さくら 3
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「さくら、顔をあげてくれないか」

 いや。

 幼子のように、さくらが俯いたまま無言で頭を振る。

「怖いか」

「……はい」

「そうか」

 君は、今、何を恐れているんだろうね。

 あの時の君は、怖いという感情その物を失っていて。

 ただ、命を破壊する事だけに、その全てを捧げていた。

 

「さくら」

 その手を握る。

 握り返してくる手が震えている。

 その震えを鎮めるように、もう一方の手を重ねる。

 恐れるな、さくら。

 私は、ここに。

 いつまでも、君と共にあるよ。

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 左手の刀で虎を切り払った鬼が、右手の折れた刀を私に振り下ろす。

 避けようとか、死を覚悟して何か反撃しようとか、そういう思いは何も無かった。

 夕暮れの赤い陽が照らす山の斜面。

 赤い光の中、返り血と己の血に塗れた、鬼女に。

 その顔の中にぽかりと開いた……深淵に至るような、虚無を宿した瞳に。

 私は、ただ見惚れていた。

 

「避けろ!」

 横っ面を張られるような大声に、私はふと我に返った。

 鬼の脇腹に何か光る物が突き立っていた。

 痛みか、衝撃か、くの字に曲がった体が、私に向かって振り下ろした刀の軌道を変えた。

 彼女の脇腹に突き立ったもの。

 刀の切っ先。

 倒れた姿勢のまま、何かを投げ打った武者の姿。

 ああ、彼が自分で折った刀の切っ先か……。

 ぼうっとした思考が、そんな不急不要の事に思い至る。

 目まぐるしく私の視界に映ったそれらの光景を切り裂くように、私の眼前を鬼女のふるった刃が、妙にゆっくりと横切った。

 ぱらりと。

 胸元の着物と、私の胸の皮一枚がすぱりと斬られた。

 多分、あのままだったら、私の体は綺麗に袈裟がけにされ、葛餅みたいに三角にされていたんだろう。

 どん。

 空中にあった鬼女の体が、肩から私にぶつかる。

 鋭い跳躍からの体当たりを受けた形で、相応の衝撃はあったが、何より、私が最初に感じたのは、ただ彼女の華奢さと軽さだけだった。

 押された形になった、私の脚は、山の斜面で踏ん張れるほどに力強くも無く、その体を無様に転がし、斜面を滑った。

 だが、私とて体術の心得程度はある、無理に踏ん張ろうとせず、転がる勢いを生かして、半身を起こし、次の攻撃に備えて顔を上げた。

 上に向けた視線が、こちらは見事に着地した鬼女が、私や武者には目もくれずに凄まじい速さで走り去り、藪の中に姿を隠す、その後ろ姿を辛うじて捉える。

「待て!」

 待つんだ……。

 待ってくれ。

 押しとどめて何が出来る訳でもあるまいが。

 彼女が見えなくなることが、私にはその時、なぜか怖かった。

 

「無駄だ、呪い師」

 刀を鞘に納めつつ、坂東武者が私の方に歩み寄り、その太い手を差し伸べる。

「あれは……言葉の通じるような相手では無い」

「……そう、ですね」

 それでも、もう一度、私は彼女と対峙しよう。

 それは、この命を賭すに足る事に思えるから。

 力強い手を取り、私は身を起こした。

「先ずはお礼をしないといけませんね、命を助けて頂いてありがとうございます」

「戦陣で肩を並べる者同士が助け合うのは当然のことだ、俺も助けられた」

 当たり前の内容ではあるが、その言葉には、彼が私を肩を並べる相手として認めた……そんな響きがあった。

「ではまぁ、お互いさまと言う事で」

 彼の目に、未だ燃える闘志を見て、私は山頂の方を見上げた。

 陽が落ちかかっている。

 闇の中はおそらく彼女の時間だろうけど。

 今追わないと、もう二度と会えない、そんな予感があった。

「……彼女を追いましょう」

「アレが、彼女……か」

 くくっと皮肉に笑って、武者は私の肩を軽く小突いた。

「追いかけて口説くつもりか?」

 口説く、か。

「そうかもしれません」

 この感情が色恋なのか、それとも別の何かなのか、私には判断が付かないが。

 真面目な私の顔をみて、彼はふむ、と大きく息を吐いた。

「お主はなんだな、つくづく変わった男だ」

「変わり者なのは自覚してますよ」

 肩を竦めて、私はあらかじめ切ってあった型紙を取り出し、それに呪を込めた。

 ふわりと漂い出したそれが、私たちの前で青白い光の球となる。

「面妖な」

 むむぅ、と渋面を作る武者に私は笑いかけた。

「狐火ですよ、妖怪みたいなもんですけど……退治しないで下さいよ」

「判っておる、夜の山で明かりを絶やすほど阿呆では無いし、第一」

「第一?」

「両手が空く明かりなど重宝極まる、ならば、それが妖怪であろうと、俺は一向構わぬさ」

「捌けた方で助かりますよ……では参りましょうか」

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 握るさくらの手から、徐々に震えが引く。

 その代り、何かを確かめるように、私の手を握り返す力が強くなる。

 俯いたまま、さくらがぽつりと呟いた。

「ご主人様」

「……何だ?」

「何故です」

 何故ここなのか。

 何故……今更。

 私を伴い、ここに。

「君と初めて出会った場所だからな」

「……そう、ですね」

 私は、貴方と、ここで出会った。

 最悪の鬼と、都を守る為に遣わされた陰陽師として。

「……っ」

 呼吸をするのも辛い。

 吸い込む空気の中にすら、あの時の私が残っていて、それが私の中に戻ってくるようで。

 吐く息に……今の私が溶け出してしまいそうで。

「それに、さ」

 ご主人様。

「ここ以上の桜を、俺はついぞ見る事は無かったよ」

 貴方はついに。

「だからさ……君と一緒に見たかったんだ、さくら」

 

 私を滅ぼす覚悟を、決めたのですか

説明
式姫草子二次創作小説になります。 というか、前歴史の妄想ですね……
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式姫草子 平安さん さくら 

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