うつろぶね 第二十幕
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 カクの言葉に、先代住職だったモノの動きが止まる。

 くくく。

 ややあって、それから、低い嗤いがこぼれた。

「流石は式姫じゃ……儂が思っていたより、遥かに切れるわえ」

 ぐねぐね動いていたそれが、人の形を失い、次第に崩れていく。

「じゃが、少し違う」

 どろりどろりと……崩れた体が、地面に吸い込まれていく。

「何だって?」

 カクの声に、最後に地面の上に残った、ひしゃげた頭に残る口が不気味に蠢き、言葉を発する。

「確かにわしの、この体は、蜃に、海市に『借りたモノ』じゃ……」

 じゃがな……まだ。

 まだまだ、それは、答えの全てではないぞ、式姫よ。

 その口が、にやりと吊り上がり、声を張り上げた。

「亡者ども、そ奴らから宝物の代価を受け取れ、受け取るまで逃がすでないぞ」

「貴様っ!」

「くはははぁ、人の欲は、自分も他人も地獄へ引きずり込む重石よ……そんな哀れな人間を救おうなどと考える貴様も、奴らに引かれ、諸共に海に沈むが良いわ、式姫!」

 風を切って振り下ろされた棍が、地面を叩く。

 先代住職だったモノは、完全に地面の中に消えていた。

 いや、違う。

 戻ったんだ。

 本来の姿に。

 その時、カクの足元が大きくぐらりと揺れた。

 カクは流石に踏みとどまったが、いかに揺れに慣れているとは言え、疲労の極みにあった漁師たちが、踏みとどまり切れずに、バタバタと倒れた。

 振動に続き、地の底にある何か大きな獣が呻くような、低い唸りと鳴動が続く。

 これは、まさか。

 見破られた幻は、覚めた夢は、その形を保てない。

 この海市も。

「皆、逃げ……」

 目を転じたカクが言葉を失う。

 揺れる大地にも頓着せず、再び幽鬼達がひしひしと押し詰めて来る。

 ゼニヲ、ダイカヲ。

 おうおうと泣き声を上げながら。

「ち……しつこいな」

 ぐっと棍を握り、カクは、漁師と幽鬼の間に立ちふさがった。

「おっちゃんたち……私が血路を開く、最後の力を振り絞って付いて……」

 だが、ここまで走り回り、恐怖にさらされ続けた、彼らの心身はもう限界だった。

 地震に倒れた体を起こす事も出来ず、カクの言葉に反応できず、呻くだけの人。

 カクの言葉に頷き返し、立ち上がろうと動く者は、ごく僅か。

 ……駄目か。

 

 生きようと、最後まで足掻く力を持つ人と、そうでない人を選別する、残酷な瞬間。

 

 御免よ。

 私は、生きようとする人を、生きる力が残っている人を。

 助けるだけの力しか、無いんだ。

 

 走り出そうとするカク。

 じわじわと包囲を狭める幽鬼の群れ。

 カクが息を詰める。

「今……」

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「その銭、わっちが代わりに払ってやろう」

 

 その時、ゆったりとした声が、辺りを静かに圧した。

 幽鬼達すら声を出すのを止め、漁師達も、何事かと顔を上げ、その声の方を一斉に見る。

「……仙狸……さん?」

 ゆっくりと尾を揺らし、こちらに歩いてくる仙狸の手には、何やら壺が抱えられていた。

 ゼニヲ?

 幽鬼の群れの中から、数人が彼女の前に歩み出す。

「おお、たんと払ってやろう」

 ほれ、これにある。

 壺の中に手を突っ込んだ仙狸が、しゃらしゃらとその手から銀の板や黄金の粒や、銅銭を零す。

「だ、駄目だぁ!」

 それを見た漁師の中から、絶望の声が上がる。

「んだぁ、そいつらは、その銭じゃ、満足しねぇだよ!」

「そうなの?」

 慌てるカクに、漁師たちは頷いた。

「あれは網元が持って来た銭だよ……だけど、あいつら、いくら払っても、銭を払え、銭を払えって」

 あの時の不気味さを思い出したのか、漁師たちが身震いする。

「仙狸さん!」

 声を上げるカクに、仙狸はちらりと一瞥をくれた。

「案ずるでない、カクよ」

 そう、低く口にしてから、仙狸は幽鬼達に顔を向けた。

「して、値はいか程じゃな?」

 まるで、その辺の市で、大根や魚の値段を聞く程度の様子で。

 コレガ、ツリアウダケ。

 幽鬼が、件の秤を手にして、それを仙狸に示す。

 それを見て、仙狸がにこりと笑った。

「おお、左様か左様か、良心的な価格じゃな」

 仙狸は銭を壺から掴み出した。

「これが、通用しなかったのは当然じゃ」

 その銭を載せて掲げた仙狸の手に、青白い炎が灯る。

「ただ、それは銭が悪かったのではない、お主らの払い方が悪かっただけじゃよ」

 その火に向かい、仙狸がふっと唇をすぼめて息を吹きかけると、その炎に包まれた銭が、一瞬で溶ける様に消えた。

 

 かたり。

 

 その時、幽鬼の手にした秤が、僅かだが、確かに傾いた。

 オオ……。

 それを見た幽鬼達から、歓喜の響きを帯びたどよめきが上がった。

 ゼニジャ。

 モット、モット。

 コレガツリアウダケ。

「急くな急くな、ちゃんと払ってやるでな」

 次々と仙狸が銭壺に手を入れ、銭を火にくべる度に、秤が釣り合って行く。

 魅入られたように、その不思議な光景に釘付けになる漁師たちの中で、カクは一人頷いた。

 

「そっか、冥銭」

 冥銭。

 文字通り、それは冥界で通用する銭の事。

 常なら、冥銭は、術の心得がある道士や陰陽師が、紙に書き付けて作る物。

 遺族から死出の旅に出た故人に送る、手向けの銭。

 それは、火にくべる事で、死者の手元に送られる。

 

「知ってたなら、早くやってよ!」

 安堵の余りか、カクが不平らしく口を尖らせるのに、仙狸は肩を竦めた。

「勿体ぶっておった訳では無い、わっちもつい先ほど気が付いたんじゃよ」

 この亡者たちを、夜摩天の炎で焼き払って貰えたら、と……そう思った時。

 自分の操る程度の炎でも、銭程度なら焼ける事に思い至った。

「これで最後じゃな」

 ほぼ釣り合った天秤を見て、仙狸は、こちらも随分軽くなった壺の中から、底に残る砂金を掬い、それをさらさらと火にくべた。

 さらり、かたり。

 砂金が炎の中に消える度に、秤が釣り合って行く。

「のう、お主ら」

 彼女は幽鬼達に、横顔を見せた。

 纏めた髪に、紅く輝く珊瑚の髪飾り。

「髪にすんなりと馴染み、色の品も良い、良い品を商っておるな」

 さらりと手から黄金が零れる。

 かたりと天秤が傾き、水平になった。

 

 商いは、成った。

 

 オオオ。

 しばしのどよめきの後、幽鬼達が、仙狸に顔を向けた。

 黒く虚ろにぼやけたそれでは無い。

 たくさんの、人の顔。

「御客人、我らが宝をお買い上げ頂き、ありがとうございました」

 そう……穏やかにほほ笑んで、彼らは一つ頷くと。

「……あ」

 あれほど沢山いた幽鬼達の姿が、かき消す様に居なくなった。

 まるで、全てが幻だったかのように。

 

(だが、幻ではない)

 仙狸の手の中で燃えていた炎が消えた。

 彼らは、確かにここに居たのだ。

 海市に商品を並べ、訪れぬ客を待ち続け。

 その願いを、卑劣にも利用されてしまった……。

 

「礼はこちらが申すべきであろうな」

 ふっと、仙狸はどこか寂しげにほほ笑んだ。

 これが、本当の彼らの望み。

 苦労して手にいれた物を、欲しいという人に渡し、代わりに銭を受け取る。

 働いた証に、代価を受け取る。

 そんな、人として当然の……本当にささやかな願い。

 その思い半ばで海に散った人々が、この世に残した。

「良い商いをさせて貰うたよ」

 

 ありがとう。

 

 さぁっ、と。

 彼らに払いきれず、仙狸の手から零れた砂金の粒が、吹いて来た風に乗って、海市の空に、きらきらと散った。

説明
式姫プロジェクトの二次創作小説です。

前話:http://www.tinami.com/view/958948

今回で海市から舞台は海に移り、ようやく終盤です。
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コメント
OPAMさん ありがとうございます、色彩だけでも鮮烈にイメージ出来るような描写をしたいと思って書いてましたので、嬉しいコメントです。 これにて海市編は終わり、最後に姫と先代さんの話に移ります、もう少々お付き合い下さい。(野良)
二日毎の三編連続アップお疲れさまでした。灰色の海市という舞台に灯る青白い炎に照らされる仙狸さんの横顔と珊瑚の髪飾り、その手の炎に金や銀が炎に消えていく瞬間に見せる煌めき・・カクさんの真紅の華と形容されていた戦闘場面の派手さとの対比でより物悲しさを感じさせる。商いを願う想いを利用され幽鬼と化していた人たちを故人に送る手向けの銭で成仏させる、海市という場所に相応しい供養でした。(OPAM)
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カク 仙狸 式姫 

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