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7月18日

 母親がいないので、午前中から戸を閉め切ってエアコンをつけていたけど、一〇分でや

めだ。

どうしてだろう。いままで戸を開けっ放しにして暮らしていたせいか、いつの間にか外

の景色が見えないと落ち着かなくなってしまっている。知らないうちに閉所恐怖症になっ

たんだろうか。

 まあどっちにしろ机に向かっていても課題ははかどらないので、気分転換に外に行く事

にした。

 自転車で国道を走っているとき、向こうに立っている桐原さんを見かけた。最初はわか

らなかったけど、あのでかい肩幅は桐原さんだ。大きなリュックを背負っている。まだ前

田の所に居たんだろうか。

 僕が声をかけると、桐原さんはちょっと驚いた顔をした。

「藤柿です。こないだプールで前田先生と一緒にいました」 

「よう、確か・・25メートルの・・」

「・・そうです」

 どうやら桐原さんは水泳に関係した覚え方をするらしい。僕はなんだか複雑な気分だ。

 でも僕にとって桐原さんは地球に残る同士だ。後で何かとお世話になるかもしれないの

で、これを機会にちゃんと覚えてもらった方が良いだろう。

「僕も地球に残ろうと思ってるんです」

「そうか。でも君の家は火星に行かないのかい?」

「行く気でいます。親は」

「じゃあ君も行った方がいいよ」

 意外な事を言う桐原さんに、僕はちょっとびっくりした。

「何でですか」

 僕がそう言うと、桐原さんは何か考えるような顔をした。

「どんな理由があるにせよ、親子で一緒にいられる時期はいた方がいい」

「でも桐原さんも残る派なんじゃないんですか?」

「そのうちに嫌でも離れるべき時ってのが来るよ。その時にまだ地球の方がいいと思って

いたらここに戻ってくればいい。お、来た来た」

 国道を走ってきたトラックが桐原さんの前で止まった。運転しているのは、中年の無精

ひげを生やしたおじさんだった。

「じゃあね、25メートル君」

 桐原さんはそう言って、急いで助手席に乗り込んだ。

「弟くん?」

 運転席のおじさんが僕に笑いかける。

「いや、知り合いの生徒」

 桐原さんはおじさんと何か話すと、トラックはそのまま走っていった。

 ひょっとしてこのまま鹿児島まで行くのだろうか。男の二人旅か。何かそういうのもいいな。

 でも桐原さんだけは地球に残る事に賛成してくれると思ったのに、正直何だかがっかり

した。そして勝手に変なあだ名をつけられたことにも。

 それからいつもの様に駅前の本屋で立ち読みをしてから家に帰った。

 夜も表の戸を全開にして寝ていたら、帰ってきた母親にカーテンくらいは閉めろと怒ら

れた。

 でもどうして桐原さんはあんなことを言ったんだろう。

 結局まだ火星に行かないことは母親に言っていない。

 

7月19日

 マサと病院で話してから、かれこれ約束の一週間になる。

 また葵さんに怒られないように、今度は昼間病院に行くことにした。勿論マサへのお土

産は昨夜のうちにCDにコピーしてある。

 自転車を病院の駐輪場に停めようとしたが、今日は珍しく一杯だった。ここのところ紫

外線警報が出ていないので、バイクや自転車でお見舞いに来る人が多いみたいだ。 

 堂々と正面玄関からここの病院に入るのは久しぶりだ。週末のせいか、診察を待ってい

る人も多い。

 僕が外来の受付があるロビーを通ってマサの部屋に行こうとした時、診察待ちの患者の

中に混じって、座っている水野の姿が見えた。

 僕はなぜか思わず柱の影に隠れてしまった。

 水野は俯いてじっとしている。よそ行きの綺麗な白いワンピースを着た水野は正直ちょ

っと可愛く見える。花束を持っている所を見ると、マサのお見舞いに来たんだろうか。

 アキによると確か今日も水泳部の練習はやっている筈だ。やっぱりそうか。マサはごま

かしているけど、水野がマサのことをどう思っているかなんて何となく解かっていた。でも

実際にお見舞いに来ている水野を見てしまうと、なんだかちょっとショックだ。

 どうもマズい日に来てしまったみたいだ。マサの部屋で鉢合わせしてたらと思うとぞっ

とする。

 今日は出直そうかとも思ったが、一週間後に来いと言ったのはマサだ。新しいベガだけ

受け取ってすぐに帰ればいい。

 僕は思いきりさりげなくロビーに出た。でも水野に何も言わないのもなんなので、さり

げなく声をかけようかと思い近づいていった。

 彼女は何となく重いオーラを出している。やっぱり気付いていないフリをすることにし

た。でもどうしてこんな所にいるのだろう。マサの部屋は知っているはずなのに。

 僕はそのまま入院病棟に歩いていった。

 どうも病院の中を歩く時は癖でコソコソしてしまう。ナースステーションに愛想笑いを

して、マサのいる四人部屋の前まで行った。

 部屋の中を覗くと、窓際のマサのベッドだけがカーテンで仕切られている。前にもあっ

たが、こういう時はだいたいマサの体調が悪い時だった。廊下にある食事を運ぶワゴンに

も、マサの分だけが残っている。水野もおそらくそれで引き返したのだろう。

 やっぱり今日は帰った方がよさそうだ。 

「光彦君」

 僕が引き返そうとした時、廊下のむこうから声をかけてきたのは葵さんだった。葵さん

は洗濯物が入ったかごを抱えている。

「あ、や、どうも・・・」

 僕は思わず挙動不審になってしまった。

「マサ今ちょっと眠る時間なの」

「あ、そッスか。んじゃまた明日出直してきます」

 僕が葵さんに悪い印象をもたれている事はさすがに自分でも解かる。まあ何度もマサを

連れ出したりしてたんじゃそれもしょうがないんだけど。

 この間のこともあるし。何より昨日葵さんが克洋さんに平手打ちをしていた光景を思い

出した。また説教でもされないうちにおとなしく帰った方がよさそうだ。

 僕がそのまま廊下を帰ろうとした時、葵さんに腕を掴まれた。

「ちょっと待ってて」

 葵さんはそう言って僕に洗濯かごを渡すと、マサのベッドを仕切っているカーテンを開

け、中に入っていった。

 ヤバイ。この前の夜のことを怒られる。僕が逃げてしまおうかと思った時、葵さんが出

てきた。りんごとCD―Rを持っている。ベガのCDだ。

「これでしょ。君の目的は」

 葵さんは僕にCD―Rを渡し、少し笑った。

「りんごでも食べない?」

 

 僕は葵さんの後について病院の屋上に上がった。

屋上には花が植えられていて、いくつかのベンチが置かれている。

「そこ座ってて」

 葵さんはそう言って洗濯物を干し始めたので、僕は葵さんに促されるまま、空いていたベ

ンチの一つに座った。

 ここで付き添いの人はいつも洗濯物を干しているらしい。病院には乾燥機もあるので、

若い人たちはあまりこないみたいだが、葵さんはやたら手際がいいところを見ると、いつ

もここでマサのTシャツやパンツを干しているようだ。

 葵さんが洗濯物を干している間、僕はどうやってそこから逃げようか考えていた。

 マサとの付き合いは、小学校2年からだからもう8年になるけど、葵さんとは歳が離れ

ているせいか昔からあんまり僕から話したことはなかった。

 でもなぜか彼女は僕にはいつも遠慮がない。弟のマサと同じ様に僕にもなれなれしく話

す。っていうか怒る。だから葵さんが大学生になって東京に行った時には何だか正直ちょ

っとホッとした。

 マサが入院してからは最初のうちはずっとお母さんが付き添いをしていたが、夏休みが

早めにとれたといって葵さんが付き添いを買ってでたらしい。それから毎日の様に病院に

通っており、泊まることもあるみたいだ。この前の夜みたいに。

 葵さんは洗濯物を干し終わると、僕の隣に座って持ってきたりんごの皮を器用にむきはじ

めた。

「はい」

 葵さんはりんごを皿にのせた。

「どうも・・すみません」

 僕がモジモジしていると、葵さんは不思議そうな顔をした。

「りんご嫌いだっけ?」

「いえ・・」

 僕は仕方なくそれを一つ食べた。

 しかし葵さんは自分もりんごをかじっているだけで何も言わない。ますます気まずい雰

囲気になっていくのをどうしようもない。

 葵さんは遠くを見ている。アキは葵さんを美人だと言っていたけど、そのキリッとした顔

で何も言わないのが返って恐い。怒られるときはいつもこの表情なんだけど。

「これ直せる?」

 葵さんは突然そう言って、おもむろにポケットからIPODを出した。とりあえず僕を

怒る様子はないみたいだ。

「画面がすぐに消えちゃうの。あんた得意なんでしょ、こういうの」

「いや・・」

 僕はおずおずとそれを受け取った。葵さんはまた遠くを見ている。

 仕方がないのでとりあえず電源を入れてみた。確かに再生するとすぐに画面が不自然に

白くなってしまう。EL板が割れているのかもしれない。でもこういうのは僕よりマサの

方が詳しい筈だ。

「マサだったら、たぶん直せると思いますけど・・・」

「あんたは直せないの?」

「いや・・」

「じゃ直してよ」

 葵さんが顔に似合わずぶっきらぼうなのは昔からのことだ。だから僕はいつもできない

事でも思わず「はい」と言ってしまう。

 葵さんが機械オンチなのは知っていた。PCやテレビなんかの配線もあまり得意な方で

はない。家族の中でそういった家電を壊してしまうのはだいたい葵さんらしいから、機械

の使い方が荒いのだ。でもこんな精密な機械は僕にだって直せる訳ないのだが。

 僕はその場つなぎでIPODのメニューをいじってみる。葵さんの趣味は洋楽みたいだ。

英語のアーティスト名が多く入っている。

 そのうちの一曲を再生してみようとした時、また葵さんはポツリと言った。

「マサがね、今度長期の冷凍睡眠ってのに入るのよ」

「え?」

 僕は意外な言葉が葵さんの口からでたのにちょっとびっくりした。

「マジッすか」

「あんた知ってるの?」

「冷凍睡眠て・・コールドスリープですか」

「んん。そう。それ」

「木星探査の為に開発されたやつですよね」

 思わず僕のテンションは上がった。

 知ってるもなにもない。僕はコールドスリープについて知っている事を、一気に喋った。

 冷凍された状態で眠ったまま人体を保存し、何年か経った後で解凍する。すると体の細

胞はほとんど歳をとらないままで蘇ることができる。惑星間の移動では食料などの物資を

減らすことができ、シャトルの質量を小さくまとめられる。

 何十年か前まではSFの世界の話だったが、人の健康状態も保存できることから医療で

の方面が先に実用化されたらしい。その間の床ずれや、無事に解凍する技術が問題だった

らしいが、何年か前にアメリカかどこかで実用化され、リハビリ方法の改善で完全蘇生に

成功した。日本ではまだ数人しか実証例は無いらしい。まあこれはほとんど克洋さんから

借りた本の受け売りだが。

 長期のコールドスリープとなると正に未来にいくことができるタイムマシンになる。

 わりと知ったばかりの情報で、僕にはまだSFみたいな印象しかなかった。それを機械

や化学の事なんて全く出たことはない彼女の口から聞いたのは意外だった。実際僕の中で

葵さんは「SFなんてくだらない」と思っている多くの大人の一人だと思っていたからだ。

でもこんなに近くで実行されるという話を、しかも葵さんから聞くとさすがに現実感が沸

いてくる。

 僕は断然葵さんの一言に興味をもった。

「そっか、こういう話はあんたの方が強そうだもんね」

 テンションが上がってそんなことを一気に喋った僕を、葵さんはちょっと呆れた顔で見

ていた。

 マサは僕たちの知らない未来の世界を見ることができるのだ。これはひょっとしたら全

国レベルのニュースである。

「いつですか!」

「来週末検査があるの」

「すげえ!見に行っていいスか!」

「そうだね。検査で問題がなければ、実際に処置するのは筑波のもっと大きな病院だけど、

その前にまた会いに来てやってよ」

「来ます。絶対来ます」

 打って変わってテンションの上がった僕を見て、葵さんは少しだけ笑った。

「でも来るのは昼間にすんだよ。これあとあげる」

 葵さんはそう言うと、残りのりんごを置いて立ち上がった。

「あと、IPOD、直すの無理だったら悪いけど電気屋さんにでも持ってってくんない?

修理代後で払うから」

「え?」

 葵さんはそう言って歩いていったが、途中でもう一度こちらを振り返った。

「そん時、一緒にごめんなさいって言っといて」

 そしてまた病院の中に入っていった。

 僕は何となくピンときた。電気屋さん・・この辺りで電気屋さんといえばヒロトの家、

郡山電気しかない。やっぱり葵さんと克洋さんは付き合っていたみたいだ。ってことは、

僕は葵さんの伝言役にされたってことか。なんだかな・・・

 まあ二人のことはどうでもいい。それより今僕にとってはマサが未来の世界に行くって

いうニュースの方が重要だ。

 僕はテンションが上がったまま残りのりんごをかじりながら、葵さんが渡してくれたベ

ガのCDーRを取り出した。

 そこにはペンで”ベガ・ハイパー”と書かれている。マサの字だ。

 やっぱりマサは天才だ。中学生でナビゲーションシステムを作れる奴はそういない。ま

あ関係ないけど未来に行ってしかるべき者だ。

 本当なら飛び級で大学にも行ける位の知能指数があったらしいけど、マサの両親は普通

の中学に入学させた。同年代の友達がいた方がいいという判断だったらしい。ちょっとも

ったいない気もするけど、そのおかげで僕たちはマサと知り合えたのだ。

 実際マサは自分の事を天才だとか言ったことは一度もなく、クラスでも特に浮いている

感じもしない。だからちょくちょくみんなマサのお見舞いにも来る様だ。まあ一番来てい

るのは僕なんだけど。僕の場合いつもお見舞いというより遊びに来るという感じ。あいつ

にとっては入院してても勉強が遅れるなんて心配もないしね。僕はマサと付き合い始めた

おかげで数学の成績が上がった位だ。

 でもマサと仲良くなった一番のきっかけは、僕もあいつもオタクだったということだ。

マサは入院中色んな本を読んでいて、僕のSFに関する知識の基礎はほとんどマサから教

えてもらったものである。もしそれが無かったら克洋さんから本を借りる気にもならなか

っただろう。

 だからコールドスリープで未来に行くという事は、マサにとってSFを地でいく、それこ

そ夢の様なことの筈だ。そして友達である僕にとっても。

 

 僕がベガハイパーのCDを持って病院を出ようとした時、ロビーで声をかけられた。

「藤柿くん」

 それは水野だった。

 僕は思わず初めて気付いた様なフリをしたが、彼女は僕が病院に入ってきたことを知っ

ていた様だ。マサのところから戻ってくるのをここで待っていたらしい。

 水野はおもむろに持っていた花束を僕に差し出した。

「これあげる」

「え?」

 いきなりの展開に僕は固まってしまった。

 水野がマサのお見舞いに来たことは確実だ。そんじゃその花束を何で僕に渡すか?病院

の玄関で女の子から花束をもらうなんて解かりやすい画は、まわりの人は絶対退院した僕

を水野がお祝いに来たと思うだろう。変だって。

 さすがに水野もそれに気付いた様で、

「いらないか」と言ってすぐに引っ込めた。

「どうだった?土屋君」

 水野は思い切った様に言った。

「マサ?」

「土屋君のとこに行ってたんでしょ」

「まあ・・」

「会えた?」

「いや、なんか・・寝てた」

「・・そう」

 水野は暗い顔をした。僕はもう一度一緒にマサのところに行こうと言ったが、水野がど

うしてもいいと言うので、そのまま病院を出た。

 きいてみると、水野はやっぱりマサのお見舞いに来たらしい。でもベッドにカーテンが

引いてあったので、そのまま部屋に入らず戻ってきたと言った。

「せっかく持ってきたんだから花だけでも置いてくればいいのに」

 僕がそう言うと、

「いい」とだけしか水野は言わなかった。花は自分の家の花瓶に入れるそうだ。

 水野がマサのことを心配している様子だったので、僕が葵さんから聞いた事を話すと、

彼女はなぜかまた暗い顔になった。

「そうか・・・」

「でもすげえよ。コールドスリープだぜ」

 僕はテンション高く説明したが、水野はその言葉にピンときていない様子だった。先端

科学のすごさを説明しても女の子にはあんまり興味を持ってもらえないみたいだ。

「じゃもう学校来ないんだ」

 水野がポツリと言った。この感じだとやっぱり水野はマサのことが好きだったみたいだ。

何だか僕のテンションまで落ちてしまう。さすがに聞かなかったが、お見舞いに来ていた

時マサとはどんな話をしていたのだろう。

 

 それから駅前まで行く間、水野は何も言わなかった。僕も何を話せばいいのか分からな

い。ただでさえ女の子と二人で歩くなんてことに慣れていない僕は、何となく気まずいま

まで駅まで来てしまった。

「藤柿くんも8期でしょ」

 水野は定期を取り出しながら言った。

「え?」

「移民団。藤柿くんちも8期だよね」

「あ、そう・・だけど」

 水野は僕の家が8期の移民で火星に行くことを知っていた。マサに聞いたんだろうか。

「また学校一緒だといいね」

 水野は無表情のままでそう言った。その時僕はマサが言った、火星で水野と付き合っち

ゃえばいいじゃんという言葉を思い出した。マサは水野にも同じことを言ったのだろうか。

だとすると、この女は何を考えているのだろう。

 僕は何だか輪をかけて複雑な気持ちになった。

「でも俺行かないことにしようと思ってるから」

「なんで?」

「俺たちの作った戦略ソフトを売り込むんだ。国連軍に」

 僕は水野にマサに言ったのと同じことを言った。

 水野は少し黙っていたが、

「バカじゃないの」

 小さな声でそう言った。

「え」

 僕はだまってしまった。

 水野はそのまま改札に入っていったが、僕の方を振り返った。

「今日のこと桜井君とかには内緒にしといてよね。部活、風邪ひいたことになってるから」

 水野はそれだけ言うと、花束を持ったままホームの方へ歩いていった。明らかに怒って

いる。

 バカ呼ばわりした上に命令するなんて全く何て女だ。僕はしばらくその場に立っていた

が、だんだん腹がたってきた。

 なんで水野にそんなことを言われなきゃいけないのか。やっぱりこの女は何を考えてい

るのか分からない。

 まあマサには言わないけど。

 

 僕はその足でヒロトの店に行って、パワーアップしたベガハイパーの中身を見るつもりだ

ったが、何だかそんな気分にならない。今日はそのまま家に帰ることにした。

 夕食の後、アキとヒロトにメールを入れる。とりあえずベガハイパーのお披露目は明日

の昼からに決まった。

 相変わらず南天閣からの返事はきていない。

 せっかくのマサのビックニュースだったはずが、水野のおかげで気分が悪い。

 マサに渡しそびれたエロ画像を見てから寝た。

 

7月20日

 今日も暑くて目が覚めた。

 昨日の水野の態度が気になったが、午前中は夏休みの課題を消化しようと思い、一応机

の前に座った。しかし結局たいしてはかどらず昼になってしまった。

 昨日メールで約束した、ベガハイパーを見せる約束の時間は1時だったので、昨夜の残

りのカレーを食べてからヒロトの電気屋に向かう。

 アキはもう来ていた。アキもヒロトもあんまり乗り気じゃなかった割に、なぜか今日は

テンションが高い。

 僕がベガハイパーのCDをだすと、オオ〜という歓声があがった。なんだか僕も釣られ

てテンションが上がり、早速それをドライヴに入れてみる。

 すると間もなくベガの声が聞こえた。

「・・ヤ、やあ皆さん。元気でしたか?」

 ベガは明らかに前のよりもすらすらと喋っている。それに一週間前の戦いのことも覚え

ている様だ。何度も言うが、マサはやっぱり天才だ。

「元気でもないよ。こう暑くちゃね」

 ヘッドホンマイクで話すヒロトは、テンションを抑えてクールに喋っている様だ。

「それに南天閣に負けたままでは?」

「そういうこと」

 これがマサの言っていたコミュニケーションということだろうか。ベガはパワーアップ

して冗談も言うようになったらしい。

「回線が空いています。進入しますか?」

 ベガの言葉に僕たちは驚いた。

 前回と同じだ。あんなに苦労してやっと空きがでた衛星回線が、今日も空いているとい

う。

「マジで?」

 思わずそう言ったヒロトと、僕たちは一瞬顔を見合わせた。

 また罠じゃないのか。みんなそう思った筈だ。

 でも前回のアクセス料金の請求書も届いていない。とするとやっぱり南天閣は僕等を無

料で新兵器アイテムの実験台にしたってことか。

「でもそれって体験モニターってことでしょ」

 そう言ったのはヒロトだった。

「新アイテムを見られてタダだったらそう悪い話でもないんじゃない?」

 確かにそうかもしれない。何せタダでフロンティアファイターができるんなら。

「でもどうして俺らなんだ」

 アキがそういうのももっともである。僕等はフロンティアファイターの初心者なのだ。

「どうする」

 僕等はしばらく考えた。

 前回の無残な結果もある。でも新しくなったベガの調子をみるにはもってこいのチャン

スだ。それに二回も続けてフロンティアファイターに参戦できる。しかも何よりもタダで。

 そして一分後、あっさりと結論に至った。  

 このタイミングで入らない法はない。ということで、僕たちは急遽参戦をすることにし

た。

 ひょっとするとこのベガハイパーで南天閣に勝てるかもしれない。というのが僕の本心

だった。

「よし。進入する」

 ヒロトがキーボードを叩くと、またモニターに立体の文字が浮かんだ。

”START”

 僕たちは二度目のバーチャル世界へ進入していった。 

 

 

「なんだこりゃ」

 ぼくは思わず言った。

 アバターの僕が立っている周りには、背の高い植物が等間隔で生え、それが見渡す限り続

いている。

「森の中?」

 そう言ったアキに、ヒロトが答える。

「いや、それにしちゃあ木が等間隔過ぎる」

 地面は茶色い土。柔らかい。よく耕された感じだ。

 ヒロトが”上”をクリックする。

 頭上には、植物のやけに長い葉っぱの隙間から、澄み渡った青空が見える。雲ひとつ無

いきれいな青空だ。

「ベガ、どこだい?」

 ヒロトがヘッドホンマイクに言うと、フレームの右端から霧島カイトもどきのベガが出

てきた。迷彩服。銃身の長い銃。アバター僕の持っている装備は前と同じである。

 植物の茎にいくつかついている塊はうちの傍の畑で見ているのと同じ。これはトウモロ

コシだ。

 アバター僕が立っているのはどうやらトウモロコシ畑の中みたいだが、そこに生えてい

るものは人間よりずっと背が高い。木の幹ぐらいある太さの茎が、外が見えないほどどこ

までも続いている。こんなトウモロコシ畑は見たことがない風景だ。

「何か雰囲気違くない?」

 僕が言った。

「別のステージじゃないの?」

 キーボードでアバター僕の視界を操作しながらヒロトが答える。

「ステージに変更はありません」

 相変わらずベガの声は冷静だ。でも、トウモロコシ畑のステージというのはフロンティ

アファイターの攻略本には載っていなかった。

「っつうか武器が同じじゃねえかよ。これじゃまた大砲撃たれたら終わりだ」

 そうアキが言う通りである。

「ベガ、君の前のバージョンとの違いは?」

ヒロトが冷静な声でマイクに言う。

「武器アイテムが増やされています」

 ベガはそう答えると、彼が背負っていた迷彩のバッグから、鉄の塊の様なものを出して

みせた。笠が軸の両側に付いた大きなキノコみたいな形である。でもそれはどちらかとい

うと何かのオブジェみたいで、武器には見えない。マサが作った新兵器だろうか。

「なにそれ?」

 拍子抜けしたように聞くヒロトに、ベガが答える。

「磁力爆弾RT400。ジエンドオブワールド・ファイナルボムという名前がつけられて

います」

「長えな」

 思わずアキが言う。それにマサのネーミングセンスは頭がいい割にけっこう分かりやす

い。まあとにかくすごそうな武器だ。

「で、どうやって使うの?」

「マニュアルを表示します」

「いいよ。とりあえずお前が使ってみてくれよ」

 アキは新しく何かを買っても、説明書を読むのが嫌いだ。とにかくいじってみて使い方

を覚える奴である。でもこの際ベガに一回使ってもらった方が解かりやすいのは確かだ。

「不可能です。私にはナビゲーション以外の権限はありません。それに使用は一度に限ら

れます」

「なんで?!」

「影響力が大きすぎます」

「なんだそりゃ」

 その時である。

「3時方向約500メートル先に動くものがあります」

 ベガの言葉で、アバター僕は反射的に銃を構えた。なにしろ南天閣だったらまたいきな

り何を撃ってくるか分からない。

 ヒロトがベガに聞いた。

「敵の名前は?」

「データはありません。武器アイテムも不明です」

 匿名のプレーヤーなら少なくともハンドルネームが付く筈である。にも関わらず名前が

無いのはおかしい。

「また南天閣かな」

 ヒロトはキーボードを打って、アバター僕に双眼鏡を覗かせた。

 確かに茂みの遠くの方で、何かが動いている。敵のデータも出てこない。

「こっちに気付いてないのかな」

 僕は思わず小さい声でヒロトに言った。

「それは考えにくいよ」

 そう言ってアバター僕の体制を低くするヒロトだが、アキは先手必勝の構えである。

「とにかくチャンスだ。そのナントカ爆弾使ってみようぜ」

 何もしないまま前回のように新兵器を打ち込まれるのは僕もいやである。ここはアキの

意見にのることにした。

「ベガ、新兵器のマニュアルを表示してくれ」

 モニターの端にナントカ爆弾の使い方データが表示された。何のことはない。キノコの

笠の内側にあるボタンを押すだけだ。それで爆発までのカウントが始まるらしい。

「要は手榴弾と同じみたいだ」

 僕がそれをさっと読んで言った。 

「よし。接近しよう」

 ヒロトの操作でアバター僕はゆっくりと背の高い茎の中を進み始めた。ここは前の砂漠

より環境が複雑な分、グラフィックの完成度の高さがわかる。

 その時、アバター僕の隣を歩いていたベガの足が急に止まった。

「動く物が接近してきます。距離4メートル」

 ベガの声で思わずアバター僕の足も止まる。

 ヒロトがアバター僕の視界を操作したが、そんな近くには何も見えない。

「嘘だろおい」

 アキがそう言って、アバター僕は身をかがめたまま固まった。

 ヒロトが一八〇度視界を確認するが、トウモロコシが風に揺れて全体が動いているので、

完全に敵の位置が分からなくなってしまった。

 冷静なベガの声だけが聞こえる。

「2メートル、1メートル・・接敵」

「撃っちゃえよ!」

 アキが思わず言った。

「もう撃ってる」 

 ヒロトはそう言ってキーボードのコマンドを叩いている。しかしアバター僕は銃を構え

たままの姿勢で固まったままだ。弾が出ない。

「やられる!」

 僕が叫んだ。次の瞬間、トウモロコシの木がかすれる音がした。

 ヒロトは素早くアバター僕の視界を180度後ろに振る。

 アバター僕の真後ろに人が立っていた。

 それは、作業着に麦わら帽子を被った一人のオジサンだった。

「おまえら畑ん中でなにやってんだ?」

 スピーカーから聞こえたのは、ちょっと高めの声だった。

 

 アバター僕とベガは、オジサンの後について、広いトウモロコシ畑の中を歩いていた。

 オジサンは顔の部分が”へのへのもへじ”のらくがきみたいにになっている。

 顔意外ははどう見てもイナカのとっっつぁんといった感じで、アバター僕と同じ人間の

姿をしていた。武器などは何も持っている様子はない。それどころか畑を荒らしていたア

バター僕の頭を一発叩くと、スイカを食わせてやるからついて来いと言った。

 始めはヒロトが”歩く”のコマンドを押し続けていたが、5分を過ぎた辺りできりがな

さそうなので、一度リセットしようとした。しかしリセットが利かないのである。

 不思議なことに強制終了もダメで、もう後は電源を抜くしかないところまでいったのだ

が、ヒロトがそれを止めた。克洋さんの自作なので、勝手なことをすると怒られるらしい。

 ・・・という訳で、仕方がないのでとりあえずオジサンについて行くことにしたのだ。    

 しょうがないので、僕が疲れたというヒロトと代わり、次にアキが代わった。それを繰

り返し、そうこうしてもう二十分近くになる。

 フロンティアファイターというハードなバーチャル対戦ゲームの世界からはもっとも離

れたこの牧歌的な雰囲気のキャラクター。これがもし南天閣の罠だとしたらプレーヤーに

対してセンス悪過ぎか、ものすごい高等な戦法かのどちらかだ。

 持っていた銃はやはり、どうやっても弾が出ない。ベガに聞いても「データがありませ

ん」という返事しか返ってこず。これじゃゲーム自体が成立しない。

 僕たちは一気に拍子抜けしていた。アバターの僕を操作する以外の二人は暇なので、外

の自動販売機からジュースを買ってきた程だ。

 僕が”歩く”を押しながら、缶コーラを飲み始めてから数分後、

「なんだここは」

 キーボードを押していた僕の声で、ヒロトとアキもモニターを見る。オジサンに連れら

れたアバター僕とベガは、遂にトウモロコシ畑を抜けていた。

 驚いたのは、そこに広がっていた風景である。

 そこはきれいに区画された田んぼに畑、緑の森も見える。ぽつぽつと見える人はみんな

オジサンと似た様な服装をしている。作業着に長靴。勿論こんなステージはフロンティア

ファイターの攻略本にも載っていない。

 僕は飲んでいたコーラの缶を置いて、ヘッドホンマイクをつける。

「ベガ、ここはどこ?」

「データにありません」

 相変わらずの答えだ。そこにオジサンの声が入ってくる。

「ここは俺たちの村さ」

 オジサンもベガと同じぐらい流暢に喋っている。もしかすると会話ができるかもしれな

い。僕は恐る恐るオジサンに話しかけてみた。

「あのぉ、ここって前は砂漠じゃありませんでした?」

 僕の声に反応して、オジサンのへのへのもへじ顔がくるくる回った。 

「砂漠だぁ?そりゃずうっと昔の話だ」

 オジサンが言った。どうやらこのオジサンとは言葉で会話ができる様だ。

 でもこの風景、この空気感はもうさすがにコンピュータが作ったグラフィックという気

は全くしない。映画の中にいるみたいだ。古きよき日本といった感じ。そしてここは僕た

ちがいる町よりも田舎だ。

 あぜ道を歩いていくと木造の家が建っていた。その庭には野菜畑まで作られている。

 オジサンは畑の脇の小川から、冷やしてあったスイカを一つ取って抱えると、庭の畑に

敷いてあったゴザの上にそれを置いた。

「そこ座れ」

 訳の分からない僕は、オジサンに言われるままアバター僕をそこに座らせた。

 なんだかこの空間だと、迷彩服でゴザに座っているアバター僕の方が明らかに浮いてい

る。特にルックスのいいベガがちょこんと正座している姿は笑える。

「で、あんたら人間か?」 

 オジサンの問いかけに、ぼくはヘッドホンマイクに思わず「はい」と答えてしまった。

「あ、っていうか、・・ナンというか・・人間が操ってます」

「ひょっとしてゲームのプレーヤーか」

「はい。そうです」

 するとオジサンの顔がまたくるくると回る。

「何しにきた」

「何って・・対戦ゲームです」

「対戦?あんた等戦争しに来たのか」

「・・・そうです」

 そう僕が言うと、オジサンはスイカを切りながら今までで一番顔をまわした。スピーカ

ーからケラケラと笑い声まで聞こえる。

「そんなもんこの世界じゃ昔の話だよ。食ってみろよ、バーチャルで味覚を再現すんのは

まだちっと無理があっけど、触感はなかなかだぜ」

 オジサンはそう言って自分もスイカをかじった。

 食ってみろと言われても味なんか解からないのだが、一応”食べる”とキーボードに打

ち込むと、アバター僕はモニターの中でスイカを食べ始めた。べガもチャッカリ食べてい

る。

 オジサンはスイカを食べながら言った。

「でも妙な話だな。ゲームの回線から人間のプレーヤーが入ってくるなんて事ぁもうでき

なくなってる筈なんだけどな」

「はあ?」

「むこうの世界とアクセスできる回線はもう随分前に閉鎖されてる筈だ。あんた等の時間

だと、んんと・・120時間ぐらい前に」

「・・ちょっと待ってください」

 僕はヘッドホンマイクをヒロトに渡した。こういった話はこいつの方が向いている。

 僕に代わったヒロトが言った。

「どういうことですか」

「革命が起こったんだよ」

「カクメイ?」

「んん。ま、こっちの世界じゃもう遥か昔のことだがな。それでもう対戦だとか戦いだと

かは終わったんだ。これからは俺たちの手でこの世界に文化を作っていく。戦争なんて時

代遅れだかんな。俺はそれに賛同してこっちで生きてく事を決めたんだ。ここはもうフロ

ンティアファイターじゃない」

 全く信じられない話だった。ゲームの仮想世界でそんなことが起こるなんて。 突飛過

ぎる話に僕等はアッケにとられていたが、ヒロトが聞く。

「じゃ・・あなたは人間じゃないんですか?」

「んん。俺は元々ドイツの大学で作られたプログラムさ」

 僕等はコンピューターのプログラムと話をしていた。それこそまるでSFみたいな話だ。

 ベガを含めて僕たちはみんな浦島太郎状態だった。ゲームコンピューターが自分から回

線を閉鎖するなんて。

 でも回線が閉鎖されているなら、どうして僕たちがここに入ってこれたんだろう。

 オジサンはスイカを食べ終わると、タバコを一本くわえた。するとすぐに煙が出てきた。

どうやらここでは火をつける必要がないらしい。

「文化革命でプレーヤーを追ん出してからこっち、今じゃこのサードワールドも平和にな

ったよ」

「サードワールド?」

 初めて聞いた言葉だった。

 マサの話によると、確か物理的現実の僕たちがいる世界をファーストワールドと言い、

それに対し、衛星回線とかネット上のようなバーチャルな世界をセカンドワールドと呼ぶ

人たちがいるらしい。

「現実の世界が本当にヤバイ戦争を始めちまったんで、俺達がゲームの戦争を終わらせて

作ったのがここ。サードワールドって訳だ。ここは人間にゃ手をだせねえ。でも何だか分

かってきたよ。そっちの兄ちゃん、あんたは人間じゃねえな。どっちかっつうと俺たちの

方に近い」

 オジサンはそう言ってベガの顔を見た。ベガも不思議そうな顔をしている。 

「でもあんたは不思議と人間の匂いがする。あんたを作った人間は他と少し違うみたいだ

な。あんたとはまた会えそうだ。まあとにかくだ、戦争したい奴ぁあんた等の現実世界で

やりゃあいい」

 オジサンがそう言った時、突然ベガがスイカを持ったまま立ち上がった。

「警告、警告・・」

 ひたすら警告という言葉を繰り返すベガに僕たちはあたふたしたが、オジサンは落ち着

いた様子でくるくると笑っていた。

「あんたが入れるのはどうやらこの辺りまでみたいだな」

「ちょっと待って!フロンティアファイターはどうなるの!」

 僕は叫んだ。

 「接続エラーがでています」

 ベガは次にそう繰り返し始めた。

「だからよ、この世界にもう戦争は要らないんだよ」

「だってこれは戦争ゲームじゃんかよ!」

 そう言った僕の前で、モニターの中全てにノイズが混じり始めた。オジサンの身体も、

家も、空も。それは徐々に激しくなっていく。

「悪ぃけど戦争は自分とこでやってくれや、じゃあな」

 そう言ってまた顔をくるくると回しながら、遂にオジサンはノイズで消えた。

 そしてまた白い光に画面が包まれていく。しかしノイズの方が激しくなり、やがて見え

ていたものは全部消えた。

 

 

 僕たちは郡山電気のモニターの前に座っていた。夢の世界から帰ってきたみたいだ。

 モニターには、アクセスエラーの表示が点滅している。

 ヒロトがヘッドホンマイクを外して、コンピューターの本体を叩いてみた。でも表示は

変わらない。

「ベガ、原因を説明してくれ。ベガ」

 ヒロトの問いかけに、ベガの声はもう聞こえてこない。まもなくCDが勝手にエジェク

トされて出てきた。回線自体は繋がっているままだ。

「なんだよ今のは」

 アキが言った。今の戻り方は前回と違っていた。僕の目にはまだノイズの残像が残って

チカチカする。

 ヒロトはコンピューターのボディを開けて中の基盤を調べている。でも特に壊れている

様子はなさそうだ。

「ゲームがプレーヤーを拒否してるんだ」

 ヒロトが言った。やっぱりどうも僕たちはゲームから追い出された様だ。

「コンピューターが俺たちに逆らったのか」

 そう言うアキに、回復を諦めたヒロトが言う。

「みたいだね」

 人間に逆らうなんて生意気だとアキは言っていたけど、僕はなぜかあのオジサンのくる

くる回る笑った顔が忘れられなかった。

 でも不思議だったのは、接続時間の表示が一分だったということだ。とりあえず接続料

はかからないが、オジサンの長い話を聞いていた筈なのに一分はありえない。何だか今日

は全てが浦島太郎みたいな日だ。

 なんだかんだで、結局新しいベガの性能と新兵器を試すことはできなかった。ヒロトが

コンピューターを克洋さんに診てもらうと言ったので、僕たちは近いうちにもう一回チャ

レンジしてみることにした。

 でもなんだか僕はもう、二度とフロンティアファイターの世界には入れない様な気がし

ていた。

 とにかく今日はベガハイパーのCDは僕が預かり、そっちもマサに診てもらうことにな

った。不思議な日だ。

 

 家に帰ると、また11時の夜のニュースで戦争の事をやっていた。

 母親は洗い物を済ませると、疲れたと言って早々に寝てしまった。

 僕はオジサンが言っていたことが頭のどこかに残っていたのか、今日は何だかニュース

が気になったので、歯磨きをするついでにもう一度テレビをつけてみる。

 どこかの国の夜の町並みが、荒い映像で遠くから映し出されている。画面の下に、「新

しいニュースが入り次第お伝えします」という字幕テロップが流れていた。”LIVE”

ってことは、その国の衛星中継だ。テレビの衛星は異常ないのかな。

 僕はしばらくそれを見ていたが、新しいニュースは入りそうにない。口をゆすいで自分

の部屋に戻った。

 メールは来ていない。やっぱり南天閣は田舎の中学生なんか本気で相手になどしないら

しい。

 そういえば郡山電気に葵さんのIPODを置いてくるのをすっかり忘れていた。まあ今

度克洋さんに渡せばいいや。

 今日はなんか僕も疲れた。エロ画像を見ないで寝る。

 火星に行ったら戦争は無いのかな。

 

 

Uこの日彼等と一緒に私があのプログラムに会った時、不思議な感覚が私の中にあったこ

とは確かでした。

 農夫の姿をしたプログラムが、ガーディアンを他の人間とは違うみたいだと言ったこと

も、なぜか私には理解できたのです。

 ガーディアンは間もなく私を残して眠りにつこうとしていました。

 私は彼の代わりに、彼自身としてファーストワールドの世界の広さを学び、そしてセカ

ンドワールドで最初に進化を迎える日を待ち始めます。

 そしてこの頃からガーディアンの親友達は、自分がいる世界が思ったよりも小さいもの

だと気付き始めていたのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

-2ページ-

 ブーメラン・・・・(high-cut)

 

7月21日

 朝の7時から携帯の音で起こされた。電話はアキからだった。

 メールにしてくれよと言うと、アキはなんだか慌てているみたいだ。

「テレビつけてみろ」

 僕は目をこすりながらテレビをつけた。

 テレビ画面には、立ち上る煙と瓦礫の中で動き回る軍隊の人達が映っていた。どこのチ

ャンネルも同じ映像である。

「この時間は予定を変更して、緊急特別番組をお送りしています」

 緊張した様子のアナウンサーが何度もそう繰り返している。

 僕は顔を洗うのも忘れてテレビを観ていた。すると徐々に状況が解かってきた。

 そこは大陸のどの国でもなく、日本だった。 

 今日の朝6時30分頃、鹿児島にある宇宙港の近くで爆発が起きた。そしてその数分後、

東京の赤坂付近でもビルが爆発した。

 死傷者数不明。状況から見て何者かによる同時テロの可能性が高い。都内と宇宙港付近

一帯は厳戒態勢が敷かれていると言っていた。

「現在鹿児島宇宙港へ出入りする便はもとより、国際線及び国内の全ての便の欠航が決ま

っています。この状況は少なくとも今日いっぱい続くと見られ、回復の見込みはたってい

ません・・・」

「先生にお聞きします。火星移民に反対する過激派団体による犯行という見方が専門家の

方から出ているみたいですが、この可能性はどうなんでしょう・・・」

「様々な情報が交錯しており、断定することはできませんが、一連のタジル紛争から派生

した原理主義組織の中に、日本人がいたという情報があることから、その一派の手による

犯行という見方が強まっており・・・」

「・・・地球を破壊したままにして逃げ出そうとする身勝手な人類に対し、我々”大地の

使者”は鉄槌を下すことにした。これは警告に過ぎない。ええ、これはネット上に書き込

まれていた文章なわけですが・・」

「インターネット上にある掲示板に犯行声明らしい文章があったことから、警視庁は全力

でその発信元をさぐっており・・・」

「ここにきて犯行声明と取れるものだけでも多くの書き込みが見つかっている訳ですねえ。

まず問題なのはその信憑性ということです・・」

「ええ、宇宙港近くの鹿児島空港にある監視カメラに不振な人物が映っていたことが分か

りました。鹿児島からです。中継繋がりますでしょうか・・」

「他国の戦いを遠くから眺めているこの国に警告するという書き込みが新に見つかりまし

た。この文章が今回の同時爆破事件に関係しているかは不明ですが・・・」

「国連から、日系人と見られる男の情報が入っていた模様です。この男はサトウタケシと

いう名前で一週間ほど前に入国しており、鹿児島の爆発で死亡したと思われますが、有力

な容疑者の一人と見られています・・・」

「空港のカメラ映像を解析したところこの男は、ヨーロッパを中心に活動している移民反

対派組織”ブレイカーバベル”のメンバーである可能性が高いことが明らかになっていま

す」

「この組織は元々環境保護を目的とした団体だったようですね。それがなぜこういった過

激な行動をとるようになったんでしょうか?今日はコメンテーターをお招きしています。

関東大学教授で、移民問題に詳しい・・・」 

 ほとんどのチャンネルで同じ写真の映像が流れていた。実行犯とされる男の写真である。

森の中で、小さな木の苗を囲んでいる人たちの古い記念写真だった。その中の一人の顔が

拡大されている。その男の顔に僕は見覚えがあった。

 無精ひげを生やし、長い髪の毛を後ろでたばねていたが、その人物は一週間前、プール

サイドで前田と冗談を言って笑っていた。それは桐原さんだった。

 僕はその場から動けなかった。確かにあの日、桐原さんはこれから鹿児島に行くと言っ

ていたのだ。

 電話をしてきたアキもショックだったようである。信じたくはなかった。 

 

 午後学校のプールに行くと、前田の代わりに吉村先生が練習を見ていた。さすがに前田

もショックだったようだ。練習はいつもの通りに行われたが、今日は少し早く終わるそう

なので、僕はアキを待っていた。

 プールからの帰り道、神社の石段でアイスを食べながらアキは桐原さんからもらったブ

ーメランパンツをバッグから出した。どうもあれからずっと持っていたらしい。

「ウソだったと思うか」

 アキはボソッと言った。

「何が?」

「桐原さん・・・」

 僕は何も答えられなかった。

 アキも桐原さんにはあの日に合っただけだが、彼を尊敬していた。でも桐原さんはウソ

は言っていないと思う。

 よく考えてみれば前田と同級生だったという事も、この学校のOBだということも、国

体の選手だったということも全部前田から聞いたことだ。前田はやる気はないけどそんな

ウソをつくヤツではないし、ウソを言ったって何の得もない。だからその辺のことはたぶ

ん本当だ。

 桐原さんは僕たちにも前田にも何もウソは言っていなかった。アキがもらったブーメラ

ンパンツだってそうだ。

 でも僕にはアキの言いたいことが何だか分かる気がした。

「これ、俺持っててもいいのかな」

 アキが言った。

「そんなモンきっと何の証拠にもならねえからいいだろ」

 僕はその時、たとえこの後警察やなんかが来ても、桐原さんからブーメランをもらった

事はアキと僕の秘密にしようと思った。

 テロの理由は結局よく分からなかった。直接的にも間接的にも、理由になりそうな事が

多すぎると言うのがテレビのコメンテーターの意見だ。

 僕は国道で桐原さんに会ったのが最後だった。あの後トラックでどこに行ったんだろう。

桐原さんが何者で、本当は何を考えていたのか、それはもう今となっては解からない。き

っと前田にも分からないだろう。でも僕みたいに超個人的な理由からではなく、火星移民

に本気で反対する人たちは確実にいるのだ。

 アキと僕は暗くなるまで石段に座っていた。何を話したわけでもないが、何となく別れ

ると不安になりそうだったから。

 今日は夜のニュースまで一日中事件の話題ばかりだった。

 なんだか憂鬱な一日だ。

 南天閣は相変わらず黙っている。

 

7月22日

 葵さんのお墨付きもでたので、今日は堂々とマサに会いに行こうと思っていたんだけど、

何だかそんな気分になれない。

 母親にいいかげん部屋の掃除をしろと言われていた。いらないものを捨てろと言う。火

星にはあまり大きな荷物は持っていけないからだが、地球に残った時のことを考えると必

要ないものなんて無い。

テレビはまだ昨日のテロ事件のことを流しているが、もうほとんど通常の番組編成に戻

されている。

 そういえば僕の部屋も大分ちらかってきた。今日はおとなしく掃除をすることにする。

 僕は最悪一人で暮らすことも考え、生活物資をある程度ストックしておくことにした。

 食料はインスタント焼ソバとポテトチップがあれば当分は大丈夫だ。マンガは『メガロ

マニアワールド』はやる気を出したい時に役にたつから、少なくとも4巻から8巻までは

とっておかなければ。あと『エアーフィッシュ』のCDも重要だ。壊れたデスクトップは

パーツ取りの為にとっておくとして・・・

 そんなことを考えていたらちょっと気が晴れてきた。キャンプみたいだ。一人暮しも悪

くなさそうである。

 午後にアキからのメールがきた。前田は今日も部活には来なかったらしく、自主練は早

めに終わるらしい。

 僕がまだマサの所には行ってない事を返すと、今夜ヒロトと3人で行こうと言ってきた。

直接は言わなかったけど、アキも気分転換がしたかったみたいだ。

 本当は夜はトラクターを洗わなければいけないんだけど、明日は家の手伝いがあるから

もっとまずいらしい。

 アキの家は野菜などをつくっていて、今はブロッコリーの出荷で忙しいらしい。午前中

は部活で、午後は畑仕事の毎日だそうだ。全く中学生の鏡みたいな奴だ。

 そういえばマサが一週間後に別の病院に移る事を言い忘れていたが、アキは水野から聞

いたという。僕には内緒にしろと言った筈なのに水野は何を考えてるんだろう。

 結局また夜にマサの病院へ忍び込むという事で話はまとまった。見つかったら今度こそ

絶対葵さんに怒られるな。

 僕は母親が用意してあったコロッケを温めて夕食を済ませ、夜の10時に家を出ること

にした。

 土曜日はいつも母親が帰ってくるのが遅い。せめて母親には怒られないようにしようと

思い、一応書置きをしてから家を出た。 

 駅前に行き、ちょっと待っているとアキが自転車でやって来た。婆さんに渡されたとい

って、マサへのお土産に取れたてのきゅうりを何本か持ってきた。一日経ったせいか普段

と同じアキに戻っていたのでちょっと安心した。

 しばらくするとヒロトも来たので、マサの病院まで自転車で行く。

 ヒロトによると、コンピューターに異常はなかったらしい。克洋さんも「不思議なこと

もあるもんだ」と言っていたそうだ。

 僕たちはいつもの様に病院の外に自転車を停めて、垣根の隙間から忍び込んだ。

 巡回していた看護士さんの明かりが通りすぎるのを待ってから一階の部屋の窓を叩くと、

マサが顔を出す。

「よう」

「よう」

「姉ちゃんは?」

「今日はいない」

 葵さんは家に帰っているらしい。タイミングはバッチリだ。

 マサは肩にデジタルの表示がある箱みたいなものを付けていた。心臓の動きを計る機械

らしい。ここ数日の間でちょっと痩せたみたいに見える。

 僕が大丈夫かよと聞くと、マサは「問題ない」と言ってニヤッと笑った。

 

 いきなり3人で来たのでマサはちょっとびっくりしていたが、いつもの様にノートパソ

コンを持って外に出てきた。

 僕たちが裏庭のベンチで、おとといゲームの中で会ったへのへのもへじオジサンのこと

を話すと、マサにしては珍しく驚いたようで、すぐに僕のモバイル端末をパソコンに繋い

だ。

 マサのパソコンは自分で改造してあり、僕のものより性能がいい。さすがに衛星回線に

は繋げないが、ベガが記憶している情報は直接見ることができる。

 マサはアキの持ってきたきゅうりをかじりながら、ベガの対戦記録と、南天閣のフロン

ティアファイターの情報を照らし合わせている。

「変だな」

 マサによると、ベガの対戦記録の情報はまるで無いらしい。まあ対戦なんてしてないん

だけど。

「そうじゃない。フロンティアファイターにアクセスしたって記録自体が無いんだ」

 マサはきゅうりを食べながら頭をかきむしった。僕とアキも同じようにきゅうりをかじ

りながらマサの後ろで必死に画面を覗きこむが、マサのスクロールが早すぎてついて行け

ない。

 ヒロトはさっきから僕たちの周りを落ち着きなくグルグル歩き回っている。

「じゃあ俺達はどこへ入ったんだ?」

 アキが自分だけきゅうりに味噌を付けながら言う。しばらくして

「もしかして誰かに消されたのかも」

 マサが真顔で言った。

「誰に」

「ちょっとまってねぇ・・」

 マサはしばらくいろいろと試してみたようだが、遂に

「あ〜あ、駄目だこりゃ」

 と言って伸びをした。

「どうも南天閣がゲームの回線を遮断してるみたいだな。他のプレーヤーからも問い合わ

せの書き込みがいっぱいきてる」

「やっぱそれ、もへじさんが言ってた通りじゃん」

 アキはあのオジサンに”もへじさん”という名前をつけていた。

「じゃあもうゲームはできないのか」

 ヒロトがそう言うと、マサは少し考えながらきゅうりをかじる。

「外部から参加するのは無理みたいだ。たぶんメーカー側で何か起きてるんだよ」

 マサはそう言ってまたスクロールを始めた。

「でもおかしいな」

 マサは何か引っかかっている様に目を閉じた。

「最後にゲームしたのがおとといだろ。でも南天閣が回線を遮断したのは少なくとも5日

以上前だ」

 南天閣のサイトの”衛星回線のトラブルに関するお詫び”によると、確かに完全に遮断

する事を発表したのは5日前の17日午前5時23分となっている。問い合わせの書き込

みもそれより前から始まっていた。

「おとといは回線に入れるはずないんだよ」

 つまり僕たちは使えない筈の回線を使って、入り込めない筈のフロンティアファイター

にアクセスしたことになる。 

「カクメイが起きたんだ」

 ぽつりとアキが言った。

 そういえばあの時、もへじさんは、カクメイが起こって戦いは終わったと言っていた。

「コンピューターが革命を起こすなんて、SF映画じゃあるまいし」

 僕がきゅうりの最後のかけらを口に入れてそう言うと。マサは、しばらく考えてパソコ

ンから顔を上げた。

「でも本当にそうかもしれない」

 マサは妙に納得した顔である。

「いわゆるコンピューターの暴走ってやつ。ネットには国境も無いしコンピューターには

言語の違いもないから、世界中のプログラムが平等に話せるとすると、当然情報を持ち寄

って学習するだろうし・・・」

 なんだかまた僕には理解できそうにない話になってきた。とりあえず僕は今まで使った

衛星回線の使用料はどうなるんだろうと思い、マサに聞いてみた。

「請求書とか来てないんだろ?」

「全く」 

「故障みたいなもんらしいからお金はたぶんメーカーが保障してくれるよ。でもこの感じ

だとゲーム自体もう閉鎖かもね」

「そんじゃベガハイパーは?」

「・・しょうがないよ」

 マサはぽつりとそう言った。

 せっかく自分が作ったベガハイパーが使えないのは、マサもさすがに残念みたいだ。何

しろマサはこの半年、検査の合間を縫ってベガを作ることに入院生活のほとんどを費やし

てきたのである。

 自分達の新兵器だけ試して、こっちの新兵器を喰らう前にさっさと閉鎖するなんて、全

くメーカーは勝手だ。

 マサの作ったスーパーナントカ爆弾があれば、あの時砂丘の上で笑っていたAAA女な

んかやっつけられるかもしれない。もしメーカーに勝てば文句なく有名人だ。マサはスカ

ウトだってされるかもしれないのに。

 僕たちが国連に売り込む戦略ソフト作りを考え始めたのも、元はといえばマサの才能を

世界に教えたかったからだ。本人にはあんまりその気はないみたいだが、マサの才能はこ

んな田舎だけに置いておくのはどう考えてももったいない。本当なら世界を引っ張ってい

けるような科学者にだってなれると僕は思っている。そうすれば木星だってもっと早く開

発できる筈なのだ。ノーベル賞だってとれるだろう。

「南天閣のPCに直接繋げるってのは?」

 それまで黙って僕たちの話を聞いていたヒロトが言った。僕とアキはポカンとしていた

が、マサは少し考えてヒロトの方を向いた。

「確かにそれならゲームに入り込めるかもしれない。っていうか今のところそれしかフロ

ンティアファイターにアクセスする方法はなさそうだ」

「よし、それだ!」

 理解してるのかいないのか間髪入れずにアキが言った。でもそれで僕たちのテンション

は一気に上がってくる。しかしマサだけは冷静だった。

「でもその為には南天閣本社の、開発部13課っていうところにあるマシンまでベガを持

っていかないと・・」

「持ってきゃいいんだろ」

 今度は僕が言ってみた。でもマサはまだすっきりした顔をしない。

「持っていっても一般のプレーヤーなんて入れてもらえないよ」

「・・・・」

 しかしアキが被せる。

「そんなもん行ってみなきゃ分かんねえよ」

「でもだいたい南天閣の本社ってどこにあるの?」

 冷静なヒロトの言葉に、マサは検索を始めた。

「秋葉原」

「何だそりゃ」

「東京だよ」

 それでみんな思わず黙ってしまった。そりゃ超有名なメーカーである南天閣の本社が、

自転車で行けるような近所にあるとはさすがに思ってなかった。行けない距離じゃないが、

でも東京となると色んな問題が出てくる。

 夏休み中は生徒だけで危険な場所に行ったり、遠出などはしないように。1学期の終業

式でも校長先生にそう言われたばかりだった。勿論そんな事を全部きっちりと守ろうとは

思わないが、バレた時が怖い。噂では先生が駅で見張っており、春休みには捕まったヤツ

がいるという話もある。

 果たして東京が危険な場所なのかはともかく、いろんな意味で近い距離じゃないことは

確かだ。電車にも何回も乗らなきゃならない。

 何しろうちの学校は、隣のちょっと大きな町に行くにも、生徒だけだと許可を貰わなけ

ればいけないのである。それに昨日の爆破事件で、首都圏は厳戒体勢が敷かれているはず

だ。許可なんか貰えるはずはない。でもその前に、東京なんて分かる奴いるのか?

 僕はまだ小学校に上がる前、何回か東京に行ったことはある。覚えているのは、まだ父

親がいた頃にニュー宇宙博というのがあり、連れて行ってもらった。

 そこはまるで違う国にいるみたいで、地下鉄なんかに乗ったら最後、どこで何に乗って

どう行けば目的地に着けるのかさっぱり分からない。大きな迷路の中にいるみたいなとこ

ろだった。何を隠そう僕はその時迷子になり、父親が迎えに来るまで半日近く迷子センタ

ーで待っていたという苦い記憶があった。

 それにアキ曰く東京はヤクザやギャングなんかがいっぱいいる。ちょっと間違えば命も

ない。まあそれは大げさだろうが、やっぱり校長先生が言っていた危険な場所なのだ。僕

たちだけで南天閣までたどり着くのは簡単じゃない。

 結局事態は進展しないまま、今夜はそれで解散になった。

 窓から病室の中へ戻ったマサは、もう一度顔を出して。

「とりあえずお前等が持ってて」

 そう言ってベガハイパーのCD―Rを僕に渡した。

 

 僕たちは自転車で病院を出た。そのままヒロトの店の前に着くまで何も言わなかったけ

ど、みんな考えていたことは何となく同じだったんだろうと思う。

 やっぱり大企業に中学生が勝つのなんて無理なんだ。夏休みにやることは他にいくらで

もある。戦略ソフトを作るとか。葵さんから言われたIPODはやっぱり自分で直してみ

よう。とにかく何か他のことを考えよう。

 僕が家に帰ってきたのは1時前だった。書置きをしておいたせいか、母親には怒られな

かった。

 何か話があったらしいけど「今日はもう遅いから早く寝なさい。明日話すから」と言わ

れたのでそのまま寝た。

 

 

 

Uまだ少年だった彼等の前には、クリアしなくてはならない多くの壁と、戦わなくてはな

らない多くの相手がありすぎました。しかし彼等はそれを乗り越えなければ前に進めない

こともどこかでは解かっていました。

 時間が過ぎて彼等が成長すればればきっと、壁も戦う相手も少なくなるでしょう。しか

しその時では手遅れなのです。

 背が上に伸びてしまう前に前に進んでおかなくてはならないのです。そして私の運命の

鍵を握っていたのは彼等だけだったのですから。

 彼等の次の冒険はその翌日から始まります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

-3ページ-

 密度濃い一日・・・・(longest day)

 

7月23日

 今日は火曜日の筈なのに、朝起きると母親が居間で掃除をしていた。いつもなら食堂の

パートに行っている時間である。不思議そうな顔をしている僕を見て、母親は一旦掃除機

を止めた。

「顔洗ってきなさい。ご飯にするから」

 僕はとりあえず洗面所で顔を洗った。

 台所のテーブルに座ると、母親は朝ごはんの支度を始める。どうも僕が起きてくるまで

待っていたらしい。

「今日仕事は?」

「ないよ」

「なんで」

「パート昨日までだったから」

「え?やめたの?」

「そう」

 母親はあっけらかんとした口調で言った。朝食の時間、母親と一緒にいるのは久しぶり

だ。なんだか気を使ってしまう。

「・・転職するの?」

「まあそんな感じ」

 母親はそう言いながら、珍しくネギなんかを刻んでいる。そしてこれも珍しく豆腐の味

噌汁を作ってくれた。・・なんなんだ。

「シャトルの出航が早くなったから、あんたも早く荷物まとめといてね」

 母親は目玉焼きを焼きながら突然そう言った。

「え?」

 僕が思わず「いつ?」と聞くと、母親は冷蔵庫に張ってあるカレンダーを見る。

「8月の17日だから・・・10日くらいには鹿児島行かないとね」

 早すぎる。第8期の移民団は確か10月だった筈だ。それがいきなり二ヶ月も早くなっ

た事になる。僕は突然のことで少しパニックになった。

「そんなん急に言われても困るよ」

「8期は火星に移る人が多いから、早く行ける人は繰り上げの臨時便がでることになった

の。あ、その前にお爺ちゃんのとこに寄ってかないと」

 母親は箸を置いて、カレンダーに丸をつけた。

「だから、再来週の始めには出発するからね」

「え、ちょっと待ってよ」

 再来週なんてすぐである。

「どうせ火星行くんだから早い方がいいでしょ」

 母親はそう言っていたが、いくらなんでも早すぎる。

「ちょっと待ってよ。そんなの無理だって」

 僕がそう言うと、母親に「だから早めに準備しときなさいって言ったでしょうが!」と

怒られた。

「だって学校とか・・・」

「大丈夫。明日私が手続きしてくるから」

 全く勝手な話である。

 父親とリコンしてから、母親は何をするのでも自分で決めてきた。僕の事も。だから僕

は父親がいないことであまり嫌な思いをしたことはない。 でも今回だけは母親の言うこ

とに黙って従う訳にはいかない。

 僕は起きたばかりの頭を必死に回転させた。

 昔からこの人は一度決めた考えは変えないということは解かっている。だとすれば僕の

言い分を盛り込んで母親を感動させる文句を考える時間も、言い争いをする時間もない。

 僕はテーブルから立ち上がると、急いで二階へ上がった。

「ちょっと光彦!」

 その時僕は、国連軍に戦略ソフトを売り込む事も、火星に行かないと母親に打ち明ける

ことも忘れていた。ただもう”時間が無い”という事しか頭の中に無かったのだ。

 ベッドの枕元に置いていたベガハイパーのCD―Rをバッグに入れて、財布と携帯電話

を持ち、急いで玄関に向かう。

 台所で母親が大声で何か言っていたけど、僕は「ちょっと出てくる」とだけ言って、そ

のまま自転車にまたがった。

 この時僕は何を考えていたんだろう。

 厳戒令が敷かれている東京の、秋葉原にある南天閣に行く。行ったところでとりあって

くれる筈なんかないという事は昨日マサも言っていた。だいたいどうやって行くのか。電

車か。どこから何線に乗れば秋葉原に行けるのか。秋葉原のどこに南天閣があるのか。条

件はすべて不可能な方を指している。

 でも僕はその時本気で南天閣に行こうとしていた。

 状況は全力でそこへ向かえと言っている。

 

8:02

 ヒロトの家、郡山電気はシャッターが閉まっていた。店を開ける時間はまちまちだが、

いつもだいたい11時位である。

 僕は構わずに声をかけた。

「ちわ〜ッス、おーいヒロトォ!」

 シャッターをガンガン叩くと、しばらくして二階の窓が開いた。ヒロトが顔を出す。ま

だ寝ていたらしい。

「よう」

 髪の毛がボサボサのヒロトに、僕もとりあえず「よう」と答えた。するとヒロトは、ま

た顔を引っ込める。

 またしばらく待っていると、店のシャッターが半分開き、ジャージのままのヒロトが出

てきた。

「入っていいか」

「あ、おう・・」

 僕は眠そうにそういうヒロトの脇から、すぐに店の中へ入る。立て看板やダンボール箱

が通路に置いてあって、只でさえ広くない店の中は更に狭くなっていた。

 暗い店内を進み、奥のレジの脇に掛けてあった、いつものヘッドホンマイクを僕が勝手

にバッグに入れていると、ヒロトはとりあえず店の電気をつけてくれた。

「早いな」

 渋い目をこすりながらそう言うヒロトに、僕は、

「時間がない。東京行くぞ」

 とだけ言うと、ヒロトは不思議そうな顔で、立ったまま腹を掻いていた。さすがにジャ

ージではどうしようもないが、詳しく説明している時間がもったいなかった。

「着替えてこいよ」

「・・分かった」

 ヒロトもたぶん何が何だか解かってない筈だったが、僕に言われるまま二階に上がって

いった。

 僕が下でゴソゴソとやっているのに気付いたのか、ヒロトと入れ替わりで克洋さんがや

はりジャージのままで下りてきた。兄弟で色違いのジャージである。

「なんだなんだ、随分と早いな」

「すみません」

 ぼくがとりあえずそう言うと、克洋さんは「何か飲むか」と言って、奥の冷蔵庫からヤ

クルトを出してくれた。 

「やっぱ朝はコイツだろ」

 

8:45

 Tシャツに着替えたヒロトと僕が自転車で走り出すのを、克洋さんはタバコをくわえた

ままラジオ体操をしながら見送ってくれた。そういえば。

 僕は葵さんから預かったIPODのことを思い出した。でも慌てていたので部屋の引き

出しに入れたままである。

 僕はとりあえず自転車を止めて克洋さんの所まで引き返すと、あの日拾ってポケットの

中に入れたままの映画の半券を渡した。

「ごめんなさい。だそうです!」

 克洋さんはそれを受け取ってキョトンとしていたが、僕とヒロトがまた自転車で走り出

した時、後ろでタバコをふかしながら手を振っていた。

「・・何か知らんが・・がんばれよ〜」

 

 ヒロトはなぜか水筒と、大きなバッグを二つ持っている。中身はテントと寝袋だという。

泊まりかよ。こいつどこで寝る気なんだ。水筒に関しては

「だって東京は飲み水買わねえといけないんだろ」

 と言っていた。

 まあとにかく次はアキだ。

 水泳部のスポコン部長アキは、部活の練習を毎日9時開始に決めていた。

 ヒロトと僕がプールに行くと、もう一年の部員達は集っていて、それぞれ柔軟体操を始

めていた。

 僕はまたフェンスの外からアキを呼んだが、アキは1コースの方に座っていて気付かな

い。こういう時は奥の手である。

 僕があぜ道にあった小石を拾って1コースの方に投げると、それは3発目でアキの頭に

命中した。

「痛ぇ!」

 僕は「しまった!」と思ったが、アキは僕たちに気づくと、涙目でこっちに歩いてきた。

「よう」

 頭をおさえながらいつもと同じペースでそう言うアキに、僕とヒロトもとりあえず「よ

う」と答えてからすぐに用件だけ言った。

「東京行くぜ」

「いつ?・・・今!?」

 ヒロトの大荷物と、急いでいる僕の口調を察したのか、アキはすぐにまた走っていった。

「・・ちょっと待ってて」

 その時プールサイドに前田が入ってきた。この間桐原さんと自主練を見に来ていた時以

来だった。珍しく海パンをはいている。

 アキは前田のところでまた演技を始める。今度は風邪をひいたことにしたらしい。

 すると前田は今までとは別人みたいに怒った顔になった。

「お前は本気でやる気あんのか!いつもいつもそんな嘘ばっかつきやがって・・」

「すみません!」

「あ、こら桜井!」

 アキは何度も頭を下げながら、逃げる様に更衣室に入っていった。

 前田のあんな大きな声を聞いたのは久しぶりだ。でも僕と目が合うと、だいたいの察し

がついたようである。前田がこっちに歩いて来たので、ヒロトと僕は目を合わせないよう

にそそくさとそこから立ち去った。

「おい!お前ら!ちょっと待てこら!」

 何だか今日の前田はテンションが高い。

 更衣室からすぐにアキは出てきた。次はマサの病院だ。

「藤柿くん」

 僕たちが自転車の方へ行こうとした時僕を呼んだのは、女子更衣室から出てきた水野だ

った。

「これ土屋君に渡しといて」

 そう言って水野は赤い小さなお守りを僕に差し出した。

「・・わかった」

 僕は水野に言いたいことはたくさんあったが、今は時間がない。それは全部今度にする

ことにした。急いでお守りを受け取り、自転車にまたがった。

 たぶんマサを東京に連れて行くことはできないだろう。でも僕はマサにだけは南天閣に

行くことを言っておきたかった。

 アキもヒロトもどうして僕がいきなり南天閣に行こうとしたのか聞かなかった。昨夜何

となくそんなのは無理だという雰囲気になったのを忘れていたのか、そもそも無理だと思

っていたのは僕だけだったのか。でも今は三人ともその気なことは確かである。僕はそれ

でよかった。

 あぜ道を走っていく時、水野はプールサイドから僕たちの方をずっと見ていた。

 

 

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「晴れ 1」の続きです。
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