うつろぶね 第二十三幕
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 ここは……一体。

 妙に明るい場所に、カクは立っていた。

 海の上では無い、あの貝も無い、僧も、姫君も居ない。

 彼女の手に棍も無い……。

 そして、彼女が棍で打ち叩いた、蛭子珠も。

 だが、この手には、あれを叩いた感触だけは確かに残っている。

 そして、確かに手応えが有った事も。

 私は、どうなったんだろう。

 白っぽい、不思議な光が偏く世界に満ちている。

「何だろね、かくりよじゃ無いみたいだけど」

 人の言う死では無いが、彼女たち式姫が現世(うつしよ)での生を終えた時に、その魂が還る場所。

 そう言われているが、カクにはその時の記憶は無い。

 その意味では、彼女たちとて、人と大差ない。

 今の生を超える記憶は無いのだ。

 だから、断言はできない。

 でも……ここは違う気がする。

 ここはもっと、そう。

 

「おねえちゃん」

 

 いきなり近くで響いた声に、カクは驚いて視線を下に向けた。

 全く気配を感じなかった。

 落とした視線に、緩く波打つ、柔らかそうな茶色の髪の毛と、つむじが飛び込んできた。。

 唐の国に居た時は、さほど珍しくも無かった髪の色だが、この日の本に来てからこちら、あまり普通の人ではお目に掛かった事の無かった髪の色。

「……なんだい?」

 警戒は有った……。

 だが、カクには、何となく判る事が一つあった。

 この少女は、敵では無い。

「おねえちゃんも、いちにきたの?」

「いち?」

 いちって、市の事かい。

 そんな物が……。

 少女の視線を追って、上げたカクの視界に、七色の光が躍った。

「……わぁ」

 覚えず、カクの口から、どこか子供のような、純粋な嘆声が零れた。

 暮れなずむ藍色の空に、夕焼けの色が、紫に、黄に、赤に染まっている。

 山の稜線の上に浮かぶのは、穏やかにほほ笑むような金の月。

 神社の森や山や田の、様々な緑が、闇の中に閉ざされる刹那の光の中で煌めいている。

 あちこちに吊るされた提灯の灯りが、赤に黄色に、白に、朧な光を投げかける。

 地面に敷かれた綺麗な布の上に、色とりどりのとんぼ玉が、今にも自分で転がりそうな風情で楽しげに並ぶ。

 男が器用に、金色に溶けた飴をくるくると二本の箸の間で動かしているうちに、みるみる可愛らしい犬の形になっていく。

 それを手にした子供たちが、賑やかに笑いながら駆けていく。

 あちらでは軽業師が、立てた竹竿の上で、器用に6個ものお手玉をくるくると手の中で回している。

 あっちに居るのは猿まわしか、猿がぴょんぴょんと身軽に跳ねてトンボを切る度に歓声が上がる。

 

 カクの中の芸人の魂が疼く。

 こんな楽しそうな場所で、変面劇やりたいなぁ。

 

 世界の全てが、自ら光を宿しているかのように、きらきらと輝いていた。

 それは余りに、綺麗な……綺麗すぎる光景。

 それだけに、カクには判ってしまった。

 色々な感情に、胸が詰まる。

 ここは……。

 少女は、少し俯いたカクの顔を覗き込みながら、無邪気で可憐な笑みを浮かべた。

 

「おねえちゃん、かいしにようこそ」

 

 一瞬閃いた、真昼のような明かりが、仙狸の目を焼いた。

 咄嗟に目を伏せたが、猫の式姫が夜闇の中に凝らしていた目には、この光は辛すぎた。

 失明する事は無かろうが、暫く、この目は使えないか……だが、それよりも。

「カクよ、無事か!」

 仙狸は海を漂う板切れに掴まりながら、声を張り上げた。

 だが、その声に応えは無い。

 鋭敏な耳をあちこちに向けるが、聞こえるのはただ、波の音だけ。

 何じゃ、何が起きた。

 

 あの蛭子珠こそが、今回の件の元凶。

 蜃に強大無比な力を授け、二人の人間の魂を蜃の中で生かし続け、ついには、その三者を融合させる要となった、純粋なる創世の力の結晶。

 思えば不思議な事では無い。

 世界を作るという事は、何かを繋げる事でもある。

 蛭子珠は、その本来の在り様の一つとして、蜃と僧と、そして姫の因果を繋いでしまったのだ。

 そう、全ては純粋な力に振り回された人と妖の道化芝居。

 故に蛭子珠を砕いてしまえば、少なくとも、この度の海市の禍は除かれよう。

 そう思っていた。

 そして、カクもまた、同じ認識の下で、蛭子珠を破壊しようとしてくれた。

 だが、あの白い光は、一体なんだ。

 そしてカクは、どうなったのか。

 彼女にもしもの事があったら……わっちは。

「カクよ、どこじゃ、返事をいたせ!」

 だが、仙狸の目は闇に閉ざされ、耳は波音を拾うだけ。

「カクよ……」

 疲れ切った体を板に預け、仙狸は見えぬ目を天に向けた。

 頼む、無事でいてくれ。

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 カクと少女は市の中を歩いていた。

 あの死臭に満ちた鬼市とはまるで違う、華やかで活気に満ちた空間。

 それを眺めながら、カクは少し悲しげに眼を伏せた。

 

 そっか、本来はこうだったんだ。

 海の上に、一夜だけ現れる幻の市に相応しい、夢と美と光に満ちた。

 

 カクの少し先を早足で歩く少女の姿に目を向ける。

 頭に狐のお面を掛けて、手には鼈甲色した、綺麗な飴細工。

 猫の姿のそれを、舐めてしまって良い物か、渋面を作って睨む様が可愛らしい。

 カクもまた、金平糖を手に、それを時折摘まんでは、そぞろに市を歩いていた。

 なんて綺麗な場所なんだろう。

 市を少し離れた水路には蛍が舞い、淡い闇の中で黄緑色の光を明滅させている。

 水路で冷やした胡瓜やまくわうりを、道行く人に分けている、人の良さそうな老爺がいる。

 カクは、彼から瑞々しい胡瓜を受け取って、歯触りの良いそれをしゃりっと齧った。

 美味しい。

 ここでは、お金は要らなかった。

 おいしそうだねと言えば、店主は飴をくれたし、可愛いねと言えば、好きなお面を手にできた。

 子供の夢だ。

 そんな中を、少女はひたすら歩き回っていた。

 無限に広がる市を、隅から隅まで、見て、楽しみつくす様に。

 そして、それは同時に。

 

「……ねぇ、君は何か探してるのかい?」

 

 カクが掛けた声に、少女は足を止め、ゆっくり振り向いた。

「うん」

 さがしてるの。

 ずっと……ずっと。

 そう、おねえちゃんも探して上げようか?

 ありがとう!

 それじゃ、さがして。

 わたしのだいじな……。

(あいつに、奪われた)

 

「ははさまを」

 

「……そっか、それじゃ一緒に探そうか」

 カクは彼女の隣に並び、顔を見上げた。

 そこに、あの可憐な少女は居らず。

「ええ、お願いします」

 あの、姫君が、どこか寂しげな笑みを、カクに向けていた。

 

 ごぼり。

 海が泡立つ音が一つ響く。

 その音に、仙狸の背筋が、そして常に彼女に危険を教えてくれる尾が、悪寒にそそけだつ。

「蜃か……だがこれは?」

 強い。

 これだけの妖気は、かつて殺生石の力を取り込んだ鵺 ー式姫が八人がかりでようやく退治したー と、対峙した時に感じて以来の物。

 間違っても、龍のなりかけ程度の蜃が持つ力では無い。

 この殺気と妖気はどこじゃ……何処から来る。

 耳をそばだて、気配を探る。

 海中の尾が、危険に膨れ上がる。

 直下!

 巨大な何かが猛烈な速度で仙狸に迫る。

 水中では勝負にもならぬ。

 舌打を一つして、仙狸はもたれかかっていた木片に、気合を込めて掌を叩き付けた。

 掌の下で、板が割れ砕ける、その込められた力が、海中に没していた彼女の体を、水上、更に空中へと跳ねあげる。

 その後を追うように、彼女を喰らわんと大きく口を開いた蜃が海中から飛び出した。

「……これは?!」

 目はまだ見えない、だが、それが彼女の体の直ぐ傍を通り抜ける時の気配、そして空気を押しのける量で、あらましの大きさは知れた。

 最前までの蜃の数倍。

 もはや、それは龍と呼ぶに相応しい。

 辛うじて食い殺される事は避けた仙狸だったが、飛び出して来た巨体が僅かに彼女の体を掠め、その体を弾いた。

「ええい、人を毬か何かのように!」

 毒づいた仙狸だったが、奴から大きく離れられるのは悪くない。

 空に飛ばされても、猫の式姫は上下の感覚を失う事は無い、彼女は空中で綺麗に姿勢を立て直し、殆ど水飛沫も上げずに、頭からするりと水の中に潜った。

 海を騒がせぬよう、飛び込んだ勢いだけで水中のかなりの距離を移動する。

 その最中、相手を警戒して気配を探って、仙狸は愕然とした。

 海に命の気配が無い。

 魚も、水底を這う生き物も。

 奴に食い尽くされたか、逃げたか、どちらもありそうな事だが。

 これでは他の命の気配に紛れる事は出来ない。

(最悪じゃな)

 気配を消しながら、水面から顔を出し、彼女は耳をそばだてた。

 相手の気配を探る。

 今は、とにかく時間が、せめてこの目が回復するまでの時が欲しい。

 

 ゴロゴロという遠雷のような音が、水面と夜空を不気味に震わせる。

 あの蜃の唸り声。

 これを聞いただけで、その存在の巨大さが知れる。

 その正確な位置を知ろうと、耳をさらにそばだてた仙狸の耳が、微かに調子の違う音を捉えた。

 

 シ……イ……メェェェ……。

 

 遠雷のような唸りの中に、人の声のような音が混じる。

 獣が人語を無理やり喉から絞り出しているような……。

 たとえ、その喉が裂け、血を噴いてでも、尚、言葉を発しようとする。

 そんな、悲痛な、慟哭に似た叫び声。

 何なのじゃ、これは。

 ……カ……セ。 

 まさか、この声は。

 ヒメ……ヲ。

 そうか……まだ、その妄執は晴れぬのか。

 

 ヒメヲ……カエセ……カエセェェェェ!

説明
式姫プロジェクトの二次創作小説です。

前話:http://www.tinami.com/view/961166

キャット空中三回転に続き、次は南斗水○拳ですよ……この昭和脳、困ったもんだ。
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コメント
OPAMさん ありがとうございます、そういうバトル的なのも文章で書いてみたいですなーw この二人の分担は、割とこの作品の大きなテーマでもある、事件への人それぞれの向き合い方みたいな部分が絡むので、終盤で更にツイストします……(野良)
「てめえらの血は何色だー!」と叫んだ仙狸姉さんが水面から宙に舞う。その美しい動きと技に戦う相手さえ心を奪われ・・・という妄想は置いといて。物語序盤の調査のときから主人公二人が役割分担をして物語を別の角度から見せるのはそれぞれの性格の違いも出て良い手段だと思っていましたが、ここにきて再びの別行動と二人を取り巻く状況の落差に先の展開が読めず楽しみです。(OPAM)
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カク 仙狸 式姫 

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