夜摩天料理始末 19
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「やー、お愉しみの所邪魔して悪かったわね、それじゃ、これ借りていくから」

 小さな楊行李を十字に紐で絡げた物を二つ、振り分け荷物のようにして肩に無造作に担ぎ、閻魔は奪衣婆に向かって、手をひらひらと振った。

「何を仰せやら……しかし、大丈夫でございますか?」

 その目に彼女の事を真剣に心配してくれている光を見て、閻魔はへらりと笑った。

「まぁ、なるようになるでしょ、終わったらお礼に、良い男に旨い酒でも届けさせるから」

「承知しました」

 どう言っても表情の晴れない奪衣婆の肩に、閻魔は手を置いた。

「やだなーもー、いつもみたいにげひゃげひゃ笑っててよね、調子狂うわよ」

 そう言いながら、顔を奪衣婆に寄せ、声を低める。

(奴らもどこで網を張ってるか判らないわ、婆ちゃんが真面目な顔してたら感づかれる可能性がある)

 肩に置いた手から、奪衣婆の緊張が伝わる。

「んじゃ、いい男入荷したら、アタシ直々にひん剥きに来るから宜しくねぇ」

 僅かに声を高めてから、その痩せこけた肩をポンと叩いて、閻魔は手を離した。

「……判ったよ嬢ちゃん、『良い男』が居たら、すぐに連絡入れるようにするわさ」

「楽しみだわー、よろしくねー」

「嬢ちゃんも好きだねぇ」

 ひゃっひゃっひゃと、常と変らない下卑た笑い声を背に受けながら、閻魔はひらひらと手を振って歩き出した。

 それを見送る奪衣婆の視線の中で、閻魔の背が滲む。

 いかに普段怠惰で、放埓な物言いをしようと、やはり彼女は冥王。

 今の一言も、自分を極力巻き込まれない為に、知らぬ振りをしていろとの、彼女の配慮。

(……ご武運を)

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 大きめの石がゴロゴロと転がり、歩きにくい三途の河原だが、閻魔はそれをさほど苦にした様子も無く、すたすたと歩みを進める。

 証拠はほぼ固まった、少なくとも、冥府では、これ以上は得られる情報は無かろう。

 これで追い込めるか?

「甘く見て五分五分ね……」

 内心の自問に、低い機嫌の悪い声で自答して、閻魔は忌々しそうに閻魔庁を睨みつけた。

 痕跡は辿れるのだが、時間が経過している事もあり、満足の行く物的な証拠が乏しい。

 何より、あいつが手を回したせいで、冤罪を蒙った被害者は、すでにそれぞれ地獄や餓鬼、修羅などの世に送られてしまった後。

 行先は辿れるし、閻魔、夜摩天の権力をもってすれば、彼らを呼ぶ事は出来るが、今からその手続きを取って話を聞くには時が無さすぎるし、何よりあいつに悟られてしまう。

 従って、論理と、残った物証だけで追い込みたかったが、相手がこちらの手の内を知悉している事を考慮すると、いささか無理筋にも感じる。

「身内相手ってのは、これだからやなのよね……どうしたもんかしら」

 あの知恵の女神も危惧していたが、相手の周到さから察知が遅れた事と、状況が差し迫っている現状では、有無を言わせない証拠という物を固めている余裕が無い。

 だからこそ、彼女は知る限りの話を閻魔に伝え、対策を講じるべく内密に冥府に降臨した。

 

「無理筋は承知ですが……閻魔さん、やれそうですか?」

 嫌、無理、という言葉は喉の直ぐ上まで来ていたのだが、結局、閻魔はその言葉を飲み込んだ。

 深く長い溜息の後で、閻魔は布団の上に胡坐をかいて寝ぐせの付いた頭を掻きまわした。

「ま、できるだけ穏便かつ、法に則ってやる予定だけど」

「だけど?」

「面倒そうなら、闇討ち掛けようかな、と」

「冗談でしょうけど、冥府の裁判長殿が、それは流石に」

「いや、あたしゃ夜摩天ちゃん程、遵法意識無いから、割と本気よ」

「……そうですか、その辺りは流儀もあるので、お任せしますが」

 ホントに良いのかしら?

「ただねぇ、奴のアタマかち割るのには問題が一個あってさ」

「何でしょう?」

「あいつ、結構強いのよ」

「そう口にした閻魔の顔を、しばしじっと見て、彼女は静かに頭を振った」

「ですね」

 恐らく、冥府でも屈指のそれは、閻魔を上回る。

 うーむ、と唸りながら頭を引っ掻き回してから、閻魔は何とも言えない顔を眼前の人に向けた。

「……貴女やらない?」

 闇夜に後ろからぷすりと。

 彼女の力で闇討ちすれば、彼を排除するという一点においては容易い……それはお互い判っちゃいるのだが。

「最悪の手段としてそれも検討しましたが……一歩間違って私の介入や、まして暗殺が発覚したら、冥府と私たちの関係悪化は必至、最悪の場合は戦になりかねませんので」

 流石にそれは。

 と言葉を濁す彼女の顔を見て、閻魔も肩を竦めた。

「だよねぇ、いや判っちゃ居るんだけどさ」

「やはり、今回は正攻法で行くしか無いかと」

「うぁー、ずるしたい、インチキしたい、労力最少にして、浮いた時間で寝ていたいー!」

「多分ですけど、今回に関しては、正道が一番の近道ですよ」

 苦笑を浮かべて彼女は眼鏡の奥の目を僅かに鋭く細めた。

 

 冥府の法廷で、彼の罪を証し、正当な裁きの下、夜摩天さんを味方に付ける。

 

 それしか。

 

「そりゃ、それが一番だと判っちゃいるけどさぁ」

 愚痴りたくもなるじゃないのよ……ほんと。

 そう呟いて暗い冥府の空を見上げた閻魔の目が、青い燐光に覆われた。

「……魂依(たまより)の蝶」

 なんか久しぶりねぇ。

 魂依の蝶は、冥府の判決を受けて、それぞれの世界に飛び去る魂達が蝶の形を取った物。

 ここ冥府では珍しい光景では無いが、閻魔は暫しその青く淡い光の帯を見上げていた。

 思えば、こうして外に出て、わざわざ清々しくも無い冥府の空を見上げるなど、久しくなかった事。

 無数の蝶の燐光が、太い帯のようになり、暗い冥府の空を、大河のように緩やかにうねりながら流れていく。

「いってらっしゃい、来世は私たちの手をあんまり煩わすんじゃないわよ」

 去りゆく魂たちに軽く手を振った閻魔が、最後にその群れに一瞥をくれて、再度歩き出そうとする。

 その目が、一瞬鋭く光った。

 群れを僅かに離れ、漂い出した一匹。

「冥府に舞い戻ろうとは奇特な事、基本的にウチは審理のやり直しは受け付けて無いんだけどねぇ……」

 皮肉っぽくそう呟いて、閻魔はその蝶を追って歩き出した。

 裁きが決まり、次の転生の為に飛び立つ魂依の蝶が、冥府に戻ってくる事は通常ありえない。

 常ではあり得ない事の向うには、常では無い事が待っている……それが良きにつけ、悪しきにつけ。

「溺れる者は藁をも掴む……か」

 やな言葉ね、そうぼやきながら、閻魔は空を漂う燐光を見上げた。

 さて、あの蝶は、藁か……それとも。

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 鋭く空気を切っていく体。

 耳元で風が唸っているが、今の羅刹にはそれも感じられない。

 ただ、やがて来るだろう大地との激突に備えて、自然と、頭を守りつつ衝撃に備えるために、体を丸めようとする。

 そんな我が身を、他人事のような目で見ている自分に気が付いて、羅刹は苦笑した。

 まったく、ウチは骨の髄まで戦バカだな。

 シーサーと武具の扱いや、戦い方を論じ、たゆまぬ鍛錬を行う事が何よりの喜び。

 烏天狗や吉祥天のように、綾衣や甘味の話で笑いさざめく姿に、憧れを抱いた事もあるけど……。

 でもさ、ウチは戦バカだからこそ、アンタに会えたし、その力になれたんだよな。

 だから、自分はこれで良かった。

 死ぬ時ってのは、もう少し心が騒ぐもんだと思っていたが、妙に静かな気分。

 全力を以て戦い、その果てに死す事に悔いは無い。

 無いんだが。

(何だかな……これが未練って奴かね)

 願わくば、今少し。

(……大将)

 彼と同じ場所に居て、同じ方向を向いて歩いて行きたかった。

 それ以上の何を望むでも無いが。

 皆と積む、記憶そのものが宝物になっていくような、あの時間を。

 大将をあの辛気臭い冥府から連れ戻して、また、皆と一緒に。

 

「たい……しょう?」

 

 ああ。

 自分はまだ、死ねない。

 違うな。

 これは、満足の行く戦をした戦鬼の言い種じゃねぇかもしれないけど。

 生きていたい。

 いや、生きねばならない

 

 僅かに覚醒した意識の中で、体を動かそうとしてみる。

 右腕は当然のように駄目、胴や足もまだくっ付いてはいるみたいだが、動かない。

 目もまともに開かない。

 左腕……動く。

 辛うじて反応を感じた左腕に、意識と残る力のありったけを込める。

 木の枝でも何でもいい。

 何かを掴もうと、一杯に掌を広げる。

 何でもいいから。

 ウチをこっちに繋ぎとめる、何かを掴ませてくれ。

 頼む。

 羅刹のぼやけた視界の隅に夜闇に似つかわしくない、風に踊り、月光の中で淡く光る薄紅が見えた。

 桜……か?

 桜。

 

 ウチはもう一度、あんたと一緒に、あの庭で花見がしてぇよ。

 

 最後の力を振り絞って、その方向に伸ばした羅刹の左腕が。

「せっちゃん!」

 その桜を、掴んだ。

 

 地面に叩き付けられるすれすれで、羅刹が伸ばした腕を掴んだ華奢な左手が軋む。

 とっさに右手も添えたが、羅刹の勢いに引かれ、その体が空中で大きく姿勢を崩す。

 滑りそうになるその手を離さないように、羅刹の手首を強く握る。

 その腕を、羅刹が強く握り返してきた。

 意識を失っている彼女だが、それでもなお、まだこの世に居たいと。

 その力が、そう叫んでいた。

 死なせない。

 死なせてたまるか。

 

「うーーーーーっ、全開ーーーーーっ!」

 

 桜色の翼を一杯に拡げ、彼女は大きく羽ばたいた。

 音の早さすら超えて飛ぶと言われた大天狗の羽ばたきが、時ならぬ颶風となって、二人の体を空中に留めた。

「よーし、離脱ーーーーっ、おゆきちゃん、おゆきっちゃーーーん、仙狸さんに続いて、次の怪我人だよー急患だよー!」

 怪我って事は、仙狸姐さんも……無事か。

 安堵して今や完全に力を失った羅刹の体を、やわらかい風と、優しい匂いが包む。

 血塗れだろう自分の体が、優しく抱きしめられた。

 凄い勢いで引っ張られた左腕が痛い、だけど、痛いと感じられるという事の、なんと有りがたい事か。

「せっちゃん!せっちゃん生きてるよね?!死んでても返事位してよ、ねぇってば!」

 急に力を失った事に慌てたのか、羅刹の耳元でにぎやかな声が響く。

 無茶苦茶言ってやがるな、っとに。

 こううるさくちゃ、おちおち死んでもいられねぇ。

「……まだ……な」

 まだ、ウチはくたばってない。

 掠れた声に、弱々しい咳の音が混じる。

 常の羅刹の張りのある声とは全く違う、だけど。

「よかったぁ、口が利ければ大丈夫だよ、、喋ってる内は死なないからね」

 そりゃ、お前さんだけだろ、お喋り天狗。

「ありがとよ……おつの」

「うんっ!」

説明
式姫の庭、二次創作小説になります。
羅刹ちゃんは式姫界屈指の乙女だと思うんだが、どうよ?

承前:http://www.tinami.com/view/892392
1話:http://www.tinami.com/view/894626
2話:http://www.tinami.com/view/895723
3話:http://www.tinami.com/view/895726
4話:http://www.tinami.com/view/896567
5話:http://www.tinami.com/view/896747
6話:http://www.tinami.com/view/897279
7話:http://www.tinami.com/view/899305
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閻魔 羅刹 おつの 謎の眼鏡 

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