うつろぶね 第二十一幕
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 海市の鳴動が更に酷くなる。

 立っているのすら困難な揺れの中を、漁師たちは必死で移動していた。

 最後の道を走り、砂防林を抜け。

 浜に出た彼らの前に、半分ほどの広さになった砂浜と、幾つかは海に漂い出してしまった小船が見えた。

「……この島、沈んでるのか?」

 恐怖と、想像を超えた事態に茫然とする何人かの背中を、カクと仙狸がどやしつける。

「呆けてる暇は無いよ!」

「多少すし詰めとなっても、手近な船に早く乗り込み、沖に急げ、この島は消えるぞ!」

 疲れ果てた体に鞭を打ち、漁師たちは船に乗り込み、櫂を手に船を漕ぎだし、帆を張る。

 仙狸とカクもまた、ここまで乗って来た小舟を見つけ、それに乗り込む。

 先に乗り込んでいた、件の洟垂れの父親が、流石の手並みを見せて、出帆の準備をしていた。

「これ以上は乗れないぜ」

「わっちらで最後じゃ」

 最後に飛び乗るカクと仙狸の足を海水が洗う。

 櫂を操る仙狸やカクの手つきに、彼は感嘆の目を向けて、口笛を吹いた。

「海で働けるぜ、姉ちゃん」

 その、こんな状況下で発せられた、余りに普通の言葉に、仙狸は思わずくすりと笑った。

「新鮮な魚に親しめる仕事は大歓迎じゃ、今の仕事にあぶれたら世話になろうかの」

 船が波に揺れる。

 浜が海の下に沈む。

「見て、海市が!」

 カクのよく通る声に、他の船の漁師達の目も、今逃げて来た島に向く。

 海市が沈む。

 急速に、木々や街並が、塩水に洗われていく。

 暗い波間に、渦を巻きながら、島が沈む。

「ち……実体化したまま沈む事で、わっちらを巻き添えにする気か」

 あの坊主めが……どこまで血迷っておるのじゃ。

 仙狸が低く舌打ちをして、櫂を手にする。

「全力で漕ぐのじゃ!沖に急げ」

 巻き込まれたらひとたまりも無い。

 

「無駄じゃ、無駄」

 

 その時、地鳴りのような声が辺りに響いた。

「この声、あいつかい!」

 この芝居を描いた、張本人。

 カクが叩き潰した奴は、地面に、この海市に溶ける様に消えた。

 奴はこの海市そのもの。

 そのカクの考えを裏付ける様に、その沈みゆく海市で一番高い建物の上に、巨大な顔が浮かんだ。

 その、のっぺりした灰白色の顔の中で、ぬめぬめと赤い口が開き、大声を発していた。

 ひぃ、ぎゃぁと、漁師たちが悲鳴を上げる中、仙狸がその顔を睨み据えた。

「何が不満じゃ、銭なら払い、亡者たちは納得して去った、お主も海市の主なれば、気持ちよく客を送ったらどうじゃ!」

 仙狸の怒声に、大地の唸りのような物が返ってくる。

「これって……まさか、笑ってるのか」

 それも、どこか皮肉な響きを込めて。

「市に立ち入るには、場所代が必要じゃ」

 儂や、この海市は銭など要らぬでな。

「この海市を……いや、蛭子珠を肥やす為に、儂はお主らの血肉を代金に所望する」

「聞いてないよ、そんな事は!」

「言うて居らぬからな」

 屁理屈にもならない、力を背景にした無理強いであることを自覚している口調で、それは仙狸たちをあざ笑った。

 圧倒的な力を、今や隠そうともしない。

「案ずるな、貴様らを喰らった後、あの浜の住人も皆食い殺してやる、さすれば海市の上で、幽鬼として一緒に暮らせるぞ、永遠にじゃ」

「ふざけんじゃないよ、そんなの絶対にさせるもんか」

 それを聞いたカクが忌々しげに海を睨む隣で、だが、仙狸は対照的に静かな表情で頷いた。

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「成程、やはりそうか」

「なにがやはりなのじゃ、式姫よ」

 嘲弄するような唸りが返ってくる、だが、仙狸は轟々と荒れだした海にも負けず、船尾に立った。

「お主の目的じゃよ……いまいちそこの所が理解できなかったが、蛭子珠を育てる為に人の命を望むというなら頷ける」

 蛭子珠は、世界生成の力。

 故に、その世界の力を再度取り込めば、その力や輝きを増す。

 魚では足りない。

 人を。

 その欲望と意思で、世界を作り替えていく、その魂の力を。

 

 仙狸の言葉に、不気味な笑いが止まる。

「儂の目的……それを知るか、式姫よ」

「そうじゃな、お主が蛭子珠を育てたがる、その理由程度は弁えておる……そして、それが無駄な努力である事もな」

 反応は無い。いや。

 カクは驚きに目を見張った。

 あの怪物が、たじろいだように言葉を失って沈黙していた。

(仙狸さん……何を知ってるの)

 自分に語ってくれた以上の何かを、貴女は、海市で見つけて来たの。

 言葉も無くカクが見つめる、その視線の先で、仙狸は更に言葉を続けた。

「お主が巡らせた遠大な計画も、何もかもが無駄」

 ただ、世界に破壊と哀しみを振りまいただけの……。

「お主もまた、哀れな道化に過ぎぬ」

 

「無駄……じゃと」

「そうじゃよ、お主が知る事叶わなかった、その理由により、その行為に意味なき事を、わっちは知っておる」

 

「儂の知らぬ事?」

 この地で数十年を閲したるこのわしが知らぬ事を。

 この地に来て一夜の式姫が、知った風な口を!

 

「間違った物ばかり見て、迷妄に囚われておれば、何十年経とうが何も見えはせぬ」

 無明。

 世界を感じる事も無く、己を顧みる事も無く、何年禅を組もうが、それはただ、座っていただけの時間に過ぎない。

「その程度の理も忘れ果てたか、仏弟子よ?」

「む」

「そもそもじゃな、この場所が、何故『市』になったのか、お主、知っておるのか?」

 仙狸の問いに虚を突かれたのか、その顔は戸惑ったような表情を一瞬浮かべた。

「愚劣な……蜃が吹くのは都市の幻じゃ、それは世に広く、そして長きに渡り伝承されてきた知識」

「ほれ、それが先入観じゃ、違う違う」

「違うじゃと、では何だと」

「この海市はのう、お主の愛しい姫の望んだ、見果てぬ幻影じゃ」

 巨大な、不気味な白い顔が、それと分かるほどにわなわなと震えだす。

「姫じゃと!まさか、馬鹿な……あり得ぬ!姫はあの日以来、口を利かなくなったのじゃ、それが何を語れる!」

「口だけでは無い、人が他者に何かを伝える術は、存外ある物よ……後は気が付くか否かの差だけじゃ」

「む……むぅ」

「お主はあれじゃな、姫を愛したと言いながら、姫の何も見て居らなんだのじゃな」

 その仙狸の声に、凍り付いたように、島が動きを止めた。

 海が僅かだが穏やかになる、その水面に飛沫を立てて、漁師達の船が一散に逃げていく。

 その様子をちらりと見て、仙狸はカクを手招き、声を低めた。

「今の内じゃ、こやつはわっちが引き付けておく、お主、そこの男を連れて、他の船に行け」

「仙狸さん……でも」

「あの洟垂れ坊主と約束したんじゃろ」

 連れて帰ると。

「それは」

 クスリと笑って、仙狸はカクの胸を押した。

 ゆけ!

 口だけそう動かしてから、仙狸は前を向いた。

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「姫はのう、わっちに色々な事を語ってくれたぞ、その生い立ちも、その憎しみも哀しみもな」

 お主はどうじゃ?

 姫の何を知って居る?

 彼女の哀しみと怒りの源泉が何処にあるのか。

 何故、姫はお主に靡かなんだのか。

「姫は蛭子珠に心を奪われた、ならば、それをより美しく、巨大に育て、それを与えれば、今度こそ姫は自分に靡くだろう……お主はそう思った、違うか?」

 返ってくるのは無言、正鵠を射られ、言葉を失った沈黙。

 だが、仙狸は頓着せずに、言葉を続けた。

「一休宗純ではないが、坊主なりとて雄よ、女の一人も抱き、酒の一つも嗜んでおかぬから、そのような初恋の小児の如き発想しか出て来んのじゃよ、よいか、姫は最初から、蛭子珠自体に魅せられた訳では無い」

「ち……違わぬ、貴様はあの時の姫の顔を知らぬから、左様な事を!」

「ふむ、では、蛭子珠で、姫の歓心は買えたか?」

 無理だったじゃろ。

「姫が……それを貴様に語ったのか、この儂が話しかけても、曖昧に、うつろにほほ笑むだけになってしまった、あの姫が」

「何じゃ、あの感情豊かな姫に、憎まれも、嘲られもしなくなったか……それは、何とも哀れなもんじゃな」

 仙狸の言葉に、獣の吼えるような音が答えた。

 傷つき、狂乱した、獣が泣き叫ぶような。

「お……おう、おう……何という、何を知った、他に姫の何を知った、儂の知らぬ姫を知ったというか、貴様はぁ!」

 

 洟垂れの親父を抱えて、海に飛び込んで泳ぎ出したカクが背中越しに聞いた声。

 その声に籠もって居た、今にも血が流れ出しそうな程に、傷ついた心の叫び。

 だが、それを聞いたカクは、心の中に少しだけ……ほんの少しだけ、ほっとする物を感じていた。

 こいつも、やっぱり人なんだ。

 人の欠片が……まだ残っているんだ。

 

 逃げるカクや漁師達から離れる様に、注意を引き付けつつ、ゆったりと櫂を操りながら、仙狸は口を笑うように歪めた。

 彼女らしくない、嗜虐的とすら呼べそうな響きを込めて。

「ほう、お主……わっちに嫉妬したか?」

 惚れた女の内心を赤裸々に語って貰えた。

 この、わっちに。

「あああぁぁぁぁぁ!」

 目の中に狂気が浮かぶ。

 巨大な、白い顔が薄れていく。

 人の姿を、保つのが無理になったかのように。

 それと共に、ゆっくりと沈んでいっていた海市もまた、その姿を薄れさせていく。

「何と……これは」

 他の船に、洟垂れの父親を引っ張り上げたカクが見守る前で、大地の姿が霧か靄の中に消える様に、薄くなっていく。

 

 商う者は、満足して市を去り。

 客は富の夢から覚め、今去りゆく。

 そして、今までこの場所に憑りつき、執念を燃やしていた男の確信が揺らぎ、突き崩された。

 ここに巨大な市を存在させていた、人の願いの力が、失われた。

 

「夢の終わりじゃ」

 厳しい顔を崩さないままに、仙狸が呟いたその視線の先で、海市が、まるで最初から無かったかのように、かき消えた。

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 それを見ていた漁師の間から歓声が上がる。

 船尾に立って、仙狸を注視していたカクすら、安堵でその場にぺたんと座り込みそうになる……だが、その時、怒号に近い声が、一同の歓声をかき消した。

「馬鹿者共が、今の内に早う逃げんか!」

 仙狸の鋭い声が海面を震わせる。

「仙狸さん……何で?」

「まだ終わりでは無い」

 そう、まだ、残っている。

 

 この世に夢を抱けず、海の向こうに幸せな世界を夢見た、その生を男の欲望に翻弄された少女の想いと。

 愛に盲目となり、狂った男の、行き場を無くした妄執が。

 

 一時静かだった海面が、再び泡立つ。

 それを睨みながら、仙狸は槍を構えた。

「わっちは、奴の纏った、巨大な偽りと幻を剥ぎ取ったに過ぎぬ」

 ごぼり、ごぼりと、浮かび、弾ける泡が次第に巨大になっていく。

 月明かりだけの中、暗い海が更にドス黒く染まる。

 フカよりも、勇魚よりも(鮫と鯨)、遥かに巨大な何かが、水底より浮上する。

 海で生きる漁師達には、何となく判った。

 ぞわりと、背筋を這いまわる感触が、それが浮かんでくる程に強くなる。

 これは駄目だ。

 自分たちが、人間が相手を出来るような代物では無い。

「来るぞ!」

 海面が大きく揺れる。

 その揺れで、漁師達の船は沖に向かって大きく押された。

「仙狸さん!」

「……わっちとの決着を望むか、それも良かろうよ」

 だが、仙狸の乗った船は、浮上したそれの方に引き寄せられる。

 黒鉄のように鈍く輝く、巨大な皿を重ねたような円盤。

 その円盤が横に割れたように、開く。

 中には、巨大な、白く蠢く、龍に成りかけの肉の塊、無数に煌めく真珠、そして、中央に立つ二人の男女。

 やっと、出て来たか。

 

 命無き妄執を、その身の裡に乗せて、海を彷徨う虚ろ船。

 

「決着を付けてやろうぞ、蜃よ!」

説明
式姫プロジェクトの二次創作小説です。

前話:http://www.tinami.com/view/959182

ようやくタイトルネタですよ……
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コメント
OPAMさん ありがとうございます、ようやくここまで漕ぎ着けた感じですね……実はOPAMさんのお言葉で一部軌道修正した部分もあり、最終戦闘まで来るのに意外に長く掛かりました、お話的には深化した部分もあり、良い回り道をさせて頂いたと思ってます。(野良)
ついにタイトルネタまで来ましたね。 海市という舞台が取り払われ、その陰に潜んでいた者の感情がむき出しになり、いよいよというところで出てくるタイトルになっている虚ろ船。これは先の展開に期待せざるを得ない。(OPAM)
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カク 仙狸 式姫 

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