うつろぶね 第十八幕
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 カクは洟垂れの父親の元に駆け寄り、そのぐったりした体を抱き起こした。

 ぐにゃりと垂れる頭を手で支え、もう一方の手で頬を軽く叩くと、頬や髪に付いた砂がパラパラと落ちる。

 それでも、彼が目を覚ます様子は無い。

(やれやれ、仕方ない)

 多少手荒いけど、ごめんよ。

 腰に下げた竹筒を手にして、栓を抜いたそれの中身を、顔にぶちまける。

「ぶあっ!何だ一体」

 カクがぶちまけたのは酒。

「悪いね、急ぎなんだ」

 時間が無いから、荒っぽく起こしたのもあるが、酒の清めで、まだ何か憑りついていないか確かめてみたというのもある。

 だが、酒にも反応は無く、またこうして抱き起こして触れてみても、何かが憑りついている様子も無い。

「あ……あんた一体?」

「私はカク、式姫さ、おっちゃんの坊やから頼まれて助けに来たんだけど」

「俺を助けに?」

「そうだよ、所でさ」

 そこでカクは周囲を指さした。

「ここが何処か判るかい?」

「……ここ?」

 しばし、男の視線が、記憶をたどる様に宙を彷徨う。

 全く記憶が無い訳でも無いらしい様子を見ながら、カクは亡者たちが襲ってこないか、気を配っていた。

「あ、ああ、そうだ、ここは海市だ、あの姉ちゃんに連れられて、ここで珊瑚の髪飾りを一個貰って……あれ?」

 慌てて懐を探る顔が絶望に染まる。

「無い!?」

 とまどいが猜疑に変わり、何やら怒りにその顔が染まるのを、カクはどこか、演劇人らしい好奇心に駆られて眺めていた。

 成程、表情ってのはこう変わるのか。

「お前が盗ったのか」

 そう叫んで掴みかかって来た男の手を無造作に押さえ、カクはその手を流れるような動きで背中にねじ上げた。

「いで、痛い!痛い!」

 大仰に悲鳴を上げる男の様子に、カクは苦笑してその手を離した。

「冷静になりなよ、おっちゃん。ご覧の通り、おっちゃんから金品巻き上げる位は、このカクにしてみれば赤子の手を捻るような物さ。第一、盗人が、お宝奪った相手を介抱なんてするかい?」

「そりゃ……確かに」

 そうだけど、それじゃ俺のお宝は何処に、とぶつくさ言う男に、カクは真面目な顔を返した。

「信じられないかも知れないし、信じたくないだろうけど……良いかい、この島は化け物の巣だよ、ここに居ちゃ危ない、直ぐに逃げないと」

「危ないって、いや、ここに居る人は、いい人ばかりだぜ、俺にタダで綺麗な珊瑚の髪飾りをくれたんだ」

「おっちゃんたちだって、魚にタダで餌をやってる訳じゃないだろ、網か釣り針を用意してから、餌を投げ込む……判るだろ、何か違いがあるかい?」

 宝物は餌。

 おっちゃんたちは魚。

 カクの言葉に、不平らしい顔を隠しもしない男の顔を、ついぶん殴りたくなる衝動を、カクは何とか抑えた。

 カクが口にしたのは真っ当な道理なのだが、やはりタダで物を貰えるという誘惑に勝てるだけの知性や理性、人生経験をその辺の人の期待するのは難しい。

「納得いかないなら、それでも良いけど、時間も無いからね……私と逃げないなら、もう一度気絶させて連れて行くけど」

 どっちが良い、と問うカクの眼光に、先ほど軽々とねじ上げられた腕の痛みを思い出したのか、洟垂れの父親は不承不承の体で頷いた。

 

 走り出した二人を見て、先代住職は手で顎髭をしごいた。

「ふむ、正気付かせて、自分の足で逃げさせたか」

 式姫の力なれば、気絶している男を、肩にでも担いでいくかと思うたが。

 事態が切迫している以上、彼を説得する時間など掛けないと思ったが……はて。

 あの式姫の思慮が浅いのか、それとも、幽鬼達を撒いたと思って安心しているのか。

 ふむふむ、と何か考えるように髭をしごいてから、彼は大きく頷いた。

「まぁ良いわ、何れにせよ、大差ない」

 そう呟いて、傍らの姫に笑み掛ける。

「さて、この灰色の市に咲くのは、式姫の描く紅華の舞か、血飛沫の描く真紅の花か」

 うつろな笑みを浮かべたその顔を覗き込む。

「楽しみじゃなぁ、姫よ」

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 仙狸は、まだ闇の中を歩いていた。

 カクはどうなっているのか、海市は、漁師達は、自分は元の場所に戻れるのか、そもこの闇の中はどういう場所なのか。

 気は急くが、彼女はこの中にこそ、海市の真実があると思えてならなかった。

 最前見た光景。

 今までに知った事。

 その全てを、頭の中で再度検討しながら、歩を進める。

(ん?)

 足元の気配が変わった。

 先ほどもそう。

 それは、自分が違う舞台に「踏み込んだ」証か。

 さて、次は何を見せてくれるのか。

 さくりと踏むのは細かい砂。

 湿り、硬く締まった砂地。

 浜か。

 まさか、海市を出て浜に……そう一瞬思ったが、彼女は自らの考えを打ち消した。

 空気が違う。

 ここは、もっとそう。

 暗く、寒く、そして迫る海の気配が荒々しい。

 あの漁村の穏やかで広い砂浜とは違う、崖と崖の間に、猫の額のようと、形容されそうな僅かな砂地に、仙狸は立っていた。

「ははさま、ははさま」

「なぁに」

 可愛らしい少女の声と、それに応える優しげな声が仙狸の近くで響く。

「くさ、あんまりおちてないね」

「……そうね」

 先ほどと同じ、この舞台の登場人物の会話が進むほどに、周囲に景色が作られていく。

 背に籠を背負った、少女と母親。

 その母親の顔を見て、仙狸は思わず上がりそうになった声を押さえようと、口を手でふさいだ。

(これは!?)

 あの、「姫」ではないか。

 纏う衣は粗末で、髪を適当に纏めただけの姿だが、あの肌の色と全体の顔の造作は間違いない。

 質素な姿からは、あのあでやかさは無い物の、逆に魔性を感じさせない、清潔で、だが寂しく儚げな美しさを湛えている。

 目を凝らし、仔細に見ると、苦労からのやつれが、彼女の目元や首筋に、皺になって現れていた。

(同じ人ではないな、では、これがあの姫の母親か)

 貴族の男が陸奥(みちのく)に赴任している時に作った妾の娘。

 そう聞いている姫の素性と、今の風景はある程度合致するが……なぜかような困窮を。

 それにしても、寂びた風景であった。

 荒々しい風の中に雪がちらちらと混じり、その白さが、暗い空の色を寧ろ強調する。

 嵐でも来た後なのだろうか、浜に打ち上げられた海藻や小魚を拾おうとしているのだろうが、少女の言葉通り、仙狸が見ても、大したものは落ちていない。

 拾う物も無くて退屈したのか、少女はまた、母親の袖を引いた。

「ねぇねぇ、ははさま」

「どうしたの?」

「ととさま、いつ来てくれるの?」

「……それは」

「ととさま、うみのむこうの、えらいかたなんでしょ?」

「そうよ」

「はやく、わたしとははさまを、むかえにきてくれるといいねー」

「そうね、本当に」

 母親の声音からは、男が戻ってくるとは微塵も信じていない響きが、仙狸には聞き取れた。

 存在はしている、でも二人を迎えに来ることはない……そう判断した母親の吐いた、それは嘘だったのだろう。

 彼は居ない、戻ってこない、それを受け入れて生きる覚悟を決めた人の声だった。

 

 海の向こうは、ここでは無い場所。

 人は時に、海の向こうに仙人が住む島を、西方にあるという浄土を求めてきた。

 そんな安楽な世界が、ここではない、遥か海の向こうの何処かにあると。

 娘にだけは、そんな幸せな嘘を。 

 

 二人の話を聞きながら、仙狸はふと、蜃気楼、海市の事を思っていた。

 蜃気楼は蜃が吹く幻と言われている、だが、何故蜃、海中の貝が、人の都市の幻を海上に顕すのかは、誰も知らない。

 ……もしかしたら、更に元を辿れば、蜃が吹いた、もやもやした形無い気に、人の想像が形を与えた存在こそが、都市の幻影だったのではないだろうか。

 では、わっちが今いる、この海市は……。

 

「ととさまがきたら、わたし、いっしょに、いちにいきたいな」

「市……まぁ、何か買ってほしい物でもあるの?」

「えへへ、ないしょ」

 とんとんと、軽い足取りで少女が砂浜を歩く。

「わたし、いち、だーいすき、きらきらしてて、きれいなものいっぱいあって、にぎやかで、いいにおいして」

 歩くたびに、ふわりと。

 この少女の周囲にだけ、この色の無い砂浜に彩を散らして歩くような。

 光の粒を振りまく様に、淡い色の髪の毛が揺れる。

「ほんとう……そうね」

 娘の言葉に、母親が相好を崩しながら、辛うじて食べられそうな、海藻や貝を探して籠に入れていく。

 この子を、近在の大きな町の市に連れて行ってあげられたのは、まだあの人が居て、本妻の目を盗みながら、僅かにでも援助をしてくれた頃の事。

 また連れて行ってあげられる日は……来るのだろうか。

 見渡すと、冷たく暗い海と、生の気配乏しい、狭い砂浜、高い崖。

 せめて、私が生きてある間にもう一度位は。

 この子だけは、笑顔で……幸せに。

 やつれた手で、娘の可愛い手を握る。

「もう無さそうだし、今日は帰りましょう」

「うん」

 さくりさくりと砂を踏んで歩く、ゆっくりした足音と、さっくさっくと軽やかな足音が、優しく調和して、辺りに響く。

 緩やかに上る浜。

 その砂地が切れ、緑の砂防林と、その中を通る一筋の細い道が現れる。

 その道の半ばに佇む人影があった。

 牛車を背に従え、煌びやかな衣服を纏った。

 それを見た母親の手が小刻みに震えるのを感じ、少女は心配そうに母を見上げた。

「ははさま?」

「……うそ」

 いつもなら、優しい笑顔を返してくれる筈の母は、ただ正面だけを見ていた。

 目を見開き……息苦しそうに荒い息をついて。

 だが、何よりその顔。

 歓喜と憎悪と、悲しみと嫉妬と恨みと安堵と……その全てがないまぜになった、今まで少女が見た事の無い。

「……はは……さま」

 母ではない……男に捨てられた、鬼を宿した、美しい女の顔であった。

 

 駆け寄り、男の胸を非力な腕で叩く女、それを抱きしめ何事か囁く男。

 木の陰からそれを覗いていた仙狸は、その男が、まだ若いが、最前姫と逢瀬をしていた、「父親」である事を確かめた。

 そして、茫然と立ち尽くして二人の姿を見ている少女に目を転じて……仙狸は思わず息を飲んだ。

 その目の中に、鬼火が燃えていた。

 母の顔を見て、瞬時に、母の嘘と、この男が、母と自分を捨てた父親……いや、雄だという認識に至った……。

 まだ小さく微かな物だが、鬼を宿した、女の目であった。

 

 何か声を掛けてやりたかった。

 口が僅かに動くが、それは言葉にならず……仙狸は黙って踝を返した。

 ……これは既に過ぎ去った過去の話。

 自分は、何もできない観客に過ぎない。

 胸が締め付けられる。

 仙狸には、今はっきりと、この海市の真実が見えた。

 判りたくなかったけど……判ってしまった。

 ぎゅっと槍を握り、牢固たる決意を固めて、仙狸は顔を上げた。

 彼女に、これを見せてくれた人の、その意思を確かに受け取った。

 この海市も、妄執も、一切を。

 終わりにしてやろう。

 

説明
式姫プロジェクトの二次創作小説です。

前話:http://www.tinami.com/view/958268
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コメント
OPAMさん ありがとうございます、色んな思惑と力が絡み合って、それをほぐして、という話の進め方ですので、姫のそれだけではなく、OPAMさんの仰るような要素も勿論絡んできますね。 思ったより、この辺をほぐして描いていくのが大変でした。(野良)
切ない。少女の小さい世界だけど、それゆえに見える範囲が全てな視点で語られる残酷な過去の出来事が切ないです。どうしても男の視点というか、単純に大きな力を得た者が神の如き存在になろうとしたり、世界征服を目指したりするショッカー的な展開ばかり考えていたため、この展開は予想外でした。予想外だっただけに余計に切なさが刺さりました。(OPAM)
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カク 仙狸 式姫 

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