祈りのスターヒル(後編)
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廊下に響き渡る歌声に気づき、テレビを見ていたアイオリアは飲んでいたグラスを置いた。こんな夜更けにわざわざ獅子宮にまで来て騒ぐ人物など、アイオリアの記憶には一人しかいない。それにしても聞いた事がないくらい異様な声だ。ここまでひどい状態は初めてである。

 

「やれやれ……」

 

入口から廊下を覗くと、犯人はすぐそこの壁にもたれかかっていた。

 

「いよおォォアイオリアァ!!!相変わらずいい男だなァお前はァ!!!」

 

完全に泥酔してる。それも最高に。

 

「兄さん随分ご機嫌ですね。今日は何を飲んだんですか?」

 

「ウフフ……いい酒を飲んじゃってねぇ♪」

 

はいはいと頷きながら、アイオリアは酔っ払いの両傍に腕を入れて座った格好のまま彼を部屋の中へ引きずって入れた。

 

「デスマスクですら、どんなに飲んでも間違えて獅子宮に入ってきませんよ。」

 

アイオリアはテーブルの上に出しっぱなしのワインとグラスに気づき、兄に見られないようさりげなく片付けた。これ以上ここでも飲まれたらもっと面倒な事になる。当のアイオロスはへらへらした様子で床に寝転がった。

 

「どうせ俺は筋肉バカですよぉ???!!!」

 

「誰もそんな事言ってません。」

 

アイオリアは冷えたミネラルウォーターをグラスに注いで差し出した。しかしアイオロスは受け取ることなく両手で顔を覆っている。あれだけ荒れていたアイオロスが急に静かになり、アイオリアは兄が寝入ったものかと思った。が、しばらくしてアイオロスは顔を隠したまま口を開いた。

 

「………………………失恋した。」

 

「婚約者に会ったんですか?」

 

アイオリアの問いには答えず、アイオロスは独り言を言い始めた。

 

「今に始まったことじゃない。再会してからずっとそうなんだ……俺の最愛の人は。俺におめでとうって言った……いきさつなんか何も聞かずにさ。大してびっくりした顔もせずにさ。結・婚・お・め・で・と・うって。」

 

「誰のことを言ってるんです?」

 

「13年ぶりに会っても、あいつは過去の罪を気にして俺には心を許さない。他のヤツとは笑顔で話すのに、俺には見せてくれない。結婚なんて……まだな??んにも決まってないのに。周囲が騒いでるだけで、俺は一度だって返事なんかしてないのに。」

 

その言葉で、アイオリアは兄が誰の事を言っているのかようやく理解した。子供の頃から兄がサガを気にしていた事はアイオリアも知っている。とにかく恋愛事に疎いアイオリアだったが、兄の気持ちがわからないわけではない。同性とはいえ、美貌のアフロディーテが横にいると女性のような薫りが鼻をくすぐって変な気分になるし、いつもは大仏様みたいなすまし顔のシャカですら、大きなサファイアの瞳を輝かせて笑顔を見せると不覚にも顔を赤らめてしまう事がある。ましてサガは容姿・能力共にとても魅力的な人物だ。いろいろあったが、兄アイオロスと並ぶ優れた黄金聖闘士として尊敬に値する。堅物の自分ですらそう感じるのだから、兄の想いはひとしおだろう。

 

「兄さんから言わなかったんですか?」

 

「アイツは完全に俺を拒絶している。取り付く島もない。」

 

「だからこんな泥酔を……兄さんが哀れです。」

 

「子供の頃からアイツの事がずっと好きだった。アイツは俺に優しかった。だから俺はずっと脈ありだと思ってた……でも、全部勘違いだったんだ。」

 

アイオロスは足をバタバタさせて、子供のように駄々をこね始めた。

 

「嘆きの壁で再会した時なんかなぁ??もし二人っきりだったら本当は告白してチュウしたかったんだぞぉ!」

 

「やめてください大きな声で。私だと思われるじゃないですか。」

 

「でも…全部はかない夢だったんだ…アイオリアァ……俺は本当に結婚するよ……そして聖域で幸せに暮らすんだ……」

 

アイオロスの頭の中に先程のサガの姿が浮かんでくる。長湯で熱を持った肌にしっとりと衣がはりつき、彼の身体のラインがはっきりと見える。両腕で自分を抱きしめるようにして立つ愛しい人……前髪から滴る雫が頬に落ち、涙をこぼしたように流れる。

 

できれば本当に泣いて欲しかった。

この私のために。

そしてすがりついて欲しかった。

伏せられた長い睫毛の奥でエメラルドの炎が揺らめいている。

その麗しい瞳で私を見つめてくれたのなら…

 

そうしたら、私は……

私は………

 

アイオリアが見ているのも構わず、アイオロスは顔を覆ったまますすり泣いた。

 

 

 

「え!アイオロスのヤツ、泊まらなかったのか?」

 

双児宮に戻るなりカノンは大きな声を出した。

 

「別におかしいことないだろ?なぜそんなに驚くんだ!」

 

「はあぁ?……本ッ当にバカだな…お前もアイオロスも…」

 

「兄に向かってバカとはなんだ!ここで宇宙の塵になりたいのか?」

 

小宇宙が抜け出しそうなくらい深いため息をもらし、カノンはソファの背もたれに深く身体を沈めてのけ反った。

 

「兄さんこそ状況がまるでわかってない。」

 

「……………………」

 

「アイツ、結婚しちゃうんだぞ?俺は兄さんと違ってバカじゃないぜ。こういう状況になってもまだ素直になれないのか?」

 

カノンの強い口調にサガはまたムッとした顔を見せた。せっかく気を利かせて“誰か呼んでもいい”と、わざと念押ししたのに……いい加減、兄の融通のきかなさにカノンは呆れかえっていた。

 

「彼は結婚の予定がある。これから色々と準備もあるだろうから、ここへ泊まってる暇なんかないだろう。私だってやる事たくさんあるし。」

 

サガはあくまでも無関心といった様子だ。洗い立てのベッドのシーツを手に、サガはカノンの部屋に行こうとした。

 

「だから神官になるのか?」

 

背中に投げつけられた言葉にサガは驚いて振り返った。カノンは厳しい顔でこちらを見返している。

 

「………知ってたのか?」

 

「シオンから聞いたよ。お前が教皇の間に行った日の帰り際に。知っているのはまだ俺とアイオロスだけだ。」

 

「知ってたんだ……」

 

「すぐバレるに決まってるだろ。勝手すぎるんだよ兄さんは。」

 

シーツを持ったままサガはその場でうつむいた。カノンは身を乗り出すと今度はなだめるような口調でサガに語りかけた。彼は兄の行く末を本気で心配していた。

 

「おい兄さん、本当にいいのか?このまま話が進んでも。俺には兄さんの考えてる事なんか手に取るように分かるよ。本当はイヤなんだろ?アイツと一緒にいたいんだろ?強情も大概にしろよ。」

 

「……もともと私は咎人だ。わがままを言う資格はない。」

 

「おいおい……冗談じゃないぜ。それは過去の話だろ?その理屈じゃ俺も咎人のままになってしまうじゃないか。俺たちは女神にも仲間にも許された。以前から言ってるだろ?いい加減何度も言わせるな。」

 

「………………」

 

「お前は理由をすり替えてるだけだ。本心を言えない自分の弱さを。」

 

カノンの言葉に、急激にサガの心に怒りが込み上げた。沸き上がった感情を押さえられず床にシーツを投げつけ、カノンに詰め寄った。

 

「黙れ!!アイオロスアイオロスって、私に何の関係がある!?アイオロスにも私にも、それぞれの人生があるんだ!!彼は彼、私は私。彼は結婚して教皇になる。私はニケの神官になる。それぞれがこの道を選んだのだ!!それのどこがおかしい?!」

 

「じゃあ何故そんなに泣くんだ?」

 

カノンに指摘され、サガはいつの間にか溢れ出ていた涙を袖口で乱暴に拭った。口惜しい……これほど言われても何も行動に移せない自分の弱さを。サガはカノンと対峙し、拳を握りしめて身体を震わせていた。涙が次々と止めどなく溢れてくる。一度崩壊した感情をどうする事もできず、ついにサガは苦し気にその場にうずくまった。恥も外聞も捨てて弟の前で泣きじゃくる兄の様子に、カノンはそっと立ち上がるとサガの側まで来て身を屈めた。

 

「兄さん……」

 

「………私のせいでこれ以上彼の人生を狂わせたくなかった。彼が教皇になったら、この寿命が尽きるまでただ静かに遣えるつもりだった。黄金聖闘士として…仲間の一人として……私は彼に償いたかったんだ。彼は皆に愛されている聖域の英雄だ。彼のために働けるなら、それだけで私は幸せだったんだ……でもまさか結婚するなんて………考えもしなかった……」

 

「ああ、分かるよ。兄さんは真面目だものな。アイツを独占する事は罪だと……」

 

「結婚おめでとうなんて、本心から言ったわけじゃない。」

 

 

本当に言いたかったのは……………

 

 

「今のうちに好きなだけ泣くといい。神官になったらもう泣いていられないんだ。俺は気にしないから。」

 

床に身体を投げ出し、顔を伏せて泣き続けるサガにカノンは優しく語りかける。

 

「慰めてやってもいい。俺の部屋に来るか?お前ならベッドに入ってもいいよ。」

 

サガは泣きながら笑った。わざと冗談を言ってくれるカノンの優しさが嬉しかった。しかし、それでも嗚咽は止まらなかった。

 

「島までは俺が付き添う。兄さんが神官になっても、必ず会いに行くよ……」

 

サガの涙が枯れ果てるまで、カノンはずっと側で見守っていた。

 

 

 

それから1ヶ月間、サガは神官としての教育を受け、慌ただしい日々を送っていた。サガが聖域を離れる事が周囲に知らされると、大勢の惜しむ声と新たな旅立ちを応援する声が絶えず彼にかけられた。この頃にはアイオロスもすっかり吹っ切れた様子で、会うたびに研修に疲れたサガを励ましていた。神官になる事は、結婚などのお祝い事と違って厳粛な行事のため、派手な壮行会が行われる事はない。そのためサガは厳かな気持ちで神学や神官作法を学び、準備に明け暮れた。

 

 

そして…いよいよ儀式の執り行われる日。サガは衣装替えのために日の出前から教皇の間を訪れていた。

 

「サガ、入るぞ。」

 

シオンが扉を開けると、サガは左右に衣装係の男女を従えて立っていた。部屋の壁にはギリシャ神話の英雄たちのフレスコ画が描かれ、高い天井からも女神アテナと女神ニケの絵がこちらを見下ろしている。部屋の中央に立つサガは、雪のように白いぺプロスを身につけていた。ウェーブする青銀の髪は香油で整えられ、いつにも増して輝かしく優雅に衣の上を流れている。貴金属は金の腕飾りや衣を留めるピンなど質素な物に限られていたが、その清楚な装いがより一層サガの美貌を引き立たせていた。

 

「お前を選んで良かった。先方もさぞ喜ぶであろう。」

 

シオンは衣装係が差し出す大きな純白のベールを受け取ると、丁寧にサガの頭上からかけた。

 

シオンはサガを連れてさらに上のアテナ神殿に向かった。今日はこの儀式のために日本から城戸沙織が聖域に到着している。沙織は白いドレスに様々な宝飾品を身につけ、アテナとしての正装で二人を待っていた。シオンが見守る中、サガは女神の前に進み出て両膝を床につき手を合わせた。祈りの言葉の後、沙織は手に持った黄金の杖をサガの肩に軽く触れさせた。

 

「正義の勝利を約束する女神ニケは、世界平和のためになくてはならない存在です。ニケを守る神官としてぜひ頼みますよ。」

 

「ご期待に添えるよう、心して役目を果たして参ります。」

 

サガは祈りの姿勢のまま一礼すると、再びシオンを先頭にして神殿を後にした。教皇の間を抜け玄関を出ると、早朝の爽やかな風がサガのまとう衣を優しく揺らしていった。下方には延々と続く十二宮が見える。見慣れた風景だったが、サガは胸を締めつけられるような痛みを覚えた。シオンが歩き出したのでサガはすぐに後を追い、二人は無言のまま階段を降りていった。宮にはそれぞれの守護者が聖衣を身につけた正装で二人の到着を待っている。松明の灯った薄暗い廊下を進み中央広間まで来ると、黄金聖闘士が片膝を着いて二人に一礼した。言葉を交わす事もなく、顔を合わせる事もない。儀式を受けたサガはまるで神の花嫁の如く深くベールをかぶり、かつての仲間たちと無言の別れをしていった。

 

人馬宮に足を踏み入れた時、今までうつむき気味に歩いていたサガは少しだけ視線を上げた。歩みを進めるうち遠くにぼんやりと中央広間の明かりが見えてくる。部屋との距離が縮むにつれ鼓動が早くなる。キラリと一条の光がサガの目を射た。聖衣を身につけたアイオロスはまさに聖域一の英雄に相応しい。その凛々しい顔を見て、サガは胸が張り裂けそうになった。が、前を横切る寸前にアイオロスが急にパッと瞼を開いたので、サガは咄嗟にベールに隠れるように深くうつむいた。

 

さようなら、アイオロス……どうか元気で……

神殿からいつもお前の幸せを祈っている…

 

心の中で別れを告げながらサガはアイオロスの前を通り過ぎた。足音だけが宮の中に響き渡り、何事もなく二人は次の宮へと歩みを進めていく。アイオロスはすっくと立ち上がり、次第に遠ざかっていくサガの背をじっと見つめていた。

 

双児宮でカノンが合流し、一番下の白羊宮を出ると、サモトラケ島から数名の使者が馬を連れて待っていた。聖域は岩場が多く車両が入って来れないので、古代の風習に従ってここからは馬で港へ向かう予定である。使者はシオンに深々と頭を下げ挨拶を交わすと、今度はサガとカノンの顔を見て驚き、何度も見比べて騒いでいた。カノンはやれやれといった表情だったが、サガは彼らの素朴な人柄に安心感を覚えた。別れ際、シオンは最後にサガに声をかけた。

 

「エーゲ海におけるポセイドン軍残党の襲撃に備え、護衛にカノンを同行させる。使者たちを守り、道中気をつけて行きなさい。」

 

「行って参ります。シオン教皇もどうかお元気で。」

 

シオンに一礼し、サガとカノンはそれぞれあてがわれた黒馬に跨がった。聖域から数キロ先の港町を目指して、一行はゆるやかに進んでいく。慣れ親しんだロドリオ村を通ると彼らに気づいた村人たちが次々と家から飛び出して路上に溢れ、サガとカノンに握手を求めた。人々の明るい笑顔や歓声はうち沈んでいたサガの心をいくらか和ませた。その後一行は市街地までの近道となる岩山の道を行き、途中休憩をとり、午後には無事にアテネの港町へ到着した。聖衣姿はとても目立つので、市街地に入る前にカノンは珍しく裾が長めの水色のキトンに着替えていた。港は船乗りや乗客、家畜や荷物で溢れ活気づいている。使者たちは長旅に必要な物資を揃え、手際よく馬も一緒に船へ積み込んだ。すべての準備が整い、一行はついに遥か彼方サモトラケ島へ向かって出航した。

 

白い帆がエーゲ海の風をはらみ、船は勢いをつけてぐんぐん波間を進んでいく。港はあっという間に遠く離れ、サガは風にはためくベールを押さえながら振り返った。普通の人間には絶対に見る事ができない聖域十二宮の岩山を、サガの瞳ははっきりと捕らえていた。女神の聖闘士として正義のために闘った年数は短かったが、それでも、復活してから数ヶ月間は平和で穏やかな日々を過ごす事ができた。

 

仲間たちと……

そして……アイオロスと……

 

次にここへ来る時はアイオロスの結婚式だろう。

自分はどんな顔をして彼を見つめるだろうか。

どんな言葉を彼の妻となる女性にかけているだろうか……

 

サガの脳裏に、最後に見たアイオロスの顔が浮かぶ。双児宮であれだけ泣いたサガの瞳に再び涙が浮かんだ。あの時もしシオンがいなかったら、きっと自分は許されない行動に出ていただろう。しかし……アイオロスが選んだ道を塞ぐ権利など自分にはない。

 

これで良かったんだ。

これで……

私も、アイオロスも……

これで…………

 

…………これで……

本当に良かったんだろうか…………?

 

 

サガがこみ上げてくる嗚咽を押さえようと口元に手を当てた時だった。

 

「おい、あれは何だ!?」

 

使者の一人が大声で叫んだ。甲板に出ている者がいっせいに彼の指差す方向を見た。突然の声にサガも慌てて自分の声を飲みこんだ。アテネの方角から何かが飛んでくる。太陽に反射してそれはキラキラと瞬いていた。一行は全員、額に手をかざしてその物体に見入った。

 

「鳥だ!それも割と大きそうだぞ!」

 

「カ、カノン様!これは海闘士の攻撃では……」

 

一人が発した言葉に使者たちは大騒ぎで甲板を右往左往し、それぞれホウキやデッキブラシを持ってカノンとサガの周りに集まって身構えた。この謎の怪鳥を叩き落とすつもりだ。緊迫感に包まれた船上の真ん中で、サガは一心に鳥を見つめ、カノンは聖衣も着けずに腕組みしながら余裕の笑みを浮かべている。使者たちは武器を握る手に力をこめた。

 

「捕まえたら夕飯の材料にしてやるか!」

 

「いや、それだけはやめた方がいい。」

 

「カノン様……あれはいったい……」

 

カノンは両手を空へ突き出し、歓喜の叫び声を上げた。

 

「あれは救いの天使だ!!!」

 

白いベールが風に舞い上がる。サガは両手を広げて自ら黄金の鳥へ進み出ていった。

 

 

 

ティーカップを片手に、シオンは窓の外を眺めていた。神官への儀式も無事にすみ、久しぶりに来訪した女神アテナはこの機を利用してギリシャ在中の大富豪のところへご挨拶に行っている。今日は天気もいいし、船もだいぶ進んだことだろう。初老を迎えた神官もサガの姿を見たら大喜びするに違いない。すぐにもお礼の通信が来るはずだ。シオンはひとり笑顔を浮かべて、湯気の立つアッサムミルクティーを一口飲んだ。

 

「シオン教皇、失礼します。」

 

急に執務室の扉をノックされたが、シオンは機嫌良く返事をした。

 

「どうぞ!」

 

重い扉が開きカノンが入ってきた。彼は両腕に白い長衣を抱えている。それがベールであることに気づき、シオンは一瞬カノンがサガを抱きかかえているように見えてドキッとした。

 

「カノン……それはサガのベールではないか。何かあったのか?!」

 

カノンは得意気な表情のままベールを床に広げるとシオンの前にひざまずいた。

 

「このカノン、一生の不覚。勇敢なケンタウロスに巫子を奪われました。」

 

 

 

黄金の羽根が海風を切って羽ばたく。アイオロスはサガをお姫様のように抱きかかえ、何度も唇を重ねていた。これまでの悲しい刻をすべて埋め尽くすような長く深い口づけを。

 

「アイオロス……私のアイオロス……」

 

「サガ……愛しい私のサガ……」

 

互いの名前を呼びあいキスを繰り返し、その度に二人の胸に甘い疼きが沸き上がる。感極まったサガはアイオロスの首筋にすがりついた。

 

「……アイオロス……さっきは大丈夫だったか?」

 

「アハハ、すごい攻撃だったな。一発だけホウキで殴られた。」

 

「お前に当てるなんて大した使者だ。」

 

「カノンも止めてくれればいいのに。あいつ腕組みして笑ってたぞ。」

 

二人は互いの頬をすりよせてクスクス笑った。そして再び口づけした後、アイオロスは真剣な眼差しでサガを見た。

 

「サガ……私は本当に結婚する。妻はもう決めてある。」

 

サガはハッとして彼の顔を見た。ああ、また勘違いしてる……相変わらずのサガの鈍感ぶりにアイオロスはフフッと笑った。

 

「サガのお馬鹿さん。こんなにキスをして、こんなに触れあっているのにまだ察しが悪いのかい?」

 

サガの瞳に涙が浮かぶ。その柔らかい唇を深く奪い、アイオロスは彼を強く抱きしめた。花嫁衣装のような美しいぺプロスが風になびき、衣に負けないくらい真っ白なサガの肩が露になる。アイオロスはその肩口に何度も口づけ、さらにサガの滑らかな腕や首筋にも、触れられる肌すべてに夢中で唇を押し当てた。

 

「なんて綺麗なんだ……もう絶対に私のものだ。このピンを早く外してもっとお前の美しい姿を見たい。今すぐにもお前を愛したい……」

 

普段は言えないような台詞が次々口をついて出てくる。サガの首元に顔を埋め、香油の甘い薫りに興奮したアイオロスはバッサバッサと大きく羽根を動かした。

 

「アイオロス……今までごめんなさい……」

 

「もう絶対に私から離れるな。ずっとずっと一緒にいよう。」

 

「アイオロス………」

 

「どうした?」

 

サガは急に顔を赤くして困惑した表情を浮かべた。

 

「……全部……投げ出して来ちゃった……」

 

サガの言葉にアイオロスは一瞬目を丸くしたが、プッと吹き出して大笑いした。

 

「気にするな!私もぜ???んぶ置いてきたぞ!ここまで来たら仲良く一緒に叱られよう。さあ、もっと高く上がるぞ!ちゃんと捕まってろ!!」

 

とびきりの笑顔でサガをしっかり抱きしめると、アイオロスは十二宮をも超えてさらに高く舞い上がった。

 

 

 

その日の夜、聖域は今までにない素晴らしい星空に包まれていた。まるで宇宙空間がすぐそこまで降りて来たかのような星の数である。

教皇宮の窓は従者たちによってすべてカーテンが引かれている。そのうちの1つがすぅ?と開かれた。窓際に立つシオンはいつもよりさらに髪がボサボサになり、目の下にうっすら隈もでき、法衣を着てなければ教皇に見えないくらい疲れ果てていた。半開きの目はアテナ神殿よりさらに奥の岩山を恨みがましく見つめている。

 

スターヒルに灯りがついてる……

あれは松明の火ではない。ただの炎があんなに黄金に光ったり、ピンク色に染まったり、虹色に輝いたりするものか。

 

カノンから報告を受けた後、シオンは聖戦以上に過酷な状況に陥っていた。若き神官は海の真ん中で消えるわ、結婚話は解消になるわ……とにかく両方の相手をなだめ、穏便に事を済ませるのにどれほどの労力を要した事か。当の二人は行方不明、状況を知っているはずのカノンまでどこかへ行ってしまい、さらに御用を済ませて戻ってきた女神に泣く泣く報告したところ、「それなら仕方ないでしょう。」と笑ってグラード財団専用ジェット機でさっさと日本に帰ってしまうし。その後は雑兵まで動員して散々探させたのに、どうしても二人を発見する事が出来なかった。しかし、夜になってシオンはついに気づいたのだ。彼らが自分の後ろの岩山にいる事を。

 

あの馬鹿者ども……夢中になりすぎて、二人分の小宇宙バリアに穴が開いている事にまるで気づいていない。神聖な場所をこんなにムンムンする小宇宙で汚しおって……スターヒルはホテルか。こんな年寄りにすべての尻拭いを押しつけて……こうなったら全身全霊でスターヒルごと小僧どもをぶっ飛ばし、ギリシャ中にあの者たちのあられもない姿を披露してやろうか。

 

シオンの身体からメラメラと邪悪な小宇宙が立ち上ぼり始めた。

 

しかし……ここでそれをやったら聖域の恥を世間に晒す事になってしまう。怒りに任せた行為で女神が他の神々に笑われるような事態になったら、それこそ一大事だ……とりあえずあの馬鹿者たちにはイヤほど教皇職の手伝いをさせてやろう。もちろん私はその間ゆっくり休暇をとるのだ。最近は童虎と会うたびに病気の話ばかりしている。老人同士、二人で仲良く湯治の旅にでも行こう。

 

様々なお仕置きや楽しい温泉旅行の事を考えてニヤニヤしていたシオンだったが、ふと13年前の事が頭を過った。

 

今、二人は人生で最も幸福な瞬間を過ごしている。そして新しい未来を手に入れたばかりだ。彼らにとってはまさに13年越の恋愛成就。あの時アイオロスを救ってやれなかったのも、サガの苦しみに早く気づいてやれなかったのも、自分の力不足と思えば……今回の事もほんの少しは許す事ができる。いかなることがあっても、聖域の教皇はやはり寛大な心の持ち主でなければならない。せめて今夜だけは二人をそっとしておいてあげよう。

 

スターヒルが再び黄金色に明るく輝いている。二人はまだまだ絶好調のようだ。やれやれと肩をすくませ、シオンは静かにカーテンを引いた。

 

 

 

 

説明
思ったより長くなりました。たくさん妄想して楽しかったです。ロスサガを余裕で見守るカノンという三角関係が好きです。
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