雨曝しの心傷
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rebirth

 

「ごめんね」

 

 病室は無機質だ。

 

 それでもお母さんは必死に膝を折り、全身で幼い僕を抱きしめていた。

 

「どうか笑っていて」

 

 声はか細く倒れそうで、それでも願いはしたたかで。

 

「そうすれば、誰かが愛してくれるから」

 

 僕は反応できない。

 5才児の思考が追いつくはずもない。

 

「──わかってね、ハルキ」

 

 お母さんの腕に、そっと力が宿る。

 

 最期の『教育』は、あまりにも乱暴が過ぎた。

 

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reverse

 

 耳障りなアラームに起こされる。

 僕は見事に自室で突っ伏していた顔を上げ、スマートフォンを手繰り寄せた。

 

 静止したロック画面には23:15の数字。

 

 それとともに、メッセージの通知が漂っていた。

 

『明日、みやげをもっていく』

 

『勉強もほどほどに』

 

 送信者の名はレーナ。

 

 何かと世話焼きな幼なじみで、友人だ。

 

 僕は教材にまみれた勉強机を横目に、返信する。

 

『わかってるよ』

 

 スマホを寝床に放り、筆記用具を手に自学習を再開した。

 

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「いってきます」

 

 夜が明け、朝が来る。

 

 靴を履いて外に出ると、容赦ない日差しに襲われた。

 

「暑い」

 

 本能的に漏れる声。

 

 今年は、小学校最後の夏休み。

 

 とりたてて今日は、夏休み中盤の確認テストを実施する登校日だった。

 

「あの制服、学院じゃない?」

 

「やば、金持ちじゃん」

 

 駅に着き、改札を抜ける際女子高生風の二人組とすれ違う。

 

 電車に足を踏み入れた僕は、大人しく席に座った。

 

 夏休みのこんな時間だからか、彼女たちを除いて学生はほとんど見かけない。

 

 大半が俯き目をつぶっているか、スマホをひたすら触っている。

 イヤホンをつけている人も。

 

 外に時間を馳せる僕は、そんな人たちを見て思う。

 

 ──僕は、世界の回転を感じられないほどに鈍感で無様だ。

 

 今日もまた、置き去りの一日が始まる。

 

 そう感傷に浸っている間にも、電車に体は引っ張られていく。

 

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 手持ち無沙汰になると嫌でも思い知る。

 

 僕が((有馬 春樹|ありま はるき))であること。

 

 本当の父親の『愛情』と『躾』が、俗にいう『虐待』と『ネグレクト』であったこと。

 

 かつてその父に殴られ罵倒されていた母親が、『悪者』ではなく『被害者』であったこと。

 

 ──それが僕を守ろうとしていた事実であることも。

 

 その末、疲弊していなくなってしまったということも。

 

 一応10年以上は生きてきたんだ。

 頭では自分の異質さを理解できるように育つ。

 

 だからか、僕は勉強が好きだった。

 余計なことを一時的に忘れられるから。

 

 そうこう駆け巡るうちに、電車が目的地に到着する。

 

 僕は静かに降りた。

 

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 電車からバスに乗り換える。

 

 僕が通う学校は、浄光学院という私立の小中高一貫校だ。

 

 自宅からは遠いが、都内では屈指の進学校として数えられそこそこ名が知れている。

 僕は里親の意思で、初等科からいわゆるお受験というかたちで入学した。

 

 僕の里親──5才を境に実父が借金を残して蒸発し、実母が亡くなると同時に僕に手を差し伸べてくれた存在。

 資産家の上品な夫婦だ。

 

 聞くところによると、彼らは母の大学時代の知り合いだったらしい。

 赤の他人の借金を全て返済するなど、ありえないぐらい良い人たちだ。

 

 人の温度、言葉の意味、笑い方、作法……人でなしだった僕をまともな人間にしてくれた。

 

 感謝している、だから期待に応えたい。

 いい大学に入って、働いて恩を返したい。

 

 でも……

 

「おはよう」

 

 学院前に停まったバスから出た途端、真顔の女の子が視界に飛び込んでくる。

 

 僕は自然と肩の荷が下りるのを感じた。

 

「おはよう、レーナ。久しぶりだね」

 

「ああ、夏休みはどうだ」

 

「いつも通り。勉強、塾、勉強だよ。今日の学校の後も塾」

 

「それは充実しているようでなにより」

 

 黒く髪の短い女の子──レーナこと((柘榴 零奈|ざくろ れいな))と揃って校門をくぐる。

 

 レーナとは初等科1年生からの仲だ。

 

 彼女とは、何となく波長があった。

 

 気を遣わずに話せる唯一の友人といってもいい。

 

「哀れなハルキにこれをやろう」

 

 レーナが僕に渡したのは、デフォルメされた白猫のキーホルダーだった。

 

「なにこれ」

 

「もちねこ。みやげだ」

 

 レーナは探った鞄を持ち直した。

 

「母に会いに海外に行った際、運命的な出会いを果たした。ハルキ、猫好きだろう」

 

 レーナの口調が特徴的なのは、母親が作家でその語り口に影響されている部分もあるみたいだ。

 現在レーナの母親は海外で仕事をしており、レーナは祖母と二人で暮らしていると聞いた。

 

「そうだけど……うん、ありがとう」

 

 僕は猫を一通りくるりと回す。

 

 おもむろに鞄へとしまった。

 

「つけないのか」

 

「そのうちね」

 

 背後を、アブラゼミの鳴き声と虚ろな生徒の群衆が構成していく。

 

 僕らは校舎に吸い込まれた。

 

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 なんてことない確認テストを終え、夕方。

 

 塾も終わり、多くの生徒が帰路に着いた。

 

 僕は塾の一室で1人立ち、朝レーナからもらったもちねこに目を凝らしていた。

 

 放課後に別れた、彼女との会話を記憶から反芻している。

 

『じゃあ、元気で』

 

『頑張りすぎるなよ』

 

『今度、気晴らしに遊びにいこう』

 

「……相変わらず、1人で気味の悪い奴だな」

 

 唐突の声に僕は現実に引き戻される。

 

 そこには高い背、浄光学院の校章、中等科の名札──『先輩』が居心地の悪そうに距離を詰めてきていた。

 

 僕はレーナからの贈り物をポケットにしまい、規定通り満面の笑みを返す。

 

「おつかれさまです」

 

「よく言うぜ」

 

 先輩は荒っぽく僕の前にある机に腰かけた。

 

「お前、特進科にいくんだろ」

 

 憎々し気に僕の眼をのぞきこむ先輩。

 

 おそらく、もうすぐ僕が中等科に上がるからそのことだろう。

 

 僕は陰ながら嘆息を吐き、心中目を見張った。

 

「一応、今のところは……」

 

 先輩は鼻で笑う。

 

「いいよな、お前は」

 

 悲劇的に片眉を傾げて。

 

「そうやって、人を馬鹿にして生きていけるんだから」

 

 耳鳴りがする。

 

 僕は、笑顔を被ったまま固まってしまった。

 

『どうか笑っていて』

 

 母の遺言が枷となってせき止める。

 

 僕はレーナがくれたもちねこをポケットの外から握りしめ、平静を保とうとした。

 

 ザ────

 

 ところが急な雨、夕立。

 

 雨音に、僕は自身の過去の悲鳴を重ねてしまった。

 

 ──病室。

 

 ──母を責め立てる嗚咽。

 

 ──無機質な大人たちによって引き剥がされる小さな手。

 

 体温の代わりにあてがわれたのは、冷たく愛らしい大きな猫のぬいぐるみだった。

 

「……ったく、なんで俺がこいつのお守なんか……あいつら、俺の心配なんかしないくせに……」

 

 そういえばあのぬいぐるみもいつしかボロボロになってしまって、知らない間に里親の好意によって処分されていたっけな。

 

 先輩の独り言も聞かず、僕は肩を震わせて嗤った。

 

 先輩の目つきが訝し気に揺れるのが尚おかしかった。

 

 ──みんなそうだ。いずれ壊れてしまうし居なくなってしまう。

 

 変わらない僕が変なんだ。

 どこまでも母の面影を求めようとする、僕が。

 

 あの人がなんだ。言いたいことだけ言って消えたじゃないか。

 

 どうせ1人だ。

 

 僕の努力は報われない。

 

「……愛されないのを、他人のせいにするなよ」

 

 己に跳ね返る台詞。

 

 僕は鞄を雑に落とし、戸惑う『先輩』に飾ることのない汚い笑みで勧告した。

 

「お互い楽になりましょう、義兄さん」

 

 わかりきっていたことだ。

 

 僕の本当の家族は、最初からただ一人。

 

 落雷と一緒に、頭上に掲げた椅子を振り下ろした。

 

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refuse

 

 散乱した教材、膨れ上がった鞄。

 

『僕の部屋』だった場所。

 

 スマートフォンがしつこく幾度も点滅している。

 

『何があった』

 

『大丈夫か』

 

『夏休みが明けてからずっと、学校を休んでいるようだが』

 

 間。

 

『頼む。何か言ってくれ、ハルキ』

 

 僕はようやくスマホをとった。

 

『義兄さんは、どうなった』

 

 すると面白いように返信が止まる。

 僕は頬を釣り上げた。

 

『わかれよ、レーナ』

 

『僕はもう戻れない』

 

 今度は僕の番だ。

 考えるより先に指で液晶をスワイプしていた。

 

『僕が自ら望んだことだ』

 

『もう、疲れたんだよ』

 

『里親も消えたしね』

 

 変に静まり返った家で、カーテンが虚しくそよぐ。

 

『お父さんが、僕を見つけて解放してくれたから』

 

『僕はやっと自由に生きられる』

 

 僕は滑稽なもちねことやらを取り出し、無造作に机に置いた。

 

「さようなら、レーナ」

 

 返事などない。待つつもりもない。

 

 ちゃちな拠り所に頼らなくていいほど、僕は強くなる。

 

 僕は鞄をかつぎ、早足で部屋から逃走をはかった。

 

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 殺意という狂気を携えて迎えにきてくれた、敬愛するお父さんの元へと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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透明人間の存在意義。
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