葛の葉との絆語り -祭-
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「あっつ……」

鳥居にもたれてパタパタと団扇を仰ぎながら、大勢の行き交う人々をぼんやりと眺める。

はしゃぎ声を上げながら走っていく子供達。それに負けず劣らずの声量で、浴衣に身を包んだ女性達が歩きながらおしゃべりしている。

ちょうど対面にいる所在なさそうに立ち尽くしている男は、俺と同じく連れを待っていそうな気配。さて、どちらが先にここから立ち去るかな。

雑踏と喧騒に交じって、普段はあまり耳にする事のない下駄の音がカラコロと響いてくる。

そうそう、これこれ。不協和音と人々の熱気でうんざりしそうな空気の中、この音だけが唯一安らぎを与えてくれる。

よくよく人々を観察してみれば、尻尾や羽の生えた異形の者――などと紹介するのも失礼なので、ここは式姫と言っておこう。

彼女達が混ざっていようが誰一人として気にする者はいない。それはつまり、式姫達が日常非日常を問わず人々に馴染んでいる証でもある。

ただ、一般人以上に面倒事を起こすのではとの懸念もあったが、自分のならともかく他人の式姫にまで一々注意を払う気はなかった。

もっともそれは俺の勝手なワガママなので、何か揉め事が起こった場合陰陽師に責任が回ってくる事も十分考えられる。

どうか何も起きませんように、と心の中で祈るしかない。せっかくのお祭りなんだから面倒事は御免だぜ。

「…………」

式姫の姿が視界から消えると、俺は再び雑踏に視線を戻す。

ここに来て何分が経っただろうか。遅いなぁ、等とは口に出さない。嫌な顔もしない。

数時間前に思い切って声をかけた相手は、なんせ俺の苦しむ顔を見るのが好きという困った式姫なのだから。

わざと遅れてやってきて俺の不機嫌な顔を見たい等とは企んでいまいだろうが……。

 

 

 

『仕方ないわね、今回は付き合ってあげてもいいわ』

屋敷でのやりとりを思い出す。

『だけど、次からはもう少し気の利いた誘い文句を用意しておくことね。それが嫌なら土下座でもなさい』

『土下座は絶対に嫌です』

『ワガママねぇ……まぁいいわ。先に行ってて』

後は待ち合わせ場所だけ伝えて、さっさと俺は一人ここへやって来た。

 

 

 

夕暮れ時に多種多様な色の浴衣が入り乱れるここは、例えるなら大きな花壇だろうか。

年頃の少女達が我こそ一番なりと着飾って歩き回るその様は、見ているだけで心が躍る。

百花繚乱。千紫万紅。その辺の四字熟語が当てはまりそうな風景。

その中に、ふと見覚えのある白い花が咲いていた。視界の端に映ったそれは、迷う事なくこちらへ歩いてくる。

お、来た来た。俺は片手を上げて出迎えようとしたのだが――近付いてきた彼女の様相を見て、中途半端に上がった手を下ろした。

「えへへ、お待たせ」

白い花が笑いかけてくる。涼やかに、ではなくにこやかに。

にわかに信じられない光景を目の当たりにした俺は、呆けたようにぽかんと口を開けるしかなかった。

「…………」

遅かったな葛の葉。開口一番に飛び出す予定だった言葉は行き場をなくし、消えた。

これは、ううむ……何と言えばいいのだろうか。何も起きませんようにと祈った直後にこうくるとは。

ちょうど俺の胸のあたり程の身長。白い毛並みは相変わらずだが、尻尾も幾分か小さくなっている。

しかしよく見ると、毛艶が失われていないのが分かる。なるほど、遅れた理由の一つがこれか。

淡い水色の生地に、本人の名である葛の葉を模した青い紋様。そこに臙脂(えんじ)色の帯を締めた少女。

落ち着いた感じの意匠はまだ幼さの残る顔立ちとやや不釣り合いだが、なかなかどうして似合っているではないか。

着用しているのが葛の葉だからだろうか。ちょうど良い、その六文字の褒め言葉がピッタリくる。

今回で『この葛の葉』と顔を合わせるのは二度目となる。なので前ほど驚きはしなかったものの、予想を大きく裏切られた俺は動揺していた。

いや二度目と言っても今回は浴衣を着ているので、これが新鮮な印象を植え付けているのだろう。

本人は何も気にしていなさそうな様子である。どこぞの黒ずくめの組織に毒薬を飲まされた、なんて事はなさそうだ。

「葛の葉……」

「うん?」

名前を呼ばれた式姫が、首をかしげて主を見上げる。その様は本当に子供のようで、不覚にも――可愛いと思ってしまった。

疑う事を知らないような、大きくて綺麗な瞳。

それにじっと見つめられているだけで、俺の思考能力は機能を停止しそうになる。

しかしなお、頭の中の疑問符は消えない。小さな頭蓋の中で、それは煙のようにもくもくと肥大していく。

「葛の葉」

再び呼びかける。最後にちゃんを付けようか迷ったが、ギリギリのところで思いとどまった。

確かに見た目は子供そのものだが、はたして子供扱いしていいものかどうか。

それよりも、今口にすべきは。

「その、恰好――」

彼女の意図が全く読めない。故にこの疑問は、尋ねる事でしか判明しない。

その恰好は何だ。一体何があった。

「なあに?」

 

「その恰好……よく似合ってるよ」

「そう?うふふ、ありがとっ」

 

できない。できるわけがないっ……。

まさに今これから祭りを楽しもうとしている、このキラキラした無垢な瞳……圧倒的……圧倒的純真……!

それを、くだらない質問を投げかけ、曇らせるなど……愚の骨頂……なんたる無粋……馬鹿か俺はっ……!

今は、祭り楽しむ時……!それ以外の事なんかどうでも良いんだっ……!

「ん!」

にっこりと手を差し出してくる。

「ん?」

ひょいと団扇を差し出すと、そのまま手首を掴まれた。

「ほら、行こ行こっ」

「お、おおう」

葛の葉ちゃんに手を引っ張られて歩き出す。その後ろ姿を見ているうちに、先程までの困惑が徐々に喜びへと変化していく。

下駄を履いていてもなお足取りは軽やかに。主を引く手は強く、元気よく。

ただ純粋にお祭りを楽しもうとする気持ちが、所作の一つ一つに表れていた。

彼女に気付かれないようふっと笑みを浮かべる。今夜は、俺の予想以上に楽しい祭りになりそうな気がするよ。

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「ん?」

葛の葉ちゃんが、ある屋台の前で立ち尽くしている。ふと見上げた看板には射的の二文字。

視線の先をゆっくり追いかけると、一等の景品と思われる大きめサイズの猫に小判人形。

最上段の中央に図々しくも鎮座しているそれは、取れるもんなら取ってみろと物言わぬ口で挑戦者や観客を挑発していた。

俺は葛の葉ちゃんの隣に歩いて戻ると、邪魔にならない位置から銃を握りしめている先客の様子を注意深く観察する。

パン!と小気味良い音と共に、撃たれた猫がぐらりと揺れる。が、少しの間だけ達磨のように揺れた後、元に戻った。

「あー惜しかったねぇ!」

店主が苦笑している。

「ちぇっ、当たったのになー。おっちゃん、もう一回!」

「はいよっ」

あー、これは沼にハマるパターンだな。

この子は何も知らないだろうが、UFOキャッチャーと同じくこの手の遊戯には裏がある。

どれだけ金をつぎ込もうが、アームが弱くては獲物が取れないのと同じように。

――射撃の腕さえあれば落とせるだろう。

――下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる。

小細工を見抜かない限り、そんな道理は通用しない。弾が十発あろうと百発あろうと、落とせない物は落とせないようにできているのである。

少し身をかがめて、真剣な表情で見つめている葛の葉ちゃんの大きな耳に呟く。

「……どう思う?」

「人形に何か仕込まれているみたいね」

やはりそうか。何度か見ているうちに感じる違和感の正体、それは人形の揺れ方が不自然であるという事。

客に気付かせないような微妙な重りを仕込んでいるのだろう。

よく使われる手だが、なにぶん証拠がないので無理に糾弾する事も出来ない。下手をすれば全員から白い目で見られる事になる。

「そろそろ行こうか」

客足が途絶えたので、俺は葛の葉ちゃんの手を握って歩き出そうとした。

が、彼女は動かない。未だに人形の方をじっと見つめている。どうしたんだろう?

俺はてっきり人形を落とせずに悔しがる客の顔を眺めて楽しんでいるのかと思っていたのだが、どうも違うらしい。

「ねぇ、オ・ガ・ミ」

後ろ手を組んで、こちらを上目遣いで見つめてくる。

あっ、この感じ――あれだな。もしかしなくても、ひょっとしなくてもあれだろうな、うん。

「な、何だ?」

聞く前から返事は分かりきっている。

悲しいかな、この会話の流れを断ち切る術を俺は持たない。

「私、あれが欲しいなぁー」

予想を裏切らない返答を、にっこりと葛の葉ちゃんが口にする。

はてさて、これは一体どっちなんだ。

純粋に人形を欲しがる子供心が発したものか、はたまた散財と落胆に苦しむ俺の顔をご所望なのか。

まぁどちらにせよ、俺が断れない事も目の前の少女はしっかり把握しているのだ。なので、俺は――。

「ううん……」

渋い顔をしながら唸った。

嫌とは言えない、いや違った、俺に嫌とは言わせない少女に対する精一杯の抵抗。

その間に必死に頭を回転させ、どうにか断りつつここから上手いこと連れ出す秘策を考えようとすると……。

すたすたと歩み寄り、葛の葉ちゃんがきゅっとお腹のあたりに抱きついてくる。

そのまま少し悲しそうな表情を浮かべて、トドメの一撃を言い放った。

「ダメかなぁ?」

頭の思考回路が破裂した。こいつぁダメだ。秘策?そんなモンどうでもいいわ。

しばしの硬直の後、ポンと葛の葉ちゃんの頭に手を当てると、

「よし、任せとけ」

自信ありげに答え、中断した思考を再び回転させる。

逃げる為ではなく、あの憎き白猫を落とす為に。葛の葉ちゃんの幸せそうな笑顔の為に。

彼奴には是が非でも落ちてもらわねば。

 

 

 

三人寄れば文殊の知恵と言うが、相手はたかが猫一匹――じゃなかった人形一体。妙策を練るには二人で十分だ。

数分後、葛の葉ちゃんと相談して策略を練った俺は店主から銃を二丁受け取り、相棒に一丁を渡した。

「上手くいくかなぁ」

「大丈夫、私がついてるから。ねっ」

ねっ、と言われてもこの作戦は俺の負担の方が大きいのだが、まぁいいか。

「……さってと」

台の手前の角に腕を当て、尻を突き出す低姿勢。体をしっかり固定させ、発砲後の反動も最小限に。

上段の獲物を狙うには不向きな、下の角度からの狙撃体勢。

その背中に、

「よい、しょ、っと」

銃を握りしめた葛の葉ちゃんがよじ登る。小柄なので、さほど重さは感じない。

これが普通の葛の葉だったら、まず無理だろう。多分、腰か膝が死ぬ。

その後で多分お仕置きを食らって残りの部分が死ぬ。どうあがいても死ぬ。

「落ちるなよ」

「平気平気」

頬に感じる葛の葉ちゃんの太ももの感触。周囲の観客からざわめきが漏れる。

店主のおっさんも目を丸くしている。なんだか人形に代わってこっちが見世物になったような気分だ。

この姿勢で奴の眉間を狙うのは至難の業だが、そんな事は百も承知。

ここ一番で頭上の彼女の期待を裏切るようなら、所詮俺はそれまでの男だ。

張り詰めた空気の中で、ドクドクと脈打つ鼓動が耳障りな程に聞こえる。乱れる呼吸に合わせて肩が上下する。

こんな人形一つに私財を何度もつぎ込んでやる程の余裕はない。額から、大粒の汗が流れた。

「いてっ」

狙いを定めていると、ぺしっと頭を叩かれた。

「早く撃ちなさいよー」

「わーってるよ……」

全く、人が集中してる時にコイツは……。だけど、葛の葉ちゃんの落ち着いた声。いつもの調子。おかげで緊張が少しだけ解れた。

そうだったな、アレを落とすのに必要なのは俺の技量ではない。

どうせ『一人』では、逆立ちしたって落とせないのだから。

 

 

 

 

 

 

パン、と放たれたコルク弾が猫の額に当たる。

ぐらりと揺れた直後に、すかさず葛の葉ちゃんによる二発目の狙撃。

 

あっけなく落ちた。

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「ふー……」

葛の葉ちゃんを下ろし、銃を手放して安堵のため息をついた。

「わーい、やったやったー!」

ねだっていた本人は子供のように大はしゃぎしている。あぁ、こんな笑顔が見られるのなら頑張った甲斐もあったというものだ。

手ぬぐいで汗を拭き取って少し離れた場所からその様を眺めていると、葛の葉ちゃんがたたっと駆けてきて飛びついてくるなり――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

んちゅっ。

 

 

 

 

 

 

おぉー、と再び周囲からどよめきが上がる。今度は人形ではなく、俺の理性があっけなく落ちた。

「――――……」

完全な不意打ちである。

熱暴走した思考回路は考機能を停止し、俺は酸欠寸前の金魚のように口をパクパクさせた。

落ち着いた筈の心臓がまたしてもドクドクと唸り始め、顔がかああっと熱くなる。

軽い耳鳴りがする。喉が渇く。え?え?何なのこれ?夢でも見ているのか俺は……。

地蔵と化した主に代わり、葛の葉ちゃんが人形を受け取ってご満悦の表情で戻ってきた。

やばいやばいやばい。的屋だけに矢場すぎる。

もう十分すぎる程幸せなんですけど。あぁ、このまま今すぐ可愛い葛の葉ちゃんと人形をお持ち帰りしたい。

「ほら、次、行きましょ」

夢見心地に浸っている主の裾をきゅっと握り、葛の葉ちゃんが急かす。

はっと意識を取り戻した俺は、まだお祭りは始まったばかりなのだという事すら忘れかけていた。

 

少し歩き出した所で葛の葉ちゃんから猫に小判人形を受け取ると、ジッパーを下ろしてゴソゴソと手を突っ込んだ。

この感触は……まさか。

「やっぱりな」

引っ張り出した手の中で、袋詰めにされた硬貨がジャラジャラと気持ち良い音を立てる。

中々気の利いた事するじゃん、あのおっさん。

「何それ、お金?」

「あぁ。恐らく、この人形に吸われてきた金額の一部だろうな」

ジッパーを元通りにし、葛の葉ちゃんの手に袋を丸ごと握らせる。

「それやるから、なんでも好きなモン買ってくるといい」

「え、えぇ?でも、こんなに――」

「いいんだよ、俺は。そんなのよりもっとありがたいモンをもらったんだから」

キョトンとしている葛の葉ちゃんに、俺は笑顔を向けた。

「……オガミ、熱でもあるの?」

「あぁ、そうかもしれない」

 

その数分後、熱があるという俺の冗談を真に受けた葛の葉ちゃんが、かき氷を両手に戻ってきた。

設置してある長椅子に二人して腰かけ、早速口に運ぶ。

「んまっ」

「んー美味しー!」

ほんのり甘いイチゴの香りと、ひんやりとした清涼感が火照った体に染み渡る。

ちらりと葛の葉ちゃんの方を伺うと、俺と同じく旨そうに氷を頬張っていた。うむ、可愛い。

特に言葉を交わす事もなく、黙々とかき氷を口に運ぶ二人。

「ごちそう様ー!」

「えっ」

いくらなんでも早すぎないかな。あれだけがつがつ食っといて頭にキーンと来ないのが不思議な位だ。

ふぅ、と一息ついた葛の葉ちゃんがこちらをじーっと見つめてくる。

俺の手の中の容器にはまだ半分程氷の山が残っていた。

「……食べるか?」

「うーん」

足をぶらぶらさせ、人差し指を口に当てて何やら思案している。

こちらは良い具合に熱が取れてきたので、特に独り占めする理由もない。

ぴょんと勢いよく降り立つと、たたっとこちらへ近寄り――あろうことか、こちらに背を向けた状態でひょいと膝の上に腰掛けてきた。

「おおっと」

諫める隙も無かった。しかし、本気で止めるつもりが無かったのもまた事実。

眼前がモフモフの尻尾で覆われるのも厭わず、俺は容器を手にしたままとっさに葛の葉ちゃんのお腹に両手を回して支えた。

「えへへ、お邪魔するわよ」

そういう台詞は本来、お邪魔する前に言うものなのだが……今更咎めたところで、このお転婆な式姫は気にしないのだろう。

俺の手からかき氷がひょいと取り上げられる。

視界不良の為に確認出来ないが、続いて耳に届いてきたシャリシャリという音から察するに、どうやら勝手に食べ始めたらしい。

「…………」

予想外の行動は、ここで終わらなかった。

かき氷に対する礼のつもりなのかそれとも喜びの感情の表れなのか、毛並みの整った九つの尻尾が頭を、頬を、首を、腕を。

上半身のあらゆる箇所を愛撫してくる。

「くふうっ!」

気持ち良さと驚きが、奇声となって漏れた。

「ちょ、ちょっと」

くすぐったいからよせという言葉は少女の耳に届く前に波間に飲み込まれ、霧散した。

さわさわと幾度も寄せては返す尻尾の海から漂ってくる芳香。それはもちろん潮の香りではなく、葛の葉ちゃんの甘酸っぱい匂い。

氷菓で一旦落ち着いたはずの頭に、再び熱が籠る。両手が塞がっている故に、一切の抵抗は許されず。

「あっ、ああっ……」

もふもふもふもふ、もふもふもふもふ。

俺は抑えきれない快楽の声を漏らしながら、彼女がかき氷を食べ終えるまで白い海の抱擁に身を委ねるのであった。

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「ほら、急いで」

「はぁ、はぁ、そう急くなって……」

すっかり日が落ち、祭りもたけなわに差し掛かる頃。

俺は荒い呼吸で前を行く葛の葉ちゃんの尻尾を追っていた。

祭り会場から少し離れた脇道に入れば、灯りの類は一気に激減する。

夜目の利く彼女と違って、こちらは時折足がもつれ、転びそうになる体勢をなんとか維持するのに精一杯。

しかも平坦な道ではなく、緩い勾配を上がっている。

顔を上げて必死に葛の葉ちゃんを追従しながら、俺は種火を携行して来なかった事を後悔した。

流石に呪符の一枚もない状況では、灯りを生み出す事は出来ない。

背中では屋台で葛の葉ちゃんが買ってくれた風呂敷に包まれた、例の人形が振動で上下している。

重くはないが、小脇に抱えていたものを背に回した所で邪魔なものは邪魔なのである。

しっかり結んであるとはいえ、万が一転倒すれば、暗闇に放り出され人形が汚れる可能性があった。

そうなると、先を行く少女の顔を曇らせる事になってしまう。ダメだ。それは許されない。

かといってのんびりと歩くような余裕もなかった。

 

 

 

花火の時間が迫ってきている。

 

 

 

本来であれば祭りの会場からでも見えない事は無いのだが、

「ねぇ、とっておきの場所に行かない?」

という葛の葉ちゃんの提案に乗り、今こうして足早に闇の中を進んでいるというワケだ。

 

視界が開け、ようやく見晴らしの良い場所に辿り着いた。宵闇の中でもハッキリと分かる程に古びた小屋が佇んでいる。

祭りと並んで夏の風物詩とも言える幽霊が出そうな雰囲気だが、近付いてみても妖気、邪気の類は感じない。

戸口の脇に据えられた台座。その傍で、葛の葉ちゃんが俺を待っている。

息を整え、よたよたとそこまで歩くと先に腰を下ろした。背中の人形は……面倒だが、解かずにこのまま背負っとこう。

葛の葉ちゃんが待ちかねたように俺の膝へと腰を下ろす。それを両手で受け止め、支える。

尻の下の木板が、ぎしぃと小さく抗議の声を上げた。

「なんとか、間に合ったみたいだな」

「そうね。あ、団扇貸して」

帯に刺していた団扇を葛の葉ちゃんに渡す。

「ふふ、ちょっと汗かいちゃった」

「帰りにまたかき氷でも買って食べようか?今度は俺が買ってくるよ」

「あら、ありがとう」

葛の葉ちゃんが気を使って尻尾を分けてくれているおかげで、普通に会話が出来る。花火を見るのに支障もない。

これが普通の葛の葉だったら、尻尾で羽交い絞めにされて……いや、むしろそれもアリか。アリだな、うん。

「あのさ……」

「ん?」

ちょうどその時、ヒュルルルーという甲高い音で会話が途切れた。

二人の意識が向けられた虚空に、ドォンと大輪の花が咲く。

「どうしたの?」

「いやなんでもないよ。ほら、花火見よう」

雑談はそこで終了し、お互いに無言のまま次々と夜空に咲く色とりどりの花をただ眺めていた。

 

 

 

 

 

 

………………。

 

 

 

 

 

 

…………。

 

 

 

 

 

 

……。

 

 

 

 

 

 

「あーあ、終わっちゃった」

葛の葉ちゃんが残念そうに呟いた。俺も全くの同感。

楽しい時間というのは、どうしてこうも過ぎるのが早いのだろう。

祭りの会場の方では、大勢の人が帰り支度を始めている頃かな。だけど、ここには二人しかいない。

「…………」

「…………」

葛の葉ちゃんが席を立つ気配はなく、俺も手を放す気は無かった。

ただなんとなく、この雰囲気にもう少しだけ浸っていたい。そんな思いが通じ合っている。

花火を眺めていた顔は自然とうつむき、俺は眼前の尻尾をぼんやりと眺めていた。

 

別れるのが惜しい。

 

「葛の葉」

「なあに?」

「その、できたら来年もまた付き合ってくれないかな……」

問いかける前から諦めていたわけじゃないけれど、自分でも分かる程に声に力がなかった。

 

楽しすぎたのだ。この小さな式姫と祭りに興じる事が。

余りにも楽しすぎたからこそ、終わってしまう事がこんなにも辛いのだ。

 

夏のお祭りに出かける機会など、この先何度でもやってくる。

共に手を握りながら歩く時間など、この先いくらでも用意されている。

 

だけど――。

この夢のような一晩は、もう二度とやってこない。

「…………」

言葉にならない寂寥感が、胸の内を覆い隠す。

 

 

 

うつむく俺の頭に、尻尾が一本もふっとのしかかってきた。

「そんな顔しないの。ほら」

尻尾が頭を撫でるように、すりすりと優しく動く。

後ろに目がついてるのかコイツは……全く、小さいなりで勘は相変わらず鋭いんだから。

「ぐすっ」

ありがとうと言う代わりに鼻をすすった。

今の俺に、それは口に出来ない。言葉以外に余計なモノが溢れてきてしまう。

 

「あのねぇ、今からそんな弱気でどうするのよ」

葛の葉ちゃんの言葉に顔を上げる。

「本当に私とまたお祭りに来たいのなら――こう言いなさい」

あぁ、懐かしい口調だ。俺は口元に笑みを浮かべた。

 

 

 

「「来年もまた連れてきてやるよ」」

 

 

 

「……なんだ、分かってるじゃないの」

「すまん、つい忘れてたよ」

なーにがが来年も付き合ってくれるか?だよ。馬鹿か俺は。

そんな弱気では、気の強い彼女の首を縦に振らせる事など出来るわけがない。

 

『次からはもう少し気の利いた誘い文句を用意しておくことね』

はは、我ながら鳥頭だな。祭りに浮かれて、肝心な事を忘れていたよ。

 

 

 

最高の思い出というのは、誰かが用意してくれるものではない。

必要なのは少しばかりの勇気と、ちょっぴりの幸運、後は意志の力。

へっぴり腰の小心者に、女神様は微笑んでくれない。もちろん、葛の葉ちゃんも。

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「ところで、もう一つ言い忘れている事はないかしら?」

「へ?あぁ、今日はわざわざありがとう」

「ちーがーう!」

ありゃ、少し怒っているようだ。

ううん、何か忘れてたっけ……?感謝の言葉以外は特に思いつかない。

「オガミ……今日一回も可愛いって言ってくれなかったじゃないの」

「えっ、あれ?そうだっけ?」

待てよ待てよ待てよ、最初に会った時に、確か……確か……

 

 

 

『その恰好……よく似合ってるよ』

『そう?うふふ、ありがとっ』

 

 

 

あああああ!?

 

べしっと尻尾が顔をはたく。

「あたっ!?」

「ひどいひどいひーどーいー!」

べしべしべしべし。

「ごめんごめん、可愛い、可愛いって!」

「最低、最低!」

罵倒の言葉と共に、複数の尻尾がひゅんひゅんと襲ってくる。当然ながら痛くはない。

しかし、なんてこった……指摘されるまで完全に気付かないとは。やっぱ俺、馬鹿だ。

 

しばらくして葛の葉ちゃんの怒りが収まったようで、ようやく尻尾の乱舞から解放された。

ぴょんと俺の膝から降り立つ彼女の前で、俺は乱れた髪の毛と着物を正さず、荒い呼吸を繰り返す。

「いや、ホント……ごめん……」

「ふん、もういいわよ」

ぷい、とそっぽを向く葛の葉ちゃん。

これは参ったな……彼女の機嫌をなだめるのは容易ではないのだ。

「すまん、許してくれ。この通りだ」

「それじゃあ、屋敷に着くまでおんぶしてよ」

「何だって?――あ、いや、喜んでおんぶさせてもらいますともハイそれはもう喜んで」

葛の葉ちゃんにキッと睨まれ、俺は慌てて翻意した。

 

人形が邪魔だったが下ろす事は出来ず、なんとか空いているスペースを確保した葛の葉ちゃんが背中にしがみつく。

「しっかり掴まってろよ……って」

ぎゅうううぅぅ。

「ちょ、首、首、首締まる!ぐええぇ」

「あ、ごめんなさい」

しっかり掴まり過ぎだ。

「大丈夫?重くない?」

「正直言うと、ちょっと重――ぐええぇ!」

「あっ、ごめんなさい」

謝るフリをしつつ、背後で葛の葉ちゃんが笑っているのが容易に想像できる。

少しは機嫌が良くなったかな。

「…………ふぅ。さて、そんじゃぼちぼち行きますよっと」

「出発進行ー!」

かなり祭りの会場を練り歩いた筈だが、不思議と体力は余っていた。

もしかしたら、背中の小さくて可愛いお客様のおかげかもしれないな。

「ところで、かき氷は?」

「もういいわ、このまま帰りましょう」

 

「葛の葉」

「ん?」

歩きながら、ふと気になった事を問いかける。

「楽しかったか?」

「ふふ、もちろんよ」

「そっか。ちなみに何が一番良かったんだ?」

「んー?それは、ヒ・ミ・ツ」

葛の葉ちゃんが楽し気に答える。

「えー何だよ、教えてくれたっていいじゃないかー」

「教えてあーげないっ。ほら、家まで頑張って」

ぐい、と前に体重を預けてくる。

「っとと。うーん、気になるなぁ」

あぁ、そういえば最初から気になっていた幼い姿になって出向いてきた理由も、結局分からず仕舞いだ。

まぁどうせ訊いても教えてくれないだろうなぁ……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私が一番気に入ったのはね……ふふっ。

初めて乗せてもらった、貴方のこの背中なのよ。

説明
葛の葉ちゃんと夏祭りに出かけるお話です。

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