夜摩天との絆語り
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濡れ縁に座布団を敷いた隣に、酒瓶と酒器の乗った盆を置く。暗い庭先には幽かな月明かりが差し込んでいた。

遥か上空へと目をやると、肝心のお月様はうっすらと雲に覆われており、ぼんやりと輪郭が見えるのみ。

誰かの心中を投影したかのような微妙な風景は、口に出すのも憚られる程であった。

 

「やれやれ、風流も糞もないなぁ……」

聞く相手のいない愚痴を零して、俺は座布団に座った。

 

離れの方で催されている宴会は未だに熱が冷めることはなく、式姫達の賑やかな声がここまで聞こえてくる。

主である俺がいなくても、誰も気にしていないようだ。

いや、別にいいのだ。誰にも気付かれないようコッソリ抜け出してきたのは、他ならない俺自身。

ただ、少しだけ。ほんの少しだけ――寂しかった。

 

いざ呑み始めても、気持ちが沈んでいるのも相まって酒瓶の中身は殆ど減らない。

大して酒に弱いわけではない。むしろ、一般的にはそこそこ強い方だと思っている。

誰かと呑む時は勢いよく、一人で呑む時はちびちびと。それが俺の好きな呑み方だ。

 

なに、別にどんな呑み方をしようが誰に怒られるわけでもない。

一人で酒を愉しむ為にわざわざ宴会から退散してきたのだ。

 

なのに、何故――今宵の酒は、こんなにも不味いのだろう。

 

「はぁ」

ため息をつきながら呑むお酒が、美味しいわけがない事くらいよく分かっている。

かといって、ヤケ酒に走るようなタチではない事もよく分かっている。

 

いっそ、こっちの一人宴をお開きにしてしまうのもアリか。

何食わぬ顔で宴会の席に戻り、いやーごめんごめん糞詰まりが酷くて便所に籠ってたんだよアッハハハなんて笑っている自分を想像する。

 

「さすがにないな……」

普段の調子ならいざ知らず、今夜に限っては絶対にあり得ない光景だ。

 

 

 

 

 

「オガミさん?」

 

遠慮がちに名前を呼ばれ、俺ははっと我に返った。

声の主が近付いてくると、そこでようやく夜摩天だと認識する。

「どうも、こんばんは」

 

ほう、珍しい顔だ。いや、彼女の顔が珍しいわけではない。

余り目立ってはいなかったが、彼女も宴会の席にいたはず。

酒を口にせず、騒ぎ立てもせず、一人黙々と御馳走を口に運んでいたのを覚えている。

 

概ね彼女の特性や性格は把握しているが、生真面目を絵に書いたような性格故か、積極的に会話を交わした事はなかった。

代わりに、ありがたくも面白くもない説教は何度か食らっている。その度に俺はハイハイと適当な二つ返事で済ませていた。

 

詰まるところ、彼女との仲は親密とは言えない。

 

 

 

 

 

そんな夜摩天が、隣まで歩いてくると

「あの……私で良かったら、お付き合いしましょうか?」

 

俺は耳を疑った。突然すぎて、彼女の真意が読めない。

いや、いいよ。悪いけど、今日は一人で呑みたい気分なんだ。

そうですか、分かりました。では失礼します。

そう、これが道理。故にここはやんわりと断るべきだ。

 

「お願いします」

 

なのに、俺は何故か了承していた。

 

 

 

 

 

ちょうど背後は俺の部屋。急いで自室から座布団と湯飲みを引っ掴み、夜摩天に勧める。

彼女は特に遠慮するわけでもなく、主が落ち着くまで黙ってそれを眺めていた。

 

「それじゃ、乾杯」

「乾杯」

 

こうして奇妙な雰囲気の中、二人の酒宴が新たに始まった。

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「夜摩天さん、結構呑みますね」

 

イメージからしてあまり呑むようには見えないのだが、実のところ俺より呑んでいる。

早いペースで中身が減りつつある酒瓶は、仲間を呼んで来いと俺に電波を飛ばしていたが今更席を立つのも億劫なので無視した。

 

すまんな酒瓶、なんとか一本で持ちこたえてくれ。

 

「前の主様が、よく酒を嗜む人でしてね。私もよく付き合わされたんです」

「ふむふむ」

「オガミさんよりもずっと陰陽師として優れた人で、私にもよく気をかけてくれて――」

「惚気ですか?」

「……違いますよ」

「なんですか、今の微妙な間は」

「違・い・ま・す・っ!」

 

本気で怒っているわけではなさそうだ。

酒の魔力の前では、地獄の裁判長という肩書もてんで無力である。

 

「そういうオガミさんは、あまり進んでないようですね」

「えぇ、まぁ…………」

「ここ最近、よく一人で悩んでいるように見えます。私でよければ、相談に乗りますよ」

そういう素振りは、なるべく見せないようにしてきたつもりだったんだけどな。なかなか良い観察眼をお持ちのようで。

俺は心の中で苦笑した。

 

 

 

 

 

「夜摩天さんって、何の為にここにいるかとか考えた事あります?」

「はい?」

「……いや、すんません、今のは忘れて下さい」

 

肴を口に運ぼうとすると、背中を強烈に叩かれた。

「のわっ!?」

「ちょっと、言い出しておいてそれはないでしょう。男なら、全部吐き出しなさい」

「ハ、ハイ……」

普段から斧を振るっているだけあって、凄まじい力だ。本気でやられたら、腰痛になりかねんな……。

 

 

 

 

 

一息ついて、俺は夜摩天に促されるまま語りだす。

「時々ね、考えちゃうんですよ。俺って何のためにここにいるんだろうって。

時代を飛び越えて、妖怪退治を頼まれて、芙蓉さんや式姫達と旅をして……」

 

何もかも、うまくこなしてきたわけではない。躓く事も多かった。

自分なりに演じようと頑張ってきた。皆から頼りにされる、『陰陽師』とやらを。

 

「特別な知識や技量もないし、陰陽師としての経験も浅い。だから、誰かに代わってほしいって思う事があるんです」

俺よりも才気溢れる、陰陽師としての資質に優れた顔も知らない誰か。

彼女の前の主という人物が、もし目の前にいたら――。

 

その欲求は、何も『今』に限った事ではない。

仕事で失敗した時、自分より遥かに優れた才能を目にした時、何をやってもうまくいかない時。

人は、自身の価値を悉く見失ってしまう。

 

自分が弱いことは、誰よりも自分がよく知っている。

俺など、いなくてもいいのではないか?

 

 

 

 

 

そう語り終えた所で、俺は杯を口元へ運んだ。

 

「はぁ……オガミさん、一ついいですか」

「ん?」

「はっきり言って、馬鹿ですね」

 

俺は口に含んだ酒を盛大に吹き出した。

 

「馬鹿って、はっきり言いますねぇ」

「酒の席で、いちいち遠慮しても仕方ないでしょう。私は思った事を言ったまでです」

 

いやいやいや少しは遠慮して下さいよ。これも前の主とやらの仕込みなのか?

こうまでハッキリ言われると、腹を立てる気にもなれない。俺は杯を置いて口元を拭うと、夜摩天の次の言葉を待った。

 

「自分が何の為にいるのか。その答えは自分で探すしかないんですよ。生きている間に、見つけられる保障がなくとも。

そうですね、参考になるかどうかは分かりませんが……私は、私がここにいる理由位は分かっているつもりです」

 

「それは?」

「順を追って話しましょうか。オガミさん、地獄って何のためにあると思います?」

 

目を丸くして、夜摩天の横顔を見つめる。いつもの説教かと思いきや、今回のはどうも少し趣旨が違うようだ。

「いきなり地獄って言われても、全然分かりませんよ。俺行った事ないですし」

「むしろ、行った事がある方が驚きですね……。貴方の想像で結構ですよ。考えてみて下さい」

 

俺は大きく息を吐いて、目を瞑った。

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誰もいない賽の河原に、無造作に積まれた石の塔が乱立している。

辺り一面は白いもやに覆われている。

傍を流れる三途の川。水は確かに流れているが、せせらぎの音は一切聴こえない。

川を辿っていくと、枯れた木が無造作に乱立しており、そこにはくたびれた亡者の衣が何着か吊られている。

 

奪衣婆も懸衣翁も、石塔を崩す鬼もいない。

風が吹いてもいないのに、襤褸はときおりはためいている。

 

橋がある。そしてたもとには、木製の舟。

向こう側はやはり白いもやに包まれていて、対岸が見えない。

 

橋に沿って猛スピードで飛んでいくと、気が付けば建物の中にいる。

高い天井、何本もの太い柱。壁も柱もくすんだ紫色だ。

照明のない長い長い廊下は、無間回廊を想起させる。

両端にはいくつもの扉があり、呆然と立ちつくす俺の前で一つの扉が開いた。

 

「ほら、行きますよ」

夜摩天が無表情で手を差し出す。

 

俺はその手を掴もうとして――差し出そうにも、手が無かった。

 

 

 

 

 

「ゲホッ、ゴホゴホッうぇほっ!」

「ど、どうしたんです?」

「いや、ちょっと、ゲホゲホッ、むせただけです、ゴホッ」

 

最後の妙に生々しいイメージは一体なんなんだ。

 

「地獄は、死んだ人を裁いて……えーっと、現世の罪を償わせる所。違いますか?」

「その認識で大体合ってますね。でも、それは正しい答えではないです」

「うーん……」

 

酒が入っているせいか、頭がろくに回らない。

腕組みをして唸るぐらいしか、今の俺には出来なかった。

 

「一つ、身近な例を挙げてみましょうか。お腹のすいたオガミさん、一人で夕飯の支度をしています。

どうしても我慢できず、ついつまみ食いをしてしまいました」

「う……」

なるほど、割と身に覚えのある光景。

 

「では、もしその時、私が傍にいるとしたらどうします?それでもつまみ食いをしますか?」

「夜摩天さんの見ている前で、そんな事はできませんよ」

「ふふふ、良い心がけです」

 

人差し指をビシっと突きつける夜摩天。

普段の仏頂面はどこへやら、初めて彼女は相好を崩してくれた気がする。

 

「えーっと……それで?」

「ん?」

「いや、その続きは?」

「これで終わりですよ。よく分かったでしょう」

「いや、地獄の存在意義とつまみ食いって何が何やら俺にはさっぱり……」

 

 

 

 

 

「オガミさんが、おかしな事をしないために私や地獄があるんですよ」

あぁ、そういう事か。

 

 

 

 

 

「罪を犯した人は罰せられなければいけませんが、それよりも罪を犯さない事が重要なのです。

私が目を光らせているだけでオガミさんが正しい道を歩いてくれるなら、それに越した事はないでしょ?」

「はぁ……」

「ついでに、私の仕事が減って私も楽をできます。一石二鳥、ですね、ふふっ」

 

そこまで語り終えると、夜摩天は酒瓶に手を伸ばした。

強い人だな……酒も心も。

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「夜摩天さん。もし俺が、間違いを犯したらどうしますか?」

「あら、さっきまでの自信はどうしたんですか?男らしくないですねぇ」

「いや、例えばの話ですよ」

「そうですね……例えオガミさんでも、私は容赦しませんよ。あの世でキッチリと判決を下します」

「うげえ、聞くんじゃなかった。裁判長は他の人に頼むようにしなきゃ」

 

俺も続いて酒を注ごうとしたが、酒瓶は空になってしまっていた。肴は、とうに切れている。

 

 

 

 

 

「……本当に、それでいいのですか?」

「え?」

不意に、夜摩天の声が沈んだ。

 

 

 

 

 

「今まで会った事もない、名前も知らない誰かに罪状を読み上げられ、糾弾され、判決を下される。

貴方は本当にそれで納得できますか?」

「…………」

「これはあくまで私の想像ですが、オガミさんならこう思うんじゃないですか。

お前に何が分かるんだ、俺の事を何も知らない癖に、と」

 

 

 

なるほど。

幼稚な言い訳だが、確かに俺ならそんな怒りを抱えるかもしれない。

 

例え判決が覆らなくても、同じ結末を迎える事になっても。

判決が下る時、目の前にいるのが彼女であれば――それは俺にとって、良い事なのかもしれない。

 

 

 

「すみません。やっぱり、夜摩天さんの方がいいです」

「ふふっ。今の言葉、私は忘れませんからね」

 

ふと顔を上げると、雲に覆われていた満月がその全容を晒していた。

 

 

 

「さて、本題に戻りますが」

「……本題って何でしたっけ?」

「いや、最初に言ったじゃないですか。私がここにいる理由」

 

そうそう、すっかり忘れていた。

 

「俺を監視するためなんじゃ?」

「それはあくまで役割の一端ですよ。私がここにいる理由は……ここにいたいから、です」

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「へっ?どういう意味です?」

「どういう意味もなにも、そのままですよ。私は自分の意思でここにいるんです。居たいから、いるんですよ」

「はぁ……」

 

空いた口が塞がらない。何か、こう、至極当たり前すぎる答えというか何というか。

こんな答えを聞くために一人うじうじ悩んでいた自分が馬鹿馬鹿しい。

 

 

 

 

 

『はっきりいって、馬鹿ですね』

悔しいが、最初に指摘されたその通り。俺は馬鹿だ。

 

 

 

 

 

「居たいから、か……」

 

それなら、俺は。ここにいたいという式姫の為に、ここにいてやるとしよう。

しばらくは、それでなんとかやってみるか。

 

「過ちて改めざる、是を過ちという」

「あやまって……え?何?」

「例え私が目を光らせていても、貴方は過ちを犯すでしょう。その時は、どうかその罪に報いて下さい。なかった事にしてはいけませんからね?」

「…………」

「変な事で一人悩む位なら、たまにはこの言葉を思い出して下さい」

 

「俺は忘れっぽいんですけどね」

「むぅ、相変わらず頼りないですねぇ。まぁ少しは気分が晴れたようなので、これで良しとしましょう」

 

気分が晴れたのは、むしろ夜摩天の方かもしれない。

 

 

 

 

 

――どうあがいても、俺は誰かの代わりにはなれない。

それでも、彼女の口から良い陰陽師であったと言ってもらえる、顔も知らぬ誰かさんが少しだけ羨ましかった。

 

 

 

 

 

夜摩天はゆっくり立ち上がると、

「さてと、ここは私が片付けておきますよ。オガミさんは先に休んで下さい」

「いや、俺が片付けを――」

「いや私が」

「いやいや俺が」

 

「判決を言い渡します!オガミさんはさっさと寝て下さい!ハイ閉廷!」

 

押し問答の末、俺は一蹴された。

なんつー強引さ。ここでそれ持ちだすの卑怯じゃないですか裁判長殿。

 

 

 

「そうそう、夜摩天さん」

「はい、どうしました?」

 

さて片付けに入ろうとしている夜摩天に、俺はふと思いついて手を差し出す。

 

「握手、して下さい」

「……?変な人ですねぇ」

 

ジト目で思惑の読めない主を見つめながら、夜摩天が手を握り返す。

にぎにぎ。にぎにぎ。

 

「ふふっ、ふふふふっ」

「オガミさん、顔、緩んでますよ」

「腕が付いててよかった」

「?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

死んでしまったら、握手はできませんから。

それに――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

心が揺らいだ時、しっかり掴めるモノが傍にあるというのは

お説教よりもずっと有難いものだから。

説明
夜摩天さんと握手するだけのお話です。

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