵌まるような軟弱者は太史慈の精兵部隊には存在しなかった。

 

程普と太史慈。この二人の一切揺るがぬ姿勢が呉の兵の心の支えとなった。

 

徐々に混乱が収まってきていて、このままではやがて戦況は五分になり、次第に押され始めるだろう。

 

こちらにはそろそろ魏の本陣からの増援が送られてくるはず。桂花と稟ならばこの状況を正確に読んでそう対応してくれるだろう。

 

それでも、詠も慢心はせず、既に伝令を飛ばしていた。

 

対して右翼では、火矢による攻勢の後、時間差で張飛の船に吶喊した春蘭・季衣の部隊により混乱が助長されていた。

 

風の策が嵌まったのである。

 

ただ、風の想定よりダメージは与えられていなかった。

 

その理由は偏に張飛の英雄的活躍による。

 

張飛の船には沈められた黄忠の船から続々と兵が這い登って来る。

 

魏としてはそこを狙い、態勢の整わぬ内に大打撃を与えたかった。

 

ところが、そういった仲間の危機を一手に背負うという状況下で、張飛は実力以上の力を発揮する将だった。

 

諸葛亮としては、黄忠の船が沈められた時点で、左翼には黄忠と張飛しか将を配置していなかったことを後悔した。

 

が、この時、張飛は自らの生死・勝敗に左翼の全てが掛かっていることを悟った。

 

結果、張飛の武は春蘭をも上回るほどに上昇し、春蘭は張飛を攻めあぐねた結果、季衣の手を借りて半端な戦果なれど撤収を余儀なくされたのだった。

 

風としては少々苦々しい結果である。

 

が、少なくとも態勢の立て直しにはより時間が掛かることになったのは間違いない。

 

こちらには増援は不要。それが風の判断であった。

 

中央はと言うと、こちらは大混戦――――になり掛けたのだが、連合の方で問題が発生していた。

 

華雄が馬超を伴って無謀な吶喊を仕掛けようとして徐庶、姜維と口論、果てはその二人を振り切ってまで吶喊しようとしたのである。

 

だが、連合側の最前線に布陣しているのは馬騰の船であり、さすがにそこで止まってしまう。

 

鬼の形相で馬騰が聞き出したところ、暴走とも言えるこの流れは華雄から始まったという。

 

 

 

黄蓋の首級と?統の血塗れの帽子で兵の士気が減退した。

 

魏の攻撃で黄忠の船が沈んで兵の動揺が加速した。

 

そんな折、馬騰の活躍が兵の士気を盛り返した。

 

この一連を見ていた華雄は言う。

 

「今こそ我等も勇猛果敢に打って出て見せることで兵に士気を持ち直すべし!!」

 

全ては行動で示せ。いかにも猪武人の言いそうな内容に周囲の誰も不審は抱かなかった。どころか。

 

「よく言った、華雄!あたしも出るぜ!!」

 

馬超が華雄に乗る。彼女もまた、小難しく考えるくらいなら行動すべし、という、所謂脳筋の部類の将であった。

 

猛将二人が互いに呼応して吶喊しようとする勢いは、如何に智慧ある軍師だとて抑えがたいもの。

 

「ま、待ってください、華雄さんっ!

 

 今はまだ出る時では――――」

 

「何を言うっ!今出なければいつ出るというのだ、姜維よ!!」

 

「杏の言う通りです、華雄さん。それに翠さんもです。

 

 碧さんのおかげでまだ戦局は不利とは言い切れません。

 

 左翼は少し危なかったですが、鈴々さんが踏ん張っていますので大丈夫です。

 

 それに、呉の本陣にまだ動きがありません。

 

 周瑜さんのことです、恐らく策があるのでしょう。今はそれを待つ時です」

 

徐庶が姜維に加勢して言葉にて止めに掛かる。が――――

 

「呉が動かんのならば尚更我等が動かなければならないでは無いか!!

 

 それとも、もしや怖気付いたのか、徐庶よ!!」

 

「悪いがここは華雄の言う通りだぜ!

 

 それに母様が最前線で戦ってんだ。馬家の長女のあたしがこんなとこで手ぐすねを引いている場合じゃないってもんだぜ!

 

 勝機と見れば一気呵成に叩き込む!それが馬家の流儀ってもんだ!!」

 

頑なに言い張る二人をいかにせば説き伏せることが出来るのか。

 

それは徐庶にとって頭の痛い問題となりかけた。”かけた”ということはつまり、実際にはならなかったということである。但し、悪い意味で。

 

「とにかく、私は出る!

 

 いくぞ、お前たち!!」

 

「馬超隊も続けぇ!!」

 

問答無用で軍師の言い分を投げ捨て、華雄が出撃を宣言する。負けじと馬超がこれに続く。

 

二つの部隊の鬨の声が上がった。

 

大気を震わせるその大声は軍師の反論の声を塗り潰す。

 

かくして二人の将の暴走は成り掛けたのであった。

 

 

 

華雄と馬超は二人して馬騰に取っ捕まり、かなりきつく叱責された。

 

これによって連合前曲中央の足並みは乱れ、出端を挫かれた形となっていた。

 

詰まる所、華雄の策は大成功だったのである。

 

仕掛けるタイミングが開戦初っ端という、非常に早い時機となったのは、馬騰の力が想定以上であったために仕方が無い。

 

何にせよ、連合の攻勢は遅延し、戦局はより悪化する――――と思われた、まさにその時だった。

 

「ったく、あんたらも月蓮ほどとは言わないまでも、もうちょっと戦場の勘を鍛えな。

 

 さっきはああ言ったが、まだ攻める時じゃ無いんだよ。機はもう少し後――――

 

 ほら、見な。風向きが大きく変わる。あいつらが待ってたのはこれなんじゃないのかい?」

 

元より、馬騰はまだ出る気が無かった。そんな言葉を聞いた華雄は目を丸くする。

 

その驚愕をどう捉えたのか。馬騰は静かに魏の船団を見やって言った。

 

「見ときな。月蓮たちの策が火を噴くだろうよ」

 

 

 

 

 

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「!!華琳様、風がっ!」

 

「ええ、気付いているわよ。

 

 それにしても、なるほど……確かに強い風、それもこちらにとっての逆風のようね。

 

 これに火計を充てられては損害が馬鹿にならないところだったわね」

 

戦場に吹き始めた強い”東南の風”。

 

それは魏の船団の前方から後方へ吹き付けて来るようであった。

 

もしも魏の船が火に巻かれると、風に乗って続々と燃え移りかねない。

 

行動を起こすまでは様子見、などと言っていた日には、その一撃で壊滅に近い打撃を受けたかも知れない状況に、心に冷たい汗を掻いていた。

 

「ですが、策は事前に一刀殿が潰してくださっています。

 

 何も心配は――――」

 

人、それをフラグと呼ぶ。

 

突如、魏の前曲より爆音が轟き、稟の言葉を遮った。

 

 

 

 

 

「くっ……!一体何ご――――」

 

左右でほぼ同時に鳴り響いた轟音に身を竦ませ、一刀は事態を把握しようとする。

 

それは一瞬で事足りた。音の方を振り向いた瞬間には、”それ”が目に入っていたのだから。

 

燃えていた。前曲中央と右翼の中間に位置する船が。

 

船の真ん中あたりが大きく損傷している。

 

反対を振り返れば、左翼との中間でも同様に一隻の船が炎上している。

 

その様子から分かることは――――

 

(火薬が爆発した……?失火……何か火気を帯びるものが近くに置かれてしまった……?

 

 いや……いやいや!違う!あの船にはそもそも火薬は積んでいなかったはず!

 

 そもそも、二か所で同時に同じ事故なんてことはまずあり得ない!という事は――――)

 

「……やってくれたな。諸葛亮か周瑜か……

 

 いずれにしても、そう簡単に勝ちを譲ってはくれないってことかよ……っ!」

 

策を仕掛けられ、見事に為されてしまった。

 

昨夜、策に溺れた策士は?統と黄蓋だった。しかし今この瞬間、策に溺れた策士は一刀なのであった。

 

「零!周囲への警戒網の構築の指示を頼む!」

 

「え、ええ、分かったわ!けれど、炎上した船はどうするの?!放っておくと燃え広がってしまうわよ!」

 

「そこは真桜に――――」

 

任せておけばいい、という台詞の途中、魏陣営に花火の音が響く。

 

等間隔に三発。それは真桜が工作部隊へ宛てたメッセージであった。

 

「炎上した船の切り離しが始まった!そっちは心配ない!

 

 それより、どれくらいの規模か、敵に侵入されている!まずはこれを――――」

 

「北郷、覚悟っ!!」

 

「っ!!」

 

零への言葉が途中で途切れる。一刀に人影が襲い掛かったためだった。

 

辛うじて刀で受け止める。

 

鍔迫り合いは避けたい。が、敵がそれをさせてくれない。

 

即興で上腕部に氣を流し、どうにか押し負けぬ程度に保つ。

 

そして落ち着いて人影を見やれば――――

 

「……誰かと思えば、周泰か。

 

 やっぱり、潜入されるとしたらあんただよな……!」

 

侵入された。それを考えた瞬間からこの人物のことは考えていた。

 

その予想がドンピシャだったために、不意打ちを食らっても防御が間に合ったと言えるかも知れない。

 

「今日こそ、今ここでお前を討ちます!

 

 祭殿の仇っ!!」

 

周泰は会話には応じない。

 

ただ己が伝えることのみを一方的に言い放ち、得物を押し込もうと一層力を入れてきた。

 

「一刀さんっ!」 「一刀殿っ!!」

 

突然現れた周泰に驚いた菖蒲と凪が加勢に来ようとして声を上げたのが耳に届く。

 

一刀はこれを牽制すべく周泰から目を離さないままで声を張り上げた。

 

「来るなっ!!

 

 こいつの相手は俺一人でいい!!

 

 二人はそのまま敵前曲へ攻撃を続けて優位を渡すなっ!!周囲の兵の対処も頼むっ!!」

 

それ以上の言葉は掛けられない。周泰との戦闘以外に脳を使う余裕を設けられない。

 

後は周泰の相手をしつつ、零が諸々上手く対処してくれるのを祈るのみ。

 

一度距離を取らなければ、危ない。

 

かつて散々に打ちのめしたことのある相手であっても、基礎の膂力に差がある一刀は、この状態からでは厳しいものがあった。

 

そのような状態だからか、敵の他の兵がまだ一人も現れないことに一刀は気付けない。

 

その程度には周泰の想定外の奇襲に動揺していたのであった。

 

 

 

「ちょおっ?!

 

 誰か何かやらかしたんかいな?!」

 

爆音と炎を視界に収め、真桜は自身の部隊の失態かと焦った。

 

が、それはすぐに否定される。

 

「違います、李典将軍!誰もあれらの船に火薬は運んでおりません!

 

 恐らく敵の攻撃です!」

 

「ほんまかいな……!ちぃっ!

 

 誰か!花火打ち上げぇ!等間隔三発!鎖切り離しや!!」

 

真桜が側の工兵に指示を飛ばす。それは一刀の準備の一つ、『万が一の時の対策』を実行する合図であった。

 

この赤壁の戦いに先だって、真桜は一刀からとある物の作成を依頼されていた。

 

それが”簡単に切り離せる機構を持った鎖”である。

 

出陣よりも更に前に作製したそれを、予め物資の中に潜ませておく。

 

後は?統の献策から少し時間を空け、鎖を調達してきたと称してそれを用いて船団を繋げたのであった。

 

まさに今、その対策を実行に移す時。

 

真桜の合図の意味は工兵の間にしっかりと伝達されている。

 

故に、合図を出した直後には既に二か所の船上では切り離し作業が始まっていた。

 

 

 

 

 

「……桂花、被害は?」

 

「申し訳ありません、伝令はまだ……

 

 見た限りでは船が二隻炎上。火薬を仕掛けられていたらしく、船も大破しているようです。

 

 ですが、真桜の指示により鎖が切り離され、炎上が広く拡がることは無いかと思われます」

 

「そう。それで、これは……」

 

「まず間違いなく、敵の策かと。

 

 奴らがこちらの懐に潜り込ませていたのは?統と黄蓋だけでは無かったようです」

 

「前線が攻め込まれたわけでは無く、潜入工作だと言うのね?」

 

「はい。そうでもなければ二隻の船が同時に爆破されることは無いでしょう」

 

魏の本陣からでも炎上する二隻の船が見えていた。

 

爆音の直後に立ち昇る二つの炎を見た時、桂花も稟も悟った。連合にしてやられたのだ、と。

 

彼女たちもまた、?統と黄蓋を一刀が仕留めた時点で敵の策は全て潰したものだと考えていた。

 

そう考えてしまった理由は一刀が二人を仕留めたタイミングにあって、一刀がいなければまず策は為っていたのだ。

 

それまでに連合の囮らしき行動も桂花にはチラチラ見えていたとあって、結果油断となった。

 

「ところで、桂花。さきほどの口ぶりだと、多少は他の船にも燃え移るものと考えておいた方がいいのかしら?」

 

「はい、恐らくは。これほどの風が吹いておりますので、炎は煽られて流れるでしょう。

 

 風下にある近場の船は危険かと」

 

「ならば船を移動させた方が良いわね。陣形は一時的にでも崩してしまうしか無いかしら?」

 

「いえ、それはしない方が良いかと考えます。

 

 船の移動はさせますが、あくまで炎上する船から距離を取る程度。

 

 さすがに今は我等が魏の精兵も混乱を来しているようですが、真桜の対策の件もありますので直に収まるでしょう。

 

 開幕で得た優位性は失いかねませんが、だからと言ってみすみす敵に優位を譲り渡す真似はしたくありません」

 

「それもそうね。ならばそのように――――」

 

「伝令は既に出しました。問題ありません。

 

 ただ、風も零も詠も、皆この考えには行き着くものと思われますが」

 

華琳と桂花の会話から外れていた稟が、指示を終えて会話に参加する。

 

軍が混乱仕掛けているときこそ行動を素早く。どんな状況下であろうと、上の者が冷静に指示を出す様を目にすれば、下の者たちにとっては安心材料となるのである。

 

稟は事が起こった直後には動き出していた。桂花もその内容を察し、止めようとは考えていなかった。

 

この行動は華琳を無視していると取られるかも知れない。

 

だが、文字通り秒を争う状況では事後承諾での行動もやむを得ない。最悪、事が全て済んでから罰を受ければ良いだけだ。

 

それに、華琳もこの辺りのことには理解がある。先走りによって余程の失態を犯さない限りはそこに罰を加えるつもりは無いのであった。

 

「ならば、桂花、稟。貴女たちはこれから一瞬たりとも戦場から目を離さず、態勢の立て直しに努めなさい」

 

『はっ!』

 

「ふむ。それは少々困りますな。折角苦労して策を成功させたと言いますのに」

 

「っ!?ちょっと、あんた!何者――どうしてここにいるのよっ!?」

 

三人の中に突然割って入ってきた声。

 

誰も敵意は感じなかった。華琳でさえも。

 

しかし、台詞はどう取っても魏側の意見では無い。

 

瞬時に警戒を最大にした桂花は華琳との間に身体を滑り込ませて誰何し――かけて驚愕した。

 

その人物は特に姿を隠しているわけでも無い。どころか、忍ぼうとする気配すらなく堂々としている。

 

事実、彼女は魏の陣中を警戒する様子も無く、かと言って急ぐことも無く、至極自然な体で歩いてやってきた。

 

それ故に、兵の誰もが味方の誰かなのだと考えてしまったのである。

 

しかし、上層部の将や軍師が見れば、彼女の正体は一目瞭然。

 

蒼い髪に白を基調とした服。袖には蝶の羽を思わせる刺繍。そして特徴的なのがその手に持つ、まるで二匹の龍が互いに身体を絡めているかの如き二股の槍。

 

彼女こそ、蜀で一、二の実力を誇る勇将・趙子龍であった。

 

「我らが軍師殿の策、と言いたいところなのだが、生憎と半分以上は成り行きでしてな。

 

 いずれにせよ、このような場面に立ち会ってしまっては、武将のするべきことなど一つしかありますまい?」

 

趙雲はいっそ軽薄とも取れるような笑みを浮かべてそう宣う。

 

が、その台詞の途中から、徐々に趙雲の身体から闘気が立ち昇り始め――――それが膨れ上がると同時に冷たい殺気までもがいきなり華琳たち三人を襲い始めた。

 

「見事なものね、趙雲。やはりあの時多少強引にでも貴女を手に入れておくべきだったかしら?

 

 どうかしら。今からでも私の部下にならない?ここまで出来る将ですもの、待遇は破格を約束するわよ?」

 

華琳は全く臆することなく、どころか笑みを浮かべて趙雲の勧誘を始める始末。

 

状況的に命乞いとも取られ兼ねない物言いだが、華琳の態度や口調からはそのようなものは一切感じられない。

 

これは華琳の悪い癖とも言えるだろう。このような時にあっても、人材コレクターとしての華琳の心を趙雲が擽ったのが悪いと言えるかも知れない。

 

このようにブレない華琳の言動を見て趙雲も思わず苦笑してしまった。

 

「かの曹孟徳殿にお褒めに預かるとは恐悦至極。

 

 ですが私は既に劉玄徳様に全てを捧げた身。今更これを鞍替えする気など毛頭ありませんので」

 

「あら、そう。残念ね……」

 

本当に残念そうにそういうと、華琳は徐に愛鎌・絶を取り出して構えた。

 

「ほう?孟徳殿が直々にお相手くださると?」

 

「そうよ?桂花や稟を戦わせるわけには行かないものね。

 

 これでも私も戦えるわよ?さすがに一刀や恋ほどでは無いのだけれどね」

 

「はははっ!あのお二方と比べられてはこの私でも形無しでしょう!」

 

数瞬の後には死闘が繰り広げられるのは目に見えている。

 

にも関わらず、華琳と趙雲、この二人の間には緊張感というものが無いかの様であった。

 

傍から見れば非常に緩んだ雰囲気。

 

しかしそれは、甲高い金属音と共に限界まで張りつめた緊張感に支配されたものへと取って代わられた。

 

「はっ!」

 

「はぁっ!」

 

趙雲の槍の速度は並の将よりも速い。

 

魏の将と比べても最速の部類に入る速度だろう。

 

仮に桂花や稟が立ち向かっていれば、その穂先を見失っている間に首を落とされていた可能性が高い。

 

だが、最近まで華琳を鍛えていた相手はその趙雲以上の技を持っていた。故に。

 

「ほう?手加減などしたつもりは無いのですが、今のを受けられますか」

 

「速いわね。けれど、捉えきれないほどでは無いわ。

 

 それとも、私が個人で貴女に対抗出来てしまうと不都合でもあるのかしら?」

 

「いえいえ、まさか。やはり一騎討ちはこうで無くて――――」

 

「曹操様っ!!」 「死ねっ、侵入者めっ!!」

 

上機嫌に華琳との会話に興じていた趙雲の言葉を遮って親衛隊の兵士が趙雲に斬り掛かる。

 

「ふぅ……雑兵には引っ込んでいてもらいたいものですな」

 

不機嫌さを顕わにし、趙雲は愚痴を垂れる。その頃にはもう、先ほどの兵士は物言わぬ骸と成り果てていた。

 

「皆、手を出すな!今この趙子龍に襲い掛かったところで無駄死にをするだけよ」

 

「で、ですが、曹操様っ!」

 

「あら、何かしら?まさか、この私が負けるとでも?」

 

自信に満ち溢れた佇まいにいささかの揺るぎも無い言葉。

 

華琳は趙雲との一騎討ちに望むというこの状況下にあってなお、敗北の可能性は一切頭を過ぎっていなかったのである。

 

「大きく出られましたな、曹孟徳殿。

 

 もしや、本気で私に勝つおつもりなので?」

 

「ふふ、どうかしらね?ただ、一つだけ言えることがあるわ。

 

 この戦、既に趨勢は決まったも同然。その流れに逆らって私がこのような場で息絶えるということは、天が赦しはしないでしょう」

 

「ここにきて天を騙りますか。いやはや、その豪胆さにはまこと感服いたします。

 

 さて……そろそろ再開致しましょうか……」

 

趙雲が更に闘気を増し、対して華琳は覇気を放つ。

 

「来なさい、趙子龍!!」

 

両者は再び激突を始めた。

 

 

 

 

 

 

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「粋怜!」

 

「ええ!行きなさい、木春!」

 

呉が布陣する連合右翼では、魏軍の船が炎上したその瞬間に事態を察した者たちがいた。

 

太史慈が名前を呼んだだけで程普は彼女の言いたいことを理解する。

 

その上でGOサインを出した。

 

「よっし!皆!行くよ!

 

 雪蓮が受けた痛みは万倍にして返してやるわよっ!!」

 

好機と見るや、迷わず吶喊を掛ける。しかして、決して無謀な吶喊というわけでは無い。

 

勇猛さと計算高さを兼ね備えた良将。それが周瑜に並ぶ孫策の親友、太史慈という人物であった。

 

「木春様……!

 

 くっ……!我等も行くぞ!最早例の物体は飛んで来ない!

 

 船の修復は致命箇所を除いて全て後回しだ!

 

 太史慈将軍の隊に後れを取るなっ!!

 

 河賊の意地を見せろっっ!!」

 

太史慈の吶喊は甘寧にも火を点ける。

 

それまでは開幕の一件からどうにも攻めあぐねていた甘寧。

 

それは大砲への過剰なまでの警戒が故だったのだが、ここにきてそれをかなぐり捨てた。

 

既に魏と呉、どちらが優位とも言えない。

 

『突撃ーーーーっっ!!』

 

ここから盛り返し、全てを引っくり返す。

 

その意気を込めた二人の将の声が轟いた。

 

 

 

 

 

「にゃにゃっ?!紫苑!奴らの船が燃えてるのだ!」

 

「ええ、私にも見えているわ……

 

 …………星ちゃん、かしらね?」

 

「??星がどうかしたのだ?

 

 そう言えば、ここ最近姿を見ていないのだ!」

 

連合左翼でもまた、魏の炎上した船を見て物思う将がいた。

 

黄忠は既に開幕で沈められ、炎上させられた自身の乗っていた船の処理を終え、張飛の船に乗り込んでいた。

 

大陸一とも謳われるその弓の腕は疲労を抱えていてもなお健在で、秋蘭の部隊を苦しめている。

 

その黄忠が、先の光景を見てポツリと呟いたのだ。

 

当然、張飛は疑問を口にする。が、黄忠は苦笑するだけだった。

 

「いいえ、何でも無いわ……

 

 鈴々ちゃん、敵は軍師の皆の策で混乱しているはずよ。

 

 ここで吶喊してしまいましょう。本来であれば私は後方から支援したかったのだけれど」

 

「大丈夫なのだ!任せるのだ、紫苑!」

 

どんと胸を叩き、請け負う張飛。

 

自信満々な張飛のその様子は、ずっと押され続けて疲弊しきっていた兵の心を持ち直させる薬となった。

 

どこからともなく声が上がり、ぽつぽつと増え、纏まり、やがて大音声の鬨の声となる。

 

「よ〜っし!皆!突撃するのだ〜っ!!」

 

こうして張飛も、動きの鈍った魏右翼へと突っ込んでいく……

 

 

 

 

 

「さすがは明命。良い仕事をしましたね」

 

呉の本陣では周瑜が満足気に台詞を発していた。

 

それを相手する孫堅もまた深く頷いている。

 

「ああ。潜入工作をさせるってんなら、やっぱりあいつを仕込んどかないとね。

 

 祭は残念だったが、仕方が無い。

 

 この機に一気に攻めさせな。蜀の連中の動きは――――あっちも悪くないね」

 

「穏と亞莎も控えておりますし、粋怜殿がおられますので右翼は問題無いでしょう。

 

 左翼が少し心配でしたが、あちらはあちらで上手くやっているようですね」

 

「中央は碧の奴が出ているからねぇ。ったく、そろそろ猛烈に吶喊していきやがるだろうさ」

 

各地点に頭の回る者を配置しているため、連合もまた様々な状況の変化に対して動きが早い。

 

呉と蜀それぞれの本陣には両国の頭脳たる周瑜、諸葛亮が控えているが、はっきり言って状況変化が目まぐるしいこの戦場では現場判断での即決即断が重要となっている。

 

詰まるところ、前線に置いた呉の陸遜や呂蒙、程普、蜀の徐庶や姜維、黄忠が良い動きをしている限り二人に出番は無いのであった。

 

孫堅としてはその余波を喰らったようなものである。

 

正直に言えば、久々に先頭に立って暴れたい。それに値するだけの強敵を既に二人も見つけているのだ。

 

久しく相まみえることの無かった実力で張り合って来れる敵。

 

孫堅が馬騰を羨ましがるのも無理は無いというものだった。

 

「ところで、冥琳。こりゃあ、あんたはどう見る?」

 

だが、そんな後方で待機せざるを得ない状況だからこそ、常に落ち着いた判断力で広く戦場を見ることが出来る。

 

孫堅の目にはその顔を顰めさせるに十分な情報が映り込んでいた。

 

「……鎖が瞬時に斬られているように見えます。?士元の仕掛けた策が見破られていた、ということでしょう」

 

「そいつ見りゃあ分かるよ。そうじゃなくて――――」

 

「正直に申し上げますと、かなり厳しい状況かと思われます。

 

 明命か趙雲か、或いは馬騰殿か……不意打ちでも何でも、曹操か北郷、呂布の首を手傷少なく取らなければ、このままでは逆転の目は無いに等しいでしょう」

 

「それが為る可能性は?」

 

「……月蓮様は、鯉が滝を遡る様をご覧になったことがありますか?」

 

「そうかい……だが、こいつは一発勝負、それには皆の命まで纏めて賭けることは出来ないねぇ」

 

失敗を前提に何度も挑戦を重ねればいつかは成功するでしょう。周瑜は暗にそう言った。

 

孫堅はそれを理解し、故に待ったを掛けた。

 

「なら、あんたの策を聞こうか。あるんだろう?」

 

さきほど、周瑜は”このままでは”と付けていた。この言い回しに孫堅は、周瑜に腹案があるものと考えた。

 

果たして、それは正解であった。

 

「はい。明命と趙雲が半ばながら策を成功させ、連合全体の士気が盛り返した今こそが好機と見ます。

 

 ただ、大きな危険もあります。魏の侵攻が予想よりも早かったために蜀との準備が足りておりませんので」

 

「それでも、何もしないよりはマシだろうさね。

 

 それは向こうの連中も知っているのかい?」

 

「はい。諸葛孔明と赤壁の戦で考え得るあらゆる状況に対する策を考えた内の一つですので」

 

「なら、すぐに伝令を出しな。

 

 このまま続けていたところで無駄な被害を増やしちまうだけだよ」

 

「はっ」

 

その策の投入に不安はあった。しかし、それ以外の手が浮かんでいないのも事実。

 

他に取れる方法も無く、策の実行が決定された。

 

 

 

 

 

「ほら、見な。今この瞬間こそ本当の攻め時って奴だよ」

 

連合前曲の中央では魏の船の炎上を見ながら馬騰が馬超と華雄に説教を垂れていた。

 

馬超は罰が悪そうにしながらも、いよいよ吶喊だと考えて昂っている様子。

 

対して華雄は驚愕に目を見開いていた。

 

魏の陣営にいる己が主、月の無事をせめて確認したい。そんな気持ちが華雄の体中を渦巻く。

 

しかしながら、それは決して口には出せないこと。表情にも、今の驚き以上のものを出してはいけない。

 

そう思ってはいても、どうしても完全には隠し切れないものなわけで――――

 

「はぁ……さっきのでもしやとは思っていたけど、まさか本当だったとはね……

 

 華雄、あんた魏の、いや、董卓のとこの連中か、まあどっちでもいいさね。そいつらの誰かと接触したね?

 

 そんで、通じたか。大方口約束は、また董卓の下に付けてやる、ってところかい?」

 

「っ!?な、何を言うか、馬騰殿っ!!」

 

「あたいにとっちゃバレバレだよ。あんだけ目が語ってちゃあ、ね」

 

華雄はたしかに表情は取り繕っていた。しかし、視線はどうしても月のいる魏の左翼の方へと釣られそうになっていたし、何よりその奥底に常に心配の色を湛え続けていた。

 

それを馬騰に読み解かれたのである。

 

「んなっ!?華雄っ、お前っ!!」

 

「翠。そいつを抑えときな」

 

「ああ、任せろ!

 

 って、母様はどうするんだ?」

 

「あたいはちょっくら北郷と遊んで来るよ。

 

 奴がまだ弱けりゃあ、そのまま首の一つでも取って来てやるさ」

 

ニヤリと笑みを浮かべて馬騰はそう宣言した。

 

もう随分と感じることの無かった、個人の脅威に立ち向かう感覚。それが馬騰の心に火を点けていた。

 

馬超はその凄みを伴う笑みを見て、最早止められないと諦めた。

 

「そんじゃあさ、こっちをとっとと終わらせたら、あたしもそっちに行っていいか?」

 

「そうさね。きっちりと後顧の憂いを断ったんなら許そうか」

 

「おっしゃ!言ったな?確かに聞いたぞ!」

 

馬家の親子はなんでもないようにそんな会話を交わす。

 

これが面白く無かったのは当然華雄である。

 

「き、貴様等っ!!この私を愚弄するにも程があると言うものだっ!!っぜぇいっっ!!」

 

「はんっ!お前じゃあ、あたしの相手には力不足なんだよっ!!」

 

華雄が斬りかかり、馬超が難なく受ける。

 

そこから激闘が始まった。

 

馬騰はと言えば、始まるその瞬間には既に魏の方へと動き始めていたのであった。

 

 

 

 

 

「やった……!やったっ!やってくれました!

 

 さすがは星さんですっ!」

 

蜀側の本陣では炎を見て諸葛亮が歓声を上げていた。

 

一方で他の者たちは突然の出来事に理解が追いついていない。

 

「おい、朱里!説明してくれ!一体これはどういうことなんだ?!」

 

関羽が叫ぶ。関羽も決して脳筋の武将では無い。が、智慧深いかと言われると悩んでしまう、といった部類の将だ。

 

さすがにこの日の戦場の目まぐるしい状況変化は関羽の理解を超えた。

 

そんな中で突然諸葛亮が喜び出し、しかもどうしてか最近目にすることの無かった趙雲の名を出している。

 

詳細を問うて当然だろう。

 

諸葛亮は一度深呼吸し、気持ちを落ち着かせてからその場の全員に向けて説明を始めた。

 

「雛里ちゃんが謹慎を破って陣を去った時、星さ――華蝶仮面が出ましたよね?

 

 あの時、あの人に雛里ちゃんの援護と同時に、星さんを雛里ちゃんが連れて行く兵の中に紛れ込ませる手伝いをしてもらったんです。

 

 元々は周泰さんだけで行う予定だったのですが、星さんが是非行かせてくれ、と。

 

 昨夜孫堅さんが仰っていた保険とはこのことです。ちなみに、これは孫堅さんと周瑜さん、そして私しか知りません。

 

 結果、その……黄蓋さんと雛里ちゃんはあんなことになってしまいましたが、周泰さんと星さんが代わりに策を成し遂げてくださったのです!」

 

「どうしてそんな危ない――――ううん、違うね……

 

 ごめんね、朱里ちゃん。ありがとう。

 

 星ちゃんも、そんなに危ない役目を買って出てくれていたんだね……

 

 だったら、この機会を逃しちゃ駄目だよね!」

 

劉備は強くなった。それは昨日の舌戦で華琳が評した言葉だった。

 

それが真実であることはこの台詞が物語っている。

 

以前までの甘い夢を見ているだけだった劉備なら、この場面では趙雲を危険な策に送り出した諸葛亮を責めていただろう。

 

しかし現実には責めるどころか、趙雲の危険をも飲み込んで先を見据えることが出来ていた。

 

「仰る通りです、桃香様!

 

 おい、朱里。この策を聞いていたってことはこの後の動きについても考えてあるんだろう?

 

 …………朱里?おい、朱里!聞いているのか!?」

 

「はわわ?!あ、す、すみません!

 

 えっと……は、はい。いくつか策は考えていたのですが……」

 

劉備にいち早く賛同し、諸葛亮に策を聞く魏延。

 

だが、これに対し、諸葛亮は口ごもってしまった。

 

そもそもその直前に諸葛亮は魏陣営の様子を観察していて、その光景にさきほど上げた歓声が霞む衝撃を受けていたのである。

 

その理由は孫堅や周瑜を悩ませたものと同じで――――

 

「不意打ちが決まったまでは良かったのですが……皆さんも魏の船団の様子をよく見てみてください。

 

 ……火計の効果が想定よりも薄いんです」

 

「何故なのだ、朱里よ?

 

 昨夜、お前たちが言っていたように、今は奴らの方へ向かって強い風が吹いているでは無いか?」

 

「それが、どうやら魏の人たちは炎上した船を即座に切り離して放棄しているようで……

 

 鎖で繋いだ船をどうやったら切り離せるのかは分かりませんが、あれでは周囲に一気に燃え移らせることが出来ません。

 

 加えて、魏の人たちの動揺が余りにも少ないようなのです」

 

「ふむ。と言う事は……朱里よ、拙い状況、か?」

 

関羽は聞きにくそうにしながらもはっきりとそれを口にする。

 

瞬間、劉備と魏延に緊張が走った。

 

そして、諸葛亮によって追撃が放たれる。

 

「はい……今から暫くの間、多少は盛り返せると思われますが、その後は……はっきり言いますが、ジリ貧です……」

 

「そ、そんな……ね、ねぇ、朱里ちゃん!他に何か案は無いのかなっ?!」

 

いくら強くなったと言えど、まだ劉備には絶望的状況を突き付けられてまで平静を保てるだけの胆力は備えられていなかった。

 

そのため、焦って諸葛亮に代案は無いかと問い質す。

 

ただ、劉備自身も元より薄い希望なのだと思っているのだろう、その顔は今にも泣き出しそうであった。

 

「策は……一つだけ、あります」

 

そう言った諸葛亮の表情は苦渋に満ちていた。

 

「なんだ、あるのではないか!なら、それを――――」

 

「ですがこれは、今回の戦では使いたくないものだったんです。

 

 準備不足のため、策の成功率は良く無いものと思われます……」

 

魏延が喜ぼうとしたところを諸葛亮が遮った。

 

それは、決して策があることを喜んではいけない、ということの表れ。

 

失敗の確率が低くないということは、即ちその策は分の悪い博打も同然ということ。

 

そのような策、本来であれば軍師としては決して口には出さず、修正出来なければそのまま廃棄すべきもの。

 

諸葛亮は余りの悔しさに爪が食い込むほどに両の拳を握りしめていた。

 

「大丈夫だ、朱里。我等にその策を授けてくれ。

 

 桃香様は望まれぬかも知れませんが、我等は皆、桃香様の理想の礎となれるのであれば、喜んで死地にも赴きましょう。

 

 例えどれほど困難な任務を言い渡されたとて、それが桃香様のためとなるのであれば、全身全霊を以て成功へと導きましょうぞ!」

 

関羽は諸葛亮に、そして劉備に向けて力強く言い放った。

 

その言葉に、発言する態度に、揺るぎない覚悟を見て取れる。

 

劉備は瞬間、鋭く息を呑む。またも大切な友を、それも今度こそ自らの意志で、危険極まりない場所へと送り込むことになるのだ。

 

劉備はグッと拳を握り込む。

 

そうして入れた気合を決して逃すまいと下腹に力を入れて宣言した。

 

「朱里ちゃん、今の時点でその策しか無いのなら、それで行くしかないよ。

 

 大丈夫。蜀のみんなも呉の人たちも、皆凄い人たちだから。

 

 けどね、愛紗ちゃん。死ぬ覚悟じゃ無くて生きる覚悟で挑んでほしいな。

 

 大望の為なら多少の犠牲はやむを得ない、っていうのは理解は出来ているんだけど……やっぱり、誰かがいなくなっちゃうのは寂しいよ……」

 

「桃香様……」

 

関羽は咄嗟に言葉が出なかった。

 

だが、決して劉備が日和ったことを言い出したとは思っていない。

 

劉備の人徳の源はその限りない優しさにあるのだから。

 

死ぬ覚悟ではなく生きる覚悟を持ってほしい。劉備はそう言った。

 

ただ、それは――――

 

「……分かりました、桃香様。この関雲長、持てる力の全てを以て必ずや皆の無事と共に策の成功を果たして見せましょう!」

 

死ぬ覚悟を決めて戦場へ赴く何倍も難しい注文である。

 

「愛紗さん……」

 

諸葛亮もそれを理解している。故に、危惧する。ただでさえ低い成功率が、より低くなりはしないか、と。

 

「大丈夫だ、朱里よ。無理はせぬよ」

 

関羽はそう請け負った。

 

決して明言はしない。しかし、その言葉の意味するところは――――状況が極まったら、策のために死を厭わない。

 

きっと劉備も察してはいるだろう。ただ、それへの反対をこの場で言い募るほど愚かでは無い。その段階はとうに過ぎていた。

 

「ありがとう、愛紗ちゃん!

 

 それで、朱里ちゃん。策のことだけど、呉の人たちは……」

 

「きっと周瑜さんは実行を選択すると思います。もし、何等かのより良い策が浮かんだのであれば、そちらを。

 

 どちらにしても、もうすぐ呉からの伝令の方が来ると思います。

 

 ですので、今の内にこちらの皆さんに伝令と、鏑矢の準備を。

 

 策が決まり次第、すぐに動き出します!

 

 愛紗さんは伝令も兼ねて前曲中央まで出て頂けますか?」

 

「承知した。して、策の内容は?」

 

「はい、今から説明します。

 

 この策はこちらに勢いがあって、けれどその先の展望が良く無いと見た時に使えるか、と話していたものになります。

 

 具体的な内容ですが――――」

 

諸葛亮が策を授ける。

 

時を同じくして、周瑜からの伝令が蜀の本陣を目指して近づいてきている。

 

連合の命運を懸けた策が今、静かに始動する。

 

 

 

 

 

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「ふむ……正直に申しますが、意外でしたな。

 

 貴女がここまで出来る方だとは思っておりませんでした」

 

「あら、そちらこそ意外なことを言うのね?

 

 貴女ほどの武人に褒められるというのは悪い気分では無いわね」

 

「ははは。そう申されますが、この時間ももう終わりでしょう。

 

 取り繕ってはおられますが、既に肩で息をしておりますぞ?」

 

魏の本陣で繰り広げられる華琳と趙雲の戦闘は、再び小休止に入っていた。

 

正確には小休止と言うよりも、決着が見えてきた時点で趙雲が華琳のペースを乱しに掛かったのであるわけだが。

 

趙雲の指摘通り、華琳は趙雲の攻撃を防げてはいるものの、純粋なる武人と武を嗜む君主とでは地力の差が大きい。

 

ここまでに危ない場面こそほとんど無かったものの、華琳の想定外の攻撃が仕掛けられることは幾度もあった。

 

その度に、それを防ぐ華琳の動きは必要以上に大きくなってしまう。

 

その積み重ねが今如実に表れていた。

 

しかし、そのような状況下にあっても、華琳の口元にはまだ不敵な笑みが浮かんでいた。

 

「確かにそうね。残念ではあるけれど、どうやら貴女との一騎討ちはもう終わりのようね」

 

一瞬、趙雲は肯定しかけた。が、違和感を覚え、思考を巡らせる。

 

どうにも、華琳の言葉からはこれ以上は一合も打ち合わないかのような言い草に聞こえたのであった。

 

勝負を諦めた――――わけが無い。それは華琳の目と表情から確信出来る。

 

ならば、考えられる可能性は――――

 

「ウチらの大将に何さらしとんねんっ!!」

 

「おっと。危ない危ない」

 

趙雲の後背より真桜が螺旋槍を突き掛ける。

 

この可能性に直前に思い至れていた趙雲は難なくこれを回避した。

 

そう、華琳には見えていたのだ。趙雲の後方から走って来る真桜の姿が。

 

『真桜っ!!』

 

桂花と稟の声が重なる。

 

二人はどうにかして親衛隊の兵を一騎討ちに介入させて華琳を下げさせようとしていた。

 

しかし、武の嗜みすらない二人ではどうしても趙雲の隙が見つけられない。

 

一部の兵を避けさせて射線を確保して射掛けようともしてみたが、趙雲はその度に巧みに華琳との立ち位置を調整し、矢を射掛ける隙をも作らなかった。

 

ならば、と強引に弓兵に撃たせようとすれば、趙雲は華琳に超接近戦を仕掛け、華琳を巻き込みに掛かる。

 

完全にその場は趙雲に流れを支配されていたのであった。

 

そこに来て現れたのが、工兵部隊ではあれど、一角の武人である真桜である。

 

否が応でも期待するというものだろう。

 

「桂花!稟!華琳様連れて下がっときぃ!

 

 こいつはウチが何とかしたる!」

 

「ま、任せます!華琳様、こちらへっ!」

 

稟が迷いなく真桜にこの場を預ける。

 

そして華琳を後方へと導こうとした。

 

華琳もこれ以上趙雲とやり合うつもりは無いようで、そちらへと動こうとし、一度足を止めた。

 

「真桜。任せたわよ」

 

「はいな。大船に乗った気ぃでいとってください」

 

真桜に声を掛け、その後は振り返ることも無く稟の下へと。

 

桂花も稟と共に華琳を後方へと連れて行く役目となる。

 

つまり、この場には趙雲と真桜のみが取り残されるのだ。

 

「お主、李典殿だったか?

 

 我等が軍師殿がお主を警戒しておったよ。先の兵器もお主が作成したのであろう?」

 

「ほう、ウチのこと知っとんのかい。

 

 せやな、あれはウチの傑作の一つや。ここでそれ聞いてくるっちゅうことは、あいつに怖れをなして投降でもする気になったんか?」

 

「はっはっは、御冗談を!

 

 そのようなつもりであれば孟徳殿の首を狙いに来たりなどはせぬよ。

 

 ただ――――お主はここで仕留めておかねばならんな、と」

 

趙雲の闘気が真桜に対して絞られる。

 

それはまるで物理的な圧力をすら伴うかのように感じられた。

 

「ちっ……!これが蜀で最強に近い奴の力っちゅうことかいな……」

 

「ほう?魏では私はそのように評価されていたのか。

 

 ならば、お主には荷が重いのではないか?」

 

趙雲の指摘に真桜は苦笑を浮かべて答えた。

 

「この際やし、はっきり言ってもうたるわ。

 

 荷が重いっちゅうもんやないで!ウチは純粋な武人や無いっちゅうんに……」

 

「だったらその”純粋な武人”であるあたいが加勢してやるよ!!それなら問題ないだろ?」

 

横合いからの突然の宣言。そして飛び込んでくる人影。

 

真桜の隣に現れて趙雲へと大剣を構えるその人物は――――

 

「おお!猪々子はん、ええ所に!

 

 いや〜、ホンマ助かるわ!」

 

「へっ!このあたいが来たからにはもう大丈夫だぜ!」

 

猪々子であった。

 

そして、彼女がいるということは当然ながら他の面子もいるわけで。

 

「むっ?!華琳殿はもう下がったのですな?

 

 ならば、この場の指揮はこのねねが執るです!ほら、お前たち!ちゃっちゃと動くです!」

 

「あなた達、シャキっとなさいな!華琳さんの親衛隊なら、ここでしっかりとこの趙雲さんを仕留めてお役目を果たしなさい!」

 

ねねと麗羽が現れるなり親衛隊の兵たちに発破を掛けた。

 

俄かに活気づく兵たち。そして正面には真桜と猪々子の二人の将。

 

冷静にその状況を眺めた趙雲は、一つ大きな溜め息を吐いた。

 

「ふむ、どうやらこれ以上の長居は無意味なようですな。

 

 であれば、私はこの辺りで失礼させていただきましょう」

 

趙雲は一切の迷いや未練も無く撤退を選択した。

 

そして、言うや否や踵を返し、正面となった兵を数人仕留め――――見惚れるほど綺麗な姿勢で河へと飛び込んでしまった。

 

「ちょっ!逃げんのかよっ!!だったらあたいが――――」

 

「お待ちなさい、猪々子さんっ!!」

 

駆け出しそうになった猪々子を麗羽が一喝して止める。

 

「趙雲さんを追うより、本陣を立て直す方が優先ですわ。そうでしょう、ねねさん?」

 

「麗羽殿の言う通りなのです!

 

 まずは華琳殿と合流を果たし、そこからは猪々子殿と真桜殿が護衛として張り付くのです!

 

 後は兵を落ち着かせて態勢を整え、各戦局への対応をすぐに決めなければならないのです!」

 

ねねが指針を示す。

 

それが理にかなっていることはすぐに分かった。

 

「ちぇっ!仕方ないなぁ。ほんじゃあ、とっとと華琳様のとこに行こうぜ」

 

「せやな。さっき見た限りでは大将も大丈夫そうやったけど」

 

「あの殺しても死なないような華琳さんですわよ?趙雲さん一人に襲われた程度でどうにかなるはずも無いでしょう」

 

やんややんやと騒がしい四人ではあったが、足取りを鈍らせることはしない。

 

すぐに華琳たちと合流し、本陣の立て直しに取り掛かった。

 

 

 

 

 

「!!姉者!張飛が吶喊してくるぞ!」

 

「おう!そっちは私に任せておけ!」

 

「ボクも行きます!」

 

右翼では既に、味方の船が炎上したことに対する動揺は見当たらない。

 

将を信頼している兵たちにもまた、ほとんど同じことが言えた。

 

こうなった要因は魏船の炎上時点まで遡る。

 

 

 

魏陣営で発生した轟音にいち早く反応したのは春蘭だった。

 

「なんだ、今の音は?!

 

 なっ……?!しゅ、秋蘭っ!風っ!!我等の船が燃えているぞっ!!」

 

春蘭の叫び声で振り向いて見れば、確かに魏の船が炎上している。

 

しかも、前曲中央との連携を断ち切る位置の船をやられていた。

 

「爆発だと?!風、これは……」

 

「はい〜。どうやら、まんまと敵の策に嵌まってしまったようですね〜。

 

 黄蓋さんと?統さんは囮でしたか〜」

 

「あれほどの者を二人、策のために切ったと言うのか?」

 

「いえいえ〜。正確に言えば、策が露見した場合に備えて、二人を囮にした策も仕込んでいたのでしょうね〜」

 

「なるほど。用意周到なことだな」

 

秋蘭も比較的冷静だが、それにも増して風はまるで動揺していないかのようだった。

 

風の考えを聞き、秋蘭も納得する。

 

既に秋蘭は落ち着きを取り戻していた。

 

「して、風。我等の動きはどうするのだ?」

 

「そうですね〜……

 

 ひとまず、炎上した船は放っておきましょう〜。あちらは真桜ちゃんが対処してくれますので〜。

 

 秋蘭様と春蘭様、それに季衣ちゃんはそのまま敵左翼への攻撃と警戒を〜。

 

 しばらくは援軍要請なんかも出来ませんので、用兵は風の方でちょっと考えておくのですよ〜」

 

「分かった。姉者!季衣!

 

 二人は変わらず張飛の吶喊に気を配っておいてくれ!

 

 炎上した船は全て真桜の部隊に任せておいて問題無い!」

 

「そうか!分かった!

 

 ならば、季衣!奴らを決して秋蘭の船に近づけてはならんぞ!」

 

「はい、春蘭様!」

 

 

 

風と秋蘭。右翼の頭脳ポジションである二人が最初から落ち着いていたことによって、右翼が崩れる様子は見せなかった。

 

しかし、それだけでは蜀の者たちが策の成功を見て勢い付くことを止められない。

 

結果、張飛は勢い盛んに吶喊してきたのであった。

 

「秋蘭様〜、春蘭様と季衣ちゃんが出る前に斉射二回お願いします〜。

 

 その後はお二人も吶喊してぶつかるでしょうから、敵の後続を断ち切るように斉射を続けてください〜」

 

「うむ、承知した」

 

蜀兵の士気向上、張飛の吶喊を見ても風は冷静に右翼戦力をコントロールして見せた。

 

それは黄忠の予測を外すもの。だが、風の持ち味である敵の心理の隙を突くことまでは出来ない。

 

かようにして右翼の戦場では、互いに有利不利がほぼ消滅した状況での殴り合いの様相を呈そうとしていた。

 

 

 

 

 

「太史慈と甘寧が吶喊してくるわよ!

 

 月と火輪隊は甘寧に対して弾幕を張って!流琉は太史慈を!

 

 敵は今勢い付いてる!仕留めるのは無理でも手傷は負わせて!」

 

「うん!任せて、詠ちゃん!」

 

「承知しましたっ!」

 

「梅は変わらず月の護衛と援護!恋は接敵に備えて待機!接敵次第、敵将を叩いてやりなさい!」

 

「はいっ!分かりました!」

 

「……ん」

 

左翼は左翼で、こちらもまた詠が冷静に戦況をコントロールしていた。

 

こちらはやはり、恋の存在が大きい。

 

何時如何なる時でも無感情に見える恋だが、このような時はそれが良い方向へと働いてくれるのだ。

 

そして何より、月が左翼の兵の動揺を抑える一番の功労者だった。

 

一刀や華琳が認めた支配者たる器の持ち主。そんな月が、魏船の炎上を目にして動揺しかけた兵たちに何をしたのか。

 

言ってみれば至極単純な話である。

 

即座に一喝したのだ。

 

『皆さん!落ち着いてください!

 

 あの敵の策は想定済みです!李典将軍がすぐに対応してくださいます!何も問題はありません!

 

 ですから、皆さんは目の前の敵に集中してください!』

 

堂々と言い放ったその台詞を耳にした火輪隊の兵は、瞬く間に落ち着きを取り戻していった。

 

元が董卓親衛隊の兵なだけあって、月への信頼の高さは圧倒的なのでこれは当然とも言える。

 

そして、その落ち着きようが流琉の方の部隊の兵にも伝播した。

 

人間は上の者の感情の揺らぎを感じれば、それを己の中で増幅させてしまうもの。しかも、周囲の雰囲気に呑まれれば、そちらに傾くことも多分にある。

 

今回の左翼のケースはこれを逆の発想から見たものと言えよう。

 

上の者に一切の動揺が見られないから、下の者は落ち着きを保つことが出来る。

 

周囲の兵が落ち着いているから、自分たちも落ち着くことが出来る。

 

言わば負の連鎖ならぬ正の連鎖であった。

 

「中衛の一部が退いたのは見えたし、本陣にも動揺はあんまり見られないわ!

 

 もうすぐ本陣、中衛からの増援も来る!

 

 船上戦で甘寧と太史慈相手は中々厳しいけれど、ここを耐えれば勝ちは見えるわよ!」

 

『応っ!!』

 

苦しくなるのはこれからだが、それも少しの辛抱で事足りる。詠はそう発破を掛けた。

 

士気は上々。連携に齟齬も無い。

 

左翼は十分な態勢で呉の船団を迎え撃つこととなった。

 

 

 

 

 

前曲中央では相変わらず剣戟の音が止んでいない。

 

周泰が一刀から僅かの距離さえ離れようとしないためだ。

 

周泰自身が身軽で、かつ得物がこの世界の将にしては軽いものであることが、このように出来ている理由であろう。

 

この展開は一刀にとって非常に拙い。

 

しかし、だからと言って焦れるようなことはしなかった。

 

戦闘において不利な状態に陥った時、大切なのは冷静になること。そして、出来ることを一つ一つ、確実にこなしていくことである。

 

言うは易し行うは難しの典型的な例であろうが、事実、そうなのである。

 

周泰の奇襲から一騎討ちが始まってもうじき四半刻。

 

その間、一刀も周泰も一切集中を切らしていなかった。

 

ほとんど常に、周泰が鍔迫り合い、つまり膂力の比べ合いに持ち込んできた。力で押し込み、一刀を仕留めようという腹である。

 

一刀は隙を見つけては足払いを仕掛けたり、力を抜いて周泰を後ろに逸らせて距離を取ろうとしていた。

 

互いに相手のしたいことはさせない。

 

周泰は驚異的な反射神経で、一刀は細かく敵の力を分散させたり局所的な氣の運用で。

 

そうして、もう何十度目かという鍔迫り合いに入ろうとしたその時。

 

連合の船団から鏑矢が数本上がった。

 

瞬間、周泰の瞳に驚きの色が浮かぶ。それが決定的な隙となった。

 

「っ!!はあぁっっ!!」

 

一刀はここぞと腕部に氣を用いて周泰を吹き飛ばしに掛かる。

 

鏑矢に周泰が気を取られた一瞬の出来事で、それ故に周泰は反応が僅かに遅れてしまった。

 

一刀の押し込みをいなしきれず、大きく後退してしまう。

 

これによって二人の戦闘が始まってから初めて明確な距離が出来た。

 

「ふぅ……さて。ようやく不利を脱したわけだけど、この状態からであれば俺の方が有利なのは、今までの色々な経験から周泰さんも理解してますよね?

 

 どうします?続けますか?」

 

余裕が出来たことで一刀の言葉使いも丁寧なものとなっている。

 

それは周泰に、一刀が態勢を完全に整え直せたことを悟らせるに十分であった。

 

「くっ……!悔しいですが、これまでのようです……っ!」

 

周泰はジリジリと後退する。その背にあるのは船の縁。

 

一刀を警戒し、隙を突いて河へ逃げ込もうとしているようだった。

 

それを分かっていて、一刀は敢えて身動きを取らない。

 

ある程度まで距離が伸びた時点で、周泰は大きくバックステップを踏んだ。

 

そのまま縁を越えて河へと落ちる――――その寸前。

 

周泰の耳に一刀の声が届いた。

 

「手土産には孫権を。命は取らないよ」

 

周泰は理解不能と言った顔となり、河へと消えていった。

 

 

 

 

 

「一刀っ!左っ!!」

 

「っ!?」

 

零の叫び声と同時、激烈な闘気がぶつけられた。

 

咄嗟に右へサイドステップで逃げる。直後、寒気を伴う風が一刀の身体を掠めた。

 

「おっと、いたいた。やっと見つけたよ、北郷。

 

 だが、ちと遅かったかね?まあ、いい。

 

 少しだけになっちまうけど、さあ、殺り合おうじゃないか!!」

 

「馬騰さん、か。

 

 一直線にここに向かって来たのかな?にしては時間が――――まさか……」

 

「ん?ああ、そういやあ道中で二人ほどのしたねぇ。

 

 一人目は楽進とか言ってたね。こっちは河に落ちたよ。

 

 二人目は徐晃だったね。ついさっきのことだ、時間が無いような気がしたんで一撃斬って強引に突破してきたんだがね。

 

 ま、運が良けりゃあ二人とも生きてるだろうさ。

 

 さあ、知りたい情報はそれだけかい?時間が無いんだ、あたいとの勝負に集中しな!」

 

「凪……菖蒲…………

 

 あの二人を一蹴し、なお疲労も無し、ですか、さすがに英傑と呼ばれるだけの事はありますね」

 

「長く生きてりゃあ、船の上での戦も数え切れないくらい経験するんだよ。

 

 初めて船上で戦うようなひよっこに負けることは無いねぇ。だが、あんたは……」

 

ジロリと一刀を眺めまわす馬騰。その後、ニヤリを口角を吊り上げた。

 

「経験がありそうな立ち居住まいだねぇ。面白い!!

 

 さあ、行くよ!北郷!!」

 

台詞の終わりと同時、馬騰の戟が一閃する。

 

その瞬間、一刀は一つのことを悟った。

 

(馬騰の一撃は瞬間の氣だけじゃあ受け止められないな。真正面から受けざるを得ない状況となったらゲームオーバー、か)

 

一刀が瞬間的に練れる氣では恋の一撃をどうにか受け止められる程度。連撃には耐えられないと来ている。

 

この馬騰の一撃はどう見ても恋以上の重さがある。

 

受け流し一択、かつワンミスで即アウト。神経を磨り潰すが如き戦闘が一合目の前から予測出来てしまった。

 

「ふっ!」

 

得物同士がぶつかり合った瞬間、信じられないほどの圧力が一刀の両腕に伝わってきた。

 

押し負けないように力を込め、馬騰の戟の軌道を逸らす。

 

いつもであれば、受け流しを終える直前から相手の態勢の観察に入り、隙が見えれば反撃に出るのが一刀がよく使う型となっている。

 

ところが、馬騰相手では受け流しを終えるその瞬間まで一瞬たりとも気を抜くことが許されなかった。

 

反撃の態勢に移る余裕が無い。

 

それは先ほどの周泰戦以上の苦行を強いられることになりそうな一合目であった。

 

二合目、三合目と様子を見つつ打ち合い、四合目、五合目からギアが上がる。

 

十合を打ち合うとなぜか馬騰の方から距離を取った。

 

「ん〜……なんか不思議な感じがするねぇ……

 

 北郷、あんたひょっとして意識して氣を使えるのかい?いや、むしろ、意識してしか使えないのか?

 

 だとすれば、本当に不思議な奴だねぇ」

 

「どうしてそのように?」

 

「氣の流れ、さね。五胡の連中には面白い氣の使い方が出来る連中がいたんでね、他人が意識して使う時は何となくそれが分かるようになったのさ」

 

問い掛けの形式を取ってはいたが、馬騰の中ではほぼ確信しているのだろう。

 

だったら隠す意味も薄いと見た。

 

「確かに、俺は氣を使えます。が、それがどうしたと?」

 

「ふん!決まっているだろう?

 

 ほら、時間をやる。あんたの最高の状態で攻撃してきな!」

 

「…………は?」

 

一刀は馬騰の言葉の意味をすぐに理解出来ず、唖然とした。

 

次いで罠を疑う。

 

馬騰の言う通りに準備をしようとすれば、一刀ではまだ大量の氣を練るにはそれに集中する必要があり、無防備に近くなってしまう。

 

それを狙っての発言と考えれば、迂闊に行動も出来ない。

 

どう対応しようか思案していると、早速焦れた馬騰が更に言葉を加えた。

 

「別に準備中のあんたを斬ろうとは思ってないよ。

 

 あたいはただ漢王朝の武人として、北郷という人物を見極めようとしているだけさね」

 

これに関しては孫堅も同様の事を口にしていた。

 

”見極める”というワード。それは華琳と一刀に対して向けられていた。

 

対外的な魏のトップ二人を”見極める”。それは引いては魏という国を見極めに等しい。

 

そこまで言いきった上、忠義の士と謳われている馬騰が王朝を持ち出して来た。

 

これが決定打となり、一刀は馬騰の誘いに乗ることにする。何より、現状で馬騰を相手に勝利を掴もうとするならば、奥の手を除いて馬騰の案以外に勝機が見えない。

 

何より、一刀の氣をも用いた全力攻撃を馬騰がどう対処するのか、それが見てみたかった。

 

「……ならば、お見せしましょう。少しだけ、時間をもらいます」

 

宣言し、一刀は刀を下ろして軽く目を瞑る。立ちながらであるが瞑想の体を取ることで氣の練りが早くなることは前々から分かっていた。

 

しかし、視覚を閉ざす必要がある以上、戦闘中には絶対に使えないとあり、今まで使ったことは無かった。

 

発見して以来の使用となるが、やはり早い。

 

常々やっているように、会話で対峙を引き延ばしている間に練るより半分以下の時間で事が済んだ。

 

「ふぅっ……」

 

大きく息を吐く。一応必要の無い行為だが、こうした方がより氣が身体に馴染む気がするのだ。

 

目を開けば馬騰が興味深そうにこちらを眺めていた。

 

「……どうやら準備は出来たようだねぇ。

 

 さあ……来な、北郷っ!!」

 

一刀は確信している。次の一撃は今まで最高の一撃にすることが出来る、と。

 

同時に、一刀は感じている。それでも馬騰には届かない可能性が高い、と。

 

「…………斬り結ぶ、太刀の下こそ地獄なれ……」

 

「んん??」

 

身構え、誘いを掛ければすぐに来るものと思っていた馬騰は、何やら呟き始めた一刀に対して訝し気な視線を送る。

 

一刀はそれを一切合切無視し、ユラリと身体を前に傾ける。そして、自らに言い聞かせるが如く、その言葉を口にする。

 

「踏み込み行けば、後は極楽っっ!!」

 

一刀が踏み出す。刀は下段構え。倒れるような勢いを付け、猛烈な加速。一般兵であれば、一刀の姿が掻き消えて見えたかも知れない。

 

踏み込む。その一歩は今までのどの踏み込みよりも深く――――

 

「むっ!?」

 

あの馬騰の顔に驚きの色が浮かぶ。

 

超至近距離。二人の身体同士がぶつからんとするほどの距離まで一刀は踏み込んだ。

 

下段に構えていた刀は、慣性のままに前へ。一刀の腕が軌道を誘導し、中段を横に薙ぐ。

 

一閃。まさにその言葉通りの一撃だったと言えよう。

 

まるで映画のように、二人は交錯の後、獲物を振り切った態勢のまま数秒、どうっ、と膝を突いた。―――― 一刀が。

 

「くっ、はははっ!やるじゃないか、北郷!

 

 一対一でまともに手傷を負ったのはいつ以来かねぇ!」

 

一刀の攻撃は確かに馬騰を捉えた。しかし、ヒットの瞬間、二つの出来事が同時に起こった。

 

馬騰が僅かに身体を捻りつつ、一刀に匹敵する速度で戟が撃ち下ろされたのである。

 

身を捻られたことで馬騰の傷は浅くなり、その戟は一刀を捉えた。

 

不幸中の幸いは、馬騰がその速度と小回り性を得るために咄嗟に戟を短く持ったせいで目測を誤ったこと。

 

深手とまでは言わない、程度の傷であった。

 

「ここまでやって届かないってのは、ちょっと精神的に来るものがあるね……」

 

刀を構え、立ち上がる一刀。その顔は平然として見える。

 

しかしこの戦闘、最早勝機は見えないだろう。どちらも斬られ、血を流してはいるが、馬騰はまだピンピンしているのに対して一刀は一時とは言え膝を突いてしまうほどなのだから。

 

それでも、やるしか無い。そう覚悟を決めた瞬間、心を読まれたかのように馬騰が話し掛けてきた。

 

「まあ、そう死に急ぐな。

 

 最初に言ったが、あたいの方も時間切れだ。この勝負は取り敢えずおあずけだね。

 

 明日か明後日か、とにかく近くにまた全力でやる時が来るだろうさ。

 

 そんなわけだから――――そん時は隠してるもん、全部出しな。さもなけりゃあ、後悔することになるよ?」

 

それだけを宣言し、馬騰はゆったりと歩き去って行く。

 

誰も馬騰に掛かって行こうとしない。

 

誰が止めずとも、これに逆らうのは全く良いことが無いと理解させられていたのであった。

 

 

 

「か、一刀っ!大丈夫なのっ?!」

 

馬騰が去ったことを確認し、零が駆け寄ってきた。

 

忠告してくれた時にようやく気付いたことだが、零は一刀のいる船へと乗り移って来ていたようだ。

 

戦況が急変すると見て、より迅速な指揮のためにここに来たのであろうが、それが結果的に一刀の助けとなったのだった。

 

「ありがとう、零。一先ず死ぬことは無さそうだ。

 

 俺の心配より、まずは馬騰が何故あそこで退いたのか教えてくれ」

 

「逆よ。馬騰は殿のような形で残っていたの。

 

 敵が退き始めたのは周泰が退いたときとほぼ同じよ」

 

「ということは、あの鏑矢か……

 

 だが、何故?こちらは火計を喰らい、押されていたんじゃないのか?」

 

「右翼も左翼も混乱はほとんど無かったみたいよ。

 

 本陣の方で少し波瀾があったようだけど、中衛が退いて駆け付けて問題無し。

 

 奴らが退いたのは本陣が立て直ってここにも両翼にも増援が送られ始めたからのようね」

 

零に言われて魏軍の状況を改めて確認してみれば、確かに各地に増援が続々と送られている様子。

 

この戦で魏が持つ絶対的な有利、数の力を惜しみなく投入しているようだった。

 

「このままではジリ貧だと、連合が退いたのか?

 

 なら、追撃を掛けるか?」

 

「ええ、そうね。ここは馬騰一人にかなり酷い状態にされてしまったけれど、両翼は態勢十分なはずよ」

 

「よし、だったらここも元気な兵をかき集めて――――」

 

「待ちなさい、一刀。確かに追撃の好機だけれど、だからこそ疑問が残るのよ。だって――――」

 

「一刀さんっ!!」

 

零の声を遮って斗詩の声が響いた。

 

斗詩は早急に伝えたいことがあるようで、自ら一刀の船へとやってきた様子。

 

そしてその場にいる零を目にし、好都合だと考えた。

 

「零さんもいらっしゃいましたか!ちょうどよかったです!

 

 左翼の追撃は控え、右翼の追撃を濃くしてください!

 

 呉と蜀の間の連携に僅かな齟齬があります!中央は齟齬も小さいのですが、敵左翼の動きの鈍さは大きいです!

 

 左翼の足を鈍らせれば、右翼と中央から切り離して蜀を追い詰めることが出来るかもしれません!」

 

斗詩が一息に捲し立てた内容。

 

それを聞いて零は悪い笑みを浮かべた。

 

「行けそうなんだな、零?」

 

「ええ。

 

 奴らは自分からここに私たちを引き込んだのに、やけにあっさりと退くものだから疑問に思っていたのよ。

 

 けれど、こっちのこういう動きは予想も出来ないでしょう。仮にここまで含めて策だったとしても、左翼と本陣の間に強力が楔を打ち込んでおけば……ふふふ……」

 

零の中で執るべき策は決まったようだった。

 

「伝令!

 

 左翼の追撃は威嚇射撃程度、弾幕も張らなくて良い、深追いだけは決してするなと伝えなさい!それと大至急で恋をここに!

 

 右翼はこちらの行動に合わせて敵左翼の右から回り込むようにして追撃を!こちからは一刀を出すわ!

 

 余分な行動の分距離が詰められないでしょうけど、それは構わないわ!秋蘭を中心に攻めるよう伝えなさい!」

 

『はっ!』

 

伝令が両翼へと即座に散って行く。

 

間髪入れず、零は一刀に向き直って言う。

 

「一刀。あなたはここで元気な兵をかき集めて敵左翼の追撃をお願いしたいのだけど……」

 

「大丈夫だ。斬られたとは言え、そこまで深くないみたいだし。

 

 それに、動ける限りはここで蜀を叩いた方がいい。そうなんだろう、斗詩?」

 

「あ、は、はいっ。確かに、ここが好機だと見ます。ですが……」

 

「なら、迷う必要は無いな。零。兵の準備を頼む」

 

零が一刀を心配したことで、斗詩は今更ながらに一刀が傷を負っていることを知った。

 

将と言えど負傷兵をそのまま転戦させることに抵抗を覚えている様子の斗詩だったが、彼女を制したのは零であった。

 

「はぁ。一刀は言い出したら聞かないわよ。あなたは諦めて、中央の追撃を指揮しなさい。

 

 左翼の足を止めて中央・右翼と分断し、蜀を一気に叩くわよ!」

 

 

 

 

 

 

「月!そのまま火輪隊全員で十文字を使って斉射を続けて!

 

 船に積んでる矢を使い切るつもりで撃っていいわ!

 

 流琉の船の周りだけは外すようにして、敵全体に射かけて!」

 

「うん、分かったよ、詠ちゃん!」

 

左翼では詠が連合右翼の追撃に指示を飛ばし続けていた。

 

詠もまた、魏の増援を見て敵が退いたことを解し、ここが崩し時と見たのである。

 

既に流琉には船を前進させている。

 

月と火輪隊で全力斉射を行い、中近距離から流琉の部隊で壊滅を狙う。

 

梅は月の護衛のまま、恋は念のための保険として残して置くのが詠の立てた追撃策だった。

 

そこへ前曲中央から緊急の伝令が入る。

 

「賈?様!司馬懿様より伝令です!

 

 左翼の追撃は威嚇射撃程度にせよ、とのこと!

 

 加えて呂布将軍を前曲中央に送れ、とのことです!」

 

「追撃中止?いえ、違うわね。追撃に見せかけろ、とでも言いたいの……?

 

 と言う事は、この連合の動きは罠、と見たのね、零は。

 

 だったら、どうして追撃自体を中止にはしないのかしら?

 

 恋を中央……ひょっとして、一刀と恋を一点に集中して敵の罠を破るつもり……?

 

 とにかく、今は零の方が全体の状況を把握しているみたいだから従うわ。

 

 零には承知したと伝えなさい。

 

 恋!聞いていたわね?すぐに中央に向かって零に指示を仰いで!」

 

「……ん」

 

「呂布将軍、こちらです!」

 

恋は中央に戻る伝令と共に左翼を去り始める。

 

その時にはもう、詠は続けて次の指示を飛ばし始めていた。

 

「月!斉射は全力では無くて間隔を開けて行って!

 

 狙いは敵最前列の船だけでいいわ!」

 

「間隔を開けて、って、普通の弓兵部隊くらいでいいのかな?」

 

「ええ、それでお願い!」

 

「うん、分かった!

 

 皆さん!三班に別れて斉射準備!合図で一班ずつ斉射してください!」

 

「それと……伝令!

 

 流琉のところへ、すぐにここまで撤退するように伝えに行きなさい!」

 

「はっ!」

 

ぱっぱと指示を出し終え、詠は零の思惑通りの配置を整える。

 

「この布陣をどう使うつもりなのか分からないけれど、頼んだわよ、零……」

 

詠は中央の零に全てを託す。

 

 

 

 

 

「司馬懿様より伝令です!

 

 中央より北郷様が追撃に出ます!その動きに合わせ、右翼は敵左翼を回り込み、夏侯淵様を中心にして追撃せよ、とのこと!」

 

右翼にもまた、伝令が来ていた。

 

その報を聞いて風が納得を示す。

 

「はいはい〜、ありがとうございますですよ〜。

 

 秋蘭様〜、やはりこの撤退は罠みたいですね〜」

 

「ふむ、風の言う通りだったか。だが、追撃はするようだな。

 

 零の考えは分かるか?」

 

「う〜ん、難しいところですね〜。

 

 風では掴めていない情報を零ちゃんが持っている可能性が高いですので〜。

 

 ひょっとするとお兄さんの策が当たったのかも知れませんね〜」

 

「一刀の?」

 

「はい〜。この戦で前曲中央にはお兄さんたっての希望で斗詩ちゃんを配置しています〜。

 

 どうやら戦力分析の面で置いたようですが、その斗詩ちゃんが何かに気付いたのではないでしょうか〜?」

 

敵の隙を突くには気付きと閃きが重要。

 

零や風は軍師の観点からそのどちらも高いレベルで持ち合わせている。

 

しかし、武人の観点からの気付きは持っていない。

 

そこをもしも斗詩が補えたのだとすれば、それは敵にとっては非常に厭らしい布陣が完成した、ということになる。

 

「元々斗詩を魏に欲しいと言っていたのは一刀だったな。

 

 ならばこの策、乗るだけの価値は十分あると思うのだが?」

 

「はい〜、そですね〜。

 

 それでは、春蘭様と秋蘭様の全部隊で敵船団の右側へ回り込み始めてください〜。

 

 お兄さんの動きを確認したら、真桜ちゃんに貰ったこの花火を使いますので、それを合図に吶喊してくださいね〜」

 

「うむ、承った!

 

 姉者!右へ回るぞ!一刀に合わせて吶喊を掛ける!」

 

「おう!任せろ!」

 

「秋蘭様!ボクはどうすればいいんですか?」

 

「季衣ちゃんは万が一の場合を考えて待機でお願いします〜」

 

「季衣はここで待機だそうだ!

 

 風も残るからしっかり守ってやってくれ!」

 

「は〜い、分っかりましたー!!」

 

「それでは秋蘭様、御武運を〜」

 

飄々としているようできっちりと自分なりの状況分析は済ませていた風。

 

その采配は風の想定の一つに収まっていたために、早い。

 

こうして右翼は前に動き始める。

 

 

 

 

 

-13ページ-

 

 

 

 

 

孫堅と周瑜は伝令を出して指示を送った後、黙して待機していた。

 

魏の前衛連中を上手く嵌めるには最適な機を計らねばならない。

 

そうして戦場に集中しつつ待機している中、遂に絶好の好機が訪れる。

 

「月蓮様。敵本陣より増援が出始めたようです。

 

 今こそ機が熟したと見ますが」

 

「冥琳の見立てに後で文句は言わせないよ。さくっと合図出しちまいな」

 

「はっ。誰かある!」

 

「はっ、ここに!」

 

「鏑矢を三本放て!全軍を撤退させる!

 

 放った後は念のため蜀の将たちを見張れ!

 

 諸葛孔明のことだから無いとは思うが、撤退の合図を理解していないようだったら大至急で伝令を送れ!」

 

「はっ!!」

 

兵は答えるとすぐさまその場を去る。

 

ほんの数分後には鏑矢が上がった。

 

それを機に、両翼も中央も全部隊が進路を変える。

 

回頭し、撤退の進路を取っていた。

 

よし、と思ったのもつかの間、中央にて策に無い行動が露見した。

 

「っ!月蓮様――」

 

「碧のやつ、ここで吶喊していっちまいやがったね。

 

 あいつが合図の意味を取り違えるなんてこたぁ無いだろ。

 

 精々北郷相手にちょいと暴れて、満足したら帰って来るだろうさ。

 

 おい!中央は殿無しでいい!馬騰が勝手に担ってやがるからな!

 

 それでも心配だってんなら、後背を狙う弓兵部隊だけ編制しとくよう伝えとけ!」

 

「は、はっ!!」

 

周瑜が問題報告しようとしたところ、これを遮って孫堅は問題無いと言い切った。

 

さすがに周瑜もこれには、本当なのだろうか、と不安が大きかった。

 

しかし、四半刻にも満たない短時間で魏の前曲中央が崩れていく様が見て取れる。

 

崩れると言っても、敗走しているわけでは無く、動きが極端に鈍った程度。

 

将だけを仕留めて進む馬騰が作り出したのは、兵数がいてもほとんど動けない魏の船団の姿であった。

 

「……凄まじいものですね」

 

「英傑って呼称は伊達じゃ無いってことさ。あいつも船上戦の経験はそれなりに持ってるんだよ。

 

 魏の連中の実力は認めるが、それでも船での戦なんてあって一、二回ってとこだろう、あいつの敵じゃあ無いよ」

 

「なるほど……」

 

周瑜はこの時、内心で反省していた。

 

馬騰の実力は量り切れなかった。理解していればより良い策も浮かんだ可能性があった。

 

ただ、今それを考えても意味は無い。

 

今はただ、この策を成功に――――

 

「んん〜?なんか妙だねぇ……」

 

「妙、ですか?」

 

戦場を全体的に眺めていた孫堅が何事かに違和感を覚えた様子。

 

本人にも確証は無いようで、周瑜に問い掛けてきた。

 

「なあ、冥琳。

 

 奴ら、追撃はして来ちゃあいるが、本気で追撃しているように見えるかい?」

 

「それは……追撃している以上は本気だと思いますが……」

 

「あんたらの策ってのは、こっちの前線を退かせて敵の前線を引っ張り、こっちの本陣と共に伸びた敵の前線を叩くって考えだろう?

 

 そいつを読まれちまって適当にいなされちまってる可能性は無いのかい?」

 

「もし読まれているのでしたら、そもそも追撃を掛けて来ないでしょう。

 

 敵も本陣ごと上げてくれば良い話となりますので、その場合は一時攻撃を止め、全体の動きを揃えてから動き出すはずです。

 

 月蓮様の感じられた違和が本物なのであれば、追撃を仕掛けている以上、そこには何か狙いが――――」

 

周瑜の言葉は最後まで言い切られることは無かった。

 

魏の前線の動きに明確な違いが見られ、その狙いが分かったのだ。

 

「……月蓮様。非常に拙い状況となってしまったようです」

 

孫堅にそう伝える周瑜の声は、演技でなく堅いものであった。

 

 

 

 

 

「にゃにゃっ?!ちょっと拙いのだっ!!」

 

「くっ……!私の船が沈められていなければ殿を努めたのだけれど……!」

 

連合左翼では張飛と黄忠が焦燥の声を上げていた。

 

諸葛亮からの伝令通りに撤退を進めていた二人の部隊であったが、ほんの少し前に魏の陣営上空で鳴り響いた音があってから状況が一変していた。

 

敵前線中央から一刀が部隊を率いて斜めに斬り込んできて、更にずっと戦っていた夏候姉妹が外側から回り込んで攻めて来ているのだ。

 

元より操船技術には不安の残るところのあった蜀軍にあって、将級の乗る船も一隻沈められた現状ではその足はかなり鈍っていたと言える。

 

蜀にとっては悲しいかな、一刀が最大限の威嚇効果を狙ってこの日の戦の初めに選択した狙いがここに来て思わぬ形で絶大な効果を発揮していたようであった。

 

「とにかく、私は夏侯淵の方を――――ちょっ……?!」

 

「にゃにゃーっ?!なんなのだ、あの矢の量は?!」

 

それは秋蘭が全部隊で残弾を使い切る勢いで斉射した、矢の雨を越えた矢の嵐の到来であった。

 

「ぜ、全兵盾の陰に!近くに無ければ物陰にっ!!」

 

咄嗟に防ぎきれるような量では無い。

 

黄忠が撃ち落し、張飛が全力で弾いてもたかが知れているだろう。

 

射線に物を挟んでやり過ごす以外に無い。

 

黄忠の叫び声で全ての者が慌てて物陰へと駆けこんだ。

 

直後、容易く死を連想させるほどの量の矢が降り注ぐ。

 

兵達は皆、身を縮こめて嵐が過ぎ去るのを待っていた。

 

蜀の船に嵐が吹き荒れ始めて少しすれば疎らになり、やがて止む。

 

「……止んだわね。

 

 操舵手はすぐに操船を再会!他の者は続けて応戦を!」

 

完全に矢が止んだことを確認してから黄忠がすぐに指示を出す。が。

 

それが遅かった。

 

「まだまだやる気なところ申し訳ないけれど、そろそろ終わりにしよう」

 

突如聞こえてきたその声に、黄忠と張飛は戦慄する。

 

いつの間に、という言葉も口から出て来ない。

 

さらに悪い状況が二人の目に飛び込んできているのだ。

 

一刀が引き連れてきた船が今まさに張飛たちの船に並び――――すぐに進路上に立ち塞がるだろう。

 

誰が何を言わずとも、今の状況は二人ともすぐに理解出来た。

 

それはたった四文字で表される。即ち、『絶体絶命』。

 

「……鏑矢を。一本でいいわ。

 

 全兵、当船を放棄!今すぐ逃げ出しなさい!」

 

黄忠の号令で船上は大わらわになった。

 

そして一本の鏑矢が上がる。

 

その音を聞きながら、黄忠は思う。ここが年貢の納め時か、と。

 

ならば、せめて張飛たちを無事に逃がして死に花を咲かせよう。

 

そう考え、覚悟を決めようとしていた黄忠の視線は、しかし張飛の背中に遮られた。

 

「ここは鈴々に任せるのだ!紫苑は今すぐお姉ちゃんのところまで退いて、皆を守ってあげて欲しいのだ!」

 

「けど、鈴々ちゃん――――」

 

「大丈夫なのだ!鈴々はこんなところで死なないのだ!」

 

張飛の発言に根拠などは無いだろう。

 

しかし、春蘭と季衣が吶喊してきた時、張飛は見事にこれを退けて見せたこともある。

 

不思議と黄忠も、その言葉が現実となるであろう感覚に捉われていた。

 

「……任せるわ。鈴々ちゃん、ごめんね」

 

「いいのだ!鈴々のすぐにお姉ちゃんのところに戻るから!」

 

黄忠は最後に矢筒に残っていた矢を全て一刀が連れてきた船に向かって速射した。

 

牽制してすぐに黄忠も河に飛び込む。

 

既に大半の兵は船上にいない。

 

そんな中、張飛は悠然と構えていた。

 

こいつは厄介そうだな。一刀は内心で溜め息を吐いていた。

 

 

 

 

 

諸葛亮の表情は険しいをとうに通り越していた。

 

焦燥が積み重なり、余裕など無い。

 

先程からずっと頭はフル回転しているのだろう。その顔は真っ赤になっていた。

 

そんな中、連合の左翼から一本の鏑矢が上がる。

 

それは諸葛亮を絶望へ叩き落すものだった。

 

「そんな…………

 

 桃香様、申し訳ありません。最悪の予想が当たってしまったようです……」

 

「もしかして、失敗しちゃったの……?」

 

「はい……魏の軍師が一枚も二枚も上手だったようです。

 

 準備不足で綻びが予想されていたところを完璧に突かれました」

 

「そう……だったら、もうやることは一つしか無いよね?」

 

劉備はこの場で悲嘆に暮れるようなことはしなかった。

 

しっかりと現実を見据え、君主としてやるべきことを選択した。

 

「撤退しよう、朱里ちゃん。この戦、私たちの負けだよ」

 

「はい。

 

 誰か!撤退の鏑矢を!」

 

 

 

 

 

「月蓮様、最早……」

 

「ああ。分かってるよ。

 

 左翼を助けてやろうにも、呂布が目を光らせてるってんじゃあどうしようもないだろうね。

 

 撤退だ!合図出しな!」

 

蜀の方で撤退が決められたとほぼ同時、呉の方でも撤退が決定された。

 

周瑜は悔しそうに顔を歪めている。

 

ただ、孫堅だけは――――

 

 

 

戦場に二本の鏑矢が上がる。

 

ほとんど同時に連合側から上がったそれは、この赤壁の大戦を締める合図となった。

 

説明
大変長らくお待たせいたしました。第百四十九話の投稿です。


赤壁だけは書き切りたい!

……と考えながら書き続けた結果――――なんと、いつもの4.5倍の長さとなってしまいました。
(自分のことながら)何やってんだ、こいつ……
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コメント
>>kazo様 かゆうまさんは次の話で明らかに――なるかなぁ?(ぇ ぶっちゃけると華雄が馬親子に囲まれるのは数少ないプロットからの変更点です。(変更理由は配置間違えてたというアホ丸出しのミスです)ですので、華雄さんの状況書くタイミングは私にもわかりません!(←ダメだ、こいつ(ムカミ)
>>nao様 策の発動タイミングが異なっていたからこその有利始まり、一転均衡or不利ってところですね。明命本気で潜ませたら誰にも見つけられません!(ムカミ)
>>本郷 刃様 この一連の戦で回収するつもりでばら撒いたフラグは一気に回収していきますよ!是非お楽しみにw(ムカミ)
>>未奈兎様 孫堅、馬騰、呂布はこの外史では紛れも無くチートです。恋は虎牢関で五人(+二人)同時相手に圧勝とかやらかしてますからねw(ムカミ)
>>shituzhi様 ありがとうございます。もう既にラストはすぐそこですね。頑張って楽しんでいただけるように書いていきます!(ムカミ)
>>Jack Tlam様 一刀が舌戦する様を書くのは二度目ですね。一度目は麗羽戦です。”天の御遣い”として表舞台に出るようになってから、こういう事もしていますよ、ってことですね。(ムカミ)
かゆはどうなったのだろうか・・・。合流できるのか心配ですな。(kazo)
開戦で有利だったのにやはりすんなりとはいかないですな〜^^;(nao)
ハラハラドキドキで興奮が冷めやらぬままに戦いが終わりました…! フラグ回収もありましたが新たに建てられたフラグがどうなるのかも楽しみです(本郷 刃)
赤壁が一気にまとまった、しかしまぁ魏武と一発変換されるくらい有名な魏将二人を船上という有利な条件とは言えあっさりのして疲れなしとか・・・。(未奈兎)
今回の話を一気に読むことができてよかったです。赤壁がいったんの終わりを迎え、続きがどうなるのかとても楽しみにしています。(shituzhi)
祭の首級は、事前に準備したアレ。けど、雛里のものは用意していないので帽子だけ。生きていて欲しいが、生きていても何かが出来るわけでもない、そんな状況に置かれるでしょうしね。まさかの皇帝御一行と面会とかワンチャン有るか……?ところで一刀さん、何やら口上まで述べるようになった?(Jack Tlam)
うおおおお……そう簡単に勝ちは譲りませんね、確かに。桃香も強くなったものだ。とはいえ、これで鈴々が帰ってくるか否かでまた違ってくるかもしれないですね……幾多の死線を潜り抜けてきた劉備も、義兄弟の死には我を忘れるほど怒り狂ったのですから。戦略的には魏が依然有利、しかし局所的には危ないところも?目が離せません。(Jack Tlam)
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真・恋姫†無双 一刀 魏√再編 

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